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日本の鉱物

 

日本産の鉱物や岩石のマクロ(=拡大)写真。

一覧があって、その下に掲載が新しい順で写真を並べた。
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1.元素/金属鉱物

2.硫/ヒ/セレン/テルル化鉱物

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3.ハロゲン化鉱物

4.酸化/水酸化鉱物

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5.炭酸塩/硝酸塩鉱物

6.硼酸塩鉱物

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7.硫酸/リン/ヒ/バナジン/ニオブ/タングステン/モリブデン/テルル/ウラン酸塩鉱物

8.ケイ酸塩鉱物

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9.石ころ

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苦ばんざくろ石 / Pyrope
苦ばんざくろ石 / Pyrope
愛媛県新居浜市権現山

苦ばんざくろ石 / Pyrope
愛媛県新居浜市権現越

苦ばんざくろ石 / Pyrope
Mg3Al2(SiO4)3

苦ばんざくろ石は高温高圧環境で出現する鉱物であり、日本ではその環境は限られる。特に肉眼的に見える結晶が産出するのは愛媛県の別子地域だけであろう。そこでの苦ばんざくろ石の産状は主に二つで、かんらん岩中のものと、エクロジャイト岩中のものがある。しかし、かんらん岩中の結晶のほうが標本としては圧倒的に優れていると思う。この産状だと苦ばんざくろ石成分が非常に高く、結晶の周囲にはこまごまとした余計なものがあまり伴われないので存在が際立つ。一方でエクロジャイト岩中の結晶はなんとかギリギリで苦ばんざくろ石というもので、その周囲はちょっとごちゃついている。いずれも明瞭な結晶形は観察されず、なんとなくコロコロした姿に留まる。海外でも苦ばんざくろ石の結晶はルーズであることが多い。原産地の苦ばんざくろ石はかなり赤かったようで、赤色を暗示させる「燃えるような目」を意味するギリシア語が学名の由来となっている。一方で和名は化学組成に基づいている。

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マンガンタンタル石 / Tantalite-(Mn)
マンガンタンタル石 / Tantalite-(Mn)
マンガンタンタル石 / Tantalite-(Mn)
Mn2+Ta2O6
茨城県常陸太田市妙見山

タンタル石はタンタル(Ta)を主成分とする鉱物で、タンタルという名称はギリシア神話に登場するタンタロスに由来する。今のところタンタル石には鉄(Fe)、マンガン(Mn)、マグネシウム(Mg)に富む種類が知られており、マンガンタンタル石は19世紀には記載されている。日本でも産出が知られ、妙見山からは黒色の結晶として産出するというレポートがあるものの、あくまでマンガンタンタル石だろうという予測に留まっている。写真の標本は黒ではなくむしろ赤茶けている。しかし、これがマンガンタンタル石であった。結晶の内部にはフッ素灰マイクロ石も伴われる。

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マンガンコルンブ石 / Columbite-(Mn)
マンガンコルンブ石 / Columbite-(Mn)
マンガンコルンブ石 / Columbite-(Mn)
Mn2+Nb2O6
福岡県福岡市西区今宿長垂山

マンガンコルンブ石はコルンブ石族のうちマンガンに富む種類であり、もとは1892年にマンガノコルンブ石(Manganocolumbite)の名称で記載されたが、2008年に今の名称に変更された。長垂ではマンガンコルンブ石はリチウムペグマタイトから産出することが知られており、結晶の一部はマンガンタンタル石にも相当するという報告がある。その標本を見てみたいので、とりあえずタンタル石の触れ込みで購入したものが写真のモノになる。これはマンガンタンタル石にはかすりもしないマンガンコルンブ石であった。懲りずにさらに2度、同じ経験をした。

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鉄コルンブ石 / Columbite-(Fe)
鉄コルンブ石 / Columbite-(Fe)
鉄コルンブ石 / Columbite-(Fe)
Fe2+Nb2O6
福島県石川町中野

鉄コルンブ石の根源名はアメリカの別称であるコロンビアに由来し、コネチカット州(アメリカ)で採集された標本から新元素が発見されたことで、鉱物名(コルンブ石)と元素名(コルンビウム)が同時に名付けられた。ただし、コロンビウムは後にニオブへと改名された。2023年にはコルンブ石超族が成立し、5つの族(コルンブ石族、イクシオライト族、サマルスキー石族、ウォッジナ石族、鉄マンガン重石族)の筆頭に挙げられている。鉄コルンブ石は典型的にはペグマタイトから産出し、黒色で板状から棒状の結晶となるものの、多くの場合で長石に埋没しているために採集の際に割れやすい。石川町では鉄コルンブ石、サマルスキー石、石川石がほとんど同じような産状と外観で現れ、それらは固溶体を形成するため、分析するしか区別する方法ない。なお、このなかで石川石は独立種としての立ち位置が揺らいでいる。コルンブ石超族の成立の際にデータ不足が指摘された。

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トウチェク鉱 / Tučekite
トウチェク鉱 / Tučekite
トウチェク鉱 / Tučekite
Ni9Sb2S8
栃木県鹿沼市鷹ノ巣鉱山

トウチェク鉱は世界的にもかなり珍しい鉱物で、ニッケル(Ni)とアンチモン(Sb)を主成分とする硫化鉱物。最初はオーストラリアの金鉱床から見つかった鉱物だが、日本ではマンガン鉱床の鷹ノ巣鉱山から見つかった。いかにも硫化物というよくある色つやだが、その結晶外形はとてもユニークで、両端がピラミッドで閉じる四角柱状結晶となる。ただ、割れやすいようで、なかなかいい状態では観察できない。学名はチェコ共和国の国立博物館でキュレーターを務めたKarel Tuček(1906-1990)にちなむ。

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ボルカライト / Borcarite
ボルカライト / Borcarite
ボルカライト / Borcarite
Ca4MgB4O6(CO3)2(OH)6
岡山県高梁市布賀鉱山

ボルカライトはホウ素(B)とカルシウム(Ca)を主成分に持つことから名づけられた。和名として硼灰石(ほうかいせき)と表現することもあるが、発音すると方解石と区別がつかないしため、ここではカタカナ読みのボルカライトとする。日ボルカライトは日本産新鉱物の沼野石(Numanoite: Ca4CuB4O6(CO3)2(OH)6)からみて、銅(Cu)をマグネシウム(Mg)に置換した鉱物であり、沼野石はかならずボルカライトを伴う。一方で、ボルカライトは沼野石を伴わずに単独で産出することがある。写真はボルカライトからなる群晶で、この場合の結晶は非常に小さく薄い。また、やや青みがかることが特徴。

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俊男石 / Tosudite
俊男石 / Tosudite
俊男石 / Tosudite
Na0.5(Al,Mg)6(Si,Al)8O18(OH)12·5H2O
岐阜県郡上市北濃鉱山

俊男石は粘土鉱物であり、粘土鉱物を専門に研究活動を行ってきた須藤俊男(1911-2000)にちなんで命名された。須藤の名称は先に須藤石(sudoite)として使用されていたため、二つ目となるTosuditeには氏名が組み合わされたが、和名としては俊男があてられている。粘土鉱物は内部が層構造になっており、それが不規則なものと規則的なものがあり、規則性が不十分だと種として認められない。俊男石は規則的なほうで、スメクタイト(もしくはモンモリロナイト)型層と緑泥石型層が交互に積み重なる1:1型層間鉱物として、独立の鉱物種として認められている。日本では北濃鉱山をはじめいくつかの産地が知られる。外観はどこの産地も特に違いはなく、乳白色でもっさりした土状塊。鉱物名に日本人の名前が採用されているが、模式地はウクライナ(Solnechnogorsk Village)。

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フローベルグ鉱 / Frohbergite
テルル鉱石(黄鉄鉱混じり)
フローベルグ鉱 / Frohbergite
フローベルグ鉱 / Frohbergite
FeTe2
北海道札幌市小別沢鉱山

小別沢鉱山はテルル(Te)鉱物が産出することで知られ、同じくテルル鉱物の産出がある手稲鉱山とは割と近くに位置しているものの、鉱石の特徴や構成鉱物は大きく異なる。フローベルグ鉱は鉄(Fe)のテルル化鉱物で、手稲鉱山には産しない小別沢鉱山の特産品と言える。一方でそのサイズは非肉眼的で、それを観察するには反射顕微鏡が必要。テルルアンチモニーやテルル鉛鉱が散らばる鉱石に黄鉄鉱が見えると、フローベルグ鉱がわずかに伴われることがある。小別沢鉱山はメロネス鉱(Melonite: NiTe2)やシルバニア鉱(Sylvanite: AgAuTe4)の産出も知られているが、それらもまた非肉眼的な大きさであり、それらはフローベルグ鉱よりも稀な存在。フローベルグ鉱の学名はカナダ鉱物学会の会長を務めたMax Hans Frohberg (1901-1970)にちなむ。鉱物コレクターでもあり、その収集物は今ではロイヤル・オンタリオ博物館に所蔵されている。

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テルルアンチモニー / Tellurantimony
テルルアンチモニー / Tellurantimony
テルルアンチモニー / Tellurantimony
テルルアンチモニー / Tellurantimony
Sb2Te3
北海道札幌市小別沢鉱山

テルルアンチモニーはアンチモン(Sb)のテルル化鉱物で、硫テルル蒼鉛鉱族の一員として知られる。そのくせ硫テルル蒼鉛鉱を伴うことはむしろ少なく、テルル鉛鉱などのほかのテルル化鉱物を伴うことが多い。新鮮な時は銀白色だが、時間が経つと黄色やピンクなどに微妙に色づくことがある。黒色化することもあるが、削ってみれば内部は銀白色。やわらかく、また、完全なへき開によってペラペラによく裂ける。見ただけでは共存するテルル鉛鉱とは区別は難しいが、針先でつつくとテルル鉛鉱はぼろっと崩れる。テルルアンチモニーは日本ではあまり産出しない鉱物だが、小別沢鉱山からの標本が知られている。学名は化学組成からきている。こういう鉱物の和名は「鉱」で終わりそうなものだが、なぜか学名のカタカナ読みのまま通用している。

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スティルプノメレン / Stilpnomelane
スティルプノメレン / Stilpnomelane
埼玉県秩父市荒川

スティルプノメレン / Stilpnomelane
山口県岩国市喜和田鉱山

スティルプノメレン / Stilpnomelane
(K,Ca,Na)(Fe,Mg,Al)8(Si,Al)12(O,OH)36·nH2O

スティルプノメレンは黒雲母によく似た外観を示すケイ酸塩鉱物で、顕微鏡下にあっても区別が難しかったことからかつてはよく混同されていた。結晶構造もシート状の四面体と八面体からなる点で共通する。一方でカリウム(K)の入り方と過剰の四面体がある点で異なっている。そうした構造的な違いは肉眼的な特徴にはあらわれにくいのだろう。スティルプノメレンは今では低変成度の変成岩には普遍的に伴われる鉱物であることが判明しており、特に片岩の構成鉱物として褐色から黒の縞模様を形成する。そのような産状としては埼玉県秩父市長瀞の虎岩が日本では著名。また喜和田鉱山では放射状の集合体として多産した。学名は黒く輝くという意味のギリシア語に由来する。

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ゲージ石 / Gageite
ゲージ石 / Gageite
ゲージ石 / Gageite
ゲージ石 / Gageite
Mn2+21Si8O27(OH)20
静岡県湖西市大知波鉱山

ゲージ石は20世紀の初頭に記載されてしばらくは世界的な稀産鉱物だった。ところが日本でマンガン鉱床の研究が進むと、いわゆるチョコレート鉱には多量のゲージ石が含まれることが判明した。変成度の低い秩父帯のマンガン鉱床からの産出が顕著だが、一般的には顕微鏡で観察するような大きさに過ぎないため、特徴をよく示す標本となるとなかなか難しい。その中で大知波鉱山ではゲージ石の結晶が目に見える大きさで産出することで知られる。標本からは一つ一つは針状結晶で、それが束状から放射状に密接に集合する様子が観察される。学名はアメリカの化学者Robert Burns Gage (1875-1946)にちなんで命名されている。

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田村鉱 / Tamuraite
田村鉱 / Tamuraite
田村鉱 / Tamuraite
Ir5Fe10S16
熊本県美里町払川

田村鉱はフェロトリーウェイゼル鉱(Ferrotorryweiserite: Rh5Fe10S16のイリジウム(Ir)置換体にあたる白金族鉱物である。発見からまだ間もないため公式には模式地であるKo川(ロシア)でしか産出が知られていないが、北海道と払川でも見つけている。北海道では模式地と同じくイソフェロプラチナ鉱の包有物としての産状であったが、払川ではイソフェロプラチナ鉱の粒子に伴われる黒色のコブとして表れる。フェロトリーウェイゼル鉱もまったく同じ外観であるため分析なしに区別はつかない。しかし、こういう外観でどういう鉱物があり得るかは、産地情報のひとつとして頭に入れておくのもアリだろう。学名はフランス生まれの日系アメリカ人のNobumichi Tamura (b. 1966)にちなむ。放射光施設に所属する物理学者でありながら、恐竜や魚竜を描く科学イラストレーターとしての顔も持ち合わせた人物として知られる。

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サフィリン / Sapphirine
サフィリン / Sapphirine
サフィリン / Sapphirine
Mg4(Mg3Al9)O4[Si3Al9O36]
熊本県宇城市松橋町竹崎

サフィリンは高温の変成岩に出現するケイ酸塩鉱物で、名称は青色のコランダム(サファイア)に似ることから名づけられた。実際にサフィリンはコランダムとよく共存し、ぱっと見では区別がしづらい。分析すれば確実に分類できるが、硬度の違い(サフィリン7.5、コランダム9)も分類の目安になるだろう。また、松橋町ではサフィリンのほうがやや大きく出現し、板状結晶が重なって伸長して最大で2cmに達する。海外では宝石用にカットされることもあるようだが、日本産はそこまでには至らない。

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フォスゲン石 / Phosgenite
フォスゲン石 / Phosgenite
フォスゲン石 / Phosgenite
Pb2(CO3)Cl2
和歌山県串本町串本

フォスゲン石は炭素(C)、酸素(O)、塩素(Cl)を含む鉱物であり、それらの元素からなる塩化カルボニル(COCl2)の別称であるフォスゲン(Phosgene)が名称の由来となっている。しかし、フォスゲン石の結晶構造はフォスゲンとは全く無関係であることが後に判明した。フォスゲン石の生成場は世界的にほとんど共通で、海水などの塩素源が存在する場所で鉛を含む鉱床が酸化されることで生成する。串本町もまた同様で、砂岩中に生じた鉛を含む熱水脈が海岸で露出し、それが風化作用を受けることでフォスゲン石をはじめとした様々な二次鉱物を生じた。非常に光沢が強い結晶であり、形態はベスブ石に似る。写真の標本は蛍光を示さなかったが、橙色の蛍光を示すものも知られている。

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岩塩 / Halite
岩塩 / Halite
岩塩 / Halite
NaCl
福島県喜多方市熱塩温泉

岩塩はいわゆる塩のことであり、学名は塩を意味する古代ギリシア語に由来する。鉱物名ではあるが、一般には鉱物種よりは天然に産出する塩化ナトリウムの集合体を指す名称として用いられる。海外では岩塩は塩湖でまとまって産出するが、多湿の日本ではそのような産状はない。日本では晴天時に海辺などで少量が生じるほか、塩化物泉で見られる程度。熱塩温泉は塩分濃度の高い温泉として知られ、浴槽の縁や配管には岩塩が結晶化することがある。そのほとんどは粉状のものだが、ある程度の大きさの塊となることもある。無色透明の塊で外観にはこれと言って特徴はないが、水溶性があり、舐めればあたりまえに塩辛いしで、産状や性質を考慮すれば鑑定は易しい。

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葉銅鉱 / Chalcophyllite
葉銅鉱 / Chalcophyllite
葉銅鉱 / Chalcophyllite
葉銅鉱 / Chalcophyllite
Cu18Al2(AsO4)4(SO4)3(OH)24·36H2O
栃木県日光市足尾銅山

葉銅鉱は緑色の板状結晶で産出することの多い鉱物であり、銅(Cu)を主成分にもつ。その姿と組成から、葉と銅を意味するギリシア語が学名の由来となっており、和名はその直訳。特に珍しい元素からなるわけではないこともあってか海外では産地が多い。しかし、日本での産出はなぜか少ない。いまのところは足尾銅山からの標本が良く知られており、六角形の板状結晶が重なる姿は雲母とも重なるが、この産状で雲母は出ない。含まれる水が飛びやすいと聞いたことがあり、それが原因かはわからないが、結晶質に見えて実は非晶質だったことがあった。

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マンガンベルゼリウス石 / Manganberzeliite
マンガンベルゼリウス石 / Manganberzeliite
マンガンベルゼリウス石 / Manganberzeliite
マンガンベルゼリウス石 / Manganberzeliite
NaCa2Mn2+2(AsO4)3
福島県いわき市御斎所鉱山

マンガンベルゼリウス石はヒ酸塩鉱物であり、その化学組成を見ても気が付きにくいが、ざくろ石超族の一員である。マンガンベルゼリウス石は日本では御斎所鉱山でのみ見つかっている。発見当初はそこそこあったと聞いているが近年はなかなか採集できない。ブラウン鉱を切る脈に南部石を伴うオレンジ色の微細な粒として産出する。ざくろ石らしい明瞭な結晶形はほとんど示さないが、割れ口は不定形でへき開のないざくろ石らしさがうかがえる。学名はベルゼリウス石(Berzeliite: NaCa2Mg2(AsO4)3)のマンガン(Mn)置換体であることからで、根源名の「ベルゼリウス」はスウェーデンの化学者であるJöns Jacob Berzelius (1799-1848)にちなむ。

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ダイアホル鉱 / Diaphorite

ダイアホル鉱 / Diaphorite
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ダイアホル鉱 / Diaphorite
Ag3Pb2Sb3S8
北海道札幌市豊羽鉱山礼文ヒ

ダイアホル鉱は方鉛鉱から鉛(Pb)の一部を銀アンチモン(AgSb)で置き換えた組成を持ち、方鉛鉱の近縁鉱物と理解されている。断面のぎらつきはたしかに方鉛鉱に近い印象を受ける。しかし、結晶は方鉛鉱とは異なり一方向に伸びることが多く、色もまた青や黒色を帯びるため、よくみると方鉛鉱とは異なる鉱物と認識できる。日本での産地は豊羽鉱山くらいだが、世界的には産地が多く、発見も19世紀とかなり古い。学名は異なるという意味のギリシア語に由来する。化学組成の近いフライエスレーベン鉱(freieslebenite: AgPbSbS3)とは異なる鉱物という意味が含まれている。

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ゴベリン石 / Gobelinite
ゴベリン石 / Gobelinite
ゴベリン石 / Gobelinite
CoCu4(SO4)2(OH)6·6H2O
愛知県新城市中宇利鉱山

16世紀ごろのドイツでは、コバルトを含む鉱石には銅や銀が含まれると考えて精錬しようとした。しかし、どうやっても銅や銀は精錬できず、そうした鉱石は「コボルト(kobold)」という妖精が魔法をかけたせいだと考えられていた。そして、18世紀になりコバルトが単離された際、この逸話に基づいて元素名のコバルト(Co: cobalt)が命名される。ゴベリン石はコバルトを主成分とし、フランス(North鉱山)とドイツ(Eisenzecher Zug鉱山)を模式地とする。そのため、コボルト(kobold)の古フランス語読みであるgobelinにちなんで名づけられた。ゴベリン石はクテナス石族の一員であり、そのニッケル(Ni)置換体にあたる浅葱石と共に、日本でも発見されている。蛇紋岩の裂傷に生じた菱亜鉛鉱の上に板状結晶として産出し、ゴベリン石を含む標本は浅葱色よりはやや緑色に寄る。

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鉄電気石 / Schorl
鉄電気石 / Schorl
福島県古殿町叶神

鉄電気石 / Schorl
栃木県日光市今市ダム奥の沢

鉄電気石 / Schorl
三重県紀宝町瀬原

鉄電気石 / Schorl
愛媛県今治市小大下島

鉄電気石 / Schorl
NaFe2+3Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)

鉄電気石は数ある電気石超族の中にあって、もっともふつうに見かける種類の電気石であろう。とにかくやたらめったらいろんなところにふいに顔をだす。そのくせ顔は様々という曲者でもある。ここには一般的ではない顔の鉄電気石をいくつか並べた。ペグマタイトの鉄電気石は黒色柱状で条線が柱面に平行に走り、頭が尖っていることが多いが、それ以外の産状では実に様々なツラを見せる。小大下島のものなどリチウム(Li)が入っていそうな色合いをしているが、調べてみるとリチウムが入る余地のないほどの普通の鉄電気石の組成であった。叶神のものは産状的に苦土かと思いきや鉄電気石であった。フォイット電気石と思いきや、まったくそうではないということもある。産状を考慮しても鉄電気石の肉眼鑑定は難しい。学名は14世紀ごろにあったドイツの地名に由来すると伝わる。

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ポルクス石 / Pollucite
ポルクス石 / Pollucite
ポルクス石 / Pollucite
Cs(Si2Al)O6·nH2O
茨城県里美村妙見山

ポルクス石はリチウムに富むペグマタイトに産出する鉱物で、日本でも産出が知られる。存在は稀というほどではないはずだが、その標本はおそらく稀であろう。その理由は存在がわからないから。ポルクス石は白色で粒状から塊状で産出する鉱物である。そして、新鮮であれば石英と、やや風化すれば長石とほとんど見分けがつかない。写真の標本にもポルクス石がちらちら入っていることを分析で確認しているが、どこだと聞かれても具体的に場所を示すことができないという困りもの。セシウム(Cs)を主成分とする沸石族の鉱物。学名はふたご座β星のポルックスにちなむ。ポルクス石が発見されたとき、つねにペタル石(当時はカストル石)が伴われ、その関係をふたご座の由来にちなんだとされる。

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モンブラ石 / Montebrasite
モンブラ石 / Montebrasite
モンブラ石 / Montebrasite
LiAl(PO4)(OH)
茨城県常陸太田市妙見山

モンブラ石はリチウムペグマタイトにしばしば出現する白色のリン酸塩鉱物で、風化に伴って象皮状と称される独特のガサガサした表情を呈する。一方で新鮮な断面では長石とほとんど区別がつかない。また、フッ素(F)置換体のアンブリゴ石も全く同じ産状を示すため、それとは分析する以外に区別するすべはない。学名は発見地のMontebras鉱山(フランス)に由来する。ただし、先に名前を誤ってあたえて後にモノが見つかったという経緯であったことから、そのような命名には批判もあったと伝わる。

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ウルボスピネル / Ulvöspinel
ウルボスピネル / Ulvöspinel
東京都青ヶ島湯浜

ウルボスピネル / Ulvöspinel
福島県白河市大信(鉱滓中)

ウルボスピネル / Ulvöspinel
TiFe2O4

ウルボスピネルは模式地であるUlvö島(スウェーデン)にちなんで名づけられたスピネル超族鉱物で、その下位分類であるウルボスピネル亜族の筆頭に位置する鉱物である。古くからその存在は知られ、磁鉄鉱やチタン鉄鉱とは離溶組織を形成することが多いが、単独の結晶で産出することも稀にある。東京都青ヶ島では離溶組織ではない結晶としてのウルボスピネルが産出する。ここの玄武岩は固化する際にガスを放出して小さな晶洞を作りがちで、その中に鱗珪石を伴いながら黒色の八面体結晶として産出する。鉱滓中に生じることもあり、下の写真は鉄かんらん石が主体となる鉱滓中に生じたウルボスピネルの八面体結晶。鉱滓からの産出だと鉱物とは言えないが、面白い例なので紹介した。

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サニディン / Sanidine
サニディン / Sanidine
和歌山県太地町太地

サニディン / Sanidine
サニディン / Sanidine
愛媛県久万高原町岩川

サニディン / Sanidine
富山県南砺市

サニディン / Sanidine
KAlSi3O8

サニディンはカリウム(K)が支配的な長石のうち、高温環境で出現する種類であり、典型的には流紋岩や石英斑岩の斑晶鉱物として産出する。模式地はドイツにあり、薄い板および見えるという意味のギリシャ語に基づいて名づけられた。日本でも産地は各所にあるが、鉱物標本としては和歌山県太地町の分離結晶が有名で、日本地質学会から和歌山県の鉱物に認定されている。愛媛県久万高原町でも似たような結晶が得られる場所がある。双晶も多いが、岩石を割る際の衝撃で結晶も割れてしまうことが多い。富山県南砺市の結晶にはシラー効果による不思議な光沢が見られることがあり、これは結晶の内部に生じた相分離が原因となっている。

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ルステンブルグ鉱 / Rustenburgite
ルステンブルグ鉱 / Rustenburgite
ルステンブルグ鉱 / Rustenburgite
Pt3Sn
熊本県美里町払川

ルステンブルグ鉱はプラチナ(Pt)と錫(Sn)が3:1の金属鉱物で、イソフェロプラチナ鉱(Isoferroplatinum: Pt3Fe)の錫置換体に相当する。砂白金の包有物や、正マグマ鉱床の鉱石中に数~数十μm程度の粒子として産出することが普通で、産地も今となっては広く知られている。その一方、数ある白金族鉱物の例にもれず、ルステンブルグ鉱もまたその姿はほとんど知られていない。という状況だったが、熊本県の砂白金鉱床から産出することがわかった。写真の矢印下のコブがルステンブルグ鉱で、それ以外のところはイソフェロプラチナ鉱。コブがあること以外にはその部分の質感に変化がないので、これまで調べもしていなかった。北海道の砂白金からは、ルステンブルグ鉱はイソフェロプラチナ鉱粒子の包有物として産出することを確認している。学名は発見地のあるRustenburg(南アフリカ)から。当地にはMerenskyリーフと呼ばれる世界最大級の白金族鉱床がある。

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クララ石 / Claraite
クララ石 / Claraite
クララ石 / Claraite
クララ石 / Claraite
(Cu,Zn)15(CO3)4(AsO4)2(SO4)(OH)14·7H2O
栃木県日光市足尾銅山

水色で断面には真珠光沢が見えることから調べる前は水亜鉛銅鉱かと思ったが、結果はクララ石という珍種であった。鉱物種はもうすぐ6000種を超えるだろうが、その中にあって炭酸基、ヒ酸基、硫酸基のすべてを有する鉱物はいまだにクララ石のみとなっている。分類は炭酸塩鉱物。非常に薄い板状結晶が束から放射状に集合することが一般的で、写真の標本もそうなっているが細かすぎてうまく写らない。学名は模式地であるCalara鉱山(ドイツ)にちなむ。産地はこれまで極端にヨーロッパに偏っていたが、ようやく日本でも見つかった。アジアとしても初めての産出であろう。名古屋鉱物同好会のメンバーが中心となって2023年の鉱物学会で報告される。

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スワインフォード石 / Swinefordite
スワインフォード石 / Swinefordite
スワインフォード石 / Swinefordite
スワインフォード石 / Swinefordite
アルミノ杉石&スワインフォード石 / Aluminosugilite&Swinefordite

スワインフォード石 / Swinefordite
Ca0.2(Li,Al,Mg,Fe)3(Si,Al)4O10(OH,F)2·nH2O
岩手県洋野町舟子沢鉱山

舟子沢鉱山のアルミノ杉石は淡紫色で葉片状結晶を示す鉱物であるが、モノによっては同じく葉片状でありながらもオレンジ色を帯びていることがある。それはアルミノ杉石ではなく、粘土鉱物のスワインフォード石である。スワインフォード石はスメクタイト族の一員で、母相のアルミノ杉石と同じくリチウム(Li)を主成分に持つ。アルミノ杉石を期待した石友はスワインフォード石を含む標本をアルミノ杉石の死体と表現したが、スワインフォード石のほうが世界的に見てむしろ稀産種であるので、ラベルを変えることになろうとも愛でてやるのが良いだろう。葉片状集合がオレンジ色であれば完全にスワインフォード石に置き換わっている。アルミノ杉石と共存する場合、アルミノ杉石は紫色からピンク色をしっかり残しているので、肉眼的にはっきり区別できる。例えば一番下の写真で、真ん中あたりに左右に広がるピンクの葉片はアルミノ杉石だが、それより上のオレンジ色はスワインフォード石である。学名は粘土鉱物学者のAda Swineford (1917-1993)にちなむ。

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バウィー鉱 / Bowieite
バウィー鉱 / Bowieite
バウィー鉱 / Bowieite
Rh2S3
熊本県美里町払川

白金族鉱物の多くは母岩が被る蛇紋岩化作用で消失するほどに軟弱であるが、合金の砂白金粒子に包有された状態だと生き残って地上にもたらされる。バウィー鉱も同様で、最初は砂白金粒子の包有物として発見された。熊本県払川でもバウィー鉱は包有物として見つかる場合がほとんどだが、ごくごくまれに砂白金粒子の表面で見られることがある。イソフェロプラチナ鉱粒子の中央にある灰黒色でつるっとした部分がバウィー鉱である。しかし、さらにその中央や周辺のざらついた部分に硫銅ロジウム鉱(Cuprorhodsite: (Cu+0.5Fe3+0.5)Rh3+2S4)が生じており、なんとかギリギリでバウィー鉱として生き残っているという産状を示している。バウィー鉱はイギリス地質調査所のStanley Hay Umphray Bowie (1917-2008)にちなん名づけられて1980年に承認され、1984年に記載論文が発表されている。一方で、中国の研究者が同じ鉱物をSulrhoditeの名で1983年に論文で発表した。論文発表の時期を比較するとSulrhoditeがバウィー鉱に先行しているが、Sulrhoditeのほうはそもそも申請されていない。そして、IMAは1990年にSulrhoditeの抹消を宣言したという経緯がある。

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カリ明礬石 / Alunite
カリ明礬石 / Alunite
カリ明礬石 / Alunite
福島県郡山市逢瀬多田野高旗山
KAl3(SO4)2(OH)6

カリ明礬石はミョウバン(ラテン語でAlum)の原料になる鉱物で、15世紀にはすでに採掘対象となっており、18世紀末ごろにAluminiliteと命名されたが、その30年後に現在に通じる名称へ改名された。和名ではカリウム(K)を主成分とする意と、製品としてのミョウバンと区別するようにカリ明礬石と呼ぶことがある。一方で、族名としてはカリ明礬石族とは呼ばずに、たんに明礬石族と呼ぶことがほとんど。カリ明礬石は主に変質作用で生じる鉱物で、日本では火山性の熱水脈や噴気のある地域で多く見られ、高旗山も古くから知られる産地である。緻密な塊であることも多いが、結晶が成長すると葉片状や板状となる。

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プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
広島県江田島市大柿町(能三島)

プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
三重県菰野町宗利谷湯の山鉱山

プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
□Fe2+2Fe2+5Si8O22(OH)2

プロトフェロ直閃石は日本産新鉱物として知られ、フェロ直閃石だがプロト型というちょっと特別な結晶構造を有することが学名に組み込まれている。岐阜県蛭川のペグマタイトから発見され、塊状の鉄かんらん石に伴われるという産状を示す。このようなペグマタイトは普通にあり、蛭川だけが特別な環境とは思えないがほかの産地をあまり聞かない。その原因はおそらく同定方法のミスマッチであろう。実は、粉末X線回折を取ろうとグリグリと粉末にするとプロトフェロ直閃石は単斜晶系のグリュネル閃石(Grunerite)へ相転移してしまう。角閃石の場合、プロト型かほかの構造かは電子線回折で判断するのがもっとも確実な手段となる。調べてみるとほかの産地であっても鉄かんらん石に伴われる角閃石はかなりの確率でむしろプロト型であった。広島県能三島からのプロトフェロ直閃石は本年度の鉱物学会で大西君から報告される。

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ストークス石 / Stokesite
ストークス石 / Stokesite
ストークス石 / Stokesite
CaSnSi3O9・2H2O
岐阜県中津川市蛭川田原

ストークス石はケンブリッジ大学の数学者・物理学者のSir George Gabriel Stokes(1819-1903)にちなんで命名された鉱物で、「セレナイト(Selenite)」のラベルで個人のコレクションに収集されていたものが、後に新種と判明したという経緯がある。セレナイトとは特に透明度の高い石膏(Gypsum)の結晶のことであり、菱形の面が出ていると確かによく似ている。しかし、ストークス石は錫(Sn)を主成分とするケイ酸塩鉱物で硬く、爪でも傷がつく石膏とは触れば区別できる。日本では蛭川から産出した記録があり、長石の結晶の上に透明度の高い菱形の結晶が見えたらそれがストークス石である。結晶の透明度が高すぎてかつ下地が白いために写真に写すことが難しく、やや汚れている箇所を撮るしかなかった。

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ウチュクチャクア鉱 / Uchucchacuaite
ウチュクチャクア鉱 / Uchucchacuaite
ウチュクチャクア鉱 / Uchucchacuaite
AgMnPb3Sb5S12
北海道古平町稲倉石鉱山

ウチュクチャクア鉱はペルーで発見された鉱物で、模式地のUchucchacua銀鉱山にちなんで命名された。世界的にも珍しい鉱物だが日本では稲倉石鉱山から産出した記録がある。見た目は輝安鉱や太い毛鉱のような印象だが、触ってみるとウチュクチャクア鉱にはへき開があまり感じられない。いわゆる中瀬鉱の近縁種にあたる。分析してみるとベナビス鉱(Benavidesite: Pb4MnSb6S14)が少量の銀(Ag)を含むケースとの線引きがかなり難しく、少量しかないので粉末X線回折にもトライできなかったため、写真の標本は透過型電子顕微鏡の電子線回折で同定した。

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鉄明礬 / Halotrichite
鉄明礬/ Halotrichite
鉄明礬 / Halotrichite
FeAl2(SO4)4·22H2O
福島県福島市高湯温泉

鉄明礬の学名は塩と毛を意味するギリシア語に基づいており、塩については沈殿物であることを、毛については見た目を現している。和名については苦土明礬(Pickeringite: MgAl2(SO4)4·22H2O)の鉄置換体であることから。日本では鉄明礬の産出はおおむね温泉地にあり、いわゆる「湯の花」として得られる。それ以外の産地は公にはあまり聞かないが、廃鉱山で貯鉱の下を掘ったら出てきたという例はなくはない程度にはあって、愛媛県大久喜鉱山では屋根の付いた貯鉱の下で見かけたことがある。しかし潮解性があるので出くわすにはタイミングやいくつかの条件が必要となる。様々な利用法があり、江戸時代には幕府の専売品として独占的な取引が行われていたと伝わる。

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ノリッシュ雲母 / Norrishite
ノリッシュ雲母 / Norrishite
ノリッシュ雲母 / Norrishite
岩手県洋野町舟子沢鉱山

ノリッシュ雲母 / Norrishite
ノリッシュ雲母 / Norrishite
岩手県軽米町小玉川鉱山

ノリッシュ雲母 / Norrishite
KLiMn3+2(Si4O10)O2

ノリッシュ雲母はオーストラリアの土壌科学者Keith Norrish(1924-2017)にちなんで名づけられた雲母族の鉱物で、Hoskins鉱山(オーストラリア)からまず見出された。その後、Wessels鉱山(南アフリカ)やCerchiara鉱山(イタリア)から産出が報告され、日本でも愛媛県古宮鉱山で微小なものが見つかっている。ここに挙げた鉱山は(アルミノ)杉石が産出することでも知られる。そして、昨年にアルミノ杉石が報告された舟子沢鉱山にもノリッシュ雲母はやっぱりちゃんといた。ノリッシュ雲母は、多くの種類がある雲母族の中にあって3種しかない「酸化雲母」のひとつで、リチウム(Li)と三価マンガン(Mn3+)を主成分にもち、アルミニウム(Al)を必須としない。その特徴だけでもかなり珍しくあたりまえに稀少だった。ところが、舟子沢鉱山や近隣の小玉川鉱山では岩石の主要構成鉱物として普遍的に分布している。過去の論文や地質調査でもただの黒雲母として記述され、ベラベラと無数にあるがゆえに誰にも見向きもされなかったそれこそが、実は超稀産のはずのノリッシュ雲母である。詳細は今年の鉱物科学会で報告する予定。

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イットリウムカイシク石 / Caysichite-(Y)
イットリウムカイシク石 / Caysichite-(Y)
イットリウムカイシク石 / Caysichite-(Y)
(Ca,Yb,Er)4Y4(Si8O20)(CO3)6(OH)·7H2O
福島県川俣町飯坂水晶山

イットリウムカイシク石は化学組成にちなんで名づけられた鉱物で、カルシウム(Ca)、イットリウム(Y)、シリコン(Si)、炭素(C)、水素(H)をならべてiteで閉めたという名称になっている。後年になって主成分の希土類元素を後ろにくっつけるルールが定まり、現在はイットリウムカイシク石(Caysichite-(Y))が正式名称となっている。日本ではいまのところ福島県水晶山が唯一の産地となっており、写真の標本については、ザラメ状石英と黄鉄鉱集合の裂傷中に伸びた薄板状結晶が束になって生じていた。ほかにもいくつか違う母岩や産状があるようだが、いずれにせよ裂傷やら空隙に生じる二次鉱物であり、近くには方解石や菱鉄鉱がしばしば伴われる。

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トール石 / Thorite
トール石 / Thorite
トール石 / Thorite
Th(SiO4)
福島県川俣町飯坂水晶山

トール石はトリウム(Th)を主成分とすることから命名された鉱物で、主にペグマタイトで産出するジルコン族の鉱物である。ジルコンがペグマタイトでは普通に見られる鉱物であることに比べると、トール石は珍しいほうで、特に日本ではその姿はあまり見かけることがない。実はトール石は変質にかなり弱く、しばしば完全にトロゴム石に変化してしまっている。そして、かつて聞いたことがあるのは、トロゴム石の中にある緑褐色の不定形粒という産状であり、水晶山のトール石はそれを体現する標本となっていた。

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ポッツ石 / Pottsite
ポッツ石 / Pottsite
ポッツ石 / Pottsite
(Pb3Bi)Bi(VO4)4·H2O
福島県川俣町飯坂水晶山

ポッツ石はネバダ州(アメリカ)のLinka鉱山から見出された鉱物で、鉱山が位置するPottsという地域にちなんで名づけられた。ポッツ石は鉛(Pb)とビスマス(Bi)の含水バナジン酸塩鉱物なので組成だけ見るとやや稀産かくらいに思ったが、調べてみると原産地以外ではむしろ超稀産で、世界的にもほとんど産出が無いという鉱物であった。それがどういうわけか何故か福島県水晶山から見つかった。当地は典型的なペグマタイト鉱床であり、ポッツ石は長石の裂傷に生じていた。たまに見かける金属硫化物が風化して生じたと思われるが、それにしてもこんな稀産鉱物に全く予想外の場で出会うとは数奇な巡り合わせである。写真中、オレンジ色の小粒がポッツ石であり、周囲の黄色はウラノフェンかと思いきや緑鉛鉱であった。

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自然パラジウム / Palladium
自然パラジウム / Palladium
自然パラジウム / Palladium
Pd
北海道小平町海岸

白金族の元素鉱物の中で自然パラジウムの発見は自然プラチナに次いで古く、1803年にブラジルの砂白金から見出された。そして、その二か月前に発見されていた小惑星パラス(Pallas 2)にちなんで名づけられている。なおパラスという名称はギリシア神話に登場する女神・アテーナーの別名のことで、友人であるパラスとの闘技中に誤って殺害してしまったことを悔いて、パラス・アテーナーと名乗ったことに由来するらしい。ともかく自然パラジウムは鉱石に含まれる産状で見つかることがあるものの、砂白金として見られることは稀。日本でも産出はこれまでなかったが、いわゆる浜白金を調べる中で単独の粒子として見つかった。自然プラチナやイソフェロプラチナ鉱とは見た目で区別できない。砂白金・浜白金はこれまで何千粒と調べてきており、自然パラジウムはその中でたった一粒だけしか見つかっていないので、日本ではとてつもなく稀少な存在なのだろう。いまのところ日本では白金族の元素鉱物について自然ロジウムだけまだ見つかっていない。

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クーパー鉱 / Cooperite
クーパー鉱 / Cooperite
クーパー鉱 / Cooperite
PtS
熊本県美里町払川

一般に白金族元素は反応性に乏しく、白金族元素を主成分とする白金族鉱物もまた反応性に乏しく変質作用にも耐えると思われがちだが、案外そんなこともない。実のところ安定なのは金属(合金)鉱物と一部の硫化鉱物(ラウラ鉱&エルリッチマン鉱)くらいで、160種ほどもある白金族鉱物のほとんどはおどろくほど変質に弱い。マントル中で生成されたとしても地表にもたらされる過程や風化で多くが消滅し、マイクロメートルサイズの微小粒が包有物としてとらわれた場合のみ生き残る。そのため、白金族鉱物のほとんどは目に見えないサイズでかつ鉱石や砂白金の中にひっそりと存在するのみであるが、スペリー鉱とクーパー鉱(ブラッグ鉱)は例外的で、ごくまれに砂白金として産出することがある。熊本県払川からも砂白金として得られた。クーパー鉱はプラチナ(Pt)と硫黄(S)が1:1となる鉱物で、Richard A. Cooper (1890–1972)が最初に南アフリカのRustenburgからその産出を報告し、その功績によって発見者の名称が授けられた。なお、クーパー鉱とブラッグ鉱はどちらもPtSの化学組成とされてきたが、ブラッグ鉱にはパラジウム(Pd)が必須ということが判明し、2022年にブラッグ鉱の化学組成はPdPt3S4へと改訂された。

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輝プラチナ鉱 / Platarsite
輝プラチナ鉱 / Platarsite
輝プラチナ鉱 / Platarsite
PtAsS
北海道幌加内町雨竜川

白金族鉱物には白金族元素、砒素、硫黄が1:1:1で構成される一連の鉱物群があり、それらはすべて化学組成にちなんだ学名になっている。ここに挙げる輝プラチナ鉱も同様で、Platinum+Arsenic+Sulphurが由来。直訳すれば硫砒プラチナ鉱であろうが、イリジウム(Ir)置換体が輝イリジウム鉱と呼ばれていることから、ここでは輝プラチナ鉱と呼ぶことにする。ただしその名の通り輝いているわけではない。見た目は写真の矢印先にあるように黒くざらざらしているだけで、それ以外のキラキラしている箇所はラウラ鉱。そもそも輝イリジウム鉱も輝コバルト鉱族であるために、名が体を表していないながらも先例に引きずられた和名であろう。世界的に産地は少ないわけではないが多産することもなく、日本では北海道で砂白金粒子の表面や内部にごく少量が認められるのみである。
なお、輝プラチナ鉱は2023年4月に抹消となった。記載に用いられた試料のデータを解析すると、それは輝コバルト鉱型構造ではなく、黄鉄鉱型構造として解釈される内容であった。つまり、輝プラチナ鉱に含まれるヒ素(As)と硫黄(S)は同じ席にあり、わずかにAsがSより多かっただけで、結果的にこれは硫黄に富むスペリー鉱(Sperrylite: PtAs2)だと結論付けられた。合成実験においても輝プラチナ鉱の組成PtAsSは黄鉄鉱型構造を示すことも、その結論を裏付けている。

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二アー石 / Niahite
二アー石 / Niahite
二アー石 / Niahite
(NH4)Mn2+(PO4)·H2O
愛知県設楽町田口鉱山

ニアー石はアンモニウム塩(NH4)とマンガン(Mn2+)からなる含水リン酸塩鉱物で、マレーシアのニアー洞窟で発見されたことから命名された。そこではグアノの分解によって生じたと考えられているが、アンモニウム塩もマンガンもどちらも珍しい成分ではないものの、同時にとなるとさすがに環境が限られる。そのため世界的に見てニアー石の産地はかなり少ない。その少ない中に愛知県田口鉱山が含まれており、ここではニアー石は黒褐色の二酸化マンガン鉱に練りこまれた白色の土状塊として産出する。

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チリ硝石 / Nitratine
チリ硝石 / Nitratine
チリ硝石 / Nitratine
Na(NO3)
栃木県宇都宮市大谷町

栃木県宇都宮市北部には軽石凝灰岩が分布しており、古くから建材として採掘されてきた。採掘された土地ごとに呼び方は異なるものの、なかでも大谷石(おおやいし)は良く知られた名であろう。このような凝灰岩でできた洞窟の壁面には、春先になるとわっと成長して梅雨頃にすっと消え去るという旬のある鉱物がみられ、現地の人々はそれを「いわしお」と呼んでいた。そのいわしおの構成鉱物のひとつがチリ硝石であり、見た目は白色の粉末である。南米のチリで多く産出した硝酸塩鉱物であることからチリ硝石という和名となっているが、学名は硝酸塩という意味だけで構成される。硝酸塩鉱物は炭酸塩鉱物のカテゴリーに含まれる。

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ツメブ石 / Tsumebite
ツメブ石 / Tsumebite
ツメブ石 / Tsumebite
Pb2Cu(PO4)(SO4)(OH)
秋田県大仙市亀山盛鉱山

ツメブ石はナミビアにあるツメブ鉱山から見出された鉱物で、その名が示すように模式地にちなんで名づけられた。緑色でつやのある板状結晶が理想形で、それが球状に集合することが多い。その見た目からは想像しづらいが実は東京石と同族であり、ブラッケブッシュ石超族に分類される。日本では秋田県亀山盛鉱山から報告があり、黄緑色で六角柱状の緑鉛鉱の上に青緑色の球状集合体として現れた。

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プロンビエル石 / Plombièrite
プロンビエル石 / Plombièrite
プロンビエル石 / Plombièrite
Ca4Si6O16(OH)2(H2O)2·(Ca·5H2O)
神奈川県山北町箒沢ザレノ沢

プロンビエル石は1858年に見いだされた鉱物だが、化学組成と結晶構造の確定はそこから約150年後の2014年であった。いまではトベルモリ石超族の一員として完全な独立種としての立場が確定しているが、かつては「14Å(オングストローム)トベルモリ石」と呼ばれたように、トベルモリ石の変種として扱われることもあった。その名が示すように14Åの回折が顕著ではあるが、その回折を持たないポリタイプがあったりもする。日本産の、特にザレノ沢からのプロンビエル石は世界的にもよく知られており、白色でガラス光沢を示すペラペラの葉片状結晶がスカルン中に産出する。学名は模式地であるPlombières-les-Bains(フランス)にちなみ、当地はプロンビエル石が発見された当時から温泉地として知られている。

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鉛重石 / Stolzite
鉛重石 / Stolzite
鉛重石 / Stolzite
PbWO4
岡山県鏡野町銅珍鉱山

鉛重石はモリブデン鉛鉱のタングステン(W)置換体にあたり、和名では化学組成にちなんだ名称が当てられているが、学名は医師で鉱物コレクターであったJohann Anton Stolz (1778-1855)にちなんで名づけられた。ちなみにモリブデン鉛鉱の学名も人名に由来する。鉛重石は様々な形態や色を持って産出することが知られており、どれが典型ともいいがたいが亜ダイヤモンド光沢を示すため結晶は強く輝く特徴がある。

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ペリクレース / Periclase
ペリクレース / Periclase
ペリクレース / Periclase
MgO
岐阜県本巣市能郷谷

ペリクレースはマグネシウム(Mg)の酸化鉱物で、周囲および割れるという意味のギリシャ語が学名の由来。日本では岐阜県能郷谷においてスカルン中に生じた例が知られている。写真中の茶色粒が該当するが、今はそのほとんどがブルース石に変質しているため全体としてはペリクレースの仮晶。それでも2-300粒に一つくらいは中心部に数十μm程度のペリクレースが生き残っている。手に入る標本としてはあまり見かけることのない鉱物だが、地球規模で見ると存在量はとてつもなく多い。地球の体積の7割程度を占める下部マントルにあってその中の3割ほどがペリクレースで構成されている。

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カーン石 / Cahnite
カーン石 / Cahnite
カーン石 / Cahnite
Ca2[B(OH)4](AsO4)
岡山県布賀鉱山4番坑天井露頭

カーン石は形態結晶学者、鉱物コレクター、鉱物ディーラーであったLazard Cahn (1865-1940)にちなんで命名された鉱物で、カーン石を最初に見出した人物だと伝わる。世界的に稀な鉱物だが、出現する際の姿かたちはおおむね共通。無色透明な四面体結晶が典型的で、それが連結した集合体となることが多い。日本では布賀鉱山でのみ見つかっており、やはり四面体結晶で産出するものの、小さいので方解石の結晶とややまぎらわしい。結晶構造はB(OH)4の四面体が組み込まれており、分類としては硼酸塩鉱物になる。

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フォスフォシデライト / Phosphosiderite
フォスフォシデライト / Phosphosiderite
京都府和束町石寺

フォスフォシデライト / Phosphosiderite
群馬県桐生市津久原

フォスフォシデライト / Phosphosiderite
Fe3+(PO4)·2H2O

フォスフォシデライトはストレング石の同質異像にあたる鉱物で、学名は化学組成に基づいている。和名では結晶形も考慮した単斜燐鉄鉱と呼ばれることもあるが、燐鉄鉱と呼ばれることのあるストレング石との紛らわしさを避けるために、学名のカタカナ読みであるフォスフォシデライトと呼ぶほうがわかりやすい。フォスフォシデライトの標本は板状の単結晶もしくは球形集合のものが良く知られており、色は無色~赤から紫まで幅が広い。京都府和束町や群馬県桐生市において石英脈中の空隙にややピンク色の球状集合が見られたことがある。一方で内部には未同定の鉱物が含まれることもあり、均一な集合というわけではない様子。

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ストレング石 / Strengite
ストレング石 / Strengite
ストレング石 / Strengite
Fe3+(PO4)·2H2O
愛知県設楽町段戸鉱山

ストレング石はドイツの鉱物学者であるJohann August Streng (1830-1897)にちなんで名づけられた。その化学組成から和名では燐鉄鉱と呼ばれたこともあるが、同質異像にフォスフォシデライト(Phosohosiderite)があって直訳ではむしろこっちが燐鉄鉱になってしまうため、ストレング石と呼ぶ方が素直であろう。世界的に見れば稀な鉱物ではなく、日本でも褐鉄鉱鉱床からの産出が知られていた。一方でそれ以外の産状はあまり知られておらず、近年に変成マンガン鉱床である段戸鉱山から報告された際はなぜ?というちょっとした驚きがあったように思う。当地ではピンク~紫色の板状結晶が放射状に集合して産出する。

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アンドリーズロンバード鉱 / Andrieslombaardite
アンドリーズロンバード鉱 / Andrieslombaardite
アンドリーズロンバード鉱 / Andrieslombaardite
RhSbS
熊本県美里町払川

2023年2月6日に公開されたCNMNCニュースレターには蝦夷地鉱や北海道石などの報告と共に、個人的にはちょっと悔しい報告が含まれていた。それがアンドリーズロンバード鉱であり、熊本県払川の砂白金鉱床から産出を確認していたものの、新鉱物への競争で負けた。アンドリーズロンバード鉱の模式地は東部ブッシュフェルド岩体に位置するOnverwachtプラチナパイプであり、学名はブッシュフェルド岩体の発見のきっかけをもたらしたAndries Lombaardにちなむ。当地の農夫であるLombaardは農場の小川から採集された砂白金をHans Merenskyへ送り、それが世界最大の白金族鉱床群を持つブッシュフェルド岩体の発見へつながった。模式地ではおそらく鉱石中の粒子として産出すると思われるが、熊本県払川ではアンドリーズロンバード鉱は皆川鉱や三千年鉱と同じく砂白金粒子のコブとして産出した。ただ数が非常に少ない。

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幌満ルビー
幌満ルビー
幌満ルビー(長波紫外線照射)
幌満ルビー
北海道様似町ポンサヌシベツ川

2000年に出版された書籍である「北海道の石」。それは名著とも言えないが、他の図鑑では現われないこの本でのみ見られた石がいくつかあって、その一つが幌満のルビーだった。産出自体は少し前に論文で報告されていたが、まさかここまで日本離れした代物とは思わず、一目見て感動したことをいまでも覚えている。論文を読んで産地を確認し、北海道にいた時期には幾度か探しに行ったのだがついに自採は叶わなかった。しかし、今年になって当時の標本を恵与いただき感激いっぱいである。論文にあるように斑レイ岩が上昇する過程ではルビーが不安定化したようで、周囲は反応縁として少し鉄(Fe2+)を含む濃緑色のスピネルで取り囲まれている。さらにその周囲は灰長石と透輝石であった。ルビーはわずかなクロム(Cr)を含んでおり、長波長の紫外線で紅色の蛍光を呈する。幌満かんらん岩体に伴われる斑レイ岩の大トロともいえるこの標本はいまだ露頭が見つかっておらず、現物がかぎられるため大切にしていきたい。

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ブラッシュ石 / Brushite
ブラッシュ石 / Brushite
熊本県球磨村大瀬

ブラッシュ石 / Brushite
福島県いわき市常盤下湯長谷町古舘

ブラッシュ石 / Brushite
Ca(PO3OH)·2H2O

ブラッシュ石はGeorge Jarvis Brush (1831-1912)にちなんで命名されたリン酸亜鉛鉱物で、主に生物の住む洞窟で生成する。そして、グアノの変質によって生じる最もふつうの洞窟鉱物でもある。海外をはじめ日本でも産地は多い。また、骨の分解物として生成することもある。多くの場合で乳白色の土状であり、触れると粉が手につき、そして軽い。ブラッシュ石の結晶は日本では福島県から産出した。植物片や動物の骨片と共に、土坑中から産出した。その外観は石膏とよく似ており、海外の標本でもやはりブラッシュ石は石膏と見分けることが難しい。それもそのはずで、ブラッシュ石は石膏と共通の結晶構造であり、組成的には石膏の含水燐酸基置換体に該当する。

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グラウベル石 / Glauberite
グラウベル石 / Glauberite
グラウベル石 / Glauberite
Na2Ca(SO4)2
和歌山県田辺市本宮町湯の峰温泉

グラウベル石はドイツの錬金術師Johann Rudolf Glauber(1604-1668)にちなむ鉱物で、彼が発見したGlauber塩(Na2SO4·10H2O)と組成的に似ていることが由来とされる。グラウベル石は水溶性であり、塩湖などが乾燥してできた蒸発岩で形成されることが多いものの、熱水性堆積物や噴気孔の昇華物などでも形成される。福島県小高町では地下水の昇華によって薬師寺堂磨崖佛の表面に生じた。そして写真の標本は湯の峰温泉の沈殿物であったもので、それが乾燥した状態で届いた。温泉地ではよく見かけるただの珪華だと思っていたが触ってみると珪華にしてはもろい。調べてみたらグラウベル石だった。白い粉など興味を持って調べることはなかなかないため、日本でどのくらい広く産出があるのかよくわかっていない。

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鉛鉄明礬石 / Plumbojarosite
鉛鉄明礬石 / Plumbojarosite
鉛鉄明礬石 / Plumbojarosite
Pb0.5Fe3+3(SO4)2(OH)6
新潟県阿賀町三川鉱山

カリウム(K)を主成分に持つ鉄明礬石からみて、そのカリウムを半量の鉛(Pb)で置き換えた鉱物が鉛鉄明礬石となる。学名もまた鉛を主成分とする鉄明礬石の意で現されている。金褐色(Golden brown)と称される独特の色が特徴とされ、周囲に散らばる黄色の他の明礬石超族鉱物(銅ビーバー石や尾去沢石)と明らかに異なる。粉状から土状で産出することが多い。組成からすると普通種のように考えられるが、貧弱な産状のために産出したとしても見落とされているか気にも留められないようで、日本では産出の記録が思いのほか少ない。

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バルトフォンティン石 / Bultfonteinite
バルトフォンティン石 / Bultfonteinite
バルトフォンティン石 / Bultfonteinite
Ca2SiO3(OH)F·H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

バルトフォンティン石は布賀鉱山においては産出頻度のわりには主役になることの少ない鉱物だと思う。例えば新鉱物である沼野石の下地はふわふわした毛になっており、それがバルトフォンティン石であるものの、その標本には沼野石のラベルしかつかないだろう。バルトフォンティン石というラベルを付けるにはどういう標本が良いか、というところで写真の標本になる。全体がバルトフォンティン石で構成されており、微細な針状結晶が放射状に密に集まっている。個々の結晶の特徴は感じられないが標本として特徴的なツラと言える。学名は模式地であるBultfontein鉱山(南アフリカ)にちなむ。

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クスピディン / Cuspidine
クスピディン / Cuspidine
岡山県高梁市備中町布賀西露頭

クスピディン / Cuspidine
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

クスピディン / Cuspidine
Ca4(Si2O7)(F,OH)2

クスピディンの産地は日本ではいくつか知られているが、まっとうに記載されたのはこれまで岡山県布賀の西露頭だけだと思われる。そこではクスピディンはスパー石やティレー石を切るガラス光沢のある白色の脈もしくは斑点として産出する。ひたすら地味だが、産地・産状を合わせて考えればこれならクスピディンと鑑定できよう。一方、布賀鉱山においても産出があったようで、それはひたすら白い繊維状の結晶の集合体であった。これは目の前に出されても言い当てることはムリだろう。結晶は双晶によって槍の穂先形になることが多いようで、槍を意味するギリシア語が学名の由来となっている。

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クルチャトフ石 / Kurchatovite
クルチャトフ石 / Kurchatovite
クルチャトフ石 / Kurchatovite
CaMgB2O5
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

クルチャトフ石はソ連の原子爆弾プロジェクトの責任者として著名なIgor Vasil’evich Kurchatov (1903-1960)にちなんで命名された鉱物で、バイカル湖東部に位置するホウ素(B)を含む石灰岩スカルン鉱床から見出された。岡山県布賀鉱山を含めて世界で3カ所しか産地がなく、数少ない産地の中にあって産出は極めて稀という出会うことが至難な鉱物。布賀鉱山ではクルチャトフ石は無色透明な板状結晶として産出する。それだけだと母岩(島崎石)と同化して姿が全く見えないはずであったが、なぜか黒色の微細鉱物をまとっており、かえって存在を認識することができるのでありがたい。布賀鉱山ではクルチャトフ石は二価鉄(Fe2+)置換体が存在しうることが報告されている。

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コルヌビア石 / Cornubite
コルヌビア石 / Cornubite
コルヌビア石 / Cornubite
Cu5(AsO4)2(OH)4
奈良県御所市三盛鉱山

コルヌビア石は模式地が位置するCornwall(イギリス)の中世ラテン語であるCornubaにちなんで命名された鉱物で、同質異像にコーンウォール石がある。いずれも擬孔雀石の関連鉱物であり、透き通ったアップルグリーンの球が最もそれらしい標本。しかし、現実的には皮膜状であることも多く、手持ちの標本もその例に漏れない。粉末にした際の淡色化が顕著だと言われているので量さえあれば鑑定の目安になるだろうが、量に乏しい場合は肉眼鑑定でどうこうできない困りもの

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銅アルミナ石 / Chalcoalumite
銅アルミナ石 / Chalcoalumite
銅アルミナ石 / Chalcoalumite
銅アルミナ石 / Chalcoalumite
CuAl4(SO4)(OH)12·3H2O
新潟県阿賀町三川鉱山

銅アルミナ石はその名が示すように銅(Cu)とアルミニウム(Al)を主成分とする鉱物で、学名もまた銅とアルミニウムに由来する。水の多い硫酸塩の二次鉱物で、土状の被膜で産出することが多いが、板状結晶が放射状の集合をつくることもある。色は無色から青色まであり、結晶や被膜の厚みが効いているのかもしれない。三川鉱山では亜鉛(Zn)置換体のキルギスタン石も産出する。外観だけではどちらとも区別がつかない。また、クリソコラやアロフェンともまた区別が難しい。海外では産地が多いが日本ではなぜか産地がすくないのは、それらと誤認されているからかもしれない。

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鉄スピネル / Hercynite
鉄スピネル / Hercynite
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

鉄スピネル / Hercynite
福島県古殿町仙石字叶神

鉄スピネル / Hercynite
Fe2+Al2O4

鉄スピネルもまた和名が示すようにスピネルの鉄(Fe2+)置換体のことであるが、学名の由来は組成ではなく地名。発見地であるヘルシンキの森(Hercynian Forest)にちなんで名づけられている。鉄スピネルも様々な環境で出現し、その代表となるとどれを選ぶか悩ましい。よく知られているモノとしては石灰沢のいわゆる青いスピネルであろう。亜鉛(Zn)をやや含むもののこれは鉄スピネルである。ただし鉄スピネルの部分は見えている表層から下のせいぜい数十μm厚だけで、中身はスピネルのために完全無欠の標本とはいいがたい。完全な鉄スピネルは肉眼的には真っ黒となる。叶神には中温中圧の変成岩が分布しており、風化帯に黒い棒錘状集合が落ちていることがある。これは鉄スピネルの集合体であり、割ってみると三角形の面が見えることがある。鉄スピネルはエメリーの主要構成鉱物でもある。

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亜鉛スピネル / Gahnite
亜鉛スピネル / Gahnite
亜鉛スピネル / Gahnite
ZnAl2O4
広島県尾道市生口島瀬戸田町林

亜鉛スピネルはその和名が示すようにスピネルの亜鉛(Zn)置換体のことであるが、学名はスウェーデンの化学者・鉱物学者であるJohan Gottlieb Gahn (1745-1818)にちなんで命名されている。亜鉛スピネルは産状が広く、ペグマタイトをはじめ、中~高圧変成岩、マンガン鉱床、酸化帯、スカルンなどいろいろと顔を出す。さらには別種と累帯構造をなすことも多い。そのため代表となる亜鉛スピネルをどうしようかと思っていたが、ここでは酸化帯からの標本を紹介する。生口島では酸化鉄にまみれた石英質の岩石の裂傷に鈍い緑色の八面体結晶として産出する。

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イットリウムカンポーグ石 / Kamphaugite-(Y)
イットリウムカンポーグ石 / Kamphaugite-(Y)
イットリウムカンポーグ石 / Kamphaugite-(Y)
CaY(CO3)2(OH)·H2O
京都府亀岡市畑野町広野

イットリウムカンポーグ石はカルシウム(Ca)とイットリウム(Y)を主成分とする含水炭酸塩鉱物で、花崗岩類中のイットリウム含有鉱物が低温熱水変質することで生じる。多くの場合で乳白色を呈する微細な球で、岩石の空隙や亀裂中に点在する。結晶が大きくなると板状を示すことがある。こうした産状と姿かたちはイットリウムテンゲル石(Tengerite-(Y): Y2(CO3)3·2-3H2O)にも共通する。模式地においてイットリウムカンポーグ石は当初イットリウムテンゲル石として記載されていたが、後の調査で新種であることが判明したという経緯がある。学名はノルウェイの鉱物収集家Erling Kamphaug (1931-2000)ちになむ。新種記載のための標本を提供したと伝わる。

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ラムスベック石 / Ramsbeckite
ラムスベック石 / Ramsbeckite
ラムスベック石 / Ramsbeckite
Cu15(SO4)4(OH)22·6H2O
大阪府箕面市温泉町平尾旧坑

ラムスベック石は銅を含む硫酸塩の二次鉱物であるが、酸化帯よりも鉱山内部のような湿潤環境で生成する。産地はヨーロッパに極端に偏り、日本では近畿地方で3カ所知られている。平尾旧坑では1941年に採集された標本が2000年ごろになってラムスベック石だと同定された経緯がある。平尾旧坑のラムスベック石は菱餅型をした青緑の結晶が典型で、シューレンベルグ石などを周囲に伴う。学名は模式地近郊にあるRamsbec(ドイツ)にちなんで命名された。当地は記載論文に先立ってラムスベック石の産出が最初に記録されたと伝わる。

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ボーダノウィッチ鉱 / Bohdanowiczite
ボーダノウィッチ鉱 / Bohdanowiczite
ボーダノウィッチ鉱 / Bohdanowiczite
AgBiSe2
静岡県下田市河津鉱山

ボーダノウィッチ鉱はポーランドを初産とする鉱物で、同国出身の地質学者であるKarol Bohdanowicz (1864-1947)にちなんで命名された。世界的に産地は少なくないが、鉱物標本としてこれこそがボーダノウィッチ鉱という典型例がない。それはつまり肉眼鑑定が非常に難しいことを意味している。日本では河津鉱山から産出が知られているが、世界の事情と同様に標本としてのボーダノウィッチ鉱は知られていないと思われる。そして、写真の標本こそがボーダノウィッチ鉱である。板状に分布する姿は一見して河津鉱の結晶かと思ってしまうが、よく見ると微細な結晶の集合体となっている。そして微細結晶は半分程度が河津鉱で、残りの半分がボーダノウィッチ鉱であった。河津鉱の仮晶なのかもしれない。

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車石(菫青石)
車石
車石(菫青石)
山梨県道志村

菫青石は室温では直方晶系を採る鉱物であるが、高温では六方晶系を採るため、直方晶系とは思えない姿かたちをしていることがある。高温環境下で生まれて三連双晶によって六角柱状となった菫青石が母岩から剥落したものを、産地のある道志村の人々は車石と呼んで親しんでいた。明治期になると車石は東京の標本商から出回るようになったが、その出所はいつしか忘れ去られ(もしくは秘匿されており)、昭和期には車石そのものが幻の鉱物と言われるようにすらなっている。そして、平成の終わりになって車石の露頭が愛好家によってようやく突き止められた。車石は今でこそ菫青石であるが、それが風化すると白雲母と化し、その断面は桜石と呼ばれる。

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マックアルパイン石 / Mcalpineite
マックアルパイン石 / Mcalpineite
マックアルパイン石 / Mcalpineite
Cu3Te6+O6
和歌山県岩出市山崎

マックアルパイン石は模式地(McAlpine鉱山:アメリカ)にちなんで名づけられた鉱物で、テルル酸塩の二次鉱物として記載された。マックアルパイン石はテルル(Te)の供給があってこそ生成する鉱物であるため日本で出るなら河津鉱山や手稲鉱山が想定されたものの、初報告は三波川帯に位置する和歌山県山崎からであった。そこから産出する輝銅鉱類や斑銅鉱は内部に微細なテルル鉱物を含んでおり、風化作用によって鉱石の裂傷に緑色皮膜状のマックアルパイン石や青色の手稲石が生じていた。テルルの二次鉱物は観察されていないものの、テルル鉱物を含む輝銅鉱類は三波川帯の西側延長にあたる佐田岬半島からも見いだされている。また、マックアルパイン石の化学組成は2013年に現在のように改訂されている。構造解析の結果、ビクスビ石(Bixbyite: Mn2O3 = Mn3(MnO6).)と同構造であることが明らかとなったためである。

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ネルトネル鉱 / Neltnerite
ネルトネル鉱 / Neltnerite
岩手県軽米町小玉川鉱山

ネルトネル鉱 / Neltnerite
岩手県洋野町舟子沢鉱山

ネルトネル鉱 / Neltnerite
CaMn3+6O8(SiO4)

一見してありふれた普通種にしか見えない標本が調べてみると実は希少種だったということがある。写真の標本はだれがどうみてもブラウン鉱であり、普段はこういったものはわざわざ調査対象にならないが、アルミノ杉石やフェリリーキ閃石のついでで調べてみたらネルトネル鉱であった。正確にはネルトネル鉱も含まれるという表現になるだろう。ネルトネル鉱はブラウン鉱のカルシウム(Ca)置換体にあたる。舟子沢鉱山から小玉川鉱山あたりのブラウン鉱はカルシウムに富んでおり、標本によっては半分以上が確実にネルトネル鉱の領域に入る。ただ、見た目はブラウン鉱の標本でしかなく、含まれるネルトネル鉱の多寡は見ただけではわからない。ネルトネル鉱はモロッコからの新鉱物で、模式地を研究したLouis Neltner (1903-0985)にちなんで名づけられた。

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クレドネル鉱 / Crednerite
クレドネル鉱 / Crednerite
クレドネル鉱 / Crednerite
クレドネル鉱 / Crednerite
CuMnO2
愛媛県伊方町大久

クレドネル鉱はドイツで最初に発見された鉱物で、発見者と伝わるKarl Friedrich Heinrich Credner (1809-1876)にちなんで命名された。銅(Cu)とマンガン(Mn)からなる酸化物という単純な化学組成であり、それだけ見ると日本のマンガン鉱床ならたいてい出そうに感じられるが、実際はその逆でめったに産出しない。クレドネル鉱は黒色の箔状結晶として鉱石の裂傷などに生じ、箔面が非常に強く輝く。地味な割には見つけてくれという主張が強いために出てくるとすぐわかる。パイロファン石とやや紛らわしいことがあるが、色味が判断のポイントなるだろう。

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マラヤ石 / Malayaite
マラヤ石 / Malayaite
マラヤ石 / Malayaite
マラヤ石 / Malayaite
CaSnO(SiO4)
山口県岩国市喜和田鉱山

マラヤ石はチタン石の錫(Sn)置換体となる鉱物で、スカルン鉱床で産出することがある。日本でもいくつか産地が知られるものの、その姿は無色の微細粒なために実体顕微鏡を用いたとしても肉眼で捉えることは非常に難しい。一方、短波長紫外線によって黄緑色に強く輝く特徴があり、マラヤ石が含まれていそうな候補を照らしていくことで存在を認識することができる。喜和田鉱山では珪灰石のなかに含まれていた。マレーシアから最初に報告された鉱物で、学名は模式地にちなむ。

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ロウ石 / Roweite
ロウ石 / Roweite
ロウ石 / Roweite
Ca2Mn2+2B4O7(OH)6
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

ロウ石はフランクリン鉱山(アメリカ)で最初に見つかった鉱物で、鉱山長であったGeorge Rowe (1868-1947)にちなんで命名された。産地は世界中で数か所でのみであるものの、そのなかに岡山県布賀鉱山が含まれている。ロウ石は褐色の板状結晶となることが多いが、未詳鉱物を伴って黒く染まることもあって肉眼での鑑定はつらい。母岩についても論文ではウラル硼石の例が紹介されているが、写真の標本だとビムス石であった。しかしウラル硼石かビムス石かというのも見た目での区別が難しいので探すための目安がつかみづらい。ロウ石は収集家泣かせの鉱物であろう。

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砒ゴールドフィールド鉱 / Arsenogoldfieldite
砒ゴールドフィールド鉱 / Arsenogoldfieldite
砒ゴールドフィールド鉱 / Arsenogoldfieldite
Cu6Cu6(As2Te2)S13
静岡県下田市河津鉱山

四面銅鉱超族の命名規約が整備されたことによってゴールドフィールド鉱の名をもつ鉱物は3つに分かれた。それぞれゴールドフィールド鉱(Goldfieldite: (Cu42)Cu6Te4S13)、安ゴールドフィールド鉱(Stibiogoldfieldite: Cu6Cu6(Sb2Te2)S13)、そしてここに挙げた砒ゴールドフィールド鉱になる。特に砒ゴールドフィールド鉱について命名規約が定まった時点ではまだ未承認種であり、河津鉱山を模式地として日本産の新鉱物とすべく科博で研究が続けられていた。しかし、アメリカ産のものがごく最近に新鉱物として承認されてしまった。河津鉱山産の砒ゴールドフィールド鉱はかつて「ゴールドフィールド鉱」として出回っていた標本そのものであるため、ラベルを書き換えればいいだろう。鹿児島県入来鉱山もゴールドフィールド鉱の産地として知られるが、そちらは安ゴールドフィールド鉱のラベルが適当である。なお、今の基準のゴールドフィールド鉱は日本ではいまだ産出が確認されていない。根源名は模式地が位置していた新興都市(Goldfield)の名称に由来し、学名は化学組成が反映されている。

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タタリノフ石 / Tatarinovite
タタリノフ石 / Tatarinovite
タタリノフ石 / Tatarinovite
Ca3Al(SO4)[B(OH)4](OH)6·12H2O
福島県郡山市多田野大沢山

タタリノフ石はロシア人地質学者のPavel Mikhailovich Tatarinov (1895-1976)にちなんで命名されたエットリング石族の鉱物で、今吉石の硫酸基置換体に相当する。細かいところは絹糸光沢で、ある程度大きなへき開片だとガラス光沢となり、見た目の印象よりずっと軽く感じる。多田野のエットリング石族はソーマス石と言われてきたが、今吉石、千代子石に続いてまたソーマス石と異なる結果だった。今まで調べたなかでソーマス石を見たことがない。とはいえ、調べた例がまだ少ないだけなのかもしれない。

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ベーカー石 / Bakerite (B-rich Datolite)
ベーカー石 / Bakerite (B-rich Datolite)
ベーカー石 / Bakerite (B-rich Datolite)
岡山県高梁市備中町布賀鉱山1番坑

ベーカー石は端正な結晶となることがあまりなく、球状のモコモコ集合体で産出することが多い。1903年にアメリカ産の新種として記載され、ダトー石よりホウ素(B)が多い種として認知されるようになった。1994年には岡山県布賀鉱山から産出が確認されている。しかし、2017年のガドリン石超族の命名規約の成立とともにベーカー石は独立種としての立場を追われた。現在の分類ではダトー石になるものの、かつて独立の名前を付されていたことからベーカー石として紹介した。学名は発見者と伝わる起業家のRichard Charles Baker (1858-1937)にちなんで名づけられた。

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チャールズ石 / Charlesite
チャールズ石 / Charlesite
チャールズ石 / Charlesite
チャールズ石 / Charlesite
Ca6Al2(SO4)2B(OH)4(OH,O)12·26H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

チャールズ石はエットリング石族の一つで、発見当初はエットリング石の変種として記載されている。その当時からホウ素(B)に富むことが指摘されており、後年に新鉱物として改めて申請されて認められた。学名はハーバード大学教授のCharles Palache (1869-1954)にちなむ。日本で布賀鉱山から産出が知られているが、ここのチャールズ石は二酸化炭素(CO2)を多く持ち、新種になる可能性が指摘されている。自形結晶は扁平な六角錐状となる。

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セリウムフェリ褐簾石 / Ferriallanite-(Ce)
セリウムフェリ褐簾石 / Ferriallanite-(Ce)
セリウムフェリ褐簾石 / Ferriallanite-(Ce)
CaCe(Fe3+AlFe2+)[Si2O7][SiO4]O(OH)
福島県田村市羽山岳

フェリ褐簾石にはセリウム(Ce)とランタン(La)を主成分とする種が知られ、日本ではそのどちらも産出する。そして羽山岳のセリウムフェリ褐簾石については広島県、香川県に次ぐ産出となるだろう。いずれにしてもその産出は稀。羽山岳ではペグマタイト中に角閃石と共に産出し、どちらも一見は黒色であるために非常に見分けづらいが、よく見ると角閃石はわずかに緑色を、褐簾石は褐色を帯びている。セリウムフェリ褐簾石は2000年にモンゴル共和国で見いだされ、褐簾石のフェリ置換体であることから命名された。2006年に命名規約が整備された際も学名はそのまま維持されている。

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ヘムス鉱 / Hemusite
ヘムス鉱 / Hemusite
ヘムス鉱 / Hemusite
Cu1+4Cu2+2SnMoS8
静岡県下田市河津鉱山

ヘムス鉱はバルカン山脈(ブルガリア)で最初に見いだされた鉱物で、バルカン山脈の旧名であるHemusにちなんで1971年に命名された。そして河津鉱山はヘムス鉱の世界第二産地として報告されている。その報告文にも述べられているように、河津鉱山ではヘムス鉱は微細な粒子として産出し陶石質の石英に墨流し状に分布する。ぎらついている部分は河津鉱で、それくらいしか共生鉱物は認められなかった。ヘムス鉱は世界的も稀産鉱物であり、分析する以外に見極める方法ないコレクター泣かせの鉱物となっている。

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アロフェン / Allophane
アロフェン / Allophane
アロフェン / Allophane
Al2O3(SiO2)1.3-2.0·2.5-3.0H2O
北海道白老町南白老バライト鉱山

アロフェンは土壌中に広く分布する粘土鉱物で、とくに火山性灰土壌には普遍的に含まれる。例えば関東ロームではアロフェンの含有量が50%に達することもある。しかしいくら含有量が多くとも鉱物標本としてそれでは面白くない。鉱物標本としてふさわしいアロフェンは金属鉱床において魚卵状からぶどう状に集合したものであろう。無色が基本であるが、副成分によって橙色や青色を呈することも多い。アモルファスであることから鉱物の定義を満たしていないが、アロフェンは例外的に鉱物種として認められている。強熱すると外観が変化することから異なって見えるという意味のギリシャ語が学名の由来となっている。

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桃簾石 / Thulite
桃簾石 / Thulite
長野県上田市真田町傍陽入軽井沢

桃簾石 / Thulite
愛媛県四阪島明神島

桃簾石 / Thulite

緑簾石族鉱物の和名には外観色が当てられることがあり、桃簾石はその名が示すように桃色を示す。ただしこれは種の名称ではなく、桃簾石とは桃色を示す緑簾石族鉱物の総称である。実体は(単斜)灰簾石から緑簾石まで幅がある。また、桃色はマンガン(Mn)が原因と言われることもあるが、調べてみるとほとんど含まれないこともありはっきりしていない。写真の標本についてはいずれもマンガンはMnOとして0.5%未満であった。日本では長野県入軽井沢の標本が古くから知られており、緑簾石族として典型的な姿と見事な桃色がよく現われている。愛媛県明神島の桃簾石も古典標本として知られており、九州大学の高壮吉が見出した。ここでは桃簾石は桃色の斑点として現れる。桃簾石はスカンディナヴィア半島から最初に見いだされ、そこの古代の名称であるThuleにちなんでいる。

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カニュク石 / Kaňkite
カニュク石 / Kaňkite
カニュク石 / Kaňkite
Fe3+(AsO4)·3.5H2O
京都府福知山市宮坂富国鉱山

カニュク石はチェコスロバキア(当時)のKaňk地域における中世に開発された鉱山のズリから見いだされた鉱物で、模式地にちなんで命名された。含水の鉄ヒ酸塩鉱物ということでスコロド石とは組成的に非常に近いものの、スコロド石が結晶を示しやすいことに比べてカニュク石のほうは結晶がみられることが非常に少ない。結晶があったとしてそれは電子顕微鏡で観察できるスケールであることが多い。そしてカニュク石の標本は独特である。黄土色のウネっとした集合体が典型であり、この姿はまるで地衣類を思わせる。野外でカニュク石を見分けるのはおそらく難しい。

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チェルマック閃石 / Tschermakite
チェルマック閃石 / Tschermakite
チェルマック閃石 / Tschermakite
□Ca2(Mg3Al2)(Si6Al2)O22(OH)2
福島県古殿町叶神

ケイ酸塩鉱物はしばしばM席元素2++T席元素4+-M席元素3++T席元素3+のように二つの席の間で合計の価数が等しくなるような置換関係を示し、これをチェルマック置換と呼ぶ。例えば、苦土普通角閃石からチェルマック置換(Mg2++Si4+ → Al3++Al3+)が進んだ角閃石がチェルマック閃石にあたる。これまでこれという標本が得られなかったが最近になって竹貫変成岩から産出することが分かった。阿武隈高地に分布する変成岩は御斎所変成岩と竹貫変成岩に区分されており、竹貫変成岩のほうは泥質岩が原岩だったようで、コランダムやスピネルが出現するようにアルミニウム(Al)にやや富む傾向がある。そして、主要構成鉱物のひとつである角閃石もアルミニウムに富む種が期待され、調べてみたらチェルマック閃石であった。学名はウィーン大学の鉱物学者Gustav Tschermak von Sessenegg (1836-1927)にちなむ。

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キルギスタン石 / Kyrgyzstanite
キルギスタン石 / Kyrgyzstanite
キルギスタン石 / Kyrgyzstanite
ZnAl4(SO4)(OH)12·3H2O
新潟県阿賀町三川鉱山

キルギスタン石は模式地のあるキルギス共和国のかつての正式名称(キルギスタン)にちなんで名づけられた鉱物で、銅アルミナ石(Chalcoalumite: CuAl4(SO4)(OH)12·3H2O)からみて亜鉛(Zn)置換体に相当する。三川鉱山は亜鉛ビーバー石(Beaverite-(Zn))が産出するなど亜鉛を主成分とする二次鉱物の産出があることからキルギスタン石の出現はまったく不思議ではないが、見た目が銅アルミナ石と共通であるために調べてみるまで気づかなかった。わずかに銅(Cu)を含むことで水色を呈し、おおむね土状、またはもこもこした被膜として産出する。

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直閃石 / Anthophyllite
直閃石 / Anthophyllite
直閃石 / Anthophyllite
□Mg2Mg5Si8O22(OH)2
福島県郡山市愛宕山

直閃石はノルウェーで最初に発見された角閃石で、それは独特の「clove brown」色であったためにcloveのラテン語である「anthophyllum」から名付けられた。しかしそのような色を示す直閃石はむしろ例外的で、世界各国の例をみても白色からやや緑色であることが多い。和名は偏光顕微鏡下で直消光することに由来し、これはその特徴をよくとらえた名称と思われる。直閃石は蛇紋岩化作用を被った超苦鉄質岩中に産出することが多いが、ペグマタイトにもまれに産出する。直閃石を含む直方晶系角閃石にはプロト型という種類が共存しうるが、写真の標本についてはそこまで検証していない。

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マースター石 / Marsturite
マースター石 / Marsturite
マースター石 / Marsturite
NaCaMn2+3Si5O14(OH)
岩手県洋野町舟子沢鉱山

マースター石は鉱物収集家のMarion Stuart (1921-2000)にちなんで名づけられた鉱物で、学名は彼女の名前と名字の最初の三文字に由来している。日本では東京都白丸鉱山で産出が知られるものの白い薄い脈という産状だった。写真の標本は褐色で最大1cmにも達する結晶で、その見た目から何かの角閃石かと思って調べてみたところまさかのマースター石だった。しかしよく考えれば舟子沢鉱山からマースター石が産出することは不思議ではない。マースター石はソーダ南部石(Natronambulite: NaMn2+4Si5O14(OH))からみて、ひとつのマンガン(Mn)をカルシウム(Ca)に置換した種にあたる。

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ヨハンセン輝石 / Johannsenite
ヨハンセン輝石 / Johannsenite
ヨハンセン輝石 / Johannsenite
CaMnSi2O6
新潟県新発田市赤谷鉱山

ヨハンセン輝石はマンガン鉱床やスカルンなどに産出し、緑色~褐色系統の結晶が多いが割ってすぐだとスカイブルーを呈することがある。新潟県赤谷鉱山はそうしたヨハンセン輝石の産地として知られていた。しかし、その色合いは長続きせず次第に褐色を帯びていく。写真の標本もかつてはスカイブルーだったのかもしれないという痕跡だけが残っている。学名はシカゴ大学で岩石学講座の教授をつとめたAlbert Johannsen (1871-1962)にちなむ。Johannsenは著名な岩石学者であり、その名称を授かったヨハンセン輝石は灰鉄輝石(Hedenbergite: CaFe2+Si2O6)のマンガン(Mn)置換体に相当するものの、それを灰マン輝石と呼ぶものはいない。

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ザッカーニャ石 / Zaccagnaite
ザッカーニャ石 / Zaccagnaite
ザッカーニャ石 / Zaccagnaite
Zn4Al2(OH)12(CO3)·3H2O
兵庫県朝来市生野鉱山

ザッカーニャ石はイタリア人鉱物収集家のDomenico Zaccagna (1851-1940)にちなんで名づけられた炭酸塩鉱物で、ハイドロタルク石超族のクインティン石族の一員という立ち位置で分類される。加水されることで積層の周期が変化することがあり、それが新鉱物として期待されたものの及ばなかった経緯がある。世界的にもまれな鉱物であり、これまで粉末に近い標本しか知られていなかったが、生野鉱山からのザッカーニャ石は六角板状結晶が観察できる良標本であった。

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針鉄鉱 / Goethite
針鉄鉱 / Goethite
針鉄鉱 / Goethite
針鉄鉱 / Goethite
FeO(OH)
北海道今金町美利河鉱山

針鉄鉱はいわゆる鉄さびを構成する鉱物の一つであり、それゆえに広く分布するものの、これこそが針鉄鉱という標本はあまり多くない。北海道美利河鉱山はグラウト鉱(Groutite: Mn3+O(OH))の日本初の産地として知られているが、そこでは鉄(Fe)置換体にあたる針鉄鉱もまた産出する。モコモコしたこうした集合について腎臓状(Kidney-shaped)という言葉があてられることがあり、腎臓の断面にも同様のモコモコした組織がみられる。この産状を腎臓に見立てたのが誰であるかは伝わっていないが、医学にも造詣の深い人物なのだろう。またこうした組織は針状の結晶で構成されており、和名はそこから採用されたのだろう。いわゆる褐鉄鉱の主成分鉱物でもある。学名はドイツの文豪Johann Wolfgang von Goethe(1749-1832)に由来する。Goetheはドイツで鉱物学会が創立された際には会員に推挙されたと伝わる。

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マンガン砒四面銅鉱 / Tennantite-(Mn)
マンガン砒四面銅鉱 / Tennantite-(Mn)
マンガン砒四面銅鉱 / Tennantite-(Mn)
マンガン砒四面銅鉱 / Tennantite-(Mn)
Cu6(Cu4Mn2)As4S13
北海道札幌市手稲鉱山

かつて四面銅鉱族はアンチモン(Sb)を主成分とする四面銅鉱と砒素(As)を主成分とする砒四面銅鉱という区分だけであったが、命名規約の成立を受けて副成分で細分化することになったために最近になって急激に種の数をふやした。2021年には北海道手稲鉱山から産出したマンガン四面銅鉱(Tetrahedrite-(Mn): Cu6(Cu4Mn2)Sb4S13)が新種として認められている。そして、そのヒ素置換体に相当するマンガン砒四面銅鉱はチリ産のものが2022年に新種として登録されたばかりであった。そうしたところで手稲鉱山のマンガン四面銅鉱ではなかろうかという標本を調べてみたら、それはむしろ最新のマンガン砒四面銅鉱であった。その見てくれは塊状の四面銅鉱というもので、副成分がどうであれ見た目で個々を判断することはできない。学名は砒四面銅鉱シリーズのマンガン優占種であることから。

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アループ石 / Arupite
アループ石 / Arupite
アループ石 / Arupite
Ni3(PO4)2·8H2O
三重県鳥羽市菅島

アループ石はSanta Catharina隕石の風化で生じた鉱物で、1988年に新鉱物として申請された。その後、1994年に三重県菅島から報告されたものの以降の続報はなく、産地はいまのところこの二カ所のみとなっている。そのため地球起源アループ石(Terrestrial arupite)として菅島は唯一無二の産地である。ただしアループ石は菅島でもほとんど見かけない鉱物なのでその実体はほぼ不明。東海鉱物採集GUIDE BOOKには緑色のアループ石が掲載されているが、隕石中のものはターコイズブルー~スカイブルーと記載されているので、その食い違いがますます実体不明に拍車をかけていた。そしてこのたび手に入れて分析によって確定したアループ石は論文の記載と同じくスカイブルーであった。アループ石は藍鉄鉱族の鉱物であるため藍鉄鉱のように時間経過で色が変わるのか、不純物のせいで色の幅が広いのか、はたまた緑色は疑ってかかるべきか。観察例がすくないためまだよくわからない。含ニッケル金属を多く含む習志野隕石も風化が進行するとアループ石が生じる可能性はあるだろう。学名はデンマークCorrosion Centerの所長であったHans Henning Arup(1928-2012)にちなむ。

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習志野隕石 / Narashino Meteorite
習志野隕石 / Narashino Meteorite
習志野隕石 / Narashino Meteorite
普通コンドライト5H
千葉県船橋市

習志野隕石は2020年7月2日未明に千葉県北西部の習志野市周辺に落下した隕石で、午前2時半ごろには関東や東海地方で火球として目撃されていた。7月13日になって千葉県習志野市内のマンションに落下した破片2個体が発見されて、それが習志野隕石と命名された。その後の7月22日には千葉県船橋市からも発見され、7月13日のものが1号、7月22日のものが2号と命名された。写真の標本はそれよりもさらに1か月経過した後に船橋市から発見された2号の追加個体にあたる。現時点では10月25日に発見された3号までが知られている。隕石種としては5Hコンドライトという普通種でしかないが、地球の石からは産出することのない正方テイニア鉱(Tetrataenite: FeNi)という金属鉱物が含まれていたりとなかなか面白い。これは日本新産鉱物としてあつかってもいいのだろうか。

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シプリン / Cyprine
シプリン / Cyprine
シプリン / Cyprine
シプリン / Cyprine
Ca19Cu2+(Al,Mg)12Si18O69(OH)9
東京都奥多摩町白丸鉱山

シプリンとは銅(Cu)を固溶して青色を呈するようになったベスブ石を指していたが、2015年に新種として生まれ変わった。銅は一つのサイトに優先的に配分されることが判明し、ベスブ石とは異なる種として分類が可能になったためである。著者の意向により、古来より使用されていたシプリンの名称がそのまま学名に引き継がれている。その名称は銅を意味するギリシア語に由来する。海外産の標本は確かに青いが、白丸鉱山のシプリンは紫色であった。これは赤色を出す三価マンガン(Mn3+)が含まれているためであり、青色と合体して紫色になったからと思われる。この標本はダムが干上がっていない時期に行ったために、仕方なくそのとき見えているところを叩いて得たものだと聞いている。そんなところこれまで誰も見向きもしていなかったが、そこからもこのようなレアモノが出現するとは白丸鉱山のポテンシャル恐るべし。

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クテナス石 / Ktenasite
クテナス石 / Ktenasite
クテナス石 / Ktenasite
ZnCu4(SO4)2(OH)6·6H2O
大阪府箕面市温泉町平尾旧坑

クテナス石は Jean Baptiste鉱山(ギリシア)から発見された独特の青緑色を示す二次鉱物で、その産地はヨーロッパに集中している。それ以外となるとかなり少なく、日本では大阪府平尾旧坑が唯一の産地となっている。2019年に現在の化学組成へ改訂され、亜鉛(Zn)と銅(Cu)は異なる席に位置することが明らかとなった。この亜鉛の箇所をニッケル(Ni)に置き換えた浅葱石(Asagiite)が最近になって中宇利鉱山から発見されている。クテナス石の学名はギリシア人医師であるKonstantinos I. Ktenas (1884-1935)にちなんで名づけられた。Ktenasは多才な人物であり、大学教授、博物館館長、地質調査所所長などをつとめアテネ・アカデミーの創立メンバーのひとりでもあった。

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中沸石 / Mesolite
中沸石 / Mesolite
福島県飯館村佐須

中沸石 / Mesolite
島根県松江市西津田

中沸石 / Mesolite
長野県上田市手塚

中沸石 / Mesolite
Na2Ca2(Si9Al6)O30·8H2O

中沸石はソーダ沸石(ナトリウム端成分)スコレス沸石(カルシウム端成分)の中間的な組成であるために、中間を意味するギリシア語から学名が定められた。これら3種は共通の結晶構造を有しているため、結晶外形も似通ったものになる。おおむね針状であるが、傾向としてソーダ沸石は結晶端がピラミッド形に、スコレス沸石はやや扁平につぶれる特徴がある。しかし、中沸石はどちら側にも寄ることがあるため肉眼鑑定はどうにもならない。上二つはソーダ沸石のラベルだったが分析してみたら中沸石だった。長野県上田市手塚では安山岩からこぼれおちる白い小さな塊を「蛇骨」と呼んでいた。その実体は中沸石であり、割ると放射状の集合体となっていた。

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福徳岡ノ場その2
かんらん石双晶 / Olivine twin
かんらん石双晶でFo86Fa14程度の組成

かんらん石双晶の包有物
双晶中にしばしば見つかる包有物のセット

2021年の晩秋、鹿児島県奄美郡島から沖縄県本島あたりの海岸が突如として大量の軽石で埋め尽くされた。それは8月に噴火した福徳岡ノ場と呼ばれる海底火山からもたらされている。その軽石にはかんらん石が含まれており、まれに双晶も得られる。写真の標本は分離品として手元に来たもので、どのような軽石にこれが含まれていたのだろうか。福徳軽石を外観でタイプ分けして調べた論文があり[1]、含まれる鉱物の化学組成も詳細に報告されている。比べてみると、双晶の化学組成は淡灰色型(Pale gray type)軽石に含まれるオリビンの化学組成と非常によく似ている。論文には双晶の存在について言及はないが、苦鉄質マグマが双晶の生成に関与しているのかもしれないと思えた。また、双晶は包有物にかなり富んでおり、クロム鉄鉱(黒色)、透輝石(結晶質)、苦鉄質ガラス(のっぺり)、気泡(球)の4つがまとまって含まれていることが多かった。

[1] Yoshida K., Tamura Y., Sato T., Hanyu T., Usui Y., Chang Q., Ono S. (2022) Variety of the drift pumice clasts from the 2021 Fukutoku-Oka-no-Ba eruption, Japan. Island Arc, 31, e12441

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ワイラケ沸石 / Wairakite
ワイラケ沸石 / Wairakite
ワイラケ沸石 / Wairakite
Ca(Si4Al2)O12·2H2O
福島県郡山市熱海町高玉字蛇喰

ワイラケ沸石はニュージーランドのWairakei地熱地域で発見されたことから命名された沸石族の鉱物で、日本でも地熱地帯沿いに産地は多い。ただ、そのわりにはその標本が出回ることが少なく、私もつい最近までワイラケ沸石の姿を知らなかった。そしてやってきたその標本は方沸石と瓜二つであった。よく見れば方沸石にしては・・と感じるちょっと扁平な結晶があるが、産地の情報なくモノだけ見ての肉眼鑑定は厳しいだろう。

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○○のおさがり
○○のおさがり
灰輝沸石 / Heulandite-Ca
○○のおさがり
灰輝沸石化したウミニナの化石
福島県南相馬市鹿島区橲原

貝化石はその外形が鉱物に置換されることがある。そして特に巻貝がオパールやメノウで置換されたものを「月のおさがり」と、赤みを帯びた方解石で置換されたものだと「日のおさがり」と呼ぶ。しかし写真の標本はオパールや方解石ではなく、なんと沸石で置換されている。これを何と呼ぶべきかわからないが、薄氷のような沸石の輝きは美しいの一言につきる。福島盆地はかつて海底にあった。大昔にそこでひっそりと暮らしたのちに生を終え、ただ朽ちるのを待つだけだったものが地質作用に巻き込まれて美しい鉱物に生まれ変わる。石好きにとってはちょっとあこがれる死にざまであろう。

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バスタム石 / Bustamite
バスタム石 / Bustamite
岐阜県揖斐川町春日鉱山

バスタム石 / Bustamite
福島県南会津町小立岩大川鉱山

バスタム石 / Bustamite
Mn2Ca2MnCa(Si3O9)2

バスタム石は珪灰石族の一つで、カルシウム(Ca)とマンガン(Mn)が含まれ、うっすら紅を帯びていることが多い。スカルンや珪質のマンガン鉱山でよく見られ、岐阜県春日鉱山ではピンク色のガラス質板状結晶として産出した。繊維状結晶で産出することも多く、それはちょっと色づいた珪灰石といった様相となる。どっちが典型とも言えず肉眼鑑定はなかなか悩ましい。学名はメキシコの大統領を務めたAnastasio Bustamante y Oseguera (1780-1853)にちなむ。

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セリウムバストネス石 / Bastnäsite-(Ce)
セリウムバストネス石 / Bastnäsite-(Ce)
セリウムバストネス石 / Bastnäsite-(Ce)
Ce(CO3)F
福島県川俣町飯坂水晶山

セリウムバストネス石は希土類元素のひとつセリウム(Ce)を主成分とする炭酸塩鉱物で、フッ素(F)か水酸基(OH)で種が分けられる。水酸基だとセリウム水酸バストネス石(Hydroxylbastnäsite-(Ce))となる。一般にはどちらも褐簾石が変質して生じる粉末として産出するが、ペグマタイトにはまれに結晶が認められる。産地を問わず暖色系に色づいていることが多く、海外ではセリウムバストネス石を宝石として加工することがある。根源名はスウェーデンのBastnäs鉱山で見つかったことによる。

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ヘイロフスキー鉱 & アシャマルム鉱 / Heyrovskýite & Aschamalmite
ヘイロフスキー鉱 & アシャマルム鉱 / Heyrovskýite & Aschamalmite
ヘイロフスキー鉱 / Heyrovskýite: Pb6Bi2S9
アシャマルム鉱 / Aschamalmite: Pb6-3xBi2+xS9
福島県いわき市八茎鉱山

ヘイロフスキー鉱はノーベル化学賞を受賞したJaroslav Heyrovský (1890-1967)にちなんで命名された鉱物で、チェコ共和国を模式地とする。アシャマルム鉱はオーストリアのAscham Alpe山で発見されたことから命名された。両者は同質異像で、高温相(ヘイロフスキー鉱)と低温相(アシャマルム鉱)の関係にある。高温から急激に温度が低下すると、ヘイロフスキー鉱がアシャマルム鉱へ変化しきらず残ることがある。八茎鉱山ではまさにそのような内部組織が観察され、ラベルとしては両方書くしかない。共存することのあるコサラ鉱とはやや紛らわしい。

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ザッカリーニ鉱 / Zaccariniite
ザッカリーニ鉱 / Zaccariniite
ザッカリーニ鉱 / Zaccariniite
RhNiAs
北海道幌加内町雨竜川

ザッカリーニ鉱はドミニカ共和国の超苦鉄質岩から見いだされた白金族鉱物で、輝コバルト鉱の近縁種としてロジウム(Rh)、ニッケル(Ni)、砒素(As)からなる。これまで世界中で5か所くらいしか産地が知られていなかった。しかし、日本の砂白金を調べていたら北海道内だけで5か所以上で見つかってしまった。そのうち雨竜川では砂白金粒の表面にザッカリーニ鉱が顔を出す産状で現れ、これは世界でも初めてのお目見えではないだろうか。写真の中央、ぽちっとたたずむのがザッカリーニ鉱である。ザッカリーニ鉱はこれまで包有物としてしか見つかっていない。学名は砂白金研究の第一人者であるFederica Zaccarini (b.1962)にちなむ。

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クリプトメレン鉱 / Cryptomelane
クリプトメレン鉱 / Cryptomelane
北海道余市町国興鉱山

クリプトメレン鉱 / Cryptomelane
岩手県軽米町小玉川鉱山

クリプトメレン鉱 / Cryptomelane
K(Mn4+7Mn3+)O16

クリプトメレン鉱はマンガン鉱床の酸化帯には普通に生じる鉱物の一種で、野外に放置されたマンガン鉱石が風化する過程でも生成する。しかしそのような産状では標本として保管するほどではない。標本としてよく知られたクリプトメレン鉱は黒い腎臓状集合をなす姿で、北海道国興鉱山でみられた。岩手県小玉川鉱山では黒色でズシリと重い塊状鉱として産出し、破断面には葉片状の結晶が放射状に集合した姿が現れる。学名は「隠された」と「黒」を示すギリシア語にちなむ。かつて黒色のマンガン鉱はpsilomelaneという野外名で呼ばれていた。その中から本鉱が見つかったことに由来する。

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ジルコン / Zircon
ジルコン / Zircon
岡山県新見市大佐山

ジルコン / Zircon
京都府京都市如意ヶ岳

ジルコン / Zircon
東京都昭島市多摩川河原

ジルコン / Zircon
Zr(SiO4)

ジルコンは紀元前にはすでに知られていた鉱物で、そこから現代までに呼び名はさまざまあったとされる。今の学名は金を意味するアラビア語と色を意味するペルシア語に基づいて18世紀末に誕生したと伝わる。現代では和名はそのままジルコンと読むことが多いが、かつては風信子石(ヒヤシンス石)と呼ぶこともあった。それはヒヤシンス(花)のように様々な色を示すことにちなむと言われている。ジルコンは放射性元素を含むために年代測定の対象鉱物として広く研究に用いられている。地球上で広く産出し、一般的な風化や変質にも強いため、砂鉱として広く堆積する。しかし低温熱水にはちょっと弱い。例えば愛媛県岩城島では熱水中で反応して結晶の周囲にソグディア石が生じている。またペグマタイト中ではゼノタイムやモナズ石などと混晶を形成しやすく、そのために湿式分析しか分析手段のなかった時代ではそういった混晶が新鉱物として提案されたこともある。

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コチュン石 / Cotunnite
コチュン石 / Cotunnite
コチュン石 / Cotunnite
PbCl2
兵庫県朝来市新井鉱山

コチュン石は鉛(Pb)の二塩化鉱物で、ヴェスヴィオ火山(イタリア)の昇華鉱物として19世紀前半に記載された。日本では薩摩硫黄島において生成が確認されており、噴気孔を調査するためにシリカチューブを突っ込んだらその表面に成長していたという話がある。写真は新井鉱山のズリから得られた標本で、肉眼的にはそうは見えないが、電子顕微鏡で見ると緑鉛鉱とコチュン石が複雑に絡み合っていた。学名はナポリ大学教授のDomenico Cotugno(1736-1822)にちなむ。XO2型の組成を持つ鉱物は高圧下でコチュン石型構造となることが多い。自身の例だとルチルに40万気圧(+高温)をかけてコチュン石型構造へ相転移させたことがあり、自身が筆頭というくくりではこれが最も引用数が多い論文だったりする[1]。ただのキーワードつながりでしかないが、日本産のコチュン石の発見に貢献できたことは実は結構うれしい。
これも2022年の鉱物学会で報告予定の鉱物で、詳細は大西氏から報告される。

[1] Nishio-Hamane D., Shimizu A., Nakashita R., Niwa K., Sano-Furukawa A., Okada T., Yagi T., Kikegawa T. (2010) The stability and equation of state for the cotunnite phase of TiO2 up to 70 GPa. Physics and Chemistry of Minerals, 37, 129-136.

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ベイルドン石 / Bayldonite
ベイルドン石 / Bayldonite
ベイルドン石 / Bayldonite
Cu3PbO(AsO3OH)2(OH)2
岡山県高梁市成羽町小泉鉱山

ベイルドン石は19世紀中ごろには産出が報告された古典鉱物の一つで、銅(Cu)と鉛(Pb)を主成分とするヒ酸塩の二次鉱物である。緑色でドロッとした集合体になりやすいようで、明瞭な結晶形を示すことはまれ。日本では稀産鉱物であったためにその標本はほとんど出回らなかったが、小泉鉱山で発見されて以降は手に入りやすくなった。ただやはり端正な姿かたちは見られない。脇にやや緑色が鈍くパリッとした結晶があったがそれはオリーブ銅鉱。学名はイギリス人医師のJohn Bayldon (1837-1872)にちなむ。Bayldonが発見者もしくは採集者だと伝わるのだが、記載論文にはそんなことは書かれていない。論文にはBayldonが記載者の友人そして大学の先輩であったこと、そして標本は標本商から手に入れたと記されている。

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亜ピエロット鉱 / Parapierrotite
亜ピエロット鉱 / Parapierrotite
亜ピエロット鉱 / Parapierrotite
TlSb5S8
青森県恐山山地

青森県下北半島の南西から北西にかけて広がる第四期火山としても知られる恐山山地は、かつてはカルデラを形成するほど猛々しい噴火を起こし、現在でも火山ガスや温泉が湧くなど活動は続いている。この辺りは古くからヒ素を主成分とする鉱物の産地としても知られており、火山性温泉地にはつきものも珪華もまた広く分布している。その珪華は黒や赤に染まり、中をよく見るとつやのある黒色球がたくさん入っている。調べてみたところパラピエロット鉱というタリウム(Tl)を主成分に持つ鉱物だった。学名はピエロット鉱(pierrotite)の同質異像であることに由来する。ピエロット鉱はフランスの鉱物学者であるRoland Pierrot (1930-1998)にちなむ。

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砒藍鉄鉱 / Symplesite
砒藍鉄鉱 / Symplesite
砒藍鉄鉱 / Symplesite
Fe2+3(AsO4)2·8H2O
長野県茅野市金沢向谷鉱山

砒藍鉄鉱は藍鉄鉱(vivianite)のヒ素置換体となる鉱物で、和名はその意味を示している。一方で学名の由来は全く異なり、ほかの珍しいヒ酸塩鉱物と共に産出する傾向から「一緒に」という意味のギリシア語が元になっている。ギザギザとした結晶は石を割ってすぐだと青みを帯びた透明であるが、酸化によって急速に緑色に染まる。割ってすぐにホッカイロと共に密封容器に放り込むと、ホッカイロが容器内の酸素を消費するために標本は新鮮な姿を保つ(ことがある)。砒藍鉄鉱は日本ではあまり見かけることが少ない。同質異像に日本産新鉱物の亜砒藍鉄鉱(parasymplesite)が知られるものの、肉眼的に区別はつかない。

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ネクラソフ鉱 / Nekrasovite
ネクラソフ鉱 / Nekrasovite
ネクラソフ鉱 / Nekrasovite
ネクラソフ鉱 / Nekrasovite
Cu13VSn3S16
静岡県下田市河津鉱山

河津鉱山からは数々の日本新産鉱物が見いだされているが、誰も実態を把握しておらず文献で名前を見かけるだけの鉱物もある。ネクラソフ鉱もそういった鉱物の一つであったが、いろいろ調べている中でようやく出会うことができた。ただ、標本の見た目としてはいわゆる銀黒であるためそのほかの標本との差別化は難しい。反射光学顕微鏡では茶色を帯びた明るい黄色といったところで、周りにはまだ名前のついていない鉱物が伴われている。学名はロシア人鉱物学者のIvan Yakovlevich Nekrasov(1929-2000)にちなみ、ウズベキスタンの金鉱床から見出された。模式地での産状も河津鉱山とよく似ている。

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ソーダ束沸石 / Stilbite-Na
ソーダ束沸石 / Stilbite-Na
長崎県壱岐市長者原

ソーダ束沸石 / Stilbite-Na
福島県相馬市東玉野

ソーダ束沸石 / Stilbite-Na
Na9(Si27Al9)O72·28H2O

いわゆる束沸石には今のところカルシウム(Ca)を主成分とする灰束沸石と、ナトリウムを主成分とするソーダ束沸石が知られている。そして灰束沸石は様々な産状でやたらめったら出現するのに対し、ソーダ束沸石の産出はいつもひっそりとささやかである。産地も灰束沸石とは比べ物にならないほど少ない。日本では長崎県長者原で産出が古くから知られており、最近に調べたところでは福島県東玉野の束沸石もまたソーダ束沸石であった。小さいのでわかりづらいが、どちらも頭が斜めに尖るタイプの結晶であった。根源名は鏡を意味するギリシア語に基づいており、ガラス光沢もしくは真珠光沢を暗示しているとされる。

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パボン鉱 / Pavonite
パボン鉱 / Pavonite
パボン鉱 / Pavonite
パボン鉱 / Pavonite
AgBi3S5
北海道札幌市豊羽鉱山

パボン鉱はカナダの鉱物学者であるMartin Alfred Peacock(1898-1950)にちなんで名づけられた鉱物で、苗字のPeacock(=孔雀)のラテン語読みであるPavoが当てられた。やや高温の熱水鉱脈鉱床には広く出現する鉱物で、輝蒼鉛鉱に伴われやすい。組成が近いベンジャミン鉱(benjaminite: Ag3Bi7S12とも共存し、塊状で産出することが多いが、結晶として産出すると針状から毛状の形態となる。しかし、こうした外観は多くの鉱物に共通するために肉眼鑑定は不可能に近い。写真の標本は調べてみてパボン鉱だと判明したが、見た目からは毛鉱(jamesonite)だと判断されていた。

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エトリング石 / Ettringite
エトリング石 / Ettringite
エトリング石 / Ettringite
Ca6Al2(SO4)3(OH)12·27H2O
福島県郡山市逢瀬町多田野

エトリング石はドイツのEttringenで19世紀に見いだされた鉱物で、今では14種の関連鉱物が知られ、日本産新鉱物の今吉石や千代子石も入っている。命名規約はまだできていないがこれらはエトリング石族として扱われる。エトリング石族の鉱物は六角柱状もしくはそろばん玉状となることが多く、遷移金属を含むと色づく。たとえば南アフリカから産出したエトリング石は黄色に染まっている。それは標本としてわかりやすいが本来は無色透明。日本では福島県多田野から産出報告があり、そこでは無色透明なそろばん玉状として産出した。この産地においてエトリング石族の鉱物は共通の外観で産出する。見た目で区別できないためラベルが書きづらい。中央から右下にある透明な結晶がエトリング石で、黒みがあってちょこんと乗っているのは加藤ざくろ石。

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フェリリーキ閃石 / Ferri-leakeite
フェリリーキ閃石 / Ferri-leakeite
フェリリーキ閃石 / Ferri-leakeite
岩手県洋野町舟子沢鉱山

フェリリーキ閃石 / Ferri-leakeite
岩手県軽米町小玉川鉱山

フェリリーキ閃石 / Ferri-leakeite
NaNa2(Mg2Fe3+2Li)Si8O22(OH)2

フェリリーキ閃石は1991年に申請されたKajlidongri鉱山(インド)を模式地とする角閃石で、スコットランドの地質学者Bernard Elgey Leake(1932-)にちなんで命名されている。その当時は接頭語を使わない「リーキ閃石(Leakeite)」だけの名称であったが、2012年に化学組成に基づいてフェリリーキ閃石へと改名された。現時点では模式地のほかにはスペインでごく小規模に産出が知られるだけの超稀産の角閃石であり、検索してもその写真すらまともに出てこない。しかし、どうやら日本ではまったく稀でないほどに産出していたようだ。岩手県舟子沢鉱山から小玉川鉱山あたりは粘板岩が分布しており、その主要構成鉱物の一つがフェリリーキ閃石であった。そのあたりでは粘板岩の薄層がむやみに紫色に染まっていることがあり、細い結晶が密接して並ぶことで片理に平行な断面には絹糸光沢がみえる。通常はあまりに細いために一つの結晶を肉眼的にとらえることは難しいが、透明感のある赤紫色の結晶がパラパラとみえることがある。それは紅簾石にも見え、だからこそ誰にも注目されることはなかったのだろう。しかし、調べてみるとこれらはいずれも角閃石であり、しかもリチウム(Li)が顕著に検出されたのだった。その解析はちょっとややこしいがフェリリーキ閃石だと結論付けられた。当地でこのような外観を示す角閃石は調べた範囲だとフェリリーキ閃石と苦土アルベソン閃石があり、残念ながらそれらは肉眼的に区別できない。分析しても適切に解析しないとこれまた区別できないという厄介さがあるが、経験的にはフェリリーキ閃石であることが多い。それにしてもこれまで見向きもせずに蹴っ飛ばしてきた粘板岩にすら超稀産のリチウム鉱物がじゃぶじゃぶとは恐れ入った。リチウム鉱物である南部石やアルミノ杉石が当地から顔を出すのも頷ける。
2022年鉱物学会の予定鉱物はこれでおしまい。

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マンガンチェルキアラ石 / Cerchiaraite-(Mn)
マンガンチェルキアラ石 / Cerchiaraite-(Mn)
マンガンチェルキアラ石 / Cerchiaraite-(Mn)
マンガンチェルキアラ石 / Cerchiaraite-(Mn)
Ba4Mn3+4(Si4O12)O2(OH)4Cl2[Si2O3(OH)4]
岩手県洋野町舟子沢鉱山

マンガンチェルキアラ石はイタリアのCerchiara鉱山から2000年に発見された鉱物で、鉱山名にちなんで命名された。2013年には三価鉄(Fe3+)とアルミニウム(Al)の置換体が発見されるに至り、それを契機にそれぞれ接尾語を用いて鉱物種を区別するように改名されている。いずれもめったに見かけることのできない稀産種であるものの、日本では大分県下払鉱山でマンガンチェルキアラ石の産出があることを個人的に確認している。ただしそれは電子顕微鏡でのみ存在を認識できるほどの微細さでしかなかった。ところが最近になって岩手県舟子沢鉱山から目で見えるマンガンチェルキアラ石が産出することが判明した。ブラウン鉱を主体とする鉱石を割ると、苔にも見える深緑色が一面に広がる。よく見ると葉片状集合となっており、これがマンガンチェルキアラ石であった。なお、これまでのマンガンチェルキアラ石には例がないことだが、写真の標本は分析してみると少量のリチウム(Li)が検出されるなど、なるほど舟子沢鉱山らしい特徴だと感じ入った。
2022年の学会でアルミノ杉石とあわせてその産出を報告する。

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アルミノ杉石 / Aluminosugilite
アルミノ杉石 / Aluminosugilite
アルミノ杉石 / Aluminosugilite
アルミノ杉石 / Aluminosugilite
アルミノ杉石 / Aluminosugilite
KNa2Al2Li3Si12O30
岩手県洋野町舟子沢鉱山

アルミノ杉石はその名が示すように杉石のアルミニウム(Al)置換体に相当し、根源名は九州大学で教授を務めた杉健一(1901-1948)にちなむ。イタリア(Cerchiara鉱山)を模式地とし、そこでは少量のマンガン(Mn)を含み紫色に染まる姿で産出した。新鉱物の申請は2018年であったがそれよりもずっと以前に産出があり、1956年に愛媛県古宮鉱山から採集された紫色の杉石の分析値[1]を解析するとそれはアルミノ杉石となる。惜しむらくはその標本は死蔵されたか散逸した可能性が高いことで、確かな続報が無いこともまた悔やまれる。ところが最近になってかつてあこがれた国産の紫色鮮やかなアルミノ杉石がやってきた。聞くとそれは岩手県舟子沢鉱山から出たようで、粘板岩の片理に沿って広がる石英薄層に濃集し、葉片状の結晶が無造作に交錯する産状を示す。そのため、その層だけをうまく開いてやると一面にバラの花びらをちりばめたような美しい標本に仕上がる。そのあまりに現代ばなれした様相から鉱山稼働時の採集品かと尋ねたが、いま転がっている石を割ったら現れたというのだから驚くほかない。舟子沢鉱山の環境を考えたらアルミノ杉石が出てくることに不自然はなく、共生鉱物や組織も周囲と共通だったので現地性であることもまた疑いないが、出所は露頭かズリかどちらだろうか。
これも2022年の学会で報告する予定。

[1] 広渡文人, 福岡正人 (1988) 日本のマンガン鉱物に関する2,3の問題. 鉱物学雑誌, 18, 347-365.

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今吉石 & 千代子石 / Imayoshiite & Chiyokoite
今吉石 & 千代子石 / Imayoshiite & Chiyokoite
今吉石 & 千代子石 / Imayoshiite & Chiyokoite
今吉石 & 千代子石 / Imayoshiite & Chiyokoite

今吉石 / Imayoshiite: Ca3Al(CO3)[B(OH)4](OH)6·12H2O
千代子石 / Chiyokoite: Ca3Si(CO3)[B(OH)4]O(OH)5·12H2O
福島県郡山市逢瀬町多田野(大沢山)

今吉石と千代子石はそれぞれ三重県水晶山と岡山県布賀鉱山から見出されたエットリング石族の日本産新鉱物である。そしてこのたび、この二つが同時に福島県から見出された。郡山市多田野には安山岩中にスカルンゼノリスが分布しており、和田石(Wadalite)や加藤ざくろ石(Katoite)など日本ではそこでしか見られない鉱物が産出し、無色透明な六角形結晶となるソーマス石(Thaumasite: Ca3Si(CO3)(SO4)(OH)6·12H2O)が共生鉱物として知られていた。そして40年前に採集された標本を最近になって分析してみたところソーマス石にあるべき硫黄(S)がほとんど検出されない。そうなるとその不足分は炭素(C)とホウ素(B)とみなすことになる。一見して分からないが写真の結晶は芯が今吉石で、ガワが千代子石となっていた。両者は理想化学式で見るとAl3+H+(今吉石)-Si4+(千代子石)の近い関係であるため連続固溶体を形成しそうなものだが、くっきりと分布が分かれており、結晶面によって取り込みやすい元素が異なった結果のようにみえる。エットリング石族では例を知らないが、それは鉱物全般で見るとそんなに珍しい現象でもない。今吉石は鉱物蒐集家の今吉隆治に、千代子石は岡山大学の逸見千代子にちなむ。共存する和田石や加藤ざくろ石も日本人にちなんで命名された鉱物で、それらが一堂に会することになろうとはちょっと驚いた。

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苦土フェリ普通角閃石 / Magnesio-ferri-hornblende
苦土フェリ普通角閃石 / Magnesio-ferri-hornblende
福島県田村市羽山岳

苦土フェリ普通角閃石 / Magnesio-ferri-hornblende
佐賀県厳木町厳木鉱山

苦土フェリ普通角閃石 / Magnesio-ferri-hornblende
三重県鳥羽市赤崎

苦土フェリ普通角閃石 / Magnesio-ferri-hornblende
□Ca2(Fe2+4Fe3+)(Si7Al)O22(OH)2

普通角閃石(hornblende)を根源名にもつ角閃石はこれまで4種が知られており、2022年になって新たに誕生したのがこの苦土フェリ普通角閃石になる。その名前からしてどこにでもありそうで、産出もおそらく全く稀ではない。こういった角閃石が近年まで確立されていなかったことを意外に感じるかもしれないが、角閃石の新たな種を確立するということは思う以上に難しいのである。しかし、いったん成立してしまえば同定そのものは可能になる。私の標本では3カ所について苦土フェリ普通角閃石という結果が得られている。ペグマタイト、スカルン、広域変成岩と産状には幅があるが、母岩にはいずれも方解石が伴われていた。学名は命名規約により、根源名の由来は苦土普通角閃石を参照のこと

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銅リヴァイ石/ Cuprorivaite
銅リヴァイ石 / Cuprorivaite
銅リヴァイ石/ Cuprorivaite
CaCuSi4O10
東京都青ヶ島湯浜

銅リヴァイ石は非常に鮮やかな青色を特徴とする1938年に記載されたケイ酸塩鉱物であるが、人類との付き合いは紀元前数千年にはもう始まっている。人類最古の合成顔料として知られるエジプシャン・ブルーの主成分が実は銅リヴァイ石である。銅リヴァイ石の創りだす独特の青色は古代エジプトにおいて生命を象徴する色として珍重された。天然においてはヴェスビオ火山(イタリア)で最初に発見され、標本としてはドイツ産で非常に美しい結晶が知られている。ただ、いずこでもきわめて稀産である。そんな銅リヴァイ石が青ヶ島でも見つかった。輝石による褐色まみれの中にポンと咲くさわやかな青が美しい。学名は銅の多いリヴァイ石(Rivaite)と推定されたことによる。リヴァイ石とは珪灰石(Wollastonite:CaSiO3)のかつての呼称であり、現在では使用されない。
鮮やかな青に気が付いた熱心な愛石家の指摘で調査が始まり、ようやくデータが集まったので学会発表の予定に追加。

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スクロドフスカ石 / Sklodowskite
スクロドフスカ石 / Sklodowskite
スクロドフスカ石 / Sklodowskite
スクロドフスカ石 / Sklodowskite
Mg(UO2)2(SiO3OH)2·6H2O
福島県郡山市愛宕山

スクロドフスカ石は放射能研究で数々の功績を残したMarie Skłodowska-Curie (1867-1934)にちなんで命名された鉱物で、コンゴ共和国のウラン鉱山から発見された。原産地では非常に明るい黄色で強い光沢を有する板柱状結晶として産出し、銅(Cu)を含むことで緑色を帯びることもある。世界を見渡すとウラン(U)を含む鉱床では産出はまれではないようだが、日本の産地は今のところ福島県愛宕山だけと思われる。そこではスクロドフスカ石はペグマタイト中に小さな黄色塊として産出するが、目で見えない微小な孔の中には板状の結晶が成長していた。

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イットリウムタレン石 / Thalénite-(Y)
イットリウムタレン石 / Thalénite-(Y)
イットリウムタレン石 / Thalénite-(Y)
イットリウムタレン石 / Thalénite-(Y)
イットリウムタレン石 / Thalénite-(Y)
Y3Si3O10F
福島県川俣町飯坂水晶山

イットリウムタレン石は天文学者であるTobias Robert Thalén (1827-1905)にちなんで命名された鉱物で、19世紀末にスウェーデンで発見された。ペグマタイトに産出することがほとんどで、放射性元素の影響でしばしばメタミクトとなっている。その変質の程度によって色は様々に異なり、教科書的には肉色、褐色、黒色でさらには緑がかった色と表現されている。一番上の写真が教科書的なタレン石なのかもしれないが、鉄分に汚れた石英片と区別しがたい。世界的にも多くの場合で塊状で産出し、端正な結晶としての産出は極めて稀。日本では福島県水晶山から粗粒な褐簾石の隙間に無色透明な結晶が産出したことがある。三重県宗利谷では新鉱物・ベタフォ石を内包していた。

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黒銅鉱 / Tenorite
黒銅鉱 / Tenorite
秋田県鹿角市尾去沢鉱山

黒銅鉱 / Tenorite
東京都青ヶ島湯浜

黒銅鉱 / Tenorite
CuO

黒銅鉱は銅の単純酸化鉱物の一つで、銅鉱床の酸化帯においては二次鉱物として広く産出する。一方でその姿は黒色の土状や塊状であって、周りにある色鮮やかな二次鉱物の引き立て役になっている。下手をすればただの汚れと認識され、標本箱に入っていたとしても黒銅鉱のラベルを付している人は少ないように思う。また、黒銅鉱は火山昇華物としても産出することがあり、模式地であるベスビオ火山(イタリア)では葉片状の薄板結晶で産出する。日本でも東京都大島から昇華物として黒銅鉱が産出したが、今となっては良標本は難しい。最近になって東京都青ヶ島のスコリアを調べているなかで黒銅鉱の結晶が見いだされた。やや厚みのある板状結晶はチタン鉄鉱と酷似する。和名は外観と化学組成に由来するが、学名はナポリ大学の植物学者Michele Tenore (1780-1861)にちなむ。19世紀には知られた鉱物で、かつてはMelaconiteの名称もよく用いられたが、1962年からTenoriteに統一された。

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銅スピネル / Cuprospinel
銅スピネル / Cuprospinel
銅スピネル / Cuprospinel
銅スピネル / Cuprospinel
銅スピネル / Cuprospinel
Cu2+Fe3+2O4
東京都青ヶ島湯浜

銅スピネルは銅(Cu)と鉄(Fe)からなる酸化鉱物であり、銅を含むスピネル族であることから命名された。珍しくもない元素の単純な組み合わせからは想像しがたいが、実は世界的な超稀産種である。硫化物では銅と鉄の組み合わせなどありふれていても、両者が酸化物として反応する環境は天然にはまず見当たらない。世界で初めて発見された銅スピネルはなかば人工的であり、鉱山のズリが自然発火したことで各種の条件が偶然に満たされ、その中で生成した。完全な天然環境としてはTolbachik火山(カムチャツカ、ロシア)が銅スピネルの産地ではあるが、そこは他に例がないほどの異質場であって、要するに銅スピネルの新たな産地など世界を見渡してもまず期待できなかった。ところが予想外に東京都でそれが見つかった。東京都青ヶ島は八丈島よりもさらに南方約70kmに位置する絶海の孤島となっている火山島であり、交通の便はこれ以上ないほどに悪い。ただ、青ヶ島は知る人ぞ知るバナジン銅鉱の産地であり、限られた渡海のチャンスをものにした二人の愛石家がその標本を採集してきた。そしてバナジン銅鉱が貧弱な標本をこそよく観察すると、艶のある黒色で多粒子からなる丸みを帯びた集合体が点在しており、それが銅スピネルであった。その希少性はバナジン銅鉱とは比ぶべくもなく、青ヶ島は今後はむしろ銅スピネルの産地として熱心な愛石家の耳目を集めるかもしれない。ただし、ほとんど同じ外観でただの赤鉄鉱ということもかなり多い。これらはいわゆる昇華鉱物であり、高温の火山ガスに含まれていた銅成分が赤鉄鉱と反応することで銅スピネルが生じたと考えられる。
2022年の鉱物科学会で詳細を報告する予定。

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ラング石 / Langite
ラング石 / Langite
ラング石 / Langite
Cu4(SO4)(OH)6·2H2O
新潟県関川村大石鉱山

ラング石は鮮やかなスカイブルーを特徴とする銅(Cu)の含水硫酸塩鉱物で、銅鉱床の酸化帯にしばしば伴われる二次鉱物として知られる。その結晶は結晶端が斜めに落ちる細板状結晶となることが多いが、そのほかの形態で出現することがあって、総合的に肉眼的な鑑定は容易ではない。ただ産地ごとにその姿はある程度固定されているように見えるので、産地情報と合わせれば鑑定できるようになるだろう。また分析でもスタンダートの相性問題が生じることがあり、誤った元素比率が導かれたあげくうっかり新鉱物を期待させてしまった苦い経験がある。学名は発見当時に大英博物館に勤務していた結晶学者のVictor von Lang(1838-1921)にちなむ。

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加藤ざくろ石 / Katoite
加藤ざくろ石 / Katoite
加藤ざくろ石 / Katoite
加藤ざくろ石 / Katoite
加藤ざくろ石 / Katoite
Ca3Al2(OH)12
福島県郡山市逢瀬町多田野(大沢山)

加藤ざくろ石は国立科学博物館の加藤昭(b.1931)にちなんで命名されたざくろ石超族の一種で、Campomorto採石場(イタリア)を模式地として1982年に新種として申請された。水を多く含むざくろ石であることから、かつては加水ざくろ石という一般名称で記載されることがあり、日本では加藤ざくろ石という正式名称で報告されたのは2019年になり、産地は福島県多田野であった。そこは和田石の模式地であり、和田石と共生することが記されていたが、姿かたちや色の情報に乏しく加藤ざくろ石の実体がいまいちわからない。そこで調べてみると、多くの加藤ざくろ石の見た目は和田石そのものであった。加藤ざくろ石それ自体は完全に無色透明であったが、和田石が生成した後の変質で形成したようで、外形は和田石を保っており、内部に微小な黒色の和田石が残っている。結果的に加藤ざくろ石の見た目は和田石そのものので、肉眼的に区別はできない。珍しいところではオレンジ色に染まった和田石様の結晶があり、それは大部分がアモルファスであったが内部には加藤ざくろ石が含まれる。かつて灰バンざくろ石-加藤ざくろ石固溶体のことを「ヒブシュざくろ石(Hibschite)」と呼んだが、現在はヒブシュざくろ石は独立種として認められていない。現在では灰バンざくろ石と加藤ざくろ石の中間組成にはホルツタムざくろ石が独立種として位置づけられている。

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青針銅鉱 / Cyanotrichite
青針銅鉱 / Cyanotrichite
島根県美郷町銅ヶ丸鉱山

青針銅鉱 / Cyanotrichite
栃木県日光市足尾銅山

青針銅鉱 / Cyanotrichite
Cu4Al2(SO4)(OH)12(H2O)2

青針銅鉱の学名はギリシア語で青い毛を意味する。そのため、本来の意味を踏襲した青毛鉱という和名が使われることがあるものの、青針銅鉱のほうがとおりが良いためかすっかりこちらが普及している。毛~針状の結晶が放射状にふわっと開く姿が典型とされるが、潰れた束のような産状もめずらしくない。青針銅鉱は硫酸塩鉱物であり、硫酸基が炭酸基に置き換わったものは炭酸青針銅鉱(Carbonatecyanotrichite)という別種になる。ただし、外観に変化はないとされる。上にあげた二つの産地では炭酸青針銅鉱の産出が知られているが、写真の標本は炭酸基が入る余地がないほどに硫酸基で占められていた。

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フェロホルムクイスト閃石 / Ferro-holmquistite
フェロホルムクイスト閃石 / Ferro-holmquistite
フェロホルムクイスト閃石 / Ferro-holmquistite
フェロホルムクイスト閃石 / Ferro-holmquistite
フェロホルムクイスト閃石 / Ferro-holmquistite
□Li2(Fe2+3Al2)Si8O22(OH)2
福島県田村市羽山岳

角閃石は様々な価数の元素を収容できる柔軟な構造を有しており、リチウム(Li)を主成分とすることもできる。リチウム角閃石亜族という分類があり、フェロホルムクイスト閃石もそれに含まれる。錫・タンタル・リチウムを資源とするペグマタイト鉱床であるGreenbushes鉱山(オーストラリア)から2004年に見いだされ、これまでこの産地でしか産出が知られていなかった。ところが最近になって昔に採集された福島県羽山岳のペグマタイトを調べる機会があり、蓋を開けてみれば模式地でしか知られていなかったフェロホルムクイスト閃石がバラバラと入っていた。濃紺色の板柱状結晶は一見して電気石にも見えなくもないが、劈開があるのでよくみれば角閃石だと理解できるだろう。細い結晶は絹糸光沢を示し、典型的な角閃石アスベストを形成する。リチウムは本来なら電気石に取り込まれやすいが、羽山岳では石灰岩とペグマタイトとの反応で斧石が生じており、そこでホウ素(B)が真っ先に消費されたためにホウ素を必須とする電気石が生じなかった。その結果として余剰のリチウムが角閃石に取り込まれることになり、フェロホルムクイスト閃石という稀種が出現したのだろう。根源名はスウェーデンの岩石学者であるPer Johan Holmquist(1866-1946)にちなみ、学名はその二価鉄(ferro:Fe2+)置換体であることによる。
今年の学会で報告予定。これから夏頃にかけてちょいちょいそういった予定のものを掲載していく。

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フェロトリーウェイゼル鉱 / Ferrotorryweiserite
フェロトリーウェイゼル鉱 / Ferrotorryweiserite
フェロトリーウェイゼル鉱 / Ferrotorryweiserite
Rh5Fe10S16
熊本県美里町払川

フェロトリーウェイゼル鉱はロジウム(Rh)を主成分にもつ白金族鉱物で、クラスノヤルスク地方(ロシア)の砂白金鉱床から2021年に発見された。原産地においてはイリジウム系砂白金の包有物として最大30㎛ほどの不定形の粒として見いだされている。そして、その記載論文を読むとその化学組成にはなんとなく見覚えが。皆川鉱の記載論文で「フェロードス鉱様鉱物」とした未詳鉱物に非常に近く、改めて解析し直すとフェロトリーウェイゼル鉱でうまく収束する。自分で形にすることはできなかったが、ともかくこれでようやくラベルが書ける。日本では熊本県払川の砂白金鉱床において、フェロトリーウェイゼル鉱はイソフェロプラチナ鉱粒の表面に黒色のコブもしくはシミのように産出する。まったく同じ産状で硫銅ロジウム鉱が産出するため、それとは肉眼的に区別できないだろう。近縁種に田村鉱がある。学名はトリーウェイゼル鉱(Torryweiserite: Rh5Ni10S16)のフェロ置換体であることから。なおトリーウェイゼル鉱は、白金族鉱物、特にジンバブエのグレートダイクや南アフリカのブッシュベルトに関連する鉱床の研究者として知られるThorolf (Torry) W. Weiser (b.1938)にちなむ。

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アロクレース鉱 / Alloclasite
アロクレース鉱 / Alloclasite
アロクレース鉱 / Alloclasite
CoAsS
和歌山県すさみ町三陽鉱山

アロクレース鉱は輝コバルト鉱と同質異像となる鉱物で、いずれの端成分もCoAsSとなっているが、実際のアロクレース鉱は鉄を含む傾向が強い。それもそのはずで、アロクレース鉱は硫砒鉄鉱(arsenopyrite: FeAsS)と共通の結晶構造となっている。一般に鋼灰色であり、輝コバルト鉱のようにうっすら紅をさすということがない。結晶面が出れば形状は硫砒鉄鉱に似ると思われるが、海外ではむしろ白鉄鉱とよく似ていると判断された。しかし、白鉄鉱とは異なる方向にへき開が発達することから、ギリシア語で「他の:allos」「割れ方:klasis」から学名が定められた。

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トロフカ鉱 / Tolovkite
トロフカ鉱 / Tolovkite
トロフカ鉱 / Tolovkite
IrSbS
北海道羽幌町愛奴沢川

トロフカ鉱も輝コバルト鉱型の白金族鉱物で、イリジウム(Ir)、アンチモン(Sb)、硫黄(S)からなる。同系統の白金族鉱物である輝イリジウムやホリングワース鉱と比べると産地は極端に少なく、産出はかなり稀。それでも日本の、特に北海道からの砂白金には伴われることがあり、ルテニイリドスミンや自然イリジウム粒の表層に付着するようにドロフカ鉱は産出する。輝イリジウムと共通の産状と外観であり分析しない限りは区別できない。学名は模式地のあるTolovka川(カムチャツカ、ロシア)に由来する。これまで輝コバルト鉱型の白金族鉱物には「輝」の頭文字が採用されがちではあったが、松原氏は「輝」を付けない「硫安イリジウム鉱」の和名を提案した。しかし、学名に由来がある鉱物なのだから、和名についても学名の読みであるトロフカ鉱が適切であろう。

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ホリングワース鉱 / Hollingworthite
ホリングワース鉱 / Hollingworthite
ホリングワース鉱 / Hollingworthite
ホリングワース鉱 / Hollingworthite
RhAsS
熊本県美里町払川

ホリングワース鉱もまた最も普遍的な白金族元素鉱物の一つであり、これが伴われない砂白金鉱床のほうがむしろ珍しい。ただし、産状は輝イリジウム鉱と同じで、ほぼ包有物でしかみかけない鉱物でもある。そのためふつうは電子顕微鏡でようやく捉えられる程度の存在だが、なんとかギリギリ光学顕微鏡でも捉えることができた。トラミーン鉱に埋没する青黒色の斑がホリングワース鉱となる。分類としては輝コバルト鉱や輝イリジウム鉱から見てロジウム(Rh)置換体であるために、その連想で輝ロジウム鉱と呼ばれることがある。しかし、可視光反射率はせいぜい50%にすぎず、輝きはほとんど感じられない鉱物であるため輝ロジウム鉱という和名はふさわしくない。学名は地質学者のSidney Ewart Hollingworth(1899-1966)にちなんでおり、和名であってもその読みのままが望ましい。

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輝イリジウム鉱 / Irarsite
輝イリジウム鉱 / Irarsite
北海道沼田町沼田奔川

輝イリジウム鉱 / Irarsite
北海道羽幌町愛奴沢川

輝イリジウム鉱 / Irarsite
IrAsS

輝イリジウム鉱は最も普遍的な白金族元素鉱物の一つであり、世界各国の砂白金鉱床にはほとんど必ず伴われている。そのため産出は全く珍しくないものの、砂白金の包有物としての産状が主なため、一般にはその姿を目にする機会は少ない。ただ、北海道の砂白金に限っては砂白金粒をぐるっと覆う産状で出現することがある。輝イリジウム鉱をまとう砂白金は光を強く反射することなく黒くざらつく。そのため和名に「輝」がつくことはちょっと不思議な印象だが、輝イリジウム鉱は輝コバルト鉱のイリジウム(Ir)置換体となる鉱物なので、その対比で生まれた和名なのだろう。学名は化学組成をそのまま読むかたちとなっている。

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輝コバルト鉱 / Cobaltite
輝コバルト鉱 / Cobaltite
輝コバルト鉱 / Cobaltite
輝コバルト鉱 / Cobaltite
CoAsS
和歌山県すさみ町三陽鉱山

輝コバルト鉱はコバルト(Co)の砒硫化物で、コバルトの重要な資源鉱物として知られる。世界的に見れば鉱物標本として人気が高く、図鑑などでは桃色を帯びた銀白色の立方体や5角12面体の結晶がしばしば紹介される。日本でもかつては含銅硫化鉄鉱鉱床からそのような結晶が産出したようだが、今となっては輝コバルト鉱はお目にかかることが少ない鉱物であろう。和歌山県三陽鉱山では緑泥石中の輝コバルト鉱を採掘したことがある。その鉱石は遠目では微結晶がチカチカ輝く黒色の集合体であり、拡大すると八面体結晶が観察された。学名は成分に由来し、和名はチカチカ輝く様子も加味しているのだろう。

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鉄珪蒼鉛石 / Bismutoferrite
鉄珪蒼鉛石 / Bismutoferrite
鉄珪蒼鉛石 / Bismutoferrite
Fe3+2Bi(SiO4)2(OH)
福島県飯館村蕨平高ノ倉鉱山

鉄珪蒼鉛石はビスマス(Bi)を主成分とする二次鉱物で、産地を問わず産状は黄緑色~淡褐色の皮膜もしくは土状塊となる。19世紀にはすでに知られていた鉱物であるが、まったく目立たない姿であるがために注目されることは少なく、日本で見いだされたのは21世紀に入ってからだった。福島県高ノ倉鉱山では自然蒼鉛を伴うスカルンの酸化帯で生じ、その標本はやはりどこの産地とも共通する姿であった。あらかじめわかっていれば別であろうが、予備知識ないままに産地に赴いて鉄珪蒼鉛石に気づくことは難しい。珪蒼鉛鉱が伴われることがあるため、むしろそちらが目印となるだろう。学名は化学組成に由来する。

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イットリウムエシキン石 / Aeschynite-(Y)
イットリウムエシキン石 / Aeschynite-(Y)
イットリウムエシキン石 / Aeschynite-(Y)
(Y,Ln,Ca,Th)(Ti,Nb)2(O,OH)6
福島県郡山市中田町中津川宇野橋

イットリウムエシキン石はイットリウム(Y)とチタン(Ti)の酸化鉱物で、ペグマタイト中に黒色の角柱状結晶として産出する。同質異像にイットリウムポリクレース石(Polycrase-(Y))がある。その結晶は西洋剣のような頭を持った扁平な板状になるためその姿であればエシキン石と区別が付く。しかしどちらもメタミクト状態になった黒色の不定形塊で産出することが多い。そうなると加熱とX線回折で見極めることになるが、きっちり加熱しきらないと分けることができないややこしさがある。ともかくコレクションという視点では、頭が見えない場合はエシキン石というラベルを書くことになるだろう。学名は「恥」を意味するギリシア語に基づく。エシキン石は19世紀に発見された鉱物だが、当時の技術では分析が困難であり、誤って「チタン酸ジルコニア」と記載されたことがその理由とされる。

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マイクロ石族
水酸灰マイクロ石 / Hydroxycalciomicrolite
福島県郡山市愛宕山

酸化(水酸)灰マイクロ石 / Oxy(Hydroxy)calciomicrolite
福島県郡山市手代木

フッ素灰マイクロ石 / Fluorcalciomicrolite
福岡家福岡市西区長垂山

酸化灰マイクロ石 / Oxycalciomicrolite
Ca2Ta2O7

水酸灰マイクロ石 / Hydroxycalciomicrolite
Ca1.5Ta2O6(OH)

フッ素灰マイクロ石 / Fluorcalciomicrolite
(Ca,Na,□)2Ta2O6F

パイロクロア超族(A2B2X6Y)のうち、B = Ta5+かつX = Oの組成をもつ鉱物はマイクロ石族としてまとめられており、これまでに11種が知られている。ペグマタイトを主要な産状とし、八面体結晶が典型的ではあるが陵が崩れて丸みを帯びることがあるほか、塊状で産出することもまた多い。色は緑色、褐色、黒色などがあり、経験的に緑色ほど結晶性が良い傾向がある。放射性元素を固溶することでメタミクト状態にあることが多く、そのような結晶や塊は油脂光沢を示す貝殻状に割れる。マイクロ石はパイロクロア(B = Nb5+,X = O)やベタフォ石(B = Ti4+,X = O)と固溶体を形成するが、ベタフォ石との間には不混和領域がある可能性が指摘されている。また一つの結晶内の塁帯構造で複数種にまたがることも多い。最初に記載された標本が非常に小粒であったことから、小さいという意味の根源名が定められた。全体の学名は各結晶学的席の内容をもとに決定される。

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ブーランジェ鉱 / Boulangerite
ブーランジェ鉱 / Boulangerite
福井県あわら市剣岳鉱山

ブーランジェ鉱 / Boulangerite
埼玉県秩父市秩父鉱山大黒鉱床

ブーランジェ鉱 / Boulangerite
Pb5Sb4S11

ブーランジェ鉱は鉛(Pb)とアンチモン(Sb)の硫化鉱物で、スカルンやマンガン鉱床、硫化鉱床など様々な環境において鉛灰色~青銀色の針状結晶として産出する。産状や外観は毛鉱(Jamesonite)と共通するため、肉眼的にこれらを見分けることはほぼ不可能と言える。ただ毛鉱はけっこう見かける鉱物であるのに対し、ブーランジェ鉱の産出は少ないように感じる。またブーランジェ鉱は共生鉱物にやや珍しい硫化物を伴うことがあり、たとえば車骨鉱(Bournonite)、セムセイ鉱(Semsyite)、ジオクロン鉱(Geocronite)ヨルダン鉱(Jordanite)などがあげられるだろう。学名は鉱山技術者の Charles Louis Boulanger (1810-1849)にちなむ。ブーランジェ鉱を最初に分析した人物で、含まれる成分を明らかにした。

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トウェディル石 / Tweddillite
トウェディル石 / Tweddillite
トウェディル石 / Tweddillite
CaSr(Mn3+2Al)[Si2O7][SiO4]O(OH)
愛媛県砥部町古宮鉱山

トウェディル石はプレトリア地質博物館(南アフリカ)の初代学芸員だったSamuel Milbourn Tweddill (1852-1917)にちなんで命名された鉱物で、2002年にT. Armbrusterによって記載された。トウェディル石はストロンチウム紅簾石(Piemontite-(Sr): CaSr(Mn3+Al2)[Si2O7][SiO4]O(OH))に二つあるアルミニウム(Al)の一つを三価マンガンで置換した鉱物に相当する。ストロンチウム紅簾石でさえ稀産のたぐいだが、トウェディル石はもっと稀産で公式には世界でも3カ所しか産地がない。ただし個人的に調べたところでは愛媛県古宮鉱山や長崎県戸根鉱山からも産出することが分かっている。外観はストロンチウム紅簾石と区別が難しく、トウェディル石はより微細でかつ赤黒いといったところだろう。いずれも緑簾石超族に属する鉱物で、T. Armbrusterは2006年に命名規約を作ったのだが、系統的な命名法を徹底するために自らが名付けたトウェディル石すらストロンチウムマンガニ紅簾石(Manganipiemontite-(Sr))へ改名した。この際に新潟石(Niigataite)およびハンコック石(Hancockite)もそれぞれストロンチウム単斜灰簾石(Clinozoisite-(Sr))と鉛緑簾石(epidote-(Pb))へと改名されている。この命名規約は合理的ではあるもののハンコック石の改名にまで手をだしたことは世界中の愛石家から不評を買い、「永遠の侮辱」とまで評された。ハンコック石は画家で愛石家でもあったElwood P. Hancock(1835-1916)への栄誉として1899年に命名されたのち100年以上も親しまれていた名称だったのだ。こういったことは他の命名規約でも生じており、2013年になって新鉱物・鉱物・分類委員会は「既得権のある種については名前の変更を避けることを推奨する」というガイドラインを発表するに至った。そして2015年にハンコック石の名称を復活させる提案が上がり、新潟石とトウェディル石もそのおまけで名称の復活が承認された。

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リリアン鉱 / Lillianite
リリアン鉱 / Lillianite
リリアン鉱 / Lillianite
リリアン鉱 / Lillianite
Pb3-2xAgxBi2+xS6
栃木県日光市足尾銅山

リリアン鉱は鉛(Pb)とビスマス(Bi)からなる硫化鉱物で、その端成分はPbS : Bi2S3 = 3 : 1の割合となる。ただし天然ではグスタフ鉱(Gustavite: AgPbBi3S6)と一部固溶体を形成することが多く、簡単に言うと多くの場合で少量の銀(Ag)成分を含むのがリリアン鉱の特徴といえる。形状としては板状から棒状と一方向に延びた黒光りする金属という印象で、近縁鉱物のグスタフ鉱、ガレノビスマス鉱(Galenobismutite)、ヘイロフスキー鉱(Heyrovskýite)などとは見た目が酷似し、反射顕微鏡でも区別が非常に難しいため、同定には分析が必須となる。栃木県足尾銅山ではこれまでリリアン鉱の産出は知られていなかったが、2021年になってオーストラリアの研究者がその産出を報告した。写真の標本は足尾銅山のリリアン鉱となる。リリアン鉱は生野鉱に突き刺さる小さな棒状の結晶として、また無垢のリリアン鉱からなる青光りする脈状塊として産出する。このような産状は先行研究の報告と大きく異なっており、詳細はいずれ報告されると聞いている。

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ナマンシル輝石 / Namansilite
ナマンシル輝石 / Namansilite
ナマンシル輝石 / Namansilite
NaMn3+Si2O6
大分県佐伯市下払鉱山

ナマンシル輝石はエジリン輝石の三価マンガン(Mn3+)置換体に相当する輝石族の鉱物で、その化学組成が命名の由来となった。下払鉱山のナマンシル輝石は肉眼的なサイズに成長することはなく、光学顕微鏡はおろか電子顕微鏡でさえその姿を捉えることは簡単ではない。しかし、ナマンシル輝石は色の主張が極めて強い鉱物であり、ナマンシル輝石を含むチャートは典型的に紫色から赤紫色に染まるため、姿かたちが見えなくともいるということはすぐわかる。下払鉱山はナマンシル輝石をはじめ、宮久石(Miyahisaite)、キュムリ石(Cymrite)、ストラコフ石(Strakhovite)ネールベンソン石(Noelbensonite)、マンガンチェルキアラ石(Cerchiaraite-(Mn))など世界的にも産出が稀な鉱物が極めて微細ながらも目白押しで産出する。このような珍しい共生鉱物はナマンシル輝石の模式地であるロシアのIr-Nimiマンガン鉱床や、イタリアのCerchiara鉱山も共通する。

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エジリン輝石 / Aegirine
エジリン輝石 / Aegirine
福島県いわき市御斎所鉱山

エジリン輝石 / Aegirine
岩手県田野畑村田野畑鉱山

エジリン輝石 / Aegirine
愛媛県岩城島

エジリン輝石 / Aegirine
鹿児島県薩摩硫黄島

エジリン輝石 / Aegirine
愛媛県大洲市上須戒鉱山

エジリン輝石 / Aegirine
NaFe3+Si2O6

エジリン輝石はかつて錐輝石(きりきせき)と呼ばれたことがあり、黒色から緑色または褐色の柱状結晶の端が錐のようにスッと尖る姿からつけられた。しかしその名称は海外産のごく一部の標本に由来したものであって、実際に日本産の標本ではその姿はまずお目にかかることがない。そのためここではエジリン輝石を用いる。日本で最も一般的なエジリン輝石の標本というと、福島県御斎所鉱山や岩手県田野畑鉱山で見られる褐色の塊状もしくは粒状の集合体であろう。そのほか愛媛県岩城島では曹長石岩中でエジリン輝石は濃緑色の粒状集合として見られ、鹿児島県薩摩硫黄島では極微細な柱状結晶が火山噴出物中の隙間に成長している。またこれは世界的にもかなり珍しい例だが、愛媛県上須戒鉱山からは無色透明の針状結晶が繊維状に集合した姿で産出したことがある。エジリン輝石の模式地が海辺にあったため、Aegirineという学名は北欧神話の海の神(Aegir)にちなみ1834年に名付けられた。ただしそれに先だって1827年に同じ鉱物が槍の先という意味のギリシア語にちなんだAcmiteの名称で記載されている。この場合だとAcmiteのほうに命名の優先順位がありそうだが、Acmiteは角閃石として、Aegirineは輝石として記載されていた。そして結果的にこの鉱物は輝石であったために、Aegirineのほうが正式な学名として後世に伝わることになった。

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エジリン普通輝石 / Aegirine-augite
エジリン普通輝石 / Aegirine-augite
エジリン普通輝石 / Aegirine-augite
(Ca,Na)(Fe3+,Mg,Fe2+)Si2O6
東京都青ヶ島湯浜

エジリン普通輝石はエジリン輝石(Aegirine)普通輝石(Augite)の中間的な化学組成を有する単斜輝石であり、端成分を持たないものの輝石族命名規約によって独立種の立場が認められている。一般には安山岩やアルカリ火山岩の副成分鉱物として産出し、存在そのものは造岩鉱物であるがゆえに珍しくはないが、鉱物標本として手に取って見えるエジリン普通輝石は世界的に極めて稀とされている。日本産ではこれまで見たことがなかったが、最近になって標本としてのエジリン普通輝石を得る機会に恵まれた。東京都青ヶ島から採集された安山岩において、その空隙に褐色透明な板状の結晶がたくさん成長していた。岩石内部には存在せず空隙にのみ自形で成長するという産状から、火山昇華物として生成したと思われる。

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マンガノマンガニアンガレッティ閃石 / Mangano-mangani-ungarettiite
マンガノマンガニアンガレッティ閃石 / Mangano-mangani-ungarettiite
マンガノマンガニアンガレッティ閃石 / Mangano-mangani-ungarettiite
マンガノマンガニアンガレッティ閃石 / Mangano-mangani-ungarettiite
NaNa2(Mn2+2Mn3+3)Si8O22O2
岩手県田野畑村田野畑鉱山

岩手県田野畑鉱山から産出する赤黒い角閃石は神津閃石だと言われてきたが、調べてみるとそれは神津閃石ではない別のいくつかの角閃石であった。赤黒い角閃石をならべて比べてみると色の違いがあることに気づくだろう。赤が強調されるのはリヒター閃石であったが、中にはほとんど真っ黒に近い角閃石があり、それがマンガノマンガニアンガレッティ閃石となる。100種類以上もある角閃石超族の中にあって三価マンガン(Mn3+)を主成分とする角閃石はマンガノマンガニアンガレッティ閃石だけという稀少さである。マンガノマンガニアンガレッティ閃石は1994年にHoskins鉱山(オーストラリア)から見出された角閃石であるが、田野畑鉱山の標本は神津閃石と思いこまれてずいぶん早くから広く出回っていたことになる。根源名はPvia大学(イタリア)で鉱物学の教授を務めたLuciano Ungaretti (1942-2001)にちなむ。

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パイロクロア族 / Pyrochlore group
酸化灰パイロクロア / Oxycalciopyrochlore
水酸灰パイロクロア / Hydroxycalciopyrochlore
水酸灰パイロクロア / Hydroxycalciopyrochlore
福島県田村市羽山岳

酸化(水酸)灰パイロクロア / Oxy(hydroxy)pyrochlore
福島県郡山市出雲鉱山

酸化灰パイロクロア / Oxycalciopyrochlore
Ca2Nb2O6O

水酸灰パイロクロア / Hydroxycalciopyrochlore
(Ca,Na,U,□)2(Nb,Ti)2O6(OH)

パイロクロア超族はA2B2X6Yという一般式において、パイロクロア族(B = Nb5+, X = O)、マイクロ石族(B = Ta5+, X = O)、ベタフォ石族(B = Ti4+, X = O)、エルスモア石族(B = W6+, X = O)、ローメ石族(B = Sb5+, X = O)、ラルストン石族(B = Al3+, X = F)、コウルセリ石族(B = Mg2+, X = F)から構成される。その名が示すようにパイロクロア族は超族の筆頭となる族で、いまのところ11種のメンバーで構成されているものの、個々の種は見た目では判別できない。いずれもペグマタイトで典型的に産出するが、パイロクロア族は日本ではお目にかかる機会は非常に少なく産地は限られる。全般的に副成分に富み、放射性元素を持つことも多いためにメタミクト状態であることもしばしば。そのような結晶の断面は油脂光沢を示す貝殻状となる。結晶は八面体を典型とするものの不定形な塊状で産出することもまた多い。色は結晶性と関連があるようで、褐色だと結晶構造が残っている場合があるが、黒色だとほとんど非晶質となっている。根源名は加熱によって緑色となることから、火および緑色を示すギリシア語が由来となっている。全体の学名は各結晶学的席の内容をもとに決定されるものの、塁帯構造があることが多く、一つの結晶内で異なる種が出現することも稀ではない。たとえば出雲鉱山の結晶は酸化灰パイロクロアと水酸灰パイロクロアが半々ほどで構成されている。

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グレイ石 / Grayite
グレイ石 / Grayite
グレイ石 / Grayite
(Th,Pb,Ca)(PO4)·H2O
福島県郡山市愛宕山

グレイ石はラブドフェン族の一員となる含水のリン酸塩鉱物で、モナズ石などトリウム(Th)を少量含む鉱物の変質によって生じる。日本では福島県愛宕山のペグマタイトから産出が報告されたのが最初で、元鉱物の外形がそのままグレイ石に置き換わった産状で出現した。白色から淡黄色の微粉末集合体となっている。世界的には結晶として産出することがあるようだが、残念ながら日本では見られない。学名は鉱山エンジニアでイギリス原子力庁の顧問をつとめたAnton Grayにちなむ。

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イットリウムイットリア石 / Yttrialite-(Y)
イットリウムイットリア石 / Yttrialite-(Y)
イットリウムイットリア石 / Yttrialite-(Y)
Y2Si2O7
福島県川俣町飯坂水晶山

現状、日本でイットリア石(Yttrialite)というとそれは希土類元素のイットリウム(Y)を主成分とすることから名付けられたケイ酸塩鉱物を指す。ただし、世界ではYttriaiteという名称の鉱物(Y2O3組成)が存在しており、この鉱物は日本ではまだ産出がないが、今後に日本から産出した際はお互いの和名を再考する必要が出てきそうである。ともかくイットリア石(Yttrialite)は日本では水晶山の標本が古くから知られている。希元素鉱物の典型的な産状であり、放射能焼けした赤色の長石と黒雲母の境界近くに貝殻状断口を示す塊状として産出する。イットリア石はガラス光沢で暗緑色を帯びる特徴がある。

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イットリウムヘランド石 / Hellandite-(Y)
イットリウムヘランド石 / Hellandite-(Y)
イットリウムヘランド石 / Hellandite-(Y)
(Ca,REE)4Y2Al□2(B4Si4O22)(OH)2
福島県田村市羽山岳

イットリウムヘランド石はイットリウム(Y)とホウ素(B)を主成分に持つ珍しいケイ酸塩鉱物で、産出はほとんどヨーロッパ(特にノルウェー)に偏る。日本でも少ないながら産出が知られており、岐阜県蛭川や宮崎県大崩山から報告があり、福島県羽山岳の標本を調べる中でも見つかった。羽山岳の標本はペグマタイト中に赤褐色でガラス光沢を示すへき開性の弱い板状結晶として産出し、周囲には(なぜか)砒鉄鉱が散らばっていた。根源名はオスロ大学(ノルウェー)で地質学の教授を務めたAmund Theodor Helland(1846-1918)にちなむ。

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ネオジム灰アンキル石 / Calcioancylite-(Nd)
ネオジム灰アンキル石 / Calcioancylite-(Nd)
ネオジム灰アンキル石 / Calcioancylite-(Nd)
ネオジム灰アンキル石 / Calcioancylite-(Nd)
Nd2.8Ca1.2(CO3)4(OH)3·H2O
福島県川俣町飯坂水晶山

アンキル石族の鉱物はしばしば丸まった集合体として産出することから、曲がるを意味するギリシア語が根源名の由来となっている。日本においては佐賀のタマちゃんとして知られたピンク色球状の(いわゆる)弘三石がアンキル石族だと言われるとその名の由来がしっくりくるだろう。ネオジム灰アンキル石はネオジム弘三石のカルシウム(Ca)置換体に相当し、福島県水晶山の標本から見いだされた。ただし名前の由来となったような丸みは感じられず黄土色の八面体結晶として産出する。

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イットリウム褐簾石 / Allanite-(Y)
イットリウム褐簾石 / Allanite-(Y)
福島県川俣町飯坂水晶山

イットリウム褐簾石 / Allanite-(Y)
三重県菰野町宗利谷

イットリウム褐簾石 / Allanite-(Y)
CaY(Al2Fe2+)[Si2O7][SiO4]O(OH)

褐簾石は緑簾石超族の一員で、二価鉄(Fe2+)と希土類元素(Rare earth element)を主成分とする。支配的となる希土類元素の種類によって鉱物種が分けられており、イットリウム(Y)を主成分とする種がイットリウム褐簾石となる。褐簾石はほとんどの場合でセリウム褐簾石となるため、それ以外の元素が主成分となることは大変珍しく、イットリウム褐簾石も産出が稀な鉱物である。塁帯構造の一部としてではなく一つの結晶がまるまるイットリウム褐簾石である産地は、日本では福島県水晶山と三重県宗利谷くらいであろう。イットリウム褐簾石は緑色が強く出ており、名前の由来になっている褐色はほとんど感じられない。水晶山では透明なイットリウムヒンガン石を、宗利谷では苦土ローランド石を密接に伴う。根源名は銀行家であり鉱物学者であるThomas Allan (1777-1833)にちなむ。

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プッチャー石 / Pucherite
プッチャー石 / Pucherite
プッチャー石 / Pucherite
プッチャー石 / Pucherite
Bi(VO4)
福島県石川町字和久新房鉱床

プッチャー石はビスマス(Bi)のバナジウム酸塩鉱物で、Wolfgang Maaßen鉱山(ドイツ)のPucher坑から産出したことにちなんで名称が与えられた。結晶形には多くの形態が知られるものの、赤褐色を示すことはどの産地も共通している。産出頻度として世界的に見るとまあまあ稀なほうであり、日本に限れば福島県和久からしか産出が知られていない相当な稀産鉱物である。和久のプッチャー石は明るい橙色の板状結晶として石英や長石の裂傷に張り付くように産出し、しばしば放射状に集合する。

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バベノ石 / Bavenite
バベノ石 / Bavenite
バベノ石 / Bavenite
Ca4Be2+xAl2-xSi9O26-x(OH)2+x (x = 0 to 1)
福島県郡山市田村町手代木字東山

バベノ石はベリリウム(Be)を主成分に持つケイ酸塩の二次鉱物であり、金緑石を伴うペグマタイトにしばしば出現する鉱物として知られている。しかしながら日本では金緑石の産出自体が非常に稀であるため、必然的にバベノ石の産出も非常に稀となっている。手代木においてバベノ石は無色透明の板状結晶として石英の裂傷に産出し、わさっと集合した姿はガラス光沢のある白色を示す。学名は模式地があるBaveno(イタリア)から。

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金緑石 / Chrysoberyl
金緑石 / Chrysoberyl
福島県郡山市手代木字東山

金緑石 / Chrysoberyl
福島県石川町字和久(新房鉱床)

金緑石 / Chrysoberyl
BeAl2O4

金緑石はベリリウム(Be)とアルミニウム(Al)からなる酸化鉱物で、主にペグマタイトから産出する。世界的にはとくにめずらしいわけではないが日本では産地が限られる。緑色を基本として黄色を帯びることがあり、その結晶は六角板状やそれが一方向に延びた板状になる。海外では双晶を形成して星形になった標本や、少量のクロム(Cr)を固溶して光源によって変色する金緑石が知られている。六角板状に結晶化したベリル(緑柱石)とは区別しがたいことがあり、学名は黄金色およびベリルを意味するギリシア語に由来する。

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(苦土)フォイット電気石 / (Magnesio-)Foitite
フォイット電気石 / Foitite
宮崎県日之影町乙ヶ淵鉱山

苦土フォイト電気石 / Magnesio-foitite
山梨県山梨市三富上釜口京ノ沢

(苦土)フォイット電気石 / (Magnesio-)foitite
福島県郡山市湖南町月形鉱山

フォイット電気石 / Foitite
□(Fe2+2Al)Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)

苦土フォイット電気石 / Magnesio-foitite
□(Mg2Al)Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)

電気石にはナトリウム(Na)やカルシウム(Ca)で満たされる結晶学的席があるが、いわゆるフォイット電気石はその席が空隙となっている。二価鉄(Fe2+)を主成分とするフォイット電気石とマグネシウム(Mg)を主成分とする苦土フォイット電気石が知られ、後者は日本産の新鉱物として誕生した。これらは大きな結晶として成長する例は見たことがなく、いつも微細な針状結晶として産出する。電気石は透明感があるすがすがしい結晶であってもその中身は塁帯構造となっていることがほとんどで、それはフォイット電気石もまた例外ではない。塁帯構造の規模は産地によってまちまちで、乙ヶ淵鉱山や京ノ沢では塁帯構造は小さく種をまたぐことはあまりない。それぞれ、フォイット電気石と苦土フォイット電気石であった。また月形鉱山の標本は当初は苦土電気石として掲載していたが、指摘を受けて調べたところフォイット電気石と苦土フォイット電気石からなっていた。結晶の根っこや中心部が苦土フォイット電気石で、先端や外周がフォイット電気石となっている。根源名はワシントン州立大学の鉱物学者のFranklin F. Foit, Jr. (b. 1942)にちなんで名づけられた。

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アフテンスク鉱 / Akhtenskite
アフテンスク鉱 / Akhtenskite
アフテンスク鉱 / Akhtenskite
MnO2
岩手県洋野町舟子沢鉱山

アフテンスク鉱はマンガン(Mn)の二酸化鉱物の一つで、ラムスデル鉱とパイロリュース鉱とは同質異像関係にある。この三種の中でもっとも稀な鉱物がアフテンスク鉱となり、発見された年代も最も新しい。南ウラル山地(ロシア)のAkhtensk鉄マンガン鉱床から報告され、発見地にちなんで名づけられた。日本でも産出が報告されているがその標本を見たことがなかったので、舟子沢鉱山の標本が私にとっての初見となるアフテンスク鉱である。褐鉄鉱に覆われた褐色の仏頭状集合体の内部が真っ黒で緻密な塊となっており、パイロリュース鉱だとおもったが念のために調べたところアフテンスク鉱ばかりが検出された。アフテンスク鉱はいまのところ世界的にも稀産な鉱物であるが、それはわざわざ調べていないだけのことなのかもしれない。

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日本式双晶 / Japanese law twin
日本式双晶 / Japanese Twin
群馬県南牧村三ツ岩岳

日本式双晶 / Japanese law twin
合成結晶

いわゆる双晶とは複数の同種の結晶が一定の規則性の元で接合してひとつの個体となったもので、ざっくりと貫入型と接触型がある。そして水晶(石英)の双晶でもっとも有名となっているのが日本式双晶であり、二つの平板状の結晶がV字型や扇形を成す姿で現れる。見た目で区別は困難だが貫入型と接触型の両方があり、高温石英相からの相転移による双晶ドメインが種となって低温石英相が成長すると陥入型の日本式双晶となり、低温石英相のまま日本式双晶が形成されると接触型になるとされる。接触型の日本式双晶の理想型はY字型だと聞いたことがある。

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トベルモリ石 / Tobermorite
トベルモリ石 / Tobermorite
トベルモリ石 / Tobermorite
Ca4Si6O17(H2O2)·(Ca·3H2O)
岡山県高梁市備中町布賀鉱山四番坑

トベルモリ石は1882年に記載されたカルシウム(Ca)を主成分とする含水ケイ酸塩鉱物で、1960年代までに14Å、12.6Å、11.3Å、10Å、9.3ÅのX線回折を示すトベルモリ石が報告された。それぞれは「XXÅトベルモリ石」と呼ばれて研究が続けられ、今となってはそれぞれ鉱物名が決まり、14Å:プロンビエル石(Plombierite)、11.3Å:トベルモリ石(Tobermorite)もしくは単斜トベルモリ石(Clinotobermorite)、10Å:大江石(Oyelite)、9.3Å:リバーサイド石(Riversidite)の対応となっている。これらはトベルモリ石超族としてまとめられ、最近になり11.3Åにケノトベルモリ石(Kenotobermorite)とパラトベルモリ石(Paratobermorite)がさらに加わっている。大変困ったことにこれらを見た目でこれらを分けることは不可能で、いずれも白い繊維状の結晶としてスカルンなどに生じ、放射状から脈状に集合することが非常に多い。学名は模式地であるスコットランドのマル島、Tobermoryにちなむ。

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アダム石 / Adamite
アダム石 / Adamite
アダム石 / Adamite
Zn2(AsO4)(OH)
広島県尾道市生口島瀬戸田町林

アダム石はオリーブ銅鉱の亜鉛(Zn)置換体となる鉱物で、銅の酸化帯に二次鉱物として生じる。不純物を含まない場合は無色透明であるが、しばしば少々の不純物を含み、色は黄色、赤色、緑色、青色などさまざまな色彩を示す。結晶形状も多様で、針~棒状や八面体が知られている。ただし多くは放射状の集合体として産出する。生口島では緑~青色を示す放射状の集合体で産出した。学名はフランスの鉱物コレクターであったGilbert Joseph Adam(1795-1881)にちなむ。個人のコレクション一覧が後に書籍としてまとめられるほどのリッチな鉱物収集家であった。

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イットリウムサマルスキー石 / Samarskite-(Y)
イットリウムサマルスキー石 / Samarskite-(Y)
イットリウムサマルスキー石 / Samarskite-(Y)
YFe3+Nb2O8
福島県石川町和久

イットリウムサマルスキー石は19世紀に見いだされた古典鉱物の一種で、ロシア鉱山技師団の参謀長であったVasilii Yevgrafovich Samarskii-Bykhovets大佐(1803-1870)にちなんで命名された。そしてこの鉱物から見出された新しい希土類元素にサマリウム(Sm)の名称が与えられた。日本でも海外でも、黒色の板状から角柱状結晶でペグマタイトから産出する。放射性元素をほぼかならず含むことからメタミクト化していることがほとんどで、そのせいで長いあいだ結晶構造が決まらなかった。イットリウムサマルスキー石の結晶構造と理想化学組成が解明されたのはつい最近の2019年であった。そして日本産新鉱物である石川石(Ishikawaite: U4+Fe2+Nb2O8)もまた同構造であることが確認されている。

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イットリウムテンゲル石 / Tengerite-(Y)
イットリウムテンゲル石 / Tengerite-(Y)
イットリウムテンゲル石 / Tengerite-(Y)
Y2(CO3)3·2-3H2O
佐賀県唐津市肥前町満越

東松浦玄武岩中で第五期の玄武岩は希土類元素に富む特徴を持っており、その小晶洞にイットリウムテンゲル石をはじめとした関連鉱物(ロッカ石、木村石、肥前石)が産出することが知られる。これらは似た外観となり、おおむね白色で強い真珠光沢を示し、箔状の結晶が放射状に集合する。とりわけイットリウムテンゲル石とイットリウム木村石はお互い非常によく似た集合となる。肉眼での区別は不可能に思われるが、やすやすとそれをやってのける愛石家もいる。学名は19世紀にスウェーデンの化学者C. Tengerにちなんで命名された。しかしその模式標本はイットリウムロッカ石であることが判明し、スミソニアン博物館に保管されていた別の標本がテンゲル石の新たな模式標本となった。

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ジャクスディートリッヒ石 / Jacquesdietrichite
ジャクスディートリッヒ石 / Jacquesdietrichite
ジャクスディートリッヒ石 / Jacquesdietrichite
Cu2BO(OH)5
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

ジャクスディートリッヒ石はフランスの地質学者・鉱物学者であるJacques Emile Dietrich(1926-2009)にちなんで命名された。Dietrichが1967年に標本を採集し、木箱に入れられたままになっていたが、2000年頃にようやく開封したところ青い結晶に気づいたことが発見の経緯になっている。ジャクスディートリッヒ石は銅を主成分とする含水ホウ酸塩鉱物で、岡山県布賀鉱山では青くもこもこした集合体として産出するが、個々の結晶は非常に微細ながらも柱状となっている。模式地(モロッコ)のほかは布賀鉱山しか産出がないという非常に稀な鉱物でもある。

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シベリア石 / Sibirskite
シベリア石 / Sibirskite
シベリア石 / Sibirskite
CaH(BO3)
岡山県高梁市備中町布賀鉱山4番坑

シベリア石は含水のホウ酸塩鉱物で、ロシア領内のハカス共和国を模式地とし、産地がシベリア地方に該当することから学名が定まった。かなり稀な鉱物で、ロシア内に二箇所の産地があるほかは岡山県布賀鉱山しか産出が知られていない。布賀鉱山においてシベリア石は顕微鏡サイズの角柱状結晶が密に集合した姿で産出し、箇所によってはすこしふわっとした印象を受ける。日本産新鉱物のパラシベリア石とは同質異像の関係にあり、シベリア石のほうが高温安定相となっている。

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濁沸石 / Laumontite
濁沸石 / Laumontite
静岡県伊豆市土肥大洞林道

濁沸石 / Laumontite
岡山県矢掛町内田

濁沸石 / Laumontite
CaAl2Si4O12·4H2O

濁沸石はその名が示すように沸石族の一員であり、その中でもひときわ不安定な種類といえる。通常、沸石に含まれる水分子は過熱しなければ構造の外に出ていかないが、濁沸石については空気中に放置するだけで水分子が抜けて白濁化し、ボロボロになってしまう。それ故の和名となっているが、学名はフランスの鉱山監察官だったFrancois Pierre Nicolas Gillet de Laumont(1747-1834)にちなむ。Laumontは鉱物愛好家でもあったようで、濁沸石の最初の発見者とも伝わる。新鮮な状態だとその結晶は無色透明な四角柱状で、先端が一方向にスパッとおちる形状となる。

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ネオジムランタン石 / Lanthanite-(Nd)
ネオジムランタン石 / Lanthanite-(Nd)
ネオジムランタン石 / Lanthanite-(Nd)
Nd2(CO3)3·8H2O
佐賀県唐津市肥前町満越

ネオジムランタン石は希土類元素のネオジム(Nd)を主成分とするランタン石であり、ブラジルを模式地とする。日本でも産出が確認されており、東松浦玄武岩からのネオジムランタン石が著名である。薄板状結晶で玄武岩中の小晶洞に産出し、太陽光など演色性に富む光源下ではピンク色を呈する。ランタン石は希土類元素のランタン(La)を主成分にすることから名付けられた鉱物であったが、後世の研究でその模式標本はランタンではなくセリウム(Ce)種であることが明らかとなった。そのため当初の名付けの意味は霧散してしまっている。

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針銀鉱 / Acanthite
針銀鉱 / Acanthite
静岡県河津町菖蒲沢

針銀鉱 / Acanthite
静岡県下田市河津鉱山

針銀鉱 / Acanthite
Ag2S

針銀鉱は銀(Ag)と硫黄(S)からなるカルコゲナイド鉱物で、組成的にはナウマン鉱の硫黄置換体に相当する。針銀鉱もまた浅熱水性の金銀鉱床においていわゆる銀黒鉱の主要構成鉱物をなす。針状の結晶として産出したことが名前の由来で、学名は針もしくはとげを意味するギリシア語に基づいている。一方で針銀鉱は必ずしも針状ではなく、ころっとしていることも非常に多い。Ag2Sは177℃以上の温度では立方晶相が安定であるものの、それ以下の温度では単斜晶相(針銀鉱)となる。そのため、ころっとした針銀鉱を見かけたらそれは生成時に177℃以上の環境にあったと推定できる。X線結晶学が未発達の時代はこのようなコロコロした針銀鉱の結晶を輝銀鉱(Argentite)と呼び、独立の鉱物と扱っていた。

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ナウマン鉱 / Naumannite
ナウマン鉱を主体とする鉱石
北海道枝幸町歌登鉱山

ナウマン鉱 / Naumannite (合成)

ナウマン鉱 / Naumannite
Ag2Se

ナウマン鉱は銀(Ag)とセレン(Se)からなるカルコゲナイド鉱物で、浅熱水性の金銀鉱床においていわゆる銀黒鉱の主要構成鉱物をなす。基本的に黒色で不定形な微小粒として産出するため、同様の形態となる針銀鉱やヘッス鉱とは肉眼的に区別は不可能。ナウマン鉱は物質的には128℃以下で生じる直方晶系のベータ型Ag2Seに相当するが、天然環境においてはおそらくそれ以上の温度で生じる立方晶系のアルファ型として結晶化した後にベータ型に転移するのだと思われる。初めからベータ型として結晶化させるとナウマン鉱は棒状に伸びた結晶となる。またナウマン鉱は酸化的な熱水脈に生じることが多く、端成分にちかいナウマン鉱はエレクトラム以外の共生鉱物をあまり伴わないことが知られている。学名はドイツ人鉱物学者であるGeorg Amadeus Carl Friedrich Naumann (1797–1873)にちなむ。

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ウィレムス石 / Willemseite
ウィレムス石 / Willemseite
ウィレムス石 / Willemseite
Ni3Si4O10(OH)2
長野県辰野町浜横川鉱山

ウィレムス石は葉ろう石-滑石族の一員となる鉱物で、滑石からみてマグネシウム(Mg)をニッケル(Ni)に置き換えた化学組成をもつ。浜横川鉱山ではバラ輝石を主体とした(浜横川としては)低品位の鉱石中に産出し、ぱっと見は緑色の小さなシミであったが拡大するとペラペラな板状結晶が積み重なった集合体であった。その姿かたちは色を除けば滑石によく似ている。南アフリカのBon Accordニッケル鉱床を模式地とし、当地の地質学者であるJohannes Willemse (1909-1967)にちなんで名づけられた。

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ポリジム鉱 / Polydymite
ポリジム鉱 / Polydymite
ポリジム鉱 / Polydymite
Ni3S4
三重県鳥羽市菅島

ポリジム鉱はニッケル(Ni)の硫化鉱物であり、スピネル超族に分類される。化学組成の近いビオラル鉱と共存すると思われがちだが、予想外に共存することなく同じ産地でも別々に産出する。菅島の場合では外観もそれぞれ異なっており、ビオラル鉱が紫色を帯びるのに対し、ポリジム鉱は紫色をほとんど感じることのない黒色を示すため見た目で区別できる。塊状であるこの標本では観察できようもないが、双晶となることが非常に多いそうで、学名も双晶および多いという意味のギリシア語が由来となっている。

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ビオラル鉱 / Violarite
ビオラル鉱 / Violarite
ビオラル鉱 / Violarite
FeNi2S4
三重県鳥羽市菅島

ビオラル鉱はスピネル超族の一員となる硫化鉱物で、鉄(Fe)とニッケル(Ni)を主成分に持つ。世界的に産地は非常に多く日本でもあるところにはあるはずだが、その標本となるとそういえば見たことがないという鉱物でもあろう。写真の標本は三重県菅島から産出したビオラル鉱の標本であり、バイオレットグレイと称される独特の色合いが良く出ている。学名もまたその色合いが由来となっており、バイオレット(紫)のラテン語であるviolaが当てられた。外観に変化はないものの、組成的には端成分のものから鉄に富む傾向がある。一方でニッケルに富む方向へはまったく進まないようで、完全なニッケル置換体であるポリジム鉱と共存することはなかった。

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レッドヒル石 / Leadhillite
レッドヒル石 / Leadhillite
レッドヒル石 / Leadhillite
レッドヒル石 / Leadhillite
Pb4(SO4)(CO3)2(OH)2
新潟県魚沼市入広瀬白板鉱山

レッドヒル石は鉱床の酸化帯に生じる鉛(Pb)を主成分とする二次鉱物で、硫酸基を有する炭酸塩鉱物に分類される。組成だけ見ると普遍的な鉱物に思えてしまうが、少なくとも日本ではあまり産地は多くない。白色からやや黄色を帯びた六角厚板状結晶が典型的な姿で、青鉛鉱やブロシャン銅鉱など鉛の二次鉱物を伴う。同質異像にマクファーソン石(Macphersonite)やスザン石(Susannite)があり、これらも同様の姿をとるため確実な鑑定にはX線回折が必要となる。学名は模式地が属するLeadhills地域(スコットランド)にちなむ。

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ヨルダン鉱 / Jordanite
ヨルダン鉱 / Jordanite
青森県平川市碇ケ関湯ノ沢鉱山

ヨルダン鉱 / Jordanite
福井県あわら市剣岳鉱山

ヨルダン鉱 / Jordanite
Pb14(As,Sb)6S23

ヨルダン鉱は鉛(Pb)とヒ素(As)の硫化鉱物であり、ジオクロン鉱のヒ素置換体に相当する。ジオクロン鉱は化学組成の錬金術的解釈からの命名であったが、ヨルダン鉱は医師であるHermann Jordan (1808-1887)にちなんで名付けられた。Jordanは研究のためにその標本を提供した人物だと伝わっている。ヨルダン鉱は日本では湯ノ沢鉱山がその産地として古くから知られている。湯ノ沢鉱山では鉛灰色の微粒子が塊状に集合した姿で産出することが多い。福井県剣岳鉱山では六角形の板状結晶が知られているが、ジオクロン鉱もまったく同じ姿で産出しかつ塁帯構造で共生することがあるので両方のラベルを書くことになろうか。

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ジオクロン鉱 / Geocronite
ジオクロン鉱 / Geocronite
ジオクロン鉱 / Geocronite
ジオクロン鉱 / Geocronite
Pb14(Sb,As)6S23
福井県あわら市剣岳鉱山

ジオクロン鉱は鉛(Pb)とアンチモン(Sb)の硫化鉱物であり、その学名の由来はなかなか面白くて、化学組成の錬金術的解釈から生まれている。かつて錬金術は金属と天体を関連付けて考えていた。そして金-太陽、銀-月、水銀-水星、銅-金星、アンチモン-地球、鉄-火星、錫-木星、鉛-土星という関係から、アンチモン-地球(古代ギリシア語でGea)、鉛-土星(古代ギリシア語でChronos)にちなんでGeocroniteという名称が与えられた。スウェーデンで最初に発見され、日本でも産出が確認されている。剣岳鉱山において、ジオクロン鉱は六角形の板状結晶やその平行連晶で産出し、光加減によって黒色から銀色に見える。結晶は硫酸鉛鉱がうっすらまとわりつくと白っぽくなるが、破断面は非常に強く輝く。ヒ素置換体にヨルダン鉱があり、剣岳鉱山ではどちらも共通する姿で産出することを確認している。それらを区別するには分析するほかないので、一般には両方を記したラベルを作れば良いだろう。

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福徳岡ノ場
軽石
奄美大島にたどり着いた軽石

透輝石-普通輝石
透輝石-普通輝石
透輝石から普通輝石の組成におちつく

中性長石
中性長石
いわゆる中性長石で、Ab53An43Or4程度の組成

かんらん石
かんらん石は自形結晶をみかけなかった

2021年8月13日、福徳岡ノ場と呼ばれる海底火山が噴火した。そして今頃(2021年11月)になってその際に噴出した大量の軽石が海流に乗って1000km以上も離れた大東諸島、沖縄諸島、奄美諸島各地の海岸に漂着し、それぞれの浜辺の景観を一変させてしまった。そんな軽石に含まれる鉱物を観察してみた。写真の標本は奄美大島にたどり着いた軽石となる。ぱっと目に付く鉱物は輝石、長石、かんらん石。輝石は多くが自形結晶で産出し、組成を調べてみると多くが透輝石であり、普通輝石の領域にうっかり足を踏み入れるものもあった。長石はいわゆる中性長石で、福徳岡ノ場の近隣にある硫黄島から産出する中性長石(うずら石)とよく似た組成で、厳密には曹長石になる。うずら石はこうやって産出したのかとなるほど納得。かんらん石については目につく大きさの結晶は不定形で、組成的にはFo65程度とかなり鉄が多い。一方であまりに微細で肉眼的には見えないが、透輝石がかんらん石を内包することがあり、その場合だとFo90と鉄がすくない。微細な鉱物としてはほかにフッ素燐灰石と磁鉄鉱があった。また軽石の部分の組成は中性長石にけっこう近い内容だった。軽石は指でつぶしたり割ったりすることができ、小さな軽石を指先でぐりぐりもむだけで鉱物の結晶を取り出すことができる。

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キミマン鉱 / Pyrochroite
キミマン鉱 / Pyrochroite
キミマン鉱 / Pyrochroite
キミマン鉱 / Pyrochroite
Mn2+(OH)2
長野県辰野町浜横川鉱山

キミマン鉱はブルース石の二価マンガン(Mn2+)置換体に相当する鉱物であり、その産地は多いとされるが、真の姿を見ることがなかなか難しい鉱物と思われる。鉱石を割った直後の新鮮な状態だと、キミマン鉱は真珠光沢をまとう無色透明の薄板状結晶で現れる。しかしこの姿は長くは続かない。2-3日もすれば褐色が目立つようになり、ファイトクネヒト鉱へ徐々に変質していく。加熱するとみるみる変色する。そして加熱によって色づくことから、火と着色を意味するギリシア語が学名の由来となっている。和名であるキミマン鉱は元は鉱石の名称だった。キミマン鉱は最高品位のマンガン鉱石に典型的に伴われる鉱物であり、そういった鉱石の色が穀物のキビに似ていたことから「きびマン」や「きみマン」と呼ばれ、それが後に鉱物の和名となった。

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ファイトクネヒト鉱 / Feitknechtite
ファイトクネヒト鉱 / Feitknechtiteファイトクネヒト鉱 / Feitknechtite
Mn3+O(OH)
長野県辰野町浜横川鉱山

ファイトクネヒト鉱は三価マンガン(Mn3+)の水産化鉱物で、グラウト鉱や水マンガン鉱とは同質異像の関係にある。日本は世界的に産地が多い地域だと言われているが、標本としてのファイトクネヒト鉱が得られる産地は決して多くは無い。そのなかでも浜横川鉱山のファイトクネヒト鉱はわかりやすいように感じる。ハウスマン鉱を主体とした塊状鉱を割ると黒茶色で鱗片状の結晶集合が現れ、その断面は亜金属光沢を示す。しばしば緑マンガン鉱を伴い、産状的にも緑マンガン鉱キミマン鉱の変質で生じたようにも見える。ファイトクネヒト鉱を合成しその諸性質を明らかにしたベルン大学(スイス)のWalter Feitknecht (1899-1975)にちなむ学名となっている。

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燐銅ウラン石 / Torbernite
燐銅ウラン石 / Torbernite
燐銅ウラン石 / Torbernite
Cu(UO2)2(PO4)2·12H2O
福島県川俣町房又鉱山

燐銅ウラン石は砒銅ウラン石の燐(P)置換体にあたる鉱物で、ペグマタイトやウラン(U)を含む鉱床の酸化帯に二次鉱物として生じる。緑色をおびた正方形の薄板として産出し、その姿は砒銅ウラン石と共通するため肉眼でこれらを見分けることはできない。そして外観をそのままに脱水してメタ燐銅ウラン石(Metatorbernite)という別の鉱物になることがある。結果的にウラン鉱床で緑の薄板状二鉱物を見かけると、ヒ素(P)か燐(P)か、さらには脱水の有無によって4種類の可能性があることになるが、ラベルには基本種を記せば良いだろう。写真の標本も脱水の有無までは確認していない。学名はスウェーデンの鉱物学者であるTorbern Olof Bergman (1735-1784)にちなみ、和名は化学組成による。

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砒銅ウラン石 / Zeunerite
砒銅ウラン石 / Zeunerite
砒銅ウラン石 / Zeunerite
Cu(UO2)2(AsO4)2·12H2O
岡山県倉敷市三吉鉱山

砒銅ウラン石はヒ素(As)と銅(Cu)を主成分とするウラン(U)の二次鉱物で、ペグマタイトやウランを含む鉱床の酸化帯に生じる。緑色をおびた正方形の薄板が重なって産出する姿が一般的だが、その姿のまま脱水してメタ砒銅ウラン石(Metazeunerite)へ変質していることが多い。また、リン(P)置換体のリン銅ウラン石もまた同じ姿で産出するためこれらは肉眼的には区別が難しい。ウランの二次鉱物は蛍光を示すことが多いが、砒銅ウラン石は蛍光を示さない。和名はその主成分に由来し、漢字の「砒」を用いることが多い。学名はフライベルク(ドイツ)鉱山学校の校長だったGustav Anton Zeuner (1828-1907)にちなむ。

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神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite
神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite
神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite
NaNa2(Mn2+4Fe3+)Si8O22(OH)2
岩手県田野畑村田野畑鉱山

神津閃石は苦土アルベソン閃石の二価マンガン置換体となる角閃石で、本来の学名は東北大学で岩石学・鉱物学の教授を務めた神津俶祐(こうづしゅくすけ)(1880-1955)にちなんだKozuliteであった。しかし、最新の命名ルールはエッケンルマン閃石を基準としており、そこから二価マンガン(Mn2+: Mangano)と三価鉄(Fe3+: Ferri)置換体ということでMangano-ferri-eckermanniteが現在の学名となっている。学名はどうにもならないが、この記事では和名については過去のまま神津閃石とする。ともかく神津閃石は写真に示したように橙色で角柱状の角閃石である。二価マンガンを多く含む苦土アルベソン閃石は橙色を呈し、その二価マンガンがあとほんのちょっと多くなってマグネシウム(Mg)を越えれば神津閃石になるのだから、外観の変化もほんのちょっとだけである。田野畑鉱山からは赤々黒々したが神津閃石だと言われてきたが、それを調べて神津閃石だったことは一度も経験していない。ではなにかと言われると、一つは三価マンガン(Mn3+)を含むリヒター閃石である。あといくつかあって、それらは解析的には結論は出ているものの物証が足りずの状態で止まっている。どうやら後世に託すことになりそうで、もうそろそろ学会発表くらいはしておこうと思う。

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苦土アルベソン閃石 / Magnesio-arfvedsonite
苦土アルベソン閃石 / Magnesio-arfvedsonite
岩手県軽米町小玉川鉱山

苦土アルベソン閃石 / Magnesio-arfvedsonite
岩手県田野畑村田野畑鉱山

苦土アルベソン閃石 / Magnesio-arfvedsonite
NaNa2(Mg4Fe3+)Si8O22(OH)2

苦土アルベソン閃石はエッケルマン閃石からみて三価鉄(Fe3+)となる角閃石であり、最新の命名ルールを厳密に適用すればフェリエッケルマン閃石になるところであったが、アルベソン閃石の名称が岩石学を中心にすでに広く使用されているために今さら消すと混乱を招く恐れがあった。そのために例外的に過去のままの苦土アルベソン閃石という名乗りが許された。これも個人的な経験だが、苦土アルベソン閃石もまたマンガン鉱床ばかりで遭遇し、それ以外の産状ではまだ出会ったことがない。小玉川鉱山では繊維状結晶が片理に沿って並ぶ産状を示し、少量の二価マンガン(Mn2+)を含み橙色を帯びる。田野畑鉱山でも古くから産出が知られており、橙色の角柱状結晶としてセラン石や石英中に埋没しており、破断面はガラス光沢を示す。橙色の強い苦土アルベソン閃石は二価マンガン(Mn2+)を多く含み、あと一歩でマグネシウム(Mg)を上回るという結晶も少なくない。二価マンガンがマグネシウムを越えるとそれは神津閃石(Mangano-ferri-eckermannite)になる。学名はスウェーデンの科学者であったJohan August Arfvedson (1792-1841)にちなむ。

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セラドン石 / Celadonite
セラドン石 / Celadonite
セラドン石 / Celadonite
KMgFe3+Si4O10(OH)2
静岡県河津町やんだ

当初この記事を海緑石として書いていたが、それは勘違いでCeladoniteの和名はセランドン石であった。セラドン石は雲母族に入る鉱物であるが、その和名について雲母ではなく石で閉めることがすでに習慣になっている。堆積岩石中に薄く広く含まれることもあるが、濃集する例としては杏仁状組織で沸石を伴う安山岩や玄武岩において、杏仁状晶洞の壁にまとわりついていることが多い。河津町やんだでは玄武岩質溶岩中に発達する沸石脈に沿って、沸石と溶岩の境界にセラドン石が生じているためある程度大きな面で採集できる。しかしどういった産状でも目に見える結晶として産出する例を見たことはない。また、まとまって産出すると岩絵の具として利用されることもある。学名は「海の緑」を意味するフランス語に由来する。そのため和名は海緑石だとばかり思っていたが、カタカナ読みのセラドン石が広く使われていた。海緑石は固溶体であるGlauconiteに対し与えられた和名であり、今となってはGlauconiteの名称は正式な鉱物名として認められていない。しかし、学名の由来がそうだったこともあってけっこう長い期間かんちがいをしていた。文章にしたあとで調べなおして改めて気が付いた。

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アヘイル石 / Aheylite
アヘイル石 / Aheylite
アヘイル石 / Aheylite
Fe2+Al6(PO4)4(OH)8·4H2O
静岡県下田市河津鉱山

アヘイル石はメリカ地質調査所のAllen V. Heyl (1918-2008)にちなんで名付けられた鉱物でトルコ石やファウスト石の二価鉄(Fe2+)置換体にあたる。世界的な稀産鉱物だが日本では産出があり、河津鉱山がその産地として知られる。石英脈の晶洞を満たすように生じるが、結晶形はまったく認められないガサガサした印象の集合体となる。表面が褐鉄鉱で汚れているのでわかりづらいが、破面において青灰色が観察できる。基本的にファウスト石も同じ産状を示すため、肉眼的に両者は区別できない。

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ファウスト石 / Faustite
ファウスト石 / Faustite

ファウスト石 / Faustite
ZnAl6(PO4)4(OH)8·4H2O
静岡県下田市河津鉱山

ファウスト石はトルコ石族の一員となる鉱物で、トルコ石の亜鉛置換体(Zn)に相当する。海外においてファウスト石はトルコ石と共存し、まとめて研磨されて宝飾品として扱われることがあるが、日本ではそのようなファウスト石は産出しない。いまのところ河津鉱山が唯一の産地で、粉を固めたようなぼそぼその印象を有する黄土色の集合体や被膜で産出する。またファウスト石の二価鉄(Fe2+)置換体にあたるアヘイル石も同じ環境と似たような外観で産出するため、この二つは肉眼で区別ができない。学名はアメリカ地質調査所の George Tobias Faust (1908-1985)にちなむ。

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エメリー(コランダム岩) / Emery (Corundite)
エメリー(コランダム岩) / Emery (Corundite)
大分県佐伯市木浦鉱山

エメリー(コランダム岩) / Emery (Corundite)
愛媛県今治市小大下島

エメリーはコランダム、鉄スピネル、磁鉄鉱(もしくはチタン鉄鉱)を主成分とする黒色で堅硬緻密な岩石のことで、ラテライトやボーキサイトのような高アルミニウム堆積物を原岩とする。それが続成作用に留まるとベルチェリンが主体の岩石が形成され、より高温高圧の変成作用を受けるとエメリーが生成する。エメリーはより具体的にはコランダム岩(Corundite)と称される。昭和30年代中頃までにほとんどの資源を掘り尽くした木浦鉱山にあったが、数万トンが見込まれるエメリー鉱床が発見された。当時エメリーは研磨材や耐火材として用途が開発されつつある新資源であり、昭和40年代から本格的に採掘が始まっている。その当時、木浦鉱山は日本で唯一のエメリーの産地であったが、後に小大下島でも見つかった。ただし小大下島では石灰岩を目的に採掘しており、エメリーは邪魔者扱いされ海岸にうち捨てられた。現在でも海岸にはエメリーが転がっている。英名はナクソス島(ギリシア)のEmeri岬にちなむ。エメリーの発見地だと伝わっている。

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リヒター閃石 / Richterite
リヒター閃石 / Richterite
愛知県設楽町田口鉱山

リヒター閃石 / Richterite
岩手県洋野町舟小沢鉱山

リヒター閃石 / Richterite
愛媛県砥部町古宮鉱山

リヒター閃石 / Richterite
岩手県田野畑村田野畑鉱山

リヒター閃石 / Richterite
Na(NaCa)Mg5Si8O22(OH)2

個人的な経験則としてリヒター閃石に遭遇するのはマンガン鉱床と相場が決まっているものの、見てわかるリヒター閃石は少ない。古くから産出が知られている田口鉱山では、リヒター閃石は黒緑色を呈し、板状に発達した劈開にガラス光沢がよく見える角閃石らしい角閃石である。これは前評判を聞いていたので納得したが他は予想外だった。ここでは舟小沢鉱山、古宮鉱山、田野畑鉱山からのリヒター閃石も掲載した。肉眼鑑定はお手上げである。特に田野畑鉱山は一見していわゆる神津閃石であるが、組成的にはこれもリヒター閃石におちつく。いわゆる神津閃石がいつもリヒター閃石であるとは限らないが、いわゆる神津閃石がほんとうに神津閃石だったことはとりあえず一度も経験していない。リヒター閃石の学名はフライベルク工科大学(ドイツ)の教授を務めたHieronymus Theodor Richter (1824-1989)にちなむ

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硬石膏 / Anhydrite
硬石膏 / Anhydrite
硬石膏 / Anhydrite
CaSO4
大分県日田市中津江村鯛生金山

硬石膏は重晶石天青石からみてカルシウム(Ca)置換体となる硫酸塩鉱物であり、石膏(Gypsum: CaSO4・2H2O)から水(H2O)を抜いた組成となる。そのため「水なし」を意味するギリシア語が学名の由来となっている。和名については石膏としばしば共存しながらもそれより硬いことからだと思われる。重晶石ほどではないが日本でも多くの産地がある。基本的には無色透明だが色づくことがあり、例えば鯛生金山からの硬石膏はやや薄紫であることが知られる。へき開が三方向もあって割れやすい。

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重晶石 / Baryte
重晶石 / Baryte
福島県猪苗代町沼尻鉱山

重晶石 / Baryte
青森県平川市碇ケ関湯ノ沢鉱山

重晶石 / Baryte
秋田県湯沢市川原毛温泉

重晶石 / Baryte
青森県むつ市恐山

重晶石 / Baryte
BaSO4

重晶石は天青石硬石膏からみてバリウム(Ba)置換体となる硫酸塩鉱物であり、熱水性金属鉱床やマンガン鉱床にはほぼ必ず伴われる普遍的な鉱物と言える。学名は重いという意味のギリシア語にもとづいており、和名もまた同様である。重晶石の主成分であるバリウムはストロンチウム(Sr)の1.5倍、カルシウム(Ca)の3.5倍と非常に重い元素であり、そのため大きな重晶石はずしりと重い。重晶石は基本的には無色透明だが様々な包有物によって色のバリエーションが多い。結晶も典型的には菱形の板状であるが、その板が太くなってコロコロした姿や犬牙状になることもある。また双晶も多く、重晶石は産地ごとに違った面構えがあっておもしろい。

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天青石 / Celestine
天青石 / Celestine
島根県大社町鵜峠鉱山

天青石 / Celestine
天青石 / Celestine
福島県郡山市安積鉱山

天青石 / Celestine
SrSO4

天青石はストロンチウム(Sr)の硫酸塩鉱物であり、しばしば青色を呈する。その独特な青を空と見立てて、天を意味するギリシア語にもとづいて現在の学名が定まった。和名はそれを天青と解して読んだようだ。世界中に多くの産地が知られており、今となっては赤や緑を示す天青石も産出が認められている。一方、日本では産地が少ない。それでも古くから知られている産地に島根県鵜峠鉱山がある。そこでは天青石は黒鉱を横切る脈として産出し、淡い灰青色の繊維状結晶が束になった標本が知られている。福島県安積鉱山では石膏に埋没する産状で淡青色を示す束として産出した。天青石は重晶石硬石膏とは同族となる。

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ブライアンヤング石 / Brianyoungite
ブライアンヤング石 / Brianyoungite
ブライアンヤング石 / Brianyoungite
Zn3CO3(OH)4
大阪府箕面市温泉町平尾旧坑

ブライアンヤング石はイギリス地質調査所の地質学者であるBrian Young (b. 1947)にちなんで名付けられた鉱物で、最初の研究試料を提供した人物でもある。新鉱物については発見者が自分の名前をつけることはできないルールであるが、厳密には「申請書や論文の著者に入れない(入ってはいけない)」ということであり、標本提供という重要な貢献であってもそれを著者として共有するかどうかの判断はまちまちである。ブライアンヤング石は透明から白色で頭が斜めに落ちた薄板状の結晶で産出し、それが放射状に集合することもある。亜鉛(Zn)の含水炭酸塩という単純な内容であるため世界的には産地は多いものの、日本では少ない。

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正長石 / Orthoclase
正長石 / Orthoclase
愛媛県松山市才之原

正長石 / Orthoclase
鹿児島県屋久島

正長石 / Orthoclase
K(AlSi3O8)

いわゆるカリ長石には微斜長石(Microcline)、正長石(Orthoclase)、サニディン(Sanidine)があり、これらはシリコン(Si)とアルミニウム(Al)の秩序状態によって種が分かれている。一方で鉱物の分類は本質が同じ構造であれば元素の秩序-無秩序で種を分けないことを原則としているので[1]、カリ長石は例外的な分類と思われる。それはともかくも、正長石は中程度に秩序化した構造を有するカリ長石であり、3種の中でもっとも広い分布をもつ。わかりやすい例として、花崗岩の斑晶として生じるカリ長石はほとんど正長石である。通常は大きくとも1-2cm程度であるが、屋久島では大きいものは20cmを越える。多くの場合で双晶を形成し、写真の標本はいずれもカルルスバット式双晶となっている。二方向に明瞭なへき開を示し、学名はその現象を意味するギリシア語に基づく。和名の由来は調べてもわからなかったが、想像するに斜長石(Plagioclase)への対義語としての正長石ではなかろうか。

[1] Nickel E.H., Grice J.D. (1998) The IMA commission on new minerals and mineral names: procedures and guidelines on mineral nomenclature, 1998. The Canadian Mineralogist, 36, 237-263.

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フライポント石 / Fraipontite
フライポント石 / Fraipontite
フライポント石 / Fraipontite
(Zn,Al)3(Si,Al)2O5(OH)4
山口県美祢市喜多平鉱山浜の宮鉱床

フライポント石は粘土鉱物の一種で分類としてはカオリナイト-蛇紋石族の蛇紋石亜族に位置する。日本では喜多平鉱山から産出の報告があり、アロフェンやハロイサイトと共に水色から白色の土状集合体として産出し、そういった標本には所々に二酸化マンガンのシミが生じている。色と鉱物の量に相関があるとされ、水色部はアロフェンが多く、フライポント石を多く含む部分は白濁する。学名はJulien Jean Joseph Fraipont (1857-1910)およびCharles Marie Joseph Julien Fraipont (1883-1946)親子にちなむ。いずれもLiège大学(ベルギー)で古生物学の教授を務めた。

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イットリウムフェルグソン石 / Fergusonite-(Y)
イットリウムフェルグソン石 / Fergusonite-(Y)
愛媛県今治市波方町馬刀潟

イットリウムフェルグソン石 / Fergusonite-(Y)
茨城県高萩市下大能

イットリウムフェルグソン石 / Fergusonite-(Y)
YNbO4

いわゆるフェルグソン石は希元素鉱物であり、主成分とする希土類元素によって種が細分される。これまでイットリウム(Y)を主成分とするフェルグソン石がもっとも広く産出し、産状としては温度の低いペグマタイトにほぼ限定される。黒色から茶褐色の棒錘形の結晶として産出し、赤色化した長石の断片をまとうことが多い。組成的にはトリウムやウランを含むことがほとんどであり、放射線により結晶構造は多くの場合で破壊されて非晶質となっている。βフェルグソン石とは同質異像の関係にあり、実験的には低温相(フェルグソン石)-高温相(βフェルグソン石)の対応となる。これらは結晶形状で見分けることができβフェルグソン石は板状で産出する。学名はイギリス人鉱物コレクターのRobert Ferguson (1769-1840)にちなむ。

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自然硫黄 / Sulphur
自然硫黄 / Sulphur
北海道弟子屈町アトサヌプリ(硫黄山)

自然硫黄 / Sulphur
鹿児島県霧島市牧園町高千穂温泉

自然硫黄 / Sulphur
北海道亀田郡七飯町精進川鉱山

自然硫黄 / Sulphur
S

自然硫黄は天然で産出する硫黄(S)のことで、元素名と区別するため和名では「自然」の接頭語をつけて呼ぶ慣習となっている。火山国である日本において自然硫黄の産出は対して珍しくなく、さまざまな温泉地でもっともふつうにみられる鉱物であろう。温泉に沈殿していることや、噴気孔にも生じる。結晶成長が極めて速い鉱物であり、稜のみが急速に成長して面内や内部がスカスカな骸晶となりやすい。一方、粘土中でゆっくり成長すると大きな単結晶が得られる。精進川鉱山の自然硫黄は数cmの塊として産出し、一見して不定形な集合体にみえるが、光を透かして見ると単結晶であることがわかる。この単結晶は熱には非常に弱いそうで、寒い冬の日に凍えるような冷水を使って加工するのだと聞いた。硫黄の元素名(学名)は14世紀ごろには導入されたようだが、その由来は燃えやすい性質や色など諸説ある。和名の由来や定まった時期もまたたどることはできなかった。

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フォンセン石 / Vonsenite
フォンセン石 / Vonsenite
フォンセン石 / Vonsenite
Fe2+2Fe3+O2(BO3)
宮崎県日之影町千軒平鉱山

フォンセン石は二価鉄(Fe2+)と三価鉄(Fe3+)を主成分とした黒色のホウ酸塩鉱物で、大きめの結晶は亜金属光沢を示すものの、細い結晶やその集合は絹糸光沢を呈する。あまり見かける鉱物ではなく、特定のスカルンに集中して産出し、日本では釜石鉱山や千軒平鉱山が著名な産地と思われる。千軒平鉱山のフォンセン石はしばしばハルス石(Hulsite: (Fe2+,Mg)2(Fe3+,Sn)(BO3)O2)を塁帯構造で伴うことがあるが、見た目で区別はできないだろう。学名は鉱物コレクターのMagnus Vonsen (1880-1954)にちなむ。

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アワルワ鉱 / Awaruite
アワルワ鉱 / Awaruite
高知県高知市岡豊

アワルワ鉱 / Awaruite
北海道夕張市白金川

アワルワ鉱 / Awaruite
Ni3Fe

アワルワ鉱はニッケル(Ni)と鉄(Fe)からなる金属鉱物で、やや黄色みを帯びた金属として超苦鉄質岩およびそれが変質した蛇紋岩中に含まれる。産出はまれではあるが、見つからないということはない。しかし非常に微細であることが多く、こういった産状を写真で捉えることができたのは岡豊のアワルワ鉱だけだった。アワルワ鉱はニュージーランドのAwarua湾の砂鉱から見出されたことにより名付けられたが、後年になり260km以上離れたGorge川がその出所だったことが明らかとなっている。北海道白金川の砂鉱にもアワルワ鉱が含まれている。

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単斜エンスタタイト / Clinoenstatite
単斜エンスタタイト / Clinoenstatite
単斜エンスタタイト / Clinoenstatite
MgSiO3
東京都小笠原村

単斜エンスタタイトはエンスタタイト(直方晶系)の単斜晶系多形となるために命名された鉱物で、石質隕石や地球の深部では主要構成鉱物をなすものの、地球上でとなるとなかなか見られない。その貴重な産地が小笠原村に知られており、無人岩(ボニナイト)と称される高マグネシウム安山岩の中に斑晶として、黄土色の破断面が絹糸光沢を帯びる単斜エンスタタイトが含まれる。無人岩は輝石に富むかんらん岩が含水条件下で部分融解して生じる特殊なマグマに由来するとされる。エンスタタイトを冠する鉱物にはもうひとつプロトエンスタタイトがあり、それは実験的には単斜エンスタタイトより低温で出現する相であるためちょっと期待して探したことがあるが、それは見つかっていない。

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シャモス石 / Chamosite
シャモス石 / Chamosite
シャモス石 / Chamosite
(Fe,Mg,Al)6(Si,Al)4O10(OH,O)8
秋田県大仙市協和荒川鉱山

シャモス石は緑泥石族の一員でクリノクロアの二価鉄(Fe2+)置換体に相当する鉱物で、クリノクロアに並んで普遍的に産出する。量の過多や質の程度を問わなければ産地はいたるところにあるが、標本としての産地だと秋田県荒川鉱山や宮田又鉱山がその代表になろうか。シャモス石は黄銅鉱を伴う石英脈に派生して生じ、深く濃い緑色の球から放射状集合として産出する。荒川鉱山の緑水晶は内部に微細なシャモス石が含まれることによって色づいている。学名は模式地であるChamoson(スイス)にちなむ。

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ヒーズルウッド鉱 / Heazlewoodite
ヒーズルウッド鉱 / Heazlewoodite
ヒーズルウッド鉱 / Heazlewoodite
Ni3S2
愛知県新城市中宇利鉱山

ヒーズルウッド鉱は超苦鉄質岩やそれを母岩にした金属鉱床にほぼ限定して出現する鉱物で、それ以外の産状はほぼ見られない。ほとんどの場合で不定形であり、新鮮な破断面はやや青みを帯びる金属光沢を示すが、時間がたつと黄色っぽくなる。日本では中宇利鉱山で大きめのヒーズルウッド鉱が産出することで知られている。写真は典型的な標本であり見るからに一様なヒーズルウッド鉱に思えたが、実は塁帯構造によって半分近くがコバルトペントランド鉱になっている。学名は発見地を含む地域であるHeazlewoodite地区(オーストラリア)にちなむ。

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輝銅鉱 / Chalcocite
輝銅鉱 / Chalcocite
愛知県新城市中宇利鉱山

輝銅鉱 / Chalcocite
愛媛県伊方町三崎

輝銅鉱 / Chalcocite
Cu2S

輝銅鉱は古くから銅(Cu)の重要な資源鉱物であり、古来より様々な名称で呼ばれてきたが、19世紀に今の学名が定まった。銅を意味するギリシア語(chalkos)がその由来となっている。輝銅鉱は日本でも産地は非常に多く、金属光沢を示す黒色塊として産出する。ただし金属光沢は風化によって失せるため、露頭ではただの黒色塊とみえる。中宇利鉱山では輝銅鉱の塊の中に方輝銅鉱(digenite: Cu9S5)が一部存在すると言われているが、それは誤認の可能性もあるだろう。輝銅鉱のX線回折を取るためにメノウ乳鉢でゴリゴリと丁寧に粉末にすると、輝銅鉱の一部は方輝銅鉱へ分解・相転移してしまうことが知られている。三崎の輝銅鉱にはコロラド鉱や金銀テルル化鉱物などが多く含まれている(ただし数μm程度)。

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ラムスデル鉱 / Ramsdellite
ラムスデル鉱 / Ramsdellite
ラムスデル鉱 / Ramsdellite
Mn4+O2
静岡県下田市寝姿山

ラムスデル鉱はMn4+O2の化学組成をもつ鉱物で、アフテンスク鉱とパイロリュース鉱とは同質異像の関係にあり、産出頻度はパイロリュース鉱 > ラムスデル鉱 > アフテンスク鉱の順になると思われる。いわゆる二酸化マンガンと称される真っ黒な鉱物を片端から分析する中で見つかった鉱物であるが、発見者であるミシガン大学のLewis Stephen Ramsdell (1895-1975)は特に名前を与えなかった。そして後年に再発見された際、他の研究者らが最初の発見者であるRamsdellの功績を称えて命名した経緯が知られている。日本では寝姿山のラムスデル鉱が古典標本として親しまれており、真っ黒な柱状結晶の柱面や破断面が白色に輝く、思いのほか美しい標本と思っている。

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トロール石 / Trolleite
トロール石 / Trolleite
トロール石 / Trolleite
Al4(PO4)3(OH)3
山口県阿武町日ノ丸奈古鉱山

トロール石は世界的に見てけっこう稀な鉱物であり、一般に自形結晶は認められない鉱物として知られる。一方で日の丸奈古鉱山では半透明なそろばん玉状のトロール石の結晶が産出する。それはたしかにトロール石ではあるが、トロール石の対称性(単斜晶系)ではなかなか出ない晶癖であるため、なんらかの仮晶にも思われる。可能性としてはベルリン石や石英が考えられるがどうだろうか。トロール石にはしばしば内部に鉄天藍石が包有されるため、青みを帯びることが多い。学名はスウェーデンの化学者だったHans Gabriel Trolle-Wachtmeister (1782-1871)にちなむ。

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ベルチェリン / Berthierine
ベルチェリン / Berthierine
高知県高知市土佐山桑尾

ベルチェリン / Berthierine
宮城県南三陸町歌津字平松

ベルチェリン / Berthierine
(Fe2+,Fe3+,Al)3(Si,Al)2O5(OH)4

ベルチェリンはフランスの化学者・鉱物学者であるPierre Berthier (1782-1861)にちなんで名付けられた鉱物で、いわゆる粘土鉱物の一種である。日本でもその産出が知られており、ラテライトやボーキサイト質の土壌が続成作用を被ることで生じる。写真に示したふたつの標本は暗緑黒色の岩石のほぼ全体が微細なベルチェリンで構成されており、桑尾のほうには多量のダイアスポアもまた含まれている。こういった岩石は裂傷には塩基アルミナ石が生じる。また、このベルチェリン(+ダイアスポア)岩がさらに変成作用を被ると堅硬緻密な岩石であるエメリーとなる。ベルチェ鉱(Berthierite)もまたPierre Berthierの名を冠する鉱物として知られるが、名前以外にベルチェリンとの関連は無い。

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亜鉛孔雀石 / Rosasite
亜鉛孔雀石 / Rosasite
亜鉛孔雀石 / Rosasite
CuZnCO3(OH)2
静岡県下田市河津鉱山

亜鉛孔雀石は孔雀石に関連した結晶構造を有しており、また亜鉛(Zn)を主成分に含むことから亜鉛孔雀石の和名がついた。学名は模式地であるRosas鉱山(イタリア)から。亜鉛孔雀石は青みを帯びたモコモコとした集合体で出現することが一般的である。銅(Cu)と亜鉛を含む鉱床は日本でも多くあり、その酸化帯に普遍的な二次鉱物として産出してほしいものだが産地は多くない。日本では河津鉱山から最初に見いだされた。ただ、亜鉛孔雀石の銅をさらに亜鉛でおきかえた鉱物(Zincrosasite)が海外で知られている。それをそのまま和訳すると亜鉛亜鉛孔雀石になってしまうので、和名は今となってはカタカナ読みのローザ石としたほうが良いように思う。

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アレガニー石 / Alleghanyite
アレガニー石 / Alleghanyite
アレガニー石 / Alleghanyite
Mn2+5(SiO4)2(OH)2
愛媛県伊方町三崎

アレガニー石はヒューム石族のマンガンヒューム石系列に属する鉱物で、マンガン(Mn)とケイ酸塩基(SiO4)と水酸基(OH)が5 : 2 : 2で構成される。近縁鉱物にはマンガンヒューム石と園石があり、それらはほぼ共通の外観で、組成的な違いも小さいので分析だけではなかなか区別が難しい。ただマンガンヒューム石系列の中ではアレガニー石が最も多産し、次いで園石が続く。同系列ではマンガンヒューム石がもっとも見かける機会が少ない。アレガニー石は赤から紫を帯びた褐色塊としてマンガン鉱石中によく見られる。ほとんどが微細粒で産出し、個体として識別できるような結晶は非常に稀。学名は模式地があるノースカロライナ州のAlleghany郡から。

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カルグーリー鉱 / Kalgoorlieite
カルグーリー鉱 / Kalgoorlieiteカルグーリー鉱 / Kalgoorlieite
カルグーリー鉱 / Kalgoorlieite
As2Te3
北海道札幌市手稲区手稲鉱山

カルグーリー鉱はGolden Mile鉱山(オーストラリア)に近接する鉱山町であるKalgoorlie-Boulderにちなんで名付けられた鉱物で、ヒ素(As)とテルル(Te)からなる鉱物はこのカルグーリー鉱のみである。カルグーリー鉱としての命名は2016年だが、それ以前に手稲鉱山からは未命名の状態ですでに産出があることを聞いていた。よそから出るはずもないとのんびりやっている内に先を越され、慌ててデータを集めて翌2017年に学会で発表したという経緯がある。手稲鉱山では棒状に結晶化した自然テルルの周囲に微結晶としてカルグーリー鉱が伴われている。ぱっと見はどこにいるのかわからないが、切断面を作るとパラパラ伴われていることがわかる。一方でカルグーリー鉱をともなう自然テルルは今のところひとつの岩石からしか見つかっていないと聞いている。

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セリウムチェフキン石 / Chevkinite-(Ce)
セリウムチェフキン石 / Chevkinite-(Ce)
千葉県南房総市

セリウムチェフキン石 / Chevkinite-(Ce)
高知県足摺岬

セリウムチェフキン石 / Chevkinite-(Ce)
Ce4(Ti,Fe2+,Fe3+)5O8(Si2O7)2

チェフキン石の名称はロシアで鉱山技術者を務めたKonstantinVladimirovich Chevkin(1803-1875)にちなんでおり、セリウムチェフキン石は14種の関連鉱物を含めてチェフキン石族の筆頭となっている。たとえば松原石や蓮華石がチェフキン石族に含まれていると聞けば何となく親近感があるだろう。セリウムチェフキン石は日本では千葉県南房総市の凝灰岩と高知県足摺岬の閃長岩から産出が報告されている。いずれも黒色で、なんというかぬらっとした光沢を示す。へき開があってもよさそうな構造をしているが、実際には特に決まった方位は無く、不定形もしくは貝殻状に割れる。

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擬孔雀石 / Pseudomalachite
擬孔雀石 / Pseudomalachite
三重県鳥羽市赤崎

擬孔雀石 / Pseudomalachite
三重県熊野市紀和町大栗須

擬孔雀石 / Pseudomalachite
Cu5(PO4)2(OH)4

擬孔雀石はその字面が示すように孔雀石と紛らわしいために名付けられた鉱物で、学名も同様の意味をもつ。実際はどうかというと、モノによるとしか言いようがない。皮膜状で産出した場合は紛らわしく感じることもあるが、擬孔雀石の集合は孔雀石よりもどこか青みがかる。組成的には擬孔雀石も孔雀石も銅(Cu)を主成分とする点で同じである。しかし、擬孔雀石と孔雀石はそれぞれリン酸塩鉱物と炭酸塩鉱物で、結晶構造もまったく異なっている。擬孔雀石が産出するようだと他のリン酸塩の二次鉱物が期待できる。大栗須ではランタンピータース石(Petersite-(La))という新鉱物が見つかった。

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普通輝石 / Augite
普通輝石 / Augite
宮城県蔵王町刈田岳

普通輝石 / Augite
長野県長野市大岡樋ノ口沢

普通輝石 / Augite
(Ca,Mg,Fe)2Si2O6

普通輝石は安山岩からそれよりやや苦鉄質の火成岩の造岩鉱物として普遍的に含まれている輝石族の鉱物であり、その普遍性により普通輝石と和名がついている。学名のほうはへき開面が強い光沢を示すことに由来しており、輝くという意味のギリシア語が由来となっている。岩石標本は別として、鉱物標本としては分離結晶を探すのがなかなか楽しい。蔵王の御釜を望む刈田岳付近には、マグマ中で結晶化した普通輝石が噴火に伴って無数に散らばっているため、それが容易に採集できる。分離結晶が得られる産地は蔵王にかぎらず、特に長野県には多くの産地が知られている。

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シーゲン鉱 / Siegenite
シーゲン鉱 / Siegenite
シーゲン鉱 / Siegenite
CoNi2S4
群馬県桐生市茂倉沢鉱山

シーゲン鉱はコバルト(Co)とニッケル(Ni)の硫化鉱物であり、スピネル超族の一員に分類される。一方でいわゆるスピネルのようにころころした八面体結晶になることは多くないため、いざ遭遇した時に判別できる自信はまったくない。マンガン鉱床やスカルンに生じることがあり、茂倉沢の標本では特にほかの共生鉱物を伴わずに板状のやや赤みをおびた金属塊としてバラ輝石に包まれていた。学名は模式地が含まれるSiegen地区(ドイツ)から。

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ベトパクダル石 / Betpakdalite-CaCa
ベトパクダル石 / Betpakdalite-CaCa
ベトパクダル石 / Betpakdalite-CaCa
[Ca2(H2O)17Ca(H2O)6][Mo6+8As5+2Fe3+3O36(OH)]
広島県生口島南生口鉱山

ベトパクダル石はカザフスタンのBetpakdala砂漠から見出された二次鉱物で、学名は模式地にちなむ。今となっては含まれる成分によって5種類に細分されており、日本ではカルシウム(Ca)に富む種のみ産出が知られている。ナミビアのツメブ鉱山からはベトパクダル石の肉眼的な八面体の結晶が産出することが知られているが、日本産地である生口島でも世界各国でもベトパクダル石は黄色の粉状集合体として産出する。吹けば飛ぶようなその地味な姿は全く目に留まらない。

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ラベンダー石 / Lavendulan
ラベンダー石 / Lavendulan
広島県生口島南生口鉱山

ラベンダー石 / Lavendulan
鹿児島県屋久島早崎鉱山

ラベンダー石 / Lavendulan
NaCaCu5(AsO4)4Cl·5H2O

ラベンダー石の模式標本はラベンダーのような紫色を示していたことから、ラベンダー石と名付けられた二次鉱物であるが、後年になってその紫色は不純物の影響であることが明らかとなった。そして不純物の少ないラベンダー石はむしろスカイブルーと言えるほどの爽やかな青を示し、紫色などかすりもしない。つまり名づけの根拠を失ってしまった鉱物だが、名前はもはやどうしようないほどに流通している。日本産の標本では自形結晶は認められないがラベンダー石らしいスカイブルーがよく現われている。日本では生口島がながらく唯一の産地であったが、鹿児島県早崎鉱山からも産出することが明らかとなった。。

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ケノ鉄銀四面銅鉱 / Kenoargentotetrahedrite-(Fe)
ケノ鉄銀四面銅鉱 / Kenoargentotetrahedrite-(Fe)
ケノ鉄銀四面銅鉱 / Kenoargentotetrahedrite-(Fe)
Ag6(Cu4Fe2)Sb4S12
兵庫県赤穂市坂越大泊鉱山

いわゆる銀四面銅鉱はもともとfreibergiteという名称で記載されたが、四面銅鉱族の命名規約の成立によって個別の鉱物名としては抹消になってしまった。今ではfreibergiteは族の名称になっている。一方で和名ではfreibergiteをそもそも銀四面銅鉱としていたので、和名が英訳されたかのような名称(argentotetrahedrite)に変更されたことについてむしろスムーズに受け入れられるだろう。ケノ鉄銀四面銅鉱はfreibergite族において、硫黄(S)が一つ欠損し、かつ鉄(Fe)を主成分とする鉱物である。大泊鉱山のいわゆる四面銅鉱を調べる中で見つかった、反射光に青みがおびる微小粒であった。

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セリウム水酸バストネス石 / Hydroxylbastnäsite-(Ce)
セリウム水酸バストネス石 / Hydroxylbastnäsite-(Ce)
セリウム水酸バストネス石 / Hydroxylbastnäsite-(Ce)
Ce(CO3)(OH)
福島県福島市飯坂町庭坂鳥川鉱山

ババストネス石はもともとスウェーデンのBastnäs鉱山で見つかったセリウムとフッ素(F)を主成分とする炭酸塩鉱物で、模式地にちなむ学名となっている。時代が下ると様々な置換関係が知られるようになり、今となってはバストネス石の名を冠する鉱物は合計8種類ある。セリウム水酸バストネス石はその名が示すようにセリウム(Ce)と水酸基(OH)に卓越する。海外では六角板状の結晶が知られているが、日本では褐簾石が変質して生じる粉末として産出することが一般的であろう。褐簾石が普遍的な鉱物であるために、その変質で生じるセリウム水酸バストネス石もまた稀ではないはずだが、その姿のためにおそらくだいぶ見落とされている。

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ウイゼル石 / Wiserite
ウイゼル石 / Wiserite
ウイゼル石 / Wiserite
Mn2+14(B2O5)4(OH)8·(Si,Mg)(O,OH)4Cl
埼玉県秩父市浦山広河原鉱山

ウイゼル石は淡黄色から橙色を呈する繊維状結晶として出現する鉱物で、スイスを模式としながらも海外では産出が非常にまれであり、産地はほとんど日本に集中している。一方で産出はややまれであり、サセックス石(Sussexite)をともなって岩石中に薄く広く含まれる場合も多いため、ぱっと見でわかるウイゼル石を見かける機会は多くない。学名はスイス人鉱物学者のDavid Friedrich Wiser (1802-1878)にちなむ。鉄鉱石ディーラーでもあったWiserは38歳で今でいうところのFIREを達成し、残りの人生を鉱物収集に捧げたと伝わる。

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セピオ石 / Sepiolite
セピオ石 / Sepiolite
セピオ石 / Sepiolite
Mg4Si6O15(OH)2·6H2O
三重県いなべ市大安町石榑北山

セピオ石は絹糸光沢を示す非常に細い針状の結晶として生じ、それが無数に絡み合った姿で産出することが常である。その姿は毛皮のようにも見え、パリゴルスキー石などと共に「山皮(やまかわ)」とも称される。またそのパリゴルスキー石とは外観で区別することはできない。写真のセピオ石はスカルンから産出した。多孔質で軽いことがイカの甲と共通するため、イカを意味するギリシア語(セピオン)から学名が定まった。セピオ石と呼ばれるようになる以前にもいくつかの名称があったとされる。

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白鉛鉱 / Cerussite
白鉛鉱 / Cerussite
秋田県大仙市亀山盛鉱山

白鉛鉱 / Cerussite
和歌山県串本町串本

白鉛鉱 / Cerussite
Pb(CO3)

白鉛鉱は鉛(Pb)を含む鉱床の酸化帯でみられる鉱物で、鉛の二次鉱物としては最も普遍的な鉱物であろう。見ての通り光沢が白いことが特徴となっており、酸化された鉱石の空隙に板状結晶として生じる産状が一般的に思われる。白鉛鉱は粉末にしても絶妙な明るさと反射を示すことから、かつては白粉(おしろい)として顔料にも用いられた。そのため、白粉を意味するラテン語が学名の由来となっている。しかしこのような利用によって多くの鉛中毒が発生した負の側面がある。白鉛鉱は標本として愛でるだけにしておきたい。

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フェロパーガス閃石 / Ferro-pargasite
フェロパーガス閃石 / Ferro-pargasite
フェロパーガス閃石 / Ferro-pargasite
NaCa2(Fe2+4Al)(Si6Al2)O22(OH)2
福岡県宮若市三ケ畑

フェロパーガス閃石はパーガス閃石の二価鉄(Fe2+)置換体となる角閃石である。じつは探していた角閃石でようやく出会えた。この角閃石はスカルン、それもアルミニウム(Al)に富むスカルンからでると思って調べていたが、鉄が多くなるとカリウム(K)また多くなってしまう傾向があった。結果的に友人が拾った石に普通に含まれており、みたところ斑レイ岩である。一部の例外を除いて、二価鉄が主成分である角閃石は学名にフェロを入れることが命名規約で決まっている。

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フッ素エデン閃石 / Fluoro-edenite
フッ素エデン閃石 / Fluoro-edenite
フッ素エデン閃石 / Fluoro-edenite
NaCa2Mg5(Si7Al)O22F2
山口県下関市勝谷

フッ素エデン閃石はエデン閃石の水酸基(OH)をフッ素に置き換えた角閃石であり、これもまた独立の鉱物種として認められている。人工合成によって先にその組成が存在しうることが明らかとなり、次いで天然で見つかったという経緯がある。模式地はイタリアのCalvario山にあり、溶岩を母岩とする。自身の標本では下関市勝谷のアルカリ玄武岩中からフッ素エデン閃石が見つかった。透明感のある茶色の板状結晶が岩石中の空隙にすっと伸びている。フッ素を主成分とする角閃石の学名は、「Fluoro-」を頭に持ってくるルールが命名規約で定まっている。

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フェロエデン閃石 / Ferro-edenite
フェロエデン閃石 / Ferro-edenite
フェロエデン閃石 / Ferro-edenite
NaCa2Fe2+5(Si7Al)O22(OH)2
三重県いなべ市大安町石榑南宇賀渓

フェロエデン閃石はエデン閃石の二価鉄(Fe2+)置換体に相当する角閃石で、エデン閃石と同じくスカルンなどのカルシウム(Ca)交代作用で現れる。ただ(フェロ)パーガス閃石も同じような環境で生じることが多いため、結局は分析してみないことにはわからない。手持ちの標本の中での比較に過ぎないが、宇賀渓のスカルンで生じたフェロエデン閃石はエデン閃石に比べてずっと濃い緑色を示し、ほとんど黒色に近かった。学名はエデン閃石の二価鉄(フェロ)置換体であるため。模式地はカナダのLa Tabatièreにあり、そこでは閃長岩を母岩としている。

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エデン閃石 / Edenite
エデン閃石 / Edenite
三重県鳥羽市菅島

エデン閃石 / Edenite
岡山県新見市大佐山

エデン閃石 / Edenite
NaCa2Mg5(Si7Al)O22(OH)2

エデン閃石はカルシウム角閃石に分類され、スカルンやロジン岩化作用にともなうカルシウム(Ca)交代作用で現れ、ヒスイ輝石岩にも伴われる。同じくカルシウム角閃石であるパーガス閃石とはチェルマック置換の関係にあり、エデン閃石のほうがシリコン(Si)とマグネシウム(Mg)に富む。エデン閃石からナトリウム(Na)とマグネシウム(Mg)をひとつずつ取ってアルミニウム(Al)を一つ加えると苦土普通角閃石になる。エデン閃石は一般にはやや鈍い緑色であるが、菅島では褐色を示していた。一般に角閃石は塁帯構造が著しいことが多いが、写真のエデン閃石はいずれも塁帯構造が少なかった。学名は模式地であるEdenvill(アメリカ)に由来する。

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苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
徳島県徳島市眉山

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
新潟県糸魚川市金山谷

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
三重県伊勢市円座町

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
□Na2(Mg3Fe3+2)Si8O22(OH)2

苦土リーベック閃石は藍閃石から見て三価鉄(Fe3+)に相当する角閃石である。そして、命名規約の命名ルールを厳密に適用した場合はフェリ藍閃石になるが、すでに有名を馳せていたために例外的に苦土リーベック閃石の名乗りが許された。この名称のルーツは日本にあり、徳島県眉山から得られた角閃石が苦土リーベック閃石と呼ばれたことに端を発している。その名称が示すように苦土リーベック閃石はリーベック閃石のマグネシウム置換体でもある。三波川変成帯には結晶片岩の構成鉱物として広く分布するが、眉山のようにその結晶がはっきり見える産地は多くない。また藍閃石よりも藍色が鮮やかに出やすい印象を抱いている。根源名はイツ人探検家・鉱物学者・民俗学者のEmil Riebeck (1853-1885)にちなむ。

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フェロ藍閃石 / Ferro-glaucophane
フェロ藍閃石 / Ferro-glaucophane
フェロ藍閃石 / Ferro-glaucophane
Na2(Fe2+3Al2)Si8O22(OH)2
熊本県八代市東町

フェロ藍閃石は藍閃石から見て二価鉄(Fe2+)置換体となる角閃石であり、これもまたやや高圧の変成岩に出現する。高圧が必要なため世界的に見るとややまれな角閃石であろうか。いずれにしても肉眼的な結晶となることは少ない。八代市で得られるフェロ角閃石の標本は深い青色を呈する片岩として得られる。水にぬれた状態だとほぼ黒となるため雨天では存在が分かりづらい。またその片岩中には微細なヒスイ輝石が散らばっているため見た目以上に割れにくい。

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藍閃石 / Glaucophane
藍閃石 / Glaucophane
藍閃石 / Glaucophane
Na2(Mg3Al2)Si8O22(OH)2
三重県鳥羽市浦村町砥谷海岸

藍閃石は「青色」と「現れる」意味するギリシア語に基づいて学名が定まった角閃石であり、和名もまた独特の青色を藍色と解して藍閃石とされた。しかしぱっと見で藍色でない藍閃石も多いため、色だけを頼りに探すとなかなか見つからない。ただし、藍閃石はやや高圧の変成岩に出現することが多いため、産状を頼りに探すと良いだろう。また薄片下では見事に藍色となるので、それもまた鑑定の手助けとなろうか。二価鉄(Fe2+)置換体のフェロ藍閃石や三価鉄(Fe3+)置換体の苦土リーベック閃石とは連続した組成変化を示し、特に苦土リーベック閃石は藍閃石よりも鮮やかな藍色を呈することがあるので紛らわしい。

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フェロフェリ普通角閃石 / Ferro-ferri-hornblende
フェロフェリ普通角閃石 / Ferro-ferri-hornblende
フェロフェリ普通角閃石 / Ferro-ferri-hornblende
□Ca2(Fe2+4Fe3+)(Si7Al)O22(OH)2
三重県津市白山町福田山ペグマタイト

フェロフェリ普通角閃石は苦土普通角閃石からみて二価鉄(Fe2+)と三価鉄(Fe3+)置換体となる角閃石であるものの、その外観から種を確実に同定することは不可能であろう。ただし、ペグマタイトなどマグネシウム(Mg)に乏しい環境で生じる角閃石はおおむね鉄に富むため、産状は大きなヒントとなるだろう。三重県の福田山ペグマタイトは大きな褐簾石が産出することで名をはせているが、その褐簾石に見間違いやすい鉱物としてこのフェロフェリ普通角閃石がある。こまかく発達したへき開とわずかな緑色が褐簾石とは異なるため、よく観察すれば判別が可能であろう。学名は化学組成が反映されており、根源名については有用鉱物と見間違えられることと尖った形状に由来している。和名は根源名を普通角閃石と呼んだことに始まり、学名と同じく化学組成も反映されている。

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胆礬 / Chalcanthite
胆礬 / Chalcanthite
岡山県久米南町中籾竜山鉱山

胆礬 / Chalcanthite
栃木県日光市足尾町足尾銅山

胆礬 / Chalcanthite
Cu(SO4)·5H2O

胆礬は銅(Cu)の含水硫酸塩鉱物であり、鮮やかな青色を特徴とする。硫化銅鉱床の酸化帯には二次的に生じることが多いが、水溶性であるために仮に生成したとしてもすぐさま消え去ることもまた多く、野外では採集できるタイミングが限定されてしまう。一方で放置された坑道などでは安定した温度と湿度が保たれるため、そこでは胆礬が大きく成長することがある。ただしそれらは塊状かせいぜい繊維状の集合体であり、胆礬が天然で自形結晶として得られることはほとんどない。学名は模式地であるGoslar(ドイツ)にちなむ。和名の由来はよくわからない。

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青鉛鉱 / Linarite
青鉛鉱 / Linarite
兵庫県猪名川町辻ヶ瀬鉱山

青鉛鉱 / Linarite
栃木県日光市湯西川銅蔵鉱山

青鉛鉱 / Linarite
CuPb(SO4)(OH)2

青鉛鉱も銅鉱床の酸化帯でよく見られる含水硫酸塩の二次鉱物であり、主成分には銅(Cu)のほかに鉛(Pb)も含まれている。透明感のある深い青色を呈する板状から柱状の結晶に成長しやすく、結晶は放射状に集合することが多い。兵庫県辻ヶ瀬鉱山は青鉛鉱の美しい結晶が得られる産地として知られる。一方で皮膜状集合に留まる産地も多い。それでもよく見るとどこかしらピリッとした箇所が見つかることがあり、藍銅鉱とは同じ青色系統の鉱物でありながらもそれとは少し違って見える。結晶が小さい場合だと青色は薄くなる。学名は模式地であるLinares(スペイン)にちなみ、和名は青色と鉛を含むことによる。

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藍銅鉱 / Azurite
藍銅鉱 / Azurite
藍銅鉱 / Azurite
Cu3(CO3)2(OH)2
福島県南会津町舘岩鉱山

藍銅鉱はその名の通り鮮やかな藍色を呈する鉱物であり、銅鉱床の酸化帯に二次鉱物としてしばしば産出する。緑色を呈する孔雀石とは主成分を共通にしており、どちらも銅(Cu)の含水(OH)炭酸塩(CO3)の鉱物である。組成上はわずかな違いしかないが色が全く異なることが面白い。藍銅鉱は日本では被膜で生じることが非常に多く、結晶粒としての産出はややまれに思える。結晶として出てきたとしてもそれはどことなく鋭さに欠ける印象があり、ただの丸っこい粒ということも少なくない。炭酸塩鉱物ということもあって酸には弱いので、多湿の環境では成長と融解がせめぎあうのかもしれない。学名は濃青色を意味するペルシア語にちなむ。和名は色と銅を主成分とすることにちなむ。

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鉄重石 / Ferberite
鉄重石 / Ferberite
茨城県城里町高取鉱山

ライン鉱 / Reinite(灰重石の仮晶としての鉄重石)
山梨県牧丘町乙女鉱山

鉄重石 / Ferberite
FeWO4

鉄重石は鉄(Fe)とタングステン(W)を主成分とする鉱物で、手に持ってみると和名の通りズシリと重い。学名は人名に由来しており、ドイツの鉱物学者Moritz Rudolph Ferber (1805-1875)にちなむ。茨城県高取鉱山では亜金属光沢を示す黒色の柱状結晶が束になって石英中に埋没し、ときおりトパーズを伴うことで知られている。また、実験的にはマンガン重石(Hübnerite)と完全固溶体を形成し、鉄重石はしばしばマンガン(Mn)を多く含む。一方でマンガン重石には一般には鉄はあまり多くは含まれない。山梨県乙女鉱山では、灰重石の結晶形を示す鉄重石が知られており、かつては新種と考えられてライン鉱と呼ばれた。鉄重石はタングステンの重要な資源鉱物であり、日本でもかつては盛んに採集された。

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ソーダ雲母 / Paragonite
ソーダ雲母 / Paragonite
ソーダ雲母 / Paragonite

ソーダ雲母 / Paragonite
NaAl2AlSi3O10(OH)2
新潟県糸魚川市青海川

ソーダ雲母は白雲母から見てカリウム(K)をナトリウム(Na)に置き換えた雲母であり、ナトリウムの英名を用いてソーダ雲母と呼ばれる。白雲母の仲間であるからにして、あたりまえに白い雲母である。日本では新潟県糸魚川地域の転石で良い標本が得られる。ソーダ雲母ばかりの転石があるため標本としてものが分かりやすく立派であり、紫色のダイアスポアが伴われるとなお美しい。一方でソーダ雲母と新潟石の両どりをすることはできない。このようなソーダ雲母はすくなからずストロンチウム(Sr)を固溶しており、分配の関係で共存する緑簾石族鉱物(茶色の部分)にはストロンチウムがいきわたらない。ソーダ雲母が消えてぶどう石とダイアスポアが主体となると、緑簾石族鉱物にストロンチウムが入るようになり、それには新潟石が出てくる。学名はその外観が滑石のようにも見えることから、誤解を招くという意味のギリシア語(paragon)にちなんで名づけられている。

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水酸燐灰石 / Hydroxylapatite
水酸燐灰石 / Hydroxylapatite

水酸燐灰石 / Hydroxylapatite
Ca5(PO4)3(OH)
山梨県道志村室久保川

水酸燐灰石はグアノ(糞)の主成分であり、それはリン(P)の需要な資源として盛んに採掘されている。一方でそれは粉に過ぎず、結晶標本としての水酸燐灰石はなかなかお目にかかることが少なく、標本を調べてみるとじつはフッ素燐灰石であることもまた多い。そうした中で室久保川のペグマタイトから産出した燐灰石からはフッ素がほとんど検出されず、水酸燐灰石であることが判明した。六角形の柱状で産出し、透明な皮と黒い中身の二重構造になっているが、黒いところもほんの一皮だけであり、その内部はまた透明になっている。学名は化学組成に基づいており、根源名のapatiteは他の鉱物と形状がまぎらわしかったことから欺くという意味のギリシア語が基になっている。和名は化学組成にちなむ。

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ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
岡山県鏡野町伊茂岡鉱山

ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
山口県美祢市長登鉱山烏帽子坑

ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
静岡県下田市河津鉱山

ウィッチヘン鉱 / Wittichenite
Cu3BiS3

ウィッチヘン鉱は銅(Cu)とビスマス(Bi)の硫化鉱物で、最も典型的にはスカルン鉱床で斑銅鉱鉱石中に不定形塊として生じる。斑銅鉱は高温ではビスマスと結びついた相で安定となるが、温度が低くなると斑銅鉱とウィッチヘン鉱へ分解して産出する。この産状においてウィッチヘン鉱は黄色から青みを帯びた金属塊として産出し、斑銅鉱も時間と共に変色していくため、錆び具合によってはその存在はけっこうわかりにくい。一方で熱水からそのまま生じるウィッチヘン鉱も知られており、それは日本では河津鉱山で見られる。河津鉱山ではウィッチヘン鉱は棒状結晶として石英に埋没しており、石英を割った際に強い光沢を示す棒状の破断面が見られる。また石英の晶洞では青みがかった棒状の集合体として産出することがある。河津鉱山では一見して不明な金属鉱物が多産し、そういったものにインジウム銅鉱のラベルが付くことがあるが、実際に調べてみるとウィッチヘン鉱であることが非常に多かった。学名は模式地のWittichen(ドイツ)にちなむ。

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テルル蒼鉛鉱 / Tellurobismuthite
テルル蒼鉛鉱 / Tellurobismuthite

テルル蒼鉛鉱 / Tellurobismuthite
Bi2Te3
静岡県下田市河津鉱山

テルル蒼鉛鉱は硫テルル蒼鉛鉱の硫黄(S)をテルル(Te)に置き換えた鉱物で、これもまた硫テルル蒼鉛鉱をはじめとした一連の鉱物と共通の外観を示し、へき開面は銀白色に輝く。一方で産状には多少の違いが認められる。テルル蒼鉛鉱は自然ビスマスとは共存せず、自然テルルやヘドレイ鉱と共存するので、それを目安にラベルを書くことになろうか。また、ヘドレイ鉱とは固溶体を一部形成することが知られている。アメリカの複数の産地を模式地とし、化学組成に基づいて学名と和名が定まった。

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生野鉱 / Ikunoite
生野鉱 / Ikunolite
兵庫県朝来市生野鉱山

生野鉱 / Ikunolite
生野鉱 / ikunoite
栃木県日光市足尾銅山

生野鉱 / Ikunoite
Bi4S3

生野鉱は兵庫県生野鉱山から見いだされた日本産の新鉱物で、鉱山名に由来する学名が与えられている。ピルゼン鉱からみてテルル(Te)をすべて硫黄(S)に置き換えた化学組成となっており、結晶構造も共通すると考えられている。一方でピルゼン鉱にはあまり感じられた無かった劈開が生野鉱ではよく発達しており、面で割れることが多い。標本としての面構えが産地によってけっこう異なり、生野鉱山産では銀白色の強い光沢が見えるが、足尾銅山の標本は青みがかる。どちらにせよ自然ビスマスと共存することが多く、硫テルル蒼鉛鉱などほかの同族鉱物はあまり伴われない。

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ピルゼン鉱 / Pilsenite
ピルゼン鉱 / Pilsenite
長野県茅野市金鶏鉱山

ピルゼン鉱 / Pilsenite
岩手県田野畑村田野畑鉱山

ピルゼン鉱 / Pilsenite
Bi4Te3

ピルゼン鉱もまたビスマス(Bi)とテルル(Te)からなるカルコゲナイド鉱物の一種で、ハンガリーのNagybörzsönyから見いだされ、その古名であるDeutsch-Pilsenにちなんで命名されている。分析をすると少量の硫黄(S)が検出されることがあるが、単位格子が積み重なる中でたまに挟まれる硫テルル蒼鉛鉱の層に由来するのかも知れない。表面は黒色から紫色に錆びやすく、破断面では灰鋼色の新鮮な顔を覗かせるものの、劈開性は強くないようで不定形に割れる。こうした特徴から、しばしば共存する硫テルル蒼鉛鉱や都茂鉱との区別は可能だが、ヘドレイ鉱とは区別しがたいことがある。ピルゼン鉱は硫テルル蒼鉛族の中でその産出はとりわけ稀ではないが、日本では限られた地域でしか見ることができない。

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河津鉱 / Kawazulite
河津鉱 / Kawazulite
静岡県下田市河津鉱山

河津鉱 / Kawazulite
河津鉱の合成結晶

河津鉱 / Kawazulite
Bi2Te2Se

河津鉱は静岡県下田市にある河津鉱山から見いだされた鉱物で、模式地に由来した学名が採用された。河津鉱は硫テルル蒼鉛鉱からみて、硫黄(S)をセレン(Se)に置換した化学組成となっており、結晶構造も共通する。そのため両者は肉眼的に区別ができないこまった関係となっている。河津鉱は石英中に埋没した箔状の結晶で産出することが多く、これは自由空間で成長できなかった結果かと思っていたが、石英の晶洞という自由空間で成長した河津鉱の結晶もまたペラペラであり、自形結晶にはなりにくいのかも知れない。試験管内で合成した河津鉱には三方晶系の晶癖が現れる。

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硫テルル蒼鉛鉱 / Tetradymite
硫テルル蒼鉛鉱 / Tetradymite
福岡県香春町三ノ岳

硫テルル蒼鉛鉱 / Tetradymite
静岡県下田市河津鉱山

硫テルル蒼鉛鉱 / Tetradymite
Bi2Te2S

硫テルル蒼鉛鉱はビスマス(Bi)に硫黄(S)とテルル(Te)が結びついた鉱物で、層状に劈開の発達した金属光沢を示す。おおむね塊状で岩石中に胚胎されており、岩石を割った際にしばしば層状の断面が見える。硫テルル蒼鉛鉱の硫黄はセレン(Se)に連続的に置換され、セレンの端成分が河津鉱(kawazulite)である。両者は共存することもあり、外観や物理的性質はほぼ共通なため、分析以外にそれらを区別する方法はないだろう。熱水性金銀鉱床やスカルンから産出し、日本では三ノ岳や河津鉱山が典型的な産地として知られる。海外では四重双晶を成す例が知られており、四連を意味するギリシア語が学名の由来となっている。和名は化学組成から。

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グリュネル閃石 / Grunerite
グリュネル閃石 / Grunerite
グリュネル閃石 / Grunerite
三重県いなべ市宇賀渓

グリュネル閃石 / Grunerite
三重県菰野町宗利谷湯の山鉱山

グリュネル閃石 / Grunerite
□Fe2+2Fe2+5Si8O22(OH)2

グリュネル閃石は単斜晶系角閃石で□Fe2+2Fe2+5Si8O22(OH)2の化学組成を持つ。同じ化学組成ながら異なる構造の角閃石にフェロ直閃石(直方晶型)、プロトフェロ直閃石(プロト型)があり、それらとは同質異像の関係にある。しかし、いずれもほぼ共通の外観と産状を示すため、肉眼での区別はできない。宇賀渓に限らないが、通常はペグマタイトで生じる塊状の鉄かんらん石に伴われて板状から繊維状の形態でグリュネル閃石が産出する。やや厚い板状であればガラス光沢を示す緑褐色で、細くなると絹糸光沢に見える。そして、繊維状のグリュネル閃石にはアモサイト(amosite)という別名があり、それは角閃石系アスベストの代名詞にもなっている。アモサイトの繊維は肺に入ると肺疾患のリスクがあるため、保管するなら密封することが推奨されている。学名はグリュネル閃石をはじめて分析したとされる Emmanuel Ludwig (Louis) Gruner(1809-1883)にちなむ。

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ストロンチウム紅簾石 / Piemontite-(Sr)
ストロンチウム紅簾石 / Piemontite-(Sr)

ストロンチウム紅簾石 / Piemontite-(Sr)
CaSr(Al2Mn3+)[Si2O7][SiO4]O(OH)
長崎県長崎市琴海戸根鉱山

ストロンチウム紅簾石は紅簾石(Piemontite)の二つあるカルシウム(Ca)のひとつをストロンチウム(Sr)に置き換えた鉱物に相当する。模式地がイタリアにあり、イタリア内ではそれなりに産地があるが、そこを除くと海外にはほとんど産地がない。一方で日本は報告がある産地だけでも5-6カ所知られるなど産地が多い。また、わざわざ報告されていないだけで、三波川帯や秩父帯のマンガン鉱床では見かけることが多い。ただし外観からはただの紅簾石マンガンを含む緑簾石と区別は困難であり、ひとつの結晶内の塁帯構造で種をまたぐことも普通にある。いずれも濃い紅色を帯びた柱状もしくは板状結晶として産出し、偏光により強い多色性を示す。学名は化学組成に由来する。二つあるアルミニウム(Al)のひとつが三価マンガン(Mn3+)に置換されるとトウェディル石(Tweddillite)となる。

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輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite
輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite
栃木県日光市足尾銅山

輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite
福岡県香春町三ノ岳横鶴坑

輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite
北海道洞爺湖町有珠山

輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite
Bi2S3

輝蒼鉛鉱はビスマス(Bi)の硫化鉱物で、やや高温の金属鉱床やスカルンにしばしば生じる。実験的には輝安鉱と完全固溶体を形成するが、天然では輝蒼鉛鉱と輝安鉱が固溶体を形成することや共存することはむしろ例外的であろう(→幌別鉱)。そのため共生鉱物から輝蒼鉛鉱であることが類推できることが多く、特に周囲に薄紅がかった自然ビスマスが伴われるようならまず間違いなく輝蒼鉛鉱である。北海道有珠山の噴気孔に生じる輝蒼鉛鉱は高温の状態では従来のものとは結晶構造が異なるとされるが、室温でしばらく放置すると普通の輝蒼鉛鉱の構造に戻ってしまう。輝蒼鉛鉱の反射面は白いことが特徴で、オレンジ~青紫に錆びることがある。学名はビスマスを含むことに由来し、和名はビスマスの和名である蒼鉛と反射面の特徴をあわせた造語となっている。

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島崎石 / Shimazakiite
島崎石 / Shimazakiite
島崎石、武田石、方解石からなる岩石標本

島崎石 / Shimazakiite
上の岩石から切り出した薄片の光学顕微鏡写真(クロスニコル)で、中央の結晶が島崎石

島崎石 / Shimazakiite
島崎石 / Shimazakiite
島崎石の結晶からなる標本

島崎石 / Shimazakiite
Ca2B2O5
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

島崎石は東京大学で鉱床学講座の教授を務めた島崎英彦(b.1939)にちなんで名づけられた鉱物で、カルシウム(Ca)とホウ素(B)と酸素(O)だけからなる単純な化学組成であるが、これまでのところ岡山県布賀鉱山からしか産出が知られてない稀少鉱物である。一般に知られている島崎石の標本は武田石や方解石と混合した岩石標本であり、島崎石の姿を拝むには薄片を光学顕微鏡で観察する必要があるが、ルーペでも観察できる島崎石ばかりからなる結晶質の標本もまた存在する。その標本のなかで島崎石は針状~板状結晶が束に集まった姿となり、側面は強い絹糸光沢を呈する。これはエットリング石族にしばしば見られる外観とも共通するが島崎石と同定された。

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インジウム銅鉱 / Roquesite
インジウム銅鉱 / Roquesite
インジウム銅鉱 / Roquesite
インジウム銅鉱 / Roquesite
CuInS2
静岡県下田市河津鉱山

インジウム銅鉱はレアメタルであるインジウム(In)を主成分に持つ硫化鉱物であり、黄銅鉱からみて鉄(Fe)をインジウムで置き換えた関係となっている。和名は化学組成に基づいているが、学名はフランスの地質学者であるMaurice Roques (1911-1997)にちなむ。世界的にインジウム銅鉱の産地そのものは少なくないが、それは銅鉱石中に微小粒が点在するばかりで肉眼的には不可視な存在であるため、インジウム銅鉱そのものの姿を捉えた写真は非常に少ない。ところが河津鉱山ではインジウム銅鉱ばかりがまとまって産出することがあり、不定形ながらも肉眼的にその存在を捉えることができた。インジウム銅鉱は破断面においては灰色の金属光沢を示し、遠目には黒色の集合体に映る。河津鉱山のインジウム銅鉱には微量のセレン(Se)もまた含まれる。

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逸見石 / Henmilite
逸見石 / Henmilite
逸見石 / Henmilite
Ca2Cu[B(OH)4]2(OH)4
岡山県高梁市布賀鉱山

逸見石は1981年に見いだされた日本産の新鉱物で、岡山県布賀鉱山を模式地としている。布賀鉱山から見いだされた数々のスカルン鉱物の記載に貢献した、岡山大学の逸見吉之助(1919-1997)および逸見千代子(1949-2018)親子にちなんで名付けられた。逸見石は氷砂糖のような結晶形状と深い青色を特徴としている。発見当時は非常に微細でさらに産出が稀な鉱物であったが、後に田邊晶洞と名付けられるホウ酸塩鉱物のポケットから大量に産出したため、今となっては手に入れやすい日本産新鉱物として愛好家に親しまれている。逸見石は銅(Cu)を主成分に持ち、その磁性に注目した物理学的研究が行われた[1]。そのプレスリリース文に逸見石の結晶構造が従来型と異なると記されていたので、さらに別の新鉱物になる可能性があるのかと内容を検討してみた。そして従来型と新型の構造を比較したとき、これらはa軸に沿ってならぶ水素(H)の向きが異なる関係性であった。つまりこれは従来型を-1aと表記したときに、新型は-2aと表記できるポリタイプである。(現時点での)鉱物種の定義からすると、構造が従来型・新型のいずれであっても「種」という単位では「逸見石(Henmilite)」という単独の鉱物種である。

[1] Yamamoto et al. (2021) Quantum spin fluctuations and hydrogen bond network in the antiferromagnetic natural mineral henmilite. Physical Review Materials, 5, 104405.

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単斜末野閃石 / Clino-suenoite
単斜末野閃石 / Clino-suenoite
愛知県設楽町田口鉱山

Clino-suenoite / 単斜末野閃石
三重県伊賀市大山田真泥山田鉱山

単斜末野閃石 / Clino-suenoite
◻(Mn2+2)(Mg5)(Si8O22)(OH)2

単斜末野閃石は枯草色を呈する薄板状結晶が角柱形に集合する姿で産出する、イタリアを模式地として2016年に見いだされた目新しい鉱物である。角閃石の代表的な結晶構造には単斜型、斜方(直方)型、プロト型の三種類があり、同じ化学組成であっても構造によって種が分類される。そしていわゆる末野閃石は◻(Mn2+2)(Mg5)(Si8O22)(OH)2の理想化学組成を持つ角閃石であり、その構造によって単斜末野閃石(Clino-suenoite)、末野閃石(Suenoite: 斜方・直方型)、プロト末野閃石(Proto-suenoite: 未発見)に分けられる。そのために見た目はおろか化学組成分析でも種名を決定できず、構造に由来した特徴も捉える必要がある。そして特定の方位からの透過電子線回折は、それぞれの構造や、互いに混じっているかどうかを絵合わせ的に一発で見分けることのできる有効な手段となっている。昨年(2020年)、田口鉱山を含む愛知県段戸山地域から産出する末野閃石は単斜型であることが組成分析と光学顕微鏡観察によって報告されている[1]。そこで透過電子線回折で確認したところ、他の構造が入り込まない単相の単斜末野閃石であることが確認された。三重県山田鉱山からも産出を確認している。根源名は筑波大学で教授を務めた末野重穂(1937-2001)にちなんで名づけられている。

[1] 丹羽美春 (2020) 愛知県段戸山地域から産出した単斜末野閃石. 豊橋市自然史博物館研報, 30, 47-49.

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シャップバッハ鉱 / Schapbachite
シャップバッハ鉱 / Schapbachite
シャップバッハ鉱 / Schapbachite
シャップバッハ鉱 / Schapbachite
Ag0.4Pb0.2Bi0.4S
静岡県下田市河津鉱山

シャップバッハ鉱はマチルダ鉱(Matildite: AgBiS2)の同質異像となる鉱物で、おおむね220℃を境にしてそれより高温ならシャップバッハ鉱が、低温ならマチルダ鉱が安定となる。そしてシャップバッハ鉱として産出するには、220℃以上の温度から急冷される必要がある。シャップバッハ鉱は方鉛鉱と同じ構造であり、高温では完全固溶体を形成するためにシャップバッハ鉱は常に少量の鉛(Pb)を含む。そのために理想化学組成はAg0.4Pb0.2Bi0.4Sのように設定されている。世界的にみてシャップバッハ鉱が報告された産地は少なくないが、構造まで調べられた例は限られているためにそれらが本当にシャップバッハ鉱であるかは疑わしいとされる(マチルダ鉱が常に疑われる)。実際にオリジナルのシャップバッハ鉱はマチルダ鉱であることが判明したため、鉱物名はいったん取り消された。そして2004年になり別の産地の標本を用いた研究でシャップバッハ鉱の名称が復活した経緯がある。もともとはドイツのSchapbachから見出されたため産地にちなんで名づけられたが、上記の経緯から新しい模式地はSilberbrünnle鉱山(ドイツ)に再設定されている。写真の標本は河津鉱山からのシャップバッハ鉱で、透過電子線回折を用いて同定した。

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メラノフログ石 / Melanophlogite(仮晶)
メラノフログ石 / Melanophlogite
メラノフログ石 / Melanophlogite(仮晶)
C2H17O5·Si46O92
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

メラノフログ石は基本的にはSiO2の鉱物であるが、結晶構造の内部にメタンをはじめ様々なガス分子を内包する天然の包摂化合物でもある。同様の特徴をもつ鉱物に千葉石と房総石が知られ、それらは名前からわかるように千葉県から見出された日本産の新鉱物である。いずれも加熱すると内部のガス分子が炭化して結晶は黒色化する。その性質から、メラノフログ石の学名は過熱すると黒くなるという意味のギリシア語に由来する。メラノフログ石は結晶外形を残したまま石英に変質してしまうことがしばしばあるが、典型的なサイコロ状の四角形結晶は石英では現れない晶癖であるため、四角形結晶の石英を見かけたらそれはかつてのメラノフログ石である可能性が非常に高い。このようなかつてメラノフログ石だった結晶は和歌山県串本町や長野県小谷村から見出されており、秩父鉱山石灰沢でもそうした結晶群が見いだされた。モノとして石英だったが、これはメラノフログ石の標本として扱うことにした。

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モリブデン鉛鉱 / Wulfenite
モリブデン鉛鉱 / Wulfenite
福井県大野市中竜鉱山

モリブデン鉛鉱 / Wulfenite
兵庫県養父市大屋町明延鉱山

モリブデン鉛鉱 / Wulfenite
福島県南会津町舘岩鉱山

モリブデン鉛鉱 / Wulfenite
PbMoO4

モリブデン鉛鉱は鉛(Pb)とモリブデン(Mo)の酸化鉱物で鉱床の酸化帯に二次鉱物として生じる。19世紀中ごろにオーストリアから見いだされ、オーストリアの植物学者・鉱物学者であるFranz Xavier von Wulfen (1728–1805)にちなんで命名された。典型的には黄色から橙色の四~八角形の薄板状結晶として産出するが、棒錘状、犬牙状、針状の形態となることもある。ここでは三カ所からのモリブデン鉛鉱の写真を掲載したが、これらが同じ鉱物とは思えないほど見た目が異なることがある。板状結晶として産出しない場合、モリブデン鉛鉱もまた肉眼鑑定が至難な鉱物であろう。

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デクロワゾー石 / Descloizite
デクロワゾー石 / Descloizite
群馬県沼田市数坂峠

デクロワゾー石 / Descloizite
福岡県宗像市池野鉱山

デクロワゾー石 / Descloizite
PbZn(VO4)(OH)

デクロワゾー石は19世紀にアルゼンチンから見出された古典鉱物で、フランスの鉱物学者であるAlfred Louis Olivier Le Grand Des Cloizeaux(1817-1897)にちなんで命名された。鉛(Pb)と亜鉛(Zn)を主成分とする含水バナジウム酸塩鉱物で、二次鉱物として産出する。日本でもいくつかの産地があり、今となってはもっとも代表的な産地は群馬県数坂峠であろう。ここでは黒色に近いほど濃い茶褐色の爪状結晶が群生する姿で見られる。一方で福岡県池野鉱山では淡いオレンジ色の板状結晶で産出する。図鑑で見る姿も安定せず、所変われば品変わるを体現する鉱物であろう。デクロワゾー石の近縁鉱物は似たような傾向があり、例えばコニカルコ石オリーブ銅鉱ヴァニア石はデクロワゾー石と同じ結晶構造であり、これらもまた産地によって面構えがけっこう異なるために肉眼での鑑定に困る。

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ヘディフェン / Hedyphane
ヘディフェン / Hedyphane

ヘディフェン / Hedyphane
Ca2Pb3(AsO4)3Cl
群馬県沼田市数坂峠

ヘディフェンは19世紀にスウェーデンのLångban鉱山から見出された鉱物で、へき開面が強く輝くことから「美しい」および「出現する」という意味のギリシア語から名付けられた。日本では群馬県数坂峠での産出が知られている。そろばん玉のように中央が膨らんだ六角形の結晶として産出し、白から乳白色を呈する。ヘディフェンは燐灰石超族の一員としてヘディフェン亜族の筆頭に位置付けられており、結晶構造中でイオンサイズの異なる二価陽イオンが2:3の割合で秩序化することがその特徴となっている。ヘディフェン亜族には日本産新鉱物の宮久石((Sr,Ca)2Ba3(PO4)3F)も入っている。

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トパーズ / Topaz
トパーズ / Topaz
滋賀県大津市田上山

トパーズ / Topaz
岐阜県中津川市木積沢

トパーズ / Topaz
三重県四日市市宮妻峡水晶山

トパーズ / Topaz
京都府南丹市園部町埴生

トパーズ / Topaz
茨城県城里町錫高野高取鉱山

トパーズ / Topaz
岐阜県中津川市蛭川田原

トパーズ / Topaz
Al2SiO4F2

トパーズは古代から知られている鉱物であり、呼び名が先行したために学名の由来は今となっては定かでない。和名では黄玉と呼ばれることがあるように黄色を帯びた結晶が知られている。海外の産出例を見ると色のバリエーションは多いが、黄色や青色以外は日本では見かけることがほとんどなく、大多数は無色で産出する。産状は花崗岩ペグマタイトや流紋岩、グライゼンなどが一般的となっている。一方でトパーズは揮発性成分に富んだ高温環境に選択的に出現する鉱物であり、その環境が変化すると不安定となる。そのために結晶には溶けたような様相(蝕像)が残ったり、産出そのものが消滅してしまうこともある。結果的に花崗岩ペグマタイトならどこでも顔を出すという鉱物ではなく、むしろトパーズを産出するペグマタイトのほうが例外的に思える。またトパーズはモース硬度8の指標鉱物であり、これは石英よりも硬いことになるが、へき開が発達しているため方向によっては石英に負けることがある。一方で、岩石中に微細なトパーズが無数に散在する場合だと、その岩石(例えば一部のろう石)はヒスイ輝石岩にも劣らない無類の堅さを発揮する。フッ素(F)を水酸基(OH)で置き換えたトパーズの産出やその合成相も知られているが、それはまだ鉱物種として確立されていない。

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ミアス鉱 / Miassite
ミアス鉱 / Miassite
ミアス鉱 / Miassite
ミアス鉱 / Miassite
Rh17S15
熊本県美里町払川

ウラル山脈南部の東麓を流れるミアス川は古くから砂金・砂白金の産地として知られ、これまでに4種類の白金族鉱物が新鉱物として見いだされている。ミアス鉱はそのうちの一つで、その名が示すようにミアス川から名付けられた。ロジウム(Rh)と硫黄(S)が17:15というユニークな組成を持ち、結晶構造もまたかなり面白い内容となっている。ミアス鉱は砂白金の包有物として産出するためにその姿は研磨片でしか拝むことができなかったが、熊本の砂白金の調査の過程で未加工のミアス鉱を写真に捉えることができた。その姿は強い光沢を示す黒色で、肉眼的にはラウラ鉱やエルリッチマン鉱とほぼ共通するということが判明した。

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砒ロジウム鉱 / Rhodarsenide
砒ロジウム鉱 / Rhodarsenide
砒ロジウム鉱 / Rhodarsenide
砒ロジウム鉱 / Rhodarsenide
RhAs2
北海道羽幌町愛奴沢川

砒ロジウム鉱は白金族元素のロジウム(Rh)とヒ素(As)を主成分とする鉱物で、南東ヨーロッパの一国であるセルビア共和国を模式地として、化学組成に基づいて学名が定められた。単独で産出することのない鉱物で、いわゆる砂白金の内部に包有される産状を示す。そもそも産出自体が非常に稀な鉱物であるが、それでも北海道の砂白金にはそれなりに伴われることが分かってきて、ようやくその姿を写真で捉えることができた。砒ロジウム鉱はやや黄色を帯びた銀色の金属で、イソフェロプラチナ鉱とルテニイリドスミンの境界に伴われていた。

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スペリー鉱 / Sperrylite
スペリー鉱 / Sperrylite
スペリー鉱 / Sperrylite
PtAs2
熊本県美里町払川

スペリー鉱はプラチナ(Pt)二砒化物となる化学組成を持つ黄鉄鉱族の鉱物で、主にカナダとロシアのニッケル硫化物鉱床から産出する銀白色に輝くコロっとした結晶が有名であろう。スペリー鉱は日本では砂白金として得られることがあり、写真は全体がほぼスペリー鉱で覆われている(輝いている箇所はエルリッチマン鉱)。微細な結晶粒が集合し、さらには川ずれによってやや摩耗しているため、日本産のスペリー鉱は海外産の標本とは似ても似つかない姿であった。学名はザドベリー(カナダ)の鉱山会社に勤務していた化学者のFrancis Louis Sperry (1861-1906)にちなんで命名されている。Sperryはスペリー鉱の模式標本を提供したと伝わる。

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蓮華石 / Rengeite
蓮華石 / Rengeite
蓮華石 / Rengeite
蓮華石 / Rengeite
蓮華石 / Rengeite
Sr4Ti4ZrO8(Si2O7)2
岡山県新見市大佐山

蓮華石はペリエル石超族の下位分類であるチェフキン石族の一員となる鉱物であり、新潟県糸魚川地域のヒスイ輝石岩転石から発見され、ヒスイ輝石岩をもたらした蓮華帯にちなんで命名されている。その蓮華帯の延長に相当する地に岡山県大佐山が知られており、このたび大佐山のヒスイ輝石岩からも蓮華石が産出することが判明した。大佐山ではルチルを伴う角閃石脈からやや離れた箇所に黒色の小塊としてぽつんと蓮華石が現れる。その小塊はチタン石をまとい、切断すると産状がよくわかる。ややロジン岩化が進行した箇所からは黒色を呈する蓮華石の柱状結晶も見いだされている。大佐山のヒスイ輝石岩は古くから有名で、関連研究も様々あるために調べつくされていると思っていたが、手を出してみれば蓮華石のほかに松原石、タウソン石、セリウムトルネボム石も同時に見いだされるなど、予想外に未開拓な部分が残っていた。2021年の鉱物科学会で報告する予定で講演要旨を提出したところ。

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松原石 / Matsubaraite
松原石を伴うルチル
松原石 / Matsubaraite
松原石 / Matsubaraite
松原石 / Matsubaraite
松原石 / Matsubaraite
Sr4Ti5O8(Si2O7)2
岡山県新見市大佐山

松原石は国立科学博物館で地学部長を務めた松原聰(1946-)にちなんで命名されたペリエル石超族チェフキン石族の一員となる鉱物で、蓮華石から見るとジルコニウム(Zr)をチタン(Ti)に置き換えた理想化学組成を持つ。松原石はこれまで新潟県糸魚川地域のヒスイ輝石岩転石からのみ産出が知られる鉱物であったが、岡山県大佐山のヒスイ輝石岩からも松原石の産出を確認した。大佐山の松原石は、ヒスイ輝石岩中の角閃石脈に伴われるルチル(一枚目)の裂傷を満たすように無数に生じている(二、三枚目)。しかし、無色透明であるために同じ個所を拡大して撮影しても存在を認識できない(四枚目)。写真で所在がわからないのはすこし残念だが、このような褐色ルチルにはほぼ必ず松原石が伴われるという頼もしさがあり、電子顕微鏡下では簡単に見つかる。松原石の産出は大佐山が世界でも二例目となるが、従前の松原石には知られていない斜方(直方)晶系の構造となっていた。

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タウソン石 / Tausonite
タウソン石 / Tausonite
タウソン石 / Tausonite
タウソン石 / Tausonite
タウソン石 / Tausonite
タウソン石 / Tausonite
SrTiO3
岡山県新見市大佐山

タウソン石はイルクーツク市(ロシア)にある地球化学研究所で所長を務めたLev Vladimirovich Tauson(1917-1989)に因んで命名された灰チタン石超族の鉱物で、灰チタン石(perovskite: CaTiO3)のストロンチウム置換体(SrTiO3)にあたる世界的な稀産種である。日本では新潟県糸魚川地域のヒスイ輝石岩から産出が報告されており、大佐山ヒスイ輝石岩からもタウソン石が産出した。ルチル+チタン石集合の周囲をぐるっと取り囲むように多数のタウソン石が生じており、ルーペでは厳しいが、実体顕微鏡であればその姿を捉えることができる。結晶は淡い桃色が多いものの、やや紅色が強く出ることもある。形状は不定形が多く、断面からは12面体の結晶もあることがうかがえた。破断面の強い光沢はしばしば共存するジルコンと見間違えやすいが、タウソン石は紫外線で蛍光を示さないので区別できる。

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セリウムトルネボム石 / Törnebohmite-(Ce)
セリウムトルネボム石 / Törnebohmite-(Ce)
セリウムトルネボム石 / Törnebohmite-(Ce)
Ce2Al(SiO4)2(OH)
岡山県新見市大佐山

セリウムトルネボム石は接触変成を受けた石灰岩が主体のBastnäs鉱山(スウェーデン)を模式地とする稀元素鉱物で、スウェーデンの地質学者であるAlfred Elis Törnebohm (1838-1911)にちなんで命名された。その産地は北欧に集中しており、特殊な地質環境が要求されるのかもしれない。日本ではこれまで報告がなかったが、このたび岡山県大佐山のヒスイ輝石岩からセリウムトルネボム石が見出された。角閃石脈中に淡い緑黄色を呈する板状の集合体で産出し、核(コア)にモナズ石または褐簾石が見られることがある。ヒスイ輝石部にも産出するが、その場合はコア鉱物が主体で、セリウムトルネボム石は薄い反応縁に過ぎないため肉眼的にはコア鉱物のみと見える。

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マンガノヘルネス石 / Manganohörnesite
マンガノヘルネス石 / Manganohörnesite
マンガノヘルネス石 / Manganohörnesite
Mn2+3(AsO4)2·8H2O
佐賀県厳木町厳木鉱山

マンガノヘルネス石は藍鉄鉱族の一員となる鉱物で、二価マンガン(Mn2+)を主成分とする含水ヒ酸塩鉱物である。珍しい元素を主成分とするわけではないが世界的に見ても稀産となっている。マンガノヘルネス石は無色透明な板状結晶が放射状に集合した姿になりやすく、いったん産出するとそういった形状ばかりがみられる。ただしこういった姿は他のマンガン含水ヒ酸塩鉱物でも頻出する。そのため見分けが難しいことが稀産種となっている理由のひとつかもしれない。学名はヘルネス石(Hörnesite: Mg3(AsO4)2·8H2O)の二価マンガン(マンガノ)置換体であるためで、ヘルネス石そのものはインペリアル自然史博物館(オーストリア)のMoriz Hörnes(1815-1868)にちなむ。

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ソーダエリオン沸石 / Erionite-Na
ソーダエリオン沸石 / Erionite-Na
ソーダエリオン沸石 / Erionite-Na
Na10[Si26Al10O72]·30H2O
長崎県壱岐島長者原

エリオン沸石は1898年に記載された古典的な沸石族の鉱物で、羊毛のような外観であったことから羊毛を意味するギリシア語をもとに学名が定められた。このエリオン沸石は今の分類ではナトリウムを主成分とするソーダエリオン沸石であり、今となってはカルシウム(Ca)とカリウム(K)を主成分にする種も存在する。ただしこれらうちソーダエリオン沸石は最も稀産で、日本では長者原が唯一の産地だと思われる。針状結晶となりやすく、杏仁状組織の空洞でソーダレビ沸石の表面を覆う産状が知られているものの、ソーダエリオン沸石だけが集まって棒状になった姿もまた見られる。

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ギスモンド沸石 / Gismondine
ギスモンド沸石 / Gismondine
佐賀県唐津市鎮西町打上

灰ギスモンド沸石 / Gismondine-Ca
灰ギスモンド沸石 / Gismondine-Ca
福島県飯館村佐須

ギスモンド沸石 / Gismondine
Ca2(Si4Al4)O16·8H2O

海外の標本を見ると灰ギスモンド沸石は典型的には八面体結晶のようだが、日本産の標本でその姿はちょっと見たことがない。日本産の標本はザクザクという印象で、三角形の面だけ強調された板状結晶がまばらにまたは密に集まった集合体となっている。学名はイタリアの鉱物学者であるCarlo Giuseppe Gismondi (1762-1824)にちなんで1817年に命名されている。灰十字沸石をしばしば密接に伴い、灰ギスモンド沸石と混合した集合はかつて新種と誤認されてZeagoniteという名称が与えられた(後に抹消)。なお本鉱は2021年まではサフィックスのつかないただのギスモンド沸石であったが、2021年にストロンチウムギスモンド沸石が承認されたことを受けて灰ギスモンド沸石へと改名された。

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ブルグナテリ石 / Brugnatellite
ブルグナテリ石 / Brugnatellite
ブルグナテリ石 / Brugnatellite
Mg6Fe3+(CO3)(OH)13·4H2O
愛知県新城市吉川鉱山

ブルグナテリ石はPavia大学(イタリア)で鉱物学の教授を務めたLuigi Valentino Brugnatelli(1859-1928)にちなんで1909年に命名された鉱物で、ハイドロタルク石超族の一員に位置付けられている。蛇紋岩に典型的に伴われる鉱物であり、吉川鉱山では透明感のあるオレンジ色を呈する微細な鱗片状結晶として産出した。写真には乳白色のブルース石くらいしか共生鉱物は見えていないが、ブルグナテリ石よりも強いX線回折ピークが出るほど多量の舎利塩が伴われている。なお、作成時に多量の水をつかう薄片では舎利塩は消失して検出されない。薄片観察から始め、次いでX線パターンをみると、極めて矛盾する結果となるため混乱したことがある。

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イットリウムピータース石 / Petersite-(Y)
イットリウムピータース石 / Petersite-(Y)
滋賀県湖南市灰山

イットリウムピータース石 / Petersite-(Y)
三重県熊野市紀和町大栗須

イットリウムピータース石 / Petersite-(Y)
Cu6Y(PO4)3(OH)6·3H2O

イットリウムピータース石はニュージャージー州(アメリカ)にある採石所から見いだされた鉱物で、ニュージャージー州からの鉱物の研究に貢献したアメリカ自然史博物館の学芸員であるThomas A. Peters (1947-)およびJoseph Peters (1951-)兄弟にちなんで命名された。翠緑色や黄緑色を呈する小さな六角柱状結晶を典型的な姿とし、放射状に集合することが多い。銅を含む酸化帯に現れるミクサ石族鉱物であり、特にアガード石とは共存することがある。希元素鉱物であるピータース石にはイットリウム(Y)、セリウム(Ce)、そしてランタン(La)を主成分にもつ種類が知られており、それらがすべて産出する国はいまのところ日本のみである。

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ソーダ沸石 / Natrolite
ソーダ沸石 / Natrolite
千葉県南房総市丸勝石産採石場

ソーダ沸石 / Natrolite
愛媛県四国中央市関川

ソーダ沸石 / Natrolite
Na2(Si3Al2)O10·2H2O

ソーダ沸石はナトリウム(Na)を主成分とする石という意味のギリシア語で名付けられた沸石で、和名ではナトリウムの英名である「ソーダ」を冠して呼ばれている。四角柱状の細長い結晶がピラミッド型に閉じる姿が典型で、凝灰岩や玄武岩~安山岩の晶洞にこういった結晶がしばしば放射状に集合する。また、高圧型の変成岩ではソーダ沸石岩と呼べるほど集合することがあり、愛媛県関川や新潟県姫川などでは稀にソーダ沸石岩の転石が見られるものの、その露頭は見つかっていない。同質異像にゴンナルド沸石がある。またソーダ沸石は中沸石スコレス沸石とは同じ結晶構造であり、本来ならそれらは一つの根源名でまとめられるべきであったが、この三種は固溶体を形成しない。そのため沸石超族の命名規約では分類ルールの第一項として、ソーダ沸石、中沸石、スコレス沸石については独立の根源名を与えると宣言された。

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バクダット石 / Baghdadite
バクダット石 / Baghdadite
バクダット石 / Baghdadite
バクダット石 / Baghdadite
Ca3Zr(Si2O7)O2
岡山県高梁市備中町布賀北露頭

バグダット石はイランの首都バグダット市にちなんで命名された鉱物であるが、模式地はバグダット市があるバグダット県とは隣り合ってもいないスレイマニヤ県にある。当地のバグダット石はゲーレン石に包有される100μm程度の粒で産出するが、日本では岡山県布賀から数cmに成長したバグダット石が産出することで注目された。今のところ世界で最も大きなバグダット石を産出した産地ではないだろうか。それは石灰岩に埋もれた淡い茶色の塊であるが、短波長の紫外線で強烈な黄色の蛍光を示す特徴がある。

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パリゴルスキー石 / Palygorskite
パリゴルスキー石 / Palygorskite
パリゴルスキー石 / Palygorskite
パリゴルスキー石 / Palygorskite
(Mg,Al)2Si4O10(OH)·4H2O
三重県南伊勢町村山

パリゴルスキー石は白色から乳白色を示す繊維状の結晶が絡み合った姿で産出することが非常に多く、その様が皮にも見えることから山皮(マウンテンレザー)と呼ばれる。ただし皮のように頑丈ではなく引っ張ると簡単にちぎれる。ちぎれた部分はふわふわしており、さわるとやわらかい。マグネシウムを含むケイ酸塩鉱物が変質することで生成し、その母岩は様々あるものの、岩石中の裂傷を埋めるように産出することが多い。砕石所などでは母岩から外れて落ちたパリゴルスキー石の塊が落ちていることがあり、水たまりに浮いていることもある。学名は模式地であるPalygorskaya(ロシア)にちなむ。

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ラウラ鉱 & エルリッチマン鉱 / Laurite & Erlichmanite
ラウラ鉱 & エルリッチマン鉱 / Laurite & Erlichmanite
熊本県美里町払川

ラウラ鉱 / Laurite
RuS2

エルリッチマン鉱 / Erlichimanite
OsS2

ラウラ鉱とエルリッチマン鉱はそれぞれルテニウム(Ru)とオスミウム(Os)の二硫化物という組成をもつ鉱物で、いずれも黄鉄鉱と同じ結晶構造となっている。どちらも砂白金鉱床にはふつうにみられるために産地は非常に多い。しかしながら単独の粒として得られることはめったになく、ほとんどの場合で砂白金の内部に包有されて産出する。そのためラウラ鉱とエルリッチマン鉱は産地は多くともその姿を知る者がほとんどいないという鉱物であったが、熊本県払川ではそれらが見えている砂白金粒が採集できる。写真の標本はイソフェロプラチナ鉱であるが、黒色で強く輝く互いに接した二つの粒を持っている。小さいほうがラウラ鉱で、大きいほうがエルリッチマン鉱。肉眼的に区別はできないが、統計的にはエルリッチマン鉱の場合が多かった。ともかくこのように見えているラウラ鉱やエルリッチマン鉱は世界的に非常に珍しい。学名についてラウラ鉱はなかなか珍しい由来となっている。ラウラ鉱は、発見者(F. Wöhler)の友人であるCharles A. Joy(コロンビア大学の化学者)の妻Laura R. Joyへの賛辞として名付けられた。エルリッチマン鉱についてはNASAの電子顕微鏡アナリストであるJozef Erlichman (1935 – )にちなむ。いずれも由来が人名なので、和名はその読みのままとしたい。

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ベリル / Beryl
ベリル / Beryl
岐阜県中津川市福岡鉱山

ベリル / Beryl
京都府亀岡市行者山

ベリル / Beryl
佐賀県佐賀市富士町杉山

ベリル / Beryl
福岡県福岡市西区今宿長垂山

ベリル / Beryl
茨城県石岡市仏生寺

ベリル / Beryl
Be3Al2Si6O18

ベリルは古代から存在が認識されている鉱物で、古くからの呼び名がそのまま学名となったようで正確な起源をたどることが困難になっているが、ギリシア語で青緑の石を意味するBeryllosが由来である可能性が考えられている。明治37年発行の日本鉱物誌には「緑柱石 又 瑠璃」として紹介されており、その名が示すように柱状結晶で産出することが多く、色も青や緑色を示すことがある。しかし色に関しては無色透明であることも多く、黄色やピンク色系統も発現することがある。そのせいか最近では緑柱石ではなく学名のカタカナ読みのベリルを耳にする機会が多い。ペグマタイトを典型的な母岩とし、産地は多い。苗木地方ではバートランド石を伴うことがある。

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リーブス石 / Reevesite
リーブス石 / Reevesite
リーブス石 / Reevesite
Ni6Fe3+2(CO3)(OH)16·4H2O
三重県鳥羽市菅島

リーブス石はハイドロタルク石超族の下位分類にあたるハイドロタルク石族の一員で、ニッケル(Ni)と三価鉄(Fe3+)を主成分とする炭酸塩鉱物である。見た目の通り二次鉱物で、蛇紋岩のすきまにやや鈍い黄色を呈する細かい鱗片状の結晶が集合して産出する。ただしあまりに細かいために実体顕微鏡なしにはただの黄色い粉にしか見えない。模式地はWolfe Creek隕石クレータ(オーストラリア)であり、世界初のリーブス石は地球に落下した後に風化・変質した隕石の中から発見された。学名はこの隕石を発見したFrank Reeves(1886-1986)にちなむ。同じハイドロタルク石族の一員にはデソーテルス石(Desautelsite)が知られる。

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ガレノビスマス鉱 / Galenobismutite
ガレノビスマス鉱 / Galenobismutite
ガレノビスマス鉱 / Galenobismutite
PbBi2S4
山梨県北杜市白州町鞍掛鉱山

ガレノビスマス鉱は方鉛鉱(Galena:PbS)+輝蒼鉛鉱(Bithmuthinite:Bi2S3)の理想化学組成を持ち、それぞれの学名を合わせて命名された。ガレノビスマス鉱の化学組成にもう一つ方鉛鉱を加えるとコサラ鉱の理想化学組成になる。そのためか、コサラ鉱がいると近くにはガレノビスマス鉱がしばしば伴われる。しかし外観で区別は難しいように感じる。またコサラ鉱は少量の銅(Cu)もしくは銀(Ag)を必ず含むが、共存する場合でもガレノビスマス鉱には銅や銀はほとんど含まれない。写真の左上の針状結晶の束はコサラ鉱で、全体を覆う白色粉は硫酸鉛鉱。

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コサラ鉱 / Cosalite
コサラ鉱 / Cosalite
山梨県北杜市白州町鞍掛鉱山

コサラ鉱 / Cosalite
福島県いわき市八茎鉱山

コサラ鉱 / Cosalite
Pb2Bi2S5

コサラ鉱は19世紀の中ごろにメキシコのCosalá鉱山から見出された鉱物で、典型的に鉛灰色の針状結晶として産出する。産地の稀な珍しい鉱物ということではないが、目で見てわかる大きさのコサラ鉱となると日本では珍しいかもしれない。コサラ鉱は鉛(Pb)とビスマス(Bi)を主成分とする硫化鉱物だが、必ず少量の銅(Cu)もしくは銀(Ag)を含有し、それらは必須成分であると考えられている。写真の標本だと銀を少量含んでいた。

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グラトン鉱 / Gratonite
グラトン鉱 / Gratonite
グラトン鉱 / Gratonite
Pb9As4S15
青森県平川市碇ケ関湯ノ沢鉱山

グラトン鉱はハーバード大学(アメリカ)で資源地質学の教授を務めたLouis Caryl Graton (1880-1970)にちなむ鉱物で、ペルーを模式地とする。日本では青森県湯ノ沢鉱山から1984年に見いだされた。鉛(Pb)とヒ素(As)の硫化鉱物であり、暗い鉛灰色の棒状結晶として産出する。同じく鉛とヒ素の硫化鉱物であるヨルダン鉱とは結晶構造の一部が共通しており、結晶だけ見るとそれらは非常によく似るため区別することは難しい。グラトン鉱はヨルダン鉱よりも低い温度で出現すると考えられている。

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砒四面銅鉱 / Tennantite
亜鉛砒四面銅鉱 / Tennantite-(Zn)
秋田県大館市釈迦内鉱山(亜鉛砒四面銅鉱)

亜鉛砒四面銅鉱 / Tennantite-(Zn)
青森県平内町茂浦(亜鉛砒四面銅鉱)

銅砒四面銅鉱 / Tennantite-(Cu)
北海道札幌市手稲鉱山(銅砒四面銅鉱)

亜鉛砒四面銅鉱 / Tennantite-(Zn)
Cu6(Cu4Zn2)As4S13

銅砒四面銅鉱 / Tennantite-(Cu)
Cu6(Cu4Cu2)As4S13

砒四面銅鉱は砒四面銅鉱シリーズの総称であり、そのうち亜鉛(Zn)を主成分とする場合だと亜鉛砒四面銅鉱という鉱物種となる。現時点で、そのほかに鉄(Fe)、銅(Cu)、水銀(Hg)を主成分とする種が知られている。銅砒四面銅鉱についてはペルー産の新鉱物として2021年に承認されたばかりである。実はそれに先立って手稲鉱山からも硫砒銅鉱に埋没する産状で銅砒四面銅鉱をみつけていたのだが、小さいので手も足も出なかった。ともかくこれでようやくラベルが書ける。いわゆる砒四面銅鉱はアンチモン(Sb)を主成分とする四面銅鉱から見るとそのヒ素(As)置換体に相当する。そのことから和名においては便宜性のために砒四面銅鉱と呼んでいるが、根源名は人名に由来する。根源名は元素としてのイリジウム(Ir)やオスミウム(Os)を発見したイギリス人化学者のSmithson Tennant(1761-1815)に因んで1819年に定まった。砒四面銅鉱は四面銅鉱族の一員であるからにして、その結晶はやはり四面体を基本とした形状となりやすい。四面銅鉱やシリーズ内の種とは固溶体によって化学組成が連続的に変化するため、一つの結晶に複数の鉱物種が存在することがある。

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四面銅鉱 / Tetrahedrite
亜鉛四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Zn)
秋田県大館市花岡鉱山(亜鉛四面銅鉱)

鉄四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Fe)
鉄四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Fe)
北海道札幌市手稲鉱山(鉄四面銅鉱)

鉄四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Fe)
愛媛県新居浜市別子鉱山(鉄四面銅鉱)

亜鉛四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Zn)
Cu6(Cu4Zn2)Sb4S13

鉄四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Fe)
Cu6(Cu4Fe2)Sb4S13

四面銅鉱は16世紀には存在が知られていた鉱物で、四面体(tetrahedron)の結晶で出現することに因んで19世紀中ごろに名付けられた。和名はさらに化学組成も反映させている。いわゆる四面銅鉱は多様な化学組成を示し、一般にその置換関係も複雑であり、そのややこしさは角閃石にも通じる。そのために四面銅鉱のことを「硫化物角閃石(sulfide amphibole)」と言及した論文がある。ごく最近になって四面銅鉱族の命名規約が整備され、個々の鉱物種の上段にシリーズ名が設けられた。そのため今となってはたんに四面銅鉱というとシリーズに入る鉱物の総称であり、個々の鉱物としては亜鉛(Zn)、鉄(Fe)、水銀(Hg)の種類が知られている。写真は亜鉛四面銅鉱と鉄四面銅鉱であり、一般には亜鉛四面銅鉱のほうが産出例は多いと言われている。

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コーク石 / Corkite
コーク石 / Corkite
コーク石 / Corkite
PbFe3+3(SO4)(PO4)(OH)6
京都府京都市右京区御室

明礬石超族のうちのビューダン石族は、硫酸基(SO4)に加えてもう一つリン酸基(PO4)もしくはヒ酸基(AsO4)をもつ鉱物のまとまりで、コーク石もそのうちの一種として知られる。ヒ酸基をもつビューダン石から見て、そのリン酸基置換体がコーク石となる。一般には鉛を含む鉱床の酸化帯で見つかることのある鉱物だが、写真のコーク石は珍しいことにペグマタイトの空隙に生じていた。黄色で板状の結晶がコーク石で、球状に集合した黒色の針鉄鉱を伴っている。学名は模式地が所属するコーク郡(アイルランド)に因んで命名されている。

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アントワン石 / Anthoinite
アントワン石 / Anthoinite
アントワン石 / Anthoinite
AlWO3(OH)3
京都府和束町石寺

アントワン石はコンゴ共和国で見いだされたアルミニウムを主成分とする含水タングステン酸塩鉱物で、学名はベルギーの鉱山技師である Raymond Anthoine(1888-1971)にちなむ。遷移金属元素を含まず、白色の粉末を押し固めたような姿で産出することが典型。灰重石の変質で生じるため広く分布がありそうだが、今のところ世界的に見ても稀産の部類であろう。ただし、それは白色の粉末という姿で産出するためにあまり興味を持たれず見過ごされているだけかもしれない。和束ではエムポロロ石を伴うことが報告されていたが、この標本からはそれは検出されなかった。偏りがあるのかもしれない。

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鉄重石華 / Hydrokenoelsmoreite
鉄重石華 / Hydrokenoelsmoreite
鉄重石華 / Hydrokenoelsmoreite
(□,Na,H2O)2(W,Fe3+,Al)2(O,OH)6·H2O
京都府和束町石寺

鉄重石華はパイロクロア超族の一員でエルスモア石族に分類される。かつてはferritungstiteという学名であったが命名規約の変更で今の長い学名が定まった。今の学名の根源名は模式地であるElsmore鉱山(オーストラリア)に由来するが、和名はそのまま変える必要はないだろう。水を多く含むタングステン酸塩鉱物で、鉄も多く含まれるためおおむね黄色に染まる。そして多くの場合で黄色い粉の集合として産出する。石寺では結晶として産出することがあり、それは非常に小さいが透明な八面体であった。

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黄粉銀鉱 / Xanthoconite
黄粉銀鉱 / Xanthoconite
黄粉銀鉱 / Xanthoconite
黄粉銀鉱 / Xanthoconite
Ag3AsS3
北海道千歳市美笛千歳鉱山

黄粉銀鉱は粉もしくはその条痕色が黄色を呈することから、粉および黄色を意味するギリシャ語にちなんで名付けられた鉱物で、和名もその意味を踏襲している。その結晶は大きいと紅色を帯びるものの、薄い小さいものほど橙から黄色となる。淡紅銀鉱とは同質異像の関係にあり、淡紅銀鉱の場合だと粉になっても紅色を保つ。そのため黄粉銀鉱とは条痕色を比べることで確実に鑑定できる。物質的には低温相(淡紅銀鉱)および高温相(黄粉銀鉱)の関係性であり、180-200℃程度にその境界が存在する。

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ニッケル孔雀石 / Glaukosphaerite
ニッケル孔雀石 / Glaukosphaerite
ニッケル孔雀石 / Glaukosphaerite
ニッケル孔雀石 / Glaukosphaerite
CuNi(CO3)(OH)2
愛知県新城市中宇利鉱山

ニッケル孔雀石の学名は青緑色の球体という意味のギリシャ語に由来し、ニッケル(Ni)と銅(Cu)を主成分とした含水炭酸塩鉱物である。典型的にはその名の由来通り緑色系統の球体として産出するが、集合体が小さい場合だと黄色みが強く出てくる。細かいところを除けば孔雀石とはおおむね共通の結晶構造となっていることから、和名においてはニッケル孔雀石となっている。しかし孔雀石の銅をすべてニッケルに置換したNullaginiteという鉱物がすでにあり、日本ではまだ見つかっていないがもし見つかった際は和名があまり適切ではなくなってしまうかもしれない。

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ブロック石 / Brockite
ブロック石 / Brockite
ブロック石 / Brockite
(Ca,Th,Ce)(PO4)·H2O
福島県石川町野木沢地域

ラブドフェン族の鉱物は一般に希土類元素に卓越するが、希土類元素よりもカルシウム(Ca)のほうが多い種類が存在し、それがブロック石である。アメリカ地質調査所のMaurice R. Brockに因んで命名された。日本では福島県石川町の北部にある野木沢地域から、まるで高野豆腐のような質感で産出する。ただしこれは仮晶であり、元の鉱物はトール石だったと思われる。実際にトール石が内部に残存していることがある。こういった外観の仮晶はかつて野木沢石や粟津石などと呼ばれた。

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ハッチンソン鉱 / Hutchinsonite
ハッチンソン鉱 / Hutchinsonite
ハッチンソン鉱 / Hutchinsonite
TlPbAs5S9
北海道洞爺湖町洞爺(財田)鉱山

ハッチンソン鉱もまたタリウム(Tl)を主成分とする稀産の鉱物で、日本では洞爺(財田)鉱山で見つかっている。ぱっと見は黒色であるが、浮いた箇所に紅色が見えることからわかるように本来の色(自色)は濃い紅色である。英語ではこの色をスカーレットヴァーミリオン(Scarlet-vermillion)と言ったりする。断面はダイアモンド光沢を示すので硬そうな印象を受けるが、実際は爪でも傷がつくほどもろい。洞爺(財田)鉱山では周囲にロランド鉱を伴っていた。学名はケンブリッジ大学(イギリス)で鉱物学の教授を務めたArthur Hutchinson (1866-1937)にちなむ。

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ロランド鉱 / Lorándite
ロランド鉱 / Lorándite
ロランド鉱 / Lorándite
TlAsS2
北海道洞爺湖町洞爺(財田)鉱山

ロランド鉱は北マケドニア共和国から見出されたタリウム(Tl)を主成分に持つ硫ヒ化鉱物で、ハンガリーの物理学者であるLoránd Eötvös (1848-1919)に因んで命名された。ロランド鉱は赤色の板状結晶として産出し、その姿はしばしば共存する鶏冠石と見分けがつかない。ただし鶏冠石とは違い、光に触れる環境で放置しても光沢は変わらない点で長期的には見分けがつくかもしれない。北海道洞爺(財田)鉱山から見つかったロランド鉱も鶏冠石とよく似ているが、周囲には紅が濃すぎてほぼ黒塊に見えるハッチンソン鉱が伴われる。

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菱亜鉛鉱 / Smithsonite
菱亜鉛鉱 / Smithsonite
菱亜鉛鉱 / Smithsonite

菱亜鉛鉱 / Smithsonite
Zn(CO3)
愛知県新城市中宇利鉱山

中宇利鉱山は戦時中に鉄(Fe)やニッケル(Ni) を目的に開発されたが、すでに閉山して久しく、今となっては放置された坑道や廃石に多様な二次鉱物が生じている。写真の菱亜鉛鉱もその一つで、これは亜鉛(Zn)を主成分とする炭酸塩鉱物である。中宇利鉱山で亜鉛の鉱物などこれまで聞いたことがなく、まったくの不意打ちにうろたえてしまった。菱コバルト鉱や菱ニッケル鉱とは固溶体を形成し、写真の標本だと亜鉛>コバルト(Co)>ニッケルの内容となっている。一般的には粒状や菱形、それが伸びた棒状、さらに束にまとまったりと多様な姿があり、色も不純物の影響を受けて様々あるのでつかみどころがない。その上で産状もあてにならないことがあると今回わかった。学名は化学者・鉱物学者のJames Smithson(1754-1829)にちなんでおり、スミソニアン博物館の由来にもなった人物としてのほうが有名かもしれない。和名は典型的な結晶形状と化学組成から。

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車骨鉱 / Bournonite
車骨鉱 / Bournonite
埼玉県秩父市秩父鉱山大黒鉱床

車骨鉱 / Bournonite
愛媛県砥部町古宮鉱山

車骨鉱 / Bournonite
CuPbSbS3

車骨鉱は埼玉県秩父鉱山産の標本が古くから有名で、多重双晶によって生じた凸凹が歯車のようにも見えたことから、歯車の古い言葉である車骨からその和名が定まった。しばしば針状のブーランジェ鉱を伴う。手持ちの標本は小さいが名前の由来となった凸凹の様子はうかがえる。産地が変わってもその特徴は共通であり、愛媛県古宮鉱山でも同じような形状の結晶として産出する。結晶は黒色だがその結晶面は光をよく反射する。学名は人名に由来しており、フランスの鉱物学者であるJacques-Louis, Comte de Bournon (1751-1825)にちなむ。

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マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
栃木県鹿沼市鷹ノ巣鉱山

マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
愛媛県砥部町古宮鉱山

マンガンパイロスマル石 / Pyrosmalite-(Mn)
Mn2+8Si6O15(OH,Cl)10

マンガンパイロスマル石の根源名は火および臭うという意味のギリシア語に由来し、加熱すると臭いにおいを発する。そんな命名の由来をもつ鉱物だが、その標本はむしろいい匂いがしそうな印象すらある。日本ではマンガンパイロスマル石というと栃木県の久良沢(きゅうらさわ)鉱山と鷹ノ巣鉱山が二大産地であり、透明感のあるピンク色をした六角形の板から棒状結晶が良く知られている。やや黒色を帯びる結晶は内部に多量の金雲母を伴っている。愛媛県古宮鉱山の標本は褐色に汚れたバラ輝石のようにも見えていたが、よく見るとそれは橙色の板状結晶の集合体で、これもマンガンパイロスマル石であった。他の鉱床でも産出があるのかもしれないが、古宮鉱山のような産状だと気づくことはむずかしい。

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マンガン重石 / Hübnerite
マンガン重石 / Hübnerite
群馬県みどり市萩平鉱山

マンガン重石 / Hübnerite
栃木県日光市湯西川銅蔵鉱山

マンガン重石 / Hübnerite
Mn2+WO4

マンガン重石はドイツの鉱山技師であるAdolph Hübner(1830?-??)に因んだ学名を持つ鉱物であるが、和名においてはタングステン酸塩鉱物のことを「~重石」と呼ぶ慣習があり、マンガン(Mn)を主成分とすることからマンガン重石と呼ばれている。光沢の強い濃赤色の板状から柱状結晶として産出することが非常に多く、一般的にマンガン重石の判別は難しくない。ところが全く思いがけない姿になることがあるようで、銅蔵鉱山から見いだされた橙色の針状結晶もまたマンガン重石であった。

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輝銀銅鉱 / Stromeyerite
銀黒鉱 / Silver Ore
兵庫県宍栗市倉床大身谷鉱山

輝銀銅鉱 / Stromeyerite
秋田県小坂町小坂鉱山内ノ岱

輝銀銅鉱 / Stromeyerite
CuAgS

輝銀銅鉱はドイツ人化学者のFriedrich Stromeyer (1776-1835)に因んで命名された鉱物であるが、和名においては鉱物の光沢と、銀(Ag)と銅(Cu)からなる化学組成に基づいて呼ばれている。いわゆる銀黒の構成鉱物として含まれる産状が一般的で、大身谷鉱山の鉱石にはかなり多く輝銀銅鉱が含まれていた。結晶は黒色であるがその名が示すようにチカチカと良く輝く。銅鉱石中にも伴われ、マッキンストリー鉱とは頻繁に離溶組織で共生する。一方で輝銀銅鉱の自形結晶となるといずれの鉱床でもなかなかお目にかかる機会がない。それでも秋田県小坂鉱山内ノ岱においては、黄銅鉱の上に生じた小さな輝銀銅鉱の結晶が見いだされた。

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テルル石 / Tellurite
テルル石 / Tellurite
テルル石 / Tellurite
テルル石 / Tellurite

テルル石 / Tellurite
TeO2
静岡県下田市河津鉱山

テルル石はテルル(Te)の二酸化鉱物であり、結晶として産出すると透明感のある黄色から橙色の板もしくは柱状の姿となる。日本においてテルル石というと河津鉱山が代表的な産地であり、なかなか多様な姿を見せてくれる。いずれも美しい。テルル石はベータ(β)型と呼ばれる結晶構造をしており、アルファ(α)型の結晶構造を有するパラテルル石とは同質異像の関係にある。鉱石の破断面にみられる「ナメクジの這った痕」様な産状がパラテルル石だと俗に言われているが、個人的にはそれを調べてパラテルル石が検出されたためしがない。テルル石の学名はテルルを含んでいることに由来する。

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鶏冠石 / Realgar
鶏冠石 / Realgar
鶏冠石 / Realgar
AsS
北海道札幌市手稲鉱山

鶏冠石はヒ素(As)と硫黄(S)からなる鉱物で、ルビーにも似た鮮やかな紅色を示すため鶏冠石は鉱物標本として人気が高い。ただし光(特に太陽光)の影響でパラ鶏冠石へ変質しやすく、そうした部分は粉っぽくオレンジ色が強く出てくる。写真の標本だと左端はおそらくパラ鶏冠石(Pararealgar)へ変質してしまっている。学名は「鉱山の粉」を意味するアラビア語に由来し、和名は鶏の冠(とさか)に似ていることから名付けられた。群馬県西ノ牧鉱山や三重県丹生鉱山が産地として有名であるが、北海道手稲鉱山でも少量産出した。

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苦土大隅石 / Osumilite-(Mg)
苦土大隅石 / Osumilite-(Mg)
苦土大隅石 / Osumilite-(Mg)
KMg2Al3(Al2Si10)O30
鹿児島県薩摩川内市山之口

苦土大隅石はその名前からして日本産の新鉱物にみえるが、実はドイツを模式地としている。苦土大隅石は日本でも古くからその産出は知られていたが、正式な記載論文が発表されていなかった事情があり、ドイツ産の苦土大隅石がロシアの研究者によって2011年に新種として登録された。学名、和名ともに大隅石(osumilite)のマグネシウム(Mg)置換体であることを意味する。大隅石とは分析なしに区別することはできない。また、六角柱状結晶や多色性が菫青石とよく似ている。岐阜県月ヶ瀬も苦土大隅石の産地として知られるので手に知れたが、その標本は苦土ではない大隅石であった。

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水亜鉛土 / Hydrozincite
水亜鉛土 / Hydrozincite
三重県いなべ市北勢町新町

水亜鉛土 / Hydrozincite
上の標本に短波長紫外線を照射

水亜鉛土 / Hydrozincite
Zn5(CO3)2(OH)6

鉱物の外観を示す言葉として土状光沢(Earthy luster)がある。土のようなという意味であるが、それはおおむねのっぺりとしており、その名称がふさわしいかどうかいつもよくわからない。水亜鉛土は亜鉛(Zn)の含水炭酸塩鉱物であり、学名は化学組成を反映している。和名も同様に化学組成からなっているが、最後が「土」で終わる珍しいケースとなっている(鉱物は「石」か「鉱」で締めることが一般的)。水亜鉛土は亜鉛を含む鉱床の酸化帯に珪亜鉛鉱と共にしばしば出現するが、産出規模が小さい場合が多く、見てくれが地味であることも相まって注目されることが少ない。短波長の紫外線で弱いながらも青い蛍光を示す特徴がある。

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イライト / Illite
イライト / Illite
イライト / Illite
K-deficient muscovite
愛媛県西条市加茂川

愛媛県西条市の加茂川には「ヒスイ」と称される岩石が転がっていることがある。ヒスイというだけあって爽やかな緑色が特徴的だが、重量感のある堅硬緻密な糸魚川ヒスイとは性質が大いに異なっており、加茂川ヒスイは軟くかつ軽い。その実態はイライトと称される白雲母の変種であり、イライトは現時点で通称名であるため、ここでは石ころに分類する。組成的には通常の白雲母と比較してクロム(Cr)を含むこととカリウム(K)が大きく欠損している特徴がある。構造的には大量の積層欠陥を含む。それでも古くからその存在は知られており、その名称は発見地が所属するイリノイ州(Illinois)に因んで命名された。

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フェロサポー石 / Ferrosaponite
フェロサポー石 / Ferrosaponite
フェロサポー石 / Ferrosaponite
Ca0.3(Fe2+,Mg,Fe3+)3(Si,Al)4O10(OH)2·4H2O
愛媛県久万高原町黒妙

フェロサポー石は粘土鉱物として分類される鉱物で、いわゆる粘土の中に含まれる鉱物である。そのためにフェロサポー石は通常は目に留まることのない存在であろう。しかし安山岩の空隙に苦土フェリエ沸石や鱗珪石と共に、葉片状結晶の放射状集合体として出現することがある。その場合でも小さいがある程度まとまって出現するとさすがに目に留まる。安山岩を割ってすぐだとフェロサポー石は鮮やかな濃緑色を示すが、徐々に退色するために標本箱に収まるころには鮮やかさが失われる。学名はサポー石(saponite)の二価鉄置換体(Fe2+: Ferro)であることから。根源名(ルートネーム)のサポー石(saponite)は石鹸を意味するラテン語に由来し、その標本から石鹸のような光沢やさわり心地が感じられたとされる。

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ガノフィル石 / Ganophyllite
ガノフィル石 / Ganophyllite
福島県いわき市御斎所鉱山

ガノフィル石 / Ganophyllite
鹿児島県奄美大島大和村大和鉱山

ガノフィル石 / Ganophyllite
愛媛県大洲市河辺用ノ山鉱山 
右下の赤いところを除いてのっぺりした橙色がガノフィル石(中央の金属は自然銅)

ガノフィル石 / Ganophyllite
(K,Na)xMn2+6(Si,Al)10O24(OH)4·nH2O (x=1-2; n=7-11)

ガノフィル石は葉片状で輝くという意味のギリシア語から命名された鉱物で、橙色を帯びるへき開片からは命名の由来となったさまを観察することができる。一方でへき開がよくわからない産状も多く、微粉末集合に見える産状(鹿児島県大和鉱山)ならまだしも、のっぺりした産状(愛媛県用ノ山鉱山)だとそれと気づくことすら難しい。ガノフィル石はカリウム(K)を主成分とし、ナトリウム(Na)を主成分とするエグレトン石(Eggletonite)やカルシウム(Ca)を主成分とする多摩石(Tamaite)とガノフィル石族としてまとめられている。これらの外観や産状は共通であり組成も連続的に変化するために確実な同定には分析が必要となるが、ガノフィル石の産出が圧倒的に多いことを経験している。

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クリントン雲母 / Clintonite
クリントン雲母 / Clintonite
クリントン雲母 / Clintonite
CaAlMg2(SiAl3O10)(OH)2
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

クリントン雲母は脆雲母に分類される雲母で、政治家であるDeWitt Clinton (1769-1828)に因んで命名された。日本で産出するクリントン雲母は石灰沢から産出する透明感のある淡緑色で六角板状の結晶が著名であろうが、海外では茶色系統の結晶も少なからず産出が知られている。外観は他の雲母族の鉱物と共通するため、鑑定は産状や結晶の特徴を考慮する必要がある。クリントン雲母をはじめ、脆雲母に属する雲母はその名が示すようにもろく、その結晶には弾力がないため曲がることなく砕けてしまう。

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ヒスイ輝石 / Jadeite
ヒスイ輝石 / Jadeite
ヒスイ輝石 / Jadeite

ヒスイ輝石 / Jadeite
NaAlSi2O6
新潟県糸魚川市ヒスイ海岸

ヒスイ輝石は輝石族の一員となる鉱物で、造岩鉱物であるために日本だけでも産地はけっこう多い。しかし標本としてのヒスイ輝石となるとその産地はぐっと少なくなり、どこか一つ上げるとするとやはり糸魚川地域がその代表となるだろう。糸魚川においてはヒスイ輝石が主体となる岩石(ヒスイ輝石岩:Jadeitite)の一部が宝飾品としての翡翠(Jade)として珍重され、大小さまざまなヒスイ輝石岩が河川や海岸で採集できる。写真の標本はやや紫がかったいわゆる「ラベンダー翡翠」として採集された小礫であるが、中心部に穴が開いている。こういった小礫は翡翠コレクターには嫌忌されるだろうが、鉱物コレクターとしては結果的にちょっとうれしかった。分析してみるとそれはヒスイ輝石の結晶であったのだ。学名は翡翠(宝飾品として)の英名であるJadeを由来としておりそれはラテン語→スペイン語→フランス語から生じた名称とされる。翡翠は側面の痛みを治すと考えられ、側面という意味から生じているようだ。また、いわゆる「ヒスイ」という言葉は、鉱物(ヒスイ輝石:Jadeite)、宝飾品(翡翠:Jade)、岩石(ヒスイ輝石岩:Jadeitite)が混同され、言葉としてややこしくもあるが、日本鉱物科学会はもろもろひっくるめた「ヒスイ」を日本の国石として定めた。

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閃ウラン鉱 / Uraninite
閃ウラン鉱 / Uraninite
福島県郡山市富士鉱山

閃ウラン鉱 / Uraninite
閃ウラン鉱 / Uraninite
福島県川俣町飯坂水晶山

閃ウラン鉱 / Uraninite
UO2

閃ウラン鉱は四価ウラン(U4+)の二酸化鉱物で、花崗岩を初めとする深成岩には微細ながらも普遍的に含まれる。それらのペグマタイトでは肉眼的な大きさに成長した結晶が稀に認められ、富士鉱山では黒色の粒状結晶が産出した。この産地では周囲に緑色箔状のリン銅ウラン石を伴うことが多い。福島県水晶山でも産出があり、フェルグソン石の柱面に寄り添う強い光沢の四角長柱状結晶が閃ウラン鉱であった。学名は主成分となる元素(ウラン)に由来する。和名においては断面が金剛光沢を示すことから「閃」をつけ、また「石」ではなく「鉱」で呼ぶことが古くから慣例となっている。

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ブランネル石 / Brannerite
ブランネル石 / Brannerite
ブランネル石 / Brannerite
UTi2O6
鹿児島県薩摩川内市双子島3坑

鹿児島県薩摩川内市の西方に浮かぶ双子島は花崗岩~石英閃緑岩から主になるものの、小規模に銅鉱床が胚胎されていたことから大正6-7年にかけて採掘された。この鉱床は銅を含むだけでなく数カ所で放射能異常が報告されており、その異常はウラン(U)とチタン(Ti)からなるブランネル石の濃集であることが突き止められている。ブランネル石は貝殻状断口を示す柱状結晶として石英中に産出し、近傍に黄鉄鉱をしばしば伴うことがこの産地の特徴となっており、日本では双子島が唯一の産地となっている。学名は地質学者であるJohn Casper Branner (1850-1922)に因んで命名された。

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方沸石 / Analcime
方沸石 / Analcime
方沸石 / Analcime
NaAlSi2O6·H2O
千葉県南房総市

方沸石はサイクロペアン諸島(イタリア)から最初に見いだされた鉱物で、加熱や摩擦で弱い静電気を生じることから「弱い」を意味するギリシア語に基づいて名付けられている。典型的に無色透明から白色の24面体結晶として産出し、白色の場合は白榴石と肉眼的に区別ができない。玄武岩の晶洞によくみられ、続成作用でもしばしば生じる。写真は凝灰岩中の脈状鉱物として生じた方沸石。なお方沸石は数多い沸石超族の中でもっとも最初に構造解析が行われた沸石としても知られている。

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鉄雲母 / Annite
鉄雲母 / Annite
鉄雲母 / Annite
KFe2+3AlSi3O10(OH)2
北海道浦賀町乳呑川

通称で黒雲母(Biotite)と呼ばれている雲母は、二価鉄(Fe2+)を主成分とする鉄雲母とマグネシウム(Mg)を主成分とする金雲母(Phlogopite)との固溶体となっている。その固溶体はほとんどの場合で多くの場合で黒色を帯び、外観からは鉱物種を分けることはできない。北海道乳呑川の上流には玄武岩質の半深成岩が露出しており、そこには六角板状のいわゆる黒雲母が伴われている。分析をしてみるとそれは鉄雲母であった。鉄黒雲母の学名は模式地であるアン岬(アメリカ)に由来しており、和名は化学組成に基づいている。

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アラバンド鉱 / Alabandite
アラバンド鉱 / Alabandite
愛媛県大洲市戒川鉱山

アラバンド鉱 / Alabandite
三重県伊賀市真泥山田鉱山

アラバンド鉱 / Alabandite
MnS

アラバンド鉱はルーマニアを模式地とするマンガン(Mn)と硫黄(S)からなる鉱物で、硫酸マンガンを意味するスペイン語で名付けられている。海外ではアラバンド鉱は黒色で八面体の結晶となる標本がよく知られており、その結晶表面は光をよく反射する。そのきらめきを「閃」と解して、かつては「閃マンガン鉱」という和名が用いられた。しかし日本で産出するアラバンド鉱は多くが鈍い緑色の粉をぎゅっと押し固めた姿であって、名は体を表していない閃マンガン鉱という和名は徐々にすたれた。今となっては学名のカタカナ読みでアラバンド鉱を用いることが多い。それでも三重県の山田鉱山では閃マンガン鉱とギリギリ言えるような光沢のある結晶が産出した。ラムベルグ鉱(Rambergite)とは同質異像の関係にあたる。

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パイロファン石 / Pyrophanite
パイロファン石 / Pyrophanite
福島県いわき市御斎所鉱山

パイロファン石 / Pyrophanite
愛媛県伊方町大久

パイロファン石 / Pyrophanite
MnTiO3

パイロファン石はスウェーデンを模式地とする鉱物で、典型的には濃赤色の六角板状結晶として産出する。マンガン鉱山ではまれでない程度に見かけ、典型的な姿で産出することが多く、断面であっても赤色の板状という特徴からパイロファン石の産出は気づきやすい。一方で小さな箔状の結晶はルーペ程度ではチカチカ光るのみで一見してパイロファン石とは気づきにくい。パイロファン石はその姿が炎に例えられ、炎のように見えるという意味のギリシア語が学名の由来となっている。

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ウエリン石 / Welinite
ウエリン石 / Welinite
ウエリン石 / Welinite
Mn2+6(W6+□)(SiO4)2O4(OH)2
三重県伊賀市真泥山田鉱山

ウエリン石はスウェーデンの鉱物学者であるEric Welin(1923-2014)にちなんで命名された鉱物で、マンガン(Mn)とタングステン(W)を主成分とするケイ酸塩というめずらしい組成となっている。山田鉱山においてはテフロ石を主体とした鉱石中にアラバンド鉱を伴い、強い金剛光沢を示す赤褐色の不定型な結晶粒として産出する。共通の産状と外観でマンガン重石も産出するが、調べた範囲内で山田鉱山ではウエリン石のほうが産出が多かった。ウエリン石は世界的にも稀な鉱物であるが、日本では他に3箇所の産地が知られている。

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赤錫鉱 / Rhodostannite
赤錫鉱 / Rhodostannite
赤錫鉱 / Rhodostannite
Cu1+(Fe2+0.5Sn4+1.5)S4
北海道札幌市豊羽鉱山

赤錫鉱は黄錫鉱(Stannite: Cu2FeSnS4)に似た化学組成ながらもそれと比べて赤みを帯びることから名付けられた鉱物で、学名のRhodoはギリシア語で赤色を意味している。和名はその直訳になるが、赤みが感じられるかどうかは微妙と思う。またその結晶構造は黄錫鉱とは無関係であり、赤錫鉱はスピネル超族の一員である。写真の中央が赤錫鉱であり、その両脇は黄錫鉱となっている。赤錫鉱は石英と共に脈状に分布し、その脈にはヘルツェンベルグ鉱も伴われているが、分析なしには同様の外観を示す錫石とは区別がつかない。世界的に見て産出の非常に稀な鉱物で、その産地は日本では愛媛県別子鉱山と北海道豊羽鉱山のみとなっている。

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キャノン石 / Cannonite
キャノン石 / Cannonite
キャノン石 / Cannonite
Bi2O(SO4)(OH)2
静岡県下田市河津鉱山

キャノン石はビスマス(Bi)を主成分とする硫酸塩鉱物であり、二次鉱物として生じる。日本では数カ所でしか産出が記録されていないが、調べてみると輝蒼鉛鉱にはしばしばキャノン石が伴われていた。しかし多くの場合でそれは薄い皮膜でしかなく、そのために気づかれないのだろう。結晶として成長するとキャノン石は無色の板状結晶として産出し放射状に開くことが非常に多い。キャノン石の学名は模式標本を提供したBenjamin Bartlett “Bart” Cannon(1950-2019)に因んでおり、アメリカで最初に発見された。

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モガン石 / Mogánite
モガン石 / Mogánite
モガン石 / Mogánite
モガン石 / Mogánite
SiO2·nH2O
愛媛県久万高原町高殿

モガン石はやや水を含むことがあるものの基本的にはSiO2を理想化学組成とし、石英とは同質異像の関係にある。そして玉髄(超微細な石英を主とする集合体)において、モガン石は石英と共にその主要構成鉱物として産出する。つまり玉髄であればモガン石は少なからず入っており、その産出はまったく稀はない。ただし超微細であるために電子顕微鏡であってもその結晶を捉えることは難しく、その検出にはラマン分光法が特に有効である。標本としてはなにか特徴があってほしいので、個人的には写真のように球状の玉髄についてモガン石のラベルを付している。学名は模式地(スペイン)に由来する。

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ヘス鉱&ペッツ鉱 / Hessite&Petzite
ヘス鉱&ペッツ鉱 / Hessite&Petzite
ヘス鉱 / Hessite:Ag2Te
ペッツ鉱 / Petzite:Ag3AuTe2
静岡県下田市河津鉱山

ヘス鉱 / Hessite (合成)
ヘス鉱 / Hessite (合成)

静岡県河津鉱山はテルル(Te)を伴う金銀鉱床で、金(Au)や銀(Ag)とテルルからなる金属鉱物を産出した。その代表的な鉱物としてヘス鉱とペッツ鉱が知られ、写真の標本ではそれらが半々程度含まれている。いずれも銀灰色の金属として石英中に産出し、不定形な自然テルルとはやや見分けが難しい。ヘス鉱はヘスの法則を提案した化学者のGermain Henri Hess(1802-1850)に、ペッツ鉱は鉱物コレクターでもあった化学者のKarl Wilhelm Petz(1811-1873)にちなむ。いずれも19世紀には命名された古典鉱物として知られるが、結晶として産出することは非常に少ない。ヘス鉱は単斜晶系の鉱物であるが、155℃以上で立方晶系となる。155℃以上で合成されたヘス鉱の結晶は六角の面が強く出ていた。

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リッカルド鉱 / Rickardite
リッカルド鉱 / Rickardite
リッカルド鉱 / Rickardite
Cu3-xTe2
静岡県下田市河津鉱山

リッカルド鉱は銅(Cu)とテルル(Te)を主成分とする鉱物で、破断面は銀白色を呈する。しかし非常に錆びやすいため、まず青みがかったあとで最終的には紫色となる。ただしその紫色はリッカルド鉱の典型であるため、テルル鉱床で紫色の金属となるとリッカルド鉱がまず思い浮かぶ。写真の標本もその典型であり、リッカルド鉱はその内部に自然テルルを伴い、周囲にはブルカン鉱やカラベラ鉱など他のテルル化鉱物も伴われる。学名は鉱山技師の Thomas Arthur Rickard(1864–1953)にちなむ。

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単斜ヒューム石 / Clinohumite
単斜ヒューム石 / Clinohumite
単斜ヒューム石 / Clinohumite
Mg9(SiO4)4F2
愛媛県松山市重信川

単斜ヒューム石はヒューム石族のヒューム石系列のひとつで、同系列ではコンドロ石と並んで産出が多い。外観はいずれも共通して橙色で塊状であり、ドロマイトに伴われることが多く、基本的にはスカルンでよくみられる鉱物である。コンドロ石と共存することがしばしばあるものの、それ以外との共存は少ない。写真の標本についても同様であった。学名はヒューム石の単斜晶系多形(ポリモルフ)であることに由来する。そしてヒューム石はイギリスの貴族であり鉱物コレクターでもあったAbraham Hume(1749-1838)への献名として1813年に名付けられた鉱物である。

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水酸単斜ヒューム石 / Hydroxylclinohumite
水酸単斜ヒューム石 / Hydroxylclinohumite
水酸単斜ヒューム石 / Hydroxylclinohumite
Mg9(SiO4)4(OH)2
愛媛県四国中央市富郷町藤原

ヒューム石族のヒューム石系列の鉱物にコンドロ石単斜ヒューム石、ヒューム石、ノルベルグ石が知られており、これらはいずれもフッ素(F)を主成分とする鉱物である。そのうち単斜ヒューム石についてのみその水酸基(OH)置換体となる種が知られており、それが水酸単斜ヒューム石である。愛媛県藤原では蛇紋岩中に橙色で塊状となる単斜ヒューム石が古くから知られており、それはチタン(Ti)を含むことばかり注目されてきたが、データをよく見るとフッ素が検出されていないため、これは鉱物種として水酸単斜ヒューム石である。念のために写真の標本も調べてみたが、やはりフッ素は検出されなかった。学名は単斜ヒューム石の水酸基置換体というそのままの意味である。

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マンガンヒューム石 / Manganhumite
マンガンヒューム石 / Manganhumite

マンガンヒューム石 / Manganhumite
Mn2+7(SiO4)3(OH)2
福島県いわき市御斎所鉱山

ヒューム石族のマンガンヒューム石系列の鉱物にはアレガニー石、マンガンヒューム石、園石が知られている。いずれもバラ輝石を伴うマンガン鉱石中に産出するが、ほとんどの場合で微細な粒状結晶が集合した塊として産出する。肉色から淡紫褐色と称される色味は三種でほとんど共通するため、分析する以外にこれらを分ける方法はない。そして、日本ではマンガンヒューム石は三種の内で最も産出が稀な鉱物であろう。福島県御斎所鉱山から産出した写真の標本を調べたところ、多くがマンガンヒューム石からなっており、あとは少量の園石が伴われるのみであった。

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十字石 / Staurolite
十字石 / Staurolite
十字石 / Staurolite
富山県黒部市宇奈月

十字石 / Staurolite
愛媛県新居浜市肉渕谷

十字石 / Staurolite
福島県古殿町叶神

十字石 / Staurolite
Fe2+2Al9Si4O23(OH)

十字石は双晶によって十字に交わることが多い鉱物で、学名もまた十字を意味するギリシア語に由来する。主に中圧型の変成作用で生じる鉱物で、特に原岩が泥岩である場合は多量に形成される。富山県宇奈月の十字石が古くから知られ、雲母に包まれた黒褐色の棒状結晶が典型的である。片理に沿った破断面では雲母の光沢が強いために十字石がわかりにくいが、切断面ではわかりやすい。愛媛県では東赤石山の南側に当たる肉淵谷において茶褐色の十字石が少量得られたことがある。福島県古殿町では高アルミナ土壌を原岩とした変成岩中に見られた。

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ニフォントフ石 / Nifontovite
ニフォントフ石 / Nifontovite
ニフォントフ石 / Nifontovite
Ca3[BO(OH)2]6·2H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山四番坑

ニフォントフ石は1961年にロシアの地質学者であるRoman Vladimirovich Nifontov(1901-1960)に因んで命名された鉱物で、世界中で5箇所しか産地が知られていない。そのうちのひとつが岡山県布賀鉱山で、おそらく最も多産する産地であろう。2002年に布賀鉱山4番坑において田邊晶洞と称される巨大なパッチが発見され、その中から大量に見出された。写真は鉱物学会の巡検が開催された際に、参考試料として参加者に配られた標本になる。無色透明な柱状結晶の結晶端が斜めにざくっと切り落とされた形状が特徴的で、見てのとおり単斜晶系の対称性をもつ鉱物である。

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苦土蛭石 / Vermiculite
苦土蛭石 / Vermiculite
苦土蛭石 / Vermiculite
Mg0.7(Mg,Fe,Al)6(Si,Al)8O20(OH)4·8H2O
愛媛県松山市睦月島熱ノ鼻

苦土蛭石は学名のカタカナ読みでバーミキュライトともよく呼ばれるが、製品としてのバーミキュライトとの混同を避けるためにここでは苦土蛭石と表現する。学名はラテン語でvermiculorと称される蠕虫(ぜんちゅう:ワーム)の一種に由来し、鉱物を加熱するとワームのような形態に伸長する特徴がある。和名ではそのワームについて蛭と訳しているが、節くれ立って伸長した姿はミミズのほうが感覚的には近いだろう。主に花崗岩に含まれるいわゆる黒雲母が風化すると苦土蛭石となるが、スカルンでは初生鉱物として苦土蛭石が生じることがある。苦土蛭石は黒雲母に非常によく似た外観を呈するが、それよりも硬度が低く、爪でも容易に傷をつけることができる。

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ジョンバウム石 / Johnbaumite
ジョンバウム石 / Johnbaumite
ジョンバウム石 / Johnbaumite
Ca5(AsO4)3(OH)
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

ジョンバウム石はフランクリン鉱山から見出された燐灰石超族燐灰石族の一員となる鉱物で、鉱山でヘッドジオロジストとして活躍したJohn Leach Baum(1916-2011)にちなんで命名されている。日本では布賀鉱山でのみ産出が確認されている。布賀鉱山はホウ酸塩の新鉱物を多く輩出する鉱山として名高いが、複数のヒ酸塩鉱物もまた坑内の一部の露頭から産出することが知られる。ジョンバウム石もその一つで、燐灰石族鉱物の典型である六角板状から柱状の結晶形が空隙に発達する。遷移金属を含まないために無色透明である。

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錫石 / Cassiterite
錫石 / Cassiterite
山口県岩国市喜和田鉱山

錫石 / Cassiterite
岐阜県中津川市関戸川

錫石 / Cassiterite
北海道札幌市豊羽鉱山

錫石 / Cassiterite
SnO2

錫石は錫(Sn)の二酸化鉱物で、花崗岩のペグマタイト、気成鉱床、金属鉱床やスカルンなどにしばしば現れる。ルチルと同じ結晶構造をしているため、自形結晶だけを見るとルチルと見分けがつかないこともよくあるが、産状も込みで考えると錫石だと考えつく。比重が高いために河川では砂鉱として採集されることがあり、錫石からなる重砂はズシリと重い。金属鉱床では黄錫鉱の周囲にまとまって生じるほか、石英中に微細結晶が散乱する産状もある。錫石は古来よりの錫資源でもある。学名はローマ時代以前に「ヨーロッパの西海岸沖の島」に当てられた「Cassiterides」に由来する。その島の正確な場所は長年にわたって議論されており、いまのところスペイン本土のことではないかと考えられている。

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ローウォルフェ石&ラウテンタール石 / Wroewolfeite&Lautenthalite
ローウォルフェ石&ラウテンタール石  / Wroewolfeite&Lautenthalite

ローウォルフェ石&ラウテンタール石 / Wroewolfeite&Lautenthalite
ローウォルフェ石 : Cu4(SO4)(OH)6·2H2O
ラウテンタール石: PbCu4(SO4)2(OH)6·3H2O
兵庫県朝来市新井鉱山

兵庫県新井鉱山は江戸期から昭和中期まで稼働した鉱山で、鉛(Pb)銅(Cu)を目的に採掘されていた。鉱石としては使い物にならない砕石がまとまって放置されており、そこは鉛や銅を主成分とする数々の硫酸塩鉱物が二次的に生じる場となっている。その中で花形というべき鉱物の一つにローウォルフェ石が知られており、もともとはラング石と考えられていたものが、結晶形の違いから同質異像のローウォルフェ石だと看破されたという経緯がある。ごく最近になってこのローウォルフェ石の標本を手に入れることができ、電子顕微鏡でその内部を調べてみるとラウテンタール石が連晶となっていることが判明した。いずれもCuO6シートにSO4四面体がくっつくという点で共通した構造となっており、そのシートが連続すればローウォルフ石で、鉛を挟むとラウテンタール石となるため、それらが連晶して産出することはごく自然であった。ローウォルフェ石はアメリカの地質学者であるCaleb Wroe Wolfe (1908-1980)に、ラウテンタール石は模式地に因んで命名されている。

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透輝石 / Diopside
透輝石 / Diopside
静岡県静岡市葵区口坂本

透輝石 / Diopside
岐阜県関市洞戸鉱山

透輝石 / Diopside
大阪府柏原市青谷

透輝石 / Diopside
山梨県道志村室久保川

透輝石 / Diopside
山梨県南部町上佐野

透輝石 / Diopside
愛媛県宮窪町

透輝石 / Diopside
岩手県洋野町舟子沢鉱山

透輝石 / Diopside
CaMgSi2O6

透輝石の学名は発見された結晶の外形から、二方向および外観という意味のギリシア語に基づいて命名されている。和名は透明な輝石族鉱物であることからきていると思うが、どこの標本が基になっているかはわからない。それはともかく透輝石の結晶は典型的には板状で結晶端は尖る。しかしそうならない形状も多く見かけ、例えば角柱状結晶はよく見かける。双晶によってひずんだ六角形にもなり、結晶端が平坦であると燐灰石やベスブ石と見間違える。まるで芋飴のようなコロっとした結晶もあるなど、外観は多様。色もまた様々で、純粋な組成に近い透輝石の結晶は無色透明であるが、含まれる二価鉄(Fe2+)が多くなると緑色が強くなる(洞戸鉱山、青谷、室久保川)。クロム(Cr)の場合も緑色が出てくる傾向があるが、二価鉄の場合とはちょっと系統が異なる緑と言える(上佐野)。三価鉄(Fe3+)とチタン(Ti)が含まれるようだと濃い紫となり、かつてはファッサ輝石と呼ばれた(宮窪町)。三価マンガン(Mn3+)だと紫でもすっきりとした印象となり、ビオランという別名がある(舟子沢鉱山)。産地や産状もまた非常に多様で紹介しきれない。このように透輝石は多様な姿を示す鉱物であり、ほかの鉱物との誤認も非常に多く、典型的な姿でない場合は鑑定が非常に難しい。

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鉛アガード石 / Plumboagardite
鉛アガード石 / Plumboagardite
鉛アガード石 / Plumboagardite
(Pb,REE,Ca)Cu6(AsO4)3(OH)6·3H2O
兵庫県川西市国崎

鉛アガード石はミクサ石族鉱物であり、その一員であるザレシ石から見てその鉛(Pb)置換体に相当する鉱物である。ミクサ石族鉱物の外観はおおむね共通し、針状から六角柱状結晶で産出する。この標本については肉眼的には鮮やかな緑色の針状結晶がぶわっと広がる。産地情報と見た目からイットリウムアガード石と思っていたが、調べてみて鉛アガード石であることが分かった。累帯構造でセリウムアガード石、ザレシ石の部分も存在する。名称はアガード石の鉛置換体という意味で名付けられたが、アガード石は希土類元素を主成分とする鉱物であり、単純にその鉛置換体でもないため、その名称は今思えばふさわしくない。また公式リストの組成式もチャージバランスがあっていないなど問題がある。チャージバランスを考慮すると鉛アガード石の理想化学式はPbCu6(AsO4)2(AsO3OH)(OH)6·3H2Oとなるべきである。

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イットリウムアガード石 / Agardite-(Y)
イットリウムアガード石 / Agardite-(Y)
イットリウムアガード石 / Agardite-(Y)
YCu2+6(AsO4)3(OH)6·3H2O
広島県生口島瀬戸田町林

アガード石はフランスの地質学者であるJules Agard (1916-2003)に因んで命名された鉱物で、後に主成分となる希土類元素の種類で分けることが決められた。そのうちイットリウム(Y)を主成分とするアガード石が世界的にも最も分布が広い。日本でもアガード石というとこのイットリウムアガード石である場合が非常に多い。銅鉱床の酸化帯にしばしば出現し、濃緑色の六角柱状結晶が放射状に集合する姿が典型。細ければ結晶は針に見える。いわゆるミクサ石族鉱物であり、同族別種となる鉱物を伴うこともある。

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リューコスフェン石 / Leucosphenite
リューコスフェン石 / Leucosphenite
リューコスフェン石 / Leucosphenite
Na4BaTi2B2Si10O30
新潟県糸魚川市青海町金山谷

リューコスフェン石はグリーンランドを模式地とする鉱物で、世界的にもその産出は稀だと思われる。日本では新潟県金山谷で産出が知られるのみとなっている。その化学組成をみると確かにこのような元素がそろう環境は滅多にない。わずかに青みがかったくさび形の結晶となり、曹長岩の隙間から顔を出している。この曹長岩には奴奈川石や青海石が産出するため、無色透明なリューコスフェン石は見落とされがち。学名は白色およくさび形のギリシア語が由来となっている。

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黄銅鉱 / Chalcopyrite
黄銅鉱 / Chalcopyrite
黄銅鉱 / Chalcopyrite
北海道札幌市豊羽鉱山

含銅硫化鉄鉱
愛媛県内子町五十崎大久喜鉱山

含銅硫化鉄鉱
高知県本山町下川鉱山

含銅硫化鉄鉱
愛媛県新居浜市国領川

黄銅鉱 / Chalcopyrite
CuFeS2

黄銅鉱は銅(Cu)の資源として重要な鉱物で、いわゆる銅鉱石は多くの場合で黄銅鉱が主要構成鉱物となっている。新鮮な標本は自然金に見まがうほど黄金色に近く輝く。結晶形は様々あるが、三角形の面が出やすいという印象を抱いている。別子型の鉱床では結晶はあまり見られないが、微細な黄鉄鉱と混然一体となった含銅硫化鉄鉱という鉱石として黄銅鉱が得られる。黄銅鉱を含む鉱石は風化作用で硫酸が生じ、自身は朽ちていくが、溶けだした銅イオンは孔雀石をはじめとした色鮮やかな二次鉱物の原料となる。黄鉄鉱に似ながら銅を含むことが学名の由来となっており、銅と黄鉄鉱を意味するギリシア語から名付けられた。和名は色と成分に因む。

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コロラド鉱 & テルル鉛鉱 / Coloradoite & Altaite
コロラド鉱 & テルル鉛鉱 / Coloradoite & Altaite
コロラド鉱 & テルル鉛鉱 / Coloradoite & Altaite
コロラド鉱 / Coloradoite:HgTe
テルル鉛鉱 / Altaite: PbTe
長野県佐久穂町大日向採石

コロラド鉱とテルル鉛鉱はそれぞれ水銀(Hg)と鉛(Pb)がテルル(Te)と結びついた鉱物である。いずれも古来より知られた鉱物であり、世界的にその産地も決して少なくないのだが、ほとんどの場合で電子顕微鏡によって観察できるサイズでかつほんのわずかに産出するのみという鉱物である。大日向採石から採集された石英に付着する金属光沢を有する紫黒色の樹状結晶集合を調べてみると、それはコロラド鉱(芯)とテルル鉛鉱(周縁)からなっていた。目で見えるコロラド鉱やテルル鉛鉱は少なくとも日本産では記憶にない。いずれも模式地が学名の由来となっている。コロラド鉱:Colorado州(アメリカ)、テルル鉛鉱:Altai市(カザフスタン)

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灰クロムざくろ石 / Uvarovite
灰クロムざくろ石 / Uvarovite
愛媛県新居浜市東赤石山

灰クロムざくろ石 / Uvarovite
高知県鏡村梅ノ木

灰クロムざくろ石 / Uvarovite
Ca3Cr2(SiO4)3

クロム鉄鉱やクロム苦土鉱に伴われるざくろ石は、クロムを多く含むものの鉱物種として灰バンざくろ石や灰鉄ざくろ石に留まることが多い。それでも数多くみていくと、クロムが主成分となった灰クロムざくろ石に遭遇することがある。必ず緑色を呈し、結晶として産出すると12面体であることが非常に多いが、日本の産地では結晶形が認められることがそもそも少ない。多くの場合、結晶形が認められずクロム鉄鉱の割れ目を充填する産状となる。学名はロシアの政治家で学者でもあったSergey Semeonovich Uvarov伯爵 (1786-1855)にちなんで名付けられた。

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グラウト鉱 / Groutite
グラウト鉱 / Groutite
グラウト鉱 / Groutite
Mn3+O(OH)
北海道今金町美利河鉱山

ピリカ型と呼ばれる温泉作用で沈殿した層状マンガン鉱床に特異に発達する鉱物のひとつにグラウト鉱が挙げられる。水マンガン鉱(Manganite)やファイトクネヒト鉱(Feitknechtite)の同質異像だが、産出はグラウト鉱が最もまれだと思われる。ダイアスポア(Diaspore)と同構造で、その三価マンガン(Mn3+)置換体でもある。北海道美利河鉱山ではグラウト鉱は黒色で強い光沢を示す葉片状の結晶として産出し、それが放射状や脈状に集合する。学名はアメリカの岩石学者であるFrank Fitch Grout (1880-1958)に因む。

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フッ素燐灰石 / Fluorapatite
フッ素燐灰石 / Fluorapatite
栃木県今市市文挟クレー鉱山

フッ素燐灰石 / Fluorapatite
愛媛県四国中央市関川

フッ素燐灰石 / Fluorapatite
栃木県足尾町足尾銅山本口沢

フッ素燐灰石 / Fluorapatite
Ca5(PO4)3F

フッ素燐灰石は40種あまりからなる燐灰石超族のなかにあって、おそらく最も産出の多い鉱物であろう。火成岩、変成岩、堆積岩のいずれにおいても普遍的な構成鉱物として含まれる。しばしば石英に伴われ、六角形で板状から柱状として成長し、無色透明からやや黄色を帯びることが多い。一方で衝撃に弱く割れやすいために元のままの形状で得られることはあまり多くない。文挟クレー鉱山では粘土中から透明な結晶が採集されたことがある。根源名であるApatiteは欺くという意味のギリシア語が元になっており、同様の産状で外観が共通な緑柱石などと紛らわしいことがその背景にある。学名はフッ素を主成分とすることが反映されている。和名は化学組成に因む。

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イットリウムチャーチ石 / Churchite-(Y)
イットリウムチャーチ石 / Churchite-(Y)
イットリウムチャーチ石 / Churchite-(Y)
イットリウムチャーチ石 / Churchite-(Y)
YPO4·2H2O
愛媛県松山市立岩鉱山

希元素鉱物を伴うペグマタイトでは、放射線の影響で長石がしばしば赤色化している。そういった長石は内部に微細な割れが多く入っており、イットリウムチャーチ石はそういった隙間でしばしば生成する。本来は無色透明な板状結晶であるのだが、結晶に微細な割れが無数に生じることで白色に見える。希元素鉱物は主成分とする希土類元素によって種が細分化されるが、チャーチ石についてはこれまでイットリウム(Y)を主成分とする種のみが知られる。学名はイギリスの鉱物学者であるArthur Herbert Church (1834-1915)に因んで命名された。

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ビッティンキバラ輝石 / Vittinkiite
ビッティンキバラ輝石 / Vittinkiite
ビッティンキバラ輝石 / Vittinkiite
MnMn3MnSi5O15
岩手県田野畑村田野畑鉱山松前沢

いわゆるバラ輝石が3種に細分化され、現在の定義のバラ輝石からみてそのマンガン(Mn2+)置換体がビッティンキバラ輝石になる。ビッティンキバラ輝石の化学組成を単純化するとMnSiO3とまとめることができる。この化学組成はパイロクスマンガン石と共通であり、ビッティンキバラ輝石とパイロクスマンガン石は同質異像の関係にある。見た目でこれらを区別することは非常に困難だが、産状が鑑定の手助けとなる。例えば、ビッティンキバラ輝石は低圧高温で生じるのに対し、パイロクスマンガン石は高圧低温の環境で安定化する。テフロ石に囲まれ方解石を伴わない産状で、産地が高温でカリカリに焼かれている場合だとビッティンキバラ輝石の可能性が高くなる。岩手県田野畑鉱山は高温環境にあったとおぼしき産地で、テフロ石に囲まれるバラ輝石を調べてみたところやはりビッティンキバラ輝石であった。学名は模式地であるVittinki iron 鉱山(フィンランド)に因む。和名ではビッティンキ石とするだけでも良いが、ほかのバラ輝石と釣り合いをとるためにここではビッティンキバラ輝石と表現する。

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フェロバラ輝石/ Ferrorhodonite
フェロバラ輝石 / Ferrorhodonite
フェロバラ輝石 / Ferrorhodonite
CaMn3Fe(Si5O15)
福島県南会津町小立岩

いわゆるバラ輝石が3種に細分化され、現在の定義のバラ輝石からみてそのフェロ(Fe2+)置換体がフェロバラ輝石になる。写真の標本は灰鉄輝石とヨハンセン輝石の中間的な組成となる粗粒な輝石が母岩となっており、その小さな隙間に方解石が伴われ、塩酸で方解石を処理して出てきた結晶がフェロバラ輝石であった。淡いピンクで、小さいながらも柱状に成長している。これまでいわゆるバラ輝石の標本をいくらか調べてみたが、フェロバラ輝石が単体で産出する例はおそらく多くない。

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バラ輝石/ Rhodonite
バラ輝石 / Rhodonite
愛媛県西条市丹原町鞍瀬鉱山

バラ輝石/ Rhodonite
愛媛県大洲市戒川鉱山

バラ輝石/ Rhodonite
大分県豊後大野市朝地町

バラ輝石/ Rhodonite
CaMn2+3Mn2+(Si5O15)

バラ輝石はまるでバラのような色合いであることから、バラ色を意味するギリシア語が学名の由来となっている。かつては輝石構造だと考えられていたためバラ輝石という和名が定まったが、現在では準輝石構造であることが判明している。2019年になりバラ輝石族というまとまりが定義され、バラ輝石(Rhodonite)、ビッティンキバラ輝石(Vittinkiite)、フェロバラ輝石(Ferrorhodonite)の三種が分類されることになった。バラ輝石は珪質なマンガン鉱石にはたいてい顔を出す鉱物で、ピンク色をした葉片状の結晶として産出するほか、微細粒子の集合した塊状でもよく見られる。塊状の標本は切断することでその組織が面白い模様となって現れる。副成分に二価鉄(Fe2+)やマグネシウム(Mg)を含むことが一般的で、おそらくはその影響で色味が変化する。紫色を示すバラ輝石にはマグネシウムがやや多く含まれていた。

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菫青石 / Cordierite
菫青石 / Cordierite
菫青石 / Cordierite
宮城県川崎町本砂金安達

菫青石 / Cordierite
三重県尾鷲市南浦

菫青石 / Cordierite
京都府京都市如意ケ嶽

菫青石 / Cordierite
Mg2Al4Si5O18

菫青石(きんせいせき)の典型的な結晶は濃い青色を示し、それを菫(すみれ)に見立てて和名が定まった。多色性と言って、光の方向によって色合いが変化する特徴もある。しかし青みがかっていても全体的には灰色や白色で産出する場合がむしろ多い。産状は多様で、やや苦鉄質な花崗岩や泥質片岩では主要構成鉱物の一つとして含まれ、ときおり大きな結晶が顔を出す。泥質片岩で見られる結晶は多重双晶によって六角形となり、これが風化すると桜石となる。菫青石の学名はフランスの地質学者Pierre Louis Antoine Cordier (1777- 1861)に因んでいる。

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セカニナ石 / Sekaninaite
セカニナ石 / Sekaninaite
セカニナ石 / Sekaninaite
Fe2+2Al4Si5O18
愛媛県今治市小大下島

セカニナ石は鉄菫青石とも呼ばれ、菫青石から見てその二価鉄置換体に相当する鉱物である。セカニナ石は菫青石と比較すると産出が圧倒的に稀な鉱物で、まず見かけることがない。それでも愛媛県小大下島では石灰岩を貫く花崗岩脈中にセカニナ石の結晶が見られた。その結晶は貝殻状断口に割れ、割れ口は透明感に欠ける鈍い緑色で、光沢は油脂状を示す。その姿は菫青石とは似ていないため、和名は鉄菫青石ではなくセカニナ石がふさわしいと思う。学名はチェコの鉱物学者であるJosef Sekanina (1901-1986)に因んで命名された。セカニナ石の最初の発見者と伝わる。

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硫砒鉄鉱 / Arsenopyrite
硫砒鉄鉱 / Arsenopyrite
岐阜県山県市美山町相戸鉱山

硫砒鉄鉱 / Arsenopyrite
兵庫県神河町琢美鉱山

硫砒鉄鉱 / Arsenopyrite
大分県大分県豊後大野市尾平鉱山

硫砒鉄鉱 / Arsenopyrite
FeAsS

鉄(Fe)とヒ素(As)の硫化鉱物である硫砒鉄鉱は、典型的には黄色の金属光沢を示す菱形結晶として産出するが、割りばしのようにすっと伸びた柱状結晶も知られる。かつて尾平鉱山から柱状結晶の群晶が産出し、それは今では市ノ川鉱山の輝安鉱と並ぶ銘柄品という扱いであろうか。しかし、硫砒鉄鉱は大気中の水分との反応で硫酸を生じ、それによって周囲を巻き込みながらボロボロになっていく。岩石中から顔を出してすぐは鋼灰色を示し、そのうち黄色となり、やがてまた灰色が強く出てくる。さらに緑色を帯びてひねた匂いが漂うようになるともう末期。あとは朽ちるのみとなる。

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火閃銀鉱 / Pyrostilpnite
火閃銀鉱 / Pyrostilpnite
火閃銀鉱 & 濃紅銀鉱  / Pyrostilpnite & Pyrargyrite
火閃銀鉱 / Pyrostilpnite
Ag3SbS3
宮崎県西米良村天包山

火閃銀鉱の学名は火および輝くことを意味するギリシア語に由来する。和名では火はそのまま訳し、輝くについては瞬間的にきらめくという意味の「閃」と解した。そして化学組成も考慮して「火閃銀鉱」という和名が定まった。かっこいい名前だと思う。雨包山において、火閃銀鉱はたき火の炎のような橙色をした薄板状結晶として産出する。棒状の輝安鉱を覆う産状を示し、同質異像である紅色柱状の濃紅銀鉱を伴う。

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アンセルメ石 / Ansermetite
アンセルメ石 / Ansermetite
アンセルメ石 / Ansermetite
Mn2+V5+2O6·4H2O
埼玉県飯能市小松鉱山

アンセルメ石はマンガン(Mn)を主成分とする含水バナジウム酸塩鉱物で、鉱物学者であるStefan Ansermet (b. 1964)に因んで命名された。Fianel鉱山(スイス)で見出された鉱物で、模式地を同じくするフィアネル石をしばしば伴う。日本においても埼玉県小松鉱山でアンセルメ石とフィアネル石は共存する。皮膜状で産出すると両者は区別できないが、結晶として産出すると見分けることができる。アンセルメ石の結晶は透明感のある濃赤色を呈し、結晶端が斜めに落ちる板状結晶が特徴となっている。

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クロリトイド / Chloritoid
クロリトイド / Chloritoid
クロリトイド / Chloritoid
岩手県住田町尻高沢

クロリトイド / Chloritoid
岩手県住田町下有住

クロリトイド / Chloritoid
Fe2+Al2O(SiO4)(OH)2

クロリトイドは緑泥石族(Chrorite group)の鉱物とよく似た外観を示すことから、Chroriteをもじって命名された。和名では外観と物理的な特徴から硬緑泥石とも呼ばれるが、ここではカタカナ読みで表記する。岩手県住田町では片岩中の濁った濃緑色の塊状集合として産出し、一方向に劈開があるため破断面は緑泥石族のように見える。ただしクロリトイドはモース硬度が6.5と長石並みに高く、モース硬度2-3程度の緑泥石と大きく異なる。

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緑鉛鉱 / Pyromorphite
緑鉛鉱 / Pyromorphite
岐阜県飛騨市神岡鉱山

緑鉛鉱 / Pyromorphite
群馬県沼田市利根町数坂峠

緑鉛鉱 / Pyromorphite
三重県熊野市紀和町

緑鉛鉱 / Pyromorphite
石川県小松市尾小屋鉱山

緑鉛鉱 / Pyromorphite
Pb5(PO4)3Cl

緑鉛鉱は鉛(Pb)とリン(P)を主成分とする燐灰石族の鉱物で、褐鉛鉱からみてバナジウム(V)をリンに置き換えた鉱物になる。金属鉱床の酸化帯にしばしば出現する鉱物で、とりわけめずらしいということは無い。和名が示すように緑色を示す標本がおおかったのだろう。しかし、黄色の結晶もそれなりに見かけ、それはヒ素置換体にあたるミメット鉱とは区別が付かない。さらには紫色の標本もあり、緑鉛鉱という和名は勇み足だったかもしれない。また学名は色とは無関係である。学名は火と形を意味するギリシア語に由来し、溶融体を冷やす過程で結晶が成長するためだとされる。

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褐鉛鉱 / Vanadinite
褐鉛鉱 / Vanadinite
褐鉛鉱 / Vanadinite
褐鉛鉱 / Vanadinite
褐鉛鉱 / Vanadinite
Pb5(VO4)3Cl
群馬県沼田市利根町数坂峠

褐鉛鉱は鉛(Pb)とバナジウム(V)を主成分とする燐灰石族の鉱物で、学名はバナジウムを主成分とすることに由来する。褐色を示す結晶が典型的であることから、褐鉛鉱という和名となっている。一方でバナジン鉛鉱の呼び名もよく使用され、どちらが良いということではなく、それは個人の好みである。褐鉛鉱は燐灰石族の鉱物であり、六角形を基本とした針状から柱状結晶として産出する。結晶が太いほど褐色が濃い傾向があるようだ。数坂峠では変質を受けた斑レイ岩中に脈状に分布し、小さいながらも典型的な色、形のわかる良結晶が産出した。

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メラノテック石 / Melanotekite
メラノテック石 / Melanotekite
メラノテック石 / Melanotekite
メラノテック石 / Melanotekite
Pb2Fe3+2O2(Si2O7)
群馬県沼田市利根町数坂峠

メラノテック石は鉛(Pb)と三価鉄(Fe3+)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、世界的にも稀産の鉱物である。日本では今のところ数坂峠が唯一の産地である。変質を受けた苦鉄質岩の裂傷に産出し、黒色で強い光沢をもつ板状~柱状結晶がすばらしい。ここのメラノテック石は世界に誇れる結晶ではないだろうか。原産地(スウェーデン)などでは黒色球として産出する。その姿が融けてできた様に見えることから、「黒」および「融ける」を意味するギリシア語が学名の由来となっている。

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霰石 / Aragonite
霰石 / Aragonite
霰石 / Aragonite
新潟県新発田市赤谷鉱山

霰石 / Aragonite
高知県日高村大花

霰石 / Aragonite
愛媛県伊予市郡中森海岸

霰石 / Aragonite
愛媛県八幡浜市頃時鼻

霰石 / Aragonite
千葉県銚子市長崎鼻

霰石 / Aragonite
CaCO3

霰石は模式地であるAragón(スペイン)に因んで学名が定まった。和名は温泉中に生じることのある球状集合体が霰(あられ)に似ていたことからとされる。その霰は含まれる不純物によって色とりどりに染まることがあり、新潟県赤谷鉱山では青から緑色系統の霰が産出し、所々で鍾乳洞のようになる。鉱山が稼働中には坑道壁が青色に染まっていたと伝わる。しかしそれは霰石としてはむしろ例外的な産状であって、霰石はおもに熱水脈や火山岩の晶洞などに生じる。方解石とは同質異像の関係であり、共存することがある。伊予市ではそういった標本が得られた。結晶は概ね無色透明で、針や棒状、まれに板状結晶で産出し、細い結晶は絹糸光沢を呈する。また放射状にも集合することが多い。玄武岩の晶洞に生じる紅色を呈する結晶も知られている。

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褐鉄鉱 / Limonite
高師小僧
高師小僧
愛知県豊橋市高師原

褐鉄鉱 / Limonite
京都府京都市如意ヶ岳

褐鉄鉱 / Limonite
愛媛県銅山峰

赤鉄鉱や、針鉄鉱、鱗鉄鉱をはじめとした鉄の(水)酸化鉱物の集合体のことを褐鉄鉱と呼ぶ。褐鉄鉱のなかの鉱物構成比率は様々であり、実体としては岩石に近い。湿地帯などで鉄バクテリアの作用によって稲の根の周囲に生じ、しばしば棒状の集合体となる。断面をみるとかつて根があった箇所は空孔となっている。こういった褐鉄鉱は豊橋市の高師原で多く見られたことから、「高師小僧」と呼ばれる。褐鉄鉱は黄鉄鉱の風化過程でも生じ、黄鉄鉱の外観を残したまま褐鉄鉱に変質した結晶は「升石」と呼ばれる。小さなものは砂鉱として頻繁に見られる。褐鉄鉱は含銅硫化鉄鉱鉱床の風化帯に大規模に生じることがあり、それは「ヤケ」と称され、別子銅山の発見のきっかけともなった。このような褐鉄鉱の中には微細なデラフォッス石(Delafossite)が生じている。褐鉄鉱の英名は湿った草原を意味するギリシア語にちなんで名付けられた

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トリニティー / Trinity
トリニティー / Trinity
京都府京丹後市峰山町大路

鋭錐石板チタン石ルチルはいずれもTiO2を理想化学組成とする鉱物で、同質異像(組成が同じで構造が異なる)関係にある。写真は京都府大路のペグマタイトから産出した三位一体(トリニティー)標本。緑色を帯びた紡錘形結晶が鋭錐石、透明感のある黄色板状結晶が板チタン石、黄~橙色で三角形集合となっている基盤がルチル。このような標本はおそらくたいへんめずらしい。

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ルチル / Rutile
ルチル / Rutile
愛媛県新居浜市銅山川

ルチル / Rutile
山口県阿武町宇久鉱山

ルチル / Rutile
TiO2

ルチルはチタン(Ti)の酸化鉱物であり、鋭錐石板チタン石と同質異像の関係にある。その中でもルチルは最も安定なため、様々な地質環境で生じる。三波川帯では角閃岩を切る石英脈中に濃赤色の柱状結晶がよく見られる。徳島県眉山からのルチルが古典標本として知られるが、愛媛県の銅山川や関川でも転石中からしばしば見つかる。蝋石鉱床では錫石成分を少し固溶した黒色結晶となる。学名は赤みがかったという意味をもつラテン語に由来する。和名では金紅石(きんこうせき)と呼ばれることもあったが、今ではたんにルチルと呼ぶことが多い。

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紅簾石 / Piemontite
紅簾石 / Piemontite
紅簾石 / Piemontite
紅簾石 / Piemontite
Ca2(Al2Mn3+)[Si2O7][SiO4]O(OH)
長崎県長崎市琴海戸根鉱山

紅簾石は緑簾石族の一員で、緑簾石から見て三価マンガン(Mn3+)置換体に相当する鉱物である。広域変成岩中に発達するマンガン鉱床においてブラウン鉱を密接に伴い、濃紅色の柱状結晶で産出する。いわゆる紅簾石片岩の主要構成鉱物が紅簾石だと思われているが、ブラウン鉱が伴われていなければそれは緑簾石である。学名は何度か変更されているが、現在の学名は発見された地域に因んでいる。

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緑簾石 / Epidote
焼き餅石
緑簾石 / Epidote
長野県武石村下本入

緑簾石 / Epidote
栃木県鹿沼市横根山

緑簾石 / Epidote
愛媛県新居浜市銅山川

緑簾石 / Epidote
Ca2(Al2Fe3+)[Si2O7][SiO4]O(OH)

緑簾石は緑色の結晶がすだれ(簾)のように連なって集合する様から和名がついている。一般的な造岩鉱物で、様々な岩石に普遍的に含まれる。長野県の武石村では凝灰岩中に「焼き餅石」と呼ばれる褐色を帯びた球が胚胎されており、それを割ってみると中身に緑簾石の結晶が成長していることがある。また、少量の三価マンガン(Mn3+)を固溶した緑簾石は紅色を呈し、広域変成岩では主要構成鉱物となる。こういった結晶は紅簾石と呼ばれているが、鉱物種としての紅簾石であることは非常に稀で、ほとんどは緑簾石にとどまる。学名は結晶外形の特徴からギリシア語で増加を意味するepidosisに因む。

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イネス石 / Inesite
イネス石 / Inesite
イネス石 / Inesite
イネス石 / Inesite
Ca2Mn2+7Si10O28(OH)2·5H2O
高知県香美市吉井鉱山

イネス石はいわゆるマンガン鉱物であり、普遍的な元素を主成分とする鉱物だが見かけることがかなり少ない。高知県吉井鉱山のイネス石は桃色の繊維状から板状結晶として産出し、マンガン鉱石中の方解石脈に伴われていた。褐色や黒色に変化しやすいとされるが、写真の標本については色の変化は特に無いように思える。モノによるのだろう。学名は肉の線維という意味のギリシア語に由来しており、原産地のイネス石は濃いオレンジ色をしている。

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灰鉄輝石 / Hedenbergite
灰鉄輝石 / Hedenbergite
長野県川上村甲武信鉱山

灰鉄輝石 / Hedenbergite
大分県豊後大野市尾平鉱山

灰鉄輝石 / Hedenbergite
岐阜県美山町柿野鉱山

灰鉄輝石 / Hedenbergite
CaFe2+Si2O6

灰鉄輝石はカルシウム(Ca)と二価鉄(Fe2+)を主成分とした輝石族鉱物で、主にスカルンで見られる。端成分に近い組成で大きな柱状結晶は強い光で透かすと緑色が確認できるが、ぱっと見ではほとんど黒色にみえる。同じような組成でも非常に細い結晶だと緑色を示すが、急速に変色して枯れ草のような色合いとなる。しばしば透輝石と固溶体を形成し、透輝石との境界に近い組成の結晶は細くとも淡い緑色が維持される。学名はスウェーデンAnders Ludvig Hedenberg (1781-1809)に因む。灰鉄輝石を分析、記載したJöns Jakob Berzeliusの共同研究者であったと伝わる。

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トロゴム石 / Thorogummite
トロゴム石 / Thorogummite
トロゴム石 / Thorogummite
(Th,U)(SiO4)1-x(OH)4x
愛媛県松山市立岩鉱山

トロゴム石はかつて独立種として認められていたが、2014年に鉱物種から抹消となった。今ではトロゴム石は野外名であり、変質・加水・非晶質化したトール石を主とした不均質な混合物のことを指す。実体としては黄土色をした土状の集合体で、長石と黒雲母の境界によく生じる。愛媛県立岩鉱山ではこういったトロゴム石をよく見かけた。トリウム(Th)を主成分とするため放射能を有する。かつての学名はトリウムおよびガムに因むラテン語を元に名付けられた。

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コンドロ石 / Chondrodite
コンドロ石 / Chondrodite
コンドロ石 / Chondrodite
Mg5(SiO4)2F2
愛媛県睦月島熱ノ鼻

コンドロ石はヒューム石族鉱物の一員で、石灰岩やドロマイト岩中に淡橙色で不定型な粒として産出することが多い。おおむねスカルンに見られる鉱物で、産地は少なくないが、その外観からただの汚れと見なされて見落とされがちである。また同族のヒューム石、単斜ヒューム石、ノルベルグ石とは外観上の区別はできない。学名は粒を意味するギリシア語に由来する。和名は粒石とするのではなく学名のカタカナ読みで対応する。

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セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
京都府京都市如意ヶ岳

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
三重県津市白山町福田山鉱山

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
愛媛県今治市波方町馬刀潟

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
愛媛県今治市波方町森上

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
愛媛県松山市立岩鉱山

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
栃木県鹿沼市横根山鉱山

セリウム褐簾石 / Allanite-(Ce)
CaCe(Al2Fe2+)[Si2O7][SiO4]O(OH)

褐簾石は主成分とする希土類元素によって種が分けられ、日本ではセリウム褐簾石の産出が最も多い。花崗岩や閃長岩の構成鉱物であり、砂鉱として得られることがある。ペグマタイトで巨晶となるほか、マンガン鉱床にも顔を出す。板状から柱状結晶で、外観は黒色だが薄片では褐色を示す。しばしばトリウム(Th)を非常に多く含み、そういった標本では周囲の長石が赤色化する。セリウム上田石とはしばしば化学組成が連続し、外観から区別することができない。学名は人名に由来しており、最初にこの鉱物を見出したスコットランドの銀行家で鉱物学者でもあったThomas Allan(1777-1833)に因んでいる。

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ケティヒ石 / Köttigite
ケティヒ石 / Köttigite
ケティヒ石 / Köttigite
Zn3(AsO4)2·8H2O
岡山県新見市扇平鉱山

扇平鉱山はレグランド石の良標本を産出したことで有名で、その標本にはケティヒ石もしばしば伴われる。レグランド石と同じく亜鉛(Zn)を主成分とする含水ヒ酸塩鉱物であるが、色が全く異なり、黄色のレグランド石に対してケティヒ石は青白い。板状結晶やそれが束になって褐鉄鉱の隙間に見られる。藍鉄鉱コバルト華と共通の結晶構造。ケティヒ石を最初に分析したとされる、ザクセン王国(現ドイツ)の化学者であるOtto Friedrich Köttig (1824-1892)に因んで命名された。

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レグランド石 / Legrandite
レグランド石 / Legrandite
レグランド石 / Legrandite
Zn2(AsO4)(OH)·H2O
岡山県新見市扇平鉱山

レグランド石は最初の標本を提供したLouis C.A. Legrand(1861-1920)に因んで命名された鉱物で、亜鉛(Zn)を主成分とする含水ヒ酸塩鉱物である。黄色透明な結晶を特徴とする。結晶端は斜めにそぎ落とされた形状となりやすいが、平らのこともある。日本では宮崎県土呂久鉱山や岡山県扇平鉱山の酸化帯から産出の報告がある。標本としては扇平鉱山のほうをよく見かけ、多孔質な褐鉄鉱に伴われる。

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輝水鉛鉱 / Molybdenite
輝水鉛鉱 / Molybdenite
岐阜県白川村平瀬鉱山

輝水鉛鉱 / Molybdenite
島根県奥出雲町小馬木鉱山

輝水鉛鉱 / Molybdenite
MoS2

輝水鉛鉱はモリブデン(Mo)の硫化鉱物で、石墨と同じく滑るように薄くはがれる性質を持っている。金属光沢を示す鉛灰色の六角板状結晶として産出する例が典型として知られるが、微細粒が集合した塊では黒色となる。石英脈や炭酸塩脈に伴われることが多く、小規模な産出なら日本でも産地が多い。極めてまれにモリブデン酸塩鉱物である神岡鉱や伊勢鉱を伴うことがある。古くは輝水鉛鉱と石墨は同じ名称で呼ばれていたが、輝水鉛鉱は酸に溶け、石墨は酸に溶けない性質から名称が分かれたとされる。もとは鉛を意味するギリシア語が学名の由来となっているそうだ。

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トチリン鉱 / Tochilinite
トチリン鉱 / Tochilinite
トチリン鉱 / Tochilinite
トチリン鉱 / Tochilinite
6(Fe0.9S)·5[(Mg,Fe)(OH)2]
岐阜県揖斐川町春日鉱山

トチリン鉱はFeS4からなる多面体層と、Mn(OH)6からなる多面体層がファンデルワールス力で交互に重なる構造となっている。バレリー鉱などと共にとりあえずのところ硫化鉱物に分類されている。トチリン鉱は蛇紋岩から主に見出される鉱物だが、日本ではスカルンからも見いだされている。春日鉱山では金属光沢を示す灰黒色の針状から葉片状結晶が放射状に集合し、磁鉄鉱を伴って石灰岩中に帯状に分布する。学名をVoronezh大学(ロシア)で鉱物学の教授を務めたMitrofan Stepanovich Tochilin(1910-1968)に因む

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単斜アタカマ石 / Clinoatacamite
単斜アタカマ石 / Clinoatacamite
愛媛県伊方町大久

単斜アタカマ石 / Clinoatacamite
愛媛県伊方町童子碆

単斜アタカマ石 / Clinoatacamite
Cu2Cl(OH)3

単斜アタカマ石はアタカマ石と同質異像となるハロゲン鉱物で、銅を含む鉱石と海水との反応で生じる。透明感のある濃緑色で三角形の面が特徴的な結晶となるが、アタカマ石やパラアタカマ石もしばしばそのような結晶形となる。見た目でそれらを区別することはできず、調べてみて初めてその存在を個別に認識できる。鉱滓中にも生じることがあり、童子碆の標本は海岸に打ち捨てられた鉱滓中に生じていた。学名はアタカマ石(斜方晶系)のようでありながらも単斜晶系の外形を持つことに由来する。

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インヨー石 / Inyoite
インヨー石 / Inyoite
インヨー石 / Inyoite
インヨー石 / Inyoite
CaB3O3(OH)5·4H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山四番坑

インヨー石はカルシウム(Ca)を主成分とした含水のホウ酸塩鉱物であり、布賀鉱山においては田邊晶洞付近の天盤に付着していた。環境が整えば室温でも生じることから、布賀鉱山では二次鉱物として生じたと考えられている。方解石の菱形結晶に似た姿で産出するが、無色透明であるため写真でその形状をうまく表現することが難しい。学名は発見地の鉱山が位置するInyo County(アメリカ)に因む。

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スローソン石 / Slawsonite
スローソン石 / Slawsonite
スローソン石(短波紫外線照射)
スローソン石 / Slawsonite
Sr(Al2Si2O8)
高知県高知市円行寺

スローソン石はアメリカを模式地とする鉱物であるが、標本として立派なものは日本から報告されている。高知県円行寺近隣ではロジン岩を含む蛇紋岩が分布しており、そのロジン岩中に脈状にスローソン石の結晶が分布する。脈中にはやや灰色を帯びた透明な柱状結晶の一面を伺うことができ、短波紫外線照射によって濃いピンク色に蛍光する。長石の仲間であり当初はパラセルシアンやダンブリ石と同じ構造と報告されたが、生成条件によって異なった対称性も現れる。学名はミシガン大学で鉱物学の教授を務めたChester Baker Slawson(1898-1964)に因む。名前がローソン石と似ているがそれとは無関係。

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ブラウン鉱 / Braunite
ブラウン鉱 / Braunite
愛媛県大洲市用ノ山鉱山

ブラウン鉱 / Braunite
長崎県長崎市戸根鉱山

ブラウン鉱 / Braunite
Mn2+Mn3+6O8(SiO4)

ブラウン鉱はマンガン(Mn)の主要な資源鉱物であり、多くのマンガン鉱山で見かける。典型的には微細な結晶粒が緻密に集合した黒色塊として産出するため、肉眼的な結晶を見かけることはまずない。一方で長崎県戸根鉱山ではなぜか結晶ばかりという例外的な産地となっている。正方晶系であるが単純な四角柱状という結晶は見かけることはほぼなく、結晶は多彩な面で構成される。結晶面、破断面ともに光沢が強い。学名はゴータ公国(現ドイツ)の領主であったWilhelm von Braun (1790-1872)に因む。記載のための標本を提供したと伝わる。

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単斜灰簾石 / Clinozoisite
単斜灰簾石 / Clinozoisite
単斜灰簾石 / Clinozoisite
愛媛県四国中央市関川

単斜灰簾石 / Clinozoisite
栃木県日光市上三依

単斜灰簾石 / Clinozoisite
Ca2Al3[Si2O7][SiO4]O(OH)

単斜灰簾石もまた広域変成岩において一般的な造岩鉱物として知られる。石英片岩や角閃片岩中に板状から柱状結晶で広く認められ、関川では単斜灰簾石からなる塊も得られた。スカルンや金属鉱床からも見いだされ、小さい結晶は透明な針状となる。そうした姿ではほかの鉱物(例えばバスタム石)ともの差異はあまりなく、肉眼鑑定のみで決めることは難しい。色は様々。また単斜灰簾石は様々な元素を固溶することが通常で、鉄を含むことが多い。灰簾石よりも後で見いだされた鉱物で、斜方晶系である灰簾石の単斜晶系型だと考えられたことが学名の由来となっている。しかし晶系だけでなく構造も異なっており、灰簾石と単斜灰簾石は同質異像の関係となっている。

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灰簾石 / Zoisite
灰簾石 / Zoisite
愛媛県四国中央市関川

灰簾石 / Zoisite
灰簾石 / Zoisite(切断面)
愛媛県新居浜市銅山川

灰簾石 / Zoisite
新潟県糸魚川市姫川

灰簾石 / Zoisite
Ca2Al3[Si2O7][SiO4]O(OH)

灰簾石は広域変成岩において一般的な造岩鉱物の一つで、例えば三波川変成岩には普通に含まれている。ところがこれぞ灰簾石という標本はあまり思い浮かばない。とりあえず自分がよく知る灰簾石は愛媛県関川で見られる結晶である。粗粒な緑簾石片岩を切る白色脈が灰簾石であり、うまく割れると無色透明な灰簾石の柱状結晶が緑簾石と並ぶコントラストのある良い標本になる。関川から東赤石山を挟んで反対側にある銅山川では角閃石片岩の主要構成鉱物として産出し、結晶形は見えないがわずかに紫がかる産状があった。新潟県姫川では白雲母岩に灰簾石が伴われる。灰簾石はたとえ色づいていたとしても分析してみるといつも純粋な組成に近い。同質異像である単斜灰簾石が幅広い固溶体を形成することと対照的である。もともとは模式地に由来するsaualpiteという名称であったが、オーストリアの学者であるSigmund Zois(1747-1819)に因んで再命名された。新鉱物であることに最初に気づいた人物とされる。和名については大正期では黝簾石(ゆうれんせき)となっている。灰簾石の初出はいつだろうかよくわからない。

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ベスブ石 / Vesuvianite
ベスブ石 / Vesuvianite
長野県川上村甲武信鉱山

ベスブ石 / Vesuvianite
宮崎県日之影町尾小八重

ベスブ石 / Vesuvianite
愛媛県睦月島熱ノ鼻

ベスブ石 / Vesuvianite
静岡県静岡市葵区口坂本

ベスブ石 / Vesuvianite
(Ca,Na)19(Al,Mg,Fe)13(SiO4)10(Si2O7)4(OH,F,O)10

ベスブ石は古くから知られた鉱物で主にスカルンに出現する。結晶形は四角柱状を基本とした姿であるが、それが面の発達の程度によってひずんだように見えることもあり、また太かったり細かったりと多様である。結晶端は平坦である場合が多いように感じるが、斜めにそぎ落としたような面が出て尖ることもある。色や透明感は産地ごとに固定されているような印象で、例えば甲武信鉱山では褐色系統の標本ばかりであるが、口坂本の標本は透輝石と誤解しそうな透明な緑色の結晶となっている。結晶形状だけをみるとジルコンとも紛らわしい。塊状で産出する場合はざくろ石と判断がつかないことも多い。今のところベスブ石族は確立されていないが、近縁鉱物は10種ほど知られている。一方で現時点において日本で確認されているのはここに挙げたベスブ石のみとなっている。ホルツタムざくろ石を記載した際に、秩父鉱山石灰沢においてはアルミノベスブ石もしくは苦土ベスブ石が産出することを見出しているが、構造解析ができるサイズではなかったため確実な同定には至っていない。名称については初め「hyacinthus dictus octodecahedricus」と呼ばれ、次いで「hyacinte du Vesuve」となった。結晶形が他の鉱物(例えばジルコン)と紛らわしいため、見せかける、混同するというギリシア語に基づいて「idocrase」と呼ばれたこともある。ヴェスヴィオ火山(monte Vesuvio)を模式地とし、1795年には「Vesuvian」と記されている。いつ頃に「ite」が追加されたのかはたどれなかった。

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ダイアスポア / Diaspore
ダイアスポア / Diaspore
大分県佐伯市木浦鉱山

ダイアスポア / Diaspore
新潟県糸魚川市青海川(紫色部)

ダイアスポア / Diaspore
新潟県糸魚川市青海川

ダイアスポア / Diaspore
AlO(OH)

ダイアスポアはベーム石の同質異像となる鉱物である。日本では木浦鉱山のエメリー鉱床に伴われる標本がよく知られているが、ラテライトやボーキサイトなどアルミニウムに富む土壌を起源とする変成岩であれば、堆積岩に近い低変成度の岩石にも出現する。新潟県ではダイアスポア、ぶどう石、ソーダ雲母からなる岩石が見られ、その裂傷には再結晶したダイアスポアの板状結晶も伴われる。無色、緑色系統、紫色を帯びた灰色など色は多様で、針状から板状結晶となる。へき開はガラス光沢から真珠光沢を示して強く輝き、石英と同じくらいの硬度を有する。強熱するとバラバラに崩壊するため、散らばるという意味のギリシア語が学名の由来となっている。

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ブロシャン銅鉱 / Brochantite
ブロシャン銅鉱 / Brochantite
ブロシャン銅鉱 / Brochantite
Cu4(SO4)(OH)6
秋田県鹿角市尾去沢鉱山

ブロシャン銅鉱は銅鉱床の酸化帯に普通に生じる二次鉱物であり、産地は多い。多くは緑色の皮膜状で産出し、そういった形態では孔雀石と紛らわしい。一方で結晶として産出するとなかなか見事であり、ブロシャン銅鉱の結晶は透明感のあるやや青色を帯びた緑色が独特だと感じる。結晶は放射状に開いた集合となることが多い。学名はフランスの地質学者・鉱物学者であるAndré-Jean-François-Marie Brochant de Villiers(1772-1840)に因む。

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アフウィル石 / Afwillite
アフウィル石 / Afwillite
アフウィル石 / Afwillite
Ca3[SiO3(OH)]2·2H2O
岡山県高梁市備中町布賀

アフウィル石は南アフリカのキンバリーで最初に見いだされた鉱物で、De Beersダイヤモンド会社の元役員であるAlpheus Fuller Williams(1874–1953)に因んで名付けられた。日本では三原鉱山や布賀から産出の報告があり、スパー石を切る脈として見られる。やや乳白色を帯びた透明な板状から柱状結晶が放射状に集合する。高温スカルンに産出するが、一連の変成作用の晩期に生成する鉱物であり、生成温度は100-200℃程度と見積もられている。

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孔雀石 / Malachite
孔雀石 / Malachite
孔雀石 / Malachite
Cu2CO3(OH)2
秋田県大仙市協和亀山盛鉱山

銅鉱床にはほとんど必ず伴われる二次鉱物であり、銅の二次鉱物としては最も多産する。銅鉱山の石捨て場などでは孔雀石の生成によって全体が緑に色づいて見えたりする。一般的には淡い緑の被膜状で産出し、それは標本としてはあまり魅力的ではないが、たまに濃い緑色の繊維状結晶が集合した孔雀石を見かける。秋田県荒川鉱山などでは微細な孔雀石が層状に沈殿して縞模様を成す標本が知られている。その一方で単結晶での産出はこれまで見たことがない。アオイ科植物の葉のような緑色を暗示するギリシア語が学名の由来となっている。和名については諸説あるものの、経緯などよくわからない。遅くとも江戸期には孔雀石という名称が使われていたようだ。

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方鉛鉱 / Galena
方鉛鉱 / Galena
宮城県栗原市鶯沢細倉鉱山

方鉛鉱 / Galena
北海道札幌市豊羽鉱山

方鉛鉱 / Galena
PbS

鉛(Pb)の重要な資源鉱物である方鉛鉱は古くから方々で積極的に採掘され、とりわけ江戸期においては灰吹法によって粗銅から金や銀を回収するために大量の鉛が必要とされた。方鉛鉱は鉱物標本としても人気がある。鉛灰色で四角形や三角形の面に囲まれたごろっとした結晶が特徴的で、完全なへき開があるために断面は非常に強く輝く。ただし時間がたつにつれ白っぽくなることが多い。閃亜鉛鉱と非常によく共存する。ギリシア語で鉛鉱石を意味する言葉がそのまま学名となっており、和名は結晶形と組成との造語。

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鉄斧石 / Axinite-(Fe)
鉄斧石 / Axinite-(Fe)
大分県豊後大野市尾平鉱山

鉄斧石 / Axinite-(Fe)
宮崎県日之影町尾小八重

鉄斧石 / Axinite-(Fe)
Ca4Fe2+2Al4[B2Si8O30](OH)2

斧石を冠する鉱物がいくつかある中で、鉄斧石は尾平鉱山において日本で初めて見いだされた斧石である。尾平鉱山の鉄斧石については数センチの結晶はざらに見かけ、ときに10センチを超えることもあり、そういった結晶が放射状にぶわっと展開する標本が有名であろう。尾平鉱床区として見たとき産地は宮崎県にもまたがり、日之影町からの鉄斧石もまたよく知られる。斧に例えられる名称を持つその結晶は平たくエッジが鋭い。透明感のある茶色であることが多いが、紫色を帯びた灰色もあり、主に化学組成によると思われる。学名も斧を意味するギリシア語に由来する。2007年以降は接尾語を用いてその主成分を表すようになった。

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ベルチェ鉱 / Berthierite
ベルチェ鉱 / Berthierite
ベルチェ鉱 / Berthierite
FeSb2S4
奈良県吉野町三津

ベルチェ鉱はアンチモン(Sb)の資源として採掘対象になる鉱物で、日本では石英を主体とする熱水脈鉱床において輝安鉱に伴われることが多い。ベルチェ鉱ばかりの鉱床もあるが、おおむね小規模。鉛灰色の金属光沢を示し、板状から棒状の結晶となる。その外観は輝安鉱によく似るため新鮮な標本では見分けは困難。しかし、輝安鉱が黄色に変質しやすいことに対して、ベルチェ鉱は黒色から褐色に変質することが多い。変質の程度が軽い場合は結晶が虹色をまとう。学名はフランスの化学者・鉱物学者であるPierre Berthier(1782-1861)に因む。別の鉱物であるベルチェリン(Berthierine)もまたBerthierに因んで命名されている。

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灰束沸石 / Stilbite-Ca
灰束沸石 / Stilbite-Ca
愛媛県久万高原町槙の川

灰束沸石 / Stilbite-Ca
愛媛県久万高原町高殿

灰束沸石 / Stilbite-Ca
愛媛県松山市浅海

灰束沸石 / Stilbite-Ca
三重県熊野市大泊町

灰束沸石 / Stilbite-Ca
NaCa4(Si27Al9)O72·28H2O

灰束沸石はカルシウム(Ca)を主要な交換可能な陽イオンとする束沸石のことで、その名が示すように束状で産出することが非常に多い。結晶が平行に連なった集合体は灰輝沸石と、単独の結晶はステラ沸石と紛らわしいことがある。個々の結晶は無色から白色の平板状で、結晶端は平坦や三角。個体によってはガラスもしくは真珠光沢を示す。そういった光沢や鏡を意味するギリシア語と主成分に基づいて学名が定められた。和名は産出形態に由来する。

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スコレス沸石 / Scolecite
スコレス沸石 / Scolecite
スコレス沸石 / Scolecite
CaAl2Si3O10·3H2O
愛媛県久万高原町高殿

沸石はフレームワークの種類とシリコン(Si):アルミニウム(Al)の比、それから「交換可能な陽イオン」に基づいて種が分けられる。学名はフレームワークについて根源名(ルートネーム)が与えられ、その陽イオンについては接尾語を用いて表記する。例えばカルシウム輝沸石だと学名はHeulandite-Caの表記になり、Caがカッコに囲まれずにむき出しなのは「交換可能」であることを意味している。そういった点でスコレス沸石の場合はやや例外な扱いになる。スコレス沸石、ソーダ沸石中沸石については、実は同じフレームワークで陽イオンの種類が異なる関係にある。つまり上のルールに基づくとこれら三種は一つの根源名と接尾語の関係となってもいい。しかしそうなっていないのは、スコレス沸石、ソーダ沸石、中沸石のフレームワークの中にある陽イオンが交換不可能な関係にあるためである。簡単には固溶体が成立しないと考えればよい。そのためスコレス沸石はほかの二種と同じフレームワークでありながらも単独の根源名で区別され、カルシウム(Ca)を主成分とする。スコレス沸石は絹糸光沢を示す白色の針状もしくは板状結晶で産出し、多くの場合で放射状に集合する。学名は虫を意味するギリシア語に由来し、スコレス沸石の結晶を強熱するとミミズや芋虫のように変形することが知られている。

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珪灰石 / Wollastonite
珪灰石 / Wollastonite
愛媛県小大下島

珪灰石 / Wollastonite
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

珪灰石 / Wollastonite
福島県郡山市逢瀬町多田野

珪灰石 / Wollastonite
CaSiO3

珪灰石はスカルンにおいて最も多産するケイ酸塩鉱物であろう。スカルンだけではなく火成岩や広域変成岩にも生じ、産地は日本中いたる所にある。鉱物採集の旅/四国・瀬戸内編という書籍の中に珪灰石の産地として愛媛県小大下島が挙げられており、真白い絹糸のような美しい鉱物と紹介されていた。このように珪灰石は白色の繊維状結晶で産出し、束状から放射状に集合することが多い。ただしそのような繊細な結晶ばかりではなく、秩父鉱山石灰沢では親指より太い柱状の結晶がざくざく突き刺さっている露頭が見出されている。福島県多田野からは頭付きの無色透明な結晶が産出した。これは稀な例だと思われる。学名はイギリスの化学者・鉱物学者であるWilliam Hyde Wollaston(1766-1828)への献名となっている。

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黒曜石 / Obsidian
黒曜石 / Obsidian
黒曜石 / Obsidian
島根県隠岐の島町久見

黒曜石は天然に産出する流紋岩質組成で非晶質なガラスを指し、鉱物ではなく岩石である。黒色で光を美しく反射させる様から江戸期に黒曜石の名が与えられた。非常に良い名だと思う。縄文時代から良質な石器原料として各地で採掘されており、隠岐の島の黒曜石は広域に流通していたとされる。英名はエチオピアにおいてObsiusという人物がこの石を発見したことに由来すると伝わる。

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スパー石 / Spurrite
スパー石 / Spurrite
スパー石 / Spurrite
岡山県高梁市備中町布賀西露頭

スパー石 / Spurrite
岡山県高梁市備中町布賀北露頭

スパー石 / Spurrite
Ca5(SiO4)2(CO3)

スパー石はティレー石と同じく炭酸基を持つケイ酸塩鉱物で、これもまた高温スカルンに生じる。これまで結晶として産出した例を見たことがなく、いつも微粒子が集合した塊状で産出する。本来は無色から白色の鉱物であるため、上記の産状と相まって現場でその産出に気づくことは難しい。しかし布賀では紫色を呈する見事なスパー石が産出し、その標本は世界的にもたいへん有名となっている。また青色を呈するスパー石も見つかっている。発色の本質的な要因は特定されていないように感じる。スパー石はその標本を最初に発見した資源地質学者のJosiah Edward Spurr (1870-1950)に因んで命名された。

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ティレー石 / Tilleyite
ティレー石 / Tilleyite
ティレー石 / Tilleyite
Ca5Si2O7(CO3)2
岡山県高梁市備中町布賀北露頭

ティレー石は炭酸基を含む珍しいケイ酸塩鉱物で、高温スカルンで生成される。日本では広島県久代や岩手県赤金鉱山などが産地として知られるが、標本としては布賀産のティレー石が優れている。一般には無色から白色であるため鑑定が至難だが、布賀産のティレー石は全体的に白色ではありながらも黒色の斑模様が良く伴われるため分かりやすい。またへき開が完全な鉱物であり、手のひら大の標本がそのままへき開片ということも珍しくない。Cambridge大学(イギリス)の教授を務めた岩石学者のCecil Edgar Tilley (1894-1973)に因んで命名された。

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自然銅 / Copper
自然銅 / Copper
岩手県西和賀町土畑鉱山

自然銅 / Copper
栃木県日光市足尾銅山

自然銅 / Copper
奈良県吉野村三尾鉱山

自然銅 / Copper
愛媛県伊方町三崎

自然銅 / Copper
Cu

自然銅は、銅(Cu)の元素鉱物である。銅は人類が道具に加工した最初の金属の1つともいわれ、精錬の必要のない自然銅は利用しやすかったであろう。いわゆる銅鉱床において黄銅鉱などを主体とした鉱脈には自然銅は産出せず、鉱床の酸化帯において沈殿銅として二次的に生じる。三波川帯の結晶片岩では緑色片岩中の石英脈に伴われることがある。新鮮な状態ではCopper-redと称される独特な色を示し、沈殿銅では八面体の一部のような結晶面が見られることがあるが、全体としては不定形。結晶片岩中のものは破断した状態で得られるため、元の形状は不明。裂傷に生じる場合は箔として産出する。鑑定は難しくないが、以前に結晶片岩から黄金色を示す標本が得られた。調べてみたらそれもまた自然銅であった。一般には風化などで変質が進むと黒くなり、分解を伴うと孔雀石が生じる。学名はラテン語で銅を意味するcuprumに由来する英名となっている。

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灰菱沸石 / Chabazite-Ca
灰菱沸石 / Chabazite-Ca
埼玉県吉見町八反田

灰菱沸石 / Chabazite-Ca
島根県西ノ島町山神溜池

灰菱沸石 / Chabazite-Ca
福島県飯館村須佐字前乗

灰菱沸石 / Chabazite-Ca
佐賀県唐津市鎮西町

灰菱沸石 / Chabazite-Ca
愛媛県久万高原町高殿

灰菱沸石 / Chabazite-Ca
Ca2[Al4Si8O24]·13H2O

菱沸石もまた交換可能な陽イオンによっていくつか種が分けられ、灰菱沸石はカルシウム(Ca)を主成分とする。菱沸石を関する沸石の中で灰菱沸石はおそらくはもっとも普遍的に産出する。菱形や枡形の結晶として見られることが非常に多く、それは和名の由来にもなっている。色は無色から白色であることがほとんどであるが包有物によって色づく結晶も知られる。かなり例外的な事例として包有物無しでも色づくことがあり、福島県飯館村で採集された灰菱沸石は青みを帯びていた。また、多重の双晶によってそろばん玉様の形状となることもあり、そういったものはファコライトと呼ばれる。玄武岩や安山岩の晶洞や空隙にしばしば認められ、蛇紋岩を切る沸石脈の主要構成鉱物にもなる。鉱物の美しさを称賛したポエムである「Peri lithos」に登場し、学名はギリシア語で楽曲を意味するchabaziosにちなむとされる。

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ヴァニア石 / Vuagnatite
ヴァニア石 / Vuagnatite
三重県鳥羽市白木

ヴァニア石 / Vuagnatite
高知県高知市円行寺

ヴァニア石 / Vuagnatite
CaAlSiO4(OH)

ヴァニア石はカルシウム(Ca)、アルミニウム(Al)からなる含水のケイ酸塩鉱物で、その組成式は単純と言える。それだけ聞くと普遍的な鉱物に思えるが、思いのほか産地が少なく、結晶標本となるとほとんど見かけることがない。日本では三重県白木と高知県円行寺(近隣も含む)で産出が知られる。わずかに青から黄色味を帯びた透明な柱状結晶がロジン岩中を脈で走り、円行寺では晶洞に四角錘の結晶端をもつ柱状結晶が産出したことがある。ヴァニア石の三価マンガン(Mn3+)置換体はモーツァルト石。ジュネーブ大学(スイス)の教授を務めた地質学者であるMarc Bernard Vuagnat (1922-2015)の長年にわたるオフィオライト研究に敬意を表して命名された。

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カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
青森県中泊町大石沢

カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
愛媛県久万高原町槙の川

カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
愛媛県久万高原町高殿

カリフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(K)
KCa4Si8O20F·8H2O

魚眼石という名称を有する鉱物は3種あるが、もっとも一般的な魚眼石がカリフッ素魚眼石である。産状は玄武岩から安山岩の晶洞や花崗岩ペグマタイトを始めいくらか知られているが、基本的には低温熱水で生じる鉱物であり、ほとんどの場合で沸石が付近に伴われる。無色透明であることが多いが、まれに青やピンク色を呈する。結晶は四角柱状に伸長し、結晶端は平面や錘状。放射状に集合してイガグリ形となることもある。色付きの結晶がイガグリになった様は非常に美しい。加熱によって葉片状に割れる様子を示唆するギリシア語から命名され、後に化学組成を示す接尾語も加わった。魚眼石の呼び名は各言語で多くあり、そのうち英語ではFish-eye stoneと称される。へき開片の輝きが魚の目に似ていることに由来し、和名もその直訳になっている。

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石黄 / Orpiment
石黄 / Orpiment
石黄 / Orpiment
As2S3
北海道札幌市南区定山渓

石黄(せきおう)は火山活動に伴われる熱水変質作用などで生成し、粘土を伴って生じることが多い。黄色から山吹色を呈するヒ素(As)の硫化鉱物である。針状から葉片状の結晶が放射状に集合した姿がしばしば見られ、定山渓では大きな単結晶の産出も見られた。学名はラテン語をベースにしており、金色の顔料を示唆した内容となっている。和名については中国での呼び名を輸入した際に混乱があったようで、雄黄(ゆうおう)もしくは雌黄(しおう)と呼んだ例がある。今では石黄と呼ばれている。

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ハウィー石 / Howieite
ハウィー石 / Howieite
ハウィー石 / Howieite
Na(Fe,Mn)10(Fe,Al)2Si12O31(OH)13
愛媛県大洲市藤の川

ハウィー石は高圧低温型の変成作用を受けた鉄マンガン鉱床に産出する。黒色~黒褐色で葉片状や繊維状の集合体となり、それが脈状に分布することが多い。ハウィー石のマンガン置換体である種山石とは固溶体を形成し、鉄を多く含む種山石とは外観で区別ができない。学名はKing’s College, Londonで教授を務めた岩石学者・鉱物学者であるRobert Andrew Howie (1923-2012)に因む。

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銅重石華 / Cuprotungstite
銅重石華 / Cuprotungstite
銅重石華 / Cuprotungstite
Cu2(WO4)(OH)2
山口県美祢市於福(大和)鉱山

銅重石華は銅(Cu)とタングステン(W)を主成分とする二次鉱物で、ピスタチオグリーンと称される緑色が特徴となっている。被膜や微細粒として主に産出し、その結晶は見たことがない。於福鉱山では灰重石の表面や内部に銅重石華が生じる環境があったようで、本来は白いはずの灰重石の結晶が緑色に染まった標本が知られている。学名は銅とタングステンからの造語となっている。

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ズニ石 / Zunyite
ズニ石 / Zunyite
ズニ石 / Zunyite
ズニ石 / Zunyite
Al13Si5O20(OH,F)18Cl
長野県佐久穂町余地鉱山

ズニ石はろう石鉱床にしばしば出現する、多量のアルミニウム(Al)を主成分とするケイ酸塩鉱物である。結晶はほとんど常に四面体を基本とした形状で現れる。結晶面が強い光沢を示すためにズニ石が表に現れている標本はチカチカと輝く。結晶自体は無色透明ではあるが、その産状から褐色の被膜に覆われやすい。学名は発見地であるZuni鉱山(アメリカ)に由来する。

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自然ビスマス / Bismuth
自然ビスマス / Bismuth
兵庫県養父市大屋町明延鉱山

自然ビスマス / Bismuth
自然ビスマス / Bismuth
栃木県日光市足尾銅山

自然ビスマス / Bismuth
Bi

自然ビスマスは、ビスマス(Bi)の元素鉱物である。いつも端成分に近い組成で、産状としては輝蒼鉛鉱を周囲に伴うことが多い。おおむね不定形で産出するが、破断面には一方向に完全なへき開が現れるため、板状結晶の集合体のように見えることが多い。銀白色にうっすら紅を指したような色あいが特徴的。花崗岩や金属鉱床など産状は多様で、思いがけない場所で見かけたりする。元素としてのビスマスは公式には1753年の発見と言われており、名称は白い塊を意味するドイツ語に由来する。

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藍晶石 / Kyanite
藍晶石 / Kyanite
愛媛県新居浜市国領川

藍晶石 / Kyanite
愛媛県四国中央市関川

藍晶石 / Kyanite
藍晶石 / Kyanite
愛媛県四国中央市浦山川イチノマツコ谷

藍晶石 / Kyanite
Al2SiO5

藍晶石は同質異像である紅柱石珪線石に比較して高圧側で出現する鉱物で、愛媛県東赤石山を中心とした五良津岩体にはしばしば伴われる。和名はおそらく海外から産する結晶の外観を参考に名付けられたと思われ、鮮やかな藍色を示す柱から板状の標本がよく流通している。日本では愛媛県の明石山系から得られる藍晶石において中心部が藍色に染まる結晶が存在するが、全体的には空色を呈する程度にとどまる。ただし愛媛県浦山川の上流域のイチノマツコ谷からは海外の藍晶石にも匹敵する巨大かつ藍色の美結晶が産出した報告があり、そこでは藍晶石岩とも呼べるような藍晶石ばかりなる岩石が存在している。学名は青を意味するギリシア語に由来する。

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紅柱石 / Andalusite
紅柱石 / Andalusite
岩手県住田町奥新切横沢

紅柱石 / Andalusite
福岡県糸島市二丈吉井(福吉)

紅柱石 / Andalusite
Al2SiO5

紅柱石は変成度の指標となる鉱物として、同質異像である珪線石藍晶石などとともに変成岩岩石学では重要視される。低圧低温の環境で出現する鉱物で、変成岩では主にホルンフェルスに生じる。また花崗岩ペグマタイトや熱水変質を受けた粘土鉱床、ろう石鉱床などにも伴われる。ホルンフェルスとしての産状では結晶の中心部に炭化物を含みそれが十字型に配列することがあり、こういった結晶を空晶石と呼ぶ。18世紀末にスペインのAndalusia地域に因んで命名されたが、スペインにそんな名称の地域は存在しないと指摘されている。命名までの過程に何らかの誤解・手違いがあったようだ。

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ペクトライト / Pectolite
ペクトライト / Pectolite
高知県高知市円行寺

ペクトライト / Pectolite
北海道むかわ町富内鉱山

ペクトライト / Pectolite
NaCa2Si3O8(OH)

ペクトライトはソーダ珪灰石とも呼ばれ、珪灰石と同様に準輝石構造となっている。亜ガラス光沢から絹糸光沢を示す白色から透明の板状もしくは柱状結晶となり束状や放射状に集合する。外観だけでは珪灰石とほとんど区別がつかない。スカルンや閃長岩など産出する母岩も様々でロジン岩化が進んだ蛇紋岩中にペクトライトばかりの脈として産出することもある。不純物に乏しく一般に白いが、粒間に菫泥石を含むことで紫色に染まった姿となることがある。ペクトライトからなる集合体は結晶が絡み合っており打撃を加えても割れにくい。よく絡みあることを示唆するギリシア語が学名の由来となっている。

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ドーソン石 / Dawsonite
ドーソン石 / Dawsonite
大阪府泉南市新家昭和池

ドーソン石 / Dawsonite
ドーソン石 / Dawsonite
NaAlCO3(OH)2
高知県仁淀川町坂本

ドーソン石は絹糸光沢をもつ白色の結晶が放射状に集合して産出することが非常に多い。和泉層群中の石灰岩質ノジュールに産出するものが非常に有名だが、それに限られない。例えば中央構造線に沿って産地が点在しており泥質片岩の破砕帯でよくみられ、炭酸塩脈に伴われる。しばしばアルモヒドロカルサイトと共存する。しかし肉眼的に区別はつかない。カナダで最も歴史のあるMcGill大学の学長を務めた地質学者のSir John William Dawson (1820-1899)を称えて命名された鉱物である。Dawsonはドーソン石の発見者であるとされる。

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アタカマ石 / Atacamite
アタカマ石 / Atacamite
和歌山県串本町串本

アタカマ石 / Atacamite
山口県萩市志津木鉱山

アタカマ石 / Atacamite
Cu2Cl(OH)3

銅を含む鉱石や岩石が海岸近くにあると、化学的風化作用によってほとんど必ずアタカマ石を生じる。被膜や粒状の結晶として産出することが多く、結晶が大きくなると板状になるようだが日本の産地ではそれはあまり見かけない。緑色で結晶表面には強い光沢がある。色の濃淡は結晶のサイズのほか化学組成にも依存しており、銅が別の元素に置き換わると色が淡くなる傾向がある。パラアタカマ石をしばしば伴っているが、外観からは判別できないことが多い。ボタラック石とは同質異像の関係。アタカマ砂漠(チリ)を模式地とする鉱物であることから地名に基づいて命名された。

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ステラ沸石 / Stellerite
ステラ沸石 / Stellerite
愛媛県伊予市双海町

ステラー沸石 / Stellerite
福島県郡山市熱海町安子島蓬山

ステラ沸石 / Stellerite
Ca4(Si28Al8)O72·28H2O

ステラ沸石は真珠光沢を有する面が大きくでた板状結晶として産出し、その外観上の特徴は束沸石とほとんど共通する。それもそのはずで、両者は化学組成が異なるが結晶構造の基本的な枠組みが一致している。経験的には単結晶で産出すればステラ沸石、束状集合であれば束沸石であることが多いとされる。それが実際にどこまで通用するか検証したことはないが、写真の標本については見たところ単結晶で、調べてみたら確かにステラ沸石であった。学名はドイツ生まれの探検家・動物学者であるGeorg Wilhelm Steller (1709-1746)に因んで名付けられた。

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藍鉄鉱 / Vivianite
藍鉄鉱 / Vivianite
藍鉄鉱 / Vivianite
Fe2+3(PO4)2·8H2O
三重県四日市市

藍鉄鉱は水分子を持つ鉄(Fe)のリン酸塩鉱物で、板状から爪状の結晶で藍色を特徴とする。しかしその色はもともと無色透明だったものが空気に触れたことで変質した状態。濃いものほど変質が進んでいる。変質がさらに進むと褐色になり、サンタバーバラ石へと変化する。藍鉄鉱は土壌や粘土中に球果状に集合してノジュールで産出することが多く、中心に生物の遺骸を持つこともある。学名はイギリスの政治家、鉱物学者であるJohn Henry Vivian (1785-1855)に因んで命名された。藍鉄鉱の発見者だとも伝えられる。

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アルモヒドロカルサイト / Alumohydrocalcite
アルモヒドロカルサイト / Alumohydrocalcite
アルモヒドロカルサイト / Alumohydrocalcite
アルモヒドロカルサイト / Alumohydrocalcite
CaAl2(CO3)2(OH)4·4H2O
徳島県東祖谷山村

四国の中央構造線に伴ってしばしば破砕帯が発達し、著しく変質している露頭が散見される。おおむね炭酸塩鉱物を伴い、微量に含まれるニッケル(Ni)によって緑色化した苦灰石を多く含む。アルモヒドロカルサイトはそういった岩石を切る脈として産出し、絹糸光沢を示す細い針状結晶が放射状に集合する。クロム(Cr)をわずかに含むものはピンク色を呈する。しばしばドーソン石も伴われるが肉眼では判断がつかない。アルミニウム(ALUMinium)、水(HYDRated)、カルシウム炭酸塩(CALCITE)の組成であることから、学名が名付けられた。

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斜開銅鉱 / Clinoclase
斜開銅鉱 / Clinoclase
斜開銅鉱 / Clinoclase
斜開銅鉱 / Clinoclase
Cu3(AsO4)(OH)3
広島県生口島

斜開銅鉱はヒ素と銅を含む鉱床の酸化帯に二次鉱物として生成する鉱物で、かつて生口島では大量に生じた斜開銅鉱によって露頭が藍色に彩られていたと聞く。藍色の板状結晶がしばしば放射状に集合し、岩石の裂傷や空洞に成長する。こうなったとき他の鉱物をあまり伴わない。へき開片の様子から傾いて壊れるという意味のギリシア語が学名の由来となっている。和名はその特徴と銅を含むことによる。

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シデライト / Siderite
シデライト / Siderite
三重県亀山市加太北在家

シデライト / Siderite
新潟県新発田市赤谷鉱山

シデライト / Siderite
愛媛県砥部町古宮鉱山

シデライト / Siderite
愛媛県西条市市ノ川鉱山

シデライト / Siderite
Fe(CO3)

シデライトの学名は鉄を意味するギリシア語に由来し、二価鉄(Fe2+)を主成分とした炭酸塩鉱物である。菱鉄鉱とも言うがここでは学名のカタカナ読みであるシデライトと表現する。堆積岩をはじめ、金属鉱床や火山岩などに伴われるなど多様な産状がある。菱形の結晶よりも爪状結晶で見かけることが多い。色は茶色を帯びがちであるが、無色に近いこともある。茶色を帯びたマグネサイトとは見ただけでは区別がつかない。産状を含めて判断する必要がある。

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灰レビ沸石 / Lévyne-Ca
灰レビ沸石 / Lévyne-Ca
灰レビ沸石 / Lévyne-Ca
灰レビ沸石 / Lévyne-Ca
(Ca,Na2,K2)[Al2Si4O12]·6H2O
島根県西ノ島町国賀

レビ沸石には交換可能な陽イオンとしてカルシウム(Ca)とナトリウム(Na)を主成分とする種が知られており、カルシウムが主成分となる種には灰レビ沸石の名称が与えられた。含まれているケイ酸が少ない沸石であり、玄武岩などの苦鉄質岩の晶洞に無色から白色の六角板状結晶として生じる。同じくケイ酸が少ない沸石である菱沸石やコウルス沸石を伴うことがあるが、レビ沸石ばかりの晶洞となることもまた多い。学名はフランスの鉱物学者であるServe-Dieu Abailard Lévy(1795-1841)に因む。

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ヘルツェンベルグ鉱 / Herzenbergite
ヘルツェンベルグ鉱 / Herzenbergite
ヘルツェンベルグ鉱 / Herzenbergite
SnS
大分県豊後大野市豊栄鉱山

ヘルツェンベルグ鉱は錫(Sn)と硫黄(S)からなるシンプルな化学組成の鉱物である。産地は世界的に少ないわけではない。ただしそれは鉱石中にわずかに含まれる微細粒という産出であって、結晶標本となると今でもなかなか目にする機会が少ない。その一方、かつて豊栄鉱山からヘルツェンベルグ鉱の結晶が産出し、それは世界的に貴重な標本として図鑑などで紹介された。鋼鉛灰色で箔状の結晶が密な集合をつくる。ボリビアで最初に見いだされた鉱物で、化学者であるRoberto Herzenberg (1885-1955)に因んで命名された。

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毛鉱 / Jamesonite
毛鉱 / Jamesonite
愛媛県砥部町古宮鉱山

毛鉱 / Jamesonite
毛鉱 / Jamesonite
大分県豊後大野市豊栄鉱山

毛鉱 / Jamesonite
Pb4FeSb6S14

毛鉱はその名が示すように毛のように見える黒~灰色の金属鉱物で、細い結晶は曲線的に伸びて放射状や束状に集合する。ある程度の太さになると、板状から柱状で直線的にすっとした形状となる。そういった結晶は輝安鉱とよく似るが、輝安鉱のように折れ曲がって成長する姿はあまり見かけない。また全体的にブーランジェ鉱(Boulangerite)とよく似ており、見た目で両者を区別することは非常に難しい。一方、ブーランジェ鉱が割と珍しい鉱物であることに対して、毛鉱はマンガン鉱床やスカルン型の金属鉱床でしばしば伴われる。学名はエジンバラ大学(イギリス)の教授であったRobert Jameson (1774-1854)に因む。

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デソーテルス石 / Desautelsite
デソーテルス石 / Desautelsite
デソーテルス石 / Desautelsite
Mg6Mn3+2(CO3)(OH)16·4H2O
高知県高知市円行寺

デソーテルス石はマグネシウムと三価マンガンを主成分とする炭酸塩鉱物で、世界的には産地が少ない珍しい鉱物であるが、日本では三カ所の産地が知られている。いずこも蛇紋岩地帯であり、円行寺では変質した蛇紋岩の裂傷に明るいオレンジ色をした箔状の結晶がふわっと重なったような姿で産出する。鳥羽市白木では六角板状結晶が産出したと聞いている。スミソニアン博物館のキュレーターであるPaul Ernest Desautels (1920-1991)への献名として命名された。

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ストロンチウム輝沸石 / Heulandite-Sr
ストロンチウム輝沸石 / Heulandite-Sr
ストロンチウム輝沸石 / Heulandite-Sr
NaSr4(Si27Al9)O72·24H2O
高知県土佐市

ストロンチウム輝沸石は、ストロンチウム(Sr)を交換可能な陽イオンとして主成分に持つ輝沸石である。灰輝沸石から見てカルシウム(Ca)をストロンチウムに置換した鉱物に該当する。ストロンチウム輝沸石それ自体は無色透明だが、この産地では赤鉄鉱を大量に包有するため赤色を示す。泥岩を切る脈として産出し、道路工事が行われた際の捨て石として積みあがっていた。輝沸石の学名はドイツ人鉱物コレクターのJohn Henry Heuland(1778-1856)に因む。

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ノントロン石 / Nontronite
ノントロン石 / Nontronite
ノントロン石 / Nontronite
Na0.3Fe3+2(Si,Al)4O10(OH) 2·nH2O
静岡県河津町やんだ

ノントロン石は一般的には岩石が粘土化する際に生じる鉱物で、土壌中に普通に含まれる。そのためモノの大小を問わなければ産地はほぼ無限といえる。肉眼的な結晶としては、沸石を伴う玄武岩や安山岩の晶洞の壁面に生じることがある。黄色から暗緑色を呈し、針状から葉片状の結晶が放射状に集合する産状となりやすい。サポナイト(Saponite)との肉眼的な区別は至難と感じる。学名は模式地であるNontron(フランス)に由来する。

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ネールベンソン石 / Noelbensonite
ネールベンソン石 / Noelbensonite
ネールベンソン石 / Noelbensonite
BaMn3+2Si2O7(OH)2·H2O
大分県佐伯市下払鉱山

ネールベンソン石はオーストラリアで最初に発見された鉱物で、Otago大学(ニュージーランド)の 地質学者であるWilliam Noel Benson (1885- 1957)に因んで命名された。バリウム(Ba)と三価マンガン(Mn3+)を主成分とする産出が稀なローソン石族鉱物。ローソン石からみてバリウム(Ba)と三価マンガン(Mn3+)の置換体に相当する。下払鉱山では石英を主体としたマンガン鉱石中にまばらに含まれるほか、茶色の板状結晶が脈に沿って寝た状態で濃集して産出することがある。

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仮晶 / Pseudomorph
オリビンの仮晶
愛媛県砥部町万年
オリビンの仮晶で現在は苦灰石

ライン鉱 / Reinite
山梨県乙女鉱山
灰重石の仮晶で現在は鉄重石

ある鉱物が成長したのちにその結晶形が保たれたままで別の鉱物に置き換わる、という現象が天然ではよく発生する。そのようにして本来はありえない外形となった結晶のことを仮晶(Pseudomorph)と呼ぶ。中心部に元の鉱物が残っている仮晶もある。X線回折という手段がなかった時代は鉱物の外形に基づいて種を分類していたため、仮晶はしばしば混乱を招いた。日本でもっとも有名な仮晶はおそらくはライン鉱(Reinite)であろう。明治初期に新種の鉱物として発表されたが、灰重石として成長した結晶がその外形を残して鉄重石に変わった仮晶であった。

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ハウエル鉱 / Hauerite
ハウエル鉱 / Hauerite
ハウエル鉱 / Hauerite
MnS2
青森県むつ市恐山

ハウエル鉱はマンガン(Mn)の二硫化物で、黄鉄鉱のマンガン置換体に相当する。暗褐色の八面体結晶として産出し、世界的にも産出が稀な鉱物である。日本では恐山がおそらく唯一の産地であり、噴気活動によって生じる。かつて道路工事の際に多産したと聞く。学名は Joseph Ritter von Hauer (1778-1863)とFranz von Hauer (1822-1899)の親子に因む。オーストリア出身で、古生物学や地質学の発展に貢献した。

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安ゴールドフィールド鉱 / Stibiogoldfieldite
安ゴールドフィールド鉱 / Stibiogoldfieldite
安ゴールドフィールド鉱 / Stibiogoldfieldite
Cu6Cu6(Sb2Te2)S13
鹿児島県薩摩川内市入来町入来鉱山

安ゴールドフィールド鉱は四面銅鉱族の中で四価のテルル(Te4+)を主成分とするゴールドフィールド鉱亜族の一員であり、さらにアンチモン(Sb)も主成分のひとつに持つ。命名規約にはゴールドフィールド鉱(Goldfieldite: (Cu42)Cu6Te4S13)と砒ゴールドフィールド鉱(Arsenogoldfieldite: Cu6Cu6(As2Te2)S13)もゴールドフィールド鉱亜族として挙げられているが、現時点で砒ゴールドフィールド鉱は鉱物種として確立されていない未来のメンバーである。これまでゴールドフィールド鉱とされてきた鉱物はこの3種のどれかになるが、詳細な分析なしには区別できない。主に金を伴う熱水鉱床に産出し、珪石中に帯状に分布する。結晶として産出することがほとんどないため、鉛灰色の破断面を目安に判別するのだが、遠目には黒色に見える。根源名は模式地であるMohawk鉱山(アメリカ)が位置していた新興都市(Goldfield)の名称に由来する。その名が示すようにGoldfieldは金を多産した。

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ザレシ石 / Zálesíite
ザレシ石 / Zálesíite
ザレシ石 / Zálesíite
CaCu6(AsO4)2(AsO3OH)(OH)6·3H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

ザレシ石はミクス石族の一員で、カルシウム(Ca)と銅(Cu)を主成分とするヒ酸塩鉱物である。一般的には銅鉱床の酸化帯に出現するが、布賀鉱山では石灰岩の晶洞に現れた。水色から淡緑色の六角柱状結晶が放射状に集合した姿で産出することが多く、柱面は絹糸光沢を呈する。組成変化に富み、通常は希土類元素も少量含まれる。ところが布賀鉱山のザレシ石はビスマス(Bi)を多く含む一方で希土類元素を全く含まないことが報告されている。学名は模式地のZálesíウラン鉱床(チェコ)に因む。

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ビューダン石 / Beudantite
ビューダン石 / Beudantite
福島県南会津町舘岩鉱山

ビューダン石 / Beudantite
山梨県甲府市黒平町向山鉱山

ビューダン石 / Beudantite
PbFe3+3(AsO4)(SO4)(OH)6

ビューダン石は明礬石超族の一員で、さらに細かく分けられたビューダン石族というまとまりの中での筆頭鉱物である。鉛を伴う鉱床の酸化帯にしばしば生じ、うぐいす色の被膜や微小粒として主に石英の晶洞に出現する。結晶が大きくなると黒っぽくなる。同じ明礬石超族である尾去沢石やビーバー石も共通の産状と外観を示すためにそれらとは肉眼的に区別がつかない。命名は19世紀で、フランス人鉱物学者であるFrançois Sulpice Beudant (1787-1850)に因む。

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ルソン銅鉱 / Luzonite
ルソン銅鉱 / Luzonite
ルソン銅鉱 / Luzonite
Cu3AsS4
鹿児島県南九州市赤石鉱山

ルソン銅鉱は硫砒銅鉱の同質異像であり、共通の化学組成ながら結晶構造が異なっている。ルソン銅鉱は硫黄分の多い中~高温熱水鉱床中に産出し、南薩型金鉱床でよくみられる。赤石鉱山では細かい繊維状の結晶が水晶の晶洞内を充てんする産状を示す。フィリピンのルソン島で最初に見いだされた鉱物であり、学名は発見地に由来する。

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洋紅石 / Carminite
洋紅石 / Carminite
洋紅石 / Carminite
洋紅石 / Carminite
PbFe3+2(AsO4)2(OH)2
山梨県甲州市黄金沢鉱山

黄金沢鉱山は戦国期の武田氏の時代に金を採掘したことに由来する名称の鉱山であるが、現代においてはもっぱら二次鉱物の産地として知られる。特に独特な濃赤褐色を示す洋紅石の産出が著名であり、水晶や黄鉄鉱の晶洞中に球状の群晶が認められる。個々の結晶は平たがねのような形状をしている。洋紅石の色はカーマインレッド(carmine-red)と称され、それがそのまま学名の由来となっている。カーマインレッドとはカイガラムシ色素から得られる濃赤色のことであり、日本ではそれを洋紅色と和訳するため、鉱物の和名もそれにならって洋紅石とされた。

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ティール鉱 / Teallite
ティール鉱 / Tealliteティール鉱 / Teallite
PbSnS2
北海道札幌市豊羽鉱山

ティール鉱は鉛(Pb)、錫(Sn)、硫黄(S)からなる鉱物で、ペラペラの箔として産出する。日本においては豊羽鉱山がおそらく唯一の産地だろう。よく見られる標本は岩石から分離された標本であり、私はティール鉱の産状を最近まで知らなかった。写真の標本は黄鉄鉱が主体の標本で、晶洞中に箔状のティール鉱が生じていた。別の晶洞にはウルツ鉱が伴われる。学名はSir Jethro Justinian Harris Teall(1849-1924)に因んでおり、Teall氏はイギリスおよびアイルランド地質調査所の局長を務めた。

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石炭 / Coal
石炭 / Coal
石炭 / Coal
三重県熊野市紀和町

石炭は主に炭化した植物を起源とする堆積物であり、しばしば大規模に濃集するため、それはもはや岩石ともいえる。石炭は、古代の植物が未分解のまま地中に埋没して地熱や地圧の影響を受けて石化した物質の総称でもある。燃料物質として有用な資源となり黒色で硬質なものほど良質とされる。一方で石化の程度が弱いものは褐色を帯びているために褐炭(もしくは亜炭)と呼び、また水分量が多いため燃料には向かない。石炭や褐炭は堆積岩が主体の地域では割とよく顔を出す。写真の標本はランタンピータース石の現地調査の際に河原で拾った。

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灰重石 / Scheelite
灰重石 / Scheelite
灰重石 / Scheelite
灰重石 / Scheelite
CaWO4
福岡県香春町三ノ岳横鶴坑

灰重石はカルシウムのタングステン酸塩鉱物であり、塊状の灰重石はタングステン(W)の重要な資源鉱石となる。白い見た目に裏腹なずっしりっとした重さと、短波紫外線による強烈な青色蛍光が面白いが、蛍光を示さない灰重石もある。典型的には八面体の結晶となり、その構造はフェルグソン石と同形と考えられている。学名はスウェーデンの化学者であるCarl Wilhelm Scheele(1742-1786)に因んでいるが、和名は化学組成に基づいている。

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リビングストン鉱 / Livingstonite
リビングストン鉱 / Livingstonite
リビングストン鉱 / Livingstonite
HgSb4S6(S)2
岩手県八幡平市松尾鉱山

リビングストン鉱は水銀(Hg)とアンチモン(Sb)を主成分とする硫化鉱物であり、おそらくアンチモンの価数が一定ではないために構造内にさらに過剰の硫黄(S)が含まれる。日本では松尾鉱山が唯一の産地である。そこではほとんど黒色に近く見える濃紫色の板状結晶が、辰砂を伴って黄鉄鉱中に産出する。学名は探検家のDavid Livingston(1813-1873)に因んでいる。

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ウルツ鉱 / Wurtzite
ウルツ鉱 / Wurtzite
北海道択捉島茂世路岳

ウルツ鉱 / Wurtzite
北海道札幌市豊羽鉱山

ウルツ鉱 / Wurtzite
ZnS

ウルツ鉱は閃亜鉛鉱と同質異像の関係であり、同じ化学組成ながらも構造が異なる。ウルツ鉱の構造は六方晶系の対称性を示し、結晶も六角形となりやすい。ウルツ鉱は閃亜鉛鉱よりも高温で生じ、択捉島世路岳では火山ガスの噴気孔に黄色の六角板状結晶として成長する。また豊羽鉱山では茶褐色で六角板状結晶が花弁状に集合した姿で産出する。学名はフランスの化学者であるCharles Adolphe Wurtz(1817-1884)に因む。

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閃亜鉛鉱 / Sphalerite
閃亜鉛鉱 / Sphalerite
閃亜鉛鉱 / Sphalerite
大分県豊後大野市豊栄鉱山

閃亜鉛鉱 / Sphalerite
岐阜県飛騨市神岡鉱山

閃亜鉛鉱 / Sphalerite
閃亜鉛鉱 / Sphalerite (短波紫外線照射)
福井県あわら市剣岳鉱山

閃亜鉛鉱 / Sphalerite
閃亜鉛鉱 / Sphalerite(短波紫外線照射)
愛媛県西条市丹原町千原鉱山

閃亜鉛鉱 / Sphalerite
ZnS

閃亜鉛鉱は様々な産状と個体があり一言で表すことが難しい。色で言うと、ここでは黒~べっこう~ベージュ色の標本を挙げた。豊栄鉱山の閃亜鉛鉱は光沢の強い黒色の個体で、結晶面に成長の過程が残っている面白い標本である。神岡鉱山の閃亜鉛鉱はいわゆるべっこう亜鉛と呼ばれる標本で、べっこうのような色合いが特長となっている。剣岳鉱山でみられるベージュ色の閃亜鉛鉱は緑色に蛍光するが、千原鉱山の結晶は黄色の蛍光を示すなど、蛍光色にも多様性がある。閃亜鉛鉱の学名は「信用を裏切る」という意味のギリシア語に因んでいる。閃亜鉛鉱はしばしば鉛の資源である方鉛鉱と紛らわしい姿で産出するが、閃亜鉛鉱からは鉛を得られないことが由来とされる。

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ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 / Prehnite
Ca2Al(Si3Al)O10(OH)2
島根県松江市美保関町北浦

ぶどう石の学名はオランダの軍人であるHendrik von/van Prehn大佐(1733-1785)に因んでおり、1788年に命名された。初めて人の名前が付けられた鉱物とされる。また変成度の指標にされるほど普遍的な鉱物でもあり、低温低圧の変成(変質)作用で生じる。産地も様々知られているが、北浦からの結晶標本は図鑑に紹介されるほど有名となっている。淡い青色を帯びた透明な板状結晶が放射状に集合する姿が標本としては典型的。和名はぶどうのような外観に因んで定まったとされるが、日本で産出するぶどう石はぶどうにはさほど似ていないので、和名は海外産の標本の見てくれに因んで定まったのかもしれない。

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陣笠状ジルコン / Zircon
陣笠状ジルコン
陣笠状ジルコン / Zircon
ZrSiO4
愛媛県芸予諸島

ジルコンは正方晶系の鉱物であり柱状に成長することが多い。一方でそれとは異なる形態、特に正方晶系とは思えない様で産出するジルコンが古くから知られており、総じて変種ジルコンと称される。写真は変種ジルコンのひとつで、いわゆる陣笠状ジルコンと呼ばれる。イットリウム(Y)とリン(P)に富む組成であることが多く、断面は短波紫外線の照射で緑色に蛍光する。芸予諸島の一つである大島の大頭山から得られた陣笠状ジルコンは新種と考えられ、かつては「大山石」と呼ばれた。

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ブルース石 / Brucite
ブルース石 / Brucite
ブルース石 / Brucite
Mg(OH)2
愛媛県八幡浜市頃時鼻

ブルース石はマグネシウム(Mg)の水酸化物であり、変質した蛇紋岩にはしばしば伴われる。通常は粉状なので気づかないことが多いが、頃時鼻のブルース石は蛇紋岩を切る脈として大規模に生じており結晶も認められる。頃時鼻ではしばしば水苦土石(Hydromagnesite)を伴う(写真右上束状結晶)。学名はアメリカの鉱物学者であるArchibald Bruce (1777-1818)に因んでいる。和名は水滑石と呼ばれることもあるが、滑石(Talc)と異なる鉱物であるため、カタカナ読みでブルース石とする方が良いだろう。二価マンガン置換体(Mn2+)にキミマン鉱がある。

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板チタン石 / Brookite
板チタン石 / Brookite
長野県川上村居倉

板チタン石 / Brookite
京都府京都市如意ヶ岳

板チタン石 / Brookite
TiO2

板チタン石はTiO2を主成分とする鉱物で、同質異像である鋭錐石と共に水晶を伴う晶洞に産出することが多い。結晶は小さい板状であることが多く、水晶から外れやすい。また花崗岩地帯を流れる小さな沢でパンニングすると、板チタン石の結晶片も入ってくることがある。学名はイギリスの結晶学者・鉱物学者であるHenry James Brooke (1771-1857)に因む。和名は形状と化学組成の造語となっている。

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フランケ鉱 / Franckeite
フランケ鉱 / Franckeite
フランケ鉱 / Franckeite
フランケ鉱 / Franckeite
Pb21.7Sn9.3Fe4.0Sb8.1S56.9
大分県豊後大野市豊栄鉱山

フランケ鉱はボリビアで見いだされた鉱物で、模式標本は採掘エンジニアをしていた二人の兄弟から提供された。学名は二人のファミリーネームに因む:Johann Heinrich Karl (Carl) Francke (1832–1907) と Ernst Otto Francke (1838-1913)。日本では大分県豊栄鉱山からの標本が古くから知られ、ピンク色のクトナホラ石に埋没する灰黒色の板状結晶として見られる。晶洞には西洋剣の様な形状をしめすフランケ鉱の自形結晶が認められ、しばしば針状の毛鉱が伴われる。フランケ鉱は二種類の鉱物の混合と考えられたこともあったが、現在は独立種であることが確定している。

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自然オスミウム / Osmium
自然オスミウム / Osmium
自然オスミウム / Osmium
Os
北海道小平町小平蘂川

自然オスミウムはオスミウム(Os)の鉱物で、砂白金として見いだされる。銀白色であるが、同じく砂白金として得られる自然イリジウムやルテニイリドスミンに比較して、やや青みを帯びる。結晶として産出する場合は、扁平な六角板状結晶であることが多い。そのため結晶であれば自然オスミウムの肉眼鑑定は難しくない。自然オスミウムは北海道の砂白金には普遍的に含まれている。

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ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
(Ir,Os,Ru)
北海道羽幌町上羽幌愛奴沢川

ルテニイリドスミンは北海道を原産地とする鉱物で砂白金として見いだされた。イリジウム(Ir)-オスミウム(Os)-ルテニウム(Ru)からなる金属鉱物であり、組成的にはイリジウムが最も卓越するため、それだけに注目すると自然イリジウムの範疇にはいるが、自然イリジウムとは結晶構造が異なる。六方晶系の鉱物で、3もしくは6回対称をうかがえる晶癖が発達することがある。かつてイリドスミンと呼ばれた砂白金の一部は現在のルテニイリドスミンに該当する。なお元素鉱物は元素そのものと区別するため「自然」という接頭語を置き鉱物と元素を区別するが、ルテニイリドスミンは単体元素鉱物ではないため、「自然」の接頭語は不要である。

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自然イリジウム / Iridium
自然イリジウム / Iridium
自然イリジウム / Iridium
Ir
北海道羽幌町上羽幌愛奴沢川

自然イリジウムは白金族元素の一つであるイリジウム(Ir)の鉱物で、結晶構造は立方晶系に属する。非常に硬い金属であるため針つついてもまったく傷をつけることができない。純度が高い場合には磁石にくっつくことはないが、金属鉄とは完全な合金を形成しうるので鉄が多く含まれる自然イリジウムは磁石に反応する。ただしそういった自然イリジウムの産出はかなり稀。銀白色の金属光沢を示し、通常は不定形な塊状の砂白金として得られるが、ごく稀に等方的な対称性を示すを結晶が認められる。

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イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
Pt3Fe
北海道羽幌町上羽幌愛奴沢川

イソフェロプラチナ鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)を主成分とする鉱物で、世界各地の砂白金鉱床から見いだされている。茶色がかった銀色の外観を示し、わずかに磁性があるため磁石にそれなりに反応する。自然白金とは外観上は全く区別がつかない。日本においては熊本県から多産することを見いだしたが、北海道では稀産といえる。学名は結晶構造が等方的であることおよび主成分に因んでいる。

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フェロニッケルプラチナ鉱 / Ferronickelplatinum
フェロニッケルプラチナ鉱 / Ferronickelplatinum
フェロニッケルプラチナ鉱 / Ferronickelplatinum
Pt2FeNi
北海道羽幌町上羽幌愛奴沢川

フェロニッケルプラチナ鉱はロシアの砂白金から見いだされた鉱物で、日本でも同じく砂白金から見いだされた。砂白金の表面を不完全に覆う産状で、茶色がかった銀色の鉱物である。強磁性でもあるため、フェロニッケルプラチナ鉱をまとう砂白金は磁石にバチッとくっつく。類似した色合いのイソフェロプラチナ鉱とは磁性の強さで区別がつく。イソフェロプラチナ鉱はフェロニッケルプラチナ鉱ほどは磁石に反応しない。学名は化学組成に因んで命名されている。

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ベゼリ石 / Veszelyite
ベゼリ石 / Veszelyite
秋田県仙北市角館町日三市鉱山
いわゆる「荒川石」

ベゼリ石 / Veszelyite
滋賀県湖南市石部緑台

ベゼリ石 / Veszelyite
(Cu,Zn)2Zn(PO4)(OH)3·2H2O

ベゼリ石は銅(Cu)と亜鉛(Zn)を主成分とするリン酸塩鉱物で、人目を引く鮮やかな色合いから人気がある。銅鉱床の風化帯に二次鉱物として産出し、秋田県荒川鉱山の支山である日三市鉱山から産出したベゼリ石は、かつては新鉱物と考えられて荒川石の名称で呼ばれた。同様に岐阜県神岡鉱山からのベゼリ石も新鉱物と誤認され、こちらは神岡石と呼ばれた。後年に滋賀県石部緑台からもベゼリ石が見いだされている。学名はハンガリーの鉱山技師の A. Veszeli (1820-1888)に因む。

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ホランド鉱 / Hollandite
ホランド鉱 / Hollandite
ホランド鉱 / Hollandite
Ba(Mn4+6Mn3+2)O16
愛媛県砥部町古宮鉱山

日本においてホランド鉱は酸化的かつ珪質なマンガン鉱床でよく見られる鉱物で、ブラウン鉱を伴う石英脈中に金属光沢をしめす灰黒色の針状結晶として産出する姿が典型的となっている。その独特な結晶構造はホランド鉱型構造と称される。面白いことに、一見して無関係なカリ長石を高圧と高温状態におくとホランド鉱型構造となる。学名はSir Thomas Henry Holland (1868-1947)に因む。

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灰ダキアルディ沸石 / Dachiardite-Ca
灰ダキアルディ沸石 / Dachiardite-Ca
灰ダキアルディ沸石 / Dachiardite-Ca
Ca2(Si20Al4)O48·13H2O
静岡県河津町浜

灰ダキアルディ沸石はこの産地における名産の一つと言え、凹凸のある球状集合体で産出する。集合体表面の質感は曇りガラス様であるが、破断面からは個々の結晶が透明感のある板状であることがうかがえる。学名はイタリア人鉱物学者のAntonio D’Achiardi (1839–1902)に因む。

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苦灰石 / Dolomite
苦灰石 / Dolomite
苦灰石 / Dolomite
新潟県新発田市赤谷鉱山

苦灰石 / Dolomite
三重県亀山市加太北在家

苦灰石 / Dolomite
埼玉県神川町

苦灰石 / Dolomite
徳島県東祖谷山村

苦灰石 / Dolomite
CaMg(CO3)2

苦灰石はカルシウム(Ca)とマグネシウム(Mg)を主成分とする炭酸塩鉱物で、セメント原料から食品添加物まで様々の用途がある有用な資源鉱物である。鉱物標本として見たとき、その結晶の多様性が面白い。典型的には菱形の形態となるが、爪状と呼ばれる形態で見かけることも多い。色は白もしくは透明が本質的であるが不純物の影響で色づくことも多い。学名はフランス人鉱物学者・地質学者のDéodat (Dieudonné) Guy Silvain Tancrède Gratet de Dolomieu (1750-1801)に因んでいる。和名は化学組成に基づいて苦灰石とされてきたが、最近ではそのままドロマイトと呼ぶことが多い。

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脆銀鉱 / Stephanite
脆銀鉱 / Stephanite
脆銀鉱 / Stephanite
Ag5SbS4
秋田県湯沢市院内鉱山

脆銀鉱は銀(Ag)とアンチモン(Sb)を主成分とする硫塩鉱物で、低温の熱水鉱脈鉱床中に産出する。秋田県院内鉱山では石英脈の晶洞に結晶が見られた。写真はその分離結晶であり、双晶による擬六角板状となっている様子がうかがえる。和名は脆いという特徴と銀を含むことから名付けられているが、学名はオーストリアの鉱山局長およびエンジニアであるArchduke Stephan Franz Victor von Habsburg-Lothringen (1817-1867)に因んで命名された。彼は生涯にわたる鉱物コレクターであったとされる。

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デーナ石/ Danalite
デーナ石/ Danalite
デーナ石/ Danalite
Be3Fe2+4(SiO4)3S
山口県岩国市喜和田鉱山

デーナ石はYale大学(アメリカ)のJames Dwight Dana (1813-1895)へ献名された鉱物で、赤褐色の四面体結晶を特徴とする。二価鉄(Fe2+)とベリリウム(Be)を主要な陽イオンとしたケイ酸塩鉱物で、陰イオンには酸素(O)の他に硫黄(S)が入るという珍しい化学組成となっている。日本での最初の産出は広島県三原鉱山であるが、標本としては喜和田鉱山産の結晶が近年はよく見られる。

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パイロクスマンガン石 / Pyroxmangite
パイロクスマンガン石 / Pyroxmangite
パイロクスマンガン石 / Pyroxmangite
Mn2+SiO3
愛知県設楽町田口鉱山

パイロクスマンガン石が記載されたのは1913年のことで、マンガンを含む輝石族の新種だと考えられた。そのため学名は輝石(Pyroxene)とマンガン(Manganese)を組み合わせた造語となっている。しかしながら後年にパイロクスマンガン石は輝石族ではなく準輝石族であることが明らかにされた。パイロクスマンガン石は層状マンガン鉱床においてかなり普遍的に存在しており、桃色をおびた緻密な塊や脈で産出するため、多くの場合で類似の外観を示す(いわゆる)バラ輝石と混同されている。またビッティンキバラ輝石とは同質異像の関係にある。パイロクスマンガン石は田口鉱山では美しいピンクレッドの結晶として産出する。

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黒辰砂 / Metacinnabar
黒辰砂 / Metacinnabar
黒辰砂 / Metacinnabar
HgS
三重県多気町丹生鉱山

黒辰砂は辰砂(Cinnabar)と同じ化学組成をもつが、辰砂より高温で結晶化した鉱物である。合成実験では345-481℃の温度で生じる。さらに高温だとハイパー辰砂(Hypercinnabar)というまた別の鉱物となる。辰砂が典型的な朱色を示すことに対し、黒辰砂はその和名の通りに黒色であることを特徴とする。黒辰砂は辰砂と共存することがほとんどで、学名は伴うことを意味するギリシア語(Meta)と辰砂(Cinnabar)との造語からなっている。

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角銀鉱 / Chlorargyrite
角銀鉱 / Chlorargyrite
角銀鉱 / Chlorargyrite
AgCl
北海道枝幸町歌登鉱山

角銀鉱は銀の塩化鉱物であり、熱水型金銀鉱床の酸化帯に二次鉱物として生じる。海外ではホーン・シルバーと称される尖った標本が知られており、そのために角と銀を意味するギリシア語からCerargyriteという名称で呼ばれたことがあり、和名もホーン・シルバーの和訳となっている。一方で現在の学名は化学組成に基づいている。歌登鉱山においては角銀鉱は主に紫褐色のサイコロ状結晶で生じる。角銀鉱は軟らかい鉱物で砕けるということがなく、針でつつくとぬめっと潰れる。

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リチア電気石 / Elbaite
リチア電気石 / Elbaite
リチア電気石 / Elbaite
Na(Al1.5Li1.5)Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)
茨城県妙見山

リチア電気石はリチウムを主成分とする電気石の一種で、リチウムペグマタイトに産出する主要な鉱物である。その結晶は無色・ピンク・青・黄色などと一般に多様であり、妙見山でも写真のような淡青色の結晶の他にピンク色の結晶が産出するようだ。学名は模式地であるイタリアElba島に因む。

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イットリウムヒンガン石 / Hingganite-(Y)
イットリウムヒンガン石 / Hingganite-(Y)
イットリウムヒンガン石 / Hingganite-(Y)
BeY(SiO4)(OH)
福島県水晶山

イットリウムヒンガン石はベリリウム(Be)と稀元素のイットリウム(Y)を主成分とする含水ケイ酸塩鉱物で、ガドリン石超族の一員となっている。水晶山では褐簾石を伴うペグマタイトの晶洞に無色透明な結晶としてイットリウムヒンガン石が産出する。満州とモンゴル高原を分かつ大興安嶺山脈を模式地とし、学名は興安(ヒンガン)に因む。

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テフロ石 / Tephroite
テフロ石 / Tephroite
愛媛県大洲市戒川鉱山

テフロ石 / Tephroite
岩手県田野畑村田野畑鉱山

テフロ石 / Tephroite
Mn2+2(SiO4)

テフロ石は変成マンガン鉱床には普遍的に産出する主要な鉱石鉱物である。青みを帯びた灰色で緻密な塊状で産出することが普通で、学名も灰色を示すギリシア語が由来となっている。肉眼的な結晶はまず見かけない。しかし所変われば品変わるというところで、田野畑鉱山においてテフロ石はガラス光沢を示すウグイス色の結晶粒として産出することがある。

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オルシャンスキー石 / Olshanskyite
オルシャンスキー石 / Olshanskyite
オルシャンスキー石 / Olshanskyite
Ca2[B3O3(OH)6]OH·3H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

オルシャンスキー石は新しい産地が見つかるたびに出回る標本が大きくなる。オルシャンスキー石はもともとロシアで見つかったが、1ミリ以下の非常に細い針のような結晶だった。二番目の産地となった岡山県布賀では数ミリの薄板状の結晶が産出して話題となった。そして最新産地の内モンゴル自治区内にある鉱山では、オルシャンスキー石は数センチを越える結晶で産出する。学名は地球化学者のYakov Iosifovich Ol’shanskii (1912-1958)に因む。

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水亜鉛銅鉱 / Aurichalcite
水亜鉛銅鉱 / Aurichalcite
水亜鉛銅鉱 / Aurichalcite
(Zn,Cu)5(CO3)2(OH)6
滋賀県湖南市石部緑台

水亜鉛銅鉱は銅鉱床の風化帯に生じる水酸基(OH)、亜鉛(Zn)、銅(Cu)を含む炭酸塩鉱物で、真珠光沢を示す水色の葉片状結晶が放射状に集合した姿で良く産出する。湖南市石部緑台にあった採石所からはかつて立派な水亜鉛銅鉱が多産した。学名の由来は正確にはよくわからないが、銅と亜鉛を含むことを暗示しているらしい。

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ミメット鉱 / Mimetite
ミメット鉱 / Mimetite
ミメット鉱 / Mimetite
Pb5(AsO4)3Cl
栃木県日光市日向

ミメット鉱は鉛(Pb)を伴う銅鉱山において二次鉱物としてよく見られる鉱物で、典型的には黄色で水晶に似た形の結晶となる。一方でそれ以外の外観となることも多く、同様の環境で生成する緑鉛鉱(Pyromorphite)と区別が難しいことから、「模倣者」という意味のギリシア語が学名の由来となっている。ミメット鉱は緑鉛鉱に比べると産出がややまれという印象。

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ユークレース / Euclase
ユークレース / Euclase
ユークレース / Euclase
BeAlSiO4(OH)
岐阜県中津川市下野

ユークレースの原産地はブラジルとされており、学名は「簡単に割れる」という意味のギリシア語に因んでいる。ベリリウム(Be)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、シンプルな化学組成の鉱物であるが産地は限られている。日本では中津川市からごく少量が産出した。写真の標本はペグマタイト中の煙水晶に伴われる結晶で、ほんのわずかに青みを帯びている。

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バートランド石 / Bertrandite
バートランド石 / Bertrandite
バートランド石 / Bertrandite
バートランド石 / Bertrandite
Be4Si2O7(OH)2
岐阜県中津川市蛭川

バートランド石はフランスから最初に見つかった鉱物で、フランス人鉱物学者の Émile Bertrand (1844 – 1909)に因んで命名された。ベリリウム(Be)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、緑柱石(Beryl)と共に花崗岩ペグマタイト中に見られることが多い。板~升形の結晶として産出し、しばしば緑柱石に伴われる。採集の衝撃で外れやすいうえに、小さく透明なため見落とされがち。

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ザバリツキー石 / Zavaritskite
ザバリツキー石 / Zavaritskite
ザバリツキー石 / Zavaritskite
BiOF
岐阜県中津川市恵比寿鉱山

ザバリツキー石はビスマス(Bi)と酸素(O)とフッ素(F)からなり、ハロゲン化鉱物に分類される。自然ビスマスや輝蒼鉛鉱が変質して生成する鉱物とされるが、私にとってはザバリツキー石とは聞いたことがあれども実体がよくわからなかった鉱物であった。ながらくその標本を所有していなかったが、恵比寿鉱山の標本を最近になって手に入れてその実態がようやく理解できた。中心から外側に向けて、自然ビスマス(金属)-ザバリツキー石(青黒色集合体)-白雲母(淡橙色葉片状結晶)となっている。泡蒼鉛(Bismutite)をしばしば伴うとされるが、それは検出されなかった。ザバリツキー石の学名は石油化学の専門家であるAleksandr Nikolaevich Zavaritskii(1884-1952)への献名となっている。

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ストロンチアン石 / Strontianite
ストロンチアン石 / Strontianite
ストロンチアン石 / Strontianite
SrCO3
高知県佐川町

ストロンチアン石はスコットランドのStrontian村から見出され、1791年に発見地に基づいて学名が命名された。そしてストロンチアン石から元素としてのストロンチウム(Sr)が発見されている。日本において肉眼的に捉えられるストロンチアン石は高知県佐川町に分布するの鳥ノ巣石灰岩から見出されている。この石灰岩は天然タールを豊富に含み、割るたびに熱したアスファルトのような臭いがする。ストロンチアン石は石英や方解石の晶洞中に白色の繊維状結晶が放射状に集合した姿で見出される。

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銀星石 / Wavellite
銀星石 / Wavellite
高知県高知市豊田

銀星石 / Wavellite
福岡県八女市星野村星野川

銀星石 / Wavellite
Al3(PO4)2(OH)3·5H2O

銀星石はイギリスで発見された鉱物で、その学名は発見者とされる医師の William Wavell (1750-1829)に因んで命名された。一方で和名は明治期に輸入されたボヘミア産の標本の特徴を見立てて命名されたとされる。銀星石は角柱状結晶が放射状に集合した姿が一般的で、断面はよりその特徴が際立つ。風化した堆積岩の隙間や裂傷、石英脈の晶洞中に生じることが多い。高知市豊田では造成工事中に多産したことがあるが、日本では産出はやや稀なほう。

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レダー石 / Roedderite
レダー石 / Roedderite
レダー石 / Roedderite
KNaMg2(Mg3Si12)O30
鹿児島県薩摩硫黄島硫黄岳

レダー石はアメリカ地質調査所のEdwin Woods Roedder(1919-2006)に因んで命名された鉱物で、1966年にIndarch隕石から最初に見出された。1980年になってドイツのBellerberg火山から地球初のレダー石が見出されたという論文が発表された。レダー石は大隅石や杉石の近縁種で六方晶系の構造を持ち、海外においては六角柱状の結晶が知られている。日本では硫黄島から産出し、サニディン(白色)の角レキ状集合の隙間を普通輝石(緑色)と共に満たす産状で青色のレダー石が見出されている。最近になって硫黄島のレダー石は多くがチェイス石(Chayesite:KMg4Fe3+[Si12O30])だと言われるようになった。しかし、写真の標本の分析値は解析的には二価鉄(Fe2+)のみという結果で、そうなるとこれはレダー石。

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鉄かんらん石 / Fayalite
鉄かんらん石 / Fayalite
鉄かんらん石 / Fayalite
Fe2+2(SiO4)
静岡県熱海市上多賀赤根崎

伊豆半島の付け根に位置する熱海市あたりの地質は主に安山岩であるが、上多賀あたりにごく小規模に玄武岩質の火砕岩が露出している。海岸の転石には多孔質な岩石が認められ、晶洞や裂傷の壁は微細なクリストバル石でびっしり埋め尽くされている。そのなかに黒色米粒状の鉄かんらん石がポツリポツリと埋まっている。学名は発見地であるFaial島(ポルトガル)に因む。赤根崎の鉄かんらん石は内部にライフン石(Laihunite)が生じているとされる。

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クリノクロア / Clinochlore
クリノクロア / Clinochlore
三重県鳥羽市菅島

菫泥石 / Chromian clinochlore
愛媛県東赤石山

クリノクロア / Clinochlore
Mg5Al(AlSi3O10)(OH)8

クリノクロアは緑色片岩中の最も主要な造岩鉱物であり、産地はそれこそ世界中の至る所に存在する。学名には緑色という意味が含まれているが、厚みが薄いと面内はほとんど透明に見える。六角形もしくは三角形の板状結晶が基本で、それが面方向に積み上がった集合体となることも多い。またアルミニウム(Al)が少量のクロム(Cr)によって置き換えられるとスミレ色を呈する様になる。こういったクリノクロアは菫泥石(きんでいせき)と呼ばれ、しばしばクロム鉱床に炭酸塩鉱物と共に伴われる。

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サーサス石 / Sursassite
サーサス石 / Sursassite
サーサス石 / Sursassite
Mn2+2Al3(SiO4)(Si2O7)(OH)3
愛媛県大洲市上須戒鉱山

サーサス石はスイスのOberhalbstein地域から最初に見出され、Oberhalbsteinの別名であるSursassに因んで命名された。低温高圧型変成作用に伴う熱水活動に密接に関連して生成し、アルデンヌ石(Ardennite)ともしばしば共生する。日本でも低温高圧型変成帯である三波川帯からいくつかの場所で見出されており、上須戒鉱山では積み上げられている捨て石の中にサーサス石の結晶が観察される。透明感のあるオレンジ色が特徴となっている。

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氷長石 / Adularia
氷長石 / Adularia
氷長石 / Adularia
KAlSi3O8
三重県鳥羽市加茂鉱山

カリウム(K)を主成分とする長石にはシリコン(Si)とアルミニウム(Al)が規則正しく並ぶ微斜長石(Microcline)と、やや無秩序で並ぶ正長石(Orthoclase)、完全に無秩序で並ぶサニディン(Sanidine)が知られている。これらは基本的には生成時の温度で決まり、低温→高温の環境で微斜長石→正長石→サニディンが出現する。そして氷長石は正長石の亜種として位置付けられており、独立の鉱物種ではない。正長石よりは規則正しいが微斜長石よりは無秩序なシリコン-アルミニウム配列を持ち、微斜長石と正長石の中間的な構造となっている。外見的には菱型や双晶による封筒状の結晶が典型的で、それが氷のようなヒンヤリとした印象をもつことが特徴である。英名はAdula山地(スイス)で初めに見つかったことに由来する。

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剥沸石 / Epistilbite
剥沸石 / Epistilbite
剥沸石 / Epistilbite
Ca3[Si18Al6O48]·16H2O
愛媛県久万高原町高殿

学名は諸性質が束沸石(Stilbite)に似ていることから、近似という意味のギリシア語(Epi)を用いてEpistilbiteと名付けられた。和名はこの沸石が薄く割れやすい特徴に由来しており、剥沸石(はくふっせき)と呼ばれている。一方でこの沸石は外見にも特徴があり、封筒状の結晶形となることが非常に多い。ややシリコンに富む組成であり、玄武岩より安山岩の晶洞に産出することが多い。

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フェロジュルゴルド石 / Julgoldite-(Fe2+)
フェロジュルゴルド石 / Julgoldite-(Fe2+)
フェロジュルゴルド石 / Julgoldite-(Fe2+)
Ca2Fe2+Fe3+2(Si2O7)(SiO4)(OH)2·H2O
島根県松江市美保関町

島根半島に貫入した苦鉄質岩の多くは熱水変質作用を被っており、晶洞および熱水脈には低変成相に特徴的な鉱物が粗粒に結晶化する産状が観察される。パンペリー石族のフェロジュルゴルド石もその一つで、淡い草緑色の板状結晶として産出し、しばしば無色透明な板状結晶のトムソン沸石と共生する。日本ではパンペリー石族の鉱物は晶洞に産出してもルーズな結晶となる例が多いが、フェロジュルゴルド石の結晶は非常に端正な姿となっている。また一部には三価鉄(Fe3+)が支配的なフェリジュルゴルド石(Julgoldite-(Fe3+))が伴われるが、詳細な分析や構造解析なしにそれらは区別できない。学名はシカゴ大学(アメリカ)のJulian R. Goldsmith(1918-1999)に因んでいる。

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灰トムソン沸石 / Thomsonite-Ca
灰トムソン沸石 / Thomsonite-Ca
島根県松江市美保関町

灰トムソン沸石 / Thomsonite-Ca
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

灰トムソン沸石 / Thomsonite-Ca
NaCa2Al5Si5O20·6-7H2O

トムソン沸石は数ある沸石の中でも最もシリコン(Si)に乏しく、アルミニウム(Al)に富むタイプの沸石で、玄武岩をはじめとした苦鉄質岩に伴われることが多い。島根県産の標本は古くから著名で、玄武岩の晶洞中にバビントン石(Babingtonite)と共に産出する。岡山県産の標本はおそらくは稀な産出で、石灰岩中の晶洞に現れた。板状結晶が典型的な姿であるが、しばしば放射状から球状に集合する。トムソン沸石にはカルシウム(Ca)およびストロンチウム(Sr)を主成分にする種が知られ、カルシウムを主成分にするトムソン沸石は灰トムソン沸石と呼ばれる。学名はGlasgow大学の化学者Thomas Thomson(1773-1852)に因む。

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鉄白燐石 / Leucophosphite
鉄白燐石 / Leucophosphite
鉄白燐石 / Leucophosphite
KFe3+2(PO4)2(OH)·2H2O
三重県伊勢市矢持町

秩父帯に属する石灰岩層は地下水の侵食を受け所々で洞窟が形成され、洞窟内ではコウモリをはじめとした様々な生物が生活している。気の遠くなるほどの時間が経過する中で生物は世代交代を繰り返し、洞窟内には大量のグアノ(糞の化石)が形成される。そのグアノの中にオレンジ色の小球が生じており、調べてみたところそれは鉄白燐石であった。学名は白い燐酸塩鉱物という意味のギリシア語を元にしており、和名の鉄白燐石は化学組成も考慮した表現となっている。しかし写真の標本を見てのとおり鉄白燐石は必ずしも白くない。

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ヘスチング閃石 / Hastingsite
ヘスチング閃石 / Hastingsite
ヘスチング閃石 / Hastingsite
NaCa2(Fe2+4Fe3+)(Si6Al2)O22(OH)2
岡山県高梁市備中町用瀬山宝鉱山

ヘスチング閃石は1896年に命名された角閃石で、学名は発見地のHastings郡(カナダ)に因んでいる。この角閃石も最新の角閃石の命名規約の中では例外的な扱いで、ルール通りならフェロフェリパーガス閃石(Ferro-ferri-pargasite)とされるところだったが、いまさらヘスチング閃石の名称を消すと混乱が生じるという理由で名前が残った。山宝鉱山のヘスチング閃石は蛍石と共に生じているのでフッ素が多く含まれているのかと思いきや、水酸基が支配的であった。

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アクチノ閃石 / Actinolite
アクチノ閃石 / Actinolite
新潟県青海川

アクチノ閃石 / Actinolite
愛媛県関川

アクチノ閃石 / Actinolite
愛媛県国領川

アクチノ閃石 / Actinolite
□Ca2(Mg4.5-2.5Fe2+0.5-2.5)Si8O22(OH)2

アクチノ閃石はマグネシウム(Mg)を主成分とする透閃石(Tremolite)から見て、二価鉄(Fe2+)を端正分とする角閃石に与えられた名前であったが、最新の角閃石の命名規約では、マグネシウム(Mg)端成分に対してルートネームを与え、二価鉄(Fe2+)端成分に対しては「フェロ(ferro-)ルートネーム」とする命名法を基本としている。そのため命名規約の基本ルールに従うとアクチノ閃石はフェロ透閃石(Ferro-tremolite)になるはずだったが、アクチノ閃石は古来から使われてきた名称であり今さら名称を消すと混乱が生じる。そこで例外的な組成区分を設定してアクチノ閃石の名称を残すことになった。本来のルールどおりなら今の定義のアクチノ閃石は透閃石(Tremolite)の範疇となる。
 学名は繊維質な石という意味のギリシア語に因んでおり、1794年に命名された。アクチノ閃石の標本は個体差が大きく結晶のサイズで質感が大きく異なる。ここでは上から下に結晶サイズが大きくなる順で標本を並べている。上の写真は数ミクロン以下の結晶の集合体で、いわゆる軟玉に相当する標本となる。真ん中の写真にあるアクチノ閃石は長軸方向が1センチ程度あるが厚みは100ミクロンもないためかほとんど無色近い。下のアクチノ閃石は人差し指程度の大きさがあるが透明感が失われている。

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ゲルスドルフ鉱 / Gersdorffite
ゲルスドルフ鉱 / Gersdorffite
ゲルスドルフ鉱 / Gersdorffite
NiAsS
兵庫県養父市夏梅鉱山

ゲルスドルフ鉱は1845年にSchladming(オーストリア)のニッケル鉱山主であったJohann Rudolf Ritter von Gersdorff(1781-1849)に因んで1845年に命名された。日本でも早くから存在が知られ、1907年に夏目鉱山から見出されている。三角形の面を組み合わせた八面体の結晶で産出し、夏目鉱山では紅砒ニッケル鉱と縞状組織を形成することが多い。ゲルスドルフ鉱には3種類の同質異像があり、それぞれGersdorffite-P213、Gersdorffite-P3、Gersdorffite-Pca21という別々の学名が与えられている。

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紅砒ニッケル鉱 / Nickeline
紅砒ニッケル鉱 / Nickeline
紅砒ニッケル鉱 / Nickeline
NiAs
兵庫県養父市夏梅鉱山

紅砒ニッケル鉱はニッケル(Ni)とヒ素(As)からなる鉱物であるが、赤銅色を示すため発見当時は銅の鉱石と思われていた。しかしどんなに工夫を凝らしても銅を摘出することができなかったため、ドイツ神話のいたずらな妖精(Nickel)と銅の合成語である「kupfernickel」という名称が1694年に与えられた。1751年にAxel Fredrik Cronstedt(1722-1765)はkupfernickelから銅を抽出しようとして、代わりに単離されたのがニッケル(Ni)である。ニッケルという元素は紅砒ニッケル鉱から見出された。鉱物としては1832年に今の学名である「Nickeline」が与えられ、一時期「Niccolite」とも呼ばれたが、1971年に国際鉱物学連合がNickelineの使用を推奨している。和名は外観と成分に由来している。夏梅鉱山では蛇紋岩中に球状の塊で産した。

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ソーダダキアルディ沸石 / Dachiardite-Na
ソーダダキアルディ沸石 / Dachiardite-Na
ソーダダキアルディ沸石 / Dachiardite-Na
Na4(Si20Al4)O48·13H2O
千葉県南房総市荒川

ダキアルディ沸石はピサ大学(イタリア)のAntonio D’Achiardi (1839–1902)に因んでおり、Antonioの息子であるGiovanniによって1906年に命名された。これまでナトリウム(Na)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)を主成分とする3種があり、最初に記載されたダキアルディ沸石はカルシウムを主成分としていた。ナトリウムを主成分とするソーダダキアルディ沸石は1975年にAlpe di Siusi(イタリア)から見出されている。ソーダダキアルディ沸石は日本では新潟県柳新田が産地として知られている。写真の標本は砂岩を切るオパール脈の晶洞に生じた束状集合のソーダダキアルディ沸石で、千葉県南房総市荒川から産した。

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ざくろ石 / Garnet

ざくろ石 / Garnet
長野県和田峠

ざくろ石 / Garnet
茨城県山の尾

ざくろ石 / Garnet
奈良県天川村

ざくろ石 / Garnet
愛媛県伊予市双海町

ざくろ石 / Garnet
愛媛県宮窪町

ざくろ石 / Garnet
新潟県糸魚川市姫川

ざくろ石 / Garnet
栃木県日光市久良沢鉱山

ざくろ石 / Garnet

ざくろ石の英名はGarnet(ガーネット)であり、赤い結晶がザクロ(Granatum)の実に似ていることからそう呼ばれるようになったとされるが、他の説もある。和名については「ざくろ石」、「ザクロ石」、「石榴石」、「柘榴石」などの表記があり、文章校正の際に悩まされる。このうち「柘榴石」については、ザクロの木は「柘(ツゲ)」ではないから「柘榴石」表記は本来正しくない、という意見がある。ここでは「ざくろ石」の表記を採用する。
 鉱物としては単にざくろ石と呼ぶと、ざくろ石型構造をもつ鉱物の総称となる。より正確に分類すると「ざくろ石超族(Garnet Supergroup)」という大きなまとまりがあり、その下に「ベルゼライト族(Berzeliite Group)」、「バイティクレアイト族(Bitikleite Group )」、「ガーネット族(Garnet Group)」、「ヘンリターミエライト族(Henritermierite Group )」、「ショーロマイト族(Schorlomite Group)」が区分される。それぞれの族の中に個々の鉱物種がぶらさがり、ざくろ石超族は合計で35種(2019年10月時点)から構成されている。多くは固溶体を形成し、塁帯構造が著しい場合もままある。そのため一つの結晶であっても鉱物種として2種類にまたがるケースもざらにある。
 ざくろ石は一般的な造岩鉱物で、多様な地質環境で見かける。日本でも古くから産出が知られ、明治37年発行の「日本鉱物誌」では16箇所の産地のざくろ石が紹介されている。12-36面体のコロッとした結晶が特徴で、含まれる成分によって様々な色合いを示す。灰鉄ざくろ石と灰バンざくろ石のラメラによるレインボー効果を示すざくろ石も知られる。ここでは種を厳密に特定せずにざくろ石を並べている。

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リッベ石 / Ribbeite
リッベ石 / Ribbeite
リッベ石 / Ribbeite
Mn2+5(SiO4)2(OH)2
愛媛県大洲市戒川鉱山

リッベ石はアレガニー石(Alleghanyite)と多形(同質異像)を成す鉱物で、1987年にナミビアの Kombat Mineから記載されたのが最初となる。学名は鉱物学者のPaul Hubert Ribbe (1935-2017)に因む。日本では1991年に三波川変成帯に位置する複数のマンガン鉱山から同時に報告され、その中に戒川鉱山が含まれている。リッベ石はハウスマン鉱と共に濃紫紅色の緻密質な集合体を形成する。アレガニー石も伴われることがあるが、それはリッベ石集合体を切る細脈として生じる。産状からリッベ石はアレガニー石よりも高い圧力・温度条件で生じると考えられている。

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トラスコット石 / Truscottite
トラスコット石 / Truscottite
トラスコット石 / Truscottite
Ca14Si24O58(OH)8·2H2O
鹿児島県伊佐市菱刈鉱山

トラスコット石は1912年にインドネシアのスマトラ島から見出された鉱物で、イングランドの資源地質学者であるJohn Truscott (1870-1950)に因んで命名された。永らく模式地のみからしか産出が知られていなかったが、1967年になり静岡県土肥鉱山から世界で二番目の産出が報告された。ただし多産はしなかったようで、日本産のトラスコット石としては後に菱刈鉱山から産出した標本が有名になっている。白色で絹糸光沢のある葉片状結晶が特徴となっている。美しい標本だが、分布が一様でコントラストが低いため写真に納めるのが難しい。

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苦土ヘスチング閃石 / Magnesio-hastingsite
苦土ヘスチング閃石 / Magnesio-hastingsite
苦土ヘスチング閃石 / Magnesio-hastingsite
NaCa2(Mg4Fe3+)(Si6Al2)O22(OH)2
熊本県西原村護王峠

写真の標本は熊本県護王峠の苦土普通角閃石とされる標本で、どの図鑑でもそのように記されている。そこで過去の分析例を調べてみたのだがちょっと見つからない。そのため写真の標本を切断して内部を調べてみると予想外の結果が得られた。外見上は角閃石の形を成しているが、角閃石は表面から内部へ向かいほんの数百ミクロン程度の薄皮でしかなかった。そしてその角閃石の分析値は苦土ヘスチング閃石であり、苦土普通角閃石とはアルカリ成分とケイ酸成分が本質的に異なる角閃石である。なお角閃石の薄皮の内側は微細な透輝石+オリビン+磁鉄鉱の集合体となっていた。

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マンバンざくろ石 / Spessartine
マンバンざくろ石 / Spessartine
マンバンざくろ石 / Spessartine
Mn2+3Al2(SiO4)3
栃木県日光市久良沢鉱山

久良沢(きゅうらさわ)鉱山は足尾山塊に多数あるマンガン鉱山の一つで比較的多いズリが残されている。層状マンガン鉱床であるが花崗岩による接触変成作用で鉱物が粗粒化している傾向がある。なかでもマンバンざくろ石は比較的大粒で24-36面体の結晶が得られる。オレンジ色の美しい結晶であることに加え、成長丘が全面に発達しておりその幾何学模様もまたおもしろい。学名は発見地の Spessart Mountain(ドイツ)に因んでいる。

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ボトリオ石 / Botryolite (Botryoidal Datolite)
ボトリオ石 / Botryolite (Botryoidal Datolite)
愛媛県久万高原町高殿

ボトリオ石 / Botryolite (Botryoidal Datolite)
愛媛県久万高原町槙の川

ボトリオ石は鉱物名ではなく、ブドウの房状の集合体を成すダトー石のことを指す。1808年にJohann Friedrich Ludwig Hausmannによってノルウェイ産の標本に対して命名された。日本では愛媛県槙の川や、道路を挟んで東に位置する高殿から産出する標本がよく知られている。県立博物館発行の愛媛の鉱物によれば当初は玉髄と考えられ、後にボトリオ石であることが明らかとなったとされる。原産地であるノルウェイのボトリオ石は黒色に近いブラウン色であるが、槙の川産のボトリオ石は白色からピンク色を呈する。

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ピクロファーマコ石 / Picropharmacolite
ピクロファーマコ石 / Picropharmacolite
ピクロファーマコ石 / Picropharmacolite
Ca4Mg(AsO3OH)2(AsO4)2·11H2O
大分県佐伯市木浦鉱山

ピクロファーマコ石の最初の記載は1819年となっている。学名はマグネシウムを含むことおよび毒を意味するギリシア語を由来とし、その由来のとおり毒性を持つ。古典的な鉱物だが日本での発見は2009年と意外と新しい。ピクロファーマコ石は水溶性であり多湿気候の日本では生成後に溶けてしまうことも多く、それがなかなか発見されなかった原因かも知れない。この産地には何度か訪れたが自分ではピクロファーマコ石を見つけることはできなかった。写真の標本は発見者の一人から恵与していただいた。

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苦土フェリエ沸石 / Ferrierite-Mg
苦土フェリエ沸石 / Ferrierite-Mg
苦土フェリエ沸石 / Ferrierite-Mg
[Mg2(K,Na)2Ca0.5](Si29Al7)O72·18H2O
愛媛県久万高原町黒妙

フェリエ沸石にはマグネシウム(Mg)、カリウム(K)、ナトリウム(Na)、アンモニウム(NH4)の種類があり、そのうちマグネシウム(苦土)タイプがもっとも早く記載された。最初のフェリエ沸石はカナダのカムループス湖畔から見出され、カナダ地質調査所のWalter Frederick Ferrier(1865-1950)に因んで1918年に命名された。写真の標本は愛媛県久万高原町黒妙からの標本で、安山岩中の晶洞に鱗珪石を伴って産出する。フェリエ沸石としては典型的なわかりやすい標本で板状結晶が放射状に並んでいる。

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カリフェリエ沸石 / Ferrierite-K
カリフェリエ沸石 / Ferrierite-K
カリフェリエ沸石 / Ferrierite-K
(K,Na)5(Si31Al5)O72·18H2O
島根県松江市桂島

桂島は島根県松江市島根町加賀の北に位置しており、Google Mapの地図上では孤島のように表示されるが、実際は防波堤と橋によって徒歩で渡ることができる。島全体が流紋岩からなっておりメノウの球果や脈が至る所で観察できる。海水浴場になっている浜辺は白いメノウの砂利が大量に打ち上げられており、その砂利をよく見ると少なくない頻度で絹糸光沢をもつ放射状の鉱物がへばりついている。産状的にフェリエ沸石だと直感して分析をしてみると、これはカリ(K)タイプのフェリエ沸石だった。根源名はカナダ地質調査所のWalter Frederick Ferrier(1865-1950)に因んでいる。

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バナジン銅鉱 / Volborthite
バナジン銅鉱 / Volborthite
愛知県犬山市継鹿尾

バナジン銅鉱 / Volborthite
東京都青ヶ島

バナジン銅鉱 / Volborthite
Cu3V2O7(OH)2·2H2O

バナジン銅鉱は日本では産出が稀な二次鉱物であり、予想外の産状で出現する。岐阜県各務原市鵜沼から木曽川を挟んで愛知県犬山市継鹿尾あたりには石炭紀からジュラ紀の堆積岩が露出しており、一部に挟まれる瀝青炭層中にバナジン銅鉱が生じる。一方、東京都青ヶ島は伊豆諸島のうち有人島としては最南端に位置する火山島で、一部には輝石安山岩からなるスコリアが分布する。そのスコリアの晶洞や裂傷にもバナジン銅鉱が産出することが知られている。バナジン銅鉱はいずれもガラス光沢を示す黄色の板状もしくは葉片状結晶が放射状に集合した姿となる。またどちらの産状でもバナジウム(V)や銅(Cu)を含む鉱物が母岩中に見当たらないため、もともとあった鉱物の分解から生成したのではなくガスや流体からそのまま生成したようにもおもえる。またバナジン銅鉱は物理業界ではカゴメ格子フラストレート系を体現する物質として注目されている。学名は最初にこの鉱物の存在に気づいた古生物学者のAlexander von Volborth (1800-1876)にちなむ。

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紫蘇輝石 / Hypersthene
紫蘇輝石 / Hypersthene
紫蘇輝石 / Hypersthene(鉱物種としてはEnstatite)
(Mg,Fe)SiO3
福島県猪苗代町大字壺楊前浜

紫蘇輝石とはかつての輝石の分類上に存在した種類で、エンスタタイト成分を50-70%もつ輝石が紫蘇輝石という名称で呼ばれた。紫蘇輝石は安山岩に含まれるもっとも一般的な斑晶鉱物であり、安山岩火山である磐梯山の麓に広がる猪苗代湖畔には大量の紫蘇輝石が堆積している。英名のHyperstheneは「より硬い」という意味のギリシア語が元になっており、しばしば混同される角閃石よりも硬いという意味合いとなっている。和名は紫蘇のような色合いに由来すると思うのだが、偏光をかけると結晶は赤~緑に変化するので赤紫蘇と青紫蘇のどっちの意味だろうか。

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灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
福島県飯館村佐須

灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
島根県西ノ島町国賀

灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
福島県伊達市霊山町

灰十字沸石 / Phillipsite-Ca
Ca3(Si10Al6)O32·12H2O

十字沸石の根源名はイギリスの鉱物学者であるWilliam Phillips (1776-1829)に因んで命名された。この沸石は十字型の双晶として生じることから十字沸石という和名で呼ばれており、これまでにカルシウム(Ca)、カリウム(K)、ナトリウム(Na)を主成分とする種が知られている。写真の十字沸石はいずれもカルシウムを主成分とすることから、カルシウムの和名である「灰」をつけて灰十字沸石と呼ぶ。ただし国賀の標本のように十字型の双晶となっていない産状も多い。福島県霊山町からは肉眼的に十字沸石とは鑑定しえない球形の姿で産出した。その一方で十字型の双晶もそばにいるなど変装の巧みな沸石であるかもしれない。

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フィアネル石 / Fianelite
フィアネル石 / Fianelite
フィアネル石 / Fianelite
Mn2+2V2O7·2H2O
埼玉県飯能市小松鉱山

フィアネル石はFianel鉱山(スイス)を模式地とし、産地に因んだ学名が与えられている。1995年に発見されたが、そこから今日まで世界を見渡しても産地は3箇所と非常に少ない。いまのところ日本では小松鉱山が唯一の産地で、フィアネル石は菱マンガン鉱を伴って低品位の鉱石中に脈状に分布する。脈に沿って鉱石を割ると濃赤色のギラついた菱形の結晶が現れる。アンセルメ石ともしばしば共存し、被膜で産出するとお互いにまったく区別ができない。

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フェロパンペリー石 / Pumpellyite-(Fe2+)
フェロパンペリー石 / Pumpellyite-(Fe2+)
フェロパンペリー石 / Pumpellyite-(Fe2+)
Ca2Fe2+Al2(Si2O7)(SiO4)(OH,O)2·H2O
埼玉県飯能市小松鉱山

パンペリー石はアメリカの地質学者であるRaphael Pumpelly(1837-1923)に敬意を表して命名された鉱物で、1923年に記載された。1973年からは化学組成に従った分類が提案され、学名に接尾語をつけて種を細分することになったが、分析なしにそれぞれを見分けることは難しい。写真の標本は埼玉県小松鉱山から産出したもので、赤鉄鉱を含む鉱石を石英と共に横切っている。分析したところ二価鉄(Fe2+)を主成分とするフェロパンペリー石であった。小松鉱山ではバナジウム(V)を主成分とするパンペリー石であるポッピ石(Poppiite)の産出があるが、そちらはほとんど真っ黒なのでフェロパンペリー石と混同することはないだろう。

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ポッピ石 / Poppiite
ポッピ石 / Poppiite
ポッピ石 / Poppiite
ポッピ石 / Poppiite
Ca2(V3+,Fe3+,Mg)V3+2(Si,Al)3(O,OH)14
埼玉県飯能市小松鉱山

ポッピ石はパンペリー石族の一員で、バナジウム(V)を主成分とする。世界的にも非常に稀産の鉱物であるが日本では2箇所で産出が知られる。そのうちの一つである埼玉県小松鉱山ではほとんど黒色にみえる脈で産出し、拡大するとそれぞれは深緑色の柱状結晶となっている。また写真の標本は微小な輝銅鉱を伴っており、それらの風化によって黄色のバナジン銅鉱(Volborthite)が周囲に生じている。また小松鉱山ではフェロパンペリー石も産出するが、そちらは緑鮮やかでポッピ石とは色味が異なる。ポッピ石の学名はモデナ・レッジョ・エミリア大学(イタリア)の鉱物学者であるLuciano Poppiへの献命となっている。

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フランシスカン石 / Franciscanite
フランシスカン石 / Franciscanite
フランシスカン石 / Franciscanite
Mn2+6(V5+□)(SiO4)2O3(OH)3
埼玉県飯能市小松鉱山

フランシスカン石はPennsylvania鉱山(アメリカ)から1985年に見出された鉱物で、鉱床が胚胎されるFranciscan層に因んで命名された。永らく原産地でしか産出が知られていなかったが、2007年になり日本でも産出が確認された。フランシスカン石の産出が確認されたのは埼玉県小松鉱山で、そこではバナジウムに富む鉱物が多く見つかっている。フランシスカン石は脂肪光沢の強い濃赤黒色の棒状結晶として、マンガン品位の低い珪質な鉱石を切る菱マンガン鉱に伴われる。

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オパール / Opal
オパール / Opal
石川県小松市

オパール / Opal
オパール / Opal
SiO2・nH2O
高知県いの町加茂山

オパールには蛋白石という和名があり日本では玉子の白身のような色合いで産出することが多いが、まれに遊色を示すものがある。オパールはクリストバル石や鱗珪石の結晶子が含まれながらも全体としては非晶質となっている。そのため結晶構造を有するという鉱物の定義を満たしていないのだが、古くから知られているという理由で例外的に鉱物種として認められている。学名の由来は諸説あるが定かではなく、ラテン語やサンスクリット語が起源になっている可能性が指摘されている。

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モルデン沸石 / Mordenite
モルデン沸石 / Mordenite
島根県西ノ島町山神溜池

モルデン沸石 / Mordenite
静岡県河津町やんだ

モルデン沸石 / Mordenite
(Na2,Ca,K2)4(Al8Si40)O96·28H2O

モルデン沸石は1864年に記載された古典的な沸石族の鉱物で、学名は発見地に由来する。カナダのニューブランズウィック州とノバスコシア州の間に位置するファンディ湾のMordenという地域からはじめに見出された。今となってはありふれた沸石で、日本でもモルデン沸石は古くから知られており、凝灰角礫岩や安山岩の晶洞に毛~針状結晶の集合体が見られる。モルデン沸石はシリコン(Si)に富む沸石であるが、シリコンにやや乏しい菱沸石とも共存する。カリウム(K)を主成分とするモルデン沸石はこれまで天然では知られていないが合成することはできるようだ。

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メタスウィツアー石 / Metaswitzerite
メタスウィツアー石 / Metaswitzerite
メタスウィツアー石 / Metaswitzerite
Mn2+3(PO4)2·4H2O
埼玉県秩父市浦山広河原鉱山

メタスウィツアー石は4つの水分子をもつ鉱物として、はじめはスウィツアー石(Switzerite)の名前で記載された。しかし後になって、このスウィツアー石は7つの水分子をもつ鉱物が脱水して形成されたことが判明する。そこでオリジナルである7つの水分子をもつ鉱物をスウィツアー石と命名し、4つの水分子をもつ鉱物のほうは変質を意味する「メタ(meta)」の接頭語をつけてメタスウィツアー石と改名することが決まった。スウィツアー石→メタスウィツアー石への脱水は空気中で急速に進行する一方的な反応であり、メタスウィツアー石を水の中に入れてもスウィツアー石に戻らない。スウィツアー石の学名はスミソニアン博物館の George Shirley Switzer (1915-2008)に因んでいる。

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ラムベルグ鉱 / Rambergite
ラムベルグ鉱 / Rambergite
ラムベルグ鉱 / Rambergite
MnS
埼玉県秩父市浦山広河原鉱山

ラムベルグ鉱はアラバンド鉱と多形(同質異像)となる鉱物だが、アラバンド鉱がマンガン鉱床では普通の鉱物であることに対し、ラムベルグ鉱は非常に稀な鉱物である。日本では埼玉県広河原鉱山から2005年に見いだされた。オレンジ色の皮膜で産出することが多いが、晶洞には六角柱状の小さな結晶が認められる。学名は地球物理学者であるHans Ramberg(1917-1998)の業績をたたえて命名された。

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エモンス石 / Emmonsite
エモンス石 / Emmonsite
エモンス石 / Emmonsite
Fe3+2(Te4+O3)3·2H2O
静岡県下田市河津鉱山猿喰ヒ

エモンス石は鉄(Fe)とテルル(Te)の含水酸化物で、テルルを含む鉱石の風化で生成する。放射状に集合することが多いが、個々の結晶はルーズである場合がほとんどである。日本ではこれまで北海道手稲鉱山と静岡県河津鉱山で見いだされている。世界的には多くの産地が知られ、はじめはアリゾナ州のTombstone鉱区から見出され、地質学者のSamuel Franklin Emmons (1841-1911)に因んで命名され、1885年に記載された。

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バレンチン石 / Valentinite
バレンチン石 / Valentinite
宮崎県西米良村天包山

バレンチン石 / Valentinite
愛知県東栄町東薗目

バレンチン石 / Valentinite
Sb2O3

バレンチン石はアンチモン(Sb)の酸化物で、アルジェリアなどでは塊が主要な鉱石として採集されているが、通常は被膜もしくは微細な放射状集合として産出する。日本では宮崎県天包山からの標本が有名になったが、輝安鉱やベルチェ鉱の鉱床では少なからず存在している。経験的にはどちらかというとベルチェ鉱との相性がいいように思われる。学名は元素としてのアンチモンの特性を記した15世紀の錬金術師であるBasilius Valentinusにちなんで命名され、1845年に記載された。しかしBasilius Valentinusという人物は実在しなかった可能性も指摘されている。

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塩基アルミナ石 / Felsőbányaite
塩基アルミナ石 / Felsőbányaite
高知県土佐山桑尾

塩基アルミナ石 / Felsőbányaite
塩基アルミナ石 / Felsőbányaite
福島県古殿町叶神

塩基アルミナ石 / Felsőbányaite
Al4(SO4)(OH)10·4H2O

塩基アルミナ石(Felsőbányaite)は1853年にルーマニアのBaia Sprie鉱山から見出され、Baia Sprieの別名であるFelsőbányaにちなんで命名された。ところが1948年に同じ鉱物種が別名のBasaluminiteとして記載された。そこから長らく二つの名前で呼ばれる状態が続き、2006年になってようやくFelsőbányaiteの優先権が確定してBasaluminiteは抹消された。その影響は今でも続き、Basaluminiteの名称がいまだに使用されることがある。塩基アルミナ石は堆積岩の裂傷に普通にみられるが、微細なためある程度の集合体に成長しないと見落とされる。

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スカボロ石 / Scarbroite
スカボロ石 / Scarbroite
スカボロ石 / Scarbroite
Al5(CO3)(OH)13·5H2O
大分県佐伯市木浦鉱山

スカボロー石は1829年に見出された古典的な鉱物で、発見地のScarborough(イングランド)に因んで命名された。原産地では白色の塊として産出する。日本では木浦鉱山において、エメリー鉱石の裂傷に絹糸光沢を持つ放射状の結晶集合体としてスカボロー石が産出する。個々の結晶は西洋剣のような形状をしている。

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ベンジャミン鉱 / Benjaminite
ベンジャミン鉱 / Benjaminite etc.
ベンジャミン鉱 / Benjaminite
Ag3Bi7S12
兵庫県朝来市生野鉱山

ベンジャミン鉱はスミソニアン博物館のMarcus Benjamin (1857-1932)に因んで命名された鉱物で、1924年にOutlaw鉱山(アメリカ)から見出された。しかしその標本は不純物が多かったため一時はその独立性が疑われ、1975年になって行われた再検討によってようやくベンジャミン鉱の独立性が確認された。写真の標本は生野鉱山から産出したベンジャミン鉱で、肉眼では判別できないが微小なグスタフ鉱(Gustavite)とマチルダ鉱(Matildite)も伴われている。

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ゲーレン石 / Gehlenite
ゲーレン石 / Gehlenite
広島県庄原市東城町久代

ゲーレン石 / Gehlenite
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

ゲーレン石 / Gehlenite
Ca2Al(SiAl)O7

ゲーレン石は高温スカルンに産出する典型的な鉱物で、枡形をした乳白色の結晶標本が有名となっている。秩父鉱山石灰沢にも高温スカルンが分布しており、方解石との接触部にはゲーレン石のサイコロ状の結晶が産出する。風化を免れた結晶には透明感がある。学名は1815年にAdolf Ferdinand Gehlen(1775-1815)に因んで命名されている。

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ベーム石 / Böhmite
ベーム石 / Böhmite
ベーム石 / Böhmite
AlO(OH)
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

ベーム石はダイアスポア(Diaspore)と多形(同質異像)となる鉱物で、しばしば岩石の裂傷に分解生成物として生じる。秩父鉱山石灰沢ではホツルタムざくろ石を主体とする岩石の裂傷に板状結晶が認められる。肉眼的な特徴は多形であるダイアスポアとよく似ているが、硬度が全く異なる。ダイアスポアはモース硬度7ほどあるが、ベーム石は3.5程度で非常に脆い。学名はこの鉱物を最初に研究した Johann Böhm (1895-1952) に因んでいる。

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バビントン石 / Babingtonite
バビントン石 / Babingtonite
バビントン石 / Babingtonite
Ca2Fe2+Fe3+Si5O14(OH)
島根県松江市美保関町

バビントン石は1824年に見出された古典的な鉱物で、ノルウェイを原産地として、医師であり鉱物学者でもあるWilliam Babington(1756-1833)に因んで命名された。多くの面を持つ黒色結晶が典型的で、スカルン、ペグマタイト、玄武岩を母岩とした多様な産状がある。日本では島根半島に貫入した苦鉄質岩に伴われるバビントン石が親しまれており、晶洞にブドウ石やトムソン沸石を伴って産出する。

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マンガンバビントン石 / Manganbabingtonite
マンガンバビントン石 / Manganbabingtonite
マンガンバビントン石 / Manganbabingtonite
Ca2Mn2+Fe3+Si5O14(OH)
高知県いの町枝川

マンガンバビントン石は1966年にロシアで見出されていた鉱物だが、新鉱物の申請を経ずに論文が先に出版されていた。そのためIMAは後に審査を行い、正式に承認されたのは1971年になる。その間、研究者らはマンガンバビントン石のことを未承認の鉱物として認識することになり、日本でも山宝鉱山からのマンガンバビントン石に対して新鉱物申請のための研究が進められていた。医師であり鉱物学者でもあるWilliam Babington(1756-1833)に因んで命名されたバビントン石のマンガン置換体がマンガンバビントン石となる。

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鉄バスタム石 / Ferrobustamite
鉄バスタム石 / Ferrobustamite
鉄バスタム石 / Ferrobustamite
CaFe2+Si2O6
山口県美祢市於福鉱山

鉄バスタム石は新鉱物として申請された経緯をもたず、1973年に突如として鉱物種に昇格した。実は日本でも1973年に岡山県山宝鉱山から鉄珪灰石(Iron-wollastonite)としてまったく同じ鉱物が記載されている。そのため古老の愛好家は鉄バスタム石を日本の新鉱物とみる向きもある。しかし出典をさらに遡ると鉄バスタム石は1937年にスコットランドから見出されたのが最初となる。於福鉱山は大和鉱山とも呼ばれ、銅鉱山であったが、晩期には珪灰石や鉄バスタム石を陶磁器原料として出荷していた。

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ダイピング石 / Dypingite
ダイピング石 / Dypingite
ダイピング石 / Dypingite
Mg5(CO3)4(OH)2·5H2O
愛知県新城市中宇利鉱山

ダイピング石は蛇紋岩の表面に生じる白色皮膜状の鉱物で、1970年にノルウェイから見出された。学名は発見地であるDypingdal Serpentine-magnesite鉱床に因んでいる。いまでは日本でも蛇紋岩地帯であれば各所で産出が知られるが、最初に報告されたのは愛知県新城市吉川鉱山で、その当時はダイピング石ではなく吉川石(Yoshikawaite)と呼ばれ、新鉱物として申請された経緯がある。しかしダイピング石と同一とされ吉川石は新種には認められなかった。吉川鉱山の数キロ南には中宇利鉱山が位置しており、そこでもダイピング石は見つかっている。

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ミアジル鉱 / Miargyrite
ミアジル鉱 / Miargyrite
ミアジル鉱 / Miargyrite
AgSbS2
大分県杵築市三井大高鉱山

ミアジル鉱はAgSbS2の化学組成を持ち、キューボアジル鉱(Cuboargyrite)とバウムスターク鉱(Baumstarkite)と多形(同質異像)を成すが、この3種の中ではミアジル鉱の産出が圧倒的に多い。日本でもミアジル鉱は各地で産出し、なかでも大高鉱山のミアジル鉱は有名であろう。鉱石を割ってすぐではやや赤みを帯びており、時間が経つほど黒色かするが、表面の光沢はあまり変化が無い。ミアジル鉱は濃紅銀鉱(Pyrargyrite)と外観がよく似ており間違いやすいが、そのくせ濃紅銀鉱よりも銀(Ag)成分が少ないことから、「銀が少ない」という意味のギリシア語が学名の元になっている。和名は学名のカタカナ読み。

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珪蒼鉛鉱 / Eulytine
珪蒼鉛鉱 / Eulytine
福岡県三ノ岳横鶴鉱山

珪蒼鉛鉱 / Eulytine
珪蒼鉛鉱 / Eulytine
福島県飯館村蕨平高ノ倉鉱山

珪蒼鉛鉱 / Eulytine
Bi4(SiO4)3

珪蒼鉛鉱はビスマス(Bi)鉱床の酸化帯でしばしば見られる鉱物で、褐色~青色系統まで様々な色を示す球状集合として産出する姿が一般的であろう。それはまるで昆虫の卵のような雰囲気を醸し出す。しかしながら、その球をよく見ると小さな凹凸が出ており球は結晶のクラスター(集合体)であることがわかる。結晶が見られると扁平な四面体の姿となる。学名は簡単に融けるという意味のギリシア語が元になっており、和名は化学組成に基づいている。周囲に鉄珪蒼鉛石を伴うことがある。

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森本ざくろ石 / Morimotoite
森本ざくろ石 / Morimotoite
岡山県高梁市備中町布賀西露頭

Morimotoite-Andradite
北海道日高町千栄パンケユクトラシナイ川

森本ざくろ石 / Morimotoite
Ca3(Ti4+Fe2+)(SiO4)3

森本ざくろ石は岡山県布賀から見出された日本産の新鉱物で、学名は大阪大学および京都大学名誉教授の森本信男(1925-2010)に因む。広く普及している布賀の森本ざくろ石は破断面の標本だが、小さな晶洞には黒色12面体結晶が観察されることがある。北海道からの標本はシャープな12面体結晶で透明な灰鉄ざくろ石とのコントラストがおもしろい。ただ研究面としてはこのようなゾーニングが障壁となって構造解析などが困難となっている。

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ホルツタムざくろ石 / Holtstamite
ホルツタムざくろ石 / Holtstamite
白い部分がホルツタムざくろ石で、褐色部はベスブ石(Vesuvianite)。黒い粒は閃亜鉛鉱か黄鉄鉱。

ホルツタムざくろ石 / Holtstamite
青い部分がホルツタムざくろ石で、青の原因は微細なアメス石(Amesite)が混在しているから。白濁~ベージュはベスブ石。

ホルツタムざくろ石 / Holtstamite
青みを持つホルツタムざくろ石の切断面。ベスブ石との接触部に青色(=アメス石)が濃集する傾向がある。小さな黒っぽいツブツブはほとんど閃亜鉛鉱か黄鉄鉱。私は和田石を見つけることはできなかった。

ホルツタムざくろ石 / Holtstamite
Ca3Al2(SiO4)2(OH)4
埼玉県秩父市秩父鉱山石灰沢

ホルツタムざくろ石は南アフリカのWessels鉱山から最初に見つかった鉱物で、含水の正方晶系ざくろ石の一つである。スウェーデン自然史博物館のDan Holtstam(b.1965-)に因んで2003年に命名された。これまで非常に稀少な鉱物で、他産地からの確実な報告はなく、またホルツタムざくろ石は正方晶系を維持するために必ず少量のMn3+を含む必要があると考えられていた。ところが秩父鉱山石灰沢ではこれまでの認識が覆った。石灰沢ではMn3+を含まない端成分に近いホルツタムざくろ石が、岩石の単位で大量に存在することが明らかとなった。いわゆる和田石の標本として知られていたものだが、私が調べた範囲で和田石は一粒も見つからなかったので、和田石の存在度はおそらく相当低いはず。それよりも稀産のはずのホルツタムざくろ石が当たり前のように存在している事実に驚いた。灰バンざくろ石のケイ酸基→水酸基が進むことで、ホルツタムざくろ石となり、さらに水酸基置換が進むと加藤ざくろ石となる。

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珪線石 / Sillimanite
珪線石 / Sillimanite珪線石 / Sillimanite
愛媛県上島町魚島群島

珪線石 / Sillimanite
佐賀県鳥栖市養父

珪線石 / Sillimanite
Al2SiO5

珪線石は高温環境で出現する典型的な鉱物で、紅柱石藍晶石とは同質異像の関係にある。珪線石は高温側に安定領域があるため片麻岩や流紋岩などに伴われる。単結晶でありながらも破断面からは繊維状集合のように見える。片麻岩中の珪線石はしばしば白雲母を伴う。また珪線石の結晶にはムル石(Mullite)が含まれているとされるが、個人的にはそれはまだ確認できていない。学名はイエール大学のBenjamin Silliman(1779-1864)に因んで命名されているが、和名は見た目と化学組成を反映した名称となっている。

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オフレ沸石 / Offretite
オフレ沸石 / Offretite
オフレ沸石 / Offretite
KCaMg(Si13Al5)O36 · 15H2O
山口県長門市油谷川尻

本州の最西端の半島である向津具半島では砂岩を玄武岩が覆っており、その玄武岩には細く引き延ばされた晶洞が良く発達している。晶洞には多様な沸石が産出し、オフレ沸石もその一つ。川尻は日本におけるオフレ沸石の唯一の産地で、晶洞中に微結晶が六角の板状に集合した姿で産出する。オフレ沸石はSemiol山(フランス)で最初に見出され、リヨン大学のAlbert Jules Joseph Offret(1857-1933)に因んで命名された。

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自然銀 / Silver
自然銀 / Native Silver
岐阜県飛騨市神岡鉱山

銀黒
兵庫県宍粟市大身谷鉱山

自然銀 / Silver
愛媛県四国中央市佐々連鉱山

自然銀 / Silver
福島県郡山市熱海町高玉鉱山本山末広新3号脈

自然銀 / Silver
Ag

自然銀は銀(Ag)の元素鉱物である。可視光線の反射率が98%にも達し、その独特な明るい色は白銀色(しろがねいろ)と称される。鉛や亜鉛を主体とする金属鉱床にはよく伴われる。そこでは「ひげ銀」と称される独特な形状がしばしば出現し、一方向に伸びて湾曲した集合体となっている。またいわゆる銀黒と称される銀鉱石の主要構成鉱物にもなっている。含銅硫化鉄鉱鉱床でも自然銀の産出が知られており、特に「ハネコミ」と称される富鉱部には裂傷に箔状の自然銀を生じる。また自然銀は自然金とは連続的に合金を形成し、そういったものはエレクトラムと呼ばれる。その見た目は自然金に見えることが多い。福島県高玉鉱山の標本は分析してみるとAg66Au34としっかり銀が卓越し、鉱物種としては自然銀であるが、どう見ても自然金にしか見えない。自然銀の学名はseolforという古い英語が由来であるが、その意味はすでに不明となっている。

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マンガン斧石 / Axinite-(Mn)
マンガン斧石 / Axinite-(Mn)
マンガン斧石 / Axinite-(Mn)
Ca4Mn2+2Al4[B2Si8O30](OH) 2
埼玉県秩父市秩父鉱山赤岩

斧石にはカルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、鉄(Fe)そしてマンガン(Mn)を主成分とする種が知られ、秩父鉱山赤岩からはマンガン斧石が産出する。分析してみると、この標本ではマグネシウムや鉄はほとんど含まれず、端成分に近い組成となっていた。斧石は塊状に集合することが多いが、空隙には透明感のある結晶がしばしば認められる。学名は結晶が斧に似ていることから名付けられた。

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サンタバーバラ石 / Santabarbaraite
サンタバーバラ石 / Santabarbaraite
サンタバーバラ石 / Santabarbaraite
Fe3+3(PO4)2(OH)3·5H2O
兵庫県神戸市西区

サンタバーバラ石は結晶構造を持たないため、鉱物の定義[1]を満たしていない。そういう物質は「ミネラロイド(Mineraloid)[2]」と言って、鉱物に準じる物質という扱いになることが普通である。しかしサンタバーバラ石は格子定数よりも短い距離だが原子の三次元的な配列が証明されたため、例外的に鉱物として承認された。学名は模式地のサンタバーバラ地域(イタリア)に因む。サンタバーバラ石は酸化した藍鉄鉱そのものであるため、量や規模を問わなければ藍鉄鉱の産地にはおおむね産出する。神戸市西区では藍鉄鉱の仮晶として、褐色板状の姿で産出した。

[1] 鉱物は「地質作用で生じた、一定の化学組成と結晶構造を持つ物質」と定義されている。
[2] 鉱物の定義を完全には満たしていない物質。たとえば天然のガラス。

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キュマンジュ石 / Cumengeite
キュマンジュ石 / Cumengeite
キュマンジュ石 / Cumengeite

キュマンジュ石 / Cumengeite
Pb21Cu20Cl42(OH)40·6H2O
和歌山県串本町

キュマンジュ石はメキシコのボレオ砂漠を模式地とする青色のハロゲン化鉱物で、1893年に記載された古典的な鉱物である。鉱山技師のBernard Louis Philippe Édouard Cumenge(1828-1902)に因んで命名された。Amelia鉱山から産出するテトラポッドのような群晶が標本としてとても有名となっている。日本では2014年に和歌山県串本町の海岸から見出され、拡大すると小さいながらもスピネルのような結晶が随所に認められた。

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マン鉄ざくろ石 / Calderite
マン鉄ざくろ石 / Calderite
Garnet composition from Sanpo mine
マン鉄ざくろ石 / Calderite
Mn2+3Fe3+2(SiO4)3
愛媛県伊予市中山町三宝鉱山

マン鉄ざくろ石は二価マンガン(Mn2+)と三価鉄(Fe3+)というきわめて普通の元素を主成分としながらも世界的にその産出は稀と言える。日本では愛媛県三宝鉱山から産出した記録がある[1]が、日本産鉱物種には引用されていない(2019年3月時点)。そこで写真の標本について調べてみたところ、灰鉄ざくろ石(Andradite)-マン鉄ざくろ石(Calderite)-マンバンざくろ石(Spessartine)の領域で分析値が集中し、確かにマン鉄ざくろ石が含まれていることが確認できた。マン鉄ざくろ石の学名は地質学者のJames Calderに因んでいる。ただし当初は定義が不十分なインド産のざくろ石の呼称に過ぎず、いったんは鉱物名のリストから消滅したが、ナミビア産のざくろ石の研究によって改めて存在が確認されたという経緯がある。

[1]森岡北水, 皆川鉄雄(1998) 四国の広域変成鉄・マンガン鉱床産garnetの固溶関係. 日本鉱物学会年会講演要旨集,P86.

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ボーレライネン石 / Vuorelainenite
ボーレライネン石 / Vuorelainenite
ボーレライネン石 / Vuorelainenite
ボーレライネン石 / Vuorelainenite
ボーレライネン石 / Vuorelainenite
Mn2+V3+2O4
愛媛県西条市丹原町鞍瀬鉱山

ボーレライネン石はスピネル超族の一種で、鉱物種としてのガラクス石から見てアルミニウム(Al)をバナジウム(V3+)に置き換えた鉱物に該当する。日本では愛媛県鞍瀬鉱山において緑色の桃井ざくろ石に伴われて黒色の微細粒として産出し、稀には典型的な三角形の面が見えることがある(上写真)。この産地では石墨も産出するため破断面での肉眼鑑定は困難だが、研磨面や反射顕微鏡下ではその存在を明瞭に認識することができる(中・下写真)。鞍瀬鉱山のボーレライネン石はほとんど端成分の組成となっていた。学名はフィンランドの岩石学者であるYrjö Vuorelainen (1922 – 1988)に因んでいる。

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ガラクス石 / Galaxite
ガラクス石 / Galaxite
ガラクス石 / Galaxite
ガラクス石 / Galaxite
MnAl2O4
三重県大山田村山田鉱山

ガラクス石はスピネル超族の一種で、鉱物種としてのスピネルから見てマグネシウム(Mg)をマンガン(Mn)に置き換えた鉱物になる。マンガン鉱床では普遍的に存在する鉱物ではあるが、通常はあまりに微細であるためその結晶を目にする機会はほとんど無い。山田鉱山では、黒色のアラバンド鉱に埋没する透明感のある飴色の結晶としてガラクス石を見つけることができる。切断面ではその存在はよりわかりやすい。学名はGalax(アメリカバージニア州)という地名に因んで命名されたが、その地名は植物の名前が由来となっている。

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スピネル / Spinel
スピネル / Spinel
スピネル / Spinel
MgAl2O4
岐阜県揖斐川町春日鉱山

スピネルは最初の産出地がもはやわからないくらい古典的な鉱物であるが、その学名は1779年に「小さく尖っている」という意味を持つラテン語に因んで命名された。しばしば赤色を示すことからルビーと間違えられることが多い。写真のスピネルはほとんど純粋なMgAl2O4で、この場合だと無色透明な結晶となる。スピネル構造は多彩な元素を収容でき、2019年3月の時点でで56種がスピネル超族としてまとめられている。

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苦土普通角閃石 / Magnesio-hornblend
苦土普通角閃石 / Magnesio-hornblend
苦土普通角閃石 / Magnesio-hornblend
Ca2(Mg4Al)(Si7Al)O22(OH)2
愛媛県関川

苦土普通角閃石の根源名である「Hornblend」は具体的に命名された経緯はなく、そのものを指す言葉が継続的に使われた結果として定着した鉱物名である。有用鉱石と見た目が似ていながらも、実際には金属を含んでいないので「欺く:blenden」という意味、それから角閃石の見た目の「角:horn」という意味の古いドイツ語に由来し、1789年にAbraham Gottlieb Wernerによって初めて使用されたとされる。そしていつの間にか「Horunblend」が学名として定着し、様々な岩石において普通の造岩鉱物であることから和名においては「普通角閃石」という冴えない呼称となっている。また現在の角閃石の分類では、マグネシウム(Mg)を主成分とする角閃石について苦土(magnesio)という接頭語を付けないことが基本となっているが、苦土普通角閃石は例外的に「苦土」をつけることが決められている。

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カトフォル閃石 / Katophorite
カトフォラ閃石 / Katophorite
カトフォル閃石 / Katophorite
Na(NaCa)(Mg4Al)(Si7Al)O22(OH)2
愛媛県四国中央市伊予鉱山

カトフォル閃石はノルウェイのいくつかの産地から同時に記載され、アルベソン閃石に対して光学Z軸がやや異なることから、「下に移動する」という意味のギリシア語に因んで命名された。ただしそのオリジナルの角閃石は鉄に富み、現在の分類ではフェロカトフォル閃石に該当する。そのため、現在の分類が成立した2012年以降、カトフォル閃石は名前と化学組成が定義されているのみで実物の無い仮想的な存在となった。そして2013年になりミャンマーから見出されたカトフォル閃石が改めて模式標本として記載された。伊予鉱山で普通に産出する角閃石を分析して見ると、それはカトフォル閃石であった。

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エッケルマン閃石 / Eckermannite
エッケルマン閃石 / Eckermannite
エッケルマン閃石 / Eckermannite
NaNa2(Mg4Al)Si8O22(OH)2
新潟県糸魚川市青海川

エッケルマン閃石は1942年にスウェーデンの Norra Kärrから見いだされた角閃石について、岩石学者のHarry von Eckermannに因んで名付けられた。しかしその後に模式標本はエッケルマン閃石とは異なることが明らかとなり、エッケルマン閃石は名前と化学組成が定義されているのみで実物の無い仮想的な存在となった。2013年になりエッケルマン閃石に該当する鉱物がミャンマーから見いだされ、ミャンマー産エッケルマン閃石が改めて模式標本となった。日本では青海川の転石で、特にコスモクロアを伴う岩石の主要構成鉱物として産出する。

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カミントン閃石 / Cummingtonite
カミントン閃石 / Cummingtonite
カミントン閃石 / Cummingtonite
カミントン閃石 / Cummingtonite
Mg2Mg5Si8O22(OH)2
宮城県川崎町本砂金安達

カミントン閃石はアメリカマサチューセッツ州のカミントンという地域から見いだされて命名された角閃石で、安山岩や珪質の火山岩の斑晶としてよく含まれる。よく見られる角閃石の一種であり産地は世界中に知られる。安達においては青色の菫青石が有名であるが、カミントン閃石を多く含む岩石もよく見られる。

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透閃石 / Tremolite
透明閃石 / Tremolite
透閃石 / Tremolite
Ca2(Mg5.0-4.5Fe2+0.0-0.5)Si8O22(OH)2
新潟県糸魚川市青海川

透閃石はスイスのTremola村から見いだされたことから命名された角閃石でカルシック角閃石に分類される。透閃石はマグネシウムを主成分とし、二価鉄(Fe2+)側の端成分はフェロアクチノ閃石であるが、その間にアクチノ閃石が設けられている。そのため透閃石の化学組成の範囲は例外的に狭く、Mg5.0-4.5Fe2+0.0-0.5のものに限られる。日本では青海川の転石でよく見られる。

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パーガス閃石 / Pargasite
パーガス閃石 / Pargasite
長野県富士見町

パーガス閃石 / Pargasite
愛媛県睦月島

パーガス閃石 / Pargasite
NaCa2(Mg4Al)(Si6Al2)O22(OH)2

パーガス閃石はフィンランドのパーガス村から最初に見いだされ、発見地の名前に因んで命名された。産状や形態も非常に多様な角閃石で、化学組成も複雑なために分析無しに同定することはほぼ不可能。富士見町の角閃石は安山岩の斑晶として含まれており、一般には普通角閃石と言われているが分析してみたところパーガス閃石であった。愛媛県睦月島ではパーガス閃石は石灰岩中のレンズとして産出する。

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フェロゼードル閃石 / Ferro-gedrite
フェロゼードル閃石 / Ferro-gedrite
フェロゼードル閃石 / Ferro-gedrite
□Fe2+2(Fe2+3Al2)(Si6Al2)O22(OH)2
岐阜県恵那市笠置町河合鉱山

根源名のゼードル閃石はフランスのGèdresから最初に見つかったことから命名された。和名では礬土直閃石(ばんどちょくせんせき)と呼ばれることがあるが、カタカナ読みのほうが良いと思える。フェロゼードル閃石はマグネシウム(Mg)を端成分とするゼードル閃石からみて、二価鉄(Fe2+)の置換体に該当する。河合鉱山のフェロゼードル閃石はかつてアルミニウムに富む鉄直閃石と呼ばれていたが、科博の研究チームによってフェロゼードル閃石と同定された。写真の標本を分析してみたとこと確かにフェロゼードル閃石であった。

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カリ苦土アルベソン閃石 / Potassic-magnesio-arfvedsonite
カリ苦土アルベソン閃石 / Potassic-magnesio-arfvedsonite
カリ苦土アルベソン閃石 / Potassic-magnesio-arfvedsonite
KNa2(Mg4Fe3+)Si8O22(OH)2
大分県佐伯市下払鉱山

根源名のアルベソン閃石は1823年に命名され、リチウム(Li)の発見者であるJohan August Arfvedson(1792-1841)に因んでいる。そしてカリ苦土アルベソン閃石に該当する角閃石はイギリスで1982年に見出されていたが、鉱物種としてはブルガリア産の標本を用いた研究によって2016年に新種に認定された。下払鉱山ではナマンシル輝石を含み紫色を帯びた岩石を切る小さい脈中に、淡青色の繊維状集合となってカリ苦土アルベソン閃石が産出する。

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リーベック閃石 / Riebeckite
リーベック閃石 / Riebeckite
リーベック閃石 / Riebeckite
Na2(Fe2+3Fe3+2)Si8O22(OH)2
高知県本山町下川鉱山

本山町にある下川鉱山は白滝鉱山の支山として稼働し、含銅硫化鉄鉱鉱床で黄銅鉱や斑銅鉱を主要鉱石としていた。広大なズリが残っており、その中に黄銅鉱を含む暗青色の角閃岩が点在する。主体となる角閃石は鉱物種として藍閃石(Glaucophane)と言われているが、調べてみたところリーベック閃石であった。根源名としての藍閃石とリーベック閃石はアルミニウム(Al)と三価鉄(Fe3+)の多少で説明され、アルミニウム>三価鉄ならば藍閃石で、三価鉄>アルミニウムならリーベック閃石となる。リーベック閃石はドイツ人探検家・鉱物学者・民俗学者のEmil Riebeck (1853-1885)にちなんで1888年に名付けられた。

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フェリウィンチ閃石 / Ferri-winchite
フェリウィンチ閃石&トウェディル石
愛媛県砥部町古宮鉱山。ブラウン鉱石中の白色繊維状の鉱物がフェリウィンチ閃石で、濃赤色の粒はトウェディル石(Twiddellite)。

フェリウィンチ閃石 / Ferri-winchite
和歌山県禰宜鉱山

フェリウィンチ閃石 / Ferri-winchite
(NaCa)(Mg4Fe3+)Si8O22(OH)2

根源名のウィンチ閃石(Winchite)はイギリス人地質学者Howard J. Winchに因んで命名され、アルミニウム(Al)を主成分とするウィンチ閃石からみてその三価鉄(Fe3+)の置換体となる角閃石がフェリウィンチ閃石である。最近は角閃石をよく分析しているところで、フェリウィンチ閃石はなかなか多様な産状を示すことがわかってきた。古宮鉱山ではブラウン鉱石中の白色繊維状で産し、分析結果を解析したところ少量のリチウム(Li)が含まれると思われる。禰宜鉱山産はリーベック閃石に似た青緑色を示すが、組成はフェリウィンチ閃石に該当していた。

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鉄水鉛華 / Ferrimolybdite
鉄水鉛華 / Ferrimolybdite
鉄水鉛華 / Ferrimolybdite
Fe3+2(Mo6+O4)3·7H2O
栃木県日光市浅田水鉛銅山

二次鉱物である鉄水鉛華は主に輝水鉛鉱の分解によって生じ、黄色の繊維状集合で産出する。古典的な鉱物で発見当時は「含水モリブデン三酸化物(hydrated molybdenum trioxide)」と呼ばれていた。後に鉄も含むことが注目され、鉄とモリブデンに因んだ学名へ変更された。

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自然金 / Gold
自然金 / Gold
鹿児島県伊佐市菱刈鉱山

自然金 / Gold
自然金 / Gold
Au
鹿児島県南九州市知覧町赤石鉱山

金(Au)の元素鉱物のことを自然金と呼ぶ。その産出様式や形態は様々あり一概にはまとめられないが、ここではやや変わった自然金を掲載する。菱刈鉱山においては通常は鉱石中に目に見えない微細粒で存在するが、板状の磁硫鉄鉱の上に自然硫黄と共に自然金が生じることがある。また、南薩摩型と呼ばれる金鉱床のなかで赤石(あけし)鉱山の鉱石は高品位であることが知られ、鉱石中には肉眼的にもそれとわかる自然金(いわゆる「とじ金」)が点在する。そのとじ金はまるでカステラのようなふわっとした形態となっている。学名の起源はすでに不明となっているが、色を暗示している可能性があるとされる。元素記号についてはラテン語で金を意味するAurumが由来となっている。

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パレンツォーナ石 / Palenzonaite
パレンツォーナ石 / Palenzonaite
パレンツォーナ石 / Palenzonaite
(NaCa2)Mn2+2(VO4)3
鹿児島県大和鉱山

パレンツォーナ石はガーネット超族の一員で、バナジウムを主成分とする鉱物である。ブラウン鉱を主体とする鉱石を切る石英脈中に生じ、ワインレッドでダイヤモンド光沢を示す結晶が典型的とされる。1987年にイタリアから見出され、Genoa大学の化学者であるAndrea Palenzonaに因んで命名された。日本では2008年に大和鉱山から見出された。

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ナビア石 / Nabiasite
ナビア石 / Nabiasite
ナビア石 / Nabiasite
BaMn9(VO4)6(OH)2
鹿児島県大和鉱山

ナビア石は1999年にフランス中央ピレネーのNabiasから見出され、地名に因んで命名された。ナビア石はダイヤモンド光沢を示す濃赤色の結晶として産出し、パレンツォーナ石とは一見して区別しがたいが、ナビア石のほうが光沢が強く結晶の色が濃い。日本では肉眼的なサイズのナビア石は2008年に大和鉱山から報告された。

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ロスコー雲母 / Roscoelite
ロスコー雲母 / Roscoelite
ロスコー雲母 / Roscoelite
KV3+2(Si3Al)O10(OH)2
鹿児島県大和鉱山

ロスコー雲母はイギリス人化学者の Sir Henry Enfield Roscoeに因んで命名された雲母族の鉱物で、アメリカのStuckslager Mine 鉱山を原産地としている。今では多くの産地が知られ、日本でも1964年に大和鉱山から産出が報告された。緑色の鱗片状結晶が集合した姿で産し、その産状はしばしば「青のり状」と称される。

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玉滴石 / Hyalite
玉滴石 / Hyalite
香川県坂出市五色台

玉滴石 / Hyalite
玉滴石 / Hyalite
愛媛県上島町岩城島

玉滴石 / Hyalite
SiO2 · nH2O

玉滴石は独立の鉱物種ではなく、非晶質で水を含むシリカのうち粒状で透明感のある小さな塊が集合した外観のものを指す。典型的なものはその名が示すように「しずく」が固まり集まったかのような姿をしており、独特の透明感とつやを示す。香川県の五色台を形成するサヌカイト質安山岩の晶洞には玉滴石が多く伴われていた。一方でその特徴的な外見がよく現れてない場合は、短波長の紫外線を照射して緑色の蛍光を示すものに対して玉滴石と呼ぶことが多い。愛媛県岩城島にはいくつかの蛍光鉱物が産出し、玉滴石も見出された。

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ソグディア石 / Sogdianite
ソグディア石 / Sogdianite
ソグディア石 / Sogdianite
ソグディア石 / Sogdianite
ソグディア石を含む岩石の断面写真(上)、短波紫外線照射で微弱な青色に蛍光するソグディア石(中)、SEM写真中の中央はジルコンでそれを包む中間的なコントラストがソグディア石(下)

ソグディア石 / Sogdianite
KZr2Li3Si12O30
愛媛県上島町岩城島

ソグディア石は中央アジアのソグディアナ地方から発見された鉱物で、名前も地名に因む。杉石の仲間であり、杉石の模式地である愛媛県岩城島からも産出する。ジルコンを包み込む産状が典型で、短波長の紫外線では微弱ながら青い蛍光を示す。あらかじめ電子顕微鏡で存在を確認した後であれば、その姿を写真に納めることは可能。

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エカナ石 / Ekanite
エカナ石 / Ekanite
エカナ石 / Ekanite
エカナ石 / Ekanite
エカナ石を含む岩石の断面写真(上)、短波紫外線照射で緑色に蛍光するエカナ石(中)、SEM写真中では明るいコントラストを示すエカナ石(下)

エカナ石 / Ekanite
Ca2ThSi8O20
愛媛県上島町岩城島

エカナ石は宝石の原石として持ち込まれた標本から見出された鉱物で、宝石学者のF.L.D. Ekanayakeに因んで命名された。日本では愛媛県岩城島から産出の報告がある。岩城島のエカナ石は微細で無色透明なため、その存在を確かめるには電子顕微鏡が必要となる。その一方でエカナ石は短波紫外線で微弱ながら緑色蛍光を示すことから、あらかじめ電子顕微鏡で存在を確認した後であれば、その姿を写真に納めることは可能。

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ヘヒツベルグ石 / Hechtsbergite

ヘヒツベルグ石 / Hechtsbergite
ヘヒツベルグ石 / Hechtsbergite
Bi2(VO4)O(OH)
福岡県福岡市西区今宿長垂山

長垂山のペグマタイトからはリチウムを主成分とする鉱物が多産することが古くから知られていたが、2012年に九州大学の研究チームによって複数のバナジウム酸塩鉱物が見出された。その一つがヘヒツベルグ石であり、文献ではクーク石中に埋没する産状が報告されている。写真の標本はウェイランド石(Waylandite)というラベルであったが、分析したところヘヒツベルグ石であった。ヘヒツベルグ石は1995年にドイツのHechtsberg採石所で発見され、産地に因んで命名されている。

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ウェイランド石 / Waylandite
ウェイランド石 / Waylandite
ウェイランド石 / Waylandite
ウェイランド石 / Waylandite
BiAl3(PO4)2(OH)6
静岡県下田市河津鉱山

ウェイランド石はウガンダで発見された鉱物で、ウガンダ地質調査所の初代所長であったEdgar James Wayland(1888-1966)に因んで命名された。日本では1999年に静岡県河津鉱山から産出が報告され、後に長野県金鶏鉱山や福岡県長垂山からも産出が確認された。河津鉱山では石英の晶洞中に半透明~白色の菱面体結晶として産出する。

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銅藍 / Covellite
銅藍 / Covellite
銅藍 / Covellite
CuS
静岡県下田市河津鉱山

銅藍は古典的な鉱物で、1832年には発見者であるNiccolo Covelli(1790-1829)に因んで命名されている。イタリアからはじめに見出されたが、今では世界中で産出が知られる普遍的な鉱物として認識されている。河津鉱山でも皮膜状で産出することが非常に多いが、稀に石英の晶洞で六角形の結晶として観察される。虹色を帯びた藍青色を特徴とする。

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カルジルチ石&ジルコノ石 / Calzirtite & Zirconolite
カルジルチ石&ジルコノ石 / Calzirtite & Zirconolite
カルジルチ石 / Calzirtite : Ca2Zr5Ti2O16
ジルコノ石 / Zirconolite : CaZrTi2O7
愛媛県今治市小大下島

愛媛県小大下島ではエメリーと呼ばれる硬質で暗黒色の岩石が石灰岩中に小規模に伴われる。変質を受けたエメリーは灰チタン石(白色部)を生じ、その中に褐色結晶としてカルジルチ石およびジルコノ石が産出する。肉眼では区別できないが粒の中で両種が混在していることが多い。いずれも化学組成に由来する学名となっている。

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幌別鉱 / Horobetsuite
輝蒼鉛鉱 / Bismuthinite(いわゆる幌別鉱)
幌別鉱
北海道登別市幌別鉱山

輝蒼鉛鉱(Bi2S3)は輝安鉱(Sb2S3)と完全固溶体を形成するため、本来はビスマス(Bi)とアンチモン(Sb)どちらが多いかで種が分かれる。しかし、古い時代は中間組成にも独自の名称を与える慣習があり、幌別鉱山から産出する中間的な化学組成を示す灰色柱状結晶を「幌別鉱(ほろべつこう)」と呼んだことがあった。幌別鉱は有効な鉱物名ではないが、古典標本の名称として愛好家には親しまれている。写真の結晶は幌別鉱とされた古典標本であり、分析をしてみるとBi1.56Sb0.50S2.95の化学組成となっていた。つまりこの幌別鉱は輝安鉱成分をやや含むものの、鉱物種としては輝蒼鉛鉱である。

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イットリウムゼノタイム&セリウムモナズ石 / Xenotime-(Y) & Monazite-(Ce)
ゼノタイム&モナズ石 / Xenotime-(Y) & Monazite-(Ce)
イットリウムゼノタイム / Xenotime-(Y) : YPO4
セリウムモナズ石 / Monazite-(Ce) : CePO4
福島県玉川村川辺鉱山

希土類元素の単純リン酸塩鉱物は、イオン半径の大きなイットリウム(Y)およびイッテルビウム(Yb)では正方晶系のゼノタイム型構造となり、イオン半径の小さな希土類元素だとモナズ石型構造となる。両者はしばしば共存することが知られ、福島県川辺鉱山からはどちらも産出した。ゼノタイムの学名はギリシア語で無駄と名誉を意味している。かつてベルセリウスはゼノタイムから初めてイットリウムを分離したと主張したが、残念ながらそれはすでに発見されてたという経緯が由来とされる。モナズ石のほうは最初に知られていた産地では稀少であったので、単独を意味するギリシア語に因んでいる。

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ランキン石&キルコアン石 / Rankinite & Kilchoanite
ランキン石&キルコアン石 / Rankinite & Kilchoanite
ランキン石 / Rankinite (中央透明粒)
キルコアン石 / Kilchoanite(ランキン石周囲の白色雲状)
Ca3Si2O7
岡山県高梁市備中町布賀西露頭

ランキン石とキルコアン石は同じ化学組成で結晶構造が異なる関係となっている。岡山県布賀から産出するスパー石(Spurrite)中には普遍的に含まれているが、破断面からの区別は私にはできない。切断研磨した標本では紫色のスパー石と明瞭なコントラストを示し、キルコアン石は白色雲状に見え、ランキン石はその中心に透明な粒として産出する。ランキン石は1942年に北アイルランドから見出され、物理化学者のGeorge Atwater Rankin (1884-1963)に因んで命名された。キルコアン石については1961年にスコットランドのKilchoanから発見され、学名も発見地に因む。

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ストラコフ石 / Strakhovite
ストラコフ石 / Strakhovite
ストラコフ石 / Strakhovite
オープン(上)とクロス(下)

ストラコフ石 / Strakhovite
NaBa3(Mn2+,Mn3+)4[Si4O10(OH) 2][Si2O7]O2·(F,OH)·H2O
大分県佐伯市下払鉱山

ストラコフ石はロシアのハバロフスク地方にあるマンガン鉱山を原産地とする稀少鉱物で、その他には大分県下払鉱山しか産地は知られていない。下払鉱山のストラコフ石はブラウン鉱塊を切る石英脈中に緑色柱状結晶として産出するが、微細なため薄片で観察することになる。高い屈折率と強い分散を特徴とし、多色性にも富む。学名は岩石学者のNikolai Mikhailovich Strakhov(1900-1978)に因んでいる。

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針ニッケル鉱 / Millerite
針ニッケル鉱 / Millerite
針ニッケル鉱 / Millerite
NiS
大分県豊後大野市三重町若山鉱山

針ニッケル鉱は広域変成岩に伴われる炭酸塩鉱物中にはそれなりに含まれている。その一方でその姿は実体顕微鏡でも認識が困難なほど小さい。若山鉱山ではメノウ中に放射状集合で含まれており十分認識できるサイズで産出する。その断面では独特の産状がよく見える。学名はミラー指数を考案した William Hallowes Miller(1801-1880)に因んでおり、日本では形状と化学組成を反映した和名で呼ばれる。

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硫砒銅鉱/ Enargite
硫砒銅鉱 / Enargite
鹿児島県枕崎市春日鉱山

硫砒銅鉱 / Enargite
大分県国東市国見町赤根鉱山

硫砒銅鉱 / Enargite
静岡県下田市河津鉱山

硫砒銅鉱 / Enargite
Cu3AsS4

硫砒銅鉱は銅(Cu)とヒ素(As)と硫黄(S)からなる鉱物で、様々な金属鉱床に少なからず伴われる。黒色の板状結晶が典型であるが、そういった姿を見ることのできる産地は日本では数すくない。また硫砒銅鉱と同じ化学組成でルソン銅鉱が知られるが、それらは構造が異なる関係となっている(同質異像)。硫砒銅鉱は完全な劈開を持ち、それを示唆する明瞭という意味のギリシア語から命名されている。和名は化学組成に由来する。

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かんらん岩捕獲岩/ Peridotite Xenolith
かんらん岩捕獲岩 / Peridotite Xenolith
ハルツバージャイト / Harzburgite

かんらん岩捕獲岩 / Peridotite Xenolith
佐賀県唐津市高島

マグマが地下深部から地上に急激に上昇する際に周囲の岩石を巻き込むことがしばしば起こりうる。その際に捕獲された岩石のことを捕獲岩と呼び、それは人類が行くことのできない地下深部の貴重な情報を保有している。高島で認められる玄武岩にはかんらん岩をはじめとした多種の岩石が捕獲岩として見つかっており、その多様さは地下深部の岩石構成に起因していると考えられている。写真では中央のうぐいす色で粗い粒の集合体が捕獲されたかんらん岩で、その周囲が玄武岩となる。このかんらん岩はハルツバージャイトに該当する。

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イットリウムロッカ石/ Lokkaite-(Y)
イットリウムロッカ石 / Lokkaite-(Y)
イットリウムロッカ石/ Lokkaite-(Y)
CaY4(CO3)7·9H2O
佐賀県唐津市肥前町満越

ロッカ石は学名をフィンランドの鉱物学者Lauri Lokka (1885–1966)に因み、最初は花崗岩ペグマタイトから発見された。日本では佐賀県の東松浦半島に分布する玄武岩中に、ロッカ石をはじめとした希土類を含む炭酸塩鉱物の産出が知られる。満越においては玄武岩の空隙に白色板状結晶が放射状に集合する姿で見いだされた。

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コスモクロア輝石/ Kosmochlor
コスモクロア輝石 / Kosmochlor
コスモクロア輝石 / Kosmochlor
新潟県糸魚川市 緑色粒の部分がコスモクロア輝石。分析値:(Na0.96Ca0.01)Σ0.97(Cr0.89Al0.08Fe0.03Mg0.01)Σ1.02Si2.00O6

コスモクロア輝石 / Kosmochlor
高知県日高村 黒色のクロム鉄鉱を縁取る緑色部がコスモクロア輝石。分析値:(Na0.94Ca0.02)Σ0.96(Cr0.64Al0.17Fe0.15Mg0.02)Σ0.99Si2.02O6

コスモクロア輝石 / Kosmochlor
高知県標本の薄片写真(オープン) 宇宙の緑と名付けられるほどのユニークな色合いは薄片で観察される

コスモクロア輝石 / Kosmochlor
NaCrSi2O6

コスモクロア輝石は隕石から最初に見出された緑色の輝石族鉱物であり、その学名はギリシア語で宇宙(kosmo)と緑色(chlor)を意味している。記載論文がScienceに掲載されるなどその産出は注目された。日本では岡山県大佐山、新潟県糸魚川市、高知県日高村から見いだされている。コスモクロア輝石は岩石中で濃い緑色の微小粒として産出するが、そのままでは特徴はあまり際立たない。実は宇宙の緑と形容されるユニークな色合いは薄片で観察される。この緑には神秘的な趣がある。

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ゴールドマンざくろ石 / Goldmanite
ゴールドマンざくろ石 / Goldmanite
ゴールドマンざくろ石 / Goldmanite
ゴールドマンざくろ石 / Goldmanite
Ca3V3+2(SiO4)3
埼玉県飯能市上名栗小松鉱山

小松鉱山は層状マンガン鉱床であるがバナジウムに富む鉱物が産出することでも知られる。方解石の脈に伴って産出するざくろ石を分析したところ著量のバナジウムが検出され、これはゴールドマンざくろ石であった。ゴールドマンざくろ石はニューメキシコのSandy鉱山から最初に見いだされ、アメリカ地質調査所の堆積岩岩石学者のMarcus Isaac Goldman(1881-1965)に因んで命名された。日本ではゴールドマンざくろ石というと緑色系統ばかりであるが、原産地のゴールドマンざくろ石は黄色を呈する。

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苦土電気石 / Dravite
苦土電気石 / Dravite
愛媛県四国中央市関川

苦土電気石 / Dravite
長野県茅野市金沢金鶏鉱山

苦土電気石 / Dravite
NaMg3Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)

苦土電気石は最も普遍的に産出する電気石族の一つで、高圧変成岩、スカルン、ペグマタイトなどと産状は多様である。スケールも多様で小さな結晶は針状であるが、柱状といえるほどの大きさで産出することもある。含まれる副成分によって色は大きく変化し、鉄(Fe)が多いと黒色を帯びてくる。またクロム(Cr)を含むと緑色を帯びる。環境によって変化の大きい鉱物と言える。学名はスロベニアのDrau川(ラテン語でDrave)に由来し、和名は化学組成と静電気を帯びる特徴から名付けられた。

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レッピア石 / Reppiaite
レッピア石 / Reppiaite
レッピア石 / Reppiaite
Mn2+5(VO4)2(OH)4
鹿児島県奄美大島大和鉱山

レッピア石は濃い赤褐色の板状結晶を示す鉱物で、イタリアのジェノバ県レッピアを原産地とする。名前も原産地に因んでいる。1991年に発見されているが世界的にも産出は希で、原産地以外ではスイスで産出が知られるだけであった。日本では鹿児島県大和鉱山産のものが2018年の鉱物科学会において発表され、世界でも3番目の発見となった。

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滑石 / Talc
滑石 / Talc
滑石 / Talc
Mg3Si4O10(OH)2
長野県茅野市向谷鉱山

滑石はもっとも軟らかい鉱物であり、相対的な硬さの基準として10段階の設定があるモース硬度において「1」の基準になっている。乳白色で真珠光沢があり触るとスルっと滑るような感覚がある。産業的にも重要な鉱物でベビーパウダー、化粧品、医薬品にも使われる。伝えられるところによれば、アラビア語の「talq」が学名の由来とされている。意味の詳細はもはや不明になっているそうだが、色のことを示す可能性があるようだ。

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セリウムフローレンス石 / Florencite-(Ce)
セリウムフローレンス石 / Florencite-(Ce)
セリウムフローレンス石 / Florencite-(Ce)
CeAl3(PO4)2(OH)6
長野県茅野市金鶏鉱山

金鶏鉱山は武田信玄ゆかりの金山として名をはせていたが、愛石家にとってはいくつかの稀産鉱物の産地として知られている。その一つがセリウムフローレンス石であり、ピンク~紫色を帯びる柱状結晶は、発見当初は紫水晶と思われていたようだ。明礬石超族の一員で、ブラジルで最初に発見された。ブラジル人鉱物学者のWilliam Florence (1864-1942)に因み命名されている。

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ヘドレイ鉱 / Hedleyite
ヘドレイ鉱 / Hedleyite
大分県木浦鉱山金子坑

ヘドレイ鉱 / Hedleyite
長野県茅野市金沢向谷鉱山

ヘドレイ鉱 / Hedleyite
Bi7Te3

ヘドレイ鉱はビスマス(Bi)とテルル(Te)からなり、輝蒼鉛鉱族の一員となる鉱物である。輝蒼鉛鉱族の鉱物はほとんどの場合で銀白色に輝くが、ヘドレイ鉱はどういうわけか黒いことが非常に多い。黒色板状の結晶が積み重なった姿となり、へき開もまた板に平行に発達する。大分県木浦鉱山金子坑においてヘドレイ鉱は蛍石を伴う粗粒な珪灰石に埋没する形で産出する。この珪灰石には墨流し状に黒色鉱物が分布するが、それの黒色は細かい砒鉄鉱や硫砒鉄鉱の集合である。長野県向谷鉱山では都茂鉱と共にヘドレイ鉱が石英に埋没するように産出する。ブリティッシュコロンビア州(カナダ)にあるヘドレイという地域から最初に見いだされたことから命名された。

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デューク石 / Dukeite
デューク石 / Dukeite
デューク石 / Dukeite
Bi3+24Cr6+8O57(OH)6·3H2O
長野県茅野市金鶏鉱山

ビスマス(Bi)とクロム(Cr)は地球の中で全く異なった挙動をするため、それらを主成分とするデューク石の産出は世界的にもたいへんめずらしい。クロム酸塩鉱物であるが、大きくみると硫酸塩鉱物の一員という分類になる。金鶏鉱山ではもともとクロムを含有する岩石に、ビスマスを含む熱水があとからやってきたと考えられている。黄色で絹糸光沢を示す、葉片状とおぼしき微細な結晶が放射状に集合する姿となる。ディーク石の名前はアメリカのディーク大学に因んでいる。大学に保管してあった標本からデューク石が見いだされたことに由来する。

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白雲母 / Muscovite
白雲母 / Muscovite
新潟県糸魚川市姫川

白雲母 / Muscovite
愛媛県新居浜市銅山川

白雲母 / Muscovite
長野県茅野市金鶏鉱山

白雲母 / Muscovite
KAl2(Si3Al)O10(OH)2

白雲母は様々な岩石に含まれる造岩鉱物である。小さな結晶は白色よりむしろ無色透明で、形状は六角板状であることが多い。結晶がやや大きくなると白色よりはやや茶色を帯びるなど、完全に白色という結晶は多くない。しかしそういった結晶でも微細な粉末にすると絹色光沢があるせいか、真っ白という印象に変わる。また白雲母はクロム(Cr)を副成分として持つことがあり、そういった白雲母はわずかに緑色を帯びて、それは野外名でフクサイトと呼ばれる。金鶏鉱山は大量のフクサイトをもつ岩肌が露出している。写真中で黄色いところは鉄さびのせいだがフクサイトの緑とちょうど良いバランスになっていた。

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コンネル石 / Connellite
コンネル石 / Connellite
コンネル石 / Connellite
Cu19(SO4)(OH)32Cl4·3H2O
鹿児島県薩摩川内市双子島

コンネル石は銅を主成分とする二次鉱物ですっきりとした青色を特徴とする。化学組成には硫酸基が含まれるが非常に少ないため分類としてはハロゲン化物になる。コンネル石はスコットランドの化学者・鉱物学者のArthur Connell(1794-1863)に因んで命名された。海外では19世紀には知られた鉱物だが、日本では1980年になって双子島から見いだされたのが最初となる。

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グラシャン鉱 / Graţianite
グラシャン鉱 / Graţianite
グラシャン鉱 / Graţianite
MnBi2S4
群馬県みどり市萩平鉱山

Graţian Cioflica (1927–2002)に因んで命名されたグラシャン鉱は2013年にルーマニアから報告された。日本では1980年代に同じ化学組成を持つ鉱物が少量が見いだされ、2018年の鉱物科学会でそれはやはりグラシャン鉱と同一であることが報告された。本家のグラシャン鉱よりも端成分に近い。写真の標本は少量のインゴダ鉱を伴うが肉眼では判別できない。

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フェリゴーセ閃石 / Ferri-ghoseite
フェリゴーセ閃石 / Ferri-ghoseite
フェリゴーセ閃石 / Ferri-ghoseite
□(NaMn2+)(Mg4Fe3+)Si8O22(OH)2
福島県いわき市御斎所鉱山

フェリゴーセ閃石は2013年に誕生した角閃石で、Subrata Ghose (1932-2015)に因んで命名された。2018年の鉱物科学会では和歌山県飯盛鉱山から報告されたが、それはマグネシオリーベック閃石と混合しており、実体は数十ミクロン程度と非常に小さかった。一方で写真の御斎所鉱山産の角閃石は他の角閃石との混合は無く、見たまま全体がフェリゴーセ閃石という大きな標本である。

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コウルス沸石 / Cowlesite
コウルス沸石 / Cowlesite
コウルス沸石 / Cowlesite
コウルス沸石 / Cowlesite
Ca(Al2Si3)O10·5-6H2O
島根県隠岐の島西ノ島町国賀

コウルス沸石はアメリカとカナダから同時に発見された沸石族の鉱物で、アメリカ人の鉱物コレクターJohn Cowles(1907-1985)に因んで1975年に命名された。日本での発見もほぼ同時期で、島根県国賀で産出が報告された。ケイ酸塩分が少なめの沸石であり、主に玄武岩に伴われる。一つの結晶は西洋剣のような姿をしているが、それが放射状に集合する姿が典型となっている。

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石膏 / Gypsum
石膏 / Gypsum
石膏 / Gypsum
Ca(SO4)·2H2O
山形県山形市蔵王温泉酢川

蔵王温泉の元になっている硫酸酸性水が岩石の粘土化と石膏の結晶化を進め、酢川沿いに分布する粘土には石膏の結晶が胚胎されている。結晶は様々な形態を示すが、写真には菱形状の結晶を並べた。古代から知られている鉱物であり、古代ギリシアの博物学者テオプラトスによって名付けられたとされる。

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カコクセン石 / Cacoxenite
カコクセン石 / Cacoxenite
栃木県今市市猪倉文挟クレー鉱山

カコクセン石 / Cacoxenite
高知県高知市豊田

カコクセン石 / Cacoxenite
愛知県設楽町田峯段戸鉱山

カコクセン石 / Cacoxenite
Fe3+24AlO6(PO4)17(OH)12·75H2O

カコクセン石は思いのほかさまざまな場所で顔を出す鉱物だが、姿かたちはおおむね共通しているために見ただけでそれとわかる。ただしいつもものすごく小さいためにしばしば見落とされる。一方でこの鉱物に気づいてよく観察するとなかなかかわいい面構えをしている。カコクセン石は鉄を主成分とする鉱石にも現れるが、工業的には歓迎されない。実はカコクセン石に含まれるリン成分は鉄の精錬を阻害する。そのため「悪いお客さん」を意味するギリシア語が学名の由来となっている。

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ガイロル石 / Gyrolite
ガイロル石 / Gyrolite
ガイロル石 / Gyrolite
NaCa16(Si23Al)O60(OH)8·14H2O
山梨県大月市初狩町

ガイロル石は「回転する」という意味のギリシア語から名付けられた鉱物で、葉片状の結晶が放射状に集合する産状が非常に多い。安山岩などの晶洞に沸石を伴って産出することが多い。写真は山梨県大月市初狩町から産出した標本で、断面しか見えていないがこの鉱物の典型的な産状をよく示している。

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コラロ石 / Coralloite
コラロ石 / Coralloite
コラロ石 / Coralloite
Mn2+Mn3+2(AsO4)2(OH)2・4H2O
福島県いわき市御斎所鉱山

コラロ石は2010年にイタリアから見つかった鉱物で、鉱物コレクターのGiorgio Corallo (b. 1937)に因んで命名された。コラロ石は濃赤褐色を示し、ルーペでは粉状に認識されるがSEMでは不定型な板状結晶の集合が観察された。二酸化マンガンを密接に伴い、無色透明のミゲルロメロ石を伴うことが多い。御斎所鉱山産のコラロ石はこれまで赤色ガイガー石と認識されてきたようだが、ガイガー石それ自体はほぼ無色透明な板状結晶であった。そのように認識された経緯はよくわからない。

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パラブランド石 / Parabrandtite
パラブランド石 / Parabrandtite
パラブランド石 / Parabrandtite
Ca2Mn2+(AsO4)2・2H2O
福島県いわき市御斎所鉱山

パラブランド石はブランド石と化学組成が同じで構造が異なる鉱物で、ブランド石の同質異像としてParaの接頭語を冠する。1986年にアメリカから見つかった。御斎所鉱山においてパラブランド石は絹色光沢を示す白色~淡橙色の被膜として産出し、結晶は実体顕微鏡では認識できないが単なる粉状ではなく微細な鱗片状が集合したような印象を受ける。MindatによるとAlfredo Petrov氏が所有していた御斎所鉱山の標本がパラブランド石だったとされるが、文献として第二産地はこれまで正式には報告されていなかった。

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ガイガー石 / Geigerite
ガイガー石 / Geigerite
ガイガー石 / Geigerite
Mn2+5(AsO4)2(AsO3OH)2·10H2O
福島県いわき市御斎所鉱山

ガイガー石は1985年にスイスから見つかった鉱物で、鉱物学冶金学者のThomas Geiger (1920 – 1990)に因んで命名された。御斎所鉱山からは1990年に産出が報告されており、淡緑灰色のガラス光沢を有する長板状結晶集合とある。一連の研究で再発見したこのガイガー石は無色透明の板状結晶が放射状に集合した姿だった。結晶だけを見るとミゲルロメロ石と肉眼的に区別することは困難だが、産状が鑑定の手助けとなる。ミゲルロメロ石は二酸化マンガンと共存することが多いことに対し、ガイガー石は淡橙色のサーキン石を伴うのみであった。

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カステラロ石 / Casteralloite
カステラロ石 / Casteralloite
カステラロ石 / Casteralloite
Mn2+3(AsO4)2・4.5H2O
福島県いわき市御斎所鉱山

カステラロ石は2015年にイタリアから見つかった鉱物で、コレクターのFabrizio Castellaro (b. 1970)に因んで命名された。御斎所鉱山はこれに続く産地となった。繊維状や薄板状の結晶が束状に集合し、無色透明だが強い絹糸光沢を示す。御斎所鉱山では外見がよく似た鉱物でブランド石(Brandtite)が知られており、これまでブランド石と認識されている標本の一部はこのカステラロ石ではないだろうか。

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ミゲルロメロ石 / Miguelromeroite
ミゲルロメロ石 / Miguelromeroite
ミゲルロメロ石 / Miguelromeroite
Mn2+5(AsO3OH)2(AsO4)2(H2O)4
福島県いわき市御斎所鉱山

ミゲルロメロ石は、ビリヤエレン石(Villyaellenite)のラベルが付された標本を調べたら実は新鉱物だったという発見の経緯を持ち、2008年に複数の産地から同時に見出された。実は御斎所鉱山もその模式地の一つとして国際的に登録されている。ところが日本産鉱物種一覧には掲載されていない(2018年時点)。それ故にミゲルロメロ石は見た目の美しさとは裏腹に、日本ではほとんど認知されていないかわいそうな鉱物となっている。学名はメキシコ人化学者のMiguel Romero Sanchez (1926-1997)に因んで命名されている。自分でも御斎所鉱山のビリヤエレン石という標本を調べたらやっぱりミゲルロメロ石だった。

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バラー沸石 / Barrerite
バラー沸石 / Barrerite
バラー沸石 / Barrerite
Na2(Si7Al2)O18·6H2O
長崎県平戸市船越海岸

バラー沸石は変質の進んだ玄武岩の空隙に無色透明な板状結晶が束となって見られる。外観は束沸石にたいへんよく似るがそれとは異なる沸石で、日本では平戸市船越海岸から少量がみいだされた。バラー沸石はニュージーランド生まれの化学者・Richard Barrer (1910-1996)に因んで命名された。

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アルチニ石 / Artinite
アルチニ石 / Artinite
アルチニ石 / Artinite
Mg2(CO3)(OH)2·3H2O
北海道中川町宇戸内川

アルチニ石は絹糸光沢を有する針状結晶が放射状に集合する産状が典型で、蛇紋岩の変質に伴って生じる。日本でもいくつか産地が知られるが、宇戸内川は日本で初めてアルチニ石が見つかった産地になる。Milan大学の鉱物学者Ettore Artini (1866-1928)に因んで命名された。

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かぐや姫水晶(アメシスト / Amethyst)
アメシスト / Amethyst (かぐや姫水晶)
アメシスト / Amethyst
かぐや姫水晶
福島県南会津郡只見町

鉱物名としては石英だが、紫色を帯びているものをアメシストと呼ぶ。アメシストの産状はさまざまあるが、福島県只見町では流紋岩中の球顆の中に結晶が鎮座している。その姿を拝むために球顆を割るのだが、その際に愛らしい結晶が顔を覗かせるので、まるでかぐや姫のようだと言われている。

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月長石 / Moon Stone
月長石 / Moon stone
月長石 / Moon Stone
富山県南砺市

青色や白色の光沢を月光に見立てムーンストーンと呼ばれる。和名では月長石と呼び、その名が示すように長石の仲間。内部は層状になっており、光がその層の間で反射されることで特徴的な光沢が醸し出される。これをシラー効果と言う。富山県富南砺市の山中には美しい月長石が産出する。

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濃紅銀鉱 / Pyrargyrite
濃紅銀鉱 / Pyrargyrite
濃紅銀鉱 / Pyrargyrite
Ag3SbS3
鹿児島県串木野鉱山

濃紅銀鉱は濃い紅色を呈する銀を主成分とする鉱物であり、その色合いと成分からルビーシルバーとも称される。その濃い紅色は火に例えられ、学名は火と銀を意味するギリシア語が由来となっている。日本でもいくつかの産地が知られているが、中でも串木野鉱山のルビーシルバーは古典標本として親しまれている。同質異像として火閃銀鉱が知られている。

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灰長石 / Anorthite
灰長石 / Anorthite
北海道白老町

灰長石 / Anorthite
灰長石 / Anorthite
自然銅(灰長石中)
東京都八丈島石積ヶ鼻

灰長石 / Anorthite
Ca(Al2Si2O8)

灰長石はカルシウム(Ca)を主成分とする長石族の鉱物で、ふつうは安山岩から玄武岩などの斑晶としてよく見られる。苦鉄質岩のマグマだまりで巨大化し、それが噴火活動で地表に躍り出る。北海道ではかつての火山である倶多楽湖周辺で、マッチ箱のような巨大な結晶がしばしば埋没している。表面は赤色から茶色の被膜で覆われているが、内部はひび割れが多いものの透明であり、しばしばかんらん石の結晶を包有する。八丈島や三宅島などでは内部が赤色を呈する灰長石が見られ、そういった灰長石をサンストーンと呼ぶ。サンストーンの赤色部を拡大してみると赤色の液体が滲んだかのような印象を受ける。これは直径が数十~百ナノメートル程度の細い糸状の自然銅であった。

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灰チタン石 / Perovskite
灰チタン石 / Perovskite
岡山県高梁市備中町布賀北露頭

灰チタン石 / Perovskite
高知県いの町成山

灰チタン石 / Perovskite
CaTiO3

灰チタン石はカルシウム(Ca)とチタン(Ti)が等比で含まれる酸化鉱物であり、ケイ酸塩分の少ないスカルンや苦鉄質岩などに産出する。結晶としては八面体や直方体となることがほとんどで、不純物によって色がつく。日本産の標本では岡山県布賀の高温スカルンからの黒色八面体結晶が有名となっている。高知県成山からも見いだされ、ロジン岩の割れ目に飴色~黒色の結晶が成長していた。学名はロシアの鉱物学者、Count Lev Alekseevich Perovski (1792-1856)にちなんで命名された。Perovskiは鉱物コレクターでもあったとされる。

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うずら石
うずら石
うずら石
うずら石
東京都硫黄島

東京から南へ約1200kmのところに位置する硫黄島に産し、長石の集合体で全体が1センチ程度の丸みを帯びた石。それは鶉(うずら)の羽や卵の殻にある模様のような白黒から「うずら石」と呼ばれた。現在は硫黄島には立ち入ることはできないが、戦前に採集されたものが古典標本として愛石家には親しまれている。一枚目の写真はうずら石の典型で、黒い溶岩の衣をまとった白い長石が複雑に絡み合っている。二枚目の写真は溶岩の衣がはがれ、素の長石がよく観察できる標本となっている。長石そのものは曹長石に該当するが、灰長石成分も多く含まれ、中性長石と呼ばれている。

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ゴヤズ石 / Goyazite
ゴヤズ石 / Goyazite
ゴヤズ石 / Goyazite
ゴヤズ石 / Goyazite
SrAl3(PO4)(PO3OH)(OH)6
群馬県桐生市津久原鉱山

ゴヤズ石は明礬石超族に属するリン酸塩鉱物で、日本ではこれまでに山口県の日の丸奈古鉱山と福岡県の長垂から見つかっている。しかしそれらはいずれも微細で岩石に埋もれている産状だった。津久原鉱山に産するゴヤズ石は石英の隙間に生じ、2種類の結晶形態がある。六角板状となるもの(上)とスピネルのような八面体(下)の結晶を確認した。海外の標本でもゴヤズ石は多様な結晶形態を示す。ゴヤズ石の学名はブラジルのゴイアス州の旧名Goyazに由来する。

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方解石 / Calcite
方解石 / Calcite
静岡県河津町やんだ

方解石 / Calcite
岐阜県大垣市金生山

方解石 / Calcite
愛媛県伊予市郡中森

方解石 / Calcite
方解石 / Calcite
鹿児島県いちき串木野市串木野鉱山

方解石 / Calcite
方解石(短波紫外線照射)
愛媛県久万高原町高殿

方解石 / Calcite
CaCO3

方解石は地球上に最も多産する炭酸塩鉱物で、方解石族の筆頭となる鉱物である。方解石を主とする岩石を石灰岩とよび、その岩石が粗粒な結晶の集合であると大理石とも呼ばれる。結晶として産出すると、犬牙状と呼ばれる尖った形状となることが多い。それが連晶をなす場合もある。また平べったくなったり、平べったい二枚の結晶が特定の方向で組み合わさった双晶も出現する。そういった双晶を蝶の羽に見立ててバタフライ双晶と呼び、日本では串木野鉱山からの標本が親しまれている。菱形の結晶も知られ、連晶となることがある。マンガン(Mn)をごく少量含んだ方解石はピンク色を帯び、短波の紫外線で赤色の蛍光を示すことがある。方解石はモース硬度3の基準に設定されており、。学名は石灰を意味するラテン語から来ている。和名は明治期になんらかの誤解があったようで、本来は方解石は別の鉱物を指していたようだ。しかしいまさら変更を強く主張することは難しいだろう。

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灰輝沸石 / Heulandite-Ca
灰輝沸石 / Heulandite-Ca
三重県尾鷲市加田町

灰輝沸石 / Heulandite-Ca
島根県松江市桂島

灰輝沸石 / Heulandite-Ca
愛媛県久万高原町高殿

灰輝沸石 / Heulandite-Ca
静岡県河津町やんだ

灰輝沸石 / Heulandite-Ca
(Ca,Na,K)5(Si27Al9)O72·26H2O

輝沸石は交換可能な陽イオンの支配性で種が分けられ、灰輝沸石とはカルシウム(Ca)が支配的なる輝沸石を指す。花崗岩ペグマタイト、安山岩、流紋岩、凝灰岩などさまざまな環境に顔を出す。無色透明な板状結晶が基本で、それが平行連晶を構成したり、束状から放射状に集合する姿も多い。一部の面は真珠光沢を示す。静岡県河津町やんだの海岸はもっとも手軽に輝沸石を採集できる場所のひとつであろう。学名はドイツ人鉱物コレクターのJohn Henry Heuland(1778-1856)に因んでいる。

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自然テルル / Tellurium
自然テルル / Tellurium
自然テルル / Tellurium
Te
静岡県下田市河津鉱山

自然テルルは1782年にルーマニアの金山から見出され、1798年に元素のテルル(Tellurium)が命名された。その語源はラテン語で地球を意味する「Tellus」に由来する。日本では浅熱水性の金鉱床に伴われる場合が多く、多くは塊や箔で産出するが、結晶となる際は六角柱状の形態を示す。静岡県河津鉱山では結晶が産出した。

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自然水銀 / Mercury
自然水銀 / Mercury
自然水銀 / Mercury
Hg
北海道イトムカ鉱山

イトムカとは光輝く水という意味のアイヌ語。水銀鉱山というと水銀と硫黄の化合物である辰砂という真紅の鉱物が主要な鉱石になることが多いが、イトムカ鉱山は自然水銀そのものを主に採掘していた。ここでは辰砂も産出するが、その形状から芋辰砂と呼ばれている。鉱物は固体物質であることを定義としているが、液体で産出する自然水銀は例外として鉱物に認定されている。自然水銀の学名は商人や旅人の守護神であるメルクリウス(Mercurius)に由来する。しかしその学名に定まった経緯は不明である。

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チタン石 / Titanite
チタン石 / Titanite
愛媛県四国中央市関川

チタン石(スフェン) / Titanite (Sphene)
高知県足摺岬

チタン石 / Titanite
三重県いなべ市北勢町青川

チタン石 / Titanite
栃木県日光市小百

チタン石 / Titanite
CaTi(SiO4)O

チタン石はカルシウム(Ca)とチタン(Ti)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、多様な地質環境に生じる。その姿もさまざまで、色だけを見ても緑色、飴色、紫色、ピンクとバラエティに富む。そのために肉眼鑑定は非常に難しい。形状も産地ごとにばらつきが非常に大きく、これと言った典型がないと思える。チタン石はギリシア語でくさび形と意味する「Sphenos」から命名されたSpheneという名前であったが、それと同時にTitaniteという名前でも呼ばれていた。1982年に国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物・命名委員会はTitaniteの方を正式な学名とすることを決めた。チタン石は透明感をもつ様々な色合いの結晶が産出するため、宝石として加工されることがある。そしてSphene(スフェン)という名前は今では宝石名として主に使われる。

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水苦土石 / Hydromagnesite
水苦土石 / Hydromagnesite
愛媛県八幡浜市頃時鼻

水苦土石 / Hydromagnesite
愛知県新城市中宇利鉱山

水苦土石 / Hydromagnesite
Mg5(CO3)4(OH)2·4H2O

水苦土石は水を含むマグネシウムの炭酸塩鉱物(HYDRated MAGNESium carbonate)であり、そのことが学名の由来となった。和名はその直訳。主にかんらん岩の蛇紋岩化作用に伴う熱水活動で生じる鉱物で、蛇紋岩を切る白色脈としてよく見られる。その脈に晶洞が生じると、両刃の短剣のような形状の結晶が成長し、それはしばしば放射状にも集合する。

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菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
北海道古平町稲倉石鉱山

菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
岐阜県土岐市下石町

菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
大分県豊後大野市豊栄鉱山

菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
青森県西目屋村尾太鉱山

菱マンガン鉱 / Rhodochrosite
Mn(CO3)

菱マンガン鉱はマンガン鉱床には普通に産出するありふれた鉱物で、結晶はピンクから赤系統のいわゆるバラ色と称される色合いを示すことが多いため、学名はバラ色を意味するギリシア語に由来する。方解石族の一員であり、結晶は菱型産出することが多いが、爪状結晶もわりとよくある。青森県尾太鉱山ではモコモコした集合体で産出した。ただの塊状で産出することもまた多い。それでも菱形の結晶で産出することが多くマンガンの主要な鉱石であったことから、和名では菱マンガン鉱と呼ばれる。方解石族の一員。

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異極鉱 / Hemimorphite
異極鉱 / Hemimorphite
大分県佐伯市木浦鉱山

異極鉱 / Hemimorphite
岐阜県美濃市矢坪鉱山

異極鉱 / Hemimorphite
富山県富山市池野山神岡鉱山茂住鉱床

異極鉱 / Hemimorphite
Zn4(Si2O7)(OH)2·H2O

異極鉱は亜鉛(Zn)を主成分とする含水ケイ酸塩鉱物であり、鉱床の酸化帯でよく見られる。その結晶はおおむね無色透明で平板状であるが、両端の形状が異なっている。そういったものを異極晶(hemimorphic crystal)と言い、学名・和名ともにそこから名付けられた。結晶が放射状に集合した姿がよく見られるほか、個々の結晶は認識できない球形の姿もまた知られている。まれに青みがかる。

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スコロド石 / Scorodite
スコロド石 / Scorodite
スコロド石 / Scorodite
鹿児島県枕崎市春日鉱山

スコロド石 / Scorodite
スコロド石 / Scorodite
Fe3+(AsO4)·2H2O
大分県佐伯市木浦鉱山

スコロド石は三価鉄(Fe3+)の含水ヒ酸塩鉱物で、二次鉱物として生成する。硫砒鉄鉱などヒ素を主成分とする金属鉱物を含む鉱床には、少なからずスコロド石が伴われる。結晶として成長したスコロド石は透明感のある美しい結晶で産出することがあり、色は緑・青系統となることが多いと思われる。加熱したときにニンニクのような臭いがすることから、ギリシア語でニンニクを意味する「Scorodion」から学名が付けられた。和名でも葱臭石ということがある。実はバリシア石と同じグループ。

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パルノー石 / Parnauite
パルノー石 / Parnauite
パルノー石 / Parnauite
Cu9(AsO4)2(SO4)(OH)10·7H2O
栃木県塩谷町日光鉱山

パルノー石は銅(Cu)を主成分とし、硫酸基とヒ酸基を構造にあわせ持つ二次鉱物で、銅鉱床の酸化帯に生じる。その産出は稀ということになっているが、緑色で小さな板が束になったような微細な集合体が典型的な産状なので、気づかないだけということも考えられる。Majuba Hill鉱山(アメリカ)で見いだされた鉱物で、この産地について造詣の深い鉱物収集家John L. Parnau(1906-1990)にちなんで命名された。

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アーセニオシデライト / Arseniosiderite
アーセニオシデライト / Arseniosiderite
アーセニオシデライト / Arseniosiderite
Ca2Fe3+3O2(AsO4)3·3H2O
宮崎県見立鉱山

アーセニオシデライトはヒ素(As)と鉄(Fe)を含むことから学名が定まり、和名としてはカタカナ読みのほか、砒灰鉄鉱もしくは灰砒鉄石とも呼ばれる。独特の光沢を示し、それはゴールデンイエローと表現されている。ただし多くは微細な葉片状結晶がモコモコと集合するのみで、ちょっとキラキラする茶色の塊と言うように見える。ヒ素を含む鉱床の酸化帯に生成する鉱物で、砒藍鉄鉱などを伴う。

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鋭錐石 / Anatase
鋭錐石 / Anatase
京都府京都市如意ヶ岳

鋭錐石 / Anatase
高知県高知市三谷

鋭錐石 / Anatase
TiO2

鋭錐石は鋭くとがった様で産出することが一般的で、色は黒・茶・黄・青など多様となっている。産状もさまざまで産地も多い。そのなかでもでも熱水脈や花崗岩に伴われる場合が多いだろうか。鋭錐石は正方晶系であるが、四角柱状にはなりにくい。ピラミッドのような斜めの面が長いことを暗示して、「拡張」を意味するギリシア語の「anatasis」が学名の由来となっている。

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ベニト石 / Benitoite
ベニト石 / Benitoite
ベニト石 / Benitoite
BaTiSi3O9
新潟県糸魚川市青海町金山谷

ベニト石はサン・ベニト川(カリフォルニア州)沿いの地域で最初に発見され(1907年)、その地名から命名された。発見者は当初は青いダイヤやサファイアと考えたという逸話がある。原産地には宝石用にカットできるほど立派な結晶が産出し、愛好家も多い。日本産のベニト石は新潟県金山谷付近の曹長岩から最初に発見された。その曹長岩からは奴奈川石や青海石といった新鉱物も発見されている。

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コニカルコ石 / Conichalcite
コニカルコ石 / conichalcite
コニカルコ石 / Conichalcite
CaCu(AsO4)(OH)
山口県喜多平鉱山

コニカルコ石は銅(Cu)とカルシウム(Ca)を主成分とするヒ酸塩鉱物で、多くは粉状から皮膜状で産出する緑色が鮮やかな鉱物。山口県喜多平鉱山では褐鉄鉱の晶洞に放射状の集合体が産出し、古典標本として知られる学名はギリシア語で銅を意味する「chalkos」と粉を意味する「konis」から来ている。そのため和名にも「粉銅鉱」という名前が用いられたことがあった。

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マグネサイト / Magnesite
マグネサイト / Magnesite
愛媛県四国中央市関川

マグネサイト / Magnesite
三重県熊野市波田須町

マグネサイト / Magnesite
Mg(CO3)

マグネサイトは学名のカタカナ読みで、他には菱苦土石もしくは菱苦土鉱とも呼ばれている。かんらん岩の蛇紋岩化に伴われ生じることが多く、マグネサイトを含む岩石は堅く割れにくい。晶洞に生じると葉片状結晶の集合であることが多い。端成分であれば無色だが、わずかに鉄を含んでオレンジ色になることがある。方解石族なので劈開は平行四辺形となる。学名はマグネシウムを主成分とすることに由来するが、いつ頃命名されたのかは定かではない。

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ランシー鉱 / Ranciéite
ランシー鉱 / Rancieite
静岡県下田市高根鉱山

ランシー鉱 / Ranciéite
ランシー鉱 / Ranciéite
(Ca,Mn2+)0.2(Mn4+,Mn3+)O2·0.6H2O
三重県南伊勢町伊勢路

ランシー鉱はペラペラの箔状の姿で見かけることが典型で、新鮮なときは紅色を帯びるが、徐々に黒~銀灰色となる。主成分のほとんどがマンガン(Mn)であるが、少量のカルシウム(Ca)も必須成分となっている。バーネス鉱、高根鉱とともにバーネス鉱族を形成する。日本では静岡県高根鉱山からのランシー鉱が良標本として親しまれている。見てくれの善し悪しや良の大小を問わなければ、ランシー鉱をはじめとしたバーネス鉱族の鉱物はマンガン鉱床の酸化帯にはおおむね伴われる。学名は発見地のLe Rancié Mine(フランス)に由来する。

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コバルト華 / Erythrite
コバルト華 / Erythrite
和歌山県大勝鉱山

コバルト華 / Erythrite
奈良県堂ヶ谷鉱山

コバルト華 / Erythrite
Co3(AsO4)2·8H2O

コバルト華はコバルト(Co)を主成分とする含水ヒ酸塩鉱物で、藍鉄鉱族の一因となる鉱物である。藍鉄鉱のほかに、ケティヒ石もコバルト華の元素置換体に相当する。コバルト華は濃いピンク色をした球状集合が典型的な産状で、コバルトを主成分とする金属鉱物の分解過程で生じる。海外でも古くから知られ、世界中に多くの産地がある。1832年に命名され、ギリシア語で「赤」を意味する「erythros」が学名の由来となっている。

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アーセニオプレイ石 / Arseniopleite
アーセニオプレイ石 / Arseniopleite
アーセニオプレイ石 / Arseniopleite
(Ca,Na)NaMn2+(Mn2+,Mg,Fe2+)2(AsO4)3
福島県いわき市御斎所鉱山

暗い褐色の板状~柱状結晶で産出し、一見してマンガンを含むエジリンに似ているが、硬度と劈開でそれとは区別できる。学名はヒ素(As)を含むという意味の「Arsenio」と、「多い」を意味するギリシア語「pleion」から来ている。1888年に名付けられたのだが、その当時でもヒ素含有鉱物は多く知られており、それでもまた見つかったということのようだ。

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サーキン石 / Sarkinite
サーキン石 / Sarkinite
サーキン石 / Sarkinite
Mn2+2(AsO4)(OH)
福島県いわき市御斎所鉱山

サーキン石は黄橙色の針状もしくは柱状結晶で産出し、放射状に集合することがある。日本では御斎所鉱山で最初に見つかり、後に鹿児島県大和鉱山からも見つかっている。海外では古くから知られ、学名は1885年に名付けられた。肉のような赤みと脂っこい光沢を示すことから、「肉から作られた」という意味をもつギリシア語「sarkinos」を名前の由来とする。日本では今ではサーキン石ということが多いが、かつては化学組成も考慮して「肉砒石」と呼ばれていた。

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鉄明礬石 / Jarosite
鉄明礬石 / Jarosite
鉄明礬石 / Jarosite
KFe3+3(SO4)2(OH)6
鹿児島県枕崎市岩戸鉱山

岩戸鉱山は金・銀を含む珪化岩を採掘していたいわゆる金山であり、珪化岩は一部が変質し粘土帯が発達する部分がある。鉄明礬石は多くは土状であるが、この産地のものは立方体に近い菱面体の自形を示す。学名は模式地であるBarranco Jaroso(スペイン)に由来する。和名は明礬石(Alunite)の鉄置換体ということでそう呼ばれている。

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灰鉄ざくろ石 / Andradite
灰鉄ざくろ石 / Andradite
灰鉄ざくろ石 / Andradite
Ca3Fe3+2(SiO4)3
愛媛県伊予市双海町

灰鉄ざくろ石はカルシウム(Ca)と三価鉄(Fe3+)を主成分とするざくろ石族鉱物で、石灰岩と火成岩の接触によるスカルンでしばしば出現する。緑色系統となることが多いが、濃いブラウン色となることもあって、産地ごとに顔つきが異なる。その結晶面には成長丘が顕著に発達することがある。学名はブラジルの鉱物学者José Bonifácio de Andrada e Silva(1763-1838)にちなむ。和名は化学組成を反映している。

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毒鉄鉱 / Pharmacosiderite
毒鉄鉱 / Pharmacosiderite
広島県生口島

毒鉄鉱 / Pharmacosiderite
大分県佐伯市木浦鉱山

毒鉄鉱 / Pharmacosiderite
KFe3+4(AsO4)3(OH)4 · 6-7H2O

毒鉄鉱はサイコロのような形の結晶になることが多く、飴色のほかにも緑や黄色の結晶が知られている。仰々しい名前とは裏腹に鮮やかで美しい鉱物で、金属鉱床の酸化帯で見られることが多い。学名はその化学組成と性質に由来する。毒鉄鉱はヒ素(As)を主成分とし、ヒ素には毒性がある。それらのギリシア語をあわせて名付けられた。和名はその訳語に相当する。共通の元素を主成分とするスコロド石とはしばしば共存する。

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ハウスマン鉱 / Hausmannite
ハウスマン鉱 / Hausmannite
ハウスマン鉱 / Hausmannite
Mn2+Mn3+2O4
長野県辰野町浜横川鉱山

ハウスマン鉱はマンガン鉱床に産出する非常にありふれた鉱物であるが、結晶標本となると世界を見渡しても産地は限られる。スピネル族鉱物であり、結晶として産出する場合は八面体を基本とした姿となる。残念ながら日本ではそのような結晶の産出はこれまで確認されておらず、その姿の片りんを伺うことができる標本にとどまる。それは長野県浜横川鉱山から産出し、菱マンガン鉱に埋没するぎらついた破断面をしめす黒紅色の扁平な結晶である。学名は鉱物学者ドイツの鉱物学者であるFriedrich Ludwig Hausmannに因む。和名としてかつては黒マンガン鉱と言ったりもしたが、微細粉末からなる集合体はチョコレートや鰹節のような色を呈する。現在ではその読みのままのハウスマン鉱が和名として定着している。

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モーツァルト石 / Mozartite
モーツァルト石 / Mozartite
モーツァルト石 / Mozartite
CaMn3+(SiO4)(OH)
愛媛県大洲市長浜上須戒鉱山

モーツァルト石は著名な音楽家Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)にちなんで名付けられた鉱物で、1991年に見いだされた。この年はモーツァルト没後200年にあたるという理由で名付けられたが、新鉱物の審査の過程においてそれは鉱物と関係ないという理由でいったんハネられた。しかし、研究者らはその意見の反論としてモーツァルトが作曲した「魔笛」は錬金術と関連がありそれは鉱物学とも無関係というわけではない、というこじつけ的な主張を展開する。そして最終的に認められた。そんなモーツァルト石は日本でも産出する。愛媛県上須戒鉱山では黒色のマンガン鉱石を横断する赤褐色の脈で産出し、脈が面として割れると独特の濃赤色が一面に広がる。調べてみたところこのモーツァルト石は三価鉄を少し含んでいる。世界的にも珍しい鉱物。

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辰砂 / Cinnabar
辰砂 / Cinnabar
北海道イトムカ鉱山

辰砂 / Cinnabar
愛媛県双葉水銀鉱山

辰砂 / Cinnabar
HgS

鮮やかな赤を呈する水銀(Hg)の硫化鉱物で、日本でも産地は古くからいくつも知られている。朱色の代表となる鉱物で、端正な結晶となるほか塊状でも産出する。北海道イトムカ鉱山から産出する塊状の辰砂はその見た目から通称で芋辰砂と呼ばれる。辰砂は古くから顔料として利用され「朱」または「丹」と呼ばれる。学名は古代ギリシア語で緋色を意味する言葉に由来するようだ。辰砂という名前はいつの頃から使われていたのだろう。中国の辰州で多く産出したことから「辰砂(シンシャ)」と呼ばれるようになったとされる。

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ローソン石 / Lawsonite
ローソン石 / Lawsonite
ローソン石 / Lawsonite
CaAl2(Si2O7)(OH)2·H2O
高知県高知市三谷

ローソン石はカルシウム(Ca)とアルミニウム(Al)を主成分とする含水ケイ酸塩鉱物で、ローソン石族の筆頭となっている。同族鉱物として、例えば珪灰鉄鉱、糸魚川石、ネールベンソン石などが知られる。主に高圧低温型の変成岩中に生じる鉱物で、高知県ではヒスイ輝石と石英を主体とする非常に堅い岩石中に、炭酸塩鉱物を伴うローソン石の脈が発達している。炭酸塩鉱物がうまく溶けたところではローソン石の無色透明な柱状結晶が観察できる。学名は地質学者のAndrew Cowper Lawson(1861-1952)にちなむ。

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真珠雲母 / Margarite
真珠雲母 / Margarite
真珠雲母 / Margarite
CaAl2Si2Al2O10(OH)2
大分県佐伯市新木浦鉱山

大分県新木浦鉱山はエメリーという堅い岩石を採掘していたが、真珠雲母が入ってくると脆くなる。そういった石は捨て石として放置されていたため真珠雲母の採集は簡単だった。写真の結晶は鉄さびがうっすら表面を覆っているためオレンジ色を呈しているが、本来は無色透明な六角板状結晶である。真珠雲母は見ての通りで真珠のような光沢があり、学名も真珠を意味するギリシア語に由来している。和名はその直訳と雲母族であることからの造語になっている。

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自然白金 / Platinum
Platinum
自然白金 / Platinum
Pt
北海道小平町中記念別沢川

自然白金は白金族元素のプラチナ(Pt)を主成分とする元素鉱物であり、日本では北海道において砂白金として採集されることがある(写真中央)。銀白色であるが硬度が低いために摩耗によって表面はつや消し加工された金属のようになり、形状も楕円形となりがちである。写真の中央と上下の粒が自然白金であった。北海道の河川で採集される自然白金は鉄成分を多く含み、やや鈍い色合いを示すほか、一部が変色することもある。写真の左右にある銀色が強い粒はプラチナ以外の白金族元素を主成分とする元素鉱物。学名は元素名に等しく、ピント川(旧インカ帝国、現コロンビア)で見いだされ、ピント川の小さな銀を意味するスペイン語が由来となっている。

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緑マンガン鉱 / Manganosite
緑マンガン鉱 / Manganosite
緑マンガン鉱 / Manganosite
MnO
長野県浜横川鉱山

緑マンガン鉱はマンガン(Mn)の一酸化鉱物であり、日本国内の様々な場所のマンガン鉱床で産出する。結晶構造は岩塩と共通である。多くはシミのような産状で、その特徴的な緑色は空気中ではすぐに黒色化してしまう。ところが浜横川鉱山の緑マンガン鉱は立派な結晶として産出し、美しい緑色も保たれる。学名のManganositeというのは化学組成から名付けられた。すなわちマンガン(MANGANese)と酸素(Oxygen)たち(S)から出来ている石(ITE)という意味である。和名は外見と化学組成の特徴に因む。

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エクロジャイト / Eclogite

エクロジャイトは鉱物ではなく岩石を指し、ざくろ石とオンファス輝石を主成分とする岩石名である。日本では三波川変成帯の中で、四国にその産出が知られている。関川では転石として、東赤石山ではその露頭が観察できる。

エクロジャイト / Eclogite
エクロジャイト / Eclogite
関川のエクロジャイト
関川のエクロジャイトは硫砒鉄鉱を伴うことが多く、風化面や石の表面はほとんど確実に褐色に汚れている。基本的に角閃石はほとんど伴われない。切断面で緑色の部分がオンファス輝石。含まれるざくろ石は自形であることが多い。種類としては鉄ばんざくろ石に相当し、苦ばんざくろ石成分(Mg)は少なく、灰ばんざくろ石成分(Ca)にやや富む。権現越のエクロジャイトに比べると変成度はやや低いと思われ、関川で得られるエクロジャイトをエクロジャイト様岩として、区別する向きもある。

エクロジャイト / Eclogite
エクロジャイト / Eclogite
東赤石山権現越のエクロジャイト
権現越ではエクロジャイトの露頭が観察できる。関川エクロジャイトに比較してざくろ石の密度が高いが形は崩れているほか、鉱物種としてこちらは苦ばんざくろ石に相当する。オンファス輝石が含まれることは関川のエクロジャイトと共通であるが、こちらは石英も相当量含まれるため、全体的に緑色の度合いが淡い。ここのエクロジャイトは最大で2.4万気圧、740℃の高圧高温環境で生成したとされる。

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ジャーリンダ石 / Dzhalindite
ジャーリンダ石 / Dzhalindite
ジャーリンダ石 / Dzhalindite
ジャーリンダ石 / Dzhalindite
In(OH)3
静岡県下田市河津鉱山

ジャーリンダ石はインジウム(In)を主成分とした水酸化鉱物で、特にその結晶が認識できる標本は世界的にもたいへん珍しい。日本では河津鉱山においてその珍しい結晶が産出した。やや灰色を帯びた透明な結晶がモコモコした姿になる。学名は模式地であるDzhalinda(ロシア)に因む。当地は錫(Sn)の鉱床として知られている。

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紅安鉱 / Kermesite
紅安鉱 / Kermesite
紅安鉱 / Kermesite
Sb2OS2
鹿児島県日置市日ノ本鉱山

紅安鉱はアンチモン(Sb)を主成分とする硫化鉱物で、酸素も構成要素に入っている。日本では日ノ本鉱山が名の通った産地であり、名前の由来からするとクリムゾン色と言うべきか、独特の紅色をした針状結晶が束となって粗粒な石英の隙間に産出する。いずれにしても一目でわかる鉱物で、ある鉱物図鑑には紅安鉱を持ったらコレクターとしてまず一人前と書いてあった。写真中やや左下にある黄色みを帯びた透明結晶は方安鉱(Senarmontite)。学名はギリシア語のkermesに由来する。Kermesというのはある種のカメムシを原料としたクリムゾン色の染料のことのようだ。そしてKermesはペルシア語でクリムゾンを意味するqurmzqからきており、qurmzqは赤い酸化・硫化アンチモンにたいする名前だったらしい。もうよくわからない。一方で和名の方は色と化学組成に由来している。

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アルミノパンペリー石 / Pumpellyite-(Al)
アルミノパンペリー石 / Pumpellyite-(Al)
埼玉県東秩父村朝日根

アルミノパンペリー石 / Pumpellyite-(Al)
大分県大分市佐賀関

アルミノパンペリー石 / Pumpellyite-(Al)
Ca2Al3(SiO4)(Si2O7)(OH,O)2·H2O

アルミノパンペリー石はパンペリー石族の一員で、その存在は岩石の変成度の指標になるほど広く分布する。しかしそういったアルミノパンペリー石は極めて微細な存在に過ぎず、鉱物標本には向かない。鉱物標本としてのパンペリー石は緑色を呈する板状結晶で、日本では埼玉県朝日根のものが古くから知られていた。大分県佐賀関からもそのようなアルミノパンペリー石が見いだされたが、いずれもパリッとした結晶の姿にはならないようだ。学名はアメリカの地質学者Raphael Pumpelly(1837-1923)に因む。Pumpellyはお雇い技術者として短い期間だが日本に滞在し、北海道の地質を調査している。

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ダンブリ石 / Danburite
ダンブリ石 / Danburite
宮崎県高千穂町土呂久鉱山

ダンブリ石 / Danburite
愛媛県新居浜市鹿森ダム付近

ダンブリ石 / Danburite
CaB2Si2O8

ダンブリ石はカルシウム(Ca)とホウ素(B)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、同じような構成元素からなるダトー石としばしば共存する。ただしダトー石が多様な産状で広く出現するのとは対照的に、ダンブリ石は特定のスカルン鉱床でばかり産出する。日本では尾平鉱床区に典型的に伴われ、宮崎県土呂久鉱山からのダンブリ石は古典標本として親しまれている。無色透明からやや緑色を帯びた乳白色の柱状結晶が典型的な姿である。広域変成岩からは長らく産出が知られていなかったが、愛媛県で初めて見いだされた。学名はダンブリ石の発見地(Danbury)に由来する。ニューヨークから100キロほど北にある町で、その町の名前自体が多くの初期開拓者の出身地であるエセックス(イギリス)にあるダンベリー地域に由来している。

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イットリウムシンキス石 / Synchysite-(Y)
イットリウムシンキス石 / Synchysite -(Y)
イットリウムシンキス石 / Synchysite-(Y)
CaY(CO3)2F
三重県菰野町宗利谷

花崗岩ペグマタイトに生じるイットリウム褐簾石がさらに変質した際に生じる鉱物であり、元の形を残したままイットリウムシンキス石に置き換わっている。橙色を帯びた棒状集合がイットリウムシンキス石である。実体は数ミクロンであるが、このような産状であるため肉眼的にはわかりやすい。海外では単結晶としての産出が知られており、六角の板状から柱状結晶となる。その姿はパリス石(parisite)という別の鉱物にもよく似ており、「取り違える」という意味を持つギリシア語が学名の由来となっている。

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ダトー石 / Datolite
ダトー石 / Datolite
ダトー石 / Datolite
CaBSiO4(OH)
愛媛県八幡浜市三瓶町鴫山

ダトー石はカルシウム(Ca)とホウ素(B)を主成分に持つケイ酸塩鉱物で、ガドリン石超族の一員となっている。スカルン鉱床、変成岩、蛇紋岩などによく伴われ、火山岩の晶洞にも顔を出すことがある。白色で不透明であることが多いが、透明感のあるアップルグリーン色の結晶が愛媛県の鴫山から産出したことがある。学名は「分割する」という意味のギリシア語が由来となっている。一方でダトー石を叩いたとして明瞭な割れ方があるとは感じないため、分割するというのは鉱物としての性質ではなく産状のことを指しているのかもしれない。

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蛍石 / Fluorite
蛍石 / Fluorite
蛍石 / Fluorite
蛍石 / Fluorite
CaF2
福島県南会津町蛍鉱山

蛍石はカルシウム二フッ化物という化学組成で、ハロゲン化鉱物に分類される。正方形の立方体で産出することが多いが、へき開はそれに対して斜めに発達するため、へき開にそって割っていくと八面体となる。市販されている八面体の分離結晶の多くは、そうやって割って作った人工的な姿である。色はさまざまあるが、緑色系および紫色系が多く、橙色系は少ないと感じられる。蛍石の学名はラテン語のFluere(流す)に由来し、鉄鉱石とまぜることで溶かし(流し)やすくする性質がある。そして蛍石は加熱や紫外線を当てることで蛍光する性質があることが理解されるようになり、その蛍石に特徴的な性質が蛍石の学名(Fluorite)から蛍光(Fluorescence)と名付けられた。ただこれは英名の場合の流れで、和名は逆ではないだろうか。その石が加熱によって蛍のような色で光るから「蛍光」という名詞がまず生まれ、そこからモノを表す「蛍石」という名前が生まれたように思える。そして後付けで学名(英単語)との対応が生じたと。真実は不明だが和名に関してはその方が自然に思える。

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砂鉱 / Placer
磁鉄鉱・チタン鉄鉱 Magnetite and Ilmenite
右側:チタン鉄鉱 / Ilmenite
左側:磁鉄鉱 / Magnetite (左下の一個だけはクロム鉄鉱 Chromnite)

川や砂浜には比重の高い鉱物が溜まる場所がどこかしらある。そういった場所にたまる砂のことを砂鉱(さこう)と言う。英語ではPlacer。砂鉱には磁鉄鉱やチタン鉄鉱が多く含まれている。産地によってクロム鉄鉱が混じることがあるが見た目では磁鉄鉱と区別が付かない。クロム鉄鉱は磁石にくっつかないのでその特徴で判別できる。磁鉄鉱とチタン鉄鉱は見ての通り結晶の形とツヤが異なるため判別は可能。

透明結晶 Transparent crystals
砂鉱には磁鉄鉱やチタン鉄鉱だけでなく透明な結晶も多く含まれている。この写真の中にはジルコン、エンスタタイト、鉄ばんざくろ石、アクチノ閃石、石英がいるが、どれがどれだかわかるだろうか?
答え合わせはここ

灰重石 / Scheelite
灰重石 / Scheelite
灰重石 / Scheelite

灰重石もまた砂鉱として濃集しやすい。特定の地質帯の砂鉱には普遍的に認められる。短波長の紫外線で青く蛍光するので存在していれば容易に見つかる。

球状砂鉱
球状砂鉱

空から降ってきたのだとすると宇宙塵だが、溶接スラグなどの可能性もあるようでなんとも言えない。化学組成はさまざまある。

ジルコン / Zircon
ジルコン / Zircon

ジルコンだけを集めて並べてみた。無色、褐色、紫色まであるが、SEM-EDSで検出できる不純物はなかった。短波の紫外線でいずれもオレンジ色に蛍光する。

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エンスタタイト / Enstatite
エンスタタイト / Enstatite
兵庫県関宮町鹿倉

エンスタタイト / Enstatite
愛媛県四国中央市関川

エンスタタイト / Enstatite
愛媛県松山市御幸寺山

エンスタタイト / Enstatite
MgSiO3

エンスタタイトはマグネシウム(Mg)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、輝石族の一員である。地球の上部マントルの主要構成鉱物であり、かんらん岩やそれが風化した蛇紋岩にも含まれる。そして蛇紋岩が再度熱変成を受けると、エンスタタイトが再成長して放射状に開いた組織となることがあり、そういった岩石は菊花石とも呼ばれる。高圧変成岩にも伴われ、愛媛県五良山を起源とする関川ではエンスタタイト岩として、エンスタタイトばかりの岩石が転がっている。玄武岩や安山岩の斑晶鉱物としても広く認められ、風化に強いエンスタタイトが分離して小さくコロコロした結晶が一カ所にたまることもある。おおむね緑色系統の色合いとなるが、含まれる鉄が多くなると赤みを帯びてくる。高温でも溶けないため「耐える」という意味のギリシア語が学名の由来となっている。和名では頑火輝石と呼ばれるが、最近では学名のカタカナ読みが多いと感じている。

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輝安鉱 / Stibnite
輝安鉱 / Stibnite
輝安鉱 / Stibnite
愛媛県西条市市之川鉱山

輝安鉱 / Stibnite
愛媛県砥部町弘法師鉱山

輝安鉱 / Stibnite
輝安鉱 / Stibnite
輝安鉱 / Stibnite
愛媛県砥部町万年鉱山

輝安鉱 / Stibnite
Sb2S3

輝安鉱はアンチモン(Sb)の硫化鉱物で、日本鉱物学会が日本の国石を決める際にその候補のひとつとなった。明治期に市ノ川鉱山から産出した日本刀のような巨大な結晶は、世界各国の博物館に飾られている。ものの大小はともかく、輝安鉱の結晶は銀色ですっと伸びた形状になることが非常に多い。またその結晶が所々で折れ曲がることが多いことも特徴となっている。結晶表面は風化しやすく、初め黒色になり、やがて黄色に変化する。産地は日本各地にあるが、中央構造線沿いからその南に鉱床が多く存在する。学名はギリシア語に因み、アンチモンの古い呼び名に由来する。

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斑銅鉱 / Bornite
斑銅鉱 / Bornite
愛媛県四国中央市佐々連鉱山

斑銅鉱 / Bornite
静岡県下田市河津鉱山

斑銅鉱 / Bornite
Cu5FeS4

斑銅鉱は銅鉱床でしばしば見られ、黄銅鉱よりも含まれる銅が多く、鉱床の中で斑銅鉱が多い箇所は富鉱体と呼ばれる。金属質な塊として産出することがほとんどで、割ってすぐでは茶色っぽいが、急速に紫色をおびる。そのような変化で斑状の模様が生じることが和名の由来となっている。一方で学名は人名由来で、オーストリアの鉱物学者および無脊椎動物学者であるIgnaz von Born(1742-1791)に因む。斑銅鉱の結晶としての産出は少なくとも日本では非常に稀で、静岡県河津鉱山からはずんぐりとした結晶が産出したことがある。

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トルトベイト石 / Thortveitite
トルトベイト石 / Thortveitite
京都府京丹後市大宮町河辺白石山

トルトベイト石 / Thortveitite
京都府京丹後市峰山町磯砂鉱山

トルトベイト石 / Thortveitite
Sc2Si2O7

トルトベイト石はノルウェイで最初に見いだされ、この鉱物の発見者であるGunder O. O. Thortveit(1872-1917)に因んで命名された。スカンジウム(Sc)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、海外はともかくも日本では未だに非常に珍しい鉱物である。日本では京丹後市に二つの代表的産地があり、多量の希元素鉱物をともなうペグマタイト中にごく少量産出した。黄灰色から黄褐色の薄板状結晶が重なった姿で見られる。

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ボタラック石 / Botallackite
ボタラック石 / Botallackite
福井県内外海鉱山

ボタラック石 / Botallackite
鹿児島県屋久島早崎鉱山

ボタラック石 / Botallackite
Cu2Cl(OH)3

ボタラック石はBotallack鉱山(イギリス)から最初に発見され、鉱山名を元に名付けられた。いわゆるアタカマ石族の一員で、アタカマ石単斜アタカマ石とは同質異像の関係にある。その中でボラタック石の産出はかなり稀で、色味も青みがかるなど(単斜)アタカマ石とはやや様子が異なる。アタカマ石族の鉱物は、銅を含む鉱床が海水の影響を受けながら風化するという環境で典型的に見られ、ボラタック石はおそらく最も早期の晶出となる。ボタラック石がちょうど晶出したまさにその時に回収しないと、天然の環境ではボラタック石さらにはアタカマ石や単斜アタカマ石に変化するだろう。ボタラック石は日本では内外海鉱山で、ごく一時期に限って産出が認められた。のちに鹿児島県早崎鉱山からも見いだされ、こちらはアタカマ石と見分けがつかない姿をしている。

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スティッツ鉱 / Stützite
スティッツ鉱 / Stützite
スティッツ鉱 / Stützite
Ag5-xTe3
静岡県下田市河津鉱山

スティッツ鉱は銀(Ag)とテルル(Te)からなる金属鉱物で、学名はオーストリアの鉱物学者のAndreas Xavier Stütz (1747–1806)に因む。産地は世界中にあまたあるが、いわゆる銀黒鉱に含まれる極めて微細な存在に過ぎず、スティッツ鉱としての鉱物標本はこれまでほとんど知られていない。日本では河津鉱山などで産出が知られており、銀黒中に発達した晶洞にスティッツ鉱の結晶が認められた。非常に稀な標本だと思われる。

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鱗珪石 / Tridymite
鱗珪石 / Tridymite
愛媛県松山市高縄山

鱗珪石 / Tridymite
静岡県沼田市

鱗珪石 / Tridymite
SiO2

鱗珪石(りんけいせき)は石英クリストバル石の同質異像となる鉱物である。鱗珪石にも石英やクリストバル石と同じく高温相と低温相があり、高温相として晶出した後に低温相に変化している。これも大きな体積変化を伴うため、結晶はその変化に耐えきれずに内部はかならずひび割れだらけになっている。結晶が薄いとそのひび割れがよく見える。しばしば三連双晶をなすことから、学名は三つ子という意味のギリシア語に由来する。安山岩中の晶洞に産出することが典型的だが、オパールの構成要素として鱗珪石の結晶子が存在することもある。

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オリーブ銅鉱 / Olivenite
オリーブ銅鉱 / Olivenite
オリーブ銅鉱 / Olivenite
オリーブ銅鉱 / Olivenite
Cu2AsO4(OH)
広島県生口島

オリーブ銅鉱の学名はこれまでに幾度か変遷しており、現在の学名はオリーブのような色に因み、和名においては化学組成も反映されている。銅鉱床の酸化帯にはしばしば見られる。概ねその名の通りにオリーブ色をしめす固体が多いが、細い針状で産出する場合は白色となる。

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桜石 / Cherry stone
桜石 / Cherry stone
桜石 / Cherry stone
菫青石の仮晶?
京都府亀岡市

亀岡市などでは接触変成作用を受けた後に風化した堆積岩中に紡錘形の石が含まれており、その断面はほんのり紅を帯びた花びら様をしめす。花びらの枚数が異なれども、その様子から桜石と呼ばれる。生成した際は菫青石もしくはインド石だったと考えられているが、いまでは白雲母や緑泥石などに変質してしまっている。

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五水灰硼石 / Pentahydroborite
五水灰硼石 / Pentahydroborite
五水灰硼石 / Pentahydroborite
五水灰硼石 / Pentahydroborite
CaB2O(OH)6•2H2O
岡山県高梁市備中町布賀鉱山

五水灰硼石は化学組成に基づいた学名となっており、当初は5分子の結晶水をもつとされた。しかし後年になって水は2分子であることが判明し、名前と実体が乖離してしまった。岡山県布賀鉱山では坑内からホウ酸塩鉱物からなる晶洞が見いだされ、五水灰硼石が多産したことがある。通常は無色透明であるが、内部に茶色を帯びた別の鉱物を内包することがあり、そういった標本は黒ペンタなどの愛称で親しまれている。

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ロングバン石 / Långbanite
ロングバン石 / Långbanite
ロングバン石 / Långbanite
Mn2+4Mn3+9Sb5+O16(SiO4)2
福島県御斎所鉱山

ロングバン石は1887年には記載のある古典的な鉱物だが、その産出は世界的に見てもいまだ稀となっている。日本では1986年に福島県御斎所鉱山からその産出が報告された。ここではマンガン鉱石中に埋没する光沢の強い黒色結晶が典型的な産状である。名前の由来は模式地のLångban(スウェーデン)に因み、そこでは六角柱状の結晶が知られている。

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珪亜鉛鉱 / Willemite
珪亜鉛鉱 / Willemite
珪亜鉛鉱 / Willemite
珪亜鉛鉱 / Willemite
Zn2SiO4
栃木県野門鉱山

珪亜鉛鉱はその名が示すように亜鉛(Zn)を主成分とするケイ酸塩鉱物である。無色から黒灰色を示す地味目な結晶であるが、短波の紫外線照射で強烈な緑色の蛍光を示す。最初に発見された場所が当時オランダ領だったこともあり、オランダ王のウィレムI世(Willem I)が学名の由来となっている。その発見地(模式地)は今ではベルギー領。世界的にはアメリカのフランクリン鉱山の標本が有名となっている。日本ではいまでは栃木県野門鉱山の標本が人気を集めている。

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デュモルチエ石 / Dumortierite
デュモルチエ石 / Dumortierite
長崎県福江島五島鉱山

デュモルチエ石 / Dumortierite
兵庫県神河町琢美鉱山

デュモルチエ石 / Dumortierite
AlAl6BSi3O18

デュモルチエ石はホウ素(B)を主成分とするアルミノケイ酸塩鉱物で、日本では蝋石鉱床によく生じる。針状から柱状結晶が典型で放射状に集合することが非常に多く、含まれる副成分の違いによって色味は異なる。多くの場合で鉄(Fe)が含まれており、そうした結晶は青色を呈し、割とまれな例だがチタン(Ti)が含まれると赤色を帯びる。学名はフランス人古生物学者,Eugène Dumortier (1801-1876)に因む。

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高温石英 / High Quartz
高温石英 / High Quartz
高温石英 / High Quartz
SiO2
宮城県仙台市郷六

石英の高温相として晶出し、その後の温度低下によって低温相である石英に相転移した結晶のことを高温石英と呼ぶ。石英とはポリタイプの関係であるため、もし高温相としての構造が保たれた結晶が見いだされたとしても、それは独立の鉱物としては認められない。高温石英はどこまでいっても野外名でしかない。そんな高温石英は風化した凝灰岩の中にしばしば胚胎され、そろばん玉のような六角形の両錘結晶で産出する。高温相から低温相への相転移は大きな体積減少を伴うため、結晶はその変化に耐えきれず内部に無数のひび割れを生じることが通常である。

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グジア石 / Gugiaite
グジア石  / Gugiaite
グジア石 / Gugiaite
Ca2BeSi2O7
愛媛県弓削島

グジア石はベリリウム(Be)とカルシウム(Ca)を主成分とする、世界的にも珍しいケイ酸塩鉱物である。弓削島には石灰岩が分布しており、そこはかつて大規模に採掘されていた。石灰岩は珪酸塩を含む熱水に貫かれ、珪灰石や灰ばんざくろ石などの典型的なスカルン鉱物が生じている。そのスカルン脈の中心部付近に、魚眼石やホタル石を伴い劈開がやや発達した透明結晶がグジア石になる。方解石に似るが劈開の方向が異なる。学名は模式地のGugia村(中国)に由来する。

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琥珀 / Amber
琥珀 / Amber
琥珀 / Amber
愛媛県伊予市郡中森海岸

琥珀は飴色を示す樹脂の化石であり、しばしば石炭や亜炭を伴って堆積岩中に胚胎される。そのため採集方法は鉱物の場合とほとんど同じである。モース硬度が2程度あり、それなりに硬く、美しい飴色もあいまって宝石として珍重される。英名はアラビア語に由来し、竜涎香を意味するようだ。Amberという名前は女性の名前として英語圏ではよく使われる。和名の琥珀は中国語からの輸入で、虎が死後に石になったものだと考えられたことによるとされる。日本では岩手県久慈市の琥珀が有名であるが、石炭を含む地層であれば見つかることがある。

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石英 / Quartz
石英 / Quartz
負晶 / Negative crystal
島根県西ノ島町焼火山

石英 / Quartz
愛媛県久万高原町

石英 / Quartz
石英 / Quartz
愛媛県久万高原町二名

石英 / Quartz
石英 / Quartz
高知県土佐清水市狩津海岸

日本式双晶(石英)
日本式双晶(石英)
長崎県五島市奈留島

石英 / Quartz
愛媛県久万高原町高殿

石英 / Quartz
石英 / Quartz
石英 / Quartz
石英(短波紫外線照射)
高知県佐川町

石英 / Quartz
SiO2

石英は古来より知られる鉱物であり、古くは永久に固化した氷だと考えられた。その結晶は水晶と呼ばれる。学名もまた「固化する」という意味のギリシア語が元になっている。無色透明で六角形柱状結晶で結晶端が錐状に尖る姿が石英の結晶(=水晶)の典型で、非常に多くの地質環境で出現する。熱水脈に伴って生じることも非常に多く、その熱水を内部に取り込んだまま成長することもしばしばある。そういった水晶には内部に結晶形が認められることもあり、それは負晶(Negative crystal)とよばれる。結晶がいくつか集まった群晶を形成することも頻繁で、クラスターと呼ばれる。小さい結晶に限られるが柱面が無いもしくは非常に狭くそろばん玉状になることがある。板状形態を示すこともまた多く、板状結晶が平行連晶すれば子連れ水晶(人によっては不倫水晶)などと呼ばれ、特定の角度で連結した軍配型形状は日本式双晶と呼ばれる。エステレル式双晶という様式もあり、それが連続的に繰り返された結晶集合はそれが石英だとは鑑定し得ない複雑な姿になる。内部に石油成分を包有する水晶は紫外線照射で青色の傾向を示す。いずれにしてもあまたある鉱物の中でもおそらく最も人気のある鉱物であり、水晶ばかりを集める愛石家もまた多い。

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鉄ばんざくろ石 / Almandine
鉄ばんざくろ石 / Almandine
鉄ばんざくろ石 / Almandine
Fe2+3Al2(SiO4)3
愛媛県松山市忽那山

鉄バンざくろ石はざくろ石超族一員で、数あるざくろ石超族のなかでおそらくもっとも一般的な鉱物になるだろう。日本でも多様な産状で見られるため、これといった決定的な標本を挙げることは難しいが、概ねは12面体、24面体、36面体のコロッとした姿で産出する。赤系統であることが多く、その結晶をザクロの実に例えて「ざくろ石」という名称が与えられた。化学組成変化に富むことから、和名はその化学組成を反映させることが多い。写真で示した鉄ばんざくろ石は接触変成を受けた砂泥質岩から分離した黒~オレンジ色の12面体結晶になる。学名は模式地であるAlabanda(トルコ)に由来しており、16世紀に命名されたようだ。

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クリストバル石 / Cristobalite
クリストバル石 / Cristobalite
愛媛県松山市北条浅海

クリストバル石 / Cristobalite
Pseudomorph of cristobarite
クリストバル石 / Cristobalite
愛媛県久万高原町

クリストバル石 / Cristobalite
SiO2

クリストバル石はSiO2からなる鉱物で、石英鱗珪石とは同質異像の関係にある。本体は非常に高温で安定な鉱物であるが、天然では本来の安定領域から外れた環境で準安定的に出現する。高温型相と低温相が知られている。日本では安山岩や玄武岩の小さい晶洞に白色の八面体結晶で見られることがあり、それは高温型相として晶出したが低温相に変化した姿である。その相転移を経ているため、内部はひび割れだらけになっている。一方で沸石に伴われて低温相として晶出し、成長することもある。世界的にもたいへん珍しい産状であり、愛媛県久万高原町ではそういった結晶が認められた。

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コランダム / Corundum
コランダム / Corundum
北海道日高町千呂露川水系二岐沢二ノ沢

コランダム / Corundum
岐阜県河合村羽根谷

コランダム / Corundum
コランダム / Corundum
愛媛県新居浜市別子山銅山川

コランダム / Corndum
コランダム / Corndum
岩手県一関市大東町興田

コランダム / Corundum
熊本県宇城市松橋町

コランダム / Corundum
広島県庄原市勝光山

コランダム / Corundum
愛媛県岩城島

コランダム / Corndum
奈良県香芝市穴虫

コランダム / Corundum
Al2O3

コランダムはアルミニウム(Al)の酸化鉱物で、純粋な結晶は無色透明であるが、天然では概ね青系統もしくは赤系統の結晶として産出する。赤系統のうち、クロム(Cr)を少量含み紫外線の照射で赤色蛍光を示すコランダムはルビーと呼ばれる。赤系統でもクロムを含まない結晶、それから赤系統以外の色を示す結晶はサファイアと呼ばれ、天然では青色であることが非常に多い。モース硬度9の基準となる鉱物で非常に硬く、学名はルビーのサンスクリット語の呼び名である。和名については古くは剛玉という呼び名もあったが、現在ではその名称はあまり使われることがなく、カタカナでコランダムと書くことが多い。多様な産状や形態を示し、赤鉄鉱とは同質異像の関係。しかし、お互いに固溶体をほとんど形成しない。

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バリシア石 / Variscite
バリシア石 / Variscite
静岡県下田市河津鉱山

バリシア石 / Variscite
福岡県八女市星野村星野川

バリシア石 / Variscite
AlPO4·2H2O

バリシア石はフォーグトラントクライス(ドイツ)から最初に見いだされて、学名は地域の古名であるVarisciaに由来する。アルミニウム(Al)の含水リン酸塩鉱物であり、緑色を帯び、球状に集合することが非常に多い。粗粒な結晶だと球状集合がまるで金平糖のようになる。日本での産出は希で、これまでに静岡県河津鉱山と福岡県星野金山周辺に産出することが知られており、いずれも浅熱水性金鉱床である。

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コルベック石 / Kolbeckite
コルベック石 / Kolbeckite 
コルベック石 / Kolbeckite
ScPO4·2H2O
鹿児島県薩摩川内市

コルベック石はスカンジウム(Sc)を主成分とする珍しいリン酸塩鉱物で、ザディスドルフ(ドイツ)から最初に見いだされた。学名はドイツ人鉱物学者のFriedrich Ludwig Wilhelm Kolbeck (1860-1943)に因む。日本では熱水変質を受けて粘土化した珪質岩中にアップルグリーンの板状結晶が立ち並ぶ姿で産出し、周囲には黄鉄鉱や閃亜鉛鉱を伴う。岩石中にスカンジウムをもつ鉱物はほかに見当たらず、コルベック石に含まれるスカンジウムの起源はまだ明らかになっていない。

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赤鉄鉱 / Hematite
赤鉄鉱 / Hematite
岩手県北上市和賀仙人鉱山

赤鉄鉱 / Hematite
愛媛県四国中央市関川

赤鉄鉱 / Hematite
愛媛県新居浜市国領川

赤鉄鉱 / Hematite
愛媛県西条市丹原鉱山

赤鉄鉱 / Hematite
福島県郡山市石筵字的場山

赤鉄鉱 / Hematite
赤鉄鉱 / Hematite
鹿児島県霧島山

赤鉄鉱/Hematite
Fe2O3

赤鉄鉱は三価鉄(Fe3+)の二酸化鉱物であり、粉末が赤いことから「血」を意味するギリシア語に因んで命名された。和名もまた同様に粉末が赤いことおよび鉄を主成分とすることに由来する。一方で結晶標本となると赤ではなく銀白色光沢をもつ黒色結晶となる。集合体もまた同様。多様な産状がありこれこそが典型というものはないが、結晶標本は六角板状が基本となり、ぺらっとした標本が多いと思われる。広域変成岩にレンズ状に伴われる赤鉄鉱は内部に擬板チタン石を大量に含むこともある。火山では赤鉄鉱が昇華鉱物として生じることはしばしばあり、鏡のようにピカピカな結晶は鏡鉄鉱と呼ぶこともある。条痕色は必ず赤く、それを見てしまえばどういった形態であっても鑑定は難しくない。

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自分の新鉱物(一覧)

 

「鉱物」とは自然界に存在する物質のうち「地質作用で生じる、一定の化学組成と結晶構造をもつ固体物質」のことを指す。宇宙が誕生し、星々が作られ、地球が生まれ、大地や海ができて今の姿になる。その過程(地質作用)で生まれた物質が鉱物である。地球に飛来した隕石、月の石、はやぶさが持ち帰った小惑星のかけらも鉱物からできており、鉱物には地球や太陽系だけでなく宇宙の歴史が刻まれていると言えるだろう。

鉱物は一部の例外を除くと一定の化学組成と規則的な原子の並び(結晶構造)を持つ。それは化学組成と結晶構造を基準に個々を区別できることを意味しており、個々は分類学上の「種(しゅ)」という基本単位となる。この分類法を用い現時点では5,000 種以上の鉱物が知られている。地球を未解読の古文書」にたとえると、鉱物は「単語」にあたり、鉱物の中身である化学組成と結晶構造は単語を構成する「文字」とみなすことができる。もし新しい鉱物を見つけたらそれは古文書解読のためのキーワードを新たに見つけたことにもなる。

これまでに知られていなかった新しい鉱物が「新種」であり、鉱物の場合はその「新種」のことを「新鉱物(new mineral)」と言う。ただし新鉱物は勝手に名乗ることはできない。1958年に国際鉱物学連合(Internal Mineralogical Association)が設立され、翌年からは専門の委員会で新鉱物の審査と承認が行われるようになっている。今では新鉱物・鉱物・命名委員会(Commission on New Minerals, Nomenclature and Classification)が鉱物に関する審査を一手に担っている。新鉱物を名乗るにはこの委員会で承認される必要がある。

ここでは自分の新鉱物と称して、自身が発見に関わった新鉱物について、その背景や研究経過など論文では書かないことを主に紹介しようと思う。

日本から発見された新鉱物たちの一覧はこちらを参照ください。

  1. 不知火鉱 / Shiranuiite (2023-072a)
  2. 蝦夷地鉱 / Ezochiite (2022-101)
  3. 群馬石 / Gunmaite (2022-080)
  4. 浅葱石 / Asagiite (2022-065)
  5. ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y) (2022-002)
  6. 桐生石 / Kiryuite (2021-041)
  7. フェリぶどう石 / Ferriprehnite (2020-057)
  8. 苫前鉱 / Tomamaeite (2019-129)
  9. 三千年鉱 / Michitoshiite-(Cu) (2019-029a)
  10. 皆川鉱 / Minakawaite (2019-024)
  11. 初山別鉱 / Shosanbetsuite (2018-162)
  12. 留萌鉱 / Rumoiite (2018-161)
  13. ランタンピータース石 / Petersite-(La) (2017-089)
  14. 金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite (2017-003)
  15. 神南石 / Kannanite (2015-100)
  16. 豊石 / Bunnoite (2014-054)
  17. 三崎石 / Misakiite (2013-131)
  18. 伊予石 / Iyoite (2013-130)
  19. ランタンフェリアンドロス石 / Ferriandorosite-(La) (2013-127)
  20. ランタンフェリ赤坂石 / Ferriakasakaite-(La) (2013-126)
  21. 今吉石 / Imayoshiite (2013-069)
  22. 岩手石 / Iwateite (2013-034)
  23. 足立電気石 / Adachiite (2012-101)
  24. ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La) (2012-095)
  25. 箕面石 / Minohlite (2012-035)
  26. 伊勢鉱 / Iseite (2012-020)
  27. イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y) (2011-099)
  28. 宮久石 / Miyahisaite (2011-043)
  29. 愛媛閃石 / Chromio-pargasite (2011-023)
  30. 桃井ざくろ石 / Momoiite (2009-026)
  31. ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr) (2006-055)

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IMA No./year: 2023-072a
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 (NSM M-50086)
 
不知火鉱 / Shiranuiite
 
Cu+(Rh3+Rh4+)S4
 
Spinel supergroup
 
熊本県美里町払川
 
Nishio-Hamane D., Tanaka T., Shinmachi T. (2024): Approved by CNMNC on March 2nd.
 
不知火鉱 / Shiranuiite
不知火鉱の写真
 
熊本県払川からの新鉱物、不知火鉱である。皆川鉱(Minakawaite)と三千年鉱(Michitoshiite-(Cu))に続いてこの産地から3つめの新鉱物ということで、合わせて御三家と言っておこう。自分の新鉱物は、砂金・砂白金からではこれで8つめ(1つめ: 金水銀鉱、2つめ: 留萌鉱、3つめ: 初山別鉱、4つめ: 皆川鉱、5つめ: 三千年鉱、6つめ: 苫前鉱、7つめ: 蝦夷地鉱、8つめ: 不知火鉱)。砂金・砂白金から新鉱物を見つけるにはデンケン(電子顕微鏡)を使いこなす必要があるが、ここがデンケン室であることが幸いしたようで当初に思っていたよりもたくさん見つかった。そして、時代もあってきた。不知火鉱は、なんというか、時代に即した新鉱物なのだろう。
 
まず名前、不知火鉱。いかにもな字面だが、「不知火」と書いて「しらぬい」と読むことを知っているのは適齢期の男子ばかりではないだろう。今の季節ならみかんが思い浮かぶだろうか。それ以外にも相撲、ゲーム、漫画など、ほかでもいろいろ見かけるその名称は、熊本県の古称「火の国」にまつわる逸話に由来する。日本書紀をはじめとした歴史書に記されている逸話はこんな感じ → 第12代天皇にあたる景行天皇が九州を巡幸した際に、海上で闇に覆われて危うく方向を失ってしまった。しかし、遠方に火の光が見え、それを頼りに海岸にたどり着く。その際に天皇は周囲の者に「あの火はなにか」と尋ねたが、皆は「だれが燃やしているかわからない火だ = 知らぬ火」と答えた。そうして「不知火」の名称が生まれた。そしてこれが「火の国」の由来となり、そう呼ばれた地域の一部が今でいうところの熊本県。熊本を名づけた加藤清正公には申し訳ないが、面白い逸話なので熊本生まれの新鉱物の名称としてこの不知火を提案したのだった。
 
不知火鉱はスピネル超族の新鉱物である。そして、このスピネル超族というまとまりが成立したのはわりと最近(2019年)のこと[1]。
 
スピネル超族
 
まずは分類の方法と不知火鉱の立ち位置をさっくりと。スピネル超族はAB2X4という化学式とスピネル構造をもつ鉱物のまとまりであり、「X」の種類によってまずは3つの族に分けられる。そのなかで白金族元素を主成分に持つのは硫化スピネル族(X = S)だけ。それはさらに二つの亜族、リンネ鉱亜族とカーロール鉱亜族に分けられ、不知火鉱はカーロール鉱亜族の新種という立ち位置。上の図を見れば立ち位置は視覚的にわかるだろう。
 
2019年より前と後の分類
2019年より前と後の分類
 
それにしても昔の分類は単純だった。それは例えば上の図の左側のように。(Cu,Fe)B2S4という化学組成だと、「B」のところがロジウム(Rh)なら硫銅ロジウム、イリジウム(Ir)なら硫銅イリジウム鉱、プラチナ(Pt)ならマラン鉱、といった古式ゆかしい分け方。ところが命名規約はそれを変えた(図の右側)。変更の要点だけをまとめると、昔の硫銅ロジウム鉱は、今では①リンネ鉱亜族の硫銅ロジウム鉱、②カーロール鉱亜族のRhPt(後の蝦夷地鉱)、③カーロール鉱亜族の2Rh(後の不知火鉱)、④カーロール鉱亜族のRhIr(未命名)、という4つの可能性に分離し、②~④が新鉱物候補となった。それなのにこの命名規約は新鉱物候補があらわれたことにはまったく触れていない。要は自分で気が付くしかないが、逆に気が付いてしまえば、これはもう新鉱物発見に至るロードマップ。硫銅ロジウム鉱という宝箱を開けてみればいい。そこには新鉱物がきっと入っている。
 
ではそれはどこにある。硫銅ロジウム鉱という宝箱は砂白金というダンジョンにたまに転がっている。さらには宝箱には産地ごとにクセ(組成の傾向)があることが、デンケンによる観察と分析からわかっていた。そして、北海道産のものはプラチナ(Pt)に富む傾向があった。つまり②(カーロール鉱亜族のRhPt)が狙い目で、そしたらやっぱりあっさりちゃんと②が見つかった。それを新鉱物として申請して、蝦夷地鉱が誕生した。そして熊本産のもの。これにはやたら銅(Cu)とロジウム(Rh)に富むものが混じっていた。それは調べ始めた当初は新鉱物になりえなかったが、命名規約が成立した今となってはそれが③(カーロール鉱亜族の2Rh)であり、このたび不知火鉱として承認された。
 
このような事情で、不知火鉱とは(蝦夷地鉱もだけど)、スピネル超族が成立した時代だからこそ誕生した新鉱物であり、それが最初に述べた「時代に即した新鉱物」の意味であった。古くから白金族鉱物を研究してきた研究者は、命名規約によって変化した内容ではなく「変化」それ自体に抵抗しているように感じられる[2]。しかし、世の中は変化するものだと割り切って、変化した内容を見定めてさっさと行動したほうが得るものがある、かもしれない。それが今回(前回も)のケースで、これもまた新鉱物クエストである。
 
残った④(カーロール鉱亜族のRhIr)はむしろ海外の産地に期待したい。ダンジョン探索をがんばって宝箱を見つけても、国内産ではもはやそれはきっとミミック。そこにあえて挑むなら暗いよ―怖いよーとなる覚悟はいるだろう。しかし1%くらいの確率でなら可能性は残っているとは思う。
 
ここからは写真を題材にして現場や現物のあれこれを書いてみよう。
 
上流の盤
上流部の盤
 
産地は美里町払川を流れる小河川。「払川」というのは地名であって、河川の名称ではない。川幅は平均的に2-3メートルくらいで、場所によって6-7メートル程度まで。そこは釈迦院川の支流にあたる。砂金・砂白金の探査は盤を探すのが定石なのでまずはその分布を把握したい。上流に行けば盤が出ており、小規模な滝下は深くえぐれて土砂がたまっていた。これより上流は急峻で、川幅もせまい。逆に下流に向かうとすぐ広くかつ緩やかになるが、盤が出ている箇所はもうあまりない。また、てきとうに河床を掘って盤に到達するのは難しい。一抱えもある石がそこかしこにあって易々と掘れるものではない。さて、どこをどう攻めるか。
 
一日で採れる砂白金の量(2023年6月)
一日で採れる砂白金の量(一マス = 1ミリ)
 
そりゃまあ好きに攻める。しかし、ここはどれほど効果的に攻めても量を期待できる産地ではない。昨年(2023年)は夏と秋に採集に行き、一日あたり写真ほどの量。重さで換算すると毎回1グラムにも満たない。それでも個数が採れることは幸いで、小さかろうともこれだけあれば研究はやりようはある。また、経験的にはこのくらいあれば御三家(皆川鉱、三千年鉱、不知火鉱)のうちのどれか1,2個は期待していいだろう。もちろん運次第だが。
 
これまでに見た最大サイズの砂白金
最大サイズの砂白金(一マス = 1ミリ)
 
これまで採集した中で最大サイズが写真のもの。多くがこのサイズであればとても魅力的なのだが、現実は厳しい。ここの砂白金は平均的には0.5ミリを下回り、1ミリを超えるものはかなり少ない。形状はだいたい不定形。おそらくは現地性に近い状態で、川擦れの影響は少ないように感じられる。また、大小を問わずモノはおなじ。ほとんどの砂白金が鉱物種としてはイソフェロプラチナ鉱(Isoferroplatinum: Pt3Fe)をベースとしている。イソフェロプラチナ鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)を主成分とする白金族鉱物であり、そればっかり採れるということは、払川はプラチナが主体の砂白金鉱床であることを意味している。しかし、鉱床規模が小さすぎるため資源利用どうこうは考えづらい。
 
イソフェロプラチナ鉱(左)とトラミーン鉱(右)
イソフェロプラチナ鉱(左)とトラミーン鉱(右)(一マス = 1ミリ)
 
一粒の砂白金がまるまるイソフェロプラチナ鉱(左)であるものは銀白色を呈する。一方、右のほうは並べてみればやや茶色を帯びている。これは粒の表面層(数十マイクロメートル厚)がトラミーン鉱(Tulameenite: Pt2CuFe)に変化しているためである(中身はイソフェロプラチナ鉱)。一般に砂白金は地表に出てくるまでに母岩ともども蛇紋岩化作用に巻き込まれている。イソフェロプラチナ鉱はその過程でわりと変質しやすく、一部の粒子は表面層がトラミーン鉱へ変質する。テトラフェロプラチナ鉱(Tetraferroplatinum: PtFe)が生じる場合もあるが、見た目はトラミーン鉱と区別ができない。いずれにしても、つや消し状の砂白金粒子が銀白色であればイソフェロプラチナ鉱、やや茶色ならトラミーン鉱もしくはテトラフェロプラチナ鉱と判断しておおむね間違いない。が、粒子サイズが0.5ミリを下回ってくると見分けづらい。
 
自然オスミウムと自然イリジウム
自然オスミウムと自然イリジウム(写真幅1ミリ)
 
払川では砂白金粒子としての自然オスミウムはすごく稀(包有物ならふつう)。自然オスミウムからなる砂白金粒子が得られたのはこれまで10粒もない。自然オスミウムはモース硬度が7-8とケイ酸塩鉱物並みかそれ以上に硬く、摩耗しにくい。そのため、自然オスミウムの粒子は傷があまりなく、つるっとしており、光沢にはやや青みも感じられるので、見れば一発でわかる。ただし払川ではいつも小さく、御三家よりも出会う確率が低い隠れキャラ。写真の標本は自然イリジウムを噛んでいるというさらなるレアケース。
 
ラウラ鉱とエルリッチマン鉱
ラウラ鉱とエルリッチマン鉱(写真幅3ミリ)
 
ラウラ鉱(Laurite: RuS2)とエルリッチマン鉱(Erlichmanite: OsS2)はそれぞれ黄鉄鉱(Pyrite: FeS2)のルテニウム(Ru)およびオスミウム(Os)置換体にあたる鉱物で、ここではけっこう見かける。写真のように砂白金粒子に伴われ、一粒の砂白金に5-6個も付属することがある。こうした産状は鉱物の晶出順序と安定性に関連している。ラウラ鉱やエルリッチマン鉱は融点が高いので真っ先に結晶化し、その次に結晶化するイソフェロプラチナ鉱がこれらを包みながら成長し、包みきれなかった部分が顔を出す。そのような部分は当たり前に蛇紋岩作用にさらされるが、ラウラ鉱やエルリッチマン鉱はそうした作用にはめっちゃ耐性が高いことで知られる[3]。結果、変質なんかせずに生き残る。ただし、削れたり割れたりすることは普通にある。
 
バウィー鉱と硫銅ロジウム鉱
バウィー鉱と硫銅ロジウム鉱(写真幅1ミリ)
 
払川の砂白金はいろんな白金族鉱物を包有している。硫化物だと最頻出はラウラ鉱やエルリッチマン鉱であり、次に多いのがバウィー鉱(Bowieite: Rh2S3)。いずれも絡み合うことがあるので、晶出順序もほぼ同じくらい。ただ、ラウラ鉱やエルリッチマン鉱が砂白金粒子の表面によく顔を出すのに対して、バウィー鉱が表に顔を出すことは珍しい。これは包有物で見かける頻度からするとアンバランスで奇妙に思えたが、それにはバウィー鉱が実は内弁慶という事情がある。外に出るとこいつはめっちゃ弱い。例えば上の写真の中央、つやのある灰黒色の部分がバウィー鉱であるが、周囲がちょっとモコモコしており、そこは硫銅ロジウム鉱。つまりこの標本は、バウィー鉱から硫銅ロジウム鉱へ変質する途上にあり、それでもバウィー鉱が何とか生き残っているという姿になっている。
 
硫銅ロジウム鉱
硫銅ロジウム鉱(写真幅3ミリ)
 
硫銅ロジウム鉱(Cuprorhodsite)の典型的な産状は砂白金粒子に伴われるざらついたコブであり、大きめだと灰黒色で、小さめだと真っ黒に見える。こういう硫銅ロジウム鉱はラウラ鉱やエルリッチマン鉱に次いで見かけることが多い。それは当たり前。包有物としてラウラ鉱やエルリッチマン鉱の次に多いバウィー鉱、それが内弁慶のくせに表に出たあげく、改変された成れの果てが硫銅ロジウム鉱だからである。つまり、払川においての硫銅ロジウム鉱は、バウィー鉱を元に二次的に生成した鉱物。イソフェロプラチナ鉱(Pt3Fe)がトラミーン鉱(Pt2CuFe)やテトラフェロプラチナ鉱(PtFe)に変質するように、変質には銅(Cu)や鉄(Fe)の付加反応が伴われる。バウィー鉱(Rh2S3)に銅や鉄を加えて、ちょびっと硫化(S)させると硫銅ロジウム鉱((Cu0.5Fe0.5)Rh2S4)ができあがる。
 
不知火鉱 / Shiranuiite
不知火鉱(写真幅5ミリ)。真ん中が不知火鉱。
 
では不知火鉱はというと、硫銅ロジウム鉱と同じくバウィー鉱の成れの果てのひとつ。ただし、見た目は硫銅ロジウム鉱とまったく変わらないので、デンケンで分析しないと区別できない。また、不知火鉱はめったに見つからない。硫銅ロジウム鉱が20-30くらいあっても不知火鉱はひとつとか、感覚的にはそのくらい。払川御三家の中でも不知火鉱が最も希少。おそらく不知火鉱が生成する環境はかなり限定的だったのだろう。また、産状の類似性とロジウム(Rh)を主成分に持つという共通性から思うに、皆川鉱や三千年鉱、希少鉱物のフェロトリーウェイゼル鉱アンドリーズロンバード鉱などもバウィー鉱が出発点と思われる。ただ、観察しているとそれらの生成場や反応順序、経路は単純ではなくいくつも分岐がありそうで、考え始めるときりがない。が、考え始めると面白くてあれこれ考え続けてしまう。
 
さて、払川からあとひとつ見つかれば新鉱物・四天王。その可能性はどうか。フェロトリーウェイゼル鉱やアンドリーズロンバード鉱は払川で見つけた時点では名前がついていなかったので、その時はもちろん新鉱物候補であり、これらをカタチにできていれば四天王や五大なんとかみたいなことがあり得たのだろう。しかしそこは力及ばず。二つとも海外に先を越された。まあそれでも御三家→四天王→五大・・→七崩・・と、まとまりが大きくなると内格差がつきがちで、全体として小物感もにじんでくる。それならば大物感あふれる御三家で終わったとしても悪くない。それに一式のコレクションを目指すにしても3つくらいならガンバレルだろう。ガンバレ。
 
[1] Bosi F., Biagioni C., Pasero M. (2019) Nomenclature and classification of the spinel supergroup. European Journal of Mineralogy, 31, 183-192
[2] Cabri L.J., McDonald A.M., Oberthür T., Vymazalová A. (2023) An Examination of Platinum-Group Element Thiospinel. The Canadian Journal of Mineralogy and Petrology, 61, 1109-1121.
[3] Cabri L.J., Oberthür T., Keays R.R. (2023) Origin and depositional history of platinum-group minerals in placers – a critical review of facts and fiction. Ore Geology Reviews, 144, 104733.

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IMA No./year: 2022-101
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49764)
 
蝦夷地鉱 / Ezochiite
 
Cu1+(Rh3+Pt4+)S4
 
Spinel supergroup
 
北海道苫前町海岸
 
Nishio-Hamane D., Saito K. (2022): Approved by CNMNC on December 5.

蝦夷地鉱 / Ezochiite 
蝦夷地鉱の反射顕微鏡写真
 
北海道苫前町海岸の砂白金から見いだされた新鉱物、蝦夷地鉱である。実は10月、11月、12月と3か月連続で新鉱物チャレンジをしていて、蝦夷地鉱が無事に掉尾を飾ってくれた。ベタフォ石から始まって今年だけで4種を筆頭でまとめた。あーしんどかった。北海道の地名は独特なものが多いので、新鉱物を見つけたら地名からその名をもらう方針だったところで苫前町海岸から二つ目がでた。どうしよう。ここまで苫前町→苫前鉱、留萌管内→留萌鉱とすでにこの辺りの名前は使ってしまっていた。地名だと残るは大物、北海道しかない。今回は金属鉱物ということで和名は「鉱」で結ぶ必要があって、そうなると北海道鉱(ほっかいどうこう)か。うーん、これはちょっと言いづらいぞ。だったら北海道の旧名はどうかと調べたら蝦夷地。そして蝦夷地鉱(えぞちこう)は、うん、すっきりと発音しやすい。こっちにしよう。しかし漢字はややこしいのでラベルは書きづらい。
 
コロナ禍の中にあって外出は少なく、砂白金もしばらく採集に行っていなかった。そしてストックがいよいよ少なくなってきたこともあって、試料確保のために久しぶりにマイフィールド、北海道留萌管内へ向かう。今回の目的は通称で浜白金と呼ばれる浜辺で取れる砂白金。浜白金は一般に0.5ミリにも満たない非常に小さい粒子であり、どれだけ採ったところで重量に換算すると微々たるものにしかならない。ほんの0.1グラムを採るにもたぶん数か月はかかる。それではあまりにも儚いためか愛好家といえども浜白金を積極的に採集する人は少ない。一方で、時間当たりに採取できる個数としてカウントすると浜辺での効率は河川に圧倒的に勝る。そして、重量ではなく個数こそが重要な私にとって浜白金は都合が良かったりする。今回もまた斎藤勝幸氏に案内をお願いした。
 
浜白金 / Coastal PGM
1マス1ミリの方眼紙の上にのせた浜白金
浜辺で採集できる砂白金(いわゆる浜白金)はとても小さく、多くは0.2-0.3ミリ程度の大きさしかない。しかし時間あたりに採集できる個数そのものはとても多い。
 
浜白金の産地は重砂もまた濃集しているため、黒く染まった箇所は浜白金を探す際の一つの目印になる。一方で大量の重砂は困りもの。重砂と浜白金とはネコ板やパンニング皿などを用いた比重選鉱によって分けるが、重砂があまりに多いと浜白金が重砂の上を滑ってこぼれ落ちてしまう。そもそもこの浜白金はどこから来たのか。嵐の日に海の中から打ち上げられると聞いたか読んだか、そんなおぼろげな記憶があるが、そうなるからには浜白金を供給する地層が近くにあるはず。下の写真左はある海岸に露出した礫岩層で、全体的に緑色を帯びている。あ、たぶんこいつだ。しかし岩石を砕いて取り出すのは厳しい。そこで周辺を掘り下げて粘土化した箇所を採ってパンニングしたところ、やはり浜白金が出てきた。地層を見極めて攻めるか、重砂の効率的な処理を工夫するか、ひたすら汗をかくか、アプローチの仕方はいろいろある。
 
浜白金の母岩(左)とその粘土化部(右)
海岸で観察できる礫岩の露頭(左)とそれが粘土化したかたまり(右)。
露頭のほうでは直に確認していないが、露頭の延長を掘りこんで出てきた粘土化したかたまりを崩してパンニングすると砂白金(浜白金)が得られる。粘土化したところでも礫は頑丈なままなので礫以外の部分(マトリックス)に浜白金が含まれていると思われる。
 
自分で採集したものと斎藤氏から提供された砂白金を持って内地に戻る。研究はここから実験室内での作業へと進む。砂白金を本格的に調べるためには、研磨片を作る必要がある。それは砂白金をスライドガラスの上に樹脂で固定し、平面が出てピカピカになるまで研磨する工程になる。このとき砂白金が大きいと実はかなり困る。特に北海道の砂白金の多くは硬いため、数ミリもあると研磨片の作成が難しく時間もかかる。それに、数ミリもある砂白金を消し飛ばすように加工する作業はやりながら心が痛くなる。技術的な問題と気持ちの問題の両方をクリアしたのが浜白金だった。たくさん採れる0.数ミリの粒ならいくら消えても悲しくない。またそのくらいのサイズになると硬いとはいってもその抵抗はたかが知れており、浜白金なら研磨片は数分で作れる。浜白金は収集物とするには物足りないが、調べるにはうってつけなのでたくさん調べた。その結果として、苫前町海岸から新鉱物が二つ見つかったのだった。
 
透過・反射顕微鏡
透過光と反射光の両方が組み込まれている顕微鏡。ジャンク品を3つほど買い集め、必要なパーツをとって一台の顕微鏡として組み直した。写真のものは30年以上前に製造された顕微鏡で、有限遠光学系という古いタイプの設計だが問題なく良く見える。
 
砂白金をはじめ、金属鉱物はまずは反射顕微鏡で観察することがセオリー。反射顕微鏡は研磨面に垂直に光を当ててその反射光を観察するタイプの顕微鏡であり、光学的性質でモノを識別する。観察では主に色と形に注目する。反射色や干渉色はモノの違いをよく現し、形や周りとの関係は晶出順序のヒントを与えてくれるように、昔から反射顕微鏡による観察は、特に金属鉱物の研究には欠かせない手段となっている。反射顕微鏡に限らず顕微鏡を正しく使いこなすことができるようになると、分析せずとも確度の高い鑑定ができるようになる。
 
蝦夷地鉱ほか / Ezochiite etc.
蝦夷地鉱を含む砂白金(初山別川産)の反射顕微鏡写真。
狭い範囲にブラッグ鉱やトリーウェイゼル鉱といったレアもの白金族鉱物と共存している。いずれも非常に小さいが白金族鉱物としては実は標準的なサイズ。
 
私が砂白金の研究に手を付ける前までには日本産の白金族鉱物は15種ほどしか知られていなかった。世の中で知られている(名前のついている)白金族鉱物はだいたい160種なので、これはかなり少ないなという印象。白金族鉱物の母岩となる超苦鉄質岩に海外と日本で違いがあることが一つの要因なのだろうが、探し方の問題かもしれないと感じた。探し方にはたいていコツがある。それを模索しながら手を付けて数年。そして、今の段階では日本産の白金族鉱物は70種くらいまで増えている。なんだ、日本もたくさんあるじゃないか。すべての白金族鉱物種の半分くらいまでは行ってほしい。とりあえず現時点で判明している白金族鉱物を一覧にして下に出してみる。産地はここでは北海道や熊本とだけ記した。産地の詳細は学会発表や論文でいずれ明らかにしようと思う。
 

  1. 砒パラジウム鉱(Arsenopalladinite: Pd8As3): 北海道、熊本
  2. バウィー鉱(Bowieite: Rh2S3): 北海道、熊本
  3. ブラッグ鉱(Braggite: PdPt3S4): 北海道
  4. 承徳鉱(Chengdeite: Ir3Fe): 北海道、熊本
  5. チェレパノフ鉱(Cherepanovite: RhAs): 北海道、熊本
  6. クーパー鉱(Cooperite: PtS)北海道、熊本
  7. 硫銅ロジウム鉱(Cuprorhodsite: (Cu1+0.5Fe3+0.5)Rh3+2S4): 北海道、熊本
  8. ドリエコプ鉱(Driekopite: PtBi: 北海道
  9. エルリッチマン鉱(Erlichmanite: OsS2): 北海道、熊本
  10. 蝦夷地鉱(Ezochiite: Cu1+(Rh3+Pt4+)S4): 北海道
  11. フェロニッケルプラチナ鉱(Ferronickelplatinum: Pt2FeNi): 北海道
  12. フェロトリーウェイゼル鉱(Ferrotorryweiserite: Rh5Fe10S16):熊本
  13. フリート鉱(Fleetite: Cu2RhIrSb2): 北海道
  14. ガルティ鉱(Garutiite: (Ni,Fe,Ir)): 北海道
  15. ゲンキン鉱(Genkinite: Pt4Sb3): 熊本
  16. ゲバース鉱(Geversite: PtSb2): 北海道、熊本
  17. 六方鉄鉱(Hexaferrum: (Fe,Os,Ru,Ir)): 北海道、熊本
  18. ホリングワース鉱(Hollingworthite: RhAsS): 北海道、熊本
  19. ホンシ鉱(Hongshiite: PtCu): 北海道
  20. 輝イリジウム鉱(Irarsite: IrAsS): 北海道、熊本
  21. 砒イリジウム鉱(Iridarsenite: IrAs2): 北海道
  22. 自然イリジウム(Iridium: Ir): 北海道、熊本
  23. イソフェロプラチナ鉱(Isoferroplatinum: Pt3Fe): 北海道、熊本
  24. イソマーティー鉱(Isomertieite: Pd11Sb2As2): 北海道
  25. カシン鉱(Kashinite: Ir2S3): 北海道
  26. キースコン鉱(Keithconnite: Pd20Te7): 北海道
  27. キングストン鉱(Kingstonite: Rh3S4): 熊本
  28. キタゴハ鉱(Kitagohaite: Pt7Cu): 北海道
  29. クヴァエフ鉱(Kuvaevite: Ir5Ni10S16): 北海道、熊本
  30. ラウラ鉱(Laurite: RuS2): 北海道、熊本
  31. マラン鉱(Malanite: Cu1+(Ir3+Pt4+)S4): 北海道
  32. マスロフ鉱(Maslovite: PtBiTe): 北海道
  33. マーティー鉱(Mertieite: Pd8Sb2.5As0.5): 北海道
  34. ミアス鉱(Miassite: Rh17S15): 北海道、熊本
  35. 三千年鉱(Michitoshiite-(Cu): Rh(Cu1-xGex) : 熊本
  36. 皆川鉱(Minakawaite: RhSb): 北海道、熊本
  37. モンチェ鉱(Moncheite: Pt(Te,Bi)2): 北海道、熊本
  38. ナルドレット鉱(Naldrettite: Pd2Sb): 熊本
  39. 直方銅プラチナ鉱(Orthocuproplatinum: Pt3Cu): 北海道
  40. 自然オスミウム(Osmium: Os): 北海道、熊本
  41. パラディン鉱(Palladinite: PbO): 熊本
  42. 自然パラジウム(Palladium: Pd): 北海道
  43. パラドディム鉱(Palladodymite: Pd2As): 北海道
  44. 輝プラチナ鉱(Platarsite: PtArS): 北海道
  45. 自然プラチナ(Platinum Pt): 北海道、熊本
  46. ポルカノフ鉱(Polkanovite: Rh12As7): 北海道
  47. 擬マーティー鉱(Pseudomertieite: Pd11(Sb,As)4): 北海道
  48. 砒ロジウム鉱(Rhodarsenide: Rh2As): 北海道
  49. ルステンブルグ鉱(Rustenburgite: Pt3Sn): 北海道
  50. 砒ルテニウム鉱(Ruthenarsenite: (Ru,Ni)As): 北海道
  51. ルテニイリドスミン(Rutheniridosmine: (Ir,Os,Ru)): 北海道、熊本
  52. 自然ルテニウム(Ruthenium: Ru): 北海道
  53. スケアガード鉱(Skaergaardite: PdCu): 北海道
  54. ソボレフスク鉱(Sobolevskite: PdBi): 北海道
  55. スペリー鉱(Sperrylite: PtAs2): 北海道、熊本
  56. 安パラジウム鉱(Stibiopalladinite: Pd5Sb2): 北海道、熊本
  57. スティルウォーター鉱(Stillwaterite: Pd8As3): 北海道
  58. スタンプ鉱(Stumpflite: PtSb): 北海道
  59. 田村鉱(Tamuraite: Ir5Fe10S16): 北海道、熊本
  60. テルルパラジウム鉱(Telluropalladinite: Pd9Te4): 北海道、熊本
  61. テトラフェロプラチナ鉱(Tetraferroplatinum: PtFe): 北海道、熊本
  62. トロフカ鉱(Tolovkite: IrSbS): 北海道
  63. 苫前鉱(Tomamaeite: Cu3Pt): 北海道、熊本
  64. トーンロス鉱(Törnroosite: Pd11As2Te2): 北海道
  65. トリーウェイゼル鉱(Torryweiserite: Rh5Ni10S16):熊本
  66. トラミーン鉱(Tulameenite: Pt2CuFe): 北海道、熊本
  67. バシル鉱(Vasilite: (Pd,Cu)16(S,Te)7): 北海道
  68. ヴィンセント鉱(Vincentite: Pd3As): 北海道
  69. ウソツキ鉱(Vysotskite: (Pd,Ni)S): 北海道
  70. ザッカリニ鉱(Zaccariniite: RhNiAs): 北海道
  71. ツヴィアギンツェフ鉱(Zvyagintsevite: Pd3Pb): 北海道
  72. _

 
さて、これだけ多種類の白金族鉱物が見つかっているが、砂白金として単独の粒子で得られるものは少ない。自然イリジウム、自然オスミウム、自然ルテニウム、ルテニイリドスミンは北海道では単独の粒子として得られる。イソフェロプラチナ鉱もまた単独の粒子として得られ、北海道ではあまり多くないが熊本では多産する。その一方で自然プラチナの産出は北海道、熊本ともに極めて少なく、単独の粒子で存在することは実はめったにない。そのほか、トラミーン鉱、テトラフェロプラチナ鉱、フェロニッケルプラチナ鉱、承徳鉱などは主に砂白金粒子を覆う、もしくは付着するといった産状で、実体顕微鏡なら観察できる。それからラウラ鉱とエルリッチマン鉱なら熊本でわかりやすいものが産出し、皆川鉱、三千年鉱、硫銅ロジウム鉱もまた熊本で砂白金のコブとして伴われるため、実体顕微鏡があれば捉えることができる。しかし、それ以外となるとほとんどが非肉眼的な微小な包有物として産出し、多くがせいぜい10μm程度の大きさでしかない。10μmとは0.01ミリである。あまりにも小さいと思うだろう。しかし、この程度の大きさが実は白金族鉱物の世界標準。そのために世の中の鉱物の情報を網羅するMindatであっても白金族鉱物は写真が載っていないことが多い。白金族鉱物は約160種という大きなまとまりでありながらも、その姿はベールに包まれており、まるで秘密結社のような集まりでもある。たとえば100以上の地域で産出が記録されている普通種であってもその姿を知る者が誰もいなかったりする。白金族鉱物はどんな産状で現れてどんなツラをしているのか。それがまとめて見られると良いのだが・・
 
同人誌
なかみ
無いなら作ればいいということで、しまうまプリントを利用してとりあえず作ってみた。冊子のサイズや印刷の質を選べるのが良い。せっかくなので白金族鉱物だけでなく砂金や関連鉱物、命名由来や小ネタ、コラムも入れて遊んでいる。あまりにもニッチな72ページの試作品。
 
作ってみたらけっこう便利。こうやってまとめて白金族鉱物を眺めて見てみたかった。A5サイズにして顕微鏡のそばに置いとくとハンドブックとして観察の参考にもなる。そして肝心の蝦夷地鉱であるが、その産状はだいたい固定されているため候補をみつけるところまではそんなに難しくない。蝦夷地鉱は必ずイソフェロプラチナ鉱の包有物として産出する。一方で一粒だけがすっぽり含まれるということがあまりない。ほとんどのケースで円形から楕円形集合の構成鉱物の一つとして含まれる。(楕)円形集合は蝦夷地鉱のほかに、黄銅鉱、ブラッグ鉱、バシル鉱、ウソツキ鉱などが伴われやすい。そしてブラッグ鉱、バシル鉱、ウソツキ鉱は蝦夷地鉱と判別しにくいほど光学的性質がよく似るが、並んで産出すると蝦夷地鉱のほうがやや色が濃いことから鑑定できる。また共生関係はそのままに構成鉱物の量比はモノによってけっこう異なり、蝦夷地鉱が大半を占める(楕)円形集合が存在する。究極的には分析する以外には完全に見分ける手はないものの、反射顕微鏡でおおよそのあたりをつけることができるのはありがたい。一家に一台、顕微鏡。あってもいいと思う。蝦夷地鉱や関連鉱物の反射顕微鏡写真をいくつか下に挙げる。
 
蝦夷地鉱 / Ezochiite 
蝦夷地鉱はイソフェロプラチナ鉱の包有物として産出する。ひとつの包有物が蝦夷地鉱だと、周りの包有物も蝦夷地鉱。苫前海岸産。
 
硫銅ロジウム鉱 / Cuprorhodsite
硫銅ロジウム鉱は蝦夷地鉱の鉄-ロジウム置換体に相当する。産状と色かたちは蝦夷地鉱と全く同じであるため見た目で区別できない。その一方で蝦夷地鉱と硫銅ロジウム鉱が共存することはなかった。必ずどちらか一方しか含まれない。苫前海岸産。
 
田村鉱&マラン鉱 / Tamuraite & Malanite
マラナ鉱は蝦夷地鉱のイリジウム置換体に相当する。世界的に産出は稀ではないが、日本では極めて稀で、蝦夷地鉱よりも見かけることが少ない。マラナ鉱は蝦夷地鉱や硫銅ロジウム鉱と異なり単独の粒子がイソフェロプラチナ鉱に包有される。近くには田村鉱が伴われることがある。小平町海岸産。
 
このたびの蝦夷地鉱は苫前町海岸の砂白金から得られたが、北海道内に産地はいくらかある。また、蝦夷地鉱は日本のもう一つの砂白金鉱床である熊本からは産出しないので北海道を現す名前はなかなか良かったと思う。そしてこれから日本の白金族鉱物がどうなるかというところだが、種類については確実にまだ増える。一覧表には掲載していないが、追加であと20種ほど名前がついていない白金族鉱物が見つかっている。それらが日本産の新鉱物となるか、海外で先にまとめられて日本新産というかたちに落ち着くか。それはつまり新鉱物としてのデータを取得できる標本が得られるかどうかである。どんなに小さくとも苫前鉱や蝦夷地鉱くらい濃集して出てきてくれるなら何とかなる。そうであれば手持ちの砂白金なぞ全部潰して探す。くらいの気概でやっていきたいが、でかい砂白金はやっぱり手も心もしんどい。まずは浜白金からで。

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IMA No./year: 2022-080
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49762)
 
群馬石 / Gunmaite
 
(Na2Sr)Sr2Al10(PO4)4F14(OH)12
 
New structure type
 
群馬県桐生市津久原
 
Nishio-Hamane D., Yajima T., Ohki Y., Hori H., Ikari I., Ohara Y. (2022): Approved by CNMNC on November 2.
 
群馬石 / Gunmaite
群馬石の写真
 
群馬県桐生市津久原からの新鉱物、グンマー石ならぬ群馬石である。この産地名にすでに聞き覚えがある人もいるだろう。ここは桐生石の産地でもあり、群馬石は桐生石に引き続いて当地から発見された二番目の新鉱物になった。それにしても今回は当初から頭を抱えることが多く、たびたび跳ね返され手を焼いた。そして、名前を付ける段になんとかたどり着いたときには「これもうグンマーだよな」などと説明しがたいよくわからない心情になっていて、誰に相談することもなく一人で勝手に群馬石に決めてしまっていた。心にググっと群馬石。でもまあ桐生石が先にあったためどちらも地名ということでバランスは取れている。
 
心情のまま名付けてしまった群馬石。この「群馬」という名称は古い時代の名乗りに由来している。この辺りは古代では上毛野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに等)と呼ばれており、その中に(くるま)と呼ばれる地域があった。それは当時の行政区域の単位としては評(こおり、ひょう)というまとまりであり、車評という地域名になっていった。その後、大宝律令(710年)が制定された際に評から郡(こおり)への改訂があって車郡となり、奈良時代のはじめごろに二字の好字で地名を表すことになったとき群馬郡(くるまのこおり)に改名されたと推測されている。その字面からして往時は馬の産地であったのだろう。そして「くるま」の読みは江戸時代まで使われており、「ぐんま」と読むようになったのは明治期以降。グンマーと言い出したのはかなり最近のことで、それは群馬県の秘境感を印象付けるネットスラングである。しかしどういうわけかしっくりくるし、おそらく広く受け入れらている。地元の上毛新聞には「グンマー」のカテゴリーがわざわざ用意されているし、SNSでは「#グンマー」もたくさん投稿されている。いっそグンマーを正式名称にしちゃえばいいのに。
 
さて、群馬石や桐生石につながった一連の研究は津久原鉱山跡から産したゴヤズ石から始まっている(桐生石の項を参照)。これは小原氏からの依頼がきっかけだったので私にとっては小原氏が起点だったが、その前があったことを後に知った。今回は小原氏よりも前にあった出来事に触れながら述べていこうと思う。
 
2005年のこと。その当時に壮年だった(今では中年の)愛石家、伊藤剛氏と高橋秀介氏は、地質調査月報の報文[1]を参考にして「石英脈中の(層状マンガン鉱床からでない)マンガン重石」を求めて、津久原鉱山跡にたどり着いた。彼らはそこで狙い通りにマンガン重石を得たほか、今でいうところのゴヤズ石を採集した。それは国立科学博物館へ送られ、ゴヤズ石(SrAl3(PO4)(PO3OH)(OH)6)に近いがアルミニウム(Al)とリン(P)が少し足りないという結果が得られた。これについて電子線による分析では検出が困難な軽い元素が含まれている可能性が考えられたようだ。そして松原先生はこのゴヤズ石を博物館の館報に記載したい旨を伊藤・高橋氏に伝え、彼らも了承したものの、ゴヤズ石が館報に載ることはついになかった。そして何の発表もなかったからこそ2013年に小原氏が当地を訪れてゴヤズ石を再発見して記載した。それが桐生石や今回の群馬石までつながっていくのだから、端緒となった両氏をみるとちょっとおやげない展開といえるかもしれない。まあ私が悪いわけではないが。
 
ゴヤズ石 / Goyazite
2005年時に得られたゴヤズ石
透明感があってほどよく色づいた端正な形をしており、標本としてはわかりやすい。しかし、研究対象としてこれはなかなかの困りもの。
 
最近になって当時の標本を伊藤氏から送ってもらい、それを調べてみた。すると電子顕微鏡写真で累帯構造が観察された。外形の白いコントラストはセグニット石(Segnitite: PbFe3+3(AsO4)(AsO3OH)(OH)6)であり、セグニット石を伴う結晶は写真のように黄色を帯びる。中身についてはじめは均質に見えていたが、装置を調整してコントラストを強めると霜降り肉のように細かく模様が入り乱れている様子が見てとれた。これは実はゴヤズ石と別の鉱物(ゴヤズ石様鉱物としておく)がナノスケールで入り混じっているせいである。そしてゴヤズ石様鉱物が混じっているからこそ組成式を組み立てようとすると、ゴヤズ石としてまとめていいのかとちょっと悩む程度にズレる。また、ゴヤズ石とゴヤズ石様鉱物は粉末X線回折ピークに共通するものがかなり多い。つまり分離・区別できない。こうした事情から「ちょっと変だけどゴヤズ石」という違和感の残る結論に落ちざるを得なかっただろう。そのために松原先生は館報への記載をためらったのかもしれない(ほかの事情かも)。その後、幾人もがこの場を訪れて標本を採集したようだが、伊藤・高橋氏らは他の方とは現地状況について話が食い違うことが多かったようで、皆がそれぞれ複数ある石英脈の別の部分を採ったと彼らは推測している。それはまず間違いなくその通りだと思う。加えて、伊藤・高橋氏の採った2005年の結晶は始末に負えないヤツで、後年に小原氏の採ったものはわりと素直なヤツだったと思われる。
 
2005年ゴヤズ石の組成像
2005年の伊藤・高橋ゴヤズ石の走査型電子顕微鏡写真(組成像)
コントラストの違いが組成の違い(≒モノの違い)を示しており、複雑に細かく入り乱れている様子が見てとれた。おそらくこの像で見えているよりも小さいスケールでも入り乱れていると思われる。調べるうえではかなりたちが悪いと言える。
 
その後、林道工事が進んだこともあって、さらに奥地で新鉱物・桐生石が見つかったところまでが昨年の話になる。そして、そろそろ論文を書かなければと思っていた2022年明け、桐生石のあった脈よりもちょっと奥でゴヤズ石が見つかったと小原氏から連絡が入った。母岩をみるとそれは白雲母の芋。これは昨年の現地調査の時に桐生石脈よりちょっと上で見かけた粘土脈中のものであろう。ふーん、そこにも出てくるのか。そう思った程度で分析に進み、そして頭を抱えた。
 
群馬石 / Gunmaite
白雲母芋の中から出てきた六角板状の結晶
まるでドロップを思わせる姿かたち。これはゴヤズ石もしくはバリウム(Ba)置換体のゴルセイ石だろう。まあ分析すれば簡単にわかると思っていたが・・
 
結晶はやや黄色を帯びた六角板状で、一部はロゼット状に集合している。黄色の原因は表層のセグニット石もしくはキントレ石(Kintoreite: PbFe3+3(PO4)(PO3OH)(OH)6)なので、これはいままで見てきたいわゆるゴヤズ石の標本とかわらない。問題はその中身。伊藤・高橋ゴヤズ石を上回る凶悪な累帯構造があらわれた。モブと思ってエンカウトしたらラスボスだったくらいの衝撃。一目見て唖然・・。ここまでめちゃくちゃなヤツにであったことがなかった。それでも少しずつ分析を始め、暗いコントラストの部分だけからナトリウム(Na)が検出されることが分かった。暫定的な化学組成を組み立てると新鉱物(=のちの群馬石)の可能性がみえたものの、すぐ敗退。どうにもできなかった。これは難物である。小原氏には新鉱物だけのすなおな結晶があればできるかもと伝えた。さすがに難しいだろうと思いながらも万が一を期待していた。
 
群馬石を含む結晶の組成像
群馬石を伴う結晶の走査型電子顕微鏡写真(組成像)
この結晶は光学顕微鏡ではほぼ一様なものに見えていた。しかし、電子顕微鏡で見える累帯構造はすさまじく乱雑。第一印象は2Dロールプレイングゲームのラスボス。群馬石はこの写真で中央から下にある暗いコントラストの部分。
 
この標本が採集されたとき、小原氏のほかには大木良弥氏と堀浩文氏が同行していた。彼らは一連の脈で異なる場所にとりついていたようで、採集された結晶の様子がわずかばかり異なっていたと言う。そこで各々に標本を提供してもらって、それらを色や形状でざっと分類して調べ始めたところでやはりラスボス。太刀打ちできずにほとんど返り討ちにあった。いずれも累帯構造が複雑に入り組んでいて手が出せない。結局、結晶がむやみに消費されるばかりだった。ただ群馬石は必ず存在するので引くに引けない。それでも限界がきて、もうムリ・・と根を上げる寸前で大木氏提供の標本からギリギリいけるかもという結晶が見つかった。その結晶は無色の六角板状。それを走査型電子顕微鏡で観察した時、群馬石となる部分がこれまでと異なって結晶の外側に位置していた。これなら何とかできるかもしれない。群馬石である部分は数十μm程度しかなかったが、慎重に切り取って構造解析に進むことができた。あと少しで倒せる。そう思ったが結果を受け取ったときまた頭を抱えた。
 
群馬石 / Gunmaite
模式標本となった大木氏提供の標本。この標本についている結晶だけは群馬石が外周を構成しており、それは何とか分離できる組織だった。
 
構造解析は物性研の矢島氏にお願いし、出てきた結果はとても信じがたい内容だった。格子定数のc軸が50Åもあり、これは構造が解明されているリン酸塩鉱物としてはたぶん史上3番目くらいに大きい。1番2番の鉱物は全く参考にならなかったため、前例がない問題に向き合わなければならなかった。ラスボスが変態を遂げて最後の課題をぶつけてきた。構造モデルをちゃんと解明しないと新鉱物申請はできない。それでいったん嫌になって現実逃避でゴヤズ石の標本やその結晶構造を眺めていたらなんかひらめいた。ちぎっちゃえ。ゴヤズ石の構造をいくつか用意して、その一部をちぎって並べてみたら何となく雰囲気が似てくる。そして構造の隙間にナトリウムをぐいっと押し込めばおおむね群馬石構造になるではないか。基本的な骨格がゴヤズ石と共通なのだから、外観もあたりまえにほぼ同じ。これで群馬石の全容が解明された。ここまで苦しかったがなんとかやっつけた。そして最後の〆で名前を決めるとなったとき、グンマーが自分の中でしっくりきた。今回は秘境の中でふいに遭遇したラスボスを倒して宝物(=新鉱物)を手にしたような心持ち。そして秘境≒グンマーだと(無礼)。群馬石の学名(Gunmaite)を私はグンマーアイトと発言するだろう。それではグンマーアイトの標本をいくつか並べよう。
 
群馬石 / Gunmaite
群馬石 / Gunmaite
群馬石 / Gunmaite
群馬石 / Gunmaite
群馬石 / Gunmaite
いろいろな姿かたちのグンマーアイト
六角板状が基本だが、球状の集合体もある。黄色に色づいているものが見つけやすい。
 
まず産地の概要を整理したい。当地でゴヤズ石っぽい六角結晶が産出する脈はおもに三カ所。①鉱山跡脈、②桐生石脈、③群馬石脈。①→③の順で奥にある。そして、鉱山跡脈や桐生石脈に群馬石が出現することは一切なかった。その一方で、群馬石脈からでた結晶には群馬石は大なり小なり必ず伴われハズレなしというように、極端に産出が偏る。つまり、群馬石であるかどうかは群馬石脈から得られた標本かどうか、ただそれだけにつきる。群馬石の母岩は白雲母の芋であった。その芋が石英を含んでおり、水晶となっている部分の隙間に群馬石を含む結晶が産出する。典型的な姿は黄色で六角形。この黄色はセグニット石やキントレ石が結晶の最表層に生じているためであり、厚いほど黄色味が強い。しかし色づいているからこそ視認性は高く、ルーペがあれば現地でも判別できる。無色の六角形もあるがこれは現地では見分けづらいだろう。実体顕微鏡でさえわかりづらかった。群馬石はこうした六角結晶の中心部に存在することが多いが、ごくまれに外側を構成することがある。しかし見たところでそれは全くわからないし、含まれているのなら標本としてはどっちだっていい。ほかに含まれている鉱物はゴルセイ石といわゆるゴヤズ石様鉱物。また、六角ではなく球状の集合体も産出する。これは球の際外層が群馬石できているため、こっちのほうが群馬石の標本として実はふさわしいかも知れない。ただし六角結晶より産出がわかりづらく、蛍石か?とすら思える姿。この球も黄色に染まることがあり、それはやはりセグニット石やキントレ石が原因である。こうなるとかえってわかりやすい。

2度目の現地調査は小原氏と堀氏に案内をしてもらい、向かう前に堀氏のとっておきの標本を見せてもらった。それは丸箱に収まるほどの大きさで、半分に割れた真ん丸の芋の中心には水晶があり、その上に六角形の結晶がコロコロとついていた。見てきた中でこれが標本として最もバランスが良い。よしこれを採ろう。そう心に決めて現地に向かう。現場はやわらかい粘土が発達しておりそこから小芋がいくらでも出てくる。粘土はやはりセリサイトで、口に放り込むとまるで生キャラメルのごとくなめらか。しかし味はしないのでマズイ。それにあとから毒鉄鉱が出てきたのでやるべきではなかった。モノとしては白雲母が主体の白からやや緑の芋で、水晶が混じり込んでいるやつが良い。褐色に汚れている水晶は粗粒なものが多かったがそれに群馬石来ることはほとんどないようで、六角板状結晶あったがそれは白雲母だった。まぎらわしい。紫色の蛍石も少しだけあったが標本とするほどの質ではない。まれに灰色でカッチカチの芋が出てくるが、それはトパーズと石英の塊で特に面白いものは入っていない。日が暮れ、当地を後にして後片付けついでにと立ち話。聞くと、堀氏は愛知県の出身で先般の伊藤剛氏とは同級生だったとのこと。津久原というこの場をあとにする最後の一瞬に、一連の始まりである伊藤氏の名前が出てくるとは思わなかった。それにしても、なんというか、なんといえばいいのか、うーん・・・。
 
とりかぶと
道すがらトリカブトの群生があった。ヤマカガシや大きなヒキガエルにも出会うなどやはりグンマー、森が深い。
 
群馬石は当地のラスボスであり、それをなんとかカタチにするところまで持って行けたのでこれでいったんゲームクリアとしたい。しかし、まだ裏ボスに相当するやつが残っている。それはここまで少しだけ出てきたいわゆるゴヤズ石様鉱物のことである。こいつは確実に群馬石よりも厄介で、なにしろ単独相かどうかすらまだ確信が持てない。なんかおかしいという感覚(データも)がずーっと付きまとっていて、まともに姿を現さないくせにいやらしく刺してくる。伊藤剛氏と高橋秀介氏は最初の犠牲者だったようだ。今回いったんクリアしたとはいえ裏ボス(ゴヤズ石様鉱物)を倒すにはまだまだレベルアップが必要で、強力な武器もほしい。パーティメンバーの追加さえも必要となるだろう。それらが手に入ったとき、私はまたここグンマーの秘境に足を踏み入れるかもしれない。

[1] 林昇一郎, 五十嵐俊雄 (1962) 群馬県勢多地区の放射能調査. 地質調査法月報, 13, 573-582.

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IMA No./year: 2022-065
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49723)
 
浅葱石 / Asagiite
 
NiCu4(SO4)2(OH)6・6H2O
 
Ktenasite group
 
愛知県新城市中宇利鉱山
 
Nishio-Hamane D., Yajima T., Shimobayashi N., Ohnishi M., Niwa T. (2022): Approved by CNMNC on October 3.
 
浅葱石 / Asagiite
浅葱石の写真
 
 
愛知県中宇利鉱山を模式地とする独特な青緑色が鮮やかな新鉱物、浅葱石である。中宇利鉱山と言えば当地の名を冠する中宇利石(Nakauriite)がすでに有名であるが、このたび銘品がさらに一つ加わった。それにしてもしばらくぶりであろう。中宇利石が承認されたのが1976年なので、中宇利鉱山としては46年ぶりの新鉱物になるか。一つの産地から複数の新鉱物が見つかることはままあることだが、40年以上も間隔が空くことはめったにない。しかし、今回に限ってはそのくらいの時間が必要だったように思う。では時系列をたどってみよう。
 
中宇利鉱山の沿革について、伝え聞くところでは銅やニッケルを採掘していた鉱山とされる。ニッケルの利用は明治期以降に始まっているので、一般にニッケル鉱山の歴史はそう古いものではない。ではいつ頃かというのを調べてみると、1979年(昭和54年)の文献には「第二次世界大戦中(1939-1945年)に稼働していた」と書いてあり[1]、同じ著者は1993年(平成5年)には「40年前(1953年)まで稼働していた」と記した[2]。あれ?ズレてる。ほかの文献では「1953年(昭和28年)6月まで数か月試掘された」と記されており[3]、Mindat.には3か月と書いてある[4]。ただ、坑道のひとつは50mほども進んでいるらしいので3か月で至る規模にしてはちょっと大きい。そうしたところで書籍にもう一つ言及があり、「第二次世界大戦中にニッケルを採掘し、戦後の一時期に銅を試掘した」と記されていた[5]。文献からは詳細は分からずじまいだったが、大ざっぱな沿革としてはまあこんなものだろう。
 
中宇利鉱山に限らず、戦時中はニッケル目的の採掘が日本全土で盛んに行われていた。ニッケルは重要な軍事物質だったにも関わらず海外から輸入する道が断たれたからである。そのために商業コストは度外視であった。裏を返すと平時では経済価値に乏しい鉱床にすぎないため、戦後はあたりまえにことごとくが閉山となる。中宇利鉱山も戦後は山中で朽ち果てるのを待つだけだった。しかし、石というのは時間経過とともにたんにボロボロになるのではなく、その過程には様々な化学反応が伴われる。その化学反応はときに新たな鉱物を生み出すことがあり、そうして生まれた鉱物のことを二次鉱物と呼ぶ。そして、後年に中宇利鉱山はさまざまな二次鉱物の産地として注目を浴びることになった。その端緒は中宇利鉱山の近隣に位置する吉川鉱山から産出する白い鉱物だと思う。
 
ダイピング石 / Dypingite
ダイピング石
風化浸食をうけた蛇紋岩の裂傷などに生じることがある。日本では吉川鉱山で最初に見いだされ、すわ新鉱物かと期待されたものの・・
 
吉川鉱山もまた戦時中にニッケルを目的に稼働した鉱山で、中宇利鉱山の数kmほど北に位置する。同じく戦後は放置され、年月を経てその露頭には白色の魚卵状~腎臓状集合の二次鉱物が生成していた。その二次鉱物に注目したのが愛知教育大の鈴木重人だった。1973年(昭和48年)にネスケホン石(Nesquehonite: Mg(CO3)·3H2O)と未知の含水マグネシウム炭酸塩鉱物の産出を報告した[6,7]。1975年(昭和50年)にはそれが吉川石(Yoshikawaite)として学会などで報告され、この時点で新鉱物申請も行っていた旨の記述が認められる[8,9]。しかし吉川石は承認されなかった。吉川石の化学組成はMg5(CO3)4(OH)2·5H2Oであり、これは1970年(昭和45年)に承認されたダイピング石(Dypingite)と同じであった。構造データを比べるとダイピング石と吉川石は区別できるというのが鈴木の主張ではあったが、「だったらダイピング石を調べなおしたらいいじゃない(意訳)」と反論され、後年にやっぱり同じという結果が報告されている[10]。それを見るとデータとしては鈴木のほうがむしろ正しかった。しかし、先に発見・命名されているという優先権はいかんせん強く、ダイピング石の構造データが上書きされたことで決着となった。
 
ダイピング石は吉川鉱山に続いて中宇利鉱山からも見つかり、その際に鈴木はのちに中宇利石となる鉱物について「Namaqualith様鉱物」として産出を報告している[11,12]。そして、1976年(昭和51年)には新鉱物・中宇利石(Nakauriite)が申請され、年内に承認をうけた。中宇利石を発見した功績において、1977年(昭和52年)に鈴木は櫻井賞第14号メダルを受賞している。ただ残念ながら、鈴木が提案した化学組成は間違っていることが今や明白である[13-16]。さらには構造データも誤っている可能性が指摘されるに至り[17]、中宇利石は種の定義の根幹たる化学組成と結晶構造の両方が危うい状況になっている。ここまでだと優先権というものがどの程度の効力を発揮するかわからない。中宇利石を確たる鉱物種にとどめておくには強力なフォローアップ研究が必要になるだろう。
 
中宇利石 / Nakauriite
中宇利石
中宇利石は数ある日本産新鉱物のなかでも際立って美しく、発表当時はセンセーショナルなニュースとして石人界に受け止められたことだろう。
 
でもまあとりあえずその問題は置いといて、中宇利石は愛知県では初めての新鉱物であった。鮮やかなスカイブルーがとても美しく、産状もわかりやすい。中宇利鉱山はたちまち有名になり、そこからようやく産出鉱物がまともに記載されるようになった。蛇紋岩に含まれる初生的な鉱物について、1979年(昭和54年)に当時まだ珍しかったヒーズルッド鉱(Heazlewoodite: Ni3S2)とコバルトペントランド鉱(Cobaltpentlandite: Co9S8)が報告された[1]。戦時中はおそらくこれらを資源としていたのだろう。その後しばらくは何もなかったが、1993年(平成5年)になると菱ニッケル鉱(Gaspéite: Ni(CO3))、ニッケル孔雀石(Glaukosphaerite: CuNi(CO3)(OH)2)、マックギネス石(Mcguinnessite: CuMg(CO3)(OH)2)、ジャンボー石(Jamborite: Ni2+1-xCo3+x(OH)2-x(SO4)x·nH2O [x ≤ 1/3 n; ≤ (1-x)])などの産出が確認されている[2]。今度はいずれも二次鉱物であり、母岩である蛇紋岩の割れ目に着床する被膜として生じていた。初生鉱物であるヒーズルッド鉱やコバルトペントランド鉱、さらには輝銅鉱などが循環地表水と反応して生成したのだろう。1979年(昭和54年)の段階では軽く触れられるにとどまっていた二次鉱物が14年を経て目に見えるほどに成長した、ということでもあるだろう。そして、1993年(平成5年)からさらに約30年を経て令和の時代に突入した今、新たな二次鉱物がひっそりと誕生していた。

ヒーズルウッド鉱 / Heazlewoodite
ヒーズルウッド鉱とコバルトペントランド鉱
肉眼的には一様に見えるが必ずこのペアになっている。
 
輝銅鉱 / Chalcocite
輝銅鉱
方輝銅鉱(Digenite)と言われることもあるが、X線粉末回折データを取ろうとして輝銅鉱をメノウ乳鉢でスリスリすると方輝銅鉱に相転移するため、そうしたデータが元になった産出記録だとほんとうに方輝銅鉱が産出するかどうかはわからない。ここでは輝銅鉱としておく。ジュルレ鉱(Djurleite)のこともあるだろうがよっぽど真面目に検証しないと区別は困難。
 
ニッケル孔雀石 / Glaukosphaerite
ニッケル孔雀石
標本としてはこうしたモコモコしたものがわかりやすいが、のっぺりとした被膜であることも多い。
 
水苦土石 / Hydromagnesite
水苦土石
中宇利鉱山の特産品ではなく風化した蛇紋岩には非常によく伴われる二次鉱物。
 
アルチニ石 / Artinite
アルチニ石
これも蛇紋岩の風化に伴って典型的によく生じる二次鉱物。
 
カズナクト石 / Kaznakhtite
カズナクト石(Kaznakhtite: Ni6Co3+2(CO3)(OH)16·4H2O)
中宇利鉱山のジャンボー石とされる標本はこのような色かたちをしている。そしてこうした標本のうち、硫黄が全く検出されずニッケルとコバルトの比率がきっちり3:1でぶれないものがある。それはジャンボー石ではなくカズナクト石に該当する。実はロシアで発見されて2021年に承認を受けたばかりの鉱物。

リーブス石 / Reevesite
リーブス石(Reevesite: Ni6Fe3+2(CO3)(OH)16·4H2O)
これは皮膜状のジャンボー石とされる標本で、黄色が強いなーというもの。これもまた硫黄が全く検出されず、鉄がコバルトより多く含まれていた。これはリーブス石になる。
 
デソーテルス石 / Desautelsite
デソーテルス石(Desautelsite: Mg6Mn3+2(CO3)(OH)16·4H2O)
橙色部がデソーテルス石で、中宇利石(青)とアルチニ石(白)を伴う。ジャンボー石、カズナクト石、リーブス石、そしてデソーテルス石はすべてハイドロタルク石超族の鉱物。後半三つは以前には産出が知られていなかった。一方で過去に産出記録のあるジャンボー石にはついに出会うことがなかった。中宇利鉱山の二次鉱物は往時とはまた異なったものに変化してしまっていると思う。
 
平成の終わりから令和に入ったころの中宇利鉱山にはまた変化が訪れていた。1993年(平成5年)に産出報告のあった緑色の菱ニッケル鉱を覆うように、今度は赤~ピンク色の鉱物が成長していた。その独特な色とコバルトペンランド鉱が母岩にいることからそれは菱コバルト鉱と思われていたようだが、調べてみるとコバルトは検出されるものの量は多くなく、鉱物種としてそれは菱亜鉛鉱であった。これまで中宇利鉱山から亜鉛(Zn)を主成分とする鉱物は産出例がないため、まったくの不意打ちでちょっと驚いた。とは言え、これは学会や論文で発表するほどの新規性・重要性はない。写真をホームページで紹介するだけにしていた。
 
菱ニッケル鉱&菱亜鉛鉱 / Gaspéite&Spherocobaltite
菱ニッケル鉱(緑色)と菱亜鉛鉱(ピンク色)
菱亜鉛鉱は皮膜状の菱ニッケル鉱の上に生じており、菱亜鉛鉱は明らかに後発の生成。

さて。鉱物を採集するだけでなく自ら科学的に検証する市井の愛石家は昔から少なからずいて、そうした方が自ら新鉱物を発見することがある。今回もそうだった。2020年(令和2年)も末のこと、丹羽健文氏はピンク色被膜の上に生じたガラス光沢を示す青緑色の鉱物を採集し、自らラマン分光法という手法でそれを調べた。そして亜鉛を含む二次鉱物であるクテナス石(Ktenasite)の可能性が浮かんだところで電顕室のホームページでピンク色被膜が菱亜鉛鉱ということを知り、その上に生じるのなら妥当だと納得した。続いて、クテナス石である確証(化学組成と結晶構造)を得るために詳細の検討が京都大学の下林氏に依頼され、化学組成分析によって亜鉛の存在が確認されると共に、ニッケル(Ni)もまた多く検出された。そしてこの少し前、クテナス石の化学組成の定義が変わっていた
 
Ktenasite
クテナス石(ノルウェー産)
ギリシャで最初に見つかった鉱物で、ヨーロッパには産地が多いものの日本にはなぜか少ない。
 
クテナス石はもともと(Cu,Zn)5(SO4)2(OH)6·6H2Oという化学組成式で表現されていた。こういった書き方だと「銅(Cu)と亜鉛(Zn)が結晶構造の中で同じ場所にあってかつ銅が多い」と解釈される。これだと他の元素が銅より多くならなければ新鉱物にはならない。しかし事情が変わっていた。研究が進んだ結果として、クテナス石の化学組成式はZnCu4(SO4)2(OH)6·6H2Oへ改訂されていた。それが2019年(令和元年)のことで[18]、銅と亜鉛は結晶構造内で別の場所にいることが判明した結果だった。そうなると亜鉛を別の元素が置き換えたならば新鉱物になる。そうして丹羽氏の採集した鉱物の組成をあらためて眺めると、明らかに「ニッケル>亜鉛」の組成であり、クテナス石のニッケル置換体として新鉱物の可能性が浮かんでいた。

一方で、事態は急を要していたとも言える。丹羽氏がその鉱物を見出した2020年(令和2年)、実はすでにオーストラリアの研究チームによってクテナス石のニッケル置換体の研究が進められていた[19]。そして、下林氏から私のところへ詳細を詰めてほしいという依頼があったのが2021年(令和3年)の12月。これはもはや手遅れかと思いきや、この時点でもクテナス石のニッケル置換体はなぜかまだ申請されていなかった。なにか問題があって進んでいないのだろうか。わざわざ論文に検討中である旨を記したあたり、唾をつけているのだから手を出すなという意味合いなのかもしれない。だが断る。新鉱物は競争であり、本来だまってただ申請書を出せばいい。さあ間に合うか。我々の申請書は2022年(令和4年)6月に提出され、クレームもなく受付された。どうやら優先権争いには勝ったようだ。今回は物性研の矢島氏と愛石家の大西氏の協力も得て申し分のないデータがそろっていたため、そこに不安は全くない。しかし、ひとつ読めないことがあった。新鉱物は鉱物学的データと名前(+理由)、そのどちらもが審査を受ける
 
このたび申請した新鉱物、その名を浅葱石(Asagiite)という。実はこの名前がどうなるか読めなかった。新鉱物の名称は学術関係者や産地にちなむことが多く、奇抜な由来は撥ねられる。そして浅葱石の由来は「浅葱色」であった。浅葱色(あさぎいろ)とは蓼藍(たであい)で染めた明るい青緑色を指し、それを薄い葱(ねぎ)の葉にちなんでそう呼んだ。平安時代にはその名が見られる日本古来の伝統色となっている。そして、色にちなんだ鉱物名はたしかに過去に例がある。ただ、それらはギリシャ語やラテン語が元となっており、分類学という古典的な性格からしてそういった古いヨーロッパ言語は好まれる。しかし、今回はヨーロッパ言語とは縁もゆかりもない日本語での色表現を由来としており、当然、記載鉱物学史を振り返っても過去に例がない。そんなところで丹羽氏は浅葱色をさくっと提案してきた。そのアイデアは新鉱物申請の経験者からはかえって出ないものだろう。その柔軟で無邪気な発想に乗っかり、初めての挑戦へ向かっていった。
 
浅葱石 / Asagiite
浅葱石(模式標本)と浅葱色の見本(右上)
新鉱物の申請書にはこのように写真に色見本をつけて説明した。
 
そして、2022年(令和4年)10月。浅葱石は満票で承認された。結果的に名称への心配は杞憂に終わった。日本の委員会からのアドバイスに従って浅葱色の見本を写真に挿入したのも功を奏したと思う。こうして中宇利鉱山から46年ぶりとなる新鉱物が誕生したのだった。という流れである。では浅葱石の解説に移ろう。
 
浅葱石 / Asagiite
浅葱石(第二標本)
模式標本とは色合いが違う。これが最初に出てきた標本だったらどういう名前になっていただろうか。
 
浅葱石の標本は二種類ある。というよりまだ二つしか見つかっていない。模式標本は蛇紋岩を母岩として見える範囲には磁鉄鉱や輝銅鉱があった。そして、赤色のやや深い菱亜鉛鉱の被膜があり、その上に浅葱石が生じている。模式標本の浅葱石は不定形な結晶だったが、へき開が完全なのでその部分でチカっときらめく。それはルーペがあれば認識できるサイズで、ガラス光沢を示す透明感のある浅葱色が典型的だった。聞いた話だと中宇利鉱山にはブロシャン銅鉱が産出するらしい。その標本は個人的に見たことがないが、それは紛らわしいかもなと予想する。また、もしそれが菱亜鉛鉱の上に来ているのならもしかするともしかして・・なのかもしれない。また、申請したのちに出てきた第二標本はちょっと色合いが異なり、青みが弱く緑がやや強く出ているため、第二標本が先にあったら浅葱石という名称は提案されなかったかもと感じた。第二標本の浅葱石の下地は一見して褐鉄鉱のように見えるが、やはり菱亜鉛鉱~菱ニッケル鉱であり、その上に生じる点で模式標本と共通する。そのため成因もおそらくは同じと思う。例えば蛇紋岩中に生じたポケット状の亀裂に天水が留まり、まず炭酸塩鉱物が生じ、その後に浅葱石が生成したのだろう。ただし、化学組成について模式標本と第二標本はやや異なっていた。模式標本はニッケル>亜鉛>>コバルトの組成だが、第二標本はニッケル≧コバルト>マグネシウム>亜鉛という組成であった。こうした化学組成の違いがおそらく色に影響している。ちなみに、コバルトが支配的だとゴベリン石(Gobelinite)、マグネシウムが支配的だとフェアー石(Fehrite)という。中宇利鉱山からは浅葱石のほかにはゴベリン石の産出が確認されている[20]。その見た目は第二標本そのものであり、浅葱石かゴベリン石かというのは肉眼で区別はできない。もし見つけたらラベルには両方の名を書いておけばいいだろう。ただし、現地に探しに行くにしても急峻な露頭には近づかないようにしてほしい。坑道が残っていたとしてもそれは絶対に入るべきではない。蛇紋岩はとんでもなく恐ろしい岩石で、叩いた場とはまったく無関係に思っていた後方がいきなりバサッと落ちたりもする。鉱山近くの露頭ではかつて崩落事故があった。それにピンク色の菱亜鉛鉱はすでに姿を消したと聞いている。今となっては手持ちの標本から探すしかなく、それで見つからなければ浅葱石についてはすっぱりあきらめよう。
 
愛知県の新鉱物としてみたとき、浅葱石は中宇利石と白水雲母(Shirouzulite)に続いて3例目。有効な日本産新鉱物というカウントだと浅葱石でちょうど150種になった。それだけあって色を由来としたのは浅葱石のみ。新鉱物にいつも根源名を授けられるとは限らないが、これまでは発想があまりにも硬直化していたようだ。それに気づけたことが今回のよかったところ。これで新しい扉が開いた。
 
 
[1] Matsubara S., Kato A. (1979) The occurrence of heazlewoodite and cobaltpentlandite from the Nakauri mine, Aichi Prefecture, Japan. Memoirs of the National Science Museum (Tokyo), 12, 3-11.
[2] Matsubara S., Kato A. (1993) Gaspeite, glaukosphaerite, mcguinessite and jamborite in serpentinites from Shinshiro City, Aichi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogy, Petrology and Economic Geology, 88, 517-524.
[3] 安形昭夫 (1954) 中宇利銅鉱山およびその付近の銅鉱床について. 地学しずはた, 4, 11-12.
[4] https://www.mindat.org/loc-2191.html
[5] 加藤昭, 松原聰, 野村松光 (1979) 鉱物採集の旅 (5) 東海地方をたずねて. 築地書館, pp.169.
[6] 鈴木重人, 伊藤正裕 (1973) 愛知県吉川産Nesquehonite. 日本地質学会第80年学術大会講演要旨, P246.
[7] Suzuki J., Ito M. (1973) A new magnesioum carbonate hydrate mineral, Mg5(CO3)4(OH)2・8H2O, from Yoshikawa, Aichi Prefecture, JAPAN. The Journal of the Japanese Association of Mineralogists, Petrologists and Economic Geologists, 68, 353-361.
[8] 鈴木重人, 伊藤正裕, 杉浦孜 (1975) “Yoshikawaite”, HydromagnesiteのDTA発熱ピークの解釈. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, P76.
[9] 鈴木重人, 杉浦孜, 伊藤正裕, 都築芳郎 (1975) “Yoshikawaite”愛知県吉川産の含水マグネシウム炭酸塩鉱物の一つ,
[10] Canterford J.H., Tsambourakis G., Lambert B. (1984) Some observation on the properties of dypingite, Mg5(CO3)4(OH)2·5H2O, and related minerals. Mineralogical Magazine 48, 437-442.
[11] Suzuki J., Ito M., Sugiura T. (1976) A new copper sulfate-carbonate hydroxide hydrate mineral, (Mn,Ni,Cu)8(SO4)4(CO3)(OH)6·48H2O, from Nakauri, Aichi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogy, Petrology and Economic Geology, 71, 183-192.
[12] 伊藤正裕, 鈴木重人, 杉浦孜(1975)愛知県中宇利産Namaqualith様鉱物について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 70, 139.
[13] Braithwaite R.S.W., Pritchard R. (1983) Nakauriite from Unst, Shetland. Mineralogical Magazine, 47, 84-85.
[14] Palenzona A., Martinelli, A. (2007) La nakauriite del Monte Ramazzo, Genova. Rivista Mineralogica Italiana, 31, 48-51.
[15] 錦郡雄基, 池内大起, 中野良紀, 小林祥一, 岸成具(2017)岡山県北房地域に産するMgに富むnakauriite. 日本鉱物科学会2017年年会講演要旨集, R1-P09.
[16] Chukanov N.V. and Vigasina M.F. (2019) Some Examples of the Use of IR Spectroscopy in Mineralogical Studies. In Vibrational (Infrared and Raman) Spectra of Minerals and Related Compounds, 1-17.
[17] 錦織雄基, 門馬綱一, 宮脇律郎, 小林祥一, 岸成具 (2018) 岡山県北房産Mgに富むnakuriiteの結晶構造の検討. 日本鉱物科学会2018年年会講演要旨, R2-P03.
[18] Miyawaki R., Hatert F., Pasero M., Mills S.J. (2019) IMA Commission on New Minerals, Nomenclature and Classification (CNMNC) Newsletter 52. New minerals and nomenclature modifications approved in 2019. Mineralogical Magazine 83, 887-893.
[19] Mills S.J., Kolitsch U., Favreau G., Birch W.D., Galea-Clolus V., Henrich J.M. (2020) Gobelinite, the Co analogue of ktenasite from Cap Garonne, France, and Eisenzecher Zug, Germany. European Journal of Mineralogy, 32, 637-644.
[20] 下林典正, 高谷真樹, 浜根大輔, 大西政之, 丹羽健文 (2022) 愛知県中宇利鉱山から産出するゴベリン石およびそのNi置換体. 日本鉱物科学会2022年年会, R1P-12.

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IMA No./year: 2022-002
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49380)
 
ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y)

Y2Ti2O6O

Pyrochlore supergroup

三重県菰野町宗利谷
 
Nishio-Hamane D., Momma K., Ohnishi M., Inaba S. (2022): Approved by CNMNC on April 2.

ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y)
ベタフォ石(褐色)の写真。周囲はタレン石(ベージュ色)。

マダガスカルにその名のルーツを持つ三重県生まれの新鉱物、ベタフォ石(oxyyttrobetafite-(Y))である。年季の入った愛石家ならベタフォ石の名は聞いたことがあるだろう。それもそのはずで、もともとベタフォ石は1912年(明治45年/大正元年)に発表された古典的な鉱物であった。マダガスカルのベタフォ地区から最初に発見されたことから名称が定められ、かつては日本を含め世界各国から産出が報告された。ところが紆余曲折あって、実はこれまでに報告されたベタフォ石のすべてが無効とされている。つまり、今回の新鉱物を申請した時点でベタフォ石の名を冠する鉱物は公式にはひとつも存在しなかった。その状況にあって初めての有効なベタフォ石として承認されたのが今回の新鉱物である。学名はOxyyttrobetafite-(Y)であり、この学名をそのまま和名にすると「イットリウムオキシイットロベタフォ石」もしくは「イットリウム酸化イットロベタフォ石」となるだろう。が、長い、うっとうしい。そこで、この記事ではたんに「ベタフォ石」と呼ぶことにして、必要に応じて「最初の」や「今回の」という修飾語などを用いて区別する。今回は鉱物分類の話から入ろう。

パイロクロア―マイクロ石-ベタフォ石分類の考え方
パイロクロア―マイクロ石-ベタフォ石分類の考え方
「c」が最新の分類・境界線であるが、過去にはこれとは違った考え方もあった。

さて、ベタフォ石はパイロクロアやマイクロ石の仲間である。その違いを簡単に述べると、チタン(Ti)に富むベタフォ石、ニオブ(Nb)に富むパイロクロア、タンタル(Ta)に富むマイクロ石という住み分けである。上の図「a」は化学組成の中間(50%)で種を分ける考え方で、最初のベタフォ石の分析値[1]を紫の星で示した。見てのとおりで、中間で種を分けるなら最初のベタフォ石はそもそも新種などではなくパイロクロアである。ただ、古い時代は化学組成の中間で種を分けることがそもそも共通認識ではなかった。それどころか境界をもっと細かく刻む傾向が強く、ちょっとした差異を過大に喧伝して独立種を主張することもしばしばあった。1912年(明治45年/大正元年)という時代に発見されたベタフォ石もその例に漏れない。最初のベタフォ石は端成分のパイロクロアに比べるとTiに富んでおり、ウラン(U)もまた副成分として多く含まれていた。それらを理由にベタフォ石はパイロクロアとは異なる独立の鉱物だと主張されたのだった[2]。

しかし、時代が下ると上述のような主張は受け入れられなくなる。そこで1977年に命名規約が誕生した[3]。その考え方を図「b」に示している。ぱっと見でベタフォ石の領域が大きいことがわかるだろう。この命名規約は「NbやTa端成分はたくさん報告があるが、Ti端成分はまったく報告がない」ことを理由としてTi(ベタフォ石)を優先することを決めた。今後は2Ti > Nb+Taをベタフォ石にするという宣言であり、最初のベタフォ石の組成であってもこれならばパイロクロアとは別の種として分けられた。しかし、どうだろう。これはベタフォ石ありきとなるよう都合の良い報告を理由としてこじつけただけにも見える。昨今でそんな主張をしようものならむしろ叱られるが、ともかくこれでベタフォ石の定義がいったん固まった。この時代以降は電子顕微鏡による分析が急速に発達・普及したこともあいまって、ベタフォ石の産出は世界中から報告されるようになっていく。

さらに時代が下り、1990年代後半になって鉱物の定義や分類が明文化されると、過去の危うい分類体系・命名規約が見直される機会が次第に多くなっていく。そして、ベタフォ石をみだりに優遇した1977年分類がついに槍玉に挙げられ、2010年に命名規約はまた改められた[4]。このときに登場した新たな分類が図「c」であり、これは化学組成について中間で分けることを提案し、中間ということを価数でも考慮してある。つまり「チタン(4価)とニオブやタンタル(5価)の中間は4.5価」という考え方であり、混合価数の固溶体はこのやり方(Dominant-valency rule)が今では公式に推奨されている[5]。ともかくこの2010年命名規約によって最初のベタフォ石はやっぱりパイロクロアに分類されることが確定した。そして、これまでにベタフォ石を冠していた鉱物も精査され、そのあげくにことごとく一掃される事態が起きている[6,7]。つまりベタフォ石は2010年でいったん消滅した。それでも「ベタフォ石=Ti端成分」という概念だけは有効のままとされ、ベタフォ石は実体がないものの名称のみが生き残った。その後、ベタフォ石の名称を冠する鉱物がまったく存在しない状態が12年も続き、2022年の今になってようやく誕生したのが今回のベタフォ石(oxyyttrobetafite-(Y))である。現状では当然ながらベタフォ石を冠する唯一の鉱物でもある。その化学組成は黄色の星でプロットしてあり、Ti端成分の近くにプロットされる。端成分はちゃんと天然に存在するのだから、1977年分類の根拠になった考え方はやっぱりただの屁理屈に過ぎなかったのだ。

Untitled
パイロクロア型構造
パイロクロア超族の結晶構造にはA, B, X, Yの4つの結晶学的席があり、さまざまな元素の組み合わせが可能で、空孔や水分子すらも許容する。

さて、ベタフォ石はパイロクロア構造を有する鉱物であり、分類としてはパイロクロア超族として括られる。パイロクロア超族はA2B2X6Yという一般式において、BとXの内容でさらに族が細分され、いまのところ、パイロクロア族(B = Nb5+, X = O)、マイクロ石族(B = Ta5+, X = O)、ベタフォ石族(B = Ti4+, X = O)、エルスモア石族(B = W6+, X = O)、ローメ石族(B = Sb5+, X = O)、ラルストン石族(B = Al3+, X = F)、コウルセリ石族(B = Mg2+, X = F)がある。さらにA、X、Yの内容によって個々の種が分けられ、学名のつけ方にまでガチガチの縛りがある。学名はY→A→(B+O)の順で表すことが決められている。今回のベタフォ石を例にとると、Y =酸素(O); oxy、A =イットリウム(Y); yettro、B = チタン(Ti) & X = 酸素(O); betafiteで「oxyyettrobetafite」となる。さらにこれにLevinsonルール[8]が適用されるため、含まれている希土類元素を接尾語で「-(REE)」で追加しなくてはならない。ここではイットリウムなので「-(Y)」となり、yettroと意味が重複するものの、最終的に「oxyyettrobetafite-(Y)」が正式な学名になる。このような命名ルールのためにまるで「頭痛が痛い」ような違和感のある学名にならざるをえなかった。そして、このような決まり事がほかの業界へ浸透するはずもない。例えば今回のベタフォ石の化学組成はY2Ti2O7であり、これに構造名を加えて「Y2Ti2O7パイロクロア」と呼ぶほうがずっと簡単でわかりやすい。実際に「化学組成+構造名」という用法はかなり広く普及しているため、正式な鉱物名が定まったからといって他の分野では使ってもらえるとは限らない。今回のベタフォ石は間違いなくその典型で、記載鉱物学以外の分野では登場しない名称になる。

Cd2Re2O7
実験室で合成されたCd2Re2O7パイロクロア

Hg2Os2O7 Pyrochlore
実験室で合成されたHg2Os2O7パイロクロア

パイロクロア超族の鉱物は今回のベタフォ石を含めて33種類が知られている。これはなかなかの数で、複雑な元素組み合わせや空孔を易々と受け入れる構造の柔軟性ゆえであろう。合成物質に目を向けると、物性物理業界では実にさまざまなパイロクロア物質が開発されている。上に掲載したのは私が所属する物性研究所で研究されているCd2Re2O7とHg2Os2O7の組成をもつパイロクロア物質である。天然物を扱う身からすればこのような珍妙な元素組み合わせは変態的にすら感じられるが、いずれも妖しく美しい結晶となる。今回のベタフォ石の姿はというと、それはまあもうちょっと後で。

ここからは新鉱物との出会いについて述べていく。今回のベタフォ石は共著者の稲葉氏からやってきたのだった。稲葉氏は三重県在住の愛石家であり、今回の新鉱物を含めた三重県産の新鉱物10種のうち7種の発見に携わっている。それほどの稲葉氏であっても三重県菰野町宗利谷から報告された二つの新鉱物、苦土ローランド石(magnesiorowlandite-(Y))と三重石(mieite-(Y))の発見には縁がなかった。そこで稲葉氏は三重県産鉱物を網羅するべく、それらが報告されてすぐさま産地である菰野町宗利谷の探索を始めた。それからしばらくして稲葉氏から標本が送られてきた。たしか2016年の夏のことで、二つの標本にはそれぞれ苦土ローランド石および三重石ではなかろうかというメモが付せられていた。

一つ目標本:苦土ローランド石ほか
稲葉氏から来た一つ目の標本
青矢印:褐簾石、黄色矢印:苦土ローランド石、緑矢印:ガドリン石

一つ目の標本についてはメモ通りに苦土ローランド石を引き当てていた。さすがである。苦土ローランド石は新鮮な場合だとやや緑色を帯びた灰色で、ガラス光沢を示す。破断面は貝殻状に近いようで明瞭なへき開は感じられないものの、形状は板状に見える。他に何もいなければ割ってすぐわかると思う。ただし、周りに褐簾石がいると区別はけっこう悩ましい。褐簾石に典型な柱面が出ていれば判別しやすいが、破断面だとどちらも貝殻状なのであとは色をあてにするしかない。褐簾石のほうがやや色濃く、微妙に褐色が感じられる。また苦土ローランド石については乳白色に変質することがあり、ガラス質の部分をぐるっと取り囲むことも鑑定ポイントだろうか。そのほかにガドリン石も同席することがあるが、これは上の二つとは異質なのでそれはまあ見ればわかる。いずれにしても産状はペグマタイトであり、長石質であった。

二つ目標本:のちに新鉱物・ベタフォ石となる
稲葉氏から来た二つ目の標本
当初は左側の乳白色の部分だけが表に出ていた。後に割ってみると中身は棒状の組織で、そのわきには緑色のガドリン石が来ていることが分かった。最終的に上が模式標本となり、下は分析のために一面を研磨して手元に残した。

さて、二つ目の標本には三重石?というメモがついていた。当初、この標本は上の写真のように割れておらず、赤丸で示した箇所の一部が見えているだけで、調べたがそこは何かの分解物なのか複数相が混合していた。結局よくわからずじまいで、標本は「未同定」の引き出しに収まることになった。分析してもすぐに答えが出ないことは実はそれなりにあって、後になにかのきっかけで事態が動き出すこともある。とは言え、いつ訪れるとも限らないきっかけを永遠に待つこともまたできない。このたびは2021年の春先に引っ越したことを契機にいくらか整理することにした。そうして約5年ぶりに目にしたこの標本には未来がないように思え、それでは処分しようとハンマーで小突いたらきれいに真っ二つに割れた。一部しか見えていない状態では気づきようもなかったが、全体は棒状の集合体だったようで、その中に褐色の粒がまばらに入っている。外周部の緑色はガドリン石にみえるが、さて、褐色粒はなんだ?フェルグソン石か? なんか気になる・・

ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y)
ベタフォ石(oxyyettrobetafite-(Y))の写真。
ベタフォ石はガラス光沢を示す透明感のある不定形な褐色粒として産出する。ベタフォ石が埋まっている基質はタレン石(thalénite-(Y))。褐色粒はほかにエシキン石(aeschynite-(Y))があり、それより黒色の微細粒はトール石(thorite)や方トリウム石(thorianite)で、いずれも見た目での区別は難しい。ベタフォ石は棒状集合の中心付近に集中する傾向がある。

これが今回の新鉱物ベタフォ石であった。処分するつもりで割ったらなんと新鉱物。しかも、かのベタフォ石。マダガスカルにその名のツールを持つ110年前に命名された古典鉱物で、希元素鉱物愛好家ならば知らぬ人のない鉱物でありながら、存在を否定されて幻となった鉱物、それがベタフォ石。その幻がほぼ端成分で日本産の新鉱物として生まれ変わったわけだから、さすがに驚いた。その後にほかの標本を稲葉氏に探してもらってあと数個体だけなんとか見つかり、その標本は稲葉氏と共著者の一人である大西氏に託した。また共生関係として先の新鉱物である苦土ローランド石がいるとベタフォ石はいないようだ。調べた範囲では苦土ローランド石にも褐色粒は伴われるがそれはエシキン石ばかりで、まれにフェルグソン石がいる程度であった。それにしても三重石がついに見つからなかったことは心残りである。

産地である宗利谷は地質図をみると堆積岩にできた谷になっている。近隣には花崗岩が分布しているようだが、現在ではそれが転がってくるような地形になっていない。それなのに、花崗岩ペグマタイトを母岩として三種もの新鉱物が発見されていることは奇妙だと感じていた。それでも実際に訪れてみると河原にはたしかにペグマタイトが転がっている。しかし非常に少なくいずれも小さい。観察や聞いた話なども総合するに、ペグマタイトは現時点で上流に露頭があるのではなく、今の地形になるよりもずっと以前に土砂もろとも堆積し、それが谷地形となった今になってようやく顔をのぞかせたという状況である。これだとおいそれとは石が更新されない。ただ、周囲の植林はよく管理されておりいずれ出荷されるようにみえた。その際は林道が開削されるだろうから、大きな変化はそれに期待することになるだろう。

最後にまた分類の話に戻るが、ベタフォ石についてもう少し述べておく。2010年命名規約はベタフォ石をいったんすべて抹消したが、実在する可能性の高いベタフォ石を二つ挙げている。そのひとつが酸化灰ベタフォ石(oxycalciobetafite)であり、(Ca,□)2Ti2O6Oが理想化学式となる。それはアポロ14号の着陸地点である月のFra Mauro高地で最初に発見されたが、構造データが取得されていなかった[9,10]。そして、酸化灰ベタフォ石は日本からも見つかっており、2012年には愛媛県弓削島から産出が報告されている[11]。ただこれもまた組成だけの報告であって構造データは無い。構造データまで検討された酸化灰ベタフォ石は福岡県糸島市御床のものがある[12]。こうした状況から酸化灰ベタフォ石については実在性がほぼ確実である。もうひとつ実在しそうなのは(U,□)2Ti2O6Oを理想化学組成とする酸化ウラノベタフォ石(oxyuranobetafite)であり[13]、これもまた月(Luna 24 landing site)で見つかったが構造データがないために鉱物種として認められていない。ともかく、ベタフォ石を冠する鉱物が今後に増える可能性は十分にあって、酸化灰ベタフォ石については日本産として誕生するところまであと一歩まで迫っており、それがカタチになることを願っている。

[1] Lacroix A. (1912) Quelques nouvelles observations sur les minéraux uranifères de la province d’Itasy (Madagascar). Bulletin de Minéralogie, 35, 233-235.
[2] Hogarth D. D. (1961) A study of pyrochlore and betafite. The Canadian Mineralogist, 6, 610-633.
[3] Hogarth D. D. (1977) Classification and nomenclature of the pyrochlore group. American Mineralogist, 62, 403-410.
[4] Atencio D., Andrade M.B., Christy A.G., Gieré R., Kartashov P.M. (2010) The pyrochlore supergroup of minerals: nomenclature. The Canadian Mineralogist: 48: 673-698.
[5] Bosi F., Hatert F., Hålenius U., Pasero M., Miyawaki R., Mills S. (2019) On the application of the IMA-CNMNC dominant-valency rule to complex mineral composition. Mineralogical Magazine, 83, 627-632.
[6] Christy A.G., Atencio D. (2013) Clarification of status of species in the pyrochlore supergroup. Mineralogical Magazine, 77, 13-20.
[7] Atencio D. (2021) Pyrochlore-supergroup minerals nomenclature: an update. Frontiers in Chemistry, 9, 713368.
[8] Bayliss P., Levinson A.A. (1988) A system of nomenclature for rare-earth mineral species: revision and extension. American Mineralogist, 73, 422–423.
[9] Meyer C., Yang S.V. (1988) Tungsten-bearing yttrobetafite in lunar granophyre. American Mineralogist, 73, 1420-1425.
[10] 文献[9]はyttrobetafiteという名称で報告したが内容はCa>Yであり、現在の命名規約ではこの組成はoxycalciobetafiteになる。
[11] 大越 悠数, 皆川 鉄雄(2012)愛媛県弓削島産ベタフォ石グループ鉱物. 岩石鉱物科学, 41, 129-132.
[12] 上原誠一郎, 延寿里美, 岩野庄一郎(2013)福岡県糸島市御床産”ベタフォ石-パイロクロア石”の再検討. 日本鉱物学会2013年年会, R1-06.
[13] Mokhov A. V., Kartashov P. M., Bogatikov O. A., Ashikhmina N. A., Magazina L. O., Koporulina E. V. (2008). Fluorite, Hatchettolite, Calcium Sulfate,and bastnasite-(Ce) in the Lunar Regolith from Mare Crisium. Doklady Earth Sciences, 422, 1178-1180.

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IMA No./year: 2021-041
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-48724)
 
桐生石 / Kiryuite

NaMn2+Al(PO4)F3

The Mn2+ analogue of Viitaniemiite

群馬県桐生市梅田町津久原
 
Nishio-Hamane D., Ikari I., Ohara Y. (2021): Approved by CNMNC on August 4th.

桐生石 / Kiryuite
桐生石の写真

群馬県桐生市から見出された新鉱物、桐生石である。私自身はこれまで関東からの新鉱物に縁がなかったので、ようやくたどり着いたという感慨がある。関東の中で群馬県はこれまで最も多くの新鉱物が見つかっている県であり、若林鉱(1969年)からはじまり、長島石(1977年)、鈴木石(1978年)、南石(1982年:後年に亜種へ分類)、アンモニオ白榴石(1984年)が知られている。それから永らく続報がなかったが、群馬県産として6番目で37年ぶりに桐生石が新鉱物として誕生した。こうして並べると気づく人もいるだろう。群馬県の地名が鉱物の名前になったのは桐生石が初めてになる。新鉱物の申請書は猪狩一晟氏と小原祥裕氏との連名で提出された。

桐生については「桐が多く自生する土地」から「桐生」、もしくは「霧が多く発生する土地」から「霧生」が由来だと伝わっている。そして、鎌倉時代に成立した吾妻鏡において桐生の名称は初めて歴史に登場し、桐生六郎なる人物が記された。古来より地名を苗字とする例は多く、想像するに鎌倉時代までには桐生という地名は定まっていたのだろう。今ではその頃の桐生や飛び地も巻き込んでの桐生市であり、群馬県に所属する。そして新鉱物の名前について今回は地名から採用しようと思い立ったところで、候補を考えるものの、発見地を含む集落名ではあまりにも小規模な印象があった。かといって大きく出て県名にすると境目問題とまではいかなくとも沿革が頼りない。境目を気にしないやり方としてはかつての文化圏としての「毛野」があるが、これは呼び名が定まってないことが悩ましい。ともかく地名の候補をいろいろ並べて考え、ここはやはり古来より名が知れて音の響きもよい桐生にしようと最終的に決断して、産地である桐生市にちなんで桐生石と命名した。

産地は桐生市の北東部に位置する梅田町津久原(つくばら[1])にある。その津久原にはかつて鉱山があり、津久原鉱山や梅田鉱山と呼ばれたと伝わっている。そこで地質図Naviを用いて20万分の1地質図(宇都宮)を見ると、一帯にはマンガン(Mn)鉱山ばかりたくさんあるなかで、当地のみタングステン(W)鉱山の印が打たれている[2]。ところがある文献[3]には銅(Cu)や銀(Ag)を目的に採掘されたと記されており、タングステンの記述はない。また別の文献[4]では珪石鉱床とだけあって金属資源には触れられていないなど、文献だけ見るとわけがわからない。それでも当地を訪れてみると、とにかく石英脈に沿って開発が行われていたことが残された坑道から見て取れた。この辺りは付加体(堆積岩)であるが、近隣に花崗岩が貫入しているため全体的にやや熱変成を受けている。鉱床を伴う石英脈も花崗岩の影響で派生したのだろう。ただし、桐生石はかつての鉱山跡ではなく、そこからやや離れた地点に走る石英脈から見出された。そして、その石英脈にはタングステン、銅、銀は伴われず、むしろこの一帯では当たり前のマンガンが伴われていた。そう、桐生石はマンガン鉱物なのである。

前置きはこのくらいにして、今(2021年)から8年前の出来事から述べていこう。今回の話の主人公である小原氏は地質図を参照し、マンガンばかりの中にあって異彩を放つタングステンの印に興味を持ったことで2013年の真夏に津久原鉱山を初めて訪れた。津久原鉱山はこの時点で閉山して久しくあまり注目されていなかったが、水晶が得られる場として知る人ぞ知る産地であった。当地で得られる水晶は群晶となるものの茶色に汚れていることが多く、一般にこういった水晶はいきなりシュウ酸溶液に入れて汚れを除いてしまいがちであるが、小原氏は汚れた標本であっても注意深く観察を行い、ちいさな隙間に二次鉱物が伴われていることに気が付いた。スコロド石、毒鉄鉱や洋紅石が伴われていることが判明し、さらに黄色の六角形を示す見慣れない鉱物がひそんでいた。

褐色に汚れた石英
褐色に汚れた石英
こういった石英はそもそも採集対象にならないか、採集しても観察するまでもなく洗浄されることが多い。そうした手慣れた行動の裏にこそ新しい発見が隠れている、かもしれない。

それから約5年後の2018年春、福島県御斎所鉱山を訪れた際に私は小原氏と知り合った。そのときに津久原鉱山の未詳鉱物のことを相談されたので、ひとまずやってみましょうと答えて、後日にそれがゴヤズ石(Goyazite: SrAl3(PO4)(PO3OH)(OH)6)であることが判明する。ゴヤズ石はこの時点ですでに国内二カ所で産出が知られる鉱物だが、結晶の姿を認識できるゴヤズ石の産出はこれが初めてだろう。結果を伝えて「数年来のもやもやが晴れた」と折り返しの返信があり、栃木県地学愛好会の会報[5]で報告するとのことであった。この会報への掲載が後に迎える展開のきっかけとなるが、この時点で知るよしもなく、その時はともかくこれにて一件落着だと思っていた。

ゴヤズ石 / Goyazite
ゴヤズ石
結晶は黄色に染まることが多く、内部や表面にキントレ石(Kintreite: PbFe3(PO4)(PO3OH)(OH)6)がみられることがある。ゴヤズ石とキントレ石は共に明礬石超族の一員。

私と小原氏が知り合うまでの間、津久原鉱山をふくむ一帯の状況に変化が訪れていた。津久原鉱山の周辺は人工林となっており、出荷や管理のためだろうか、ともかくいつのまにか大規模に林道が開削されていた。小原氏はその噂を聞きつけ、2019年の正月明けに数人の仲間と共に状況確認のため当地を訪れている。そして林道はゴヤズ石が産出した石英脈までわずか2メートルのところを走り、さらに上へ延びていたものの、このときは石英脈や廃石の調査が優先された。ただし六角板状のゴヤズ石はもう見つからなかった。その一方でピンク色の鉱物が現れる。それは数ミリ程度の微小塊に過ぎず、現場では粘土鉱物のモンモリロン石が想定されたが、持ち帰った後の実体顕微鏡観察では菱マンガン鉱やバラ輝石、または紅色の石英のようにも見えた。しかし、どうもそれらとは違いそうで、かといって他に思いつかない。そんな相談を受け、一度手を出した縁もあってそのピンク色の鉱物も調べることにした。

トリプロイド石 / Triploidite
トリプロイド石
ぱっと見でピンク色であるほか拡大するとガラス光沢が観察される。自形結晶はこれまで確認できておらず、塊状のみ。結果的にこれはトリプロイド石であったが、そんなレアもの予想すらしていなかった。

ピンク色の鉱物を一見する。菱マンガンと言われるとそうかもという雰囲気があるが、針で触ると思ったより硬い。しかし石英やバラ輝石ほどではなく、うんうんなるほど、わからん。そこで塊を一つ外して調べたところそれはトリプロイド石(Triploidite)であった。トリプロイド石はマンガンを主成分にもつ含水リン酸塩鉱物で、Mn2+2(PO4)(OH)の化学組成をもつ。トリプロイド石はその名を耳にしたことはあれども、私も含め多くの人が見たことがないという鉱物であり、出てきたところで見てわかるはずもない。その産出はどうやら日本では二番目となるもよう。日本で最初のトリプロイド石は茨城県雪入のペグマタイトから報告されており、今回は堆積岩中の石英脈という違いがある。そのため、分析例をもっと増やして産状や共生鉱物の関連を調べてみたかったが、十分な標本がなくそれはできなかった。この時点で小原氏が確保できていたのは小さな石が5~6個だけだったようで、結果を伝えてから数日後に小原氏は再調査に赴いたものの、もはや産出は途絶えていた。かわりに透明な八面体結晶が採集できたというので調べてみたところ、これもまたゴヤズ石だった。蛍石にしか見えないそのツラ構えは肉眼鑑定に困る。そして2019年の夏頃だったか、トリプロイド石も含めて全体的な結果を益富地学会館が発行する地学研究[6]へ投稿したいと小原氏から連絡が入った。

ゴヤズ石 / Goyazite
ゴヤズ石
このツラなら蛍石だろうと思っていたがゴヤズ石ということで、肉眼鑑定がどうにも難しい。

そこから1年ちょっと何事もなく、2020年の終わりが近づいたころにもう一人の主人公が現れて新たな局面を迎えることになる。小原氏と同じく栃木県地学愛好会の会員である猪狩氏は、会報[5]を読んで津久原鉱山に興味を抱き、仲間と共に2020年の晩秋に当地へ赴いた。そしてまずはゴヤズ石を目的に石英脈にとりついたそうだ。しかし早々に不毛である気配を感じ取った猪狩氏はそこを切り上げてひとり探索へ出る。そうして歩き回っていたところで人頭大ほどの大きさで真っ黒に汚れた石英塊に出くわし、一部を割ると目にも鮮やかなピンク色の鉱物が姿を現した。レアもの、トリプロイド石である。ところが猪狩氏はすました様子で参考程度の少量を回収しただけでその場を離れた。実はこの時点でも地学研究の報文は未掲載だったためにトリプロイド石は知られておらず、現場ではありふれた菱マンガン鉱やバラ輝石だろうと判断された。しかしのちに違和感を覚えた猪狩氏は、会報を記した小原氏にピンク色の鉱物について意見を伺い、それが驚くほど立派なトリプロイド石だと伝えられた。これまでトリプロイド石は数ミリ程度でしかなかったが、猪狩標本は手のひら大の石に数センチのピンク塊が鎮座する素晴らしいものであった。それなのに大半が放置されたままだという。ようやくあわてた猪狩氏は小原氏を伴ってすぐさま当地に赴いた。そして、後日の実体顕微鏡観察で石英の隙間にまた何か見つかったということで、これまでの縁で転石からの標本も私のもとへやってきた。この地点はもはや鉱山とは関係がないため、産地は津久原とのみ記す。

そうしてやってきた津久原の標本には、透明で小さな丸っこい粒、六角形の粒、六角形の板に矢印が打ってある。調べてみるとそれぞれ蛍石、フッ素燐灰石、ゴルセイ石であった。ゴルセイ石(Gorceixite: BaAl3(PO4)(PO3OH)(OH)6)はゴヤズ石のバリウム(Ba)置換体となる鉱物で、その産出は山口県日の丸奈古鉱山に続いて日本では二番目となるだろう。一方でゴヤズ石の時もそうだったが、目に見える結晶として産出するゴルセイ石は津久原が初めてだと思われる。そしてぱっと見でわかるはずのトリプロイド石であったが、それも念のため分析をしてデータを見ているとフッ素(F)がかなり多く検出されることがある。おや? つまりこれはトリプロイド石ではなく、そのフッ素置換体にあたるトリプル石(Mn2+2(PO4)F)である。どうりで蛍石がそばにいるはずですわと納得。トリプル石だと福岡県長垂山に続いて日本で二番目となろうか。しかし、こうなるともはや詳細な分析無しにはどちらか決められないため、ラベルにはトリプロイド石とトリプル石の両方を書いておくことにした。それにしても鉱山跡そばの石英脈とは似つつも少しずつ異なる結果で、これもまたおもしろい。

蛍石 / Fluorite
蛍石
立方体結晶がころっとした球形に集合した姿で産出し、この球を頭にして棒状に伸びることもある。短波長紫外線で蛍光が見られなかった。

フッ素燐灰石 / Fluorapatite
フッ素燐灰石
六角形の粒状結晶。これもまた短波長紫外線による蛍光は見られない。

ゴルセイ石 / Gorceixite
ゴルセイ石 / Gorceixite
ゴルセイ石
六角形の薄板が何枚も重なり合った姿で見られた。上の写真の結晶はゴルセイ石のみであったが、下の写真のほうは累帯構造でゴルセイ石とゴヤズ石からなっており、ゴルセイ石の領域が優勢。組成に飛びがあるので完全固溶体を形成しないのかも知れない。津久原鉱山ではゴルセイ石はまったく見られなかったが、津久原ではゴヤズ石はむしろ少なくゴルセイ石が主体という違いがある。

そうして転石を調べ終わったところで、猪狩氏が露頭を見つけたと連絡が入った。その流れで露頭の石も調べることになったが、その一つには妙な箇所に矢印がついている。矢印は小原氏がつけたものだったが、それは猪狩氏が気になった箇所だと後に聞いた。ともかく矢印は二箇所ある。しかしどちらもそのすぐ先には白い塊があるだけで、それは針でつついた感触からするとただの貧弱な蛍石塊である。蛍石を越えた先にあるピンク色塊は見てわかるトリプル(トリプロイド)石なので、矢印が示すのはやはりこの蛍石か。正直なにが気になったのかわからなかったが、ともかく調べてみることに。そして、それはやっぱり蛍石であった。ただしまったく予想していなかったもうひとつ別の鉱物が検出された。それはヴィータニエミ石(Viitaniemiite: NaCaAl(PO4)F3)と言って、フィンランドを模式地とするリン酸塩の二次鉱物である。世界的にも稀産の部類だが、日本では福岡県長垂山から産出がすでに知られており[7]、津久原は国内で二番目の産地となった。しかしよくよく比べてみれば長垂山のヴィータニエミ石はマンガンをほとんど含まず、津久原のヴィータニエミ石はマンガンを多く含むという違いがある。そして分析点を精査するといくつかの点はマンガンがカルシウムを上回ることに気がついた。ここまで日本で二番目や三番目という鉱物ばかりで、もちろんそれでも十分めぼしい成果ではあるが、もしマンガンが常に上回る結晶や塊があるならばそれは世界初、つまり新鉱物になる。そのことを伝えたのは2021年の正月明けだった。そして地学研究への報文もようやくそのころに掲載となったと後に聞いた[6]。著者の立場を鑑みた一般論として、出版が遅いことは気分の良い話ではない。しかし、今回に限ってそれは怪我の功名というか、塞翁が馬というか。もしこの報文が迅速に出版されていたなら、はたして桐生石が誕生する展開になっていただろうか。

白いガサガサした塊を指す矢印
白いガサガサした塊を指す矢印
針でさわった感触から蛍石であると判断でき、実際にそれはやはり蛍石であったものの、ヴィータニエミ石も混じっていた。あとになって写真に写っているトリプル(トリプロイド)石の中に桐生石+ゴルセイ石の集合体がいることがわかった。

標本の特徴とデータを整理して一定の傾向が見えてきたところで「ぼろっちい石をください」と伝えた。ヴィータニエミ石は二次鉱物なので風化の進行した石に望みをかけたのだった。そうしてやってきたのは透明感が失われてスカスカになったトリプル(トリプロイド)石が伴われる標本であり、狙い通りにその標本からヴィータニエミ石のマンガン置換体が見いだされた。それが桐生石である。桐生石は無色透明かつ不定形で、単結晶となることはほとんどなく、たいていの場合で微小結晶の集合体である。また、単独の集合体となることは少なく、蛍石や燐灰石、さらにはゴヤズ石あるいはゴルセイ石などと混合した集合体となるほうが多い。見た目を簡単に説明すると、いずれの場合であっても白かやや黄色味を帯びたガサガサした物体でしかなく、それを見たところで区別できない。そのため、標本に花を添えてくれているトリプル(トリプロイド)石の状態を当てにしてラベルを書くことになるだろう。上述したようにトリプル(トリプロイド)石がぼろっちいほど、その中もしくは近辺に桐生石やヴィータニエミ石が存在する確率が高い。ただし、桐生石とヴィータニエミ石は組成的に連続し、特に分けられる傾向や特徴はないので両方をラベルに記すことになろうか。一方、トリプル(トリプロイド)石がガラス光沢を保つ場合だと、そばにいる白い物体は蛍石+燐灰石の集合体であることが非常に多いので、これには桐生石のラベルは付さない。いまのところ一個体だけであるが、トリプル(トリプロイド)石中に生じた晶洞に桐生石が立っている姿を確認している。

桐生石 / Kiryuite
スカスカになったトリプル(トリプロイド)石
桐生石はこの写真の中央、裂傷上の白い微粉末の箔状集合体。

桐生石 / Kiryuite
板状に見える桐生石
これも単結晶ではなく微結晶の集合体で、少量のゴヤズ石を伴っている。やや黄色味を帯びるのは他の二次鉱物が含まれるからと思われるが、検出できるほどの量ではなかった。

現地には2021年の春先に赴いたのでそのときの様子も述べていこう。首都圏の緊急事態宣言が解除されるタイミングにあわせて小原氏と猪狩氏に案内をお願いし、猪狩氏とは当日に初顔合わせとなった。準備を整えたあと、猪狩氏の後輩氏も加えた計四人組にて産地へと向かう。まず桐生川を越えて林道へ入った。道すがら津久原鉱山跡の坑道を確認して、少し上へ向かう。そこはゴヤズ石やトリプロイド石を産出した石英脈の露頭であり、足下には砕けた石英が散らばっていた。その一つを小原氏がなにげにひょいと拾い上げたところ、なんとトリプロイド石が付いている。あるじゃないか。しかし、目的地はまだ先ということで早々にその場を後にして林道をさらに奥へ進む。そして猪狩氏が人頭大の転石を見つけた現場にたどり着き、露頭はどこかと上を見て黄色い花が咲いていることに気がついた。枝が必ず三つに分かれる特徴をもつミツマタという低木のようで、かつて桐生和紙の原料になったと小原氏から教わる。そして産地はここから真上の地点だと指をさされたが、こんなところ登りたくない。しかしなんのことはない。道沿いに行けば到着する。

ミツマタの花
ミツマタの花

たどり着いてみると露頭は林道沿いに切り立つ凝灰質砂岩であった。そして、地面すれすれに白い脈が水平方向に走っており、緩い傾斜をもって地面へ刺さっている。脈はやや厚みが変動するがおおむね20cm程度の小規模なもので、大部分は粘土化していた。何気に粘土をほじるといわゆる芋がいくつも出てくる。後で調べたら粘土はセリサイトで、芋は白雲母の塊であった。芋白雲母は個人的には初めてみた。いやいやそれより桐生石であり、それを伴うトリプル(トリプロイド)石はどこだ。それらはこの脈の端っこ、地面に突き刺さるあたりで見られた。しかし、そのあたりから脈は粘土ではなく石英質になっている。つまりくそ硬い。若者二人が汗をかき、それを横目に涼しい顔の小原氏がひょいと道ばたの石を拾い上げたところ、またしてもトリプル(トリプロイド)石が付いている。そこは露頭より上段だったので粘土から落ちてきたのか、もっと上から来たのかと皆で首をかしげる。ともかくそれをきっかけに転石探しが始まり、結果としてむしろ転石から良い標本が得られた。林道はまだ上へと延びていたので、露頭を見ながらひとりぶらぶらと歩く。そして芋を伴う粘土脈は上でもあっさり見つかった。しかし芋はそっくりでもその露頭からはマンガンの気配が感じられない。追い込めばマンガンが顔を出すのか、林道工事の際にすでに切削されたのか、そもそも不毛な脈か。転石はどうかとそこから下を覗くも、こんなところ下りたくない。ともかく産状は把握できた。

芋白雲母
桐生石を産した脈の延長からでた芋(左)、そこよりも上の露頭からでた芋(中)、とりあえず並べたじゃがいも(右)。この芋はほとんど白雲母からなり、そのほかは少量の石英のみ。このようにごろんとしたまとまりで産出する岩石や鉱物は、その形から「芋」や「餅」に例えられる。

ヴィータニエミ石のマンガン置換体を新鉱物・桐生石とする旨の申請書は、国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物・命名委員会(IMA-CNMNC)の委員長へ4月5日に提出された。そして8月4日に承認の連絡を受け取り、桐生石が誕生した。あとは論文という仕上げが残っているがそれは脇役である私の務め。小原氏それから猪狩氏の二人を主人公とする桐生石発見物語はこれにて閉幕となる。

最後に話題を名称のところに戻して補足を加えておきたい。産地である津久原の沿革について文献[1]も参照して次のように解釈している。今の津久原の領域で、桐生川の東側はもともと築原(つくばら)の名乗りであった。そして、桐生川をはさんで西側にあった群馬県山地村の集落がその読みを模倣して、いつしか津久原(つくばら)を名乗るようになっていた。こうした経緯を家制度で例えると、築原が本家で、山地村の津久原は分家だと言えるだろう。そして明治9年の地租改正によって、築原を拠点に「ナンジキ」と「ゐど入」を加えて一つにまとめることが決まり、その区域の新名称を決める際に今度は本家が分家を模倣して津久原を名乗る事態が生じている。互いに名称が模倣された背景として、築原と津久原は生活圏が共通で長い付き合いがあったからだと推測されている。ただし、この明治9年時点で誕生した津久原(かつての築原であり本家)は群馬県ではなく、栃木県上彦間村に所属していた。そのため群馬県の津久原(分家のほう)と栃木県の津久原(本家のほう)が桐生川を挟んで並立していたことになる。その後、明治22年の町村制施行では上彦間村が飛駒村へと名称変更となり、栃木県の津久原(本家のほう)は飛駒村入飛駒に組み込まれた。その飛駒村は昭和31年に栃木県田沼町へ編入となり、昭和43年には栃木県田沼町入飛駒のみが県をまたいだ群馬県へ編入される。ここに至り群馬県と栃木県に分かれて二つ在った津久原が合流し、現在まで続く桐生市梅田町津久原が成立した。このような沿革となっており、産地である津久原は古来より名を知られる桐生と異なる(関係がない)と指摘されたら、全くもってその通りである。その一方で、今となっては桐生市の一部であることもまた相違ない。そのために桐生石(Kiryuite)は桐生市(Kiryu City)にちなんで名づけられた。市の名称のもとになった桐生の本領やその由来はまた別にあることは理解いただきたい。まあともかくも、桐生石は群馬県産としては初めて地名(自治体名)にちなんで命名された新鉱物である。
 
 
[1] 島田一郎 (2000) 桐生市地名考. 桐生市立図書館, pp.237.
[2] https://gbank.gsj.jp/geonavi/
[3] 小山一郎 (1940) 東京鉱山監督局管内 金属鉱山. 工業叢書; 第3篇, 鉱業社.
[4] 井上秀雄 (1992) ALCと関東地方のチャート資源. 地質ニュース, 458, 28-36.
[5] 小原祥裕 (2018) 群馬県桐生市 津久原鉱山の鉱物-稀産のストロンチウムリン酸塩鉱物ゴヤズ石など-. 栃木地学愛好会会報, 65, 32-38.
[6] 小原祥裕, 興野喜宣 (2021) 群馬県桐生市津久原鉱山産の燐酸塩鉱物ゴヤズ石とトリプロイド石. 地学研究, 66, 63-70.
[7] Shorose Y., Uehara S. (2014) Secondary phosphates in montebrasite and amblygonite from Nagatare, Fukuoka Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 103-108.

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IMA No./year: 2020-057
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-47662)
 
フェリぶどう石 / Ferriprehnite

Ca2Fe3+(AlSi3)O10(OH)2

The Fe3+ analogue of prehnite

島根県松江市美保関町北浦
 
Nagashima M., Nishio-Hamane D., Ito S., Tanaka T. (2020): Approved by CNMNC on November 3rd.

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石の写真
 
 
島根県美保関町から見出された新鉱物、フェリぶどう石である。「ぶどう石」という名前なのに「ぶどう」らしさをまったく感じることができない、ちょっと困った名前の新鉱物。ここしばらくは金属系の新鉱物が続いていたので、透明な清々しい結晶がとても新鮮に感じられた。フェリぶどう石は申請ベースで見ると2020年代では最初の日本産新鉱物になる。幸先よく新しい10年代が幕を開けた。今回は山口大学永嶌研究室の主導で行われた共同研究であり、研究発表はそちらにお願いしよう。ここではフェリぶどう石の背景や、私のほうでの発見の経緯などを中心に述べていく。今回の物語を何かに例えるならそれはマーフィーの法則なのだろう。

フェリぶどう石は「ぶどう石」の三価鉄(Fe3+ : フェリ)置換体に相当する新鉱物なので、まずはぶどう石について述べて行く。最初に名前の表記について。和名での表記については漢字(葡萄石)・ひらがな(ぶどう石)・カタカナ(ブドウ石)、いずれも使用される。論文では学名のカタカナ読みでプレーニットやプレーナイトという表記もまた見られる。いずれにしても鉱物の和名については決まったルールは存在しないため、誰かが使った表記が多くの人々に好ましくあれば、それがそのうち定着することが慣習になっている。そして近世ではひらがなの「ぶどう石」表記が多いと感じる。私はどうかというと、やはりひらがなを使っている。ラベルを書くときに画数の多い漢字は煩わしいという実情が大きい。ともかくここではひらがなの「ぶどう石」と記すことにしよう。

さて、ぶどう石は学名をPrehniteと書き、18世紀に実在したドイツ軍大佐のHendrik Von Prehn (1733–1785)に因む。大佐が南アフリカの喜望峰から産出した標本をヨーロッパへ持ち帰り、地質学者であるAbraham Gottlob Werner(1749-1817)によって1788年に命名された[1,2]。これは人名に因んで名付けられた最初の鉱物とも紹介されている[2]。このような経緯であり、学名はフルーツのぶどうに因んでいる訳ではない。では、なぜPrehniteのことを和名で「ぶどう石」と書くのだろうか。

ぶどう石 / Prehnite
マリ共和国産のぶどう石 
外国産のぶどう石にはマスカットぶどうのような標本が知られている。
 
 
そこで、日本で初めて産出したぶどう石がどのように記されているか調べてみた。学術文献では1894年(明治27年)に大分県豊後大野市の尾平鉱山から見出されたぶどう石が最初になるだろう[3]。そのなかでぶどう石の解説を読むと「色は暗緑色」と書かれているのみで、形状については言及が無い。一方で「葡萄色の斑紋ありて美麗なり」とも書かれている。「葡萄色」は「えびいろ」と読み、熟したヤマブドウのような赤紫色を指す。ただし、斑紋であるからにしてその部分はぶどう石とは別の鉱物であろう(おそらく蛍石)。まあしかしモノの真偽はともあれ、ここで知りたいのはぶどう石という和名が誕生した時期と由来である。尾平鉱山での発見と同時の命名であれば、形ではなく斑紋の色(葡萄色)に由来することになる。しかし、それ以前にすでに和名が存在した可能性はどうか。まず上の写真で示したように海外にはまさにぶどうと言える標本が存在している。そしてPrehniteという学名は1885年(明治18年)には文献に登場しているため[4]、日本産ぶどう石の発見以前にその存在はすでに認識されていたとみて良いだろう。そうなると、輸入された海外産標本のマスカットのような見てくれに因んで「ぶどう石」という和名が先に成立していたことはあり得る。ただし残念ながら和名についてその経緯を具体的に記している文献は存在しなかった。

さて、現代においてぶどう石はあまたある鉱物の中にあってもたいへんめずらしい、ということはまったく無く、むしろ極めてありふれた鉱物であることがわかっている。例えば、弱い変成作用を受けた苦鉄質岩ではぶどう石はまさに主要な構成鉱物であって、そのような岩石は日本国内に限らず世界中に分布している。ただし、岩石中のぶどう石は主要とはいえども微細な存在に過ぎず、岩石学者には重宝されるとしても、それでは鉱物標本にはならない。鉱物標本としてのぶどう石は変成作用や火成作用の晩期に生じるモコモコした集合体である。そして国内では静岡市上徳倉や山梨県岩欠から産出するぶどう石が古くから有名であった。しかしながら、良標本の採集は1980年代にはすでに困難になっていたと聞いている。一方でその頃にまた新たな産地が島根県から報告されるようになった。

変成相
変成相の区分(文献[5]を参考に加筆)
変成作用を被った苦鉄質岩に生じる鉱物組み合わせに基づいて変成相が提案されている。例えば苦鉄質岩が0.5万気圧200℃程度の環境にさらされると、ぶどう石とパンペリー石が岩石の主要構成鉱物となる。
 
 
島根県東部は地震予知研究の上で緊急性がある重要な地域として指定されており、1980年代初頭から地質調査が行われ、1985年(昭和60年)には「境港地域の地質図(5万分の1)」が公開された[6]。その中に今回の産地があり、境港出身である私についても生家がプロットできる。ちなみに境港は島根県ではなく鳥取県である。それはさておき、この地質図作成の調査において島根半島からぶどう石が産出することが明らかとなり、1986年(昭和61年)の学術論文において詳細が報告されている[7]。

島根半島は最大標高500mちょっとで、おおむねは200-300mの標高になっている。数字で見るとたいして高くないように感じられるが、平均海抜2mの境港から見えるそれは大きな山だった。そして半島の北側は日本海に面し、多くは荒々しい海岸や崖となっている。人が降り立つことのできるポイントはそもそも少ない。それでも出雲市三津町、松江市鹿島町、松江市美保関町笹子などからぶどう石の産出が報告された[7]。その論文の中で1点のみの分析値ではあるが、三津町の標本は今回の新鉱物であるフェリぶどう石に相当している。しかしながらこの当時にはぶどう石の三価鉄(Fe3+:フェリ)置換体という概念はまだ存在しなかった。海外においても同様である。フェリぶどう石に相当する分析値は報告されども、新鉱物どうこうという動きはなかった[8]。

中野公園から北を望む
境港市(海浜公園:通称は中野公園)から北を望む
見えている範囲の最も高いところが高尾山(標高328m)。直線的に山を超えた先の、日本海に面した側が美保関町七類となる。七類から1-2km西が笹子で、さらに西へ5kmほどで北浦にたどり着く。
 
 
美保関町笹子から西へ5kmほど行くと北浦という地域があり、そこは主に海水浴客や釣り人が訪れる。どういう目的かは知らないが愛石家がたどり着いたようで、北浦からもぶどう石が産出することが突き止められた[9]。文献としては1984年(昭和59年)の報告であり、これ以降はぶどう石というと北浦の標本が図鑑で紹介されることが多くなる。そしてこの北浦のぶどう石について国立科学博物館の研究チームが1992年(平成4年)の鉱物学会で研究発表を行った[10]。結晶の一部に三価鉄が卓越する箇所が見つかり、「ぶどう石の三価鉄置換体という概念を世界で初めて提唱した」とまとめられている。これはつまりフェリぶどう石のことである。この発表をもとにして、フェリぶどう石という新鉱物があり得ることは研究者や愛石家に知れ渡った。しかしそこからの進捗に困難があったようで、新鉱物の申請はついに行われることがなかった。フェリぶどう石を概念からカタチ(=新鉱物)にするという挑戦は、次の世代に託されたと言えよう。

ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 / Prehnite
ぶどう石 & 灰トムソン沸石 / Prehnite & Thomsonite-Ca
北浦産のぶどう石
北浦において、ふつうのぶどう石はクラスター(集合体)の姿で産出する。それは淡青色から淡緑色を帯びた曇りガラス様の板状結晶が密に集まってできている。遠目で見るとぶどうのように丸く見える集合体もあるが、全体としてはあまりぶどうっぽくない。一番下の写真でコロコロ丸いのはぶどう石ではなくトムソン沸石。ぶどう石はその下地。
 
 
以上が要点を抜粋したフェリぶどう石の研究背景である。このように30年ほども前にフェリぶどう石が存在するところまではわかっていた。しかしそれ以降の進展が誰からも何も聞こえてこない。ひとまずは結論から述べよう。図鑑でよく紹介される北浦産ぶどう石、例えば上に掲載した写真のような標本、それらにはフェリぶどう石はひとかけらも含まれない。前評判ではこういった標本の一部がフェリぶどう石ということだったが、だれが言い出したのか一部という表現はあまりにも針小棒大であった。それはひとかけらですらなく、一つの分析点(1-2ミクロン)として極めて稀に見つかる程度が実態である。確かにそれだと概念という表現が妥当だろう。図鑑などでは色味への言及があるのでそれが手がかりになるかと調べてみたのだが、それもまた空言であった。結果的にフェリの度合いと色味はまったく関係がない。それではフェリぶどう石の結晶やその集合体は果たして存在するのか、そしてそれはどこにあるのか。ちょっと現地の様子を思い出してみよう。

ぶどう石が産出するポイントは古浦ヶ鼻と呼ばれている。そこは海へ突出した岩場で、不定型な穴が岩石中にまばらに開いている。これは自然が成したことなので当たり前に形も配置も不規則であるが、なんとなく町並みのように各住居に様々な住人がいる様子にたとえられよう。例えばある小さな穴(住居)はぶどう石(住人)だけだが、ご近所の大屋敷には方解石という同居人がいる。ちょっと離れたところのお宅はどうかとひょいと尋ねてみると、黒色で鋭い光沢のあるバビントン石や、乳白色で柔らかい光沢をもつ丸っこいトムソン沸石が居を構えている。もちろん住人の面構えや住居の趣はそれぞれ異なる。そのため、フェリぶどう石ばかりの住宅があることを期待して見るからにぶどう石という標本をともかく分析した。一連の調査で分析した標本は昔に自分で採集したもの、購入したもの、提供していただいたものである。そして、折を見てだが長年かけてフェリぶどう石を探してきた。しかしついに見つけることは叶わなかった。もうあきらめよう。そうなってからほかの鉱物を見てみようと思えるようになり、それで標本箱から取り出した石が「トムソン沸石」のラベルがついた標本であった。それは友人からもらったと記録されている。その標本には少量のバビントン石が伴われるだけで、見るからにぶどう石はいないが、そんなことはもはやどうでもいい。

 灰トムソン沸石 / Thomsonite-Ca
手に取ったトムソン沸石の標本
トムソン沸石は透明感のある灰白色の球状集合で産出し、脇に黒色バビントン石を伴う。

 ジュルゴルド石 / Julgoldite
トムソン沸石標本の裏側
産地は海沿いであるために標本は藻や苔で汚れていることも多い。ぱっと見で苔だと思った。
 
 
まずは写真を撮ろうと標本をひっくり返す。そこは写真撮影のために粘土で固定する側になるが、なんとなく観察する癖がついている。見ると苔まみれでなんとも小汚い。腐ってないかと疑いつつ前後左右に動かす中で、苔と思っていたものが光の加減でわずかにチカチカする。ん? そして実体顕微鏡でみたとき、これが苔ではなく鉱物であることに気がついた。それにしてもどこかで見たような面構えをしている。そうだこれはパンペリー石族だ。調べてみるとやはりパンペリー石族であり、鉱物としてはジュルゴルド石であった。おー、これはすごい。小汚いなどとは申し訳なかった。実はジュルゴルド石は日本では北浦でのみ産出が知られている鉱物でありながらも、これもまた永らく(30年近く)再発見の報告がないために幻の鉱物となっていた。写真を撮ったあと、この標本はお迎えしたときとは真逆の、つまりはジュルゴルド石が見えてトムソン沸石が隠れる配置で標本箱に収容された。ラベルには「ジュルゴルド石」が追加され、標本としてひとつ箔がついたといったところだろう。これが2019年(令和元年)の10月末のこと。ちなみにトムソン沸石には注目すべき特徴は何もなかった。
 フェロジュルゴルド石 / Julgoldite-(Fe2+)
ジュルゴルド石の写真
ジュルゴルド石はパンペリー石族のなかで最も三価鉄(Fe3+)に富む鉱物。厳密にはフェロジュルゴルド石とフェリジュルゴルド石にさらに分けられるが、ここではそれはあまり重要ではないため単にジュルゴルド石としておく。濃い緑色で透明感のある微細な板状結晶で、小さいながらも極めてパリっとした端正な姿をしている。

 
振り返ってみると、私にとってフェリぶどう石の探査は山口大の永嶌さんがきっかけだった。7-8年ほど前になろうか。実験のために物性研に来られた際に「結晶化学研究のためにフェリぶどう石を探している」という話をされて、「では私の方でも探してみます」と答えたことが始まりである。そのくせにあきらめてしまったことは上にあるとおりだが、年が明けた2020年(令和2年)1月に事態が動く。永嶌さんからのメールに「研究継続中。EPMAオーダーでジュルゴルド石とフェリぶどう石を確認しました。」とある。EPMAオーダーというのは数ミクロン程度のとても小さいことを意味している。それはともかくもジュルゴルド石だと!? それはつい最近にようやく拝顔が叶ったばかりではないか。そういえばと思い返すとジュルゴルド石には透明な板状結晶が伴われていた。しかし、これはトムソン沸石が球状集合になりきれなかった哀れな姿だと思っていたので、わざわざ分析していない。ところがそれこそが探し求めていたフェリぶどう石であった。しかも数ミクロンどころではなく、写真に収まるほどの大きさである。こんなところにおったんかーい。そこから永嶌研究室主導の本格的な研究が始まり、2020年(令和2年)11月3日の文化の日に新鉱物の承認通知が届いた。ラベルには「フェリぶどう石」がさらに追加され、ただのトムソン沸石でしかなかった標本がついに新鉱物にまで到達した。それでは現物の解説に移っていこう。

フェリぶどう石 & ジュルゴルド石
フェリぶどう石(透明な板状結晶)とジュルゴルド石(緑色)
写真を撮っておきながらもこの透明な板状結晶は球形になり損なったトムソン沸石だと思い、分析をしないままほったらかしていた。このフェリぶどう石の#Fe3+[ = Fe3+/(Fe3++Al) (八面体サイト)]は最大で0.8に達する(#Feが0.5を超えればフェリぶどう石で、0.5未満はふつうのぶどう石)。
 
 
まずはふつうのぶどう石について。北浦のぶどう石は肉眼でも観察可能な大きさで産出し、それは非常に優れた鉱物標本になる。なんといってもそのまま見て美しく、虫眼鏡でもあればさらに大迫力の画が見える。全体は透明感が感じられる曇りガラス様であり、色味はわずかだが爽やかな青から緑色を常に帯びる。ひとつの結晶としての産出はこれまで見たことがないが、集合体の断面から推測できる結晶の形状は四角形の薄板や厚板であろう。その結晶が束状、扇状、球状に集合し、さらにそれらが密にモコモコと集まった姿になる。集合体の表層が一様に丸く滑らかであることは非常に稀で、ほとんどがギザギザしている。ぶどう石という名前のくせにぶどうっぽく見えない標本ばかりだが、それでもこういった姿が北浦産ぶどう石の典型である。たまにコロコロと丸い球がギザギザ頭の上にたくさんくっついた姿が見られ、いかにもぶどうっぽい丸みだが、それらはぶどう石ではなくトムソン沸石である。いずれにしても、こういった標本はその色味も相まって見る者に涼やかな印象を与える。その印象から化学組成は均質であることを(勝手に)期待したが、見事に裏切られた。実際はむしろ逆で、数ある鉱物の中でもこれほど複雑なものはそうはない。結晶の内部には三価鉄の濃淡による累帯構造がきわめて著しくかつ複雑に発達しており、分析点ごとに値が大きく異なる。そして#Feが0.52くらいまでは到達することがある。#Feが0.5を越えたのだから、その分析点は確かにフェリぶどう石である。しかしその領域はせいぜい数ミクロン。つまり全体としては99.99%以上がふつうのぶどう石に過ぎない。そのような標本にフェリぶどう石のラベルをつけることはしたくない。フェリぶどう石のラベルはこういった標本ではなく、フェリぶどう石が主体の標本に授けたい。そしてそれは確かに存在する。それでは上の標本とはまた異なる姿のフェリぶどう石をいくつか掲載する。

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石
冒頭に掲載した写真。完全なる無色透明な結晶。いわゆるぶどう石は単結晶として見られたとしても四角形の平板になることが多いが、この結晶は頭がとがっている。いわゆるぶどう石とみても例外的な姿であるために、見た目でぶどう石とすら鑑定し得なかった。この結晶には累帯構造がないため、全体がフェリぶどう石。

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石
上の写真のすぐ近くの晶洞にあり、板状結晶がいったん扇状に集合した束となり、それがさらに球形に集まった集合体となっている。これはぶどう石よりも沸石がまず頭に浮かぶ姿。伴われる黄緑色はパンペリー石族。内部には累帯構造があるがフェリぶどう石が主体。極めてわずかにだが、緑色味が感じられる。

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石
これも球形集合だが、上に掲載した球とはまたすこし様子が異なるが、やはり沸石を思わせる姿と言えよう。この晶洞にはパンペリー石族は伴われない。内部には累帯構造はあるが、フェリぶどう石が主体。色味は感じられず無色と言える。

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石
球形にならず束状にとどまる姿。これもぶどう石よりは束沸石を思わせる。累帯構造はあったが、フェリぶどう石の領域が大多数。無色だが小さいので下地の緑がすけている。その緑色をした微細粒子はパンペリー石族。
 
 
フェリぶどう石の結晶やその集合体を見つけるには、あからさまにトムソン沸石という標本をまずは用意することだ。そこにバビントン石や方解石が伴われることはまったくかまわない。それでは標本の裏や脇をよく見てみよう。するとふつうのぶどう石の標本とは比べるべくもないほどだが、小規模な晶洞が見つかると思う。そこにフェリぶどう石がいる。ごくまれに頭のとがった西洋剣のような結晶が出現し、それがふわっと集合する。それはいわゆるぶどう石とはかけ離れた姿だが、ともかくも清々しい。それでも密な集合体となることがやはり多い。たとえば四角形の板状結晶がまず中心がきゅっと締まった束状に集まり、それらがさらに球状に集合する姿が見られる。束のままのこともある。そのほか、薄板結晶が乱雑に球形に集まる姿もあった。初めて見いだしたフェリぶどう石には多量のパンペリー石族(ジュルゴルド石)が伴われていたが、それはむしろ稀な例であったようだ。いずれにしてもフェリぶどう石からなる集合体は小さく、1ミリあれば大きいと言える。ただ困ったことに小さなトムソン沸石が同様の産状や形態を示すため、それとは区別しがたい。これは乱暴なやり方だが、塩酸を使いトムソン沸石を溶かしてしまえば誤認はなくなるだろう。共存するバビントン石を目立たせるために塩酸処理された標本を見かけるので、それを手に入れるのもいいだろう。結論として、この産地におけるフェリぶどう石の存在度は稀ではない。なんのことはない。おおきなトムソン沸石の下にはフェリぶどう石が満ち満ちており、ときおり現れる小さな晶洞にその結晶が顔を覗かせてもいた。それに気づいていないだけだったのだ。しかしいったん気づいてみれば愛石家にとって見分けはそんなに難しくないだろう。すでにある標本を見直すだけでもフェリぶどう石はあっさり見つかると思う。自身でも20年以上も前に採集したトムソン沸石の標本をよく見たら、フェリぶどう石の晶洞がふつうに伴われていた。あとは規格外であるが、パンペリー石族を多量に含むことで緑色に染まった結晶が存在する。これもまたトムソン沸石の周りにいることがある。ただしその姿は愛石家が親しんできた北浦産ぶどう石とはあまりにもかけ離れており、それは全く別の鉱物、例えば透輝石のように見えていた。しかしこれもまたフェリぶどう石であり、その姿はぶどうの葉っぱにならまあ見えなくもない。こういった姿はふつうのぶどう石の集合体にも伴われることがあるが、そちらでは外形のみを残して中身はすべてパンペリー石族に置き換わっている。

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石
透輝石と思えたがトムソン沸石の周りにいるとなるとそれは環境的に考えにくい。おかしいなと思って調べたところ、これもまたフェリぶどう石であった。仮晶なのかも知れない。緑色であるのはきわめて多量のパンペリー石族を内部に伴うため。いまのところ2ミリ程度の結晶を確認している。また、透輝石はふつうのぶどう石には伴われることがある。
 
 
さいごに、終わってから気づくという間抜けっぷりを晒しておくと、ぶどう石の標本からフェリぶどう石を探す方針が見当外れだった。ヒントは島根半島からのぶどう石を報告した論文にすでにあった[7]。この論文で、パンペリー石族に含まれる三価鉄は変成度の低い沸石相で多く固溶されるとある。それだとすると、パンペリー石族にあって特に三価鉄が多いジュルゴルド石は、沸石相にこそ出現するとまず考えられる。そしてジュルゴルド石の学会発表には「ジュルゴルド石はフェリぶどう石に伴われる」という記述があった[11]。これらを合わせて考えると、フェリぶどう石を探すならばジュルゴルド石を目印に「沸石が主体となる標本」こそまずは調べる価値があったのだ。それなのに「ぶどう石が主体となる標本」ばかりを調べるという下手を打っていた。それでは当たり前に見つかるはずもなく、ついにあきらめて探すことを止めてしまった。そうしたところで、いや、だからこそなのだろう。探すのを止めたとき、それは見つかる。こういったよくある話を何と言ったか。ああそうだ、思い出した。これはマーフィーの法則だ(哀愁ただよう経験則)。調査を継続していた永嶌さんの努力があったからこそたどり着いた成果だが、マーフィーの法則こそがこのたびの私にとっての新鉱物発見物語であった。
 
 
[1] Hoffmann C.A.S. (1789) Mineralsystem des Herrn Inspektor Werners mit dessen Erlaubnis herausgegeben von C.A.S. Hoffmann. Bergmannisches Journal 1, 369-398
[2] https://www.mindat.org/min-3277.html
[3] 篠本二郎(1894)豐後尾平礦山紀行. 地質学雑誌, 1, 221-224.
[4] 杉村次郎(1885)製錬ニ適良ナル亜鉛鑛ト砂錫産出ノ廣野トノ發見 (承前). 日本鑛業會誌, 1, 416-426.
[5] Spear F.S. (1993) Metamorphic Phase Equilibria and Pressure-Temperature-Time Paths (Monograph (Mineralogical Society of America). Mineralogical Society of America, pp.799.
[6] 鹿野和彦, 吉田史郎(1985)地域地質研究報告5万分の1図幅岡山(12)第7号 境港地域の地質. 地質調査所, pp.57.
[7] Kano K., Satoh H., Bunno M. (1986) Iron-rich pumpellyite and prehnite from the Miocene gabbroic sills of the Shimane Peninsula, Southwest Japan. The Journal of the Japanese Association of Mineralogists, Petrologists and Economic Geologists, 81, 51-58.
[8] Zolotukhin V.V., Vasil’yev Y.R., Zyuzin N.I. (1965) Iron-rich modification of prehnite and new diagram for prehnites. Doklady Akademii Nauk SSSR (Earth Science Section), 164, 138-41.
[9] 野村松光, 松原聰, 坂野靖行(1984)島根県美保関町古浦ヶ鼻のバビントン石について. 地学研究, 35, 153-156.
[10] 加藤昭, 松原聰, 神谷俊昭(1992)島根県古浦ヶ鼻産葡萄石のFe3+置換体. 日本鉱物学会1992年年会講演要旨集, C19, p160.
[11] 松原聰, 加藤昭, 神谷俊昭(1992)島根県古浦ヶ鼻産julgoldite-(Fe2+). 日本鉱物学会1992年年会講演要旨集, C20, p161.

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IMA No./year: 2019-129
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-47328)
 
苫前鉱 / Tomamaeite

Cu3Pt

The Pt analogue of auricupride

北海道苫前町
 
出典:Nishio-Hamane D. and Saito K.: Tomamaeite, IMA 2019-129, in: CNMNC Newsletter 55, Eur. J. Mineral., 32, https://doi.org/10.5194/ejm-32-367-2020, 2020.

テトラフェロプラチナ鉱 / Tetraferroplatinum
苫前鉱を含む砂白金(テトラフェロプラチナ鉱)の写真。
苫前鉱は単独で産出することはなく、プラチナ系砂白金の包有物として見出される。苫前鉱の実体は後述。
 
 
北海道苫前町の砂白金から見出された新鉱物、苫前鉱(とままえこう)である。近年は砂金や砂白金を集中的に調べているので、見つける新鉱物も必然的にそれらに伴われるものが続いている。そのためにまた砂の新鉱物かと揶揄されそうだが、いやいやむしろ砂粒ほどの大きさであったならばどれほど良かったのにと思う。それは後述するとして、新しい発見をまずは素直に喜びたい。苫前鉱が承認されたのは2020年4月のことだが、IMA No.が示すように申請ベースでみると苫前鉱は日本産新鉱物種について2010年代の大トリとなる新鉱物である。それにしても現在は新種のコロナウイルスによってたいへんなことになっており、申請時はこんな未来を予想していなかった。新種の鉱物についてはひっそりと更新しておくことにする。
 
 
砂白金を調べ始めたころにトラミーン鉱(Tulameenite)の中に変な鉱物がしばしば入っていることを海外の友人から教えてもらった。その時点ではトラミーン鉱なぞ見たことのない鉱物であったが、最近になって熊本県の砂白金を扱うようになると、トラミーン鉱に変な鉱物の究極である新鉱物(皆川鉱三千年鉱)が伴われることを体験した。さらにテトラフェロプラチナ鉱(Tetraferroplatinum)もやはり変な鉱物を伴うことがわかってきた[1]。なるほど、どうやら新鉱物を効果的に探すにはその二つが目印になりそうだ。しかし実際に探すには実物のイメージが必要であろう。そこで今回は北海道の砂白金について、その種類や外観の特徴をまずはまとめていきたい。
 
 
砂白金 / Placer PGM
北海道の砂白金
 
 
白金族元素をイリジウム系(Ru, Os, Ir)とプラチナ系(Rh, Pd, Pt)と勝手に分けたとき、北海道ではイリジウム系を主成分とする砂白金が圧倒的に多く産出し、プラチナ系は非常に少ない[2]。このあたりは先に三千年鉱の項目を先に読んでいただけると理解しやすいと思う。ひとまず上の写真のように北海道産砂白金をざらっと並べたときにイリジウム系:プラチナ系の量としての比率は感覚的に95:5くらいであろうか。ただしプラチナ系は単独の粒として産出するよりもイリジウム系砂白金にわずかに伴われるという産出が多い。そのためプラチナ系を伴う砂白金の個体数は5%よりは多いと感じられる。それは実物(写真)で説明しよう。それではそれぞれの砂白金と、それに伴われる白金族鉱物を以下に並べよう。
 
 
自然ルテニウム / Ruthenium
自然ルテニウム / Ruthenium
自然ルテニウム / Ruthenium
自然ルテニウムは北海道を原産地とする白金族元素鉱物であり、ルテニウム(Ru)で代表される化学組成をもつ[3]。合金としてしばしばオスミウム(Os)やイリジウム(Ir)を多く含む。結晶構造は六方晶系に属し、結晶で産出する場合は三角~六角形を基本とした面が出現する。しかし砂白金としてはほとんどが不定形の塊状として得られる。なお単体元素と鉱物種を区別するために鉱物には「自然」を冠して呼ぶことになる。
 
 
自然オスミウム / Osmium
自然オスミウム / Osmium
自然オスミウム / Osmium
自然オスミウムはオスミウム(Os)で代表される化学組成を持ち、しばしばイリジウム(Ir)を多く含み、ほとんどの場合で少量のルテニウム(Ru)も含まれる。結晶構造は自然ルテニウムと共通で六方晶系に属する。六角形で扁平な結晶は経験上はまず間違いなく自然オスミウム。砂白金としてはほとんどが不定形の塊状で得られるが、どこかしらにツルっとした箇所があることが非常に多い。またオスミウムに非常に富む個体は全体に青みが感じられる。
 
 
自然イリジウム / Iridium
自然イリジウム / Iridium
自然イリジウム / Iridium
自然イリジウムはイリジウム(Ir)で代表される化学組成を持ち、オスミウム(Os)やルテニウム(Ru)も含まれるがその含有量は一般に少ない。ごく稀に鉄(Fe)やレニウム(Re)を多く含むことがあるが通常それらは検出限界を下回る。結晶構造は立方晶系に属し、サイコロ形の結晶で産出することがある。イリジウムに富む個体はほかの砂白金に比べて白っぽい。砂白金としては単独の塊状で産出することは少なく、多くは自然オスミウムやルテニイリドスミンが主体となる個体の一部に付着して産出する。例えば上の写真は自然オスミウムを下地にして自然イリジウムが上に乗っている。
 
 
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミンは北海道を原産地とする新鉱物で砂白金として見いだされた[4]。イリジウム(Ir)、オスミウム(Os)、ルテニウム(Ru)からなる白金族鉱物であり、理想式は(Ir,Os,Ru)と設定されている。組成的にはイリジウムが最も卓越するため、それだけに注目すると自然イリジウムの範疇にはいるが、自然イリジウム(立方晶系)とは結晶構造が異なる。ルテニイリドスミンは六方晶系の鉱物であり、三角や六角の晶癖が発達することがある。しかしほとんどの場合は不定形塊として得られる。かつてイリドスミンと呼ばれた砂白金の多くは現在のルテニイリドスミンに該当する。なお元素鉱物は元素そのものと区別するため「自然」という接頭語を置き鉱物と区別するが、ルテニイリドスミンは単体元素の鉱物ではないため「自然」の接頭語は不要である。
 
 
ここまでが代表的なイリジウム系砂白金であり、これらはプラチナ系元素をほとんど含まない。いずれも非常に硬い。摩耗に強いためにときおり結晶が得られることがある。不定形塊の個体も表面には傷がほとんどないので、それはおそらく岩石中に存在したときから不定形塊だったのだろう。外観的な特徴から、自然オスミウムと自然イリジウムについては典型的なものであれば肉眼鑑定はそんなに難しくない。一方で自然ルテニウムとルテニイリドスミンは塊状、結晶のどちらも区別がつかない。産出量はルテニイリドスミン>自然オスミウム>自然ルテニウム>自然イリジウムの順というのが個人的な感覚。続いては代表的なプラチナ系砂白金を示す。
 
 
自然プラチナ / Platinum
自然プラチナ / Platinum
自然プラチナはプラチナ(Pt)で代表される化学組成であるが、砂白金として見いだされる場合だとすべてのケースで鉄(Fe)を原子比で20%ほど含んでいた。鉄を含まない純度の高い自然プラチナもあるにはあるが、それはほかの鉱物の包有物で出現するため非肉眼的である。立方晶系の構造で、プラチナと少量の鉄は同じ席に位置する。結晶形を保った個体は見たことがない。やや茶色を帯びた銀色を示し、表面には細かい多くの傷がついているため輝かない。ネオジム磁石にほんのわずかに反応する。
 
 
イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
イソフェロプラチナ鉱 / Isoferroplatinum
イソフェロプラチナ鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)からなり、化学組成はPt3Feで表される。原子比で見ると鉄が25%程度含まれる。イリジウム系砂白金の一部に付着する産状が非常に多いが、楕円球形粒の単独の砂白金として産出することもある。結晶構造は自然プラチナと共通だが、結晶構造の内部でプラチナと鉄の存在する席が決まっている点が自然プラチナと異なる。やや茶色を帯びた銀色で、表面には細かい傷が多くつや消し状態になっている。ネオジム磁石に弱く反応する。
 
 
トラミーン鉱 / Tulameenite
トラミーン鉱 / Tulameenite
トラミーン鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)および銅(Cu)からなり、化学組成はPt2CuFeで表される。イリジウム系砂白金の一部に付着するという産状で主に見られる。楕円形状で単体の砂白金として得られた個体が、切ってみたら中身はイリジウム系砂白金やイソフェロプラチナ鉱だったことがある。以下に挙げるフェロニッケルプラチナ鉱と共通の結晶構造(正方晶系)であるため、同じ産状で両者が混在する場合がある。外観は茶色~褐色をやや強く帯びた銀色。表面には細かい傷や凹凸が多いためつや消し状態。ネオジム磁石には非常に強く反応する。
 
 
フェロニッケルプラチナ鉱 / Ferronickelplatinum
フェロニッケルプラチナ鉱 / Ferronickelplatinum
フェロニッケルプラチナ鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)およびニッケル(Ni)からなり、化学組成はPt2FeNiで表される。イリジウム系砂白金の一部に付着するという産状でのみ見られ、単体の砂白金としての個体はまだ見たことがない。写真だとルテニイリドスミンを下地にしてその上を覆うようにフェロニッケルプラチナ鉱が生じている。結晶構造は正方晶系。外観は茶色~褐色を強く帯びる。表面はつや消し状態。ネオジム磁石には非常に強く反応する。
 
 
テトラフェロプラチナ鉱 / Tetraferroplatinum
テトラフェロプラチナ鉱 / Tetraferroplatinum
テトラフェロプラチナ鉱はプラチナ(Pt)と鉄(Fe)からなり、化学組成はPtFeで表される。イリジウム系砂白金の一部に付着する産出と、一見して単体の産出がある。しかし単体の場合だと中心にイソフェロプラチナ鉱の核が必ずある。フェロニッケルプラチナ鉱やトラミーン鉱と共通の結晶構造で正方晶系。単体の個体には正方~直方体の面が残っているように見えるが、それは中身のイソフェロプラチナ鉱の晶癖であろう。外観は明るい茶色で、表面はつや消し状態。ネオジム磁石には非常に強く反応する。
 
 
ここまでが代表的なプラチナ系砂白金となり、その特徴を一言で示すと「つや消し加工された金属」。それぞれの鉱物はイリジウム系元素をほとんど含まないが、産状としてはイリジウム系砂白金に密接に伴われることが非常に多い。単体の砂白金として得られた場合は自然プラチナとイソフェロプラチナ鉱の区別はできない。またイリジウム系砂白金に付着する産状だと、イソフェロプラチナ鉱、フェロニッケルプラチナ鉱、トラミーン鉱は外観からは区別できない。しかしネオジム磁石を使うとイソフェロプラチナ鉱かそれ以外かは判別できる。テトラフェロプラチナ鉱だけは色が独特なためすぐわかる。観察した範囲内において、産出量はイソフェロプラチナ鉱>トラミーン鉱>フェロニッケルプラチナ鉱>テトラフェロプラチナ鉱>自然プラチナの順。意外かもしれないが実は自然プラチナは最も少ない。せっかくなのでその他のレアもの砂白金も以下に掲載する。
 
 
輝イリジウム鉱 / Irarsite
輝イリジウム鉱 / Irarsite
輝イリジウム鉱はイリジウム(Ir)、ヒ素(As)、硫黄(S)からなり、化学組成はIrAsSで表される。結晶構造は黄鉄鉱もしくは輝コバルト鉱と考えられている。イリジウム系砂白金の表面を覆う、もしくは一部に付着するように産出する。褐色から黒色。もともと光沢の強い鉱物だが、細かい粒子の集合となるとつや消し状となる。
 
 
トロフカ鉱 / Tolovkite
トロフカ鉱 / Tolovkite
トロフカ鉱はイリジウム(Ir)、アンチモン(Sb)、硫黄(S)からなり、化学組成はIrSbSで表される。輝イリジウムのアンチモン置換体に相当するのだが、観察した範囲内では組成や分布が輝イリジウム鉱とは連続せずに飛びがある。イリジウム系砂白金の表面を覆う、もしくは一部に付着するように産出する。濃灰色~黒色で、写真だと左側に多く分布する。
 
 
エルリッチマン鉱 / Erlichmanite
エルリッチマン鉱 / Erlichmanite
エルリッチマン鉱はオスミウム(Os)と硫黄(S)からなり、化学組成はOsS2で表される。自然オスミウムやルテニイリドスミンの一部に付着する産状でみられる。黒色で強い光沢を示すが、粒子が細かいとざらっとした印象になる。写真では左下の区画になっている部分がエルリッチマン鉱。それより右上側も同様に黒色だが、そこは輝イリジウム鉱。
 
 
承徳鉱 / Chengdeite
承徳鉱 / Chengdeite
承徳鉱はイリジウム(Ir)と鉄(Fe)からなり、Ir3Feの化学組成を持つ。イソフェロプラチナ鉱からみてイリジウム置換体に相当する。自然イリジウムやルテニイリドスミンの一部に付着する産状でみられる。写真では中央下に位置する。灰黒色で細かい凹凸があるためつや消し状態となっている。
 
 
レアもの砂白金はおおむね黒くざらっとしている。そのため黒い砂白金を狙って拾い上げるとレアものに遭遇する確率は高くなる。ただし演色性が低い光源だとレアもの黒砂白金であっても白く反射してしまうので、そういった光源の下では一般の砂白金との区別が非常に難しい。そのため砂白金の観察には高演色の光源を用いることが重要となる。今回掲載した写真はいずれもRa95の高演色光源で撮影している。
 
 
さて、こうして並べてみると砂白金としてひとまとめにされていたものがある程度は肉眼的に分けられそうである。ひとまずイリジウム系砂白金、プラチナ系砂白金、レアもの黒砂白金くらいは区別できる。まずはそれで十分。新鉱物を狙うのだからプラチナ系砂白金に狙いを絞る。数は多くないが目で見てそれっぽいモノをまずは選別し、その後は色と磁性に注目すればイソフェロプラチナ鉱や自然プラチナとそれ以外もまた区別できる。そうやってトラミーン鉱、フェロニッケルプラチナ鉱、テトラフェロプラチナ鉱を集中選別し、中身を調べていくなかで見つかったのが苫前鉱である。
 
 
このたびの新鉱物である苫前鉱は、北海道苫前町の海岸で採集された砂白金から見いだされた。そのため学名を苫前町から採用して「Tomamaeite」と定め、金属鉱物なので和名を「苫前鉱」とした。「とままえ」はアイヌ語のトマ・オマ・イ(エゾエンゴサクの・ある・ところ)が由来とされる[5]。例えば苫前町香川地区の金刀比羅神社や九重地区の九重神社ではエゾエンゴサクの群生が見られるそうだ。苫前鉱を申請した時点の目論見では2020年4月末ごろの開花に合わせて現地を訪れるつもりだった。しかしながら今になって思いもよらない事態が生じた。これを書いている時点で(2020年4月)新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から首都圏には非常事態宣言が発令されており、外出自粛が呼びかけられている。そして北海道としても二度目の非常事態宣言が発令されるに至った。残念ながらこのたびの訪問は控えるほかない。騒動が収まった暁には是非ともまた訪れたい。
 
 
苫前町海岸
苫前町の海岸
苫前町から北の海岸線沿いには海岸段丘が発達している場所が多い。苫前町でも海岸線沿いに盛り上がった堆積層が分布している。
 
 
苫前町に分布する海岸段丘は礫混じりの砂や泥を主として、海岸線の露頭では全体的に弱いながらも層理がみえる。またところどころに亜炭が挟まっており、粘土と一体化している領域も多い。本州以南で砂金・砂白金の採集を経験して思ったが、こんな地層が砂金や砂白金を輩出するとはとても思えない。しかし案内人はここが産地だと言い、しかもたくさん得られる場所であるとのこと。そんなまさか信じられない。そんな気持ちを抱きながらも、ともかくじっくり見てみるかと露頭を観察しながら海岸線を歩く。そして地層の切れ目から水が流れている箇所を見つけたので、その流路をじっと見つめてみる。すると砂金や砂白金があるぞ。それもぱっと見の範囲で一粒二粒でない。なるほどとようやく認識を改め、地層から削り取った土砂や露頭直下にたまっている砂をパンニングしてみる。そうすると砂金や砂白金がたくさん得られる。後に文献を調べて知ったが、苫前から北の天塩地域まで海岸段丘を構成する堆積物中に砂金や砂白金が広く分布するようだ[6]。
 
 
砂金&砂白金
流路に散らばる砂金と砂白金
中央に小さな砂金と砂白金が見えるだろうか。写真内にはほかにも散在している。段丘堆積層の下は第三紀の締まった礫岩となっており、堆積層からこぼれた砂金や砂白金がこの盤に引っかかる。こういったのはスポイトやピンセットで回収する。
 
 
苫前町の海岸から得られた砂白金を観察して、トラミーン鉱などを伴うプラチナ系砂白金のみを分別した。そしてその研磨片を作成して光学顕微鏡で観察すると、かなりわかりづらいがトラミーン鉱とは微妙に異なるコントラストが認識できる。なんだろうと走査型電子顕微鏡に試料を入れて後方散乱電子像で見たとき、トラミーン鉱の中に10ミクロン程度かそれ以下の粒が散らばっていることがわかった。これが苫前鉱であった。分析をしてみると銅(Cu)とプラチナ(Pt)のみが検出され、化学組成としてCu3Ptの値になる。銅とプラチナからなる鉱物はいくつかあるが、Cu3Ptの化学組成となる鉱物種はまだ無い。そうなるとこれは新鉱物だ。調べていくうちにテトラフェロプラチナ鉱からも苫前鉱が見つかるのだが、産状やサイズがことごとく同じ。こいついつもちっちゃいな。さあどうしよう。
 
 
苫前鉱
自然ルテニウムに付着したトラミーン鉱の断面写真
トラミーン鉱中に苫前鉱が散在しており、代表的なものをひとつ青い矢印先で示した。苫前鉱が埋まっている基質がトラミーン鉱で、コントラストが斜めに分かれている左側は自然ルテニウム。
 
 
調べてみると1986年にロシアの砂白金から今回と同様な産状とサイズでCu3Pt組成の鉱物(=苫前鉱)が見いだされてはいたが、新鉱物として申請はされていない[7-9]。おそらく構造データの取得ができなかったのだろう。確かにこのような産状かつ10ミクロン程度以下のサイズしかない鉱物からどうやって構造データを取得すればいいのか。通常それはとても難しい問題である。しかし幸いなことにこの場は電子顕微鏡室であり、私の管理する透過型電子顕微鏡は10ミクロンどころか1ミクロン以下であっても構造データを得られる装置である。適切な試料を作成するほうがむしろたいへんだったが、果たして無事に構造データを取得できた。新鉱物の申請書を提出したのが2019年12月。そして2020年4月3日、苫前鉱の承認通知が届いた。
 
 
TEM image of tomamaeite
透過型電子顕微鏡で見た苫前鉱とそのシミュレーション
透過型電子顕微鏡はその名が示すとおり顕微鏡の一種で、簡単に言うと超高性能な拡大鏡である。点分解能は1ナノメートル(=1/1,000,000ミリ)をさらに一桁下回る。そのため条件を整えて観察することで原子の並びまで見ることができる。
 
 
最後に苫前鉱について総括する。苫前鉱はトラミーン鉱とテトラフェロプラチナ鉱の包有物としてみつかった。ただしトラミーン鉱とフェロニッケルプラチナ鉱は連続するし、ロシアではイソフェロプラチナ鉱から苫前鉱が見いだされているので、それらも苫前鉱を持ちうると考えて良いだろう。つまりはプラチナ系砂白金である。苫前鉱が見つかる確率が高いのはテトラフェロプラチナ鉱であった。そのためテトラフェロプラチナ鉱の標本については「苫前鉱を含みうる」という注意書きをラベルに書くのはかまわないと思う。幸いにテトラフェロプラチナ鉱はプラチナ系砂白金のなかでもちょっと異質な存在なため、見分けることはそんなに難しくない。産地については北海道内の他産地からもテトラフェロプラチナ鉱に伴う苫前鉱を見いだしている。しかしテトラフェロプラチナ鉱はプラチナ系砂白金の中でもかなり数が少ないという難点がある。その点をカバーするのはやはり産地。海岸段丘から得られる砂金や砂白金はそれぞれ浜金・浜白金とも呼ばれ、細かいのだが個体数それ自体は多い。結果的に河川で採集するよりも効率よくテトラフェロプラチナ鉱を得られたと思う。また熊本県ではトラミーン鉱やテトラフェロプラチナ鉱は多産するのだが、どういうわけかそこでは苫前鉱は見つからない。
 
 
浜金&浜白金 / Beach Placer Gold &PGM
苫前町の海岸で採集された砂金と砂白金。
海岸で採集された砂金や砂白金を浜金・浜白金と呼んだりもする。これらはとても小さいが個体数としては多く採集できる。私の技量では重砂との完全なより分けは困難。
 
 
白金族元素を主成分とする日本産新鉱物は1970年代までに見いだされたルテニイリドスミンと自然ルテニウムだけであったが、2010年代になって皆川鉱、三千年鉱、そして今回の苫前鉱の3種が加わった。北海道において苫前鉱は砂白金から見いだされた新鉱物としては自然ルテニウム以来の発見であり、実に45年ぶり。さらに続くかと聞かれたらそれは厳しいと言わざるを得ない。そのためしばらくは、もしかするともうこれ以上は砂白金からの新鉱物を出せないだろう。また出せたとしてここで書くネタがもうないこともまた悩ましい。日本産砂白金の歴史は皆川鉱で、砂白金の起源などは三千年鉱で、そして砂白金の種類をこの苫前鉱で書いてしまった。次の新鉱物はどう書くか。いやいやそもそもそんな機会が訪れるのか・・
 
 
[1] Nishio-Hamane D. Tanaka T., Shinmachi T. (2019) Minakawaite and platinum–group minerals in the placer from the clinopyroxenite area in serpentinite mélange of Kurosegawa belt, Kumamoto Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 114, 252-262.
[2] Mertie J.B. (1969) Economic geology of the platinum metals. Geological Survey Proferrional Paper, 630, 1-120.
[3] Urashima Y., Wakabayashi T., Masaki T., Terasaki Y. (1974) Ruthenium, a new mineral from Horakanai, Hokkaido, Japan. Mineralogical Journal, 7, 438-444.
[4] Aoyama S. (1936) A New mineral “Ruthenosmiridium”. The Science reports of the Tohoku Imperial University. Series 1, Mathematics, Physics, Chemistry, Anniversary Voume dedicated to Professor Kotaro Honda, 527-547.
[5] 苫前町の宝ガイドブック(http://www.town.tomamae.lg.jp/section/kikakushinko/l6j8rd0000000qt0-att/l6j8rd0000000qvo.pdf)
[6] 対馬坤六, 松野久也, 山口昇一(1954)5万分の一地質図説明書 苫前(旭川-第33号). 地質調査所, pp.16.
[7] Distler V.V., Kryachko V.V., Laputina I.P. (1986): Evolution of platinum-group parageneses in Alpine-type ultramafics. Geol. Rudnykh Mestorozhdeniy: 1986 (5), 16-33/
[8] Jambor, J.L. (1989): New mineral Names. American Mineralogist, 74, 1217.
[9] 苫前鉱は承認される以前はUM1986-17-E:CuPtとして未命名の鉱物として登録されていた:→未命名鉱物リスト
 
 

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IMA No./year: 2019-029a
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-46298:正模式標本、M-46299:副模式標本)
 
三千年鉱 / Michitoshiite-(Cu)

Rh(Cu1-xGex)

CsCl-type structure

熊本県美里町
 
Tanaka T., Shinmachi T., Kataoka K. and Nishio-Hamane D. (2020) Michitoshiite-(Cu), IMA2019-029a. CNMNC Newsletter No. 53; Mineralogical Magazine, 84, https://doi.org/10.1180/mgm.2020.5
 
三千年鉱 / Michiroshiite-(Cu)
三千年(Michitoshiite)鉱の写真
全体としては米粒状の「こぶ」をもつ砂白金で、三千年鉱はこぶの最表面の層を構成することが多い。皆川鉱も同様の産状だが、三千年鉱はこぶの内部に発達することもある。
 
 
熊本県の砂白金鉱床から見出された日本産新鉱物三千年鉱(みちとしこう)である。三千年鉱は愛媛大学の教授を務めた宮久三千年(みやひさみちとし)先生への献名となっており、RhX (X = Cu, Fe, Ge)という化学組成をもつ鉱物に対するルート名として採用した。今回の三千年鉱はXの部分で銅(Cu)が最も多い。そうなると正式な学名は「Michitoshiite-(Cu)」となる。和名はどうしようか。今回のケースだと「三千年銅鉱」もしくは「銅三千年鉱」とするのが誤解の無い表現になるだろうが、今のところは単に「三千年鉱」と呼ぶほうが良い。繰り返すが「さんぜんねんこう」ではなく「みちとしこう」と読む。
 
 
宮久三千年教授(1928-1983)(左)
宮久三千年教授(1928-1983)
宮久先生(左)は九州大学工学部において木下亀城教授の指導を受け、大分県尾平鉱床をはじめとした九州地方の各種金属鉱床の研究に精力を注いだ。後に愛媛大学に移り、理学部、そして地球科学科の設立に尽力した。
 
 
私はかつて大分県下払鉱山から見つかった新鉱物に宮久先生の業績を称えて「宮久石(Miyahisaiite)」という名前をつけたことがある。この宮久石で櫻井賞を受賞するなど私には思い出のある新鉱物なのだが、古老の愛石家は「宮久”鉱”であればもっと良かった」と手厳しかった。日本では鉱物名について学名そのままを呼ぶのではなく、金属系の鉱物に対しては名前の最後に「鉱」を付けて呼び、透明な鉱物には「石」を付ける。そして宮久石はその名が示すように透明な鉱物であった。一方で宮久先生の研究は主に金属が対象だったので、「石」で締める鉱物名はミスマッチだと感じられたのだろう。そのことが10年近くも気になっていたのだが、このたび田中君が主体となってまとめる三千年鉱に貢献できたことでようやく肩の荷が下りた。一つ前の新鉱物である皆川鉱の記事の最後で形にしたいと書いたのがこの三千年鉱である。今回は発見の経緯や背景についても話題を提供しよう。
 
 
さて、ここのところ砂鉱に興味を移していたこともあって、今回も砂白金から見出された新鉱物である。まずは一般的な疑問として砂白金の起源について触れてみたい。日本では砂白金は明治時代の中頃に北海道の夕張川と空知川から初めて見出され、その上流には大きなかんらん岩体が位置していた。そのため古くから砂白金の起源はかんらん岩だと推測されていた。そして1928年(昭和3年)にまとめられたレポートには「白金層を含むかんらん岩の標本が得られたので、砂白金の起源がかんらん岩であることは明らかだ(意訳)」と記されている[1]。経験的な推測であった「砂白金のかんらん岩起源説」はこの時点で現物によって確認済の内容となった。そして1991年(平成3年)にも白金族元素鉱物を胚胎する蛇紋岩(=変質したかんらん岩)が見つかったことから[2]、砂白金の起源はやはりかんらん岩であることが再確認された[3]。そしてかんらん岩は大まかに言うと地球深部を構成する上部マントルそのものである。つまり砂白金は元をたどると上部マントル由来の鉱物であり、今でこそ砂白金は地上で見られるが、もともと地球のずっと奥深いところを起源とする鉱物である。
 
 
レルゾライト / Lherzolite
レルゾライトという種類のかんらん岩(一部を研磨してある)
かんらん石(灰色)を主として単斜輝石(緑色)と斜方輝石(茶色)を少量含むかんらん岩をレルゾライトと呼ぶ。地球の地下400キロメートル程度の深さまでは大部分がかんらん岩で構成されており、そのうちレルゾライトが多数を占めると考えられている。フランスのピレネー山脈にあるLherz山塊の主要岩石だったことから名付けられた。
 
 
北海道の場合、砂白金の母岩はかんらん岩やそれが変質した蛇紋岩であった。次はかんらん岩について関連する事項を簡単にまとめたい。かんらん岩とは「かんらん石を主成分とする岩石」のことである。そしていわゆる超苦鉄質岩に相当する。下の図に示すように、超苦鉄質岩をかんらん石-斜方輝石-単斜輝石の量比で区分したとき、かんらん石を40%以上含む岩石がかんらん岩である。かんらん石が40%以下だと輝石岩と呼ぶ。そしてかんらん岩と輝石岩はその構成鉱物の量比によってさらに細分される。たとえば、かんらん岩については、ダナイト、ハルツバージャイト、ウェールライト、レルゾライトに細分される。輝石岩も同様に細分されるので下の図を参考にしてもらいたい。とにかく超苦鉄質岩とはこのように細かく分けられるのだが、その一方で境界は便宜的なものであって、岩石としての本質が境界をまたいでガラッと変化するというわけではない。基本的には見た目でざっくりと岩石名を判断してかまわない。
 
 
超苦鉄質岩の分類
超苦鉄質岩の分類図
超苦鉄質岩を大雑把で良いので頭に入れておくと、砂白金の産地を開拓する上で重要な指針が得られる。
 
 
蛇紋岩についても触れておこう。超苦鉄質岩の主成分であるかんらん石は変質に弱く、低温・低圧・含水環境下においてはあっさり蛇紋石に変化してしまう。地球深部に超苦鉄質岩があったとして、それが地表に上がってくるまでの活動で含まれていたかんらん石はすっかり蛇紋石に変化してしまうことが多い。そして蛇紋石が含まれる岩石のことを蛇紋岩と呼ぶのだが、実はそこには明確な定義や細分はない。つまり上のように細かく分類された超苦鉄質岩であったが、それがひとたび変質してしまえば一様に「蛇紋岩」として一緒くたに扱われる。それでも野外では蛇紋岩という名称を用いて調査を行うことは非常に有用であろう。しかし、いざ砂白金のことを真面目に考えようとした際に蛇紋岩を一様の岩石と認識しているようでは、当たり前だが何も理解が進まない。そこで変質に強い鉱物に注目して蛇紋岩を観察してみる。すると蛇紋岩の元になった超苦鉄質岩が何であったのかが推測できることがある。そうすることでようやく理解が一つ進む。つまり蛇紋岩から供給された砂白金であっても、その本質を理解するためにはその蛇紋岩が元はどんな超苦鉄質岩であったかを知ることが第一歩である。逆に言うと、岩石から白金族鉱物についてある程度の予測を立てることができる
 
 
ダナイト / Dunite
ダナイトという種類のかんらん岩
かんらん石が9割以上含まれるかんらん岩のことをダナイトと呼ぶ。かんらん石ばかりで輝石はほとんど入っていない。ニュージーランドのRichmond山脈にあるDun山から命名された。Dunとは茶色の意味であり、風化したダナイトが示す典型的な茶色(写真右端)に因んでいる。
 
 
蛇紋岩 / Serpentinite
ダナイトを起源とする蛇紋岩
ダナイトを構成していたかんらん石がことごとく変質して蛇紋石と磁鉄鉱に変化してしまった蛇紋岩。暗黒緑色でつるっとした印象が特徴。この質感が蛇の皮に類似していたことから、ラテン語で蛇を意味するSerpensから蛇紋岩(Serpentinite)と名付けられた。
 
 
たとえば、北海道の砂白金産地のかんらん岩にはかんらん石ばかりが含まれており、輝石があまり入っていないか、たまに入っていても斜方輝石である。こういったかんらん岩はダナイトからハルツバージャイトに該当する。そして「かんらん石ばかり」というのは、いわゆる「涸渇した」特徴でもある。マントル内部の平均的なかんらん岩は主にレルゾライトと考えられており、かんらん石のほかに斜方・単斜輝石がそこそこ含まれているが、メルトが抜けるほどかんらん岩はダナイトに近づいていく。そして、メルトが抜けることを涸渇すると言う。ではそのメルトの代表的な成分とは何かというと、かんらん石と対極にある斜方輝石や単斜輝石のことであり、それらが特に集まった斜方輝石岩や単斜輝石岩はマグマだまりで生じる。そこに白金族元素のうち「ロジウム(Rh)-パラジウム(Pd)-プラチナ(Pt):プラチナ系」はマグマ(液相)に濃集しやすく、「ルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir):イリジウム系」は岩石(固相)に残されがちという性質を考慮するとどうだろうか[4]。涸渇したかんらん岩から得られる砂白金はイリジウム系が多く、マグマ由来の輝石岩ではプラチナ系が主体となりそうだ。実際はどうかというと、涸渇したかんらん岩を起源とする北海道の砂白金はやっぱりイリジウム系ばかりである。
 
 
模式図
かんらん岩の部分溶融とマグマだまりの(勝手な)イメージ。
部分溶融によって生じたメルトは輝石成分やプラチナ(Pt)系元素を取り込みながらマグマだまりを形成する。マグマだまりの中では鉱物の結晶化・沈降・集積によって、底部に輝石岩が形成される。この図ではクライノパイロキシナイトを例に描いている。また白金族元素鉱物(PGM)としてはマグマだまり中のものはPt系元素に富み、涸渇したかんらん岩のものはイリジウム(Ir)系に富むことになる[4]。
 
 
日本列島にも超苦鉄質岩は様々な地域に分布している。しかしながら日本の超苦鉄質岩はかんらん岩が多く、特に北海道では砂白金の母岩はダナイトやそれに近いハルツバージャイトといった涸渇したかんらん岩である。砂白金というテーマに絞って簡単に述べると、北海道でプラチナ系砂白金を探そうという試みはそもそもムリスジと言って良い。そうと知らずにプラチナ系砂白金の収集を試みたのが旧日本軍。プラチナ系砂白金がどうしても必要だった旧日本軍は、戦時下において強制労働を含めて述べ80万人以上をも動員して、北海道をとことん掘りまくって、ついにプラチナ系砂白金の鉱床を見つけることができなかった。そして日本全体を見渡してもプラチナ系砂白金の鉱床はこれまで見つかっていない。ところが平成から令和に切り替わろうという時代になってプラチナ系砂白金の鉱床が初めて見つかった。場所は北海道ではなく熊本県。そして後から調査に加わった私から見ると、そこはまさにプラチナ系砂白金が出るべくして出る場所だった。いつものように余計な話も挟むが以下に経緯を記してみよう。
 
 
ハルツバージャイト / Harzburgite
ハルツバージャイトという種類のかんらん岩
ダナイトに近いハルツバージャイトで、かんらん石(緑色)の他に斜方輝石(中央の茶色)を含むかんらん岩。単斜輝石はほぼ入っていない。Harzburg(ドイツ)に因んで名付けられHarz Mountainのかんらん岩を構成する。
 
 
田中君と私が砂金や砂白金に興味を持ったのは金水銀鉱の共同研究がきっかけだった。その研究が一段落した後に私は砂白金をもっとよく知るために北海道を調べはじめ、一方の田中君は道外で砂白金の新しい産地を探すという目的を持って行動を始めた。経験を積むために本州で砂白金の産出が噂されている産地にも赴いたようだが、採集された試料はことごとく人工物だった。公式な記録がないのはまあそういうことなのだろうと、少なくとも私は納得した。それでも探査は続けられ、その派生で鹿児島県山ヶ野金山の下流域から棒状の砂金が見いだされた。これは物質としてのウェイシャン鉱であり、水銀と自然金が川の落ち込みにたまり、そこで反応して生じている。しかしその水銀はかつての金山で精錬のために人の手によって持ち込まれた物質である。そうなるとその水銀が反応して生成したウェイシャン鉱は鉱物とは呼べない[5]。それでも原物質がどうであれ、産出に至るプロセスには天然の比重選別が大きな役割を果たしており、これもまた自然が生み出した物質であることに違いない[6]。
 
 
ウェイシャン鉱 / Weishanite
ウェイシャン鉱(Weishanite)の写真
「山ヶ野の棒状砂金」としてその存在は以前から知られていたようだが、これは自然の金ではなく、金と水銀の化合物である物質としてのウェイシャン鉱に該当する。山ヶ野金山では明治時代に水銀を用いた金の回収を行っており、そのときに持ち込まれ、のちに河川に流出した水銀と自然金が川底で反応してウェイシャン鉱が形成される。そして水銀それ自体をフラックスにしてゆっくり成長するので、写真のような棒状の結晶ができあがる。人為起源の水銀が関わっているため鉱物とは呼べないがモノ自体は興味深い。
 
 
そしていつしか九州の黒瀬川帯をターゲットに探査が行われるようになっていた。黒瀬川帯は超苦鉄質岩をはじめとして様々な岩相が混在する地質帯で、南北分布は狭いが東西には九州から四国を経て、果ては関東山地まで断続的に分布している。九州では熊本県内で南北にやや肥大しており、全体としては蛇紋岩メランジュに相当する地質となっている[7]。八代市あたりを見ると、東の山地に超苦鉄質岩が東西に分布し、複数の河川がその岩体を切るように南北に流れる環境が形成されている。こういった地質分布と地形は砂白金の探査には好都合と言えよう。しばらく連絡がなかったが、ある日に先頭の著者二人による共同探査で得られた少量の砂白金が届いた。その見た目から期待したように、調べてみると砂白金はやはりすべてプラチナ系であった。これは日本における砂白金の開拓史において初となるプラチナ系鉱床だ。
 
 
砂白金 / PGM placer
方眼紙の上に置いた砂白金。
最長で4ミリ程度の粒を確認しているが平均的なサイズは1ミリを下回る。すべてイソフェロプラチナ鉱(Isoferroplatinum)がベースになっており、それを包むようにトラミーン鉱(Tulameenite)やテトラフェロプラチナ鉱(Tetraferroplatinum)が発達していることが多く、また多様な鉱物を包有している[8]。ここでは自然プラチナ(Platinum)は産出しない。
 
 
私にとって最初の現地調査は真冬だった。南国熊本とはいえ山中は凍えるほど寒く、それなのに川の中をジャブジャブ進み、水の中に手を突っ込んでパンニングをするのだからまさに苦行。しかし冬期は水量が少なく河川の踏査には最適な時期なので、苦行だとしてもひたすら続けるのみである。調査前に地質図を見て予想していたように現場には特定の石が非常に多い。そして寄せ場を探し、三カ所ですごく良いところが見つかった。寄せ場とは砂金や砂白金などの重鉱物が集中してたまっている場所で、調査では寄せ場を見つけることができるか否かが明暗を分ける。今回の寄せ場はいずれも手つかずのようで、私が愛用する10インチ皿を一振りするだけで砂白金が数粒は入ってくる。14インチ皿では一振り10粒ということもあった。そしてこの際に採集された砂白金について、田中君が担当した寄せ場から三千年鉱が、私が担当した寄せ場から皆川鉱が見いだされた。そういった経緯から三千年鉱の記載は田中君に委ねることにした。田中君との共同研究による新鉱物は三千年鉱で3種目となり、現場はもとより論文までも任せられるというのは本当に頼もしい限りである。
 
 
産地のあたりを地質図で眺めると山中には超苦鉄質岩が東西に分布しているように見える[9]。また5万分の1地質図によって岩相の詳細はすでに判明しており、調査地を地質図上にプロットすると凡例記号「px」となる岩体に投影される[10]。「px」とは輝石岩(Pyroxenite)の略号であり、実際に現場には大量の輝石岩が転がっていた。ここの輝石岩体は体積の9割以上が透輝石(Diopside)であり、超苦鉄質岩の分類からするとこれはクライノパイロキシナイト(Clinopyroxenite)に相当する。地質図の作成者らによると日本最大の輝石岩体とされる[11]。実は世界を見渡すとプラチナ系が主体となる鉱床には実は必ず輝石岩体が伴われている。世界最大のプラチナ系の鉱床として超有名なブッシュフェルト(南アフリカ)も同様で、輝石岩体が主要な母岩の一つとなっている。もちろんマグマに由来する鉱床である。上で触れたようにマグマ由来の輝石岩体はプラチナ系を期待させるため、資源的な意味でも砂白金探査において目印となる重要な岩体である。
 
 
輝石岩体の露頭
輝石岩体の露頭
変質が著しいが10センチの透輝石の結晶が見出されたと報告されている[11]。もともとカンブリア紀にマグマだまりで形成されたと考えられているが、それが大きな岩体として現在のように定置している。
 
 
この輝石岩体は1952年(昭和27)にはすでに存在が示されていたが、そこから半世紀も注目されず、地質図作成のための踏査で2003年(平成15年)に改めて認識されたと紹介されている[11,12]。その地質図は2005年に出版されており、それは砂白金の新産地開拓を行う上ではもはや宝の地図にも等しい。なにせこれは「プラチナ系砂白金を探すならまずはここ」と教えてくれているようなものであった。ただし私が研究に参画した時点で地質図の発行からすでに十数年が経っている。当初これはたいへん気がかりだった。それというのも「寄せ場は掘り尽くすもので、自らの後にまだ採れるようならそれは恥」と考える強烈な堀り師もおり、いずれにしても新産地開拓は早いもの勝ちの側面が非常に強い。もし海外に同じ条件があったらそれはもう瞬殺だろう。そういう事情の中で十数年という年月はあまりにも長く、もはや開発の余地が少ないことを覚悟していた。ところが実際には良質の寄せ場が手つかずのまま何か所も残っているほど注目されていない。現場では首をかしげたものだが、落ち着いて考えるとすこし思い当たる節がある。砂白金探査において北海道の例や蛇紋岩だけがむやみに意識されてはいないだろうか。
 
 
クライノパイロキシナイト / Clinopyroxenite
クライノパイロキシナイトの写真
巨大な透輝石の結晶からなる輝石岩。こういった岩石は「異剥石(いはくせき)」とも呼ばれる。写真は文献[11]とは異なる場所で採集された。この標本は左右12センチほどになる。砕けてしまったが現場では最大で20センチの結晶を確認している。
 
 
日本では永らく北海道のみが現実的な砂白金の産地だった。そのため道外で砂白金を探す際であっても、北海道をベースに物事を考えがちになる。しかし砂白金を総合的に考察する上で大切なのは北海道を基本に据えることではなく、上で述べたように「超苦鉄質岩と白金族元素の挙動」にまずは注目することにある。ところがこういった解説は図鑑や一般向けの書籍では見かけず[13-15]、北海道の産出例だけがやみくもに紹介される傾向がある。その中で砂白金の母岩について超苦鉄質岩よりも蛇紋岩という記述が目立つことが多い。上述したように蛇紋岩と銘打っただけではその本質は漠然としている。それを理解していれば問題ないが、蛇紋岩とだけ強調されていることを真に受けて砂白金の新産地開拓に奮起したとすると、どうだろう。砂白金探査においてプレシャスであるはずの輝石岩が魅力的に思えない。それどころか蛇紋岩でないから目にも留まらない。砂白金産地の開拓でとにかく蛇紋岩を目指せば良かろうという方針は、北海道内ならまあそれでもいいが、道外では狙いを定めているつもりが必ずしもそうではない。そもそも不毛な蛇紋岩も多い。
 
 
それでも探索活動を継続すれば今回のように面白い砂白金に出くわすことがあるだろう。そういったときのためにも超苦鉄質岩が頭にあると良い。たとえば今回の砂白金がプラチナ系ばかりだったことについて、母岩を蛇紋岩とだけ一辺倒に捉えているとすぐ手詰まりになる。もしくは、北海道ではイリジウム系が多いので、それとの違いについて地域性で答えを見出そうとするだろう。日本列島の形成史と地質に基づけば地域性による違いというアイデアはあながち外れでもないが、それは本質ではない。一方で超苦鉄質岩を知っていれば地域性という着想よりも先に「ひとまずは当然」とすぐに看破できよう。そしてプラチナ系鉱床であればおそらくあれも・・と次の展望が見えくる。そうやってさらに深く調査を進める中で出くわす予想外が新鉱物の皆川鉱であり、三千年鉱であった。特に三千年鉱は全世界の砂白金研究史を通じてもその存在は全く示唆されていなかったので、我々も非常に驚いた。
 
 
黒瀬川帯の砂鉱
黒瀬川帯の超苦鉄質岩体を起源とする砂鉱
熊本の黒瀬川帯で、特にその北部に分布する蛇紋岩メランジュには小規模な単斜輝石岩を含む超苦鉄質岩が点在する。それらを横切る河川でも砂白金の産出が期待できる。現時点でいくつかの河川で砂白金の産出を確認している[7]。
 
 
近年に砂白金から見つかる新鉱物については、先に存在が知られている例が少なくない。たとえば一つ前の日本産新鉱物である皆川鉱も同様である。皆川鉱はRhSbを端成分とする鉱物で、それ自体が初めて発見されたのは実は40年も遡る。世界で初めてのRhSb鉱物はTulameen川(カナダ)からの砂白金に包有される10ミクロン以下の粒として1979年に見出され、2014年にはロシアや南アフリカでも見つかっている。しかしいずれも新鉱物として申請されなかった。そういった事情の中、我々が見つけたRhSb鉱物はこれまでのものとは産状が異なり、研究も滞りなく進めることができたので、新鉱物・皆川鉱として承認を受けることになった。なお皆川鉱として承認される以前は、RhSb鉱物については「UM1979-19-Sb:Rh」というコードが附された未命名鉱物として扱われる。こういった未命名鉱物も国際鉱物学連合によって管理されており、その一覧はホームページで公開されている[16]。
 
 
皆川鉱 / Minakawaite
皆川鉱(Minakawaite)の写真
ローズグレイの光沢を持つこぶの部分が皆川鉱に該当する。皆川鉱はロジウム(Rh)とアンチモン(Sb)を主成分とし、端成分がRhSbとなる新鉱物である。愛媛大学の皆川鉄雄教授への献名となっている。
 
 
では三千年鉱はどうかというと、未命名鉱物の中にも該当がなく、合成実験の研究を通じても三千年鉱に相当する物質は知られていなかった。つまり、天然・合成の研究を通じても、世界でまったく新規に見出された鉱物(物質)であった。そして三千年鉱の定義は結果的にややこしい。三千年鉱とは「Rh(Cu1-xGex) 0 < x ≤ 0.5という理想式において、bcc型、CsCl型、ホイスラー型の結晶構造を採用しうる鉱物」である。そして多形を考慮した今回の三千年鉱における呼称については「Michitoshiite-(Cu)-cP1a1b1c」とするように審査員から提案を受けた。ここを読むくらいの愛好家でもすぐに理解するのは困難であろう。我々も同じである。とにかく三千年鉱のめんどくささには手を焼いた。小さいが故に調べること自体が一筋縄ではなく、一般的な記載に加えて合成実験まで行うことになった。そして今後のための分類まで提案した上で審査に望んでいる。鉱物についての詳細な解説はここの趣旨では無いので、あとは田中君がまとめてくれる論文に任せよう。議論が乱雑となることを避けるために記載と合成で論文を分けるかも知れない。こういうスタイルはたまにある。
 
 
三千年鉱 / Michiroshiite-(Cu)
三千年鉱(Michitoshiite)の写真(再掲)
右上にあるローズグレイの光沢を持つ米粒状の「こぶ」の最表面層が三千年鉱となる。外観は皆川鉱と酷似しており、組成分析を行うしか両者を区別する方法は無い。一方でこのようなローズグレイの光沢のこぶは皆川鉱か三千年鉱のどちらかになる。ただし三千年鉱は皆川鉱に比べても非常に数が少なく、砂白金が2-300粒あって一つあるかどうかという割合。
 
 
結果のほうから思い起こすと、このたびの砂白金鉱床は、これほどにあからさまな例は他に類を見ないと言えるほどの典型的なプラチナ系の鉱床である。理想的な事例とも言えるかもしれない。それほどの好例でありながらも今日まで注目されてこなかった何らかの所以があって、幸運にも我々が巡り合うことになった。この成果に至ることが出来たのはフィールド屋の頑張りが非常に大きい。田中君の場合だと無駄骨に終わることの多い現地調査を東京から通いで数年も続けていた。そして前向きな結果が出始めたタイミングで新町氏の協力が得られることになり、その直後に私が参画した。そのタイミングや役割分担もよかったのだろう。遂には調査結果と学術的な考察が回合し、プラチナ系鉱床の発見という日本の砂白金史上で初となる事績につながった[8]。二つの新鉱物はおそらくこの鉱床の成因的な特徴を代表するものであろう。その記載において、念願だった皆川鉱をこのたび為し得たことは本当に感慨無量である。三千年鉱の記載は技術的にいろいろ難しいところがあったが、合成実験において片岡氏(物性研)にサポートをいただいた。そして2019年12月5日、三千年鉱が正式に承認された。驚いたことにその日は皆川鉱の記載論文が出版された日でもある[17]。浜根・田中の共通の師匠である皆川先生の名を冠する鉱物の記載論文が出版されたその日に、 皆川先生の師匠である宮久三千年先生の名を冠する新鉱物が承認された。 狙ってやったわけではなく結果論に過ぎないが、奇跡だなこれは。三千年鉱は私の鉱物人生の中でひとつのゴールになった。やりきった。
 
 
引用
[1] 松本彬 (1928) 北海道に於ける砂金及砂白金に就て. 日本鑛業會誌, 44, 737-745. 740ページの左カラムに「橄欖岩(Dunite)に白金層を含有せること最近札幌鉱山監督局技師渡瀬正三郎氏の調査により其の標本を得、明白となれり(原文まま)」と記されていることから、ここでは「砂白金のかんらん岩起源説」ついて本文献を初出として扱う。
[2] Nakagawa M., Ohta E., Kurosawa K. (1991) Platinum-group minerals from the Mukawa serpentinite, southern Kamuikotan belt, Japan. Mining Geology, 41, 329-335.
[3] 文献[2]は「日本で初めて蛇紋岩(変質したかんらん岩)から白金族元素鉱物(山白金)を見つけた」ことを主張した。一方で中川らは文献[1]を引用していない。ここでは文献[2]については「砂白金のかんらん岩起源説を再確認した」という立場で取り扱う。
[4] Leblanc, M. (1991) Platinum-group elements and gold in ophiolite complexes: distribution and fractionation from mantle to oceanic floor. In Ophiolite Genesis and Evolution of the Oceanic Lithosphere, Proceedings of the Ophiolite Conference, held in Muscat, Oman, 7–18 January 1990 (Peters Tj., Nicolas A. and Coleman R.G. Eds.). pp. 905, Springer, Dordrecht, 231-260.
[5] 鉱物の定義は「地質作用で生じる、一定の化学組成と結晶構造をもつ固体物質」であるため、人の手によって持ち込まれた物質が自然環境で反応して新たな物質を生み出したとしても、それは鉱物とは呼べない。
[6] 田中崇裕,浜根大輔(2017) 鹿児島県山ヶ野(永野)鉱山下流産棒状「砂金」について. 日本鉱物科学会2017年年会, R1-P13.
[7] 蛇紋岩を基質として、地球深部で形成された岩石や、その変成岩など、様々な年代や起源を持つ岩石を巻き込みながら分布する岩体のこと。分布・産状をひっくるめて蛇紋岩メランジュと呼ぶ。
[8] 田中崇裕, 浜根大輔, 新町正(2019)熊本県に分布する黒瀬川帯の超苦鉄質岩体における白金族元素含有鉱物および元素鉱物について. 日本鉱物科学会2019年度年会, R1P-06.
[9] 地質図は地図と地層の合成図であり、様々な色や線などで岩相や断層などが表現されている。Webで利用できるシームレス地質図が非常に便利:https://gbank.gsj.jp/seamless/v2full/
[10] 斎藤眞, 宮崎一博, 利光誠一, 星住英夫(2005) 砥用地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅).産総研地質調査総合センター,218 p.
[11] 斎藤眞, 宮崎一博, 塚本斉(2004)九州中部、熊本県泉村-砥用地域の“黒瀬川帯”蛇紋岩メランジェ中の単斜輝石岩. 地質調査研究報告, 55, 171-179.
[12] 勘米良亀齢 (1952) 熊本縣氷川流域における上部石炭系および下部二畳系. 地質学雑誌, 58, 17-32.
[13]論文や記事で白金族元素の挙動について簡単な解説が記されているが(例えば[14,15])、図鑑や書籍などになるとこういった言及は見当たらない。
[14] 中川充, 太田英順(1993)北海道のオフィオライト産砂白金. 石井次郎教授追悼論文集, 133-141.
[15] 中川充(1994)砂白金の宝庫-北海道はイリジウムの時代. 地質ニュース, 480, 23-26.
[16] International Mineralogical Association, COMMISSION ON NEW MINERALS, NOMENCLATURE AND CLASSIFICATION (http://cnmnc.main.jp/)
[17] Nishio-Hamane D. Tanaka T., Shinmachi T. (2019) Minakawaite and platinum–group minerals in the placer from the clinopyroxenite area in serpentinite mélange of Kurosegawa belt, Kumamoto Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 114, 252-262.

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IMA No./year: 2019-024
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-46296:正模式標本、M-46297:副模式標本)

皆川鉱 / Minakawaite

RhSb

The Sb analogue of cherepanovite

熊本県美里町

記載論文:Nishio-Hamane D. Tanaka T., Shinmachi T. (2019) Minakawaite and platinum–group minerals in the placer from the clinopyroxenite area in serpentinite mélange of Kurosegawa belt, Kumamoto Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 114, 252-262.

皆川鉱 / Minakawaite
皆川鉱の写真 
全体としては「こぶ」をもつ砂白金で、皆川鉱はローズシルバーの金属光沢で、こぶの最表面層を構成する。
 
 
令和時代最初の日本産新鉱物、皆川鉱(Minakawaite)である。皆川鉱は愛媛大学教授を務めた皆川鉄雄先生への献名となっている。ちょうど20年前のことになる。大学の2年時で進路を振り分ける際に、私は(成績が芳しくなかったので)強制的に地球科学系へ回された。しかしそれは結果的に皆川先生に師事する機会となり、そこで初めて鉱物にふれて、私の鉱物人生が始まり、今がある。すなわち皆川先生との出会いが私の人生の再出発点でもあった。これまでずっと二人三脚でやってきて、皆川先生との共同研究による新鉱物は17種になる。皆川先生に教えてもらったことを駆使して私ができる恩返しは、やはり新鉱物への献名しかないと思っていた。ようやく念願が叶った。これまでご指導いただき、誠にありがとうございました。

 
今回の著者の一人、田中君もまた愛媛大学(大学院)で皆川先生から鉱物を学び、私の後輩に当たる。田中君との共同研究による新鉱物は、金水銀鉱に次いで皆川鉱が二つ目になった。今回の皆川鉱の発見につながる試料はまずは彼が見つけてきた。皆川鉱は「砂白金(さはっきん、すなはっきん)」から見出された新鉱物である。そこで今回は日本の砂白金をテーマに話を進めてみよう。

 
まずは言葉を整理したい。一般には「白金」というと「プラチナ(Pt)」という単独の元素もしくは金属を指す。一方で「砂白金」という単語の構成要素としての「白金」は「白金族元素を主成分とする金属(鉱物)」のことである。そして「砂」は漂砂という意味を持つ。つまり「砂白金」とは「漂砂として堆積した、白金族元素を主成分とする金属(鉱物)」の総称となる。また調べた範囲では明治時代の文献では「砂白金」という文字は見あたらず、大正3年以降で「砂白金」が確認できた[1]。公的な文面では大正5年の砂鉱法改正案の議事録で初めて「砂白金」が登場する[2]。それから砂白金は日本語では単語になっているが、砂白金に対応する英単語は存在しない。例えば「Placer Platinum-group metals (minerals)」や「Alluvial Platinum-group metals (minerals)」などが砂白金の英訳になる。論文では省略して「Placer PGM」とされることも多い。
 
 
白金族元素の一覧
白金族元素の一覧
融点の高い順に左から右に並べている。地球化学ではOs-Ir-RuとRh-Pt-Pdに分けてその挙動を考えることが多い。ここではイリジウム系(Os-Ir-Ru)とプラチナ系(Rh-Pt-Pd)と呼んで話を進める。
 
 
次に学術文献から読み取れる日本の砂白金の発見史をたどってみる。多少の食い違いがあるが文献[3-7]を総合すると、砂白金は明治23年(1890年)頃に夕張川・空知川で初めて見出され、夕張産の砂白金について明治25年(1892年)にはイリジウム-オスミウム合金であることが判明する。そして明治26年(1893年)には砂白金の産地として、現在の宮城県気仙沼市、茨城県大子町、銅山川(愛媛県~徳島県)が挙げられている。ただしそれらの産地の砂白金は続報に乏しく、昭和25年(1950年)の段階で砂白金の確実な産地は北海道のみだと認識されている[3]。現時点においては、北海道以外の産地として埼玉県荒川や愛媛県小田川が学術文献から確認できるが [8,9]、産出量はごく微量に過ぎない。その他の産地についても噂はあれども、学術文献からは確実な情報は拾えなかった。いずれにしても北海道外では砂白金は産出しても微量ということは共通している。
  

砂金と砂白金
愛媛県小田川で採集された砂金と砂白金
この産地からの砂白金はこれまでに自然オスミウムと自然イリジウムの産出を確認している。自然イリジウムの一部には輝イリジウム鉱も伴われていた。

  
砂白金の産地が北海道に集中しているということは、日本における砂白金の開拓史は北海道が舞台だったことを意味している。北海道の砂白金はオスミウム(Os)-イリジウム(Ir)-ルテニウム(Ru)を主成分とする合金がほとんどで、ロジウム(Rh)-プラチナ(Pt)-パラジウム(Pd)はかなり少ない。ここでは簡単に前者3つを「イリジウム系」と呼び、後者3つは研究では「パラジウム系」と呼ばれるがここでは「プラチナ系」と言っておこう。そして、北海道産砂白金の開拓史において、最初期では砂白金はゴミに等しく、ある時期からイリジウム系砂白金の需要が生まれ、晩期はプラチナ系砂白金の確保ために無茶な開発が行われた。続いて北海道を舞台とした砂白金の利用と開拓史について述べたい。
 
 
砂金と砂白金
北海道産の砂白金
この写真の中に移っている砂白金はほとんどがイリジウム系の合金で、いわゆるイリドスミンと呼ばれるもの。個人的に分析してきた経験を元にすると、プラチナ系砂白金は大雑把に見積もって5%程度の存在度だろう。
 
 
北海道でよく採れたイリジウム系砂白金は通称で「イリドスミン」と呼ばれ、耐摩耗性に優れ、酸にも強く融点も非常に高いといった特徴をもつ。つまり加工が困難なやっかいな金属であり、それ故にイリドスミンは当初は用途が無いばかりか、それが混じった砂金は買い手がつかなかった。イリドスミンが混じった砂金から作られた地金を彫刻するとノミが欠けてしまうことから、とりわけ彫金師には嫌われたようだ[10]。そんな邪魔者のイリドスミンであったが、大正初め頃から大きな需要が生まれてくる。その用途は万年筆であり、北海道産砂白金の大部分を構成する堅くて摩耗しにくいイリドスミンは万年筆のペンポイントには最適な素材だった。一方で万年筆のペンポイントとして使えるちょうど良い大きさ・形の砂白金は当然だが少なく、天然物をそのまま利用するやりかたは歩留まりが悪かった。そのため、砂白金を溶かして小球に加工する技術が必要になる。
 
 
万年筆
PILOT社の万年筆
ペンポイントの素材は各社で異なっているが、PILOT社の金ペンにはイリドスミンに該当する合金が使用されている。分析してみたところペンポイント(銀色部)はOs44Ir36Ru20組成の合金で、北海道産イリドスミンとよく似た組成になっている。また地金は14Kと表記されているが、実際は15Kを少し上回る品位だった。ものによっては14K表記でも20Kを越えることがある。何らかの手違いか、追加で金メッキを施してあるのだろうか?

 
海外では砂白金を溶解させる方法(ホランド法:強熱中の砂白金にリンをぶち込む)はすでに確立されていたが、その当時の日本にはホランド法は伝わっておらず、日本人は独自に溶解技術の開発を試みた。そこで黒鉛の上に設置したイリドスミンに大電流を流す方法が試されたが、良質な小球は得られなかったようだ。あるとき岡田陽と並木良輔はイリドスミンの加工にライムライトを思いついた。ライムライトは酸水素炎で石灰を強熱して得られる強烈な白色光を指し、大正期には舞台照明として用いられていた。酸水素炎の温度は2800℃にも達するため、純粋なオスミウムでもない限りたいていは溶かすことができる。岡田と並木はライムライトの技術を習得するため、写真屋を装って映写技師に師事したという話がある[10]。結果的に彼らはペンポイントに適した良質な小球の量産を可能にした。並木は後に並木製作所(現:PILOT社)を設立して国産万年筆の販売を始めた。PILOT社は今ではプラズマ溶解でペンポイントを作っている。

 
万年筆のペンポイント
万年筆のペンポイント
左はPILOT社の製品で18K地金にOs40Ir40Ru20組成のペンポイント。右は別会社の製品で同じく18K地金であるが、ペンポイントはIr32Re27Ru21Pt13Co8組成。

 
国産万年筆が誕生したころの北海道では島田千代松が頭角を現し、北海道産イリドスミンについて、現場からの買い付けと道外への販売を独占するようになっていた。千代松は自身もかつては採掘人だったこともあり、同僚の性質をたいへん良く理解していた。例えば、古い時代には砂金に混じる砂白金は嫌がられ、砂金を主に掘る人たちは夜になると囲炉裏端で砂白金を選別・廃棄していたことを千代松はよく知っていた。そして千代松は採掘人の住居跡から囲炉裏の灰を集めて砂白金を回収することがあった[11]。また彼は選別についても独自の技術を持っていた。西洋皿に砂白金とその他が混じった重砂を入れ、皿を傾けて片側を筆の柄で軽くたたくだけなのだが、イリドスミンとその他は挙動が異なるため楽に選別できる[10]。自分の試料でも真似して選別していたところ、イリドスミンとは別に明らかに挙動がおかしい粒があった。拾い上げて調べてみたところ、それはQusongiteという極めて珍しい鉱物であった。先人の知恵は試してみるものである。

 
炭化タングステン鉱 / Qusongite
炭化タングステン鉱 / Qusongite
炭化タングステン鉱(Qusongite)の写真(上)とSEM画像(下)。
Qusongiteは天然で生じた炭化タングステン(WC)なので、和名は炭化タングステン鉱で良いだろう。写真の標本は北海道産砂白金に伴われて見つかった。粒は小さい結晶の集合体で、その表面には四面体結晶が見られる。炭化タングステン鉱は最初にチベットの超苦鉄質岩からみつかった鉱物。
 
 
昭和12年(1937)の日華事変を契機として、昭和15年までには民間への砂白金の提供は止まってしまう。そして戦前では個人操業の域を出なかった砂白金の採掘は、戦時下では国策事業として大規模に行われた。砂白金の採掘のために設立された帝国砂白金開発有限会社では昭和17-20年(1942-1945)の期間に延べ約85万人を動員したようだ[10]。他にもいくつかの採掘会社が設立され、それらによって河床が何キロにもわたって数メールも掘り下げられ、砂白金は本当に根こそぎ回収された。国策事業だったことから、北海道大学では自ら演習林を解放して職員を採掘に当たらせたこともある[12]。昭和17-20年で北海道全体から生産された砂白金は合計で約76kgと記録されている[3]。この時代、砂白金は重要な軍事物資であった[13]。
 
 
旧日本軍が砂白金を求めた理由のひとつに「秋水(しゅうすい)」というロケット戦闘機が関係している。秋水はアメリカのB-29爆撃機を圧倒的に優位な立場から確実に撃墜できる決定的な戦闘機となるはずだった。私が勤務する東京大学柏キャンパスには道路を挟んで「柏の葉公園」が隣接しており、この公園はかつての柏飛行場の跡地に作られている。戦時下において、この柏飛行場は秋水の基地だった。秋水の燃料はメタノール、過酸化水素、ヒドラジン[14]。当時は高濃度過酸化水素電解法で生産しており、戦時下においては電極用のプラチナを国産でまかなうしかなかったが、上で述べてきたように北海道産砂白金にはプラチナ系の含有量が非常に少ない。あれほど無茶な開発をしても必要量は確保できなかったようだ。そのあげく、ついに秋水は完成に至らない。そして終戦と共に北海道産砂白金の開拓史も終焉を迎える。産業用途の白金族元素は、以降は輸入品が使用されている。
 
 
柏の葉公園
陽春の柏の葉公園
公園から東大柏キャンパスの方を向いて撮影。公園は軍用飛行場の跡地に作られ、今では市民の憩いの場となっている。

 
北海道の砂白金にプラチナ系が少ない理由は何だろうか。それは白金族元素の性質と、砂白金の原岩に原因がある。白金族元素は地球深部のマントルを構成するかんらん岩に平均的に分布していたとしても、あるときに部分溶融が生じると、相対的に融点の低いプラチナ系白金族元素はマグマ内に移動しやすく、融点の高いイリジウム系白金族元素はかんらん岩に取り残されがちとなる。そして北海道の砂白金の原岩は、マグマが抜けきった「涸渇したかんらん岩」である。つまりプラチナ系はすでに抜けた後のかんらん岩が原岩なので、そこからこぼれ落ちた砂白金がイリジウム系ばかりというのはあたりまえであった。一方でそういった特徴だからこそ、北海道の砂白金からルテニイリドスミンおよび自然ルテニウムという新鉱物が発見された[15,16]。いずれもイリジウム系が主成分である。

 
ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
ルテニイリドスミン/ Rutheniridosnime
北海道産砂白金から見出された新鉱物の一つ。ルテニイリドスミンが新鉱物となった経緯はやや複雑なので、日本の新鉱物・ルテニイリドスミンを参照してください。

 
自然ルテニウム / Ruthenium
自然ルテニウム / Ruthenium
これも北海道産砂白金から見出された新鉱物。写真の標本は自然ルテニウムの結晶となる。新鉱物となった経緯は日本の新鉱物・自然ルテニウムを参考にどうぞ。

 
北海道の砂白金はイリジウム系ばかりで、とんでもない無茶な開発を行ってもプラチナ系砂白金の鉱床はついに見つからなかった。そして砂白金の鉱床それ自体がこれまで北海道に限られていたので、日本全体として考えてもプラチナ系砂白金の鉱床は期待できない、はずだった。一方で下に掲載する写真は今回の研究で得られた試料で、写真中の粒は砂金を除いてすべてプラチナ系砂白金である。旧日本軍が血眼になって探し求めたプラチナ系砂白金の鉱床は、北海道ではなく九州は熊本県に存在したのだ。明治23年(1890年)頃に北海道で初めて認識された日本の砂白金、そこから100年以上を経て、日本では初めてプラチナ系砂白金の鉱床が見つかったことになる。また、北海道外の砂白金としては最も多産する鉱床でもあろう。数日かけて調査して、ネコ板をかけずにパンニング皿を振るうのみだったが、それだけでも全体で1000粒以上が採集された。ちなみに私が愛用しているパンニング皿は10インチである。

 
プラチナ系砂白金
熊本県から見つかった砂白金
これらはことごとくプラチナ系の砂白金であった。砂金の産出はむしろ非常に希で、全体で10粒程度しか得られていない。観察結果から判断するとこの産地の砂金は砂白金とは起源が異なると考えられる。

 
プラチナ系砂白金
銀白色の強い粒(右)と、やや褐色を帯びた粒(左)
右はイソフェロプラチナ鉱(isoferroplatinum:Pt3Fe)で、左はトラミーン鉱(tulameenite:Pt2CuFe)もしくはテトラフェロプラチナ鉱(tetraferroplatinum:PtFe)。(肉眼では判別できない)。またトラミーン鉱やテトラフェロプラチナ鉱の内部にはイソフェロプラチナ鉱が必ず存在し、いわゆるコア-シェル構造になっている。

 
熊本の砂白金はプラチナ系であるばかりでなく、多様な白金族元素鉱物を伴うこともまた特徴である。例えば、バウィー鉱(Bowieite:Rh2S3)、チェレパノフ鉱(Cherepanovite:RhAs)、エルリッチマン鉱(Erlichmanite:OsS2)、硫銅ロジウム鉱(Cuprorhodsite:(Cu0.5Fe0.5)Rh2S4)、キングストン鉱(Kingstonite:Rh3S4)、ミアス鉱(Miassite:Rh17S15)、モンチェ鉱(Moncheite:PtTe2)、パラディ鉱(Palladinite:PdO)などが見いだされた。いずれも日本では初めて見つかったものばかりである。バウィー鉱、エルリッチマン鉱、硫銅ロジウム鉱なら砂白金表面で見かける。この三種は世界的に稀産鉱物というわけではないが、Mindat.にもまともな写真が無いことからわかるように、そのものを示す標本が世界的にもほとんど存在しない。ところが熊本ではそれぞれが見てわかるという状態で産出し、個別の標本として扱うことができる。

 
バウィー鉱 / Bowieite
バウィー鉱を伴う砂白金
バウィー鉱は砂白金に包有され、写真では左側に位置する灰黒色で強い光沢をもつ粒が該当する。断面では棒状の結晶形となっていることが多い。

 
硫銅ロジウム鉱 / Cuprorhodsite
硫銅ロジウム鉱を伴う砂白金
硫銅ロジウム鉱はざらついた黒色の不定型な塊として写真の中央に位置する。その脇にある強い光沢の粒はエルリッチマン鉱。

 
エルリッチマン鉱 / Erlichmanite
エルリッチマン鉱をともなう砂白金
エルリッチマン鉱はラウラ鉱(Laurite:RuS2)と固溶体を形成する。どちらも産出し、見た目で両者は区別ができないが、エルリッチマン鉱のほうが多い。エルリッチマン鉱は黒色で強い光沢を持つ粒として生じる。見た目はバウィー鉱に似ているが、バウィー鉱に比べて光沢はさらに強く、色もより黒い。

 
皆川鉱は上記の鉱物とはやや異なった産状を示す。皆川鉱は砂白金に伴われる楕円形~やや不定形の「こぶ」として産出する。そのこぶの内部は別の鉱物の集合体であるのだが、こぶの表面を覆うように皆川鉱が分布している。皆川鉱は必ずコブの最表面の薄い層として産出し、皆川鉱からなる層の厚さは最大でも5ミクロン程度である。一方でこぶの全体が皆川鉱で覆われているため、分布範囲は広い。実体顕微鏡があれば肉眼でも皆川鉱は十分に認識できる。皆川鉱はRhSbを端成分とし、チェレパノフ鉱(Cherepanovite:RhAs)からみてAs→Sb置換体に相当する。皆川鉱は構造もチェレパノフ鉱と同じくMnP型構造となっている。そんな皆川鉱だが、産出量はどうかというと、残念ながら少ない。この産地でもこれまでに見つけた皆川鉱を含む砂白金は、合計で20粒にも達していない。皆川鉱が非常に少ない原因はおそらくその産状にあるだろう。この産状だと真っ先に川擦れしてしまうので現存数が結果的に少なくなる。こぶ付きの砂白金でも硫銅ロジウム鉱だったというケースは稀ではない。

 
皆川鉱 / Minakawaite
皆川鉱を伴う砂白金
ローズシルバーの光沢を持つ「こぶ」の部分が皆川鉱となる。この標本では左右にふたつのこぶがある。皆川鉱はそのこぶの最表面層(最大厚み5ミクロン)であり、それより内部は硫銅ロジウム鉱や未命名鉱物からなっている。

 
皆川鉱に相当する化学組成をもつ鉱物は、未命名のRhSb鉱物としていくつかの産地からすでに報告がある。これまでにトラミーン川(カナダ)とウラル地方(ロシア)の砂白金の中から、そしてブッシュフェルト岩体(南アフリカ)からの鉱石中に、最大で10ミクロン程度の粒として産出が報告されている[17-19]。そして、実はまだ学会でも報告していないのだが自分でもRhSb鉱物を先に見つけていた。(個人的な順番付けでは)日本で最初のRhSb鉱物は北海道の苫前海岸から見つかっており、それはイソフェロプラチナ鉱を主体とする砂白金の外縁部に伴われていた。ただしそのRhSb鉱物は過去の例と同様に数ミクロン程度の大きさだったので、新鉱物として申請するために必須な構造データが得られる見込みがなかった。そのために諦めていたのだが、熊本県の皆川鉱はこぶの最表面を覆うという特殊な状態で産出したため、微小部X線回折計によって結晶構造データの取得が可能だった。新鉱物の審査は全く問題なくあっさり承認された。

 
皆川鉱ほか
今回の研究の前に見つけていたRhSb鉱物(= 皆川鉱)
苫前海岸の砂白金から見いだされた。イソフェロプラチナ鉱を主体とする砂白金の外縁部がフェロニッケルプラチナ鉱に置換されており、その中に数ミクロン程度のザッカリーニ鉱と皆川鉱の微少粒が含まれている。

 
さて、ここまで産地や鉱床のことについて全くふれていない。しかし申し訳ないが今回はこれでおしまいとする。実は次があることを期待しており、そちらでまとめて書きたい。そこにつなげるように今回は日本の(実質は北海道の)砂白金をテーマに話を進め、まずは「熊本の砂白金鉱床は、日本の砂白金の開拓史上初めてとなるプラチナ系の鉱床」であることを伝えたかった。そして皆川鉱で覆われたこぶの中に未命名鉱物があったことに軽くふれたが、それ以外にもいくつかの未命名鉱物が見つかっている。その中からあと一つはなんとか新鉱物として形にできるかもしれない。もしそれが新鉱物となったときに、鉱床の地質的な背景やその発見の経緯から入っていき、その新鉱物が形になっていく過程なども紹介しよう、という青写真を描いている。しかし、取らぬ狸の皮算用で終わるかもしれない。そんなもの期待できん、という方は 日本鉱物科学会2019年年会@九州大学伊都キャンパス へぜひともお越しください。田中君が鉱床や産出鉱物についてポスター発表することになっている。私もそばにいる、はず。

 
引用
[1] 著者不明 (1914) 日本鑛業會誌, 30, 729-747.
[2] 砂鉱法議事録
[3] 鈴木醇 (1950) 北海道の砂白金鉱床. 北海道地質要報, 14, 1-41.
[4] 松本彬 (1928) 北海道に於ける砂金及砂白金に就て. 日本鑛業會誌, 44, 737-745.
[5] 近藤 (1892) 地学雑誌, 4, p534a.
[6] 石川貞治 (1895) 北海道産二三の稀有鉱物(イリドスミン、白金、辰砂、クローム鉱物). 地質学雑誌, 3, 245-246.
[7] 鈴木敏 (1893) 日本の鉱物産地, 地学雑誌, 5, 176-180.
[8] 井伊博行, 井伊洋子, 岡田昭彦 (1991) 埼玉県長瀞町樋口の砂鉱床中の白金属鉱物について, 鉱物学会1991年年会講演要旨集, P119.
[9] 浜根大輔, 皆川鉄雄 (2017) 新鉱物 金水銀鉱(Aurihydrargyrumite). 日本鉱物科学会2017年年会講演要旨集, R1-17.
[10] 弥永芳子 (2006) 砂白金~その歴史と科学~. 文葉社, pp233.
[11] 北村順次郎(1977)士別の砂金掘り物語 及川善之進翁のこと. 続.士別よもやま話, 士別郷土研究会, pp.192(p.89-102)
[12] 北大演習林80年(1981)北海道大学農学部附属演習林, pp.172.
[13] 熊谷忠三郎(1944)闘ふ鉱物. 朝日新聞社, pp.277.
[14] 松岡久光(2004)日本初のロケット戦闘機「秋水」-液体ロケットエンジン機の誕生. 三樹書房, pp.246.
[15] Aoyama S. (1936) A New mineral “Ruthenosmiridium”. The Science reports of the Tohoku Imperial University. Series 1, Mathematics, Physics, Chemistry, Anniversary Voume dedicated to Professor Kotaro Honda, 527-547.
[16] Urashima Y., Wakabayashi T., Masaki T., Terasaki Y. (1974) Ruthenium, a new mineral from Horakanai, Hokkaido, Japan. Mineralogical Journal, 7, 438-444.
[17] Dunn P.J., Cabri L.J., Chao G.Y., Fleischer M., Francis C.A., Grice J.D., Jambor J.L., Pabst A. (1984) New mineral names. American Mineralogist, 69, 406-412.
[18] Varlamov D.A., Murzin V.V. (2014) The PGE minerals from placers of Verkh-Neyvinsk ultrabasite massif (the Middle Urals) – new mineral phases and complex of secondary minerals. RMS Annual Session combined with the Fedorov Session 2014, 89-91. (in Russian with English title)
[19] Oberthür T., Weiser T.W., Melcher F. (2014) Alluvial and eluvial platinum-group minerals from the Bushveld complex, South Africa. South African Journal of Geology, 117, 255-274.

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No. IMA2018-161 留萌鉱 / Rumoiite
No. IMA2018-162 初山別鉱 / Shosanbetsuite
模式標本:国立科学博物館(NSM M-46178, 46179)

AuSn2, Orthorhombic (Rumoiite)
Ag3Sn, Orthorhombic (Shosanbetsuite)

Known synthetic analogue

北海道初山別村(初山別川)

出典:Nishio-Hamane, D. and Saito, K. (2019) Shosanbetsuite, IMA 2018-162. CNMNC Newsletter No. 49: Mineralogical Magazine, 83, doi:10.1180/mgm.2019.35

新鉱物を含む砂金
留萌鉱および初山別鉱を含む砂金。この裏側は研磨してあり、新鉱物はそこから見つかった。

平成時代最後の日本産新鉱物 となった「留萌鉱(Rumoiite)」および「初山別鉱(Shosanbetsuite)」である。日本産新鉱物の研究史をたどると、平成時代は開幕も閉幕も北海道が舞台となっている。平成で最初の新鉱物は北海道札幌市豊羽鉱山から見出された豊羽鉱(Toyohaite)であり、平成時代の最後を飾る新鉱物が北海道初山別村から見出された留萌鉱と初山別鉱になる。これらは平成31年4月3日に国際鉱物学連合から承認を受けた。

さて、このたびの新鉱物は初山別村を流れる初山別川から採集された砂金の中から見出され、それぞれ金(Au)と銀(Ag)を主成分に持つ。それだけ聞くときらびやかな印象を受けるだろうが、実はその姿は肉眼では捉えられないほどものすごく小さい。さらにこの新鉱物たちは砂金に包まれており、外見からはその存在が全くわからなかった。実際のブツの写真はあとで掲載するとして、ひとまずは経緯から書いていこう。

研究のきっかけは数年前にさかのぼる。以前に愛媛県南予をフィールドとして調査を行っていた中で、想定外の場所から砂金・砂白金を見出すことができた。そしてその活動は新鉱物「金水銀鉱(Aurihydrargyrumite)」の発見という成果にもつながった。このときの研究は主に3人で取り組んだが、その後は各々の興味に基づいた活動を始めることになった。一人は地元でより深く調査を行うことを指向し、もう一人は自身のアイデアを元にして新産地(特に砂白金)を探し始めた。そして私はといえば、砂金や砂白金の持つ情報が例えば生成環境のトレーサーとして使えるかどうかを見極めたく、まずはその実物を調べる経験を積むことにした。
 

金水銀鉱  Aurihydrargyrumite
2017年に見出された新鉱物・金水銀鉱(銀白色部)。これを見出したところから砂金・砂白金について興味を持ち始めた。
 

そのために、なるべくいろんな産地から試料を手に入れて分析するということをしていた。その過程で改めて感じたが、砂金・砂白金の研究は試料の入手がやっかいだ。思ったようにはコトが運ばないと言ったほうが妥当かもしれない。それでもなんとか試料を確保して小さな理解が少しずつ進んできた。そこで、いくつかの産地の砂金・砂白金について色・形と化学組成をいつでも見られるようにしておくと(自分が)便利だなと思い、自然金のページを作って情報をいくつか並べていた。

この自然金のページは産地・写真・組成という内容を主としているが、自分用のメモのつもりだったので他にもさまざま並べた雑多な内容になっている。他の人にはあまり役立つものではないだろうが、これが新鉱物への縁となった。今回の研究に参加している齋藤勝幸さん(留萌市在住)は、不定期に更新されるこの自然金のページに注目していたようだ。

 
多摩川の砂金
多摩川で採集した砂金。自然金のページにはこのようにいくつかの産地について砂金・砂白金の写真とその分析値を並べていた。
 

齋藤さんは砂金堀りコーディネーターとして独自の理論と経験があり、自然金のページについてコメントがあるということで連絡が来た。そして砂金・砂白金について話をする中で考えを共有できる部分もあり、北海道・留萌管内の産地を案内してもらう交渉がまとまった。北海道の砂金・砂白金について、特に砂白金は特定の蛇紋岩体から産するものがすでにたいへん有名で、鉱物学的な研究もそういった産地のものに対して行われてきたが、その他の産地となると情報がとたんに乏しくなる。そして留萌管内の砂金・砂白金というのは弥永氏の著作[1]に産出が記されおり写真も掲載されているのだが、具体的な研究例が見当たらない。そのため、留萌管内の砂金・砂白金について私はその実体をまったく把握できていなかった。

留萌管内の地質は年代の異なる地層が組み合わさっているが、ざっくり言うとどこも堆積岩ばかりである。そして変成や変質作用をあまり受けておらず、この地域は保存状態が良好な化石を豊富に産出する。たとえばアンモナイトなどさして珍しくもない。河川の上流にも火成岩や蛇紋岩の分布は全くないため、本州・四国を調査してきた自分の経験からすると、こういった地域では砂金や砂白金の産出はまず期待できない。しかしながら実際は簡単に採集できる。ここで?という場所で砂金や砂白金が採集でき、この地域では自分の見立てが役に立たないことを思い知った。驚いたことに、ある場所では磁鉄鉱やクロム鉄鉱を主体とした重砂がほとんどなく、パンニングで残る砂は白い石英ばかりという状況にも関わらず、唐突に立派な砂白金がゴロっと出てくる。一方で砂金は全く出ないなど、もうわけがわからない。

 
砂金(左)と化石(右)
初山別川から得られた砂金(左)と化石(右)。砂金を採集する過程で黄鉄鉱化した化石も混じることがある。ただしこの化石が何であるのかは専門でないのでわからない。
 

初夏の季節に齋藤さんの案内で留萌管内において調査を行った。初山別村ではいくつかの川で上流~中流域をざっと見て、所々でいわゆる「盤(ばん)」が出ていることを確認した。初山別川では採集を行いやすい場所を案内してもらい、そこでもやはり盤は露出している。見晴らしも良く、ここならもし熊に出くわしても逃げる余裕がありそうだなと気持ちが落ち着いた。そして改めて足下の盤を観察すると、層理が水流と平行であり、川底や溝にたまっている土砂はほとんどない。草が生えている部分にはもちろん多少の堆積があるが、良質な寄せ場とはちょっと思えなかった。それでも川岸の土砂をパンニングすると予想外に多くの砂金・砂白金が入ってくる。あいにく小雨が降る日であったが、時間が過ぎるのも忘れるほど集中して採集ができた。そして数日かけて留萌管内のいくつかの場所で採集を行い、以前に齋藤さんが採集した試料も少し分けていただいた。
 

初山別川
初山別川の下流域。盤は凸凹の少ない砂泥質岩で、層理は水の流れと平行している。堆積物は基本的に薄ぺらい。
 

こうして留萌管内の砂金・砂白金が手元にやってきた。そしてまずは砂白金の方に手を付けた。すでに有名となっている蛇紋岩地域から得られる砂白金はルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)を主体とした合金が圧倒的に多い。それに少量のプラチナ(Pt)-鉄(Fe)合金が伴われ、それ以外となると非常に稀となっている。この特徴は砂白金の供給源となっている蛇紋岩がいわゆる枯渇したマントル物質であることに由来する。つまり相対的に液相濃集元素であるパラジウム(Pd)-ロジウム(Rh) -プラチナ(Pt)成分はすでに抜けたあとの蛇紋岩が起源だから、相対的に固相濃集元素であるルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)ばかりが多くなる。この傾向が堆積岩が主体の留萌管内ではどうかと思って調べているところである。まだ途中の段階ではあるが、これまでに日本では報告されていない白金族の鉱物が砂白金の中にパラパラと見つかるという成果は得られている。この結果はまた近いうちに鉱物学会などで報告するとして、では砂金の方はどうだろうか。

 
初山別川の砂金と砂白金
初山別川で採集した砂金と砂白金。留萌管内の特定の場所からの砂白金にはザッカリニ鉱(Zaccariniite)という珍しい鉱物も含まれていた。
 

砂金(砂白金もそうだが)に対して何を調べるかというと、表面や内部の組織および化学組成を見ていくことがまずは基本となる。表面だけなら砂金は壊さずにそのまま調べることが可能だが、内部はそうはいかない。内部を調べるためには、砂金をスライドガラス上に樹脂で固定して、おおむね元の半分程度の厚みになるまで手で研磨する。そうやってできた試料を観察するため、単純に半分は消し飛んでいる。このような過程で現れたのが今回の新鉱物、留萌鉱と初山別鉱であった。砂金の厚みが100ミクロン以下であっても手の感覚だけを頼りにざっくり研磨していたので、加減が少し違っていれば今回の新鉱物は気づかれることなく消滅していただろう。

 
新鉱物を含む砂金の断面
留萌鉱および初山別鉱を含む部分の反射顕微鏡写真。
 

できあがった研磨薄片には金とは異なる鉱物が含まれていた。電子顕微鏡でその部分を観察すると、数ミクロンの粒状の鉱物とその隙間を埋めるいくつかの鉱物からなっている。粒状の鉱物からは金(Au)と錫(Sn)が同じ割合で検出され、これは元江鉱(Yuanjiangite)という鉱物であった。元江鉱は中国で1994年に見出され、今でもまだ世界に数例しか報告のない非常に珍しい鉱物となる。そして元江鉱の隙間を埋めている不定形の鉱物は何かというと、大部分は自然鉛(Lead)であったが、さらによく見ていくと自然鉛とはコントラストの異なる部分が二箇所ある。それらが留萌鉱と初山別鉱になる(下の写真)。数ミクロンからそれ以下というとんでもなく小さいサイズだが、これまでの経験を駆使して何とか新鉱物の申請に必要なデータが集まった。

 
SEM image for new minerals
留萌鉱および初山別鉱を含む部分の電子顕微鏡写真。留萌鉱と初山別鉱は本当に小さな小さな新鉱物となる。
 

留萌鉱と初山別鉱は砂金の内部に存在した。こういった産状はなにも留萌鉱や初山別鉱に限ったことではなく、砂白金の方でも珍しい鉱物はその内部に存在することが多い。そのため研磨薄片を作ることは砂金・砂白金研究の基本となる。ただし薄片を作れば粒の半分ほどは消し飛び、うまく研磨できたとしても特に何にも見いだせないこともまた多い。その場合はさらに研磨と観察を繰り返し、何も無ければ最終的にすべて失せる。入手に苦労した貴重な砂金や砂白金が、なんら新しい知見も無しに消滅することを何度か体験した。特に初期の段階では手加減の練習もかねていたので、けっこう消えた。うーん、つらい。それでもごく稀に今回のようなことあるので、新しい発見のためには必要なコストだと割り切るしかない。

留萌鉱や初山別鉱の学名について。今回の新鉱物は特に何かのグループに属している訳ではなく、学名については著者が自由に決めることができる。そして今回は地名を採用した。金を主成分に持つ留萌鉱に関しては、産地が留萌管内にあるという理由から学名を「Rumoiite」と決めた。銀を主成分とする初山別鉱のほうは、産地の初山別村に因んで学名を「Shosanbetsuite」とした。そして留萌および初山別はアイヌ言葉に由来する。北海道庁の解釈では、留萌はアイヌ語の「ルルモッペ」から来ており、「潮汐がいつも静かな川」という意味らしい。初山別についてはアイヌ語の「ソエサンペ」に由来し、「滝がそこで流れ出ている川」という意味をもつとされる。ただし地名の漢字表記は単にアイヌ語の発音に漢字を当てただけのようで、個々の漢字の持つ意味から本来の意味はたどれない。

天然に産出する留萌鉱や初山別鉱の実体はせいぜい数ミクロンしかない。私がこれまでに見つけてきた新鉱物の中でも最小のサイズとなる。光学顕微鏡でも見えないほどで、なんとも寂しいとしか言いようがない。その一方で留萌鉱や初山別鉱と同じ化学組成・結晶構造を持つ物質はすでに合成されている。逆に言うと、合成物の研究がすでにあったからこそ今回の研究が可能でもあった。それはともかくとして留萌鉱や初山別鉱は合成できるということなのだから、身近な研究室の学生さんに作ってもらった。

 
留萌鉱(合成)/ Snthetic rumoiite
留萌鉱の合成結晶(by Y. Matsubayashi)。やや鈍い銀色。

 

初山別鉱(合成)/ Synthetic Shosanbetsuite
初山別鉱の合成結晶 (by Y. Matsubayashi)。明るい銀色。
 

留萌鉱は金(Au)と錫(Sn)からなり、AuSn2の化学組成をもつ物質に相当する。金を主成分とするため黄色っぽくなるかと思いきや、できあがった結晶は予想外に銀色の物体であった。そして金は叩けばいくらでも薄くなるが、留萌鉱は叩くと木っ端みじんになる。初山別鉱のほうは銀(Ag)と錫からなっており、Ag3Snの化学組成をもつ物質が該当する。結晶が成長しやすいようで、合成物は平板が何枚も重なった姿で得られた。なかなか格好がよいが、衝撃に対してこちらもやはり脆い。留萌鉱や初山別鉱について風化環境での耐性はまだよくわからないが、天然で見つかったのは砂金が梱包材の役割を担っていたからだと思う。また留萌鉱に相当する鉱物や類似の金-銀-錫鉱物はスイスやロシアのカムチャツカ半島から実はすでに報告されており、いずれもやはり砂金に伴われて産出する[2-4]。特にカムチャツカ半島のほうは今回の研究とよく似た産状となっている。

当初のもくろみであった「トレーサーとしての砂金や砂白金」について。留萌管内というのはそのポテンシャルを評価するのに良いフィールドであると思う。留萌管内の砂金・砂白金はいま露出している蛇紋岩が直接その起源になっておらず、供給源となったはずの岩石はすでに消滅している。過去にあったはずの岩石については想像するしかなく、そういった時に砂金や砂白金の持つ情報は役立つはずである。例えば今回の新鉱物が現世のカムチャツカで見つかったものと同じ成因なら、それは大規模に熱水変質を受けた超苦鉄質岩がかつての北海道に存在したことを意味するのかもしれない。すでに消えた岩石であってもそこから供給された物質が現世に残っていれば、それを調べることによってオリジナルの姿を再現することはできるはずで、そのために今はまだ砂金や砂白金のデータを集めている。そういった思惑の中で新鉱物という予想外の結果が出たことは本当に喜ばしい。平成時代最後の日本産新鉱物というおまけもついた。

引用
[1] 弥永芳子 (2006) 砂白金~その歴史と科学~. 文葉社, pp233.
[2] Meisser N. and Brugger J. (2000) Alluvial native gold, tetraauricupride and AuSn2 from Western Switzerland. Schweiz. Mineral. Petrogr. Mitt., 80, 291-298.
[3] Sandimirova E.I., Sidorov E.G., Chubarov V.M., Ibragimova E.K., Antonov A.V. (2013) Native metals and intermetallic compounds in heavy concentrate halos of the Ol’khovaya 1st River (Kamchatsky Cape, East Kamchatka). Zapiski Rossiiskogo Mineralogicheskogo Obshchestva, CXLII, N6, 79-89.
[4] Sandimirova E.I., Sidorov E.G., Chubarov V.M., Ibragimova E.K., Antonov A.V. (2014) Native metals and intermetallic compounds in heavy concentrate halos of the Ol’khovaya 1st River, Kamchatsky Mys Peninsula, Eastern Kamchatka. Geology of Ore Deposits, 56, 657-664.

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IMA No./year: 2017-089
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-45621)

ランタンピータース石 / Petersite-(La)

Cu6La(PO4)3(OH)6・3H2O

Mixite group

三重県 熊野市 紀和町

記載論文:Nishio-Hamane D., Ohnishi M., Shimobayashi N., Momma K., Miyawaki R., Inaba S. (2020) Petersite-(La), a new mixite-group mineral from Ohgurusu, Kiwa, Kumano City, Mie Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Science, 115, 286-295.

ランタンピータース石 / Petersite-(La)
写真1. 新鉱物、ランタンピータース石のタイプ標本。ウニのような放射状集合が特徴的。

三重県熊野市からの新鉱物「ランタンピータース石 / Petersite-(La)」。ミクサ石グループ(Mixite group)の一員で、レアアースのランタン(La)を主成分とする銅リン酸塩鉱物である。三重県というのは多くの鉱物産地がある割には新鉱物がなかなか見つからない、そんなことを言われていた時期がかつてあった。ところがこの10年ほどの期間で最も多くの新鉱物が発見された都道府県は三重県になる。2007-2017年の間で、今回のランタンピータース石を併せて9種の新鉱物が三重県から発見されている。潜在性はそもそも大きかったということだろう。

ランタンピータース石は二次鉱物というカテゴリーに分類される。二次鉱物というのはもとあった鉱物が環境の変化によってまた別の異なる鉱物になったものを指す。いろんな環境で様々な姿で出現するために人目を引くことも多く、全体的に色彩豊かであることから二次鉱物は鉱物愛好家には人気がある。ランタンピータース石は気に入ってもらえるだろうか。

今回は新鉱物が誕生するまでの過程を時系列で振り返ってみようと思う。私にとっての始まりはたしか2015年の秋頃だったと記憶している。愛媛大の皆川氏を経由して3点の試料を受け取った。それは今回の著者の一人である稲葉氏が皆川氏へ鑑定を依頼したが、皆川氏のところでは出来ないということで私に回ったきた(丸投げされた)話である。送られてきたブツは砂岩の空隙に淡緑色のほっそい針が不完全な放射状でパラパラ散らばっている標本であった(写真2)。

セリウムピータース石 / Petersite-(Ce)
写真2.皆川氏経由で送られてきた最初の標本。不完全な放射状集合で、結晶も非常に細かった。これはほとんどがセリウムピータース石であった。

結晶はとても細い上に脆く、さらには量が少ないので分析が難しい。それでも何とか分析してみると、「セリウムピータース石」と同定された。この産状でレアアースを主成分とするピータース石が出ることにまず驚いたが、その当時、セリウムピータース石はアメリカでほんの1年前に発見されたばかりの鉱物だった。これにも驚いた。皆川氏のもとへ最初に試料が渡ったのはさらに数年遡るということだったので、私のところへ来るのがもう少し早ければもしかしてと思ったが、まあしょうがない。2015年末頃には本邦初産、世界でも二番目のセリウムピータース石ということを稲葉氏に伝えた。

年が明けて2016年。その年の鉱物学会で「本邦初産のセリウムピータース石」を発表しようと考え、3月に現地調査をした。このあたりには砂岩と泥岩ばかりが分布しており、泥岩はたまに石炭を胚胎する。そういった堆積岩に熊野酸性岩類と呼ばれる火成岩がドカンと貫入し、硫化物を伴う熱水が発生したようだ。熱水が堆積岩を様々に貫き、大規模に発達した黄銅鉱・黄鉄鉱鉱床を採掘していたのが紀州鉱山になる。ところが紀州鉱山からみて北側に位置する河川は同様の地質ながらも一見して鉱石は見あたらず、不毛な砂岩と泥岩がただ転がっているばかりであった。それでもよーく見て歩くとたまにやたら錆びた石がみつかる。その本体はやっぱり砂岩・泥岩であるが、中に少量の黄銅鉱を含み、割ってみると青や緑色の二次鉱物が見えた(写真3)。自分で採集した石や以前に稲葉氏が採集した石なども持ち帰り、もう少し調べることにした。

河原の転石
写真3.新鉱物が見つかった河原の石。砂岩と泥岩ばかりだが、まれに黄銅鉱を含み、二次鉱物を伴う石が見つかる。そういった石の表面は例外なく褐色に錆びている。

当初は参考程度のつもりだったのでいくつか適当に結晶をピックアップして分析を始めた。そうした中でセリウムよりもランタンが多い試料があることに気付いた。実のところ最初の試料でもいくつかランタンが多い結晶はあったのだが、全体的にはセリウムのほうが多数派だったので、あまり重要視はしていなかった。ところが今回は明らかにランタンが多数派を占める試料が存在している。ランタンピータース石なら新鉱物になる。改めて試料とそのミリ単位の空隙の一つずつにも番号を振って、記録を取りながらさらに調べ始めた。「もしかしてランタンピータース石という新鉱物になるかも」という旨を稲葉氏に伝えたのは2016年の初夏だったと思う。そして鉱物学会への発表も見送り、調査に専念することにした。

期待が生まれたあと、時間はかかったがどうにかデータがそろった。申請書を提出したのは2017年の秋になる。そして2017年12月に承認通知を受け、ランタンピータース石が誕生した(写真4)。最初の試料を受け取った時から数えて2年あまりが経過していた。

ランタンピータース石 / Petersite-(La)
写真4.タイプ標本の写真。不完全な放射状集合には絹糸光沢がよく見える。クリソコラの上にランタンピータース石は産出する。

さて各論に入ろう。まずはピータース石。種類としてはランタンとセリウムに富む二種類があるが、共存することもあり見た目ではわからない。そのため見つけたらラベルは両方を記すことでよいだろう。ここではピータース石としての特徴を記す。ピータース石は黄緑色の六角柱状結晶が本来の姿であるが、あまりに細いのでルーペ程度では針状に見える。もしルーペでも六角が確認できたらそれは最上級の標本であろう。いずれにせよ結晶が放射状に集合し、ウニのようになっている状態が欠損のない完璧な姿である。しかし多くは不完全な集合体であり、ほうきのように見える集合も多いほか、数本の針が散らばっている貧弱な状態も見かける。それでも不完全な集合体では特徴的な絹糸光沢がむしろよく見える。半球状の集合体では中心と外側では色味が異なっているように見えるが、それは結晶の密度の違いであってモノは同じである。産状としてピータース石は例外なくクリソコラの上に生じる。下地となるクリソコラの厚みは様々だが、それを剥ぐと下には水晶がいることが多い。銅成分を溶かし込んだ液体が晶洞にとどまり、クリソコラを沈殿させ、最後にピータース石が生じたと思われる。同様の産状でアガード石、孔雀石、擬孔雀石、ブロシャン銅鉱も生じている。これらも写真を見ていこう。

アガード石」について。この鉱物はピータース石のヒ素置換体に相当し、ピータース石とは連続的に組成が変化する。多くの場合はアガード石側の組成にうっかり足を踏み込んだという結晶であり、そういったモノはピータース石と全く判別がつかないので肉眼鑑定ではどうにもならない。その一方でアガード石ばかりの晶洞も見つかっている。そのアガード石はピータース石に比べて緑色の質がやや異なる印象をうける(写真5)。産状や姿形は共通だが微妙な色加減は異なるので、両方をならべて比べると目の肥えた愛好家なら判別できるかもしれない。アガード石はランタンアガード石が見つかっているが、ピータース石に比べてアガード石だけの産出は例が少ないので調査はあまり進んでいない。また、観察した範囲内ではアガード石はこの産地で唯一の砒酸塩鉱物である。

ランタンアガード石 / Agardite-(La)
写真5.ランタンアガード石(写真幅約3ミリ)。ピータース石とはわずかな色味の違いしかない。並べて比べてもその差は微妙。非常に薄いがアガード石の下もやはりクリソコラ。

クリソコラ上にはピータース石(アガード石)と同じ産状で、似たような放射状集合で産出する紛らわしい鉱物がいる。本来なら真っ先に想定するありふれた二次鉱物だが、ピータース石を先に見ると思い浮かばない(写真6)。これは「孔雀石」である。ピータース石(アガード石)に比べると明らかに青みが強いが、野外においてルーペで観察するという状況で思いこみもあると初見で判別できなかった。ピータース石(アガード石)と並んで生じることもあり、それだと違いはまあわかる(写真7)。当たり前だが孔雀石の産出は多い。産出場所はクリソコラ上に限定されず、褐色にさびた空隙にクリソコラの下地なしに入っていることもある(写真8)。惑わされないように。

孔雀石 / Malachite
写真6.孔雀石。ピータース石やアガード石は色の系統が異なるが、形状はかなり似ている。ルーペではなかなか判別しづらい。特にクリソコラが下地になっている場合だと肉眼鑑定は難しい。

Malachite and petersite
写真7.孔雀石。中央にいる鉱物が孔雀石で、周りに散らばっている針が束になったような集合体はピータース石(アガード石)。並んで産出するとこれらはやっぱり違うものと認識できる。

Malachite
写真8.孔雀石。形と色はピータース石(アガード石)と非常に紛らわしいが、クリソコラの下地が全く無い産状で放射状になる鉱物は孔雀石と判断して差し支えない。

クリソコラの上には一見して濃緑色の皮膜に見える部分が存在することがある。それを拡大して見ると実体は透明感のある球形の集合で、孔雀石を伴っていることが多い(写真9)。これは「擬孔雀石」であった。擬孔雀石は銅のリン酸塩鉱物なので組成的にピータース石に近いと言えるのだが、共存する例は少なく、一見して被膜に見える擬孔雀石にピータース石が伴われる試料はまだ見つけていない。擬孔雀石とピータース石が共存する場合は、ピータース石はかなり貧弱であり、そのとき擬孔雀石自体は被膜様のモノよりもちょっと大きな球になっており色味も異なっている(写真10)。

擬孔雀石 / Pseudomalachite
写真9.擬孔雀石。透明感のある濃緑色の小さな球。孔雀石(左上と右下の淡緑色部)を伴うことが多い。このタイプの擬孔雀石にはピータース石はこないようだ。下地は厚めのクリソコラ。

Pseudomalachite and petersite
写真10.擬孔雀石(濃緑色球状)とピータース石(黄緑色針状結晶)。このタイプの擬孔雀石にはピータース石が伴われることがある。

また、クリソコラ上には「ブロシャン銅鉱」も見つかった(写真11)。透明感のある濃緑色の結晶で、やはり放射状に成長している。板状結晶であることから、ピータース石(アガード石)との判別は比較的容易だろう。硫酸塩鉱物のブロシャン銅鉱が鎮座する晶洞ではピータース石(アガード石)は見つからない。

ブロシャン銅鉱 / Brochantite
写真11.ブロシャン銅鉱。透明感のある濃緑色の結晶で、ブロシャン銅鉱としてはわりと普通の姿。ピータース石(アガード石)との判別は難しくない。

クリソコラを伴わない産状の二次鉱物では「緑鉛鉱」が見つかっている。褐色に錆びた晶洞に六角柱状の結晶として産出する(写真12)。この緑鉛鉱は黄色の透明結晶であった。緑鉛鉱を産出する石は表面も内部もただひたすら褐色であり、銅の二次鉱物を伴わない。このタイプの石には白色の塊状の部分もあり、それは燐灰石や石英であった。

緑鉛鉱 / Pyromorphite
写真12.緑鉛鉱。褐色に錆びた空隙に黄色透明結晶として産出する。

目立った二次鉱物に関してはおおむねを述べたので、続いて野外に転がっている石の特徴をまとめておこう。産地の河原に転がっている石は灰色の砂岩・泥岩ばかり。これらを叩いても鉱物は基本的には何も出てこない。ノジュールが出てくることがあるが中心には何も残っていなかった。また小さい石炭を層やレンズで含む泥岩がそれなりに見つかるので、モノによっては標本になるかもしれない。二次鉱物を探すなら褐色に変化した転石が目印になる。つるとしたモノはダメでカラミのことがある。空隙がありザラついた印象の石がよい。そして青い二次鉱物が表面にまで生じている例は案外少ないので、とりあえず割ってみるとことが肝要になる。一目見て水晶を伴いクリソコラがみえるようならキープ。ここではクリソコラを見つけることが大事。こういった石は大小様々な晶洞をもつので、慎重にバラして確認するとよいだろう。そのどこかに新鉱物がいる可能性がある。また全体の産状を見るに、転石となってから二次鉱物が生成したわけではないだろう。すでに二次鉱物が生じている露頭があって、そこから転がってきたという印象を受ける。まだその露頭にはたどり付いていないが、あんがい近くにあるのかもしれない。

この産地からは以前に「ザレシ石」が見つかったという話を聞いた。ザレシ石はピータース石やアガード石と同じくミクス石グループの一員で、ミクス石グループの鉱物たちはどれも似たような見た目になる。そのため、分析を用いない鑑定では産状からその種類を推定するしかない。そして今回の産状ならレアアースという発想は生まれないので、レアアースを含まず、カルシウムと砒素を主成分とするザレシ石という鑑定は合理的である。それでも今回調べた範囲でザレシ石は見つかっていない。個人的にはそのザレシ石は実はピータース石の可能性が高いと思っている。何かの即売会でも置いてあったと聞いているので、すでに持っている方もいることだろう。それはラベルを書き換えても良いだろう。繰り返すが今回の産状でレアアースを主成分とするピータース石(アガード石)は予想外である。そしてこれはいつものことなのだ。新鉱物は予想外のところから見つかる

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IMA No./year: 2017-003
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-45047)

金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite

Au6Hg5

Known synthetic compound

愛媛県 内子町 小田川

記載論文:Nishio-Hamane D., Tanaka T., Minakawa T. (2018) Aurihydrargyrumite, a Natural Au6Hg5 Phase from Japan. Minerals, 8, 415.

金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite
Fig.1.金水銀鉱の写真。右の粒は全体が本鉱(ただし表面のみで内部は金)。左の粒は左上の銀色が本鉱で、中央下にあるくすんだ銀色の部分はウェイシャン鉱(Weishanite)。

愛媛県から発見された新鉱物、Aurihydrargyrumiteである。記載分類学においては種名はラテン語を基本とするという古い習わしがあり、今回はその例に倣うことにした。この学名は「あうりひゅどらるぎゅるむあいと」と発音し、化学組成が由来となっている。金はラテン語で「Aurum」。これを「Auri」と変形し、水銀を意味する「hydrargyrum」とあわせ、最後に石を意味する「ite」をつけて、「Aurihydrargyrumite」となる。日本産の新種でラテン語由来の学名を持つ鉱物は初めてなのでやってみた。が、日本人には発音しにくい。それでも日本には和名という文化がある。私は和名の「金水銀鉱(きんすいぎんこう)」で呼ぶ。

川や砂浜には比重の高い鉱物や物質が集まる場所がどこかしらあるもので、そういった場所に溜まる砂のことを砂鉱(さこう)と言う。砂鉱にはきれいな結晶や宇宙塵もたくさん入っているのでなかなか楽しませてくれる。そういった砂鉱を採集していると、まったく想定外の場所でも(きわめて少量ではあるが)砂金や砂白金が見つかることがわかってきた。しばらくして、そのわずかにしか採れなかった砂金の内のさらに数粒だけだが、なんだか変だと気づく。砂金ではあるが一部がざらついた銀色になっており、全体が銀色の粒もあった(Fig.1)。初めはこれも砂白金のたぐいかと思ったが、やっぱりざらついた質感は砂白金と判断するには違和感がある(Fig.2)。

砂金と砂白金
Fig2.砂白金(さはっきん)の写真。この産地では砂白金もみつかる。写真の砂白金の組成はオスミウム、イリジウム、ルテニウムが含まれており、オスミウムが最も多いため鉱物種としては自然オスミウムになる。金水銀鉱と砂白金は質感が異なることが見て取れるだろう。

やっぱりこれは砂白金とは異なるという思いが強くなる。いわゆる銀(silver)が砂金のように産出しないことはよく言われているので、このざらついた銀色粒はもしかしてアマルガムではなかろうかと思いつく。アマルガムとは水銀と他の金属との化合物を指し、今回の場合では金と水銀の化合物になる。そこで粒の表面を電子顕微鏡で分析してみると予想どおり金と水銀が検出された。ほらやっぱりという満足感で心が満たされ、その日の分析を終えた。しかしこれはなんとも情けない話である。山勘が的中したというつまらないことに安堵し、その時点では新種の可能性に全く気づいていなかった。

分析までして気付かなかった原因は私の思いこみだった。アマルガムとは金と水銀が任意の割合で混じり合った柔らかい金属もしくは液体である、ろくに調べもせず私はそう思いこんでいた。しばらくして、そういえばアマルガムを扱ったことはないから調べてみようとようやく思い立つ。こんなときには相図(そうず)を見るようにしている(Fig.3)。これを見るとある条件でどういった相(物質)ができるかが一目でわかる。

相図
Fig 3. 0-100℃までの金-水銀系相図。データ元[1]はNIMSのMatNavi[2]などから無料で見ることができる。書物にはよく「水銀は金を溶かす」とさっくり書いてあるが、実は液体水銀そのものに金はほとんど溶け込まない。実態としては「水銀と金との微細な化合物が速やかに形成され、さらに液体水銀が多ければ化合物との混ざりモノになる」ということだろう。

[1] Okamoto H., and Massalski T.B., Au-Hg (Gold-Mercury), Binary Alloy Phase Diagrams, II Ed., Ed. T.B. Massalski, Vol. 1, 1990, p 376-379
[2] http://mits.nims.go.jp/

上の図(Fig.3)には今回の新鉱物の化学組成の場所も示した。その場所ではAu2Hgという相(固体)とほとんど金を含まない液体水銀の混合物になることを相図は意味している。だが今回の新鉱物は分離しておらず明らかに一つの個体物質である(Fig.4)。この化学組成を持つ物質は相図には載っていない。これはどういうことだろう。

金水銀鉱  Aurihydrargyrumite
Fig4。SEM写真。このスケールでも液体水銀は確認できず一つの固体物質に見える。

相図はたしかに一つの結論ではある。ところが相図には出現しない物質でもなんとか合成できることがある。そういったムリヤリ作ったモノは準安定相と呼ばれる。調べたところ金-水銀の系にはそんな物質が存在していた。それはAu6Hg5である。こいつは金と液体水銀を混ぜただけではできない。こいつを作るには金を溶かした王水と水銀酸化物を溶かした硝酸を混ぜた液体を用意して、それをアンモニア水溶液中でヒドラジンを使って還元するという処理を行う必要がある。1970年にはその合成を記した論文が出版されている[3]。だがこの論文はこれまでにほとんど引用されていない。Au6Hg5相は今ではほとんど忘れ去られた物質と言える

[3] Lindahl T. (1970) The crystal structure of Au6Hg5. Acta Chemica Scandinavica, 24, 946-952.

そんなAu6Hg5相に今ここで出会うことになるとは思っていなかった。この相の化学組成を100分率で表すと金54.5%と水銀44.5%の割合で、私が調べた銀色もまったく同じだった。そうなると我々が見つけた銀色のブツはAu6Hg5相に相当する天然モノに違いあるまい。そいつをちょんぎって中身を見てみると、銀色の部分は表面の2ミクロン以下の厚さしかないこともわかった。全体としてはほとんどが「金」という鉱物なのだ。それでもその薄皮一枚は新鉱物のはず。どうにかその薄皮からX線回折パターンを取ることに成功し、予想どおり合成されたAu6Hg5相と同じパターンが出てきた。データを整理して国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物・命名委員会へ申請書を提出し、承認を得た。新鉱物「金水銀鉱」の誕生である(Fig 1.)。

金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite
Fig1. 新鉱物・金水銀鉱 (上のFig1の再掲載)

誰しもが思いつくひとつの疑念がある。昔にアマルガム回収法で金を回収した際の残り物という可能性。ただ模式地には上流に金鉱山は無く砂金の産出もこれまで知られていなかった。一部の場所で凸凹岩の隙間にたまった少量の砂鉱からほんのわずかに砂金が見つかるのみである。少量の砂鉱しかなく、微々たる量しか砂金が産出しない川でアマルガム回収法は普通はやらない。これは砂金を含む砂鉱がある程度まとまって存在する場所でやる方法である。その場所ではもっと大きな地域としてみても記録はない。その一方で、場所はやや離れているが同じ地質帯の露頭から金と水銀を含む石英脈を発見している。こういった状況でこのたびの新鉱物は天然物であると判断した。

それでも人工ではムリヤリ作るしかない金水銀鉱がなぜ天然では産出するのだろうか。仮に別々にやってきた液体水銀と砂金が反応したとする。だがそれでは金水銀鉱はできないことは相図が教えてくれる。いまのところ成因は自己電解精錬(self-electrorefining)のたぐいと考えている。これは天然の砂金の表面が高濃度の金で覆われている現象の元になる反応のことで[4]、砂金を構成する金属のイオン化と自己触媒による還元が関わっている。イオンからの還元でのみ合成できる金水銀鉱を説明するには、この自己電解精錬が自然なシナリオに思える。

[4] Groen J.C., Craig J.R., Rimstidt J.D. (1990) Gold-rich rim formation on electrum grains in placers. Canadian Mineralogist, 28, 207-228.

ざっくり言うと、いくぶんか水銀を含む砂金があったとして、そういった砂金は水中での自己電解精錬によってやがて表面に金水銀鉱を生じることになる。そこに至る中間段階に相当する砂金は見つかっているし、自己電解精錬がさらに進んだと思われる物質も報告がある[5]。それらはまだ新種として確立されていないので、Au-Hg系の鉱物種は今後に増える可能性は高い。ただし「水銀を含む砂金」が人工物か天然物かという問題はつきまとうので、産地の地質や歴史は重要な判断基準となるだろう[6]。

[5] Atanasov V.A. and Jordanov J.A. (1983) Amalgams of gold from the Palakharya river alluvial sands, district of Sofia. Doklady Bolgarskoi Akademii Nauk, 36, 465-468.
[6] Barkov A.Y., Nixon G.T., Levson V.M., Martin R.F. (2009) A cryptically zoned amalgam (Au1.5-1.9Ag1.1-1.4)Σ2.8-3.0Hg1.0-1.2 from a placer deposit in the Tulameen-Similkameen river system, British Columbia, Canada: Natural or Man-made?. The Canadian Mineralogist, 47, 433-440.

ネットで「砂金 アマルガム」と検索してみると銀色の粒が表示される。砂金掘り師たちの間では銀色の砂金はすでに知られていたようだ。ただすべてがアマルガムの一言でくくられている。人工物か天然物かの問題はひとまず置いて、こういった銀色砂金は中身の検証も大切だと思う。まずは一粒だけで良いからその銀色の砂金にカッターナイフを押し当ててちょん切ってみよう。普通は容易に切断できるはずだが、もし切断できなければそれは砂白金や他のモノだ。さて、切断出来たとして中身が金色に輝いていたら、その銀色は表面だけの事象であり金水銀鉱の可能性がある。また砂金の一部が銀色という産状も多いようだ。それも金水銀鉱だろう。

見てる限りの印象だが、銀色の砂金が見つかったとしてがっかりする砂金掘り師は多いと感じる。捨てたとか焼いて金に戻した猛者もいるようだ。まあその気持ちはわからんでもない。一方で金水銀鉱それ自体は紛れもなく天然が生み出した芸術だと思っている(たとえ人工アマルガムが元になっていたとしても)。なので捨てるくらいならどうか譲ってもらえないだろうか。ほかの産地を調べてみたいという事情もあるが、私は自然の芸術作品である金水銀鉱が好きなのだ。

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IMA No./year: 2015-100
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-44527)

神南石 / Kannanite

Ca4[(Al,Mn3+,Fe3+)5Mg](VO4)(SiO4)2(Si3O10)(OH)6

Ca analogue of ardennite-(V)

愛媛県 神南山

記載論文:Nishio-Hamane D., Nagashima M., Ogawa N., Minakawa T. (2018) Kannanite, a new mineral from Kannan Mountain, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 113, 245-250.

神南石 / Kannanite
Fig. 1. 神南石のタイプ標本。赤鉄鉱+ブラウン鉱母岩中に脈状に走る黄褐色~オレンジ色が本鉱。脈中の赤は紅簾石。

愛媛県神南山から見いだされた新鉱物「神南石 / Kannanite」である。そして今、これを書き始めたところで採集した日のことを思い起こしている。本来ならその日は愛媛にはいるはずはなかったが、とある事情で愛媛にとどまり新鉱物が誕生することとなった。以前の新鉱物・伊予石&三崎石も実はこの事情に絡んでいる。

神南山に上る当日、本来なら私は広島にいるはずだった。ところがその計画が前日にポシャってしまい次の日も愛媛に留まるハメになった。それで夜の居酒屋で急遽設定したのが神南山の調査であった。そして明くる日。午前中で神南山の調査を終え、腹が減った我々は思いつきで佐田岬半島の「しらす食堂」へ向かった。その際に近辺にマンガン鉱石が転がっているというので、腹ごなしついでにふと立ち寄った。私にとってそこは初めての産地だったが、マンガン鉱石は容易に採集でき、幸運にもその鉱石から新鉱物・伊予石&三崎石が生まれることになった。そしてその日の午前に採集した神南山からの鉱物が今ここで新種・神南石となった。できすぎた話である。

そういえば当初の計画が直前でポシャった事情は何だったかな。たしか著者の一人が「ネコたちが腹を空かせて泣くからやっぱり遠征できない」と、よりにもよって遠征に向かった先の中間地点でいきなり言い出したせいだ。確か弓削島あたりだったように覚えている。あと少し進んだら広島県に入りそこで一泊のはずだったが、「帰ろう」と彼はのたまう。抵抗したが彼のネコ愛には勝てなかった。割を食った私はその晩の宿が取れず散々だったが、それが一連の成果につながるのだから不思議なものである。あのとき私を愛媛へ留めてくれた腹ぺこネコ様たちには高級缶詰でも献上せねばなるまい。

さて、気を取り直して。神南山(かんなんざん)は大津市と内子町五十崎にまたがり肱川とその支流に囲まれている独立峰である。険しい山ではないが森は深い。東西に頂がありそれぞれを女神南(おなごかんなん:710m)と男神南(おとこかんなん:654m)と呼び、神が宿る山としてその地域の霊山という扱いであろうか。そしてその神南山の東側中腹には大久喜鉱山という愛媛県で屈指の銅鉱山がかつて在った。

大久喜鉱山は愛媛県では別子鉱山に次ぐ規模のキースラーガ型銅鉱床で、愛媛県西部では最大の銅鉱山になる。その沿革や経緯は詳しくないが約200年前に開発されたようだ。金の含有量がかなり高く平均で4~6g/トンもあるらしい。それはともかくもここの鉱石は他のキースラーガ型銅鉱山のモノとはやや異なって見える。あいかわらず小さな標本しか持っていないが、全体的に細粒なために破面が柔らかい印象で(Fig.2)、それが別子鉱山のキースラーガ鉱石とは一味ちがう。大久喜鉱山には広大なズリ山がまだ残されているので鉱石の採集は容易だし、今はどうか知らないが以前は緑礬(Fig.3)が生じている場所もあった。

copper ore
Fig. 2. 大久喜鉱山産のキースラーガ鉱石。黄鉄鉱が主体で黄銅鉱が脈状に入っている。全体的に粒度が小さいことやたまに閃亜鉛鉱も来ることが特徴で、他産地のキースラーガ鉱石とは印象が異なる。それ故にモノをみたらこれは大久喜とすぐわかる。ただ写真ではそれがうまく写せなかった。

melanterite
Fig. 3. 緑礬の結晶。この緑礬のなかにはボトリオーゲン石 / Botryogen [MgFe3+(SO4)2(OH)•7H2O]が含まれることがある。写真中の黄色~オレンジ色の部分が該当するかもしれないがそれは調べていない。

このように大久喜鉱山のことをすこし書いたが、今回の新鉱物には大久喜鉱山は関係がない。というより大久喜鉱山との関連があまりよくわからない。大久喜鉱山の本体は神南山の東側中腹に在るが、その周りにも支山がたくさんあるとされる。以前に何度も現地を訪れたことがあるが、たしかに大小様々な堀跡が方々に認められた。ただあまりに数が多く、現地の人に尋ねてもそれぞれの鉱山名や大久喜鉱山との関連は定かでない。それから銅鉱床だけではなくいわゆる鉄マン鉱床も点在している。鉄マン鉱石にはマンガンは含まれてはいるものの品位は全体的に低く、マンガン資源としてはほとんど役立たずに思える。おそらくは鉄を目的に掘ったのだろう。これらも名前や大久喜鉱山との関連は定かでない。

神南山の地質に目を向けるとこれはなかなか複雑で、地質図とその解説があるのでそれを参考にしてほしい(坂野ほか、2010、大洲地域の地質)。神南山の地質は御荷鉾緑色岩類に相当し、ざっくり言っていいかわからないが、全体的に弱変成を受けた苦鉄質岩とチャートが混じっている地層になっている。そして銅鉱床は苦鉄質岩に、鉄マン鉱床はチャートに胚胎されている。ただほとんどの堀跡は明確なズリや貯鉱が残っているわけではない。山中に(なぜか)点々と散らばっている鉱石をたどっていくと露頭に行き着くといった具合である。そこは(試)掘跡なのかもしれないが、それが定かでないほど苔むして自然に戻っていることがほとんどである。

今回の目的は鉄マン鉱床(鉱石)だった。我々は以前に三重県伊勢市の鉄マン鉱床から4種の新鉱物を見いだしており、鉄マン鉱床というのは新鉱物に関して言うと魅力的な場である。豊石も鉄マン鉱床から出ている。そして神南山は労せずとも何かしらの鉄マン鉱床にはぶち当たるという場である。はたして午前中の調査であっさりと多量の鉄マン鉱石が手に入った。なんとも冴えない重たいだけの石ころである(Fig. 4)。

iron-manganese ore
Fig. 4. 神南山の鉄マン鉱石でこれは破断面。全体は赤鉄鉱やブラウン鉱なのだが破断面ではどちらかさっぱりわからない。愛石家といえどもこれを目的に採集する人は(ほぼ)いない。逆にこういった鉄マン鉱石はほとんどまともに調べられていない。

こういった石は割ったところで破面から判断できることは少ない。石英くらいは割らなくてもわかるが、それは別にただの石英である。石英に伴われる紅簾石もまあわかるが、それもやっぱりたかが紅簾石である。たまに自然銅がいるのでそれ見つけるとちょっと安心するが、コレクションにするほどではない。このような一見残念にな石はぶった切るのが一番で、切断面を見るといろいろわかってくる。石をぶった切って初めてわかったが、石英脈に伴われるのはなにも紅簾石ばかりではない。黄褐色葉片状の鉱物が石英脈に散らばっている(Fig. 5)。何だろうと思って分析してみると、これはバナジウムアルデンヌ石であった。ちょっとうれしい。よく見ると細脈にもこれが来ている(Fig. 6)。それにしてもこの細脈中のモノはものすごく小さい結晶で、ルーペ程度では切断面でも存在を認識するのが難しい(Fig. 7)。分析してみるとバナジウムアルデンヌ石に近いがそれよりもかなりカルシウム(Ca)が多い。あれ?と思って組成式をよく考えるとこれはバナジウムアルデンヌ石のマンガン(Mn)をカルシウム(Ca)に置き換えた鉱物に相当する。うわ、これ新鉱物だ

Ardennite-(V)
Fig. 5. 鉄マン鉱石の切断面。黄褐色葉片状結晶はバナジウムアルデンヌ石(Ardennite-(V))。肉眼的に認識できるような石英脈中には黄褐色葉片状結晶があったとしてもすべてバナジウムアルデンヌ石。

神南石 / Kannanite
Fig. 6. Fig1の再掲載。この黄褐色はすべて神南石。

神南石 Kannanite
Fig. 7. 神南石の拡大写真。

ということで、これが新鉱物であるというのは実は比較的早い段階からわかっていた。だが困ったことに細脈にしか神南石は出ない。量があまりないことと純粋な結晶を分離するのが難しいために、データを集めるのにかなり時間がかかってしまった。名前に関しては地名・人名からいくつか候補を考え悩んでいたのだが、産地の神南山からとって「神南石」とした。ネコの飼い主からの助言でそう決めた。ネコ様が導いた新鉱物なのだからそれが良い。

鑑定ポイントはまずは鉄マン鉱石であること。赤鉄鉱やブラウン鉱が来ている鉄マン鉱石を切る石英脈中に神南石はいる。その中の黄褐色~オレンジ色が特徴的なのでそれが目印になるだろう。ただし肉眼的な脈の中の結晶はバナジウムアルデンヌ石で安定しており、どういう訳か神南石は見えるような石英脈には来ない。神南石は太さ100ミクロン以下の細い石英脈にだけ来ており、その結晶はものすごく小さい。このサイズになると観察にはそれなりの実体顕微鏡が必要になる。それと現地では細脈の中身どころか、細脈が来ているかどうかも判別が困難なので、やはり切断&研磨するしか手はない。研磨は#400くらいで十分で、透明なマニキュアを塗ると観察しやすくなる。ただいくら愛石家といえども岩石カッターをもっている人はごく少数で、それなりの実体顕微鏡を持っている人も多くはないだろう。神南石はどうやっても愛石家泣かせの新鉱物である。

話は変わるが、この冬は東京都白丸鉱山が数年ぶりに顔を出した。そこでは国産新鉱物の多摩石東京石を初め珍しい鉱物が出る。私も白丸鉱山を訪問し、最近はそこの石を調べることに夢中になっていた。そうした中で神南石を申請していたことを実はすっかり忘れており、承認通知を受けて思い出した次第。そうして他にも思い出したことがある。実は神南山の鉄マン鉱床にも白丸鉱山と似たような鉱物が出る。まずは次の写真を見てほしい。

Gamagarite & Brackebuschite
鉄マン鉱石の切断面の写真。中央から右上に向かうルーズな緑色と、中央から左下と右下部に点在する赤色が見て取れる。自然銅だけは初見でもわかるだろう。

この緑と赤を見ただけで鉱物名がわかる人はまずいないだろう。もちろん私にもわかるはずがない。調べたところ緑はコニカルコ石(Conichalcite)赤はガマガラ石(Gamagarite)とブラッケブッシュ石(Brackebuschite)であることが判明した。まずはコニカルコ石がこんな産状でも出るなんて知らなかったので、これは良い経験になった。それからガマガラ石とブラッケブッシュ石は白丸鉱山からの新鉱物・東京石(Tokyoite)の近縁種である。それぞれが東京石の三価鉄(Fe3+)置換体と鉛(Pb)置換体に相当する。東京石はまだ見つけていないが、これらが出てくるならじっくり探せばそのうち見つかるような気がする。こういった例もあるように、鉄マン鉱石は外見が冴えなくともその中身は案外おもしろい。

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IMA No./year: 2014-054
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-44106)

豊石 / Bunnoite

Mn2+6AlSi6O18(OH)3

New structure type

模式地:高知県 いの町 加茂山

記載論文:Nishio-Hamane D., Momma K., Miyawaki R., Minakawa T. (2016) Bunnoite, a new hydrous manganese aluminosilicate from Kamo Mountain, Kochi prefecture, Japan. Mineralogy and Petrology, 110, 917-926.

豊石 / Bunnoite
Fig.1.豊石を含む鉄マン鉱石。右側のやや緑がかった部分と、左側の上下に走る石英脈に伴われる緑がかった部分が本鉱。標本の左右10センチ。

豊石 / Bunnoite
Fig.2.Fig.1の右側を拡大。暗緑色の葉片状結晶の集合。

豊石 / Bunnoite
Fig.3.Fig.1の左側を拡大。上下に走る石英脈に豊石(暗緑色)は伴われる。

豊石 / Bunnoite
Fig.4.写真全体がほぼ豊石からなっている。基本は深い暗緑色で、結晶がすこし浮いたところではやや黄色味を帯びて見える。

豊石 / Bunnoite
Fig.5.これも全体がほぼ豊石でやや粗粒結晶。結晶が粗粒になるとむしろ褐色を帯びる。松脂光沢が艶めかしい。

豊石 / Bunnoite
Fig.6.結晶が少し浮くと黄緑色。

 高知県からの新鉱物、「豊石/Bunnoiteになる。玉露の茶葉をぎゅっと固めたような標本。渋いと言ってほしい。豊石はシンプルな構成元素でありながらも新規の化学組成&結晶構造だった。鉱物は化学組成と結晶構造で定義されていて、そのどちらか、もしくは両方が新規なら新種(新鉱物)となる。これまでに自分が筆頭で記載してきた新鉱物は、化学組成が新規で結晶構造は既に分かっている(推定できる)というものばかりだった。私が関わった新鉱物は豊石を含めて合計16種、そのうち筆頭を務めたものでは10種目となるのだが、ここにきてようやく、私にとっては初めての新鉱物となったとも言える。

 名前のことから書いていこう。本鉱は和名が「豊石」、学名が「bunnoite」である。「豊」と書いて「ぶんの」と発音する。なので「豊石」は「ぶんのせき」と読む。九州の豊前市とか豊後高田市のように「豊」を「ぶ(ん)」と発音するのに似ている。ただ本鉱は高知県産。それに地名ではなく人名に由来しており、豊遙秋(ぶんのみちあき)(1942-)の名前に因む。「豊(ぶんの)」名字はすごく珍しいと思うのでそのルーツを本人に聞いてみたところ、江戸時代より前は「豊原(とよはら)」が正式名称で、それを「豊(ぶん)」と略して名乗っていたと聞いている。そして、「平将門(たいらのまさかど)」を読むときの「たいらの」の「の」と同じような感じで、「ぶんの」と発音していたせいもあって、明治維新でいざ名字をつくろうとなったときに「豊(ぶんの)」になったようだ。それでこの家は代々「笙(しょう)」を家業としてきたとのことで、ご自宅におじゃましたときにぶ厚い家系図を見せていただいたことがある。webにはその家系図をまとめているサイトがあったりもする(http://houteki.web.fc2.com/toyohara.html)。家系図がネット検索で出てくる人物はそうはいないだろう。本人もおっしゃていたが名前の「秋」も通字である。伝統がありすぎる・・

 豊先生は家業とはまったく異なる鉱物の道に入った。産総研(旧:地質調査所)地質標本館の館長を務め(2003年退官)、これまでに6種の新鉱物の発見に貢献してきている。とは言え、自分で論文をゴリゴリ書くタイプではなく、仕事に定評のあるタイプの研究者である。その定評のある仕事というのはキュラトリアルワークと言って、一部だけを抜き出して簡単に言うと標本の収集・整理である。ほら、愛石家の皆さんにおなじみの採集&ラベル作りですよ。研究機関においては標本入手の手腕というのは大事なことではあるが、もっと大切なのはラベルのほう。例えば標本を手に入れたとしてラベル(情報)を残さなかったらどうなるか?個人蔵なら耳が痛い話ですむし、まあそれは気が向いたときにやれば良いだろう。ところが研究機関でそんな怠慢をやってしまうと研究標本としての価値は消失しゴミと化す。そうしないためには情報を即座にラベルに記し、データベース化してわかりやすいように分類・登録することが大切である。さらには必要なときに取り出せるように管理することも大事で、研究機関はそのように標本を取り扱う義務がある。なにを当たり前のことをと思うかもしれないが、こういう体制を整えるにはセンスが必要で、体制が整ってないところは実は結構ある。豊先生はそうした体制を確立してその経験を元に様々なところで指導をしてきた。ただ、論文のように広く公表される内容ではない。それでも豊先生が長年キュレーターとして活躍してきたことは業界人には周知の事実で、その業績から新鉱物の名前となるにふさわしいと思ってお願いしたのです。

 そんなこんなで新鉱物のデータが形になって、豊さんの名前をいただきましょうという段になった。存命の方の名前を新鉱物に採用するには本人の承認が必要なのだ。さあ誰に伝えてもらうのが良いかなと考えて、豊さん自身が畏友と称している皆川先生からが良いだろうと皆川先生にその大役をお願いしたのだが、今思えばそれが失敗でした。あろうことか2014年4月1日のエイプリルフールに伝えやがった。研究者ならまず間違いなく注目するあの日。そう、理研が例の記者会見を開くその日でございます。よりにもよってそんな日に「新鉱物は、ありま~す」ってメッセージを受け取ったほうの動揺はいかばかりであっただろうか。しばらくして皆川さんは「OKだってよ」とのたまったが、豊さんから後日に「本気でエイプリルフールの冗談かと思った」と聞かされてゴメンナサイした次第であります・・・。もちろん悪意はありません。でもゴメンナサイしながらも、「やっぱり冗談でした」が承認されなかったときの言い訳に使えるなとひそかに思ってた。幸いなことにその言い訳を使う機会は訪れず、無事に承認通知が来ましたよ。通知確認!よかった

 高知県いの町、JR線より北側の山地の地質は変成度の低い緑色岩でそれが東西に数キロほど分布している。この緑色岩中に鉄マン鉱床が伴われ、地質調査所四国出張所の古い資料からはこのあたりに「加田」、「南田」、「伊野」という名前の鉱山(もしくは鉱床)があったことが伺える。ただそれ以上の情報はなく、実際に現地を歩いて調査を行った。現地にはぽっかり空いた坑道が方々に残っており、試掘しただけなのかもしれないが小規模な露天掘り跡もちらほら散見される。ただし全体的にズリは非常に薄くて一見それとはわからない。谷筋まで出ている鉱石も少ない。かつて加藤らはこの地域からハウィー石や種山石を報告しており(Kato et al., 1984, Proc. Japan Acad., 60, 65-68)、豊石が見つかった場所も領域的にはだいたい同じ。でも具体的な場所はハウィー石や種山石を産した鉱床とは異なるのだろう。それというのも調べた範囲で豊石が来ている鉱石にハウィー石や種山石が来ることはなかった。逆はどうだろう。ハウィー石・種山石がメインの鉱石はこのときの調査ではむしろ見つからなかったので確定的なことは言えないが、化学組成がそれなりに違うので共生は無いと予想している。たぶん生成のステージが違っており、一つの鉱石中で共存が見つかるとしても脈でぶった切っているケースだろう。

 さて、鉱石はいわゆる鉄マンと称されるもので、基本的に真っ黒。主には細粒の赤鉄鉱とスティルプノメレンからなり、肉眼では判別不能だがごく少量のバラ輝石が含まれている。鉱石の所々には石英の脈やレンズが見え、その中にはまれに紅簾石が含まれている。それでもこの鉱石中のマンガン成分は相当少ないように思える。通常マンガンが多い鉱石の表面は真っ黒に汚染されていることが多いが、ここのはむしろ鉄さびの褐色に汚れていることが多い。そんな鉱石を割ると中は真っ黒で、ときおり暗緑色の葉片状結晶がへばりついている。それが豊石である。ところが暗い場所で観察した場合や水で濡れていたりするとさっぱりわからないので、現地での判別には相当の注意力を要する。また、豊石は細かい結晶が密な集合を作る場合だと玉露の茶葉のような深緑になるが、粗粒結晶になると褐色を帯びてくる。いずれにしてもリッチな標本は背景の黒と混じり、ぱっと見てそれと判別するのがくそ難しい。逆に貧弱なものや結晶がすこし浮いたところは黄緑色を帯びるので、それがひとまずの目安になる。石英脈に伴われることがほとんどだが、たまに鉱石中に豊石だけのレンズになっているようだ。そのレンズがうまく割れると1-3センチの範囲が全て豊石ということもあり、これくらいになるとルーペはいらない。豊石はハウィー石や種山石と共存することはないと思っているが、いずれの鉱物も葉片状結晶が集合するため、全部並べてさあどれが豊石かと言われると判別は難しいかもしれない。ただこの地域のハウィー石なり種山石は鉄を多く含み(Kato et al., 1984)、それ故に見た目はかなり黒いと推測されるので、葉片状の鉱物を見つけて判断に迷ったときはきっと緑色が鑑定の助けになると思う。

 実は豊石はすでに報告がある。鉱物学会2000年年会で報告されたアカトレ石/akatoreiteが結果的には豊石だったそうとう前に発表されているのですでに標本を持っている人もいるかもしれない。そういう方は遠慮無くラベルを書き換えてください。このアカトレ石に疑いを持ち、まじめに調べ直すきっかけは写真だったように思う。実は数年前から標本の写真撮影(主にはマクロ撮影)を始めており、とりあえずは自分の標本から撮影をしているのだが、今に至る過程で大苦戦するものがいくつかある。その中には昔に皆川さんからもらったアカトレ石も含まれていた。今回掲載した写真は最近に撮影したものなのでだいぶ改善してはいるが、本物よりはやっぱりまだちょっとコントラストが低いように思う。それでも豊石(当時はアカトレ石と思っていた)の写真を撮り始めた当初よりはだいぶマシにはなっている。写真写りが非常にむずかしいのでほかの産地のはどうなってんのかな?と比較しようとWebで調べたところ、なんだか見た目や色が全く異なる。別ものを渡されたか?と手持ちの試料を組成分析してみると講演要旨と同じ値になるのでやっぱりアカトレ石か。でも良く検討するとこの元素比はアカトレ石とはすこしズレてるぞ。それではと粉末X線回折実験もやってみたら、対称性が低いせいでやたらめったらピークが出てくる。それらはアカトレ石に当てはまらなくもないが、インデックスしていくとなんだかムリがでて誤差も大きくなる。むむむ?ってことで門馬君に協力してもらってよく検討したら新鉱物でした。それも新規の化学組成&結晶構造というおまけ付きだったのです。それで、結局、実は、アカトレ石は皆無でした。まあこういう新鉱物(再)発見物語もあるってことです。

承認通知をもらった日、豊先生は奥様同伴で皆川先生と鉱物談義に花を咲かせていたらしい。その日は図らずも中秋の名月で愛媛は晴れだったようだ。きっと一献傾けていたことでしょう。おめでとう、豊先生。

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IMA No./year: 2013-130(Iyoite), 2013-131(Misakiite)
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43864)

伊予石 / Iyoite
MnCuCl(OH)3
Mn-Cu ordered analogue of botallackite

三崎石 / Misakiite
Cu3Mn(OH)6Cl2
Mn-rich analogue of kapellasite

模式地:愛媛県 伊方町 大久

記載論文:Nishio-Hamane D., Momma K., Ohnishi M., Shimobayashi N., Miyawaki R., Tomita N., Okuma R., Kampf A.R., Minakawa T. (2017) Iyoite, MnCuCl(OH)3, and misakiite, Cu3Mn(OH)6Cl2: new members of the atacamite family from Sadamisaki Peninsula, Ehime Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 81, 485-498.

伊予石 / Iyoite
Fig. 1. 伊予石,淡緑色板状結晶の放射状集合体。

三崎石 / Misakiite
Fig. 2. 三崎石,緑色六角結晶。

伊予石&三崎石
Fig. 3. 伊予石と三崎石の共存その1。伊予石はしばしば樹状集合(デンドライト)となる。先端部には三崎石を伴うことが多い。

伊予石&三崎石
Fig. 4. 伊予石と三崎石の共存その2。上の写真の先端部はこんな感じで,針状結晶の伊予石の先端に六角形の三崎石が生じている。

伊予石&三崎石
Fig. 5. 伊予石と三崎石の共存その3。同じく伊予石のデンドライトで,こちらは荒々しい。先端部には三崎石が伴われることがある

伊予石&三崎石
Fig. 6. 伊予石と三崎石の共存その4。伊予石は淡緑の針~板状結晶がデンドライトになっていて,デンドライトの終わりに三崎石の集合体ができている(中央)。三崎石は六角粒状が基本だが,伸びて板状になることがある(中央やや左)。

自然銅 / Native Copper
Fig. 7. 鉱石の破断面。内部には自然銅が多く含まれる。

アタカマ石 / Atacamite
Fig. 8. アタカマ石。緑が深い。今のところ明瞭な結晶は見いだせてない。共生している黄色がかった白い球状はクトナホラ石。

パラアタカマ石 / Pratacamite
Fig. 9. パラアタカマ石。やっぱり緑が深い。こちらはたいてい結晶しており伊予石・三崎石とは形が異なるので簡単に区別はできる。米粒みたいなのはクトナホラ石

単斜アタカマ石 / Clinoatacamite
Fig. 10. 単斜アタカマ石,たぶん本邦初産。こいつもやっぱり緑が深い。スピネルみたいな結晶面が見える。赤いギラギラは赤銅鉱,白っぽいのはやはりクトナホラ石。

三崎石 / Misakiite
Fig. 11.これは三崎石。結晶が不定型だとアオサノリに見える。

愛媛県佐田岬半島からの新鉱物「伊予石(Iyoite)「三崎石( Misakiite)」である。黒色を背景にして翠緑色の新鉱物たちがぱぁっと展開する様はなんとも美しい。二つの新鉱物の名前は佐田岬半島が面している二つの海域、伊予灘三崎灘にちなんで命名した。この新鉱物たちの生成には海が深く関わっているので、海の名前をいただいた理由の一つである。そして偶然にも「いよ」と「みさき」って女性の人名にも通じる響きで、そうなるとほら、愛媛といったらマドンナですよ。さらには二つの新鉱物はほとんど姉妹みたいなものだから、もういっそのこと鉱物界のマドンナ姉妹ってことでどうかな。

愛媛県佐田岬半島は四国の最西端に位置する日本一細長い半島で、リアス式の海岸には緑色片岩と呼ばれるささくれ立った緑の岩肌が林立しており、高台からの景色は実に風光明媚。2013年春、我々は調査の足をその佐田岬半島に伸ばしたところだった。目的は海岸線にある銅鉱床の調査で、転がっている鉱石をかち割ると内部には自然銅がたくさん含まれている。一般的に銅鉱石が海水の影響で風化する際に生じる二次鉱物として、いわゆる「アタカマ石」というのが知られている。アタカマ石は透明感のある濃緑色の結晶で、銅鉱石と海水の成分をたせばできあがるし、たいして珍しくはない。もちろん今回の調査地でもアタカマ石が産出することはずっと以前から知られていた。それでもこの場所を訪れたのは「しらす食堂」が近くにあったから・・、いやいや、その鉱床が普通とは異なり多量のマンガンを含んでいたからだ(普通の銅鉱床にはマンガンは少なく鉄が多い)。どっちが本音かは読者の想像にゆだねよう。まあしかしこういった鉱石が海水の影響で風化されると普通の銅鉱床とはなにか違いがあるだろうか。

野外に放置された鉄の多い銅鉱石は表面が赤茶けた色に変色するのに対し、マンガンを多く含む鉱石は真っ黒に変色するのが特徴である。現地にも真っ黒な石が多数あった。目的はこの石の表面ではなく、ちょっと内側にある。風化作用にはざっくりと機械的風化化学的風化があり、前者は破砕的な作用で後者には溶解や分解といった化学反応が伴われる。例えば海岸や河川の石がまるくなっているのが機械的風化の一つで、しばしば化学的風化の影響をはぎ取ってしまう。一方で石のちょっと内側は機械的な作用が及びにくく、化学的風化の影響が強く残ることが多い。そんなわけでとりあえず手近な真っ黒な石をハンマーで割ってみたら、さっそく苔みたいな緑の物体がへばりついていた。「ああ、アタカマ石だな」と。さて他にはどんなのがいるかなといくつか割ってみるも、緑のモノ以外はせいぜい赤銅鉱が見える程度で、これも銅鉱石の風化で生じる鉱物としては一般的。なんだ普通の銅鉱床と変わらないなあという感想を持って野外調査は終了。でもその感想は結果的にはハズレだった。

試料を実体顕微鏡で観察したところ、思わず息をのんだ。苔のような物体はまったくの予想外に美しかったのだ。それでも最初にこの結晶を見てすぐには新鉱物を連想できなかった。ところが写真を撮り始めるとなんだか違和感が・・。結晶の形もまあそうだが、がすこし変に思える。自分の知っているアタカマ石にしては色が淡い。鉱物の形はケーズバイケースだけども、色は元素の種類が反映されるので色に違和感を覚えたらそれは要注意のシグナルである。ここでアタカマ石の化学組成を見てみよう。その化学組成はCu2Cl(OH)3で、特徴的な濃緑色は主成分の銅(Cu)に由来している。この銅が他の元素に置き換えられているなら色は変化しても良いはずである。そして今回の結晶は二酸化マンガンの上に鎮座している。となるとそうですよ、よくよく見れば状況証拠はそろっているじゃないですかい。そう思って分析してみたらやっぱりマンガンが検出されたのである、それもことごとくCu:Mn=1:1か3:1とかいう割合。さらに詳細を調べて二つとも新鉱物であることが確定した。

伊予石・三崎石はどちらもアタカマ石類縁鉱物ではある。しかしそれにしてもアタカマ石類縁鉱物は構造の種類が多い。まず、Cu2Cl(OH)3組成にはアタカマ石型ボタラック石型単斜アタカマ石型アナタカマ石型がある。Cuが完全にMnに置き換えられた鉱物としてはKempiteという鉱物がすでにあって、これはおそらくアタカマ石型構造。ただこいつは今回は見つからなかったな。まあそれはおいといて、伊予石はMnがややCuを上回るものの、だいたいCu:Mn=1:1の組成をしていた。この割合には意味があって、構造中でCuとMnが異なる席に着いている(対称化)。結果的に伊予石はMnCuCl(OH)3組成のボタラック石型構造の新鉱物だった。さて、Cu3M(OH)6Cl2Mに2価陽イオン)という化学組成だとパラアタカマ石型ハーバードスミス石型カペラス石型がある。三崎石はM = Mn組成のカペラス石型の新鉱物で、こちらもCuとMnは異なる席にいる。二つの新鉱物の構造は密接に関連していて、同時に産出するというのは納得いくのだが、説明は専門的になりすぎるのでその役目は論文に託そう。

さあ肉眼鑑定のポイントに移ろう。伊予石三崎石以外に確認できたアタカマ石類縁鉱物は、アタカマ石パラアタカマ石単斜アタカマ石(Fig9-11)。これらは伊予石・三崎石とはあまり共生しない。それは含まれるマンガン量がまったく違うからだと思う。実際にパラ・単斜・アタカマ石に含まれるマンガン量は微々たるものであった。また産状的に伊予石・三崎石は二酸化マンガンの上に直接いることが圧倒的に多いが、他の3種はクトナホラ石を背景に置く場合が多い。鑑定ポイントはそういう産状と、色(透明感も)と形。伊予石・三崎石はパラ・単斜・アタカマ石よりも淡く透きとおった緑が特徴です。二酸化マンガンを背景にフェンネルのような造形が見えたらそれが伊予石だ。伊予石は放射状になったりもする。三崎石は六角形の板が見えたら確実だが、結晶形が不定の場合はアオサノリのようになる(Fig.11)。でもそれはパラ・単斜・アタカマ石とは異なるので区別できると思う。他にはそうそう、どうやら単斜アタカマ石は本邦初産になるのかな。濃緑色のスピネルみたいな形なのでこっちはすぐに判別できると思う。でもここに書いたのはあくまで典型例。微妙なやつも多いから総合的には肉眼鑑定は難しい。

ついでに鉱石本体のほうも書いておこう。鉱石の表面は真っ黒であるが、内部は新鮮で、かなりの部分を紫がかった褐色のハウスマン鉱が占め、若干赤みを帯びてくるようなところにはヤコブス鉱も含まれる。そういったハウスマン鉱(+ヤコブス鉱)集合体を切るようにテフロ石(灰緑色)+バラ輝石(淡紅色)の脈が入っており、所々でレンズ状に拡張している。最終的には全体を方解石や菱マンガン鉱の細脈が切っている。自然銅はその細脈にきているようで、うまく割れると一面に独特な銅色がぶわっと展開する。その他に特徴的なのはパイロファン石だろうか、やはり細脈にともなわれることが多い。サイズがかなり小さいので肉眼だとチカチカするだけだが(ルーペでも厳しい)、実体顕微鏡下では赤褐色の鱗片状結晶がみえる。

銅+海水->(パラ)アタカマ石というのはほとんど常識になっていて、鉱物に慣れた人ほどあっさりそう断定してしまう。もちろん私もそう、偉そうに言える立場ではない。それでも多くの人がこの産地の鉱物を(パラ)アタカマ石だと常識的に判断していたことは、なんというかラッキーだった(申し訳ない気もするが)。というのも、私はこの産地を初めて訪れたのだが、ここは昔に採集会が開かれたこともあるらしく、すでに標本を持っている人も多い。実際に昨年のミネラルマーケットでも模式地標本がアタカマ石のラベルで並んでいたのを見かけた。そしてその標本を手に取っておもわず苦笑い。だって、すでに標本が流通している状況で誰かがふとアタカマ石類縁鉱物の多様性に気づけば、産状からMnを含んだアタカマ石類縁鉱物を連想するかもしれない。その可能性を疑って標本を観察するとそれはもうアタカマ石には見えない。我々より前に他の誰かが新鉱物を見いだしてしまうことは十分にあり得た話である。それにその標本を見たときはまだ新鉱物の申請をしてなかったのだ。それでも私はそのワンコイン標本を売り場に戻して、ちょっと動揺しながらも売り子さんには「これは良いものですよ」と言った。「じゃあ買えよ」って顔されたけど。

いざ採集っと席を立つ前にまずは手持ちの標本をよっく見てみようよ、それすでに新鉱物じゃない?

追記>
伊予石・三崎石とは無関係だが、鉱石の破断面にチカチカする鉱物について追記。どうやら2種類あることが判明し、一つは前述のパイロファン。もう一つはクレドネル鉱(crednerite, CuMnO2)でした。以下、写真。
パイロファン石 / Pyrophanite
これはパイロファン。赤い。

クレドネル鉱 / Crednerite
これはクレドネル鉱。黒い。

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IMA No./year: 2013-126(Ferriakasakaite-(La)), 2013-127(Ferriandorosite-(La))
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43919)

ランタンフェリ赤坂石 / Ferriakasakaite-(La)
CaLaFe3+AlMn2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

ランタンフェリアンドロス石 / Ferriandorosite-(La)
Mn2+LaFe3+AlMn2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

Epidote supergroup

模式地:三重県 伊勢市 矢持町菖蒲

記載論文:Nagashima M., Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2015) Ferriakasakaite-(La) and ferriandrosite-(La): new epidote-supergroup minerals from Ise, Mie Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 79, 735-753.

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
模式地標本 この産地の褐簾石亜族の新鉱物は見た目では区別できない。実際のところ、集合体になるとたいてい3種が混じっている。

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
ここの褐簾石亜族の化学組成は中間的でほんのちょっとの違いで簡単に種をまたぎ、それ故にこんな狭い範囲で共存することが良く起こる。

またもや三重県伊勢市からの新鉱物、「ランタンフェリ赤坂石( Ferriakasakaite-(La))」と「ランタンフェリアンドロス石(Ferriandrosite-(La))」である。今回も山口大学からプレスリリースを出してもらったのでそちらもご覧ください。このページはいつものとおり写真と雑記。今回の新鉱物が承認されたのは2月3日。その日は私自身が研究代表を務めた新鉱物・伊予石&三崎石の承認通知も来ており、一日で4通も承認通知を受け取った。鬼は外、福は内。

それにしてもこの産地(矢持町菖蒲)からはよく新鉱物が見つかる。今回のものは「伊勢鉱」、「ランタンバナジウム褐簾石」に続いて第3・第4の新鉱物となった。ランタンバナジウム褐簾石の発見後、もう少し研究用試料を確保したくて同様な外観を持つ鉱物を調べていたら、さらに二つも新鉱物が見つかった。そして伊勢市の別の産地からは「今吉石」という新鉱物も見いだしているので、ほんの3年くらいで合計5種もの新鉱物が伊勢市から発見(承認)されたことになる。これだけあるともはや新鉱物は伊勢の名物と言っても良いだろう。そしてこれらすべてが一人の愛石家・稲葉幸郎による発見から始まっている。縁あって私は「伊勢鉱」と「今吉石」の研究代表を務めさせてもらい、「ランタンバナジウム褐簾石」「ランタンフェリ赤坂石」「ランタンフェリアンドロス石」は緑簾石族全般に詳しい&研究実績のある山口大・永嶌真理子さんに仕切ってもらった。その経緯は「ランタンバナジウム褐簾石」の項目も参照してください。

今回の新鉱物たちと前に見つけているランタンバナジウム褐簾石は、緑簾石族の褐簾石亜族というものに分類される。鉱物とは化学組成と結晶構造で定義される天然の固体物質のことで、化学組成もしくは結晶構造が新規のものなら新鉱物となる。そして今回みつけた新鉱物は結晶構造が同一で、化学組成がそれぞれ違っている。こういった集まりを「族 / group」という。その中で特定の化学組成を持つものがさらに「亜族 / subgroup」として分類される。その「族」や「亜族」の中身や説明はそれだけで一つの論文になっているくらい膨大なのだが、せっかくなので褐簾石亜族のさらにその一部に限定して取り上げてみよう。ただこれだけでもちょっと長くなる。

ではひとまず下の表1を見てほしい。横並びのA1~M3席というのは結晶構造中の元素の存在する席で、その下にそれぞれの新鉱物がもつ元素を記した。
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表1.褐簾石亜族鉱物の結晶学的席と元素

学名 和名 A1席 A2席 M1席 M2席 M3席
Ferriakasakaite-(REE) REEフェリ赤坂石 Ca REE Fe3+ Al Mn2+
Ferriandorosite-(REE) REEフェリアンドロス石 Mn2+ REE Fe3+ Al Mn2+
Vanadoallanite-(REE) REEバナジウム褐簾石 Ca REE V3+ Al Fe2+

 

まず緑簾石族というのはA1A2M1M2M3(Si2O7)(SiO4)O(OH)という化学組成をもつ鉱物たちのことを言う。A1、A2、M1、M2、M3という席にいろんな元素が入る。そして、A1に二価陽イオン、A2席にレアアース(REE)、M1とM2席に三価陽イオン、M3に二価陽イオンが入るものを褐簾石亜族という。さらにA1・M2・M3席の元素の組み合わせによって基準となる名前(ルートネーム)が定義される。そして褐簾石亜族の学名は「化学組成ルートネーム-(REE)」となっていることを念頭に、まずはルートネームの命名を説明しよう。A1・M2・M3がカルシウム(Ca)・アルミニウム(Al)・マンガン(Mn2+)だとルートネームは「赤坂石/akasakaite」となる。Mn・Al・Mnならルートネームは「アンドロス石/andorosite」で、Ca・Al・二価鉄(Fe2+)なら「褐簾石/allanite」というルートネーム。もしMn2+・Al・Fe2+というものを見つけたらそれは新しいルートネームをつけることができる。で、続き。そのあと「化学組成」の部分はM1席の元素種類で決まる。M1席には3価の陽イオンが入り、三価鉄(Fe3+)なら「フェリ/ferri」、バナジウム(V)なら「バナジウム/vanado」が「化学組成」の部分につく。もしM1席がアルミニウム(Al)なら何もつかない。そして最後に、A2席のレアアースの種類は「―(REE)」をルートネームの後ろにつける。ランタン(La)なら「-(La)」、セリウム(Ce)なら「-(Ce)」がルートネームの後ろにくっつく(サフィックスという)。このように褐簾石亜族の学名は「化学組成ルートネーム-(REE)という順序になっている。

ただし、和名にするときは「REE化学組成ルートネームという順番にする。その理由は学名の直訳だと収まりが悪いから。たとえば学名の「Ferriakasakaite-(La)」を直訳すると「フェリ赤坂石ランタン」となるが、なんだか鉱物っぽくない。やっぱり鉱物名なんだから最後は「石」で締めたい。ということで、「Ferriakasakaite-(La)」というのは「ランタンフェリ赤坂石」という和名になる、というか、そうします。

さて、ここで「ランタンフェリ赤坂石」の元になった「赤坂」についてちょっと述べておこう。この名前は島根大学教授の赤坂正秀に因んでいる。赤坂先生の業績はたくさんあるが、今回の新鉱物と関係する業績を紹介すると、緑簾石族を再定義しようという国際作業部会が立ち上がった際に、その研究実績を買われて赤坂先生は唯一の日本人研究者として参画している。となると日本で緑簾石族の新鉱物が見つかった場合は赤坂先生の名前はルートネームの有力な候補となるだろう。また赤坂先生は今回の筆頭研究者・永嶌さんが学位を取得したときの指導教員で、永嶌さんが緑簾石族マニアになったのは赤坂先生のせい(おかげ)でもある。こうなると永嶌さんが研究代表を務める国産の緑簾石族の新鉱物、その名前には「赤坂石」しか考えられない新鉱物には自ら発見に関わったものに自分の名前をつけることはできないというルールがあるが、師匠の名前をつけることには何ら制約はない。今回の新鉱物の命名は弟子から師匠への恩返しなのだ。

せっかくなのでもう一つの新鉱物「ランタンフェリアンドロス石」の元になった「アンドロス」についてもふれておこう。ルートネーム「アンドロス石」は、エーゲ海キクラデス諸島(ギリシャ)で2番目に大きな島、「アンドロス島」に由来している。そのアンドロス島の最も高い山(Mt. Petalon)にマンガン鉱石を目的とした試掘後があって、そこから産出した新鉱物にルートネーム「アンドロス石」が命名された。この鉱物は緑簾石族命名規約の改定を経て、「ランタンマンガニアンドロス石 / Manganiandrosite-(La)」という正式名称となる。そのフェリ(Fe3+)置換体に相当するのが、今回、我々の見つけた新鉱物「ランタンフェリアンドロス石」である。

さあいつものように鑑定のポイントを紹介しよう。といってもほとんどはランタンバナジウム褐簾石のときに書いてしまった。今回はその補足&訂正になる。まず、この産地に出る褐簾石亜族の鉱物には上に紹介した三種の新鉱物の他にランタンフェリ褐簾石がある(化学組成は上の説明から考えてみよう)。そしてこれら計四種は残念ながら見た目で区別することはできない。そしてマニアにはさらに残念なことに産状からの鑑定もあまり当てにならなくなった。ランタンバナジウム褐簾石はテフロ石に伴われるものだけしか見つかっていないというのは確かなのだが、あとの三種は困ったことに、ベメント石、テフロ石、菱マンガン鉱脈中であればどこにでも顔を出す。さらには数ミリ四方の小さな領域にランタンフェリ褐簾石・ランタンフェリ赤坂石・ランタンフェリアンドロス石の三種がいることは全然珍しくはない。見た目はおろか産状でさえ区別できないことになった。もはや全部の鉱物種を書いたラベルをつくれば良いだろう、きっとそれは正解だ。全体としてはランタンフェリ褐簾石≧ランタンフェリ赤坂石>ランタンフェリアンドロス石 >>> ランタンバナジウム褐簾石である。

この産地に限らず西南日本秩父帯に胚胎される鉄マンガン鉱床の起源は過去の海洋底の堆積物である。そして、その堆積物は太平洋の深海底にある中央海嶺の火成活動に伴って噴出する熱水が関係している。おおざっぱなストーリーは次。①中央海嶺の火成活動により噴出した熱水が海水中に拡散→②熱水に含まれる鉄・マンガンが酸化され懸濁物質になる→③懸濁物質が海水中に溶け込んでいるレアアース&レアメタルを吸着→④深海底に堆積→⑤プレート運動で日本側に移動→⑥ちょっと変成を受けた後に地上に上がり(付加体)、これが秩父帯中の鉄マンガン鉱床となる。こんな流れで、中央海嶺から熱水が噴き出して現在に至るまでのタイムスケールは数億年。要は伊勢の鉄マンガン鉱床中のレアアースやレアメタルは、もともとは太古の海洋に溶け込んでいたものだ(と考えている)。そういえば以前に「ランタンバナジウム褐簾石」のバナジウムの起源について、「海底に住んでいるホヤが体内にバナジウムを蓄積するからそれである」というコメントをもらったことがある。無邪気な発想ではあるがたぶんそれは無い。

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IMA No./year: 2013-069
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43749:holotype, M-43750:cotype)

今吉石 / Imayoshiite

Ca3Al(CO3)[B(OH)4](OH)6・12H2O

Ettringite group

模式地:三重県 伊勢市 水晶谷

記載論文:Nishio-Hamane D., Ohnishi M., Momma K., Shimobayashi N., Miyawaki R., Minakawa T., Inaba S. (2015) Imayoshiite, Ca3Al(CO3)[B(OH)4](OH)6•12H2O, a new mineral of ettringite group from Ise City, Mie Prefecture, Japan., Mineralogical Magazine, 79, 413-423.

今吉石 / Imayoshiite
絹糸光沢を示す繊維状結晶が今吉石。重量の50%以上が水でできている鉱物。

三重県伊勢市からの新鉱物,今吉石(Imayoshiite)である。鉱物コレクター・今吉隆治(1905-1984)にちなんで命名されたこの鉱物は弟子(稲葉)から師匠への贈り物。それにしても昨年以降、伊勢市からは新鉱物の発見(承認)が相次いで、式年遷宮の日に承認された今吉石は伊勢鉱・ランタンバナジウム褐簾石に続いて3種目となる。いずれも超稀産の3種なので三種の神器にあやかって宣伝したいところだが、今後も続くかな?

さて新種を発見したら命名権は発見者にあるというのはなんとなく理解できるだろう。生物の新種の学名では誰が発見したかがわかるように、学名の一番最後に発見者の名前が入っていることが多い。こういうのを二名法と言う。ところが鉱物の場合は「自分が発見した新鉱物には自分の名前をつけることができない」 というルールがある。そのため新鉱物はたいていは地名とか鉱物学に関連する人物の名前にちなんで命名される。地名の場合はシンプルにその鉱物が発見された鉱山・集落・市町村・県の名前というのが候補になるが、人名の場合は基本的には何らかの形での鉱物学へ貢献したこと、もしくは鉱物学と深く関わっていることが命名の理由となる。前者のケースだといわゆる研究者が行った仕事が該当し、後者だと様々だが一つの関わり方として鉱物収集がある。そして今吉隆治(Takaharu Imayoshi)は間違いなく熱狂的な鉱物収集家の一人であった。それは亡くなるまでに集めた標本が一万点を越えていたというすさまじさからもわかるだろう。しかも佳品が多かったと聞いている。現在ではその多くは地質標本館へ収蔵されて研究のために有効に活用され、一部は展示で来館者の目を楽しませてくれる。まだ訪れたことはないが静岡県の奇石博物館には今吉隆治が最後まで手放さなかった秘蔵標本が展示されているらしい。そのうちこっそり行ってみよう。

前置きがちょっとズレたが、鉱物収集というのはたしかに個人の趣味として捉えられるものである。がしかし、鉱物収集は鉱物学との一つの重要な関わり方でもあって、それに突出した人物はやっぱり新鉱物名の候補となる。今回の新鉱物の名前を考える段になって、発見者の稲葉から提案された自らの師匠「今吉隆治」の名前は共著者みんなが納得のいくものであった。足立電気石のところでも紹介したが、日本では研究者ではない人物が鉱物名として採用されたのは、長島乙吉、櫻井欽一、益富寿之助、足立富男につづいて、今吉隆治が5人目となる。今後も鉱物収集家やローカルガイドは新鉱物名の候補となるだろう。

この鉱物の発見はざっくり30年前にさかのぼる。稲葉が伊勢市山中の蛇紋岩地帯を探索中に見つけたもので、産状は蛇紋岩中のゼノリス(捕獲岩)。発見当初からエットリング石グループの一種だとは考えられてはいたのだが、試料が少ない上に当時では分析が難しくて,う~んという状態がそこからなんと30年。まあずっと検討してたわけではなくてそれはほとんどあきらめていた期間に等しいが、昨年(2012)の夏くらいからいろんな人に協力してもらい、ようやく新鉱物としてのデータがそろって今回の承認となった。

全体の産状は皆川ほか(1986)に詳しいのでそれを参考にしてもらいたいが、今吉石の母岩は蛇紋岩中の斑糲岩ペグマタイト質のゼノリスで斜方輝石や斜長石が粗粒化している。そして今吉石は斜長石が熱水変質を受けた部分に産出する。要は真っ白でちょっとボロくなっている岩石の一部なのだが、今吉石は絹糸光沢を示す透明な繊維集合が脈状で産出する。稀にはその繊維状集合が六角形に配列する。また繊維状集合の一部では透明な塊状に粗粒化することもある。この岩石中で透明感のある結晶を形成するのは今吉石だけで、他の共生鉱物(加水ざくろ石、ゾノトラ石、トベルモリ石、バルトフォンテン石)はのぺっとした不透明白色塊の中にある。ごく一部に大江石がみられるが、これはちょっとパサっとした繊維状集合なのに対して今吉石は瑞々しい集合体なのでその違いはぱっと見で区別できる。それに今吉石は共生鉱物に比べて圧倒的に華奢でもろいので、これも鑑定ポイントである。いずれにしても今吉石は入っていればルーペが無くとも肉眼でも簡単に判別可能なのだが、一度は現物を見ておかないと初見での判別は難しいかもしれない。ところが今吉石を見る機会はそうそうやってこないと思う。と言うのも産地には今吉石を含むゼノリスが極端に乏しい。少しくらいあるだろうと現地に行ってみたがこれが無いんだな、ほんと~に無い、見事に無い、どうしようもない。あるのは霰石ばっかり。こうなるともはや肉眼鑑定以前の問題で今吉石のレアさは伊勢鉱の比でなどではない。いずれにしても新産地が見つかるまでは今吉石は最も見かけることの少ない新鉱物になるかもしれない。

今吉石はエットリング石グループに所属している。2008年に岡山県布賀鉱山からエットリング石グループであるチャールズ石のCO2置換体という鉱物の報告があり、我々も今吉石の再検討を始めた当初はこいつとイコールかと思っていた。しかしそれらは似て非なるもので、今吉石と布賀産の鉱物とは全然違うものとわかった。ついでに書いておくと布賀の鉱物はとりあえずまだ何者でもない。今後これが新鉱物となるかUnnamed Mineralのままでいるか、今後の推移を注意深く見ていこう。

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IMA No./year: 2013-034
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43779)

岩手石 / Iwateite

Na2BaMn(PO4)2

Glaserite structured mineral

模式地:岩手県 田野畑村 田野畑鉱山

記載論文:Nishio-Hamane D., Minakawa T., Okada H. (2014) Iwateite, Na2BaMn(PO4)2, a new mineral from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 34-37.

岩手石を含む部分の断面
岩手石を含む部分の岩石断面写真

岩手石は白塗り部に存在する
白塗り部分に岩手石が存在する。

岩手石 / Iwateite
岩手石の後方散乱電子像。明るい粒がほとんどすべて岩手石。

岩手石 / Iwateite
顕微鏡写真。オープンニコルで白濁してみえる結晶が岩手石。クロスではほぼ消光。

「あまちゃん」人気で盛り上がっている岩手県からの新鉱物岩手石(Iwateite)である。岩手県田野畑鉱山を模式地とする新鉱物は多く、これまでに神津閃石、鈴木石、ソーダ南部石、わたつみ石、カリリーク閃石、田野畑石が発見されている。岩手石は7番目となる。岩手県からの新鉱物としては14種目か・・、ようやく岩手の名前がついた。私にとっては10種目、二桁に到達したメモリアル。

最初にちょっと脱線(長くなるけど)。田野畑鉱山のからの新鉱物で岩手石の共生鉱物である神津閃石だが、実はその名前が消滅してしまった。命名規約の変更で「神津閃石(Mn2+4Fe3+)」は「マンガノフェリエッケルマン閃石」となった。これがまた一見混乱する命名なのです。名前の後半の「エッケルマン閃石」というのは(Mg2+4Al3+)組成で,このFe3+置換体(Mg2+4Fe3+)には「マグネシオアルベソン閃石」という名前がすでにある。そうなると「(旧)神津閃石(Mn2+4Fe3+)」は「マグネシオアルベソン閃石(Mg2+4Fe3+)」のMg→Mn置換体、つまり「マンガノアルベソン閃石」に改名されるはずだとふつうは思ってしまう。ところがそうではない。なぜか?その理由はたった一つ、今回の命名規約改訂のキモはMgAlの優占種をルーツネームとして扱うことだから。つまり「(旧)神津閃石(Mn2+4Fe3+)」は「マグネシオアルベソン閃石(Mg2+4Fe3+)」のMn置換体という扱いではなくて、「エッケルマン閃石(Mg2+4Al3+)」というルーツネームのMn(マンガノ)とFe3+(フェリ)置換体にあたるので「マンガノフェリエッケルマン閃石」となったのだ。そうだとするとエッケルマン閃石というルーツネームのAl→Fe3+置換体に相当するはずの「マグネシオアルベソン閃石」はなぜ「フェリエッケルマン閃石」ではないのか?という疑問が生じる。ところがこの命名規約は「リーベック閃石、アルベソン閃石、アクチノ閃石、ヘスチング閃石などは消すと岩石学者が混乱するから例外的に名前を残してやる!んで、アクチノ閃石以外にはMg優占種にマグネシオってつけるから!ついでにふつう角閃石はMgAl優占種のルーツネームだけどこれにも例外的にマグネシオつけるから覚えとけよ!!」などとなっている。もうアホかと・・。どうせ分けるなら中途半端な例外なくして一つのルールできっちり仕分けてください。むしろ混乱を助長しとるわ。愛媛閃石も消されたしコノメイメイキヤクボクダイキライ。神津閃石→マンガノフェリエッケルマン閃石は病膏肓に入った鉱物マニアでも理解できてなくて、たとえばマニアの集まりMindatでもマンガノアルベソン閃石になってる(2013/07/01現在)。それまちがっとるよ。

さて本題。日本の場合では新鉱物の申請を行うにあたり必須ではないが推奨される手順がある。日本の鉱物学会には新鉱物・命名・分類委員会というのがあって、そこでは本申請に先立って申請書を事前にチェックしてコメントをくれるので、まずはそこに提出するのがお奨めのやりかた。新鉱物申請の経験者ばかりで構成されているので、この委員会のコメントを参考に修正した申請はたいてい本番でも問題なく通ることが多い。もちろん今回の岩手石も申請に先立ってこの委員会からのコメントを求めたのだが、鉱物データ以外の思いがけない指摘を受けてしまった。

実は委員会にコメントを求めた時点ではこの鉱物はみちのく石(Michinokuite)としていた。産地が岩手、つまり東北なんで「東北」=「みちのく」ってことで良いじゃない。石そのものは地味だとは思う「みちのく石」は「わたつみ石」に匹敵するくらいすてきな名前だとも思っていた。ところがその「みちのく」がよろしくないというコメントであった。要は「みちのく」って場所がいろいろ変わってきてるし、岩手県田野畑村がその代表とはちがうんじゃない?それにこの鉱物が東北で普遍的に産出するものでもないだろうから、まあやめときなよと言うものでした。未知の苦じぇじぇじぇっ!?

そうなると名前は再考、次の候補は人名・地名である。人名で真っ先に思い浮かぶのは石っ子賢ちゃんこと宮沢賢治地名だと岩手。でも待てよイーハトーブもとい岩手あっての宮沢賢治だろ?そして鉱物には岩手の名前ががまだない、ということで岩手を先に採用しました。もちろん岩手石ができたからには次は宮沢賢治の名前を採用したい。

さあ、岩手石の肉眼鑑定ポイントに移ろう。胸を張って言うが絶対無理!!。夢のない発言だが肉眼鑑定はもうあきらめてください。薄片にすればそれなりにわかるが、肉眼では無色透明で小さく結晶外形もこれといって特徴が無いのでどれがなにやらさっぱりわかりません。ただそれでもどうしても手に入れたいという熱心な愛石家はいると思う。そのような方々のために一つだけ朗報がある。なぜか岩手石はセラン石の結晶中にいることが多く、セラン石のかたまりから薄片を作ると50%くらいの確率で見つかる。まあたまたまかもしれんけど。

田野畑鉱山からの新鉱物はこれまでにたくさん発見されていて色や特徴的な産状が目につくが、実はそれが盲点になっている。結果として研究者もアマチュアも目につくモノだけしか調べて(採って)いない。まあ当然だろう。だが田野畑にはおもしろい元素が目白押しなので、組み合わせによっては白とか透明とか目立たない形の新鉱物があるだろうと思って研究が始まった。ではどうやって目に見えない鉱物を見つけるのか?そればかりは研究者の特権かもしれない。研究者の使う走査型電子顕微鏡(SEM)は重たい元素を持っている鉱物が明るく、軽い元素からできている鉱物は暗く写る。その明暗が強くなるように調整すると、岩手石のように重たい元素(BaやSr)を持っている鉱物だけがまるで夜空の星のように白く輝く。ここは私たちだけがたどり着いた銀河の河原。この礫(こいし)はみんな新鉱物だ。中で小さな火が燃えてゐる。

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IMA No./year: 2012-101
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43748)

足立電気石 / Adachiite

CaFe2+3Al6(Si5AlO6)(BO3)3(OH)3(OH)

Tourmaline supergroup

模式地:大分県 佐伯市 木浦鉱山

記載論文:Nishio-Hamane D., Minakawa T., Yamaura J., Oyama T., Ohnishi M., Shimobayashi N. (2014) Adachiite, a Si-poor member of tourmaline supergroup from the Kiura mine, Oita Prefecture, Japan, Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 74-78.

足立電気石 / Adachiite
足立電気石 / Adachiite
模式地標本 一般的には黒色柱状結晶の集合として産出する。不透明というわけではなく、強い光をむりやりあてると小さい結晶なら透明であることが確認できる。実際には鉄電気石と複雑な累帯を成し、その一部が足立電気石となる。この産地の電気石はほとんどの場合で足立電気石を含んでいる。

電気石グループの新種,足立電気石(Adachiite)で、いわゆるチェルマック置換型の電気石となる。チェルマック置換型の電気石は足立電気石が世界初となる。世界でもっともシリコンの少ない(逆説的にアルミニウムの多い)電気石ということ。チェルマック置換型は輝石とか角閃石ではよくあるのに電気石ではなぜか知られていなかった、不思議だね。

世界初となる電気石の鉱物名には足立富男 氏(1923-) の名前をいただいた。氏は宮崎県延岡市在住で御年90歳。宮崎県下の高校で教鞭をとっておられた方で研究機関の研究者ではない。しかし氏は鉱物だけではなく地質や化石などいわゆる地学全体に対する造詣が深く、また宮崎県内だけでなく九州各地を踏破してその地質・鉱山を知り尽くしている。地学教育の普及活動にも熱心で、学生を連れて地学巡検を積極的に行っていたとも聞いている。こういった地域に根ざした活動を行う人を「Local guide」と言って、研究者はこのような方に現地を案内してもらって研究を行うことが多い。とうぜん氏のこれまでの活動による鉱物科学への貢献は大きく、九州産の新鉱物の名前にふさわしいと思って関係者に提案してみた。もちろん異論なし!皆川先生を通じて足立先生へお伝えし、ご本人の了承をいただいた上で申請した。無事承認されてよかった。

日本産新鉱物はこの時点で120種に達しようというところであるが、プロ研究者ではない人物の名前が鉱物名に採用された例は長島乙吉(1890-1969) [長島石(Nagashimalite:IMA1977-045),桜井欽一(1912-1993) [桜井鉱(Sakuraiite:IMA1965-017)、欽一石(Kinichilite:IMA1979-031)],益富寿之助(1901-1993) [益富雲母(Masutomilite:IMA1974-046)] だけで、非常に希である。欽一石以来、実に34年ぶりとなる。足立電気石が承認された日は2013年4月2日、その日は下に掲載したランタンバナジウム褐簾石のプレスリリース日でもあったため、取材の電話がガンガン鳴っている中でのもうひとつのうれしい通達だった。

足立先生の名前は既にクサリサンゴ化石の一種にも採用されており、石・鉱物の両方に名前が採用されることはたいへん稀である。おめでとう足立先生。

大学4年生~修士過程の私の研究テーマは「ラテライト質変成岩中の鉱物」で、大分県木浦鉱山のエメリーはまさにそのものだった。そんなわけで木浦鉱山のエメリーから新鉱物を発見できたことは原点回帰のようにも思う。もう10年以上まえになるが初めて訪れる木浦鉱山を案内してくれたのが足立先生だった。足立先生は覚えてないだろうが、クソ狭い道を軽バンでカっ飛ばして一日で広い木浦鉱山を5カ所くらい案内してくれた。坑道にも入って公民館の展示も見てとあわただしかったが、その健脚にはおどろくばかり。最後に川のほとりの雑貨屋でお茶を出してもらってようやく落ち着いた。

さて、足立電気石はエメリー鉱石を貫く熱水脈中に真珠雲母や緑泥石、たまにダイアスポアを伴って産出する。エメリー鉱石はコランダムとスピネルで主にできていて、その堅さがウリの商品である。純度の高いエメリー鉱石はうっすら青みを帯びた黒色緻密な塊であり、ハンマーでたたくとキンキンと音がしてまあまず割れない。逆に真珠雲母や緑泥石を伴うような鉱石は変質を受けていて比較的柔らかくて割れやすく、それ故に売り物にもならずで出荷できないゴミとして捨てられてしまう。事務所の人からもいくらでも持って行けと言われるここの真珠雲母は手に入りやすかった古典標本なので一度は手にした人も多いと思う。その真珠雲母や緑泥石に埋もれるかたちで黒色柱状結晶が入っており、これが足立電気石だ。外観は一般的な鉄電気石そのものなので愛石家なら間違えることはまず無いだろう。実際には鉄電気石と類帯しているのだが、ほとんどすべての試料に足立電気石が含まれるから遠慮無くラベルをつけてしまおう。映える標本はむしろ風化しきったモノが良い。一見泥をかぶった標本は亀の子たわしで遠慮無くガシガシこすると頭付きの結晶が出てくるので、小汚く見えるモノのほうが実は宝物だったりする。ステキな結晶もズタボロの真珠雲母をツンツンしてたらポロッとでてきた。

エメリー鉱の産出は日本ではこの木浦鉱山のみと地元では説明されているが実はそんなことはなく、愛媛県小大下島(こおおげしま)にも立派なエメリー鉱が産出する。ただ小大下島エメリーには電気石は無かった。まあそれはさておいてもエメリー鉱を「ラテライト質変成岩」ととらえると産地はもっと広く、愛媛県弓削島、明神島、睦月島にも産出が認められる。足立電気石の発見を受けてラテライト質変成岩っておもしろいなと改めて思うし、新鉱物がでる手がかりをつかんでいるのでなんとか形にしなければ・・。

このページを読んでいるくらいの深刻な鉱物マニアなら堀秀道先生の「楽しい鉱物鉱物図鑑」はすでにもっていると思う。この本は私が初めて買った鉱物の本で,36ページに出てくるA氏が足立先生であることを知ったのは本当にごく最近だった。

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IMA No./year: 2012-095
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43737)

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)

CaLa3+V3+AlFe2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

Allanite subgroup in Epidote group

模式地:三重県 伊勢市 矢持町菖蒲

記載論文:Nagashima M., Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2013) Vanadoallanite-(La): a new epidote-supergroup mineral from Ise, Mie Prefecture, Japan, Mineralogical Magazine, 77, 2739-2752.

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)
模式地標本 この産地の褐簾石亜族の新鉱物は見た目では区別できないので、とりあえずこの結晶を本鉱としておきましょう。

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)
模式地標本 タイプ標本からのピックアップした結晶のSEM写真

ランタン(La)とバナジウム(V)に富む褐簾石の新種・ランタンバナジウム褐簾石(Vanadoallanite-(La))である。緑簾石グループの中の褐簾石サブグループに分類される。この仲間は命名規約(ルール)があるので名前に選択肢は無く、ちょっと長いこの名前になった。発見地は伊勢鉱と同じところ。山口大からプレスリリースを発信してもらったのでそちらも参考にどうぞ。

さて筆を進めよう。稲葉が地元の祭りに参加した際に山道の脇に放置された鉱石を偶然に目にしたのがきっかけで、ここから一連の研究が始まった。ここの鉱石はまあ地味で、熟練の鉱物マニアでさえ蹴飛ばすような一見つまらない鉄・マンガン鉱石なのだが、稲葉は東海地域の鉱物の研究を長年続けている愛好家で、このつまらなさそうな鉱石でさえ注意深く観察した。そしてその観察眼はさすがと言うべきだろう,稲葉はテフロ石・ベメント石脈中に見慣れない黒褐色の板柱状鉱物に気づいた。これが今回のランタンバナジウム褐簾石の発見につながった。ただ研究そのものは後に見つかった伊勢鉱の方が先に進んでしまい、新鉱物としてはこの産地で二番目となった。

ここは秩父帯という地質でそもそもは太平洋海底の堆積物が起源。その堆積物がプレートテクトニクスによって数億年かけて日本列島の方へ移動し、はぎ取られ、再び地表に現れたのが今の姿。こうやってできた地質を付加体という。秩父帯の元になった堆積物が溜まった数億年前と現在堆積しつつある海洋底の条件が同じとは限らないが、近年話題の南鳥島近海のレアアースをふくむ泥は数億年後には今の秩父帯のような地質になるかもしれない。まあ付加体にはなるだろう。いずれにしてもかつて海洋底堆積物だったはずの付加体でもレアアースの資源調査は望まれる。ただしこういった類の調査がどの程度進んでいるかに関しては論文が少なくてよくわからない。それに鉱物屋としては海底の泥もそうだが、変成度の低い秩父帯ではどんな鉱物にレアアースが含まれるかを明らかにすることのほうが気になる。四国の秩父帯の鉄マン鉱床からはちょっとまえにもレアアースを含む新鉱物が発見されたばかりなので、今回新たに三重県から見つけた秩父帯の鉄マン鉱床についてもレアアース鉱物の調査を行う価値は十分にある。

そんな事情もあって伊勢の鉄マン鉱床からもレアアースのホストである褐簾石が産出したというのはやっぱり新しいかつ重要な発見となるだろう。そこで褐簾石を詳細に検討して鉱物種を確定させようと試みたところ、多くの褐簾石はランタンと3価鉄(Fe3+)に富む種類の褐簾石、すなわちランタンフェリ褐簾石(Ferriallanite-(La))と同定された。ランタンフェリ褐簾石はごく最近発見されたばかりでものすごく珍しい。さらに詳しく調べていくと一部の褐簾石は3価鉄よりもバナジウムに富むことがわかってきた。ランタンとバナジウムに富む褐簾石となると珍しいどころか新種である。一方でこれを新鉱物として申請するには困難が予想された。実際に手間取ったせいで後に見つかった伊勢鉱のほうが新鉱物として先に世に出ることになった。

褐簾石を含む緑簾石グループの鉱物を記載するには今ではしっかりとした命名規約(ルール)があるが、昔はこのルールが無かったせいもあり種の同定は研究者でも勘違いや間違えたりするくらいややこしかった。科博の松原先生が勘違いでストロンチウム紅簾石を日本産新鉱物にしそこねた話は有名(?)である。まあややこしいからルールができたと考えれば良いだろう。いずれにせよこのグループは新しい組成を発見しただけでは新鉱物としては承認されない。各元素、今回はランタンとバナジウムが結晶構造の中のどこにいるかを決めることが必要なのだが、これがまた難しくてこの新鉱物候補は私の手に余った。そこで褐簾石を含む緑簾石グループを広く研究して学位を取得し、その業績で鉱物学会の奨励賞も受賞している山口大学の永嶌真理子さんにコンタクトをとり協力をお願いした。さすがは名うての緑簾石族マニア、彼女の活躍で晴れて新鉱物の承認を得ることができた。

名前について触れておこう。「褐簾石」とは京都の大文字山に産する結晶の外観から命名された和名で、褐色をした簾のような石という意味である。1903年(明治36年)に名付けられ、,そこからこの和名が慣習となり現在に至っている。しかし褐簾石の学名である「allanite」というのは、スコットランド人の鉱物学者 Thomas Allan (1777-1833) にちなんでいることは心に留め置こう(発見は1812年にGreenlandから)。和名はしばしばオリジナルを踏襲しない。かといって今更「アラン石」なんて馴染まんので和名としては「褐簾石」をもつかうことにする。ゴメンよAllanさん。和名はいつも悩ましいが、統一的な見解や用法はまだ整備されていないという現実がある。

そうそう一般的な褐簾石はレアアースの他にトリウム(Th)やウラン(U)を含んでおり、それらから生じる放射線のダメージで結晶構造が壊れていることが多い。しかしこの産地の褐簾石はトリウム・ウランを持っていないので結晶構造はしっかりと保たれている。

さあ鑑定ポイントに移ろう。この産地の褐簾石はベメント石やテフロ石脈中に最大1ミリ程度で、おおむね0.1ミリくらいの黒褐色の板柱状結晶としてポツポツと埋没している。松脂質にぎらつく割れ口や表面のテリは褐簾石特有のものである。この鉱物は割れやすくて新鮮な母岩を叩いて完全な結晶を得るのは困難なのだが、ベメント石やテフロ石が風化してネオトス石+粘土みたいになっているところでは褐簾石は完全な結晶を見せることがある。このような標本はなかなか見栄えが良い。いずれにしても10倍のルーペでも観察は比較的容易だし、似たような鉱物は産出しないので間違えることはないだろう。ただ伊勢鉱とは産出がまったく無関係なのでそちらに気が向いているとまず見落とす。

もう一点ポイントを追加しておく。ここの褐簾石は同じ脈中のモノでも組成が異なる。鉱物種がランタンフェリ褐簾石~ランタンバナジウム褐簾石の間で変化して、これらを肉眼で区別することはできない。そのため確実なランタンバナジウム褐簾石は薄片なり単結晶構造解析に使った粒だったりして標本として適さないのだが、ある程度の経験則はある。ベメント石よりもテフロ石脈中の結晶のほうがバナジウムを多く含む傾向がある。そんなわけで私はテフロ石脈中のものや、それが風化してネオトス石に変質した産状のものにランタンバナジウム褐簾石のラベルをつけている。確実な標本とは言えないが、個人で愉しむ分には産状を目安にして分類するのがよいだろう。

この産地の新鉱物はこれでふたつ。それにしてもここの鉄マン鉱床は不思議。伊勢鉱で明らかとなったマンガン(Mn)とモリブデン(Mo)という組み合わせもそうだが、これまでになかった元素の組み合わせがどんどん見つかる。レアアースにしても通常のレアアース鉱床はセリウム(Ce)に富むことが多いが、この鉱床のレアアースはセリウムが少なくランタンに富むモノがほとんど。環境を考えるとセリウムだけが選択的に消え去ったのだろう。そうなると現在のレアアースの堆積場である南鳥島近海の泥のレアアースの種類や量比とリンクしていなと感じる。いずれにしても天然の地質作用の必然なのだろう。

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IMA No./year: 2012-035
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43670:holotype, M-43671:cotype), 京都大学博物館(#KUM-M00001:cotype)

箕面石 / Minohlite

(Cu,Zn)7(SO4)2(OH)10・8H2O
Chemically related to schulenbergite

模式地:大阪府 箕面市 平尾

記載論文:Ohnishi M., Shimobayashi N., Nishio-Hamane D., Shinoda K., Momma K., Ikeda T. (2013) Minohlite, a new copper-zinc sulphate mineral from Minoh, Osaka, Japan. Mineralogical Magazine, 77, 335-342.

箕面石 / Minohlite
これは箕面石。

シュレンベルグ石 / Schulenbergite
こちらはシュレンベルグ石。

大阪府箕面市から発見されたアップルグリーンのきれいな新鉱物・箕面石(Minohlite)。大阪府からの新鉱物としては2例目となる。大阪初の新鉱物は大阪石(Osakaite)で、これも大西氏が発見し研究も筆頭でとりまとめている。鉱物の学名は最後に「ite」もしくは「lite」をつけることになっている。これはラテン語で「石」という意味から来ており、どっちをつけるかは著者の好み。日本産では昔は「lite」が多かったが最近は「ite」が多い。世界の傾向もそうなっている。箕面石には「lite」がついた。

箕面石や大阪石のような鉱物はいわゆる二次鉱物に分類される。元々あった鉱物が水や空気やなんやかやと反応して別種に変わったものを指すが、何回変わっても二次と言う。幾度の反応を経由したことがわかっていても三次鉱物、四次鉱物とは言わない。「二番目」ということではなく「派生的な」という意味でとらえるとちょうど良いだろう。箕面石の場合は黄銅鉱や閃亜鉛鉱が分解してできたと推測される。

鉱物」の定義をざっくり言うと「質学的作用で生じる体物質」となる。一方で二次鉱物は鉱山跡:人間が掘った坑道や石捨て場(ズリ)で生じることがしばしばある。そのような人の手が加わったところで生じる二次鉱物は果たして「天然」という条件を満たすか?という疑問は素直な感覚だと思う。それでも二次鉱物は鉱物として扱われる。人間が掘ったからこそ生じたモノであっても人間が掘った後に進行した作用は天然の地質学的作用であるからOKという扱いである。

「天然」をどこまで適用するのかは難しいが、「からみ」から派生したモノはアウト。「からみ」とは鉱石から必要なモノを取り出した後の搾り滓のことで、鉱山跡にはよく放置されている。石垣に使われることもある。そしてその「からみ」が変質を受けて何らかの派生的な物質を生み出すことがしばしばある。たとえば海岸に放置された銅鉱石の「からみ」をたたき割るとその空隙には緑鮮やかな(パラ)アタカマ石が見事に結晶化している。しかしこれは鉱物としては認められない。世界初の物質であっても「からみ」中のモノは鉱物としての資格がない。その理由は、「からみ」は元素を濃集させる作用を「人工的」に行っているから。ただし「からみ」中には非常に珍しいモノが結晶化していることもあり、採集のターゲットとしては結構おもしろい。

今回の箕面石は鉱山の堀跡から採集された二次鉱物である。白色の母岩は主には菱亜鉛鉱と緑泥石(シャモス石)の混合体で、黄銅鉱がちらほらと見える。箕面石はアップルグリーンの皮膜状や粒状で母岩の上にちょこんと乗っている。粒のサイズは100ミクロンくらいあるのでルーペ無しでもなんとか視認はできる。20倍くらいのルーペでがんばれば鱗片状の組織が見えるかもしれない。またサーピエリ石やラムスベック石が箕面石の粒集合の中にポツンといたりする。全体的には白地の母岩にアップルグリーンの箕面石ばかりという産状なので鑑定はそれほど難しく無いように思えるが、同様の産状のシューレンベルグ石と並べられたら鑑定は難しい。組成的にも構造的に関連が疑われるので当然だが、箕面石の方がわずかに緑色が強く、かたちもほんのわずかにしっかりしている様に感じられる。

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IMA No./year: 2012-020
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43652 )

伊勢鉱 / Iseite

Mn2Mo3O8

Kamiokite Group
Mn-dominant analogue of Kamiokite

模式地:三重県 伊勢市 矢持町 菖蒲

記載論文:Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2013) Iseite, Mn2Mo3O8, a new mineral from Ise, Mie Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 108, 37-41.

伊勢鉱 / Iseite
伊勢鉱 / Iseite
模式地標本

三重県伊勢市から発見された新鉱物「伊勢鉱/Iseite」である。ちょうど一ヶ月前に科博の研究チームによる新鉱物・イットリウム苦土ローランド石(Magnesiorowlandite-(Y))が三重県からの新鉱物として承認され、我々の発見した伊勢鉱はそれに引き続いての承認となった。こんなの滅多にない。伊勢鉱も新聞報道され、平成24年7月3日中日新聞朝刊で紹介されている。

2013年時点で鉱物種は約4700種あるが、実はマンガン(Mn)とモリブデン(Mo)を主成分とする鉱物は伊勢鉱が世界初。一見あり得そうなこれら元素の組み合わせがこれまで天然ではなかったことは意外だった(合成物は存在する)。まあとにかく天然の地質作用は我々の想像より多様性に富んでいたということで、それを体現する伊勢鉱は学術的にもおもしろい鉱物だろう。

三重県からはこれまで3種の新鉱物が発見されている。カリ鉄パーガス閃石、イットリウム苦土ローランド石、そして今回の伊勢鉱となる。三重県からの新鉱物では3種目にして初めてルートネームがついた。旧国名「伊勢国」、現在の「伊勢市」から見つかった鉱物なので「伊勢鉱」と名付けた。「三重鉱」も候補だったがここはやはり「伊勢」の方がふさわしいだろう。「伊勢海老」や「伊勢神宮」のおかげもあって「伊勢」という名前には高級感と神秘的なイメージがすでにある。そういえば「伊勢」は神様の名前に由来しているらしい。そう思うとこの一見地味なこの新鉱物も神々しく輝いて見える気がしてきた

金属光沢を持つ鉱物の和名は最後に「鉱(こう)」がつき、それ以外には「石(せき)」をつけるのが一般的なのだが昔はちょっと違った。その鉱物が有用な金属を含むかどうかが「鉱」・「石」の判断基準だった。例えば共生鉱物の菱マンガン鉱。化学組成はMnCO3でピンク色した透明な鉱物であるので菱マンガン石となるべきところが、なぜか菱マンガン「鉱」である。命名されたのは明治時代。そのころマンガンは重要な金属だった。鉱物になぜ「石」・「鉱」がついてるかを歴史に照らし合わせるとおもしろいかもしれない。日本から鉱山がすごい勢いでなくなってきだしたころから「石」・「鉱」の付けかたが今のセンスとなっている。

伊勢鉱は単独で菱マン中に集合体を作り、伊勢鉱と輝水鉛鉱の共存はむしろレアケース。その理由として硫黄がちょっとでも存在するとモリブデンは真っ先に硫黄と反応して輝水鉛鉱を作るのでそのなかでモリブデン酸化物は存在しにくい。それでも輝水鉛鉱との共存も無いことはなく、共存する標本は集合体の中で伊勢鉱の結晶面にコントラストがつくのでむしろ見分けやすい。一方で輝水鉛鉱の標本にむやみに「伊勢鉱を含む」といったラベルを貼るのはお奨めしない。基本的にはそれくらい輝水鉛鉱中には無いのだ。そもそもここでは輝水鉛鉱すら希産。「同じ脈に伊勢鉱が発見された」とか「伊勢鉱が見つかった石の一部」とか書いてある標本も当てにならない。

鉱石は磁鉄鉱・赤鉄鉱・カリオピライトが基質のいわゆる鉄マン。ベメント石・テフロ石・菱マンガン鉱が様々に基質を貫いており、菱マン脈中に輝水鉛鉱がまれに含まれる。伊勢鉱も菱マン脈中にきわめて希に含まれるが伊勢鉱は輝水鉛鉱とものすごく紛らわしい。なんというか、輝水鉛鉱はわかるのだが伊勢鉱がわからない。一見それっぽいモノでも詳しく調べると輝水鉛鉱だけというのがほとんど。硬度(伊勢鉱は4-5,輝水鉛鉱は1)が鑑定のポイントになると思うだろうが、引っ掻こうにも菱マン(硬度4)がじゃましてよくわからないし手加減を間違えると標本がふっとぶ。菱マン混じりの輝水鉛鉱ほど伊勢鉱そっくりに見えるから始末が悪い。伊勢鉱のほうがやや黒っぽく結晶片が大きくキラつくいて見えるのが輝水鉛鉱との違い。でもまあその程度。伊勢鉱の肉眼鑑定難易度はレベルMAX。金をかけずに伊勢鉱を手っ取り早く鑑定するには研磨薄片を作れば良い。一部をひっかいて接着剤でガラスに固定して紙やすりで#6000くらいまでスリスリすると輝水鉛鉱は周囲の菱マンよりくぼむけど伊勢鉱はくぼまない。

先にも述べたように特異な地質作用の証拠である伊勢鉱はおもしろそうで,もっと詳しく研究をしたいのだがいかんせんあまりにも希少。一方で伊勢鉱を胚胎する鉱床は秩父帯の層状鉄マン鉱床で、同じような層状鉄マン鉱床は四国に広く分布している。そのため四国にも産出の可能性はあると思っているが,伊勢と名付けてしまったからには伊勢でしか産出しないというほうがおもしろいかもしれない。

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IMA No./year: 2011-099
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-43517)

イットリウム高縄石 / Takanawaite-(Y)

YTaO4

Polymorph of:Formanite-(Y), Iwashiroite-(Y), Yttrotantalite-(Y).
M-type polymorph.

模式地:愛媛県 松山市 高縄山

記載論文:Nishio-hamane D., Minakawa T., Ohgoshi Y. (2013) Takanawaite-(Y), a new mineral of the M-type polymorph with Y(Ta,Nb)O4 from Takanawa Mountain, Ehime Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 108, 335-344.

イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y)
模式地標本 この産地のペグマタイトはほとんど雲母を伴わず、高縄石は石英と長石の境界に産する。メタミクト化しており非常に脆いため岩石を割る際の衝撃でほとんど割れてしまう。結晶面が見えることは稀。放射状に集合する傾向がある。

高縄石/takanawaite-(Y)。またしても愛媛県からの新鉱物となった。和名を正確に表現すると「イットリウム高縄石」だろうか。とりあえずツールネームの「高縄」を強調しよう。2011年は当たり年だったようで3つ目の新鉱物を申請することができた。

鉱物の名前の付け方にはいくつかルールがある。今回は希元素を含む鉱物名の付け方のお話。Takanawaite-(Y)は見てのとおり前「Takanawaite」と後「Y」に分かれている。前をルートネーム、後ろをサフィックスと呼ぶ。まずはルートネームのほうから説明しよう。簡単に言うとルートネームは希元素以外の化学組成と構造のことを指している。例えば希元素をREEで表したとする。そうすると「takanawaite」とはREE(Ta,Nb)O4で結晶構造が単斜晶系( I 2/aのという意味になる。岩代石(Iwashiroite)だとREETaO4単斜晶系( P 2/a、フォーマン石(Formanite)だとREETaO4正方晶系( P 格子)、イットロタンタル石(Yttrotantalite)だとREETaO4斜方晶系ということになる。次にサフィックスについて。要は含まれる希元素で最も多いものを指す。最後に(Y)がついていればイットリウムが、もし(Gd)だったらガドリニウムが一番多く含まれているという意味となる。仮にGd(Ta,Nb)O4の化学組成の鉱物が見つかったとする。このとき結晶構造が単斜晶系( I 2/aなら問答無用でそれはtakanawaite-(Gd)である。結晶構造が上記のいずれでも無い場合は新たルーツネームをつけられる。

合成実験ではY(Ta,Nb)O4には3つの安定相があることが知られており、それらはT, M, M’相と記述される。Y(Ta,Nb)O4鉱物はこれまでフォーマン石、イットロタンタル石、岩代石があり、岩代石はM’相にあたる。では,高縄石は何に相当するかというと,M相である。残りはT相なのだが、実はまだ発見(承認)されていない。

そうなるとフォーマン石とイットロタンタル石はいったい何者なのか?実はこの二つは合成実験では存在が確認されていない。記載年代も非常に古く、結晶構造と化学組成に関してデータが曖昧なままとなっている。しかしながらそれでも有効な鉱物種(valid species)となっているので非常に困る。さらには紛らわしい論文が存在し、そのせいで誤解する審査員もでてきて、高縄石の審査にはちょっと時間がかかった。まあともかく高縄石は新鉱物である。さあ論文を書こう。

高縄石は2002年の鉱物学会で一度はフォーマン石として報告している。加熱によるメタミクトからの構造回復の挙動がフォーマン石とやや異なることに当時から違和感を感じていたのだが、そのときは決定打がわからなかった。こういうのを「見落としていた」「勘違いをしていた」という言い方もあるが、簡単にはそのときの私には「見抜けなかった」のである。おかげで10年もほったらかすことになってしまった。

高縄石の産地・高縄山はもともとガドリン石の産地として有名だったが、私が愛媛大にいたときにはすでに産出が絶えて久しかった。そんな中2001年3月24日 芸予地震が発生した。各地で様々な被害を出しつつ高縄山でもいくつか崩落があった。そのうちガドリン石を産出するペグマタイトがピンポイントで大ダメージをうけ、道をふさぐほど大量に崩落したのである。その際に一時的にガドリン石の産出が復活し、そこに高縄石(当時はフォーマン石と思っていた)が多産した。それから約10年後、2011年3月11日の大震災を受けて今年度に予定していた研究がいくつかストップしてしまった。さてどうしようかと思いあぐねていたところに地震つながりでやや曖昧なままになっていたこの鉱物のことを思い出した。災い転じて福となす。昔に採集した試料を用い、当時よりは成長したであろう知識・技術で再検討したところ、新鉱物としての再発見につながった。

この産地で高縄石とやや間違えやすい鉱物はジルコンである。ともに放射状に集合する。しかし高縄石が板状結晶集合体であるのに対し、ジルコンは棒状の集合体である。ルーペがあれば間違えることはないだろう。黒緑色の最大2cmはある粒状結晶はガドリン石だ。結晶面が見えるものも多い。ものすごくレアだが灰色の棒状結晶がまれに見つかることがある。トルトベイト石を期待したのだがこれは褐簾石であり、すべてセリウムタイプだった。結晶の周囲に白色粉状のものが認められるのでセリウムラブドフェンが期待できるのだが手持ちの試料に乏しくまだ詳しく検討できていない。

さて愛媛閃石に引き続き高縄石も産経新聞に掲載された。翌日にはあいテレビ(NEWSキャッチあい)で報道され、さらに翌々日には愛媛新聞にも掲載された。「レアアースの新鉱物」という見出しで予想外に注目された。さあ次にいこう。 目指すのは日本発世界初。まずは発見しなければ何事も始まらない。

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IMA No./year: 2011-043
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-41299)

宮久石 / Miyahisaite

(Sr,Ca)2Ba3(PO4)3F

Apatite supergroup

模式地:大分県 佐伯市 下払鉱山

記載論文:Nishio-Hamane D., Ogoshi Y., Minakawa T. (2012) Miyahisaite, (Sr,Ca)2Ba3(PO4)3F, a new mineral of the hedyphane group in the apatite supergroup from the Shimoharai mine, Oita Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences 107, 121-126.

宮久石 / Miyahisaite
宮久石 / Miyahisaite
模式地標本 だいたい同じ視野を写真とBEI像で並べてみた。下のBEI像で白い部分が宮久石で,その中心にあるやや明るい灰色はフッ素燐灰石。

愛媛閃石の新鉱物承認からちょうど1ヶ月後に承認された新鉱物宮久石/miyahisaiteである。タイミング的に2011年の鉱物学会の予稿提出〆切に承認が間に合わなかったので2012年の鉱物学会で発表しようと思っているが、論文の方が先になってしまった。

名前の由来は愛媛大学教授であった宮久三千年(みちとし)にちなむ。共著者・皆川には二人の師匠がおり,一人は桃井ざくろ石の名前の由来となった桃井斉、もう一人が宮久三千年になる。私は皆川先生を通じて宮久先生と桃井先生の孫弟子にあたる。宮久先生は九州大分の出身で、九州の地質・鉱山の研究を通じて日本の鉱物学の発展に大きく貢献された。九州もしくは分県からの新鉱物に名前をつけたいと思っていたところであった。

この鉱物を発見した当初は別の鉱物名を考えていた。というより命名規約から一意に決まってしまうと思っていた。この鉱物の組成をもっとも単純に考えると(Ba,Sr,Ca)5(PO4)3Fと書くことができる。これは既存鉱物・アルフォース石/alforsite,Ba5(PO4)3Clのフッ素置換体に相当する。そうなるとこの鉱物は「フッ素アルフォース石」と名付けるしか無い。もちろんこの場合でも新鉱物であるがちょっと冴えないと思っていた。しかしこの鉱物の構造は特殊で組成と構造を詳しく検討すると(Sr,Ca)2Ba3(PO4)3Fと表現すべき鉱物であるというのがわかった。そこで本鉱の産地・九州大分県ゆかりの人物で、皆川の師匠である「宮久」をルーツネームとして提案した。我々の期待通りに宮久石/miyahisaiteは無事に承認された。

母岩は一見はチャートである。ほとんどは石英だが、やや紫に見えるのはナマンシル輝石が含まれているからである。そういった母岩に入ってくる褐色の脈は主にエジリンからできており、この脈中に様々なBaに富む鉱物が存在する。宮久石はエジリン脈に沿うように紫色部に見つかることが多い。宮久石は無色透明であるが、細かい集合体であるため粒界効果によって全体はぼんやりとした白色に見える。それでも切断・研磨した上で、かなり拡大してようやく認識できる程度である。確実に宮久石を得るには分析装置付きの走査電子顕微鏡を使うしかないが、それでも簡単には見つからない。

この宮久石の記載によって2014年に日本鉱物科学会から櫻井賞(第41号メダル)を受賞した。受賞にあたり、宮久石についての研究紹介を岩石鉱物科学誌に書いているので、興味がある方はリンク先を参照してください。宮久石はこれまでの自分の経験が無駄じゃなかったなあと思い出させてくれる新鉱物である。もらったメダルについてもちょっとした後日譚を書いている。

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IMA No./year: 2011-023 (2012s.p.)
IMA Status: Rd(Re-defined)
模式標本:国立科学博物館(NSM-M41160)

愛媛閃石 / Ehimeite(~2012)/ Chromio-pargasite(2012~)

NaCa2(Mg4Cr)(Si6Al2)O22(OH)2

Amphibole supergroup

模式地:愛媛県 新居浜市 東赤石山 赤石鉱山 (南側)

記載論文:Nishio-Hamane D., Ohnishi M., Minakawa T., Yamaura J., Saito S., Kadota R. (2012) Ehimeite, NaCa2Mg4CrSi6Al2O22(OH)2: The first Cr-dominant amphibole from the Akaishi Mine, Higashi-Akaishi Mountain, Ehime Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 107, 1-7.

愛媛閃石 / Chromio-pargasite
愛媛閃石 / Chromio-pargasite
濃緑色が愛媛閃石

愛媛県から発見された新種の角閃石(かくせんせき)、愛媛閃石/ehimeiteである。角閃石は現在120種以上が知られ、数え間違いでなければ愛媛閃石は124番目の角閃石となる。角閃石の新種は毎年のように発見されるし角閃石そのものは珍しくない(人気もあまりない)鉱物だが、クロムを主成分にもつ角閃石は愛媛閃石が初となる。そもそもクロム鉄鉱鉱床から角閃石が産出したのはこれが初めての例ではないだろうか。

角閃石の命名には多くのルール(規約)があり学名は化学組成に制約されるが、愛媛閃石の化学組成は命名規約の範疇になかった。命名規約に従うと名前がつかないのである。そういう事情からひとまず新しいルーツネームを提案してみたところ、問題なく承認された。産地から見える景色は壮大で緑豊か。さらに大きくきれいな鉱物なので名前も大きなものがよかろうと「愛媛」を提案した。なかなか良い名前だと思っている。この新鉱物は角閃石なので、和名はルートネーム(愛媛)+閃石で愛媛閃石となる。

さて、愛媛閃石は産経新聞で取り上げられることになり、「宝石のような新鉱物」というタイトルで写真が掲載された。宝石になるかどうかはともかく、見て映える新鉱物はひさびさという印象をもつ。「愛媛閃石がみかん色だったらもっとよかったね」とのちに言われたが、夏のみかん畑は緑一色であるからだってみかんの色でいいじゃないか。

写真を見たからというわけではないだろうが、新鉱物が承認された後すぐに「ほしい」という連絡があった。論文が公表されてからと伝えていったん引き下がったが、論文がオンライン公表されて数日後には「公表されたよね」と同じ彼からコンタクトがあった。なかなかの観察力・行動力である。その行動力を賞してせっかくなので差し上げることにした。彼は外国人。日本人から「よこせ」という知らせはまだ無い。(いまさら言われてもうない。)

愛媛閃石の鑑定ポイントは色・形と産状にある。色・形は見ての通りで、多産する淡緑色の透輝石とは一線を画している。だが実物を見たことがないと透輝石となかなか判断がつかないかもしれない。もし透輝石と判断がつかないようなら結晶の周囲を見てみよう。愛媛閃石には必ず金雲母が伴われている。実は愛媛閃石は透輝石との共存はかなりまれであるので慣れてくるとすぐ鑑定できる。

さて追記。2012年に角閃石命名規約の変更があり、学名がEhimeiteからChromio-pargasiteに変更になった。Ehimeiteの学名は承認されてたった一年で消滅と相成った。それでも日本には和名という文化があり、これは学名と一致する必要はない。たとえばカブトムシをあえて学名で呼ぶ文化はない。つまり学名としてEhimeiteは消滅しているが、命名者としては和名の愛媛閃石をずっと使い続けるつもりである。

私は修士課程まで愛媛大学で鉱物学を学び、博士課程は北海道大学へ進んで専門も地球深部科学へ転向した。学位を取った後の学振ポスドク時代も地球深部科学を専門としていたが、物性研究所の電子顕微鏡室へ就職して周りの環境を俯瞰すると、そこは地球深部科学よりむしろ記載鉱物学に向いた環境が整っていた。そういった中で改めて記載鉱物学に取り組む機会に恵まれ、自身では初筆頭著者として記載した新鉱物がこの愛媛閃石であった。

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IMA No./year: 2009-026
IMA Status: A (approved)
模式標本:北海道大学総合博物館(Mineral-07401)

桃井ざくろ石 / Momoiite

Mn2+3V3+2(SiO4)3

Garnet supergroup

模式地:愛媛県 丹原町 鞍瀬鉱山(現:西条市)

記載論文:Tanaka H., Endo S., Minakawa T., Enami M., Nishio-Hamane D., Miura H., Hagiwara A. (2010) Momoiite, (Mn2+,Ca)3(V3+,Al)2Si3O12, a new manganese vanadium garnet from Japan, Journal of Mineralogical and Petrological Sciences 105, 92-96.

桃井ざくろ石 / Momoiite
緑色部に桃井ざくろ石が含まれる。

愛媛大と名古屋大の学生が中心となって発見されたざくろ石の新種、桃井ざくろ石である。愛媛と名古屋大学の研究チームが独自に別産地から発見しており、学会でほとんど同時期に発表した。新鉱物申請は共同研究という形でとりまとめられ、模式地は愛媛県鞍瀬鉱山となった。名古屋大学チームが見出した京都府法花寺野鉱山と福井県藤井鉱山からの桃井ざくろ石については、記載論文の際にデータを掲載した。桃井ざくろ石は岩手県田野畑鉱山からも産出が報告されており[1]、今のところ世界を見渡しても日本国内でしか産出が確認されていない。

[1] Matsubara S. Miyawaki R., Yokoyama K., Shigeoka M., Miyajima H., Suzuki Y., Murakami O., Ishibashi T. (2010) Momoiite and nagashimalite from the Tanohata mine,Iwate Prefecture, Japan. Bull. Natl. Mus. Nat. Sci, Ser. C, 36, 1-6

桃井ざくろ石はマンガン(Mn)とバナジウム(V)を主成分としており、マンガンがカルシウム(Ca)に置き換わった鉱物はゴールドマンざくろ石(goldmanite)という名前がついている。桃井ざくろ石という名前についてその経緯を説明するには、このゴールドマンざくろ石について触れることになる。

ゴールドマンざくろ石はニューメキシコのSandy鉱山から1963年に見いだされ、アメリカ地質調査所のMarcus Isaac Goldman(1881-1965)に因んで命名された。ゴールドマンざくろ石は日本でもほぼ同時期に鹿児島県奄美大島大和鉱山から見つかっており、これを記載したのが九州大学にいた桃井斉であった[2]。大和鉱山のゴールドマンざくろ石はマンガンに富んでおり、あとちょっと多ければ今の桃井ざくろ石となるところだったが、残念ながらゴールドマンざくろ石の範囲に留まった。しかしゴールドマンざくろ石のマンガン置換体の存在が十分に予見可能ということで、桃井らは今の桃井ざくろ石に相当する仮想的な端成分にたいして大和ざくろ石(Yamatoite)の名前を当てて新鉱物として提案した。しかしながら現実として未見のモノにお墨付きは与えられないということで、大和ざくろ石の提案は否決されている。

[2] Momoi H. (1964) A new vanadium garnet, (Mn,Ca)3V2Si3O12, from the Yamato mine,Amami Islands, Japan. Memoirs of the Faculty of Science, Kyushu University, Series D, 15, 73–78.

こういったいきさつと桃井先生の思いがあったので、今回の申請にも最初は大和ざくろ石を考えていたが、再命名は混乱を招きそうでもあった。いくらか協議して最終的には桃井先生のこれまでの業績をたたえてMomoiiteと命名することにした。

さて非金属の鉱物の和名は「~石」となるのが慣例となっている。そしてこの「石」は「セキ」と読むということは実は意外に知られていない。多くのひとは「イシ」と読む。職場の人に説明するときに「それはセキと読むんだよ。鉱物学の基本ですな。」などと言っていたがざくろ石は例外的であることを忘れてた。ざくろ石グループに属する鉱物の和名は「~ざくろ石」となり、こいつはザクロ「イシ」と読む。つまり桃井ざくろ石は「モモイザクロイシ」と読む。

桃井ざくろ石は緑色が美しいざくろ石であるが、緑色部がかならず桃井ざくろ石という訳ではない。むしろ桃井ざくろ石は少数派でほとんどはゴールドマンざくろ石もしくはマンバンざくろ石である。鑑定のポイントは色の濃さと産状。経験的だが緑色が濃いものやテフロ石中にくるものは桃井ざくろ石を高確率で含む。ごくまれに黒色微小粒でヴォーレライネン石(vuorelainenite)がともなわれるが、それは分析しないとわからない。また黒い粒の99%以上は石墨である。それ故に黒いつぶつぶが伴われているから桃井ざくろ石ということにはならないし、その逆もまたしかりなので注意が必要。

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IMA No./year: 2006-055
IMA Status: A (approved)
模式標本:北海道大学総合博物館(Mineral-07400)

ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr)

CaSr(Al2Fe3+)[Si2O7][SiO4]O(OH)

Epidote supergroup

模式地:高知県 香美市 穴内鉱山(鳳ノ森坑・長川原坑)

記載論文:Minakawa T., Fukushima H., Nishio-Hamane D., Miura H. (2008) Epidote-(Sr), CaSrAl2Fe3+(Si2O7)(SiO4)(OH), a new mineral from the Ananai mine, Kochi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 103, 400-406

ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr)
長川原坑から産した紅色のストロンチウム緑簾石

ストロンチウム緑簾石は私が初めて発見に関わった新鉱物で、紅いのに緑の名前をもつ変な鉱物である。肉眼鑑定に慣れた人ならこの鉱物を見て「紅簾石」と即答するだろう。我々もそのつもりで調べ始めたが結果は新鉱物/ストロンチウム簾石(リョクレンセキ)となる新種であることが明らかとなった。いのにを名前に持つ変な鉱物であるが、名前の付け方が命名規約で決まってしまっているのでいかんともしがたい。

見た目と名前のミスマッチはしばしば思いこみを誘い、せっかくのお宝を見過ごすことがある。ストロンチウム緑簾石を例に挙げてみる。

愛媛大学に保管してあった古い標本から「穴内鉱山長川原坑、紅簾石、チンゼン斧石」とラベリングされた試料がみつかった。見たところ確かに「紅簾石」である。しかし何となく気になって調べてみたところ、なんとこの「紅簾石」は新鉱物:ストロンチウム「緑簾石」そのものであった。そしてこの標本にはもう一つのラベルがあり、「標本玉手箱」と書かれていた。「標本玉手箱」は益富地学会館が鉱物趣味の普及の一環として会員に配布している標本である。つまり新鉱物はそれとは気づかれずに昔にすでに配布されていたことになる。その標本を手に入れた人は見た目から疑いもなく紅簾石だと思っただろう。しかし一度そのように思ってしまうと、改めて調べてみるきっかけはなかなか訪れない。

この経緯があって、いくつかの産地のいわゆる紅簾石についてその真贋を調べたことがある。結果はほとんどの場合は緑簾石という鉱物の範疇に入っていた。

さて、ストロンチウム緑簾石を見ただけでそれと鑑定するのは難しいが、穴内鉱山産に限っては産状によってある程度の鑑定ができる。鳳ノ森坑産はほとんど塊状の標本であり、その塊が角れき状に分断されている。その中に入っている数十~百ミクロンの結晶はストロンチウム緑簾石-ストロンチウム紅簾石の範囲で複雑な累帯構造となっている。一方でで長川原坑の標本については、特に黄色の斧石脈の中にある紅色の放射状の集合体は均質な組成となっており、そのほとんどはストロンチウム緑簾石であった。鳳ノ森坑のものは生成後に変質を受けているのに対し、長川原のものは初生的なのだろう。確実にストロンチウム緑簾石といえる標本を手に入れるためには産状も含めた鑑定が重要と思う。

この一連の研究は皆川の指導の下で、福島の修士論文の一環として行われた。彼の卒業後は北海道大学にいた私と三浦でデータを補強し、新鉱物申請という運びとなった。このストロンチウム緑簾石で皆川先生は日本鉱物学会から櫻井賞(第39号メダル)を受賞した。私にとっての新鉱物研究はこのストロンチウム緑簾石のお手伝いから始まっている。

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 Posted by at 4:47 PM

日本から発見された新鉱物たち(一覧)

 

IMA No./year: オフィシャルリストに掲載されている年に準拠。改訂があるものは「発見年(リストに記載の数字)」としてある。年の後についている「s.p.」は再定義・再命名・再承認などがあったことを意味している。

IMA Status: 承認の状態。A = approved(IMAが設立された後に承認された鉱物)、G = grandfathered(IMA設立以前に発見されており現在でも有効と見なせる鉱物)、Rd = redefined(すでに存在していたが規約が改訂された鉱物)、Rn = renamed(すでに存在していたが名前が変更された鉱物)、Q = questionable(情報が少なくて存在が疑わしい鉱物)。

模式標本: 模式標本の所在および登録番号など。

名前は「和名 / 学名」で掲載。
化学組成と模式地も掲載。

オフィシャルリストに最大で二つ引用されている文献を模式地の下に提示。
関連論文はレビュー内で引用する。

命名規約の成立や更新などで掲載する鉱物種の移動があり得る。
未申請・未承認・取消しされたものや怪しいものは日本の新鉱物(その他)にまとめた。

学名はオフィシャルリストに準拠するが、和名はなじみのあるものを採用している。

一覧表の鉱物をクリックすれば該当の記事へリンクする。
写真はクリックすれば保存先のFlickrからフルサイズが得られる。

2024/03/03現在155種が日本産の新種として認識でき、その内147種の写真を掲載。
写真をまず掲載し、年代順にレビューを作成しているところ。
最新の記事は豊羽鉱 / Toyohaite (1989-007)

写真の利用はhamane*へお問い合わせください(*@issp.u-tokyo.ac.jp)。

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1960s以前(26種)

  1. 轟石 / Todorokite (1934)
  2. 阿武隈石 / Britholite-(Y) (1938)
  3. 手稲石 / Teineite (1939)
  4. イットリウム河辺石 / Kobeite-(Y) (1950)
  5. 湯河原沸石 / Yugawaralite (1952)
  6. 亜砒藍鉄鉱 / Parasymplesite (1954)
  7. 大隅石 / Osumilite (1956)
  8. 生野鉱 / Ikunolite (1959)
  9. 人形石 / Ningyoite (1959)
  10. 尾去沢石 / Osarizawaite (1961)
  11. 吉村石 / Yoshimuraite (1961)
  12. 芋子石 / Imogolite (1962)
  13. 赤金鉱 / Akaganeite (1962-004)
  14. 園石 / Sonolite (1963)
  15. 神保石 / Jimboite (1963-002)
  16. 原田石 / Haradaite (1963-011)
  17. 櫻井鉱 / Sakuraiite (1965-017)
  18. 萬次郎鉱 / Manjiroite (1966-009)
  19. 福地鉱 / Fukuchilite (1967-009)
  20. イットリウム飯盛石 / Iimoriite-(Y) (1967-033)
  21. 灰エリオン沸石 / Erionite-Ca (1967)
  22. 褐錫鉱 / Stannoidite (1968-004a)
  23. 河津鉱 / Kawazulite (1968-014)
  24. 神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite (1968-028)
  25. 阿仁鉱 / Anilite (1968-030)
  26. 若林鉱 / Wakabayashilite (1969-024)
1970s(25種)

  1. 高根鉱 / Takanelite (1970-034)
  2. 南部石 / Nambulite (1971-032)
  3. ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine (1973s.p.)
  4. 備中石 / Bicchulite (1973-006)
  5. 木下雲母 / Kinoshitalite (1973-011)
  6. ソーダレビ沸石 / Lévyne-Na (1974)
  7. 都茂鉱 / Tsumoite (1974-010a)
  8. 自然ルテニウム / Ruthenium (1974-013)
  9. 青海石 / Ohmilite (1974-031)
  10. 益富雲母 / Masutomilite (1974-046)
  11. 杉石 / Sugilite (1974-060)
  12. 神岡鉱 / Kamiokite (1975-003)
  13. 布賀石 / Fukalite (1976-003)
  14. 三原鉱 / Miharaite (1976-012)
  15. 中宇利石 / Nakauriite (1976-016)
  16. ソーダフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(Na) (1976-032)
  17. 上国石 / Jôkokuite (1976-045)
  18. 灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca (1977)
  19. 加納輝石 / Kanoite (1977-020)
  20. 種山石 / Taneyamalite (1977-042)
  21. 長島石 / Nagashimalite (1977-045)
  22. 鈴木石 / Suzukiite (1978-005)
  23. 古遠部鉱 / Furutobeite (1978-040)
  24. 欽一石 / Kinichilite (1979-031)
  25. 奴奈川石 / Strontio-orthojoaquinite (1979-081a)
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1980s(19種)

  1. マンガノパンペリー石 / Pumpellyite-(Mn) (1980-006)
  2. カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite (1980-027)
  3. 釜石石 / Kamaishilite (1980-052)
  4. 大江石 / Oyelite (1980-103)
  5. 砥部雲母 / Tobelite (1981-021)
  6. ソーダ南部石 / Natoronambulite (1981-034)
  7. 逸見石 / Henmilite (1981-050)
  8. 片山石 / Katayamalite (1982-004)
  9. カリ定永閃石 / Potassic-sadanagaite (1982-102)
  10. ストロナルス石 / Stronalsite (1983-016)
  11. アンモニオ白榴石 / Ammonioleucite (1984-015)
  12. 滋賀石 / Shigaite (1984-057)
  13. イットリウム木村石 / Kimuraite-(Y) (1984-073)
  14. オホーツク石 / Okhotskite (1985-010)
  15. ペトラック鉱 / Petrukite (1985-052)
  16. プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite (1986-006)
  17. プロトフェロ末野閃石 / Proto-ferro-suenoite (1986-007)
  18. 和田石 / Wadalite (1987-045)
  19. 豊羽鉱 / Toyohaite (1989-007)
1990s(16種)

  1. 単斜トベルモリ石 / Clinotobermorite (1990-005)
  2. 渡辺鉱 / Watanabeite (1991-025)
  3. 三笠石 / Mikasaite (1992-015)
  4. 森本ざくろ石 / Morimotoite (1992-017)
  5. 草地鉱 / Kusachiite (1992-024)
  6. 武田石 / Takedaite (1993-049)
  7. パラシベリア石 / Parasibirskite (1996-051)
  8. 岡山石 / Okayamalite (1997-002)
  9. 津軽鉱 / Tsugaruite (1997-010)
  10. 苦土フォイト電気石 / Magnesio-foitite (1998-037)
  11. 糸魚川石 / Itoigawaite (1998-039)
  12. 蓮華石 / Rengeite (1998-055)
  13. ネオジム弘三石 / Kozoite-(Nd) (1998-063)
  14. 多摩石 / Tamaite (1999-011)
  15. 大峰石 / Ominelite (1999-025)
  16. パラ輝砒鉱 / Pararsenolamprite (1999-047)
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2000s(25種)

  1. 松原石 / Matsubaraite (2000-027)
  2. わたつみ石 / Watatsumiite (2001-043)
  3. 白水雲母 / Shirozulite (2001-045)
  4. カリフェリリーキ閃石 / Potassic-ferri-leakeite (2001-049)
  5. 新潟石 / Niigataite (2001-055)
  6. プロト直閃石 / Proto-anthophyllite (2001-065)
  7. 定永閃石 / Sadanagaite (2002-051)
  8. ランタン弘三石 / Kozoite-(La) (2002-054)
  9. 東京石 / Tokyoite (2003-036)
  10. イットリウム岩代石 / Iwashiroite-(Y) (2003-053)
  11. セリウムヒンガン石 / Hingganite-(Ce) (2004-004)
  12. ソーダ金雲母 / Aspidolite (2004-049)
  13. 苣木鉱 / Sugakiite (2005-033)
  14. 沼野石 / Numanoite (2005-050)
  15. セリウム上田石 / Uedaite-(Ce) (2006-022)
  16. 大阪石 / Osakaite (2006-049)
  17. ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr) (2006-055)
  18. 宗像石 / Munakataite (2007-012)
  19. 田野畑石 / Tanohataite (2007-019)
  20. 幌満鉱 / Horomanite (2007-037)
  21. 様似鉱 / Samaniite (2007-038)
  22. カリフェロパーガス閃石 / Potassic-ferro-pargasite (2007-053)
  23. ネオジムウェークフィールド石 / Wakefieldite-(Nd) (2008-031)
  24. 千葉石 / Chibaite (2008-067)
  25. 桃井ざくろ石 / Momoiite (2009-026)
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2010s(33種)

  1. 島崎石 / Shimazakiite (2010-085a)
  2. 亜鉛ビーバー石 / Beaverite-(Zn) (2010-086)
  3. 愛媛閃石 / Chromio-pargasite (2011-023)
  4. イットリウム肥前石 / Hizenite-(Y) (2011-030)
  5. イットリウムラブドフェン / Rhabdophane-(Y) (2011-031)
  6. 宮久石 / Miyahisaite (2011-043)
  7. イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y) (2011-099)
  8. イットリウム苦土ローランド石 / Magnesiorowlandite-(Y) (2012-010)
  9. 伊勢鉱 / Iseite (2012-020)
  10. 箕面石 / Minohlite (2012-035)
  11. ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La) (2012-095)
  12. 足立電気石 / Adachiite (2012-101)
  13. 岩手石 / Iwateite (2013-034)
  14. 今吉石 / Imayoshiite (2013-069)
  15. ランタンフェリ赤坂石 / Ferriakasakaite-(La) (2013-126)
  16. ランタンフェリアンドロス石 / Ferriandorosite-(La) (2013-127)
  17. 伊予石 / Iyoite (2013-130)
  18. 三崎石 / Misakiite (2013-131)
  19. イットリウム三重石 / Mieite-(Y) (2014-020)
  20. 房総石 / Bosoite (2014-023)
  21. 豊石 / Bunnoite (2014-054)
  22. 阿武石 / Abuite (2014-084)
  23. 神南石 / Kannanite (2015-100)
  24. 村上石 / Murakamiite (2016-066)
  25. 金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite (2017-003)
  26. ランタンピータース石 / Petersite-(La) (2017-089)
  27. 日立鉱/ Hitachiite (2018-027)
  28. 留萌鉱 / Rumoiite) (2018-161)
  29. 初山別鉱 / Shosanbetsuite (2018-162)
  30. 皆川鉱 / Minakawaite (2019-024)
  31. 三千年鉱 / Michitoshiite-(Cu) (2019-029a)
  32. 千代子石 / Chiyokoite (2019-054)
  33. 苫前鉱 / Tomamaeite (2019-129)

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2020s

  1. フェリぶどう石 / Ferriprehnite (2020-057)
  2. 桐生石 / Kiryuite (2021-041)
  3. マンガン四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Mn) (2021-098)
  4. ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y) (2022-002)
  5. フェロフェリホルムクイスト閃石 / Ferro-ferri-holmquistite (2022-020)
  6. 浅葱石 / Asagiite (2022-065)
  7. 群馬石 / Gunmaite (2022-080)
  8. 蝦夷地鉱 / Ezochiite (2022-101)
  9. 北海道石 / Hokkaidoite (2022-104)
  10. マンガニエッケルマン閃石 / Mangani-eckermannite (2023-004)
  11. 不知火鉱 / Shiranuiite (2023-072a)


総評_1960s以前

日本で初めて新鉱物が発表されたのは1877年(明治10年)の紅礬土鉱と緑礬土鉱となる。そして1878年にはライン鉱が発表された。また三ノ岳鉱(1885年)、桜石(1888年)なども年季の入った愛石家なら聞いたことがあるだろう。しかしこれらはいずれも新鉱物としての独立性を否定されて久しい。このようにいったん新鉱物として発表されたが後の再検討で独立性を否定されるというケースが1960年代より前には多く認められる。そういった鉱物は南部松夫が1978年に記した「日本から記載された新鉱物」[1]によくまとめられているのでこの文献を参照してほしい。ここでは現代のオフィシャルリストに掲載がある鉱物を取り扱う。

1960年代以前に発表された新鉱物のうち、現時点(2018年11月)においてオフィシャルリストで産地が「Japan」で登録されているものは合計で31種ある。そしてそれぞれに登録されている最大2つの文献と、その他の学術文献を参照しながら内容を検証した。その結果として問題があると判断した鉱物については日本の新鉱物(その他)へ分類した。あとは発表当時に産地は日本領だったが現在は異なるケース、公式には認められていないが国立科学博物館叢書として出版された日本産鉱物型録では日本産の新鉱物として扱われているケースなども存在する。そういった鉱物も日本の新鉱物(その他)へ分類している。この記事を執筆している時点(2018年11月)で有効な日本産新鉱物は27種と判断した。その中で最も古い日本産の新鉱物は1922年に発表された石川石であった。

しかしそれもまた変更があった。2023年にコルンブ石超族の命名規約が成立した。それと共に石川石の立ち位置はQ(questionable)へと追いやられた。そのため、最新(2024年2月)の情報では、有効な日本産鉱物種は26種で、最も古いものは轟石となっている。古い時代に記載された新鉱物はどうしても情報が不完全で、立場が揺らぎやすい。

1958年に設立された国際鉱物学連合は、1959年に新鉱物に関わる委員会を立ち上げ、1962年から論文に先だって審査を行うようになった。それ以降はIMA no.が登録され、日本の新鉱物で初めてIMA no.が付与されたのは赤金鉱(1962-004)になる。それ以前に発表された新鉱物については、発表された年や再定義された年が登録されている。また新鉱物としての申請はされていないが、命名規約の成立・改訂などで新鉱物として改めて登録されたものもいくつかある。

鉱物を定義づける化学組成や結晶構造を得るために、この年代はとてつもない苦労があったように感じる。現代でも通用する質の高いデータで確立された新鉱物もあれば、いくつかは命名規約の改定など何か再検証を受けた際に抹消される可能性があると認識している。また委員会の承認は受けているが、正式な記載論文としては出版が確認できないケースもある。

この時代の新鉱物は稼働中の鉱山から得られたものが多く、最初の発見も研究者自身や鉱山関係者であることが多い。また名前に関しては現在では特別な理由がない場合は学名の最後は「ite」で終わるのだが、この時代は「lite」となる鉱物が多い。この理由は文献上からは読み取れないが、昔は「lite」がむしろ好まれたということを古老の研究者から聞いている。それもまたこの年代の特徴であろう。

[1] 南部松夫 (1978) 日本から記載された新鉱物. 渡辺万次郎先生米寿記念論集, 82-100.

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IMA No./year: 1934(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:Harvard University, Cambridge, Massachusetts, 106214; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA (Hand book of Mineralogyから引用)

轟石 / Todorokite

(Na,Ca,K,Ba,Sr)1-x(Mn,Mg,Al)6O12·3-4H2O

模式地:北海道赤井川村轟鉱山

第一文献:Yoshimura T. (1934) “Todorokite”, a new manganese mineral from the Todoroki mine, Hokkaido, Japan. Journal of the Faculty of Science, Hokkaido Imperial University, Series IV, Geology and Mineralogy, 2, 289-297.

第二文献:Post J.E., Heaney P.J., Hanson J. (2003) Synchrotron X-ray diffraction study of the structure and dehydration behavior of todorokite. American Mineralogist, 88, 142-150.

轟石 / Todorokite
模式地標本

轟石 Todorokite
青森県岩崎村丸山鉱山

轟石 / Todorokite
静岡県松崎町池代鉱山

轟石は北海道大学の吉村豊文によって1934年(昭和9年)に報告された新鉱物で、北海道赤井川村にある轟鉱山から発見されことから、模式地にちなんで命名された。轟石はマンガン(Mn)を主成分とする新鉱物であるが、轟鉱山はマンガンを主体に採掘していた鉱山ではなく、金(Au)を目的に開発されたいわゆる金山である。そして、「秀逸」と名付けられた石英脈にはしばしば黒色のマンガン鉱が伴われることが知られるようになると、そのことに興味を抱いた吉村豊文が轟鉱山を訪問し、試料を得て発見した新鉱物が轟石である[1]。

電子線分析装置とX線回折装置が普及する以前、鉱物の分析はしばしば困難であった。そのため同定が不完全でありながらも論文が提出され、同じ鉱物ながらも別の名前を付けられるということがよくあった。轟石もその例に漏れない。例えば1958年にキューバから産出したデラトレ石(Delatorreite)が新鉱物として名乗りを上げた[2]。その当時は新鉱物であるか否かのチェックは著者らに委ねられており、著者らの精査が足りなければ既存鉱物を新鉱物と誤認する事態が生じる。そして、後の調査でデラトレ石は轟石と同一であることが判明し[3]、後発のデラトレ石は抹消となった[4]。轟石の日本産新鉱物の地位が固まったのは1962年のことで、この年に改めて有効な鉱物種として轟石が文献に記されている[4]。

轟石は黒色のわさっとした集合体で産出し、明瞭な結晶となることはない。また集合体はほかの鉱物を巻き込むこともしばしばあって、轟石の理想化学組成と結晶構造は長らく判明しなかった。轟石の結晶構造は放射光X線を用いて2003年に明らかにされ、それをもとに理想化学組成もまた現在のように改定されている[5]。

写真は模式地である轟鉱山のほかに、青森県丸山鉱山、および静岡県池代鉱山の轟石になる。その標本はいずれも真っ黒な土状~繊維状の集合体であり、柄の大きな標本だと結晶集合の断面に樹脂光沢がみえることがある。また轟石は海底の堆積物からも報告されており、マンガンノジュールの主要構成鉱物であることが知られている。また本鉱を記載した吉村豊文は後に吉村石(Yohimuraite)として新鉱物にその名を残すことになる。

[1] 第一文献
[2] Simon F.S., Straczek J.A. (1958) Geology of the manganese deposits of Cuba. U.S. Geological Survey Bulletin, 1057.
[3] Frondel C., Marvin U.B., Ito J. (1960) New occurrences of todorokite. American Mineralogist, 45, 1167-1173
[4] International Mineralogical Association (1962) Mineralogical Magazine, 33, 260-263.
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1938(1966s.p.)
IMA Status: Rn (renamed)
模式標本:不明

阿武隈石 / Britholite-(Y)(原記載では阿武隈石/Abukumalite)

(Y,Ca)5(SiO4)3(OH)

模式地:福島県石川町(旧:石川村)

第一文献:Hata S. (1938) Abukumalite, a new yttrium mineral. Scientific Papers of the Institute of Physical and Chemical Research, 34, 1018-1023.

第二文献:Noe D.C., Hughes J.M., Mariano A.N., Drexler J.W., Kato A. (1993) The crystal structure of monoclinic britholite-(Ce) and britholite-(Y). Zeitschrift für Kristallographie, 206, 233-246.

阿武隈石 / Britholite-Y
福島県水晶山

阿武隈石は理化学研究所の畑晋(はたすすむ)によって福島県石川村(当時)のペグマタイト岩脈から発見された新鉱物で、理化学研究所が発行する科学誌において記載された[1]。論文では化学組成分析によって阿武隈石はイットリウム(Y)が主体のケイ酸塩であることが示されており、X線回折で得られた軸率なども総合して鉱物種について考察が行われている。結論として、ブリソ石(Britholite)に似た性質と化学組成であるものの、セリウム(Ce)を主成分とするブリソ石に対して、イットリウムに富む阿武隈石という分け方が可能ということで、新鉱物である旨が主張されている。この記載論文は単名で書かれているものの試料採集や分析には幾人かの協力があったようで、名前は理化学研究所の飯盛里安が提案したことが記されている。阿武隈地域からの産出を理由として、新鉱物は阿武隈石(Abukumalite)と名付けられた。後年、畑晋は阿武隈石の発見の業績により櫻井賞の第6号メダルを受賞することになる。

希土類元素を含む鉱物の名前については「ルートネーム-(REE)」とするというルールが1966年に制定され[2]、それを受けて阿武隈石の名前は再検討されることになる。阿武隈石はそれより先に発見されていたセリウムを主成分とするブリソ石と比べたとき、イットリウムを主成分とする点のみが異なる鉱物であった。つまり阿武隈石よりも先にブリソ石が存在していたということで、根源名(ルートネーム)についてはブリソ石に優先権があった。そしてブリソ石はセリウムブリソ石(Britholite-(Ce)に、阿武隈石はイットリウムブリソ石(Britholite-(Y))へそれぞれ改名となった。その経緯を受けて、阿武隈石のIMA StatusはRn (renamed)と設定され、IMA No./yearについても1966s.p.がオフィシャルリストに登録されている。ただし論文が1938年に出版されていることから、ここでは1960年以前の鉱物として並べている。また日本においては和名を用いる文化があるので、和名としての阿武隈石の名称まで変更する必要は無いだろう。

1993年になるとセリウムブリソ石と阿武隈石について結晶構造解析が行われ、いずれも燐灰石型構造であることが報告された[3]。その研究に使われた阿武隈石は福島県水晶山から産したもので、国立科学博物館から提供されている。そして、畑晋によって記載された阿武隈石は水酸基(OH)が卓越する鉱物であったが、この論文中で使用された阿武隈石はフッ素(F)が卓越している。そのため阿武隈石はそのフッ素置換体となるまた別の新鉱物(イットリウムフッ素ブリソ石)が存在すると指摘されていた[4]。そして2009年になりイットリウムフッ素ブリソ石(Fluorbritholite-(Y))がノルウェイを模式地として誕生した[5]。

写真は福島県水晶山から産出した阿武隈石であり、かけらであるために燐灰石超族をうかがわせる結晶外形などは残っていない。この標本についてはフッ素はほとんど検出されなかったため、水酸基型、つまりは最初の記載どおりの阿武隈石になる。

[1] 第一文献
[2] Levinson A.A. (1966) A system of nomenclature for rare-earth minerals. American Mineralogist. 51, 152-158.
[3] 第二文献
[4] Jambor J.L., Roberts A.C., Puziewicz J. (1994) New mineral names. American Mineralogist. 79, 570-574.
[5] Pekov I.V., Zubkova N.V., Chukanov N.V., Husdal T.A., Zadov A.E., Pushcharovsky D.Y. (2011) Fluorbritholite-(Y), (Y,Ca,Ln)5[(Si,P)O4]3F, a new mineral of the britholite group, Neues Jahrbuch für Mineralogie, Abhandlungen, 188, 191-197.

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IMA No./year: 1939
IMA Status: G (grandfathered)
模式標本:北海道大学博物館; Harvard University, Cambridge, Massachusetts, USA, 94749.(Handbook of Mineralogyから引用)

手稲石 / Teineite

Cu2+Te4+O3·2H2O

模式地:北海道札幌市手稲鉱山

第一文献:Yosimura T. (1939) Teineite, a new tellurate mineral from the Teine mine, Hokkaidō, Japan. Journal of the Faculty of Science, Hokkaido Imperial University, Series IV, Geology and Mineralogy, 465-470.

第二文献:Effenberger H. (1977) Verfeinerung der kristallstruktur von synthetischem teineit CuTeO3•2H2O. Tschermaks Mineralogische und Petrographische Mitteilungen, 24, 287-298.

手稲石 / Teineite
模式地標本

手稲石 / Teineite
手稲石 / Teineite
和歌山県岩出市山崎

Teineite
Gråurdfjellet, Oppdal, Trøndelag, Norway

手稲石は北海道大学の吉村豊文により記載された新鉱物で、北海道手稲鉱山から発見されたことから学名が定められている[1]。この当時、吉村は原田準平教授の主催する地質鉱物学第四講座の助教授として勤務していた。のちに日本鉱物学会が櫻井賞を設立して表彰を始めると、吉村は手稲石を発見した業績において櫻井賞第4号メダルを受賞することになる。

後に手稲石となる標本は原田準平によって得られたようで、1936年に瀧之澤と名付けられた鉱脈から採集されている。それは藍青色を呈する柱状結晶であり、その姿はかつて吉村が宮崎県土呂久鉱山から報告したカレドニア石(Caledonite)によく似ていた。そのために吉村が研究を主導することになったのだろう。ともかく研究が始まって早々に光学的特徴がカレドニア石とは異なることが判明している。つまり新鉱物の可能性がでてきたので分析に進むべきところであったが、この当時の分析は多量の試料を必要とする湿式分析であったことが難点となり、研究は一時停滞した。しかし、その後に同じく北海道大学の助教授であった渡辺武男がまとまった量の標本を採集することに成功し、その標本を用いて化学組成分析を行えることになった。この当時は結晶構造まで求められる時代ではなかったので、理想化学式もまたこの段階では確定までには至っていない。詳細な研究は後世に行われ、1977年にようやく理想化学式と構造が確定している[2]。発見から確定までおおむね40年というところだろう。

手稲石の第二産地はなかなか見つからなかったが、1968年に静岡県河津鉱山から産出が報告された[3]。手稲鉱山も河津鉱山も自然テルルを産出する浅熱水性金属鉱床という点で共通しており、この二つの産地は出てくる鉱物種も類似性がある。自然テルルを含む鉱床など日本ではこの二つ以外にはほぼ無いため、手稲石の新しい産地もまた期待できないところであったが、2000年代に入り全く予想外の産出が報告された。それが和歌山県岩出市山崎であり、一般的な三波川変成岩を母岩としながらも石英の裂傷に手稲石やマックアルパイン石(Mcalpineite)といったテルル酸塩鉱物が伴われていた[4]。現時点ではこの3地点が日本における手稲石の産地である。海外ではベルギー、ノルウェイ、ロシア、アメリカ、メキシコで産出の報告がある。最初の標本のように藍青色を呈する柱状結晶が最上の標本になり、博物館などでは立派な結晶を見ることができる。一方で、不定形なもの、結晶の一部が見えているだけの標本も多く、これだとなかなか手稲石と鑑定できるポイントは少なく、結局は産地の情報も併せて判断することになるだろう。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Kato A., Sakurai K. (1968) The occurrence of teineite from the Kawazu (Rendaiji) mine, Shizuoka Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 5, 285.
[4] 藤原卓, 岸野正直, 小原正顕, 松原聰, 宮脇律郎 (2002) 和歌山県、三波川変成岩中の手稲石ほかテルル鉱物. 日本鉱物学会講演要旨,KA10, P34.

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MA No./year: 1950(1987s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:不明

イットリウム河辺石 / Kobeite-(Y)

(Y,U)(Ti,Nb)2(O,OH)6(?)

模式地:京丹後市大宮町河辺(旧:河邊村白石)

第一文献:田久保實太郎,鵜飼保郎,港種雄(1950)含稀元素鉱物の研究(其の11)京都府中郡河邊村白石産河邊石. 地質学雑誌, 56, 509-513.

第二文献:Masutomi K., Nagashima K., Kato A. (1961) Kobeite from the Ushio mine, Kyoto Prefecture, Japan and re-examination of kobeite. Mineralogical Journal, 3, 139-147.

イットリウム河辺石 / Kobeite-(Y)
模式地標本

イットリウム河辺石 / Kobeite-(Y)
広島県広島市瀬野川町畑賀水谷川

イットリウム河辺石 / Kobeite-(Y)
宮崎県大崩山高千穂珪石鉱山

イットリウム河辺石は京都大学の田久保實太郎らによって、京丹後市大宮町河辺のペグマタイトから見いだされた新鉱物であり、発見地にちなんで命名された[1]。そのペグマタイトは戦前にガラス原料を目的としてほんの1年程度だけ採掘されたようで、今となっては堀跡すら定かでないほど山に帰っていると聞いている。

イットリウム河辺石の組成的な特徴はイットリウム(Y)とチタン(Ti)を主成分とし、ニオブ(Nb)やタンタル(Ta)にも富むと記されている。記載論文ではXZ2O6型の化学組成に近似するということで、「(Y,Ca,U)(Ti,Nb+Ta)2(O,OH)」の組成式が報告された。しかし、この時代の分析は湿式分析であり、累帯構造が大きい鉱物については正しい組成を導くことが難しかった。そして残念ながらイットリウム河辺石は累帯構造の著しい鉱物であり、今となっては田久保らによって提示された化学組成は正しいとは考えられていない。そのため公式の鉱物リストに掲載されている上記の化学組成には「?」が付されている。

結晶構造についてはイットリウムユークセン石(Euxenite-(Y):(Y,Ca,Ce,U,Th)(Nb,Ta,Ti)2O6)との関連が示唆されている[1]。しかしながらこれもまたぼんやりとした内容である。模式地のイットリウム河辺石はウラン(U)を含むことによってメタミクト状態にあり、加熱によって結晶構造を回復させたところ、何となくイットリウムユークセン石ぽいピークが得られたという程度であった。現代ではこうした状態では新種として認められることはないが、この時代はX線結晶学が未発達であり、必然的に結晶構造に関する情報は決定的な判断基準になっていないかったように見える。むしろ化学組成的に(あいまいながらも)新規であったことが重要であったように思える。ともかくこの時代は国際鉱物学連合が立ち上がっておらず、新種は著者の判断によって主張されるものであった。

イットリウム河辺石の再検討は日本人の手によって行われる。1961年に発表されたその論文はイットリウム河辺石の加熱再結晶実験と粉末X線回折実験を報告している[2]。ただし、結晶構造については決定打がなく、ジルケライト(zirkelite: (Ti,Ca,Zr)O2-x)やジルコノライト(zirconolite: (Ca,Y)Zr(Ti,Mg,Al)2O7)との関連が示唆されるにとどまる。その一方でジルケライトもジルコノライトも命名規約がありながらも明確な定義が固まっていない困った鉱物であり[3]、それと比定したところでイットリウム河辺石の構造は不明なままであった。

結果的に、現時点においてさえイットリウム河辺石は化学組成・結晶構造ともに確たるものがない状態である。しかし、これまで特にその存在を否定するような論文は出ておらず、1987年に主成分の希土類元素を「-(REE)」としましょうというアナウンスがあった程度である[4]。それでも2010年代になってイットリウム河辺石について3O型ジルコノライトに近いX線回折パターンが得られたという報告があがってきている[5,6]。化学組成も再検討され、それはジルコノライトと同様にO=7で規格化した構造式が提案されている。いずれにせよイットリウム河辺石の化学組成と結晶構造のいずれも更新されるべきであることは間違いない。イットリウム河辺石の産出は稀なほうであるが、その標本は模式地のモノであっても手に入らないというほどではないので、研究が進展してイットリウム河辺石の定義(理想化学組成と結晶構造)が固まることを願ってやまない。

イットリウム河辺石は模式地のほかに広島県と宮崎県で見いだされている。標本としてのツラ構えはそれぞれ異なるが、イットリウム河辺石だけに注目するとほとんど似通った姿かたちをしており、黒色で棒状から板状の結晶がスッと伸びた形状になり、それはやや束状にも見えようかという姿である。いずれも長石中に埋没する産状を示す。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Bayliss P., Mazzi F., Munno R., White T.J. (1989) Mineral nomenclature: Zirconolite. Mineralogical Magazine, 53, 565-569.
[4] Nickel E.H., Mandarino J.A. (1987) Procedures involving the IMA Commission on New Minerals and Mineral Names and guidelines on mineral nomenclature. American Mineralogist, 72, 1031.
[5] 藤井勇樹, 上原誠一郎 (2011) 宮崎県大崩山花崗岩ペグマタイト中に産するレアアース鉱物. 日本鉱物科学会講演要旨集,R1-P13.
[6] 福本辰巳, 皆川鉄雄 (2012) Kobeiteの記載鉱物学的再検討. 日本鉱物科学会講演要旨集,R1-06.

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IMA No./year: 1952(1997s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館; National School of Mines, Paris, France; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 106164, 106931.(Handbook of Mineralogyから引用)

湯河原沸石 / Yugawaralite

Ca(Si6Al2)O16·4H2O

模式地:神奈川県湯河原町不動ノ滝

第一文献:Sakurai K., Hayashi A. (1952) “Yugawaralite”, a new zeolite, Science Reports of the Yokohama National University, 1, 69-77.

第二文献:Kvick Å., Artioli G., Smith J.V. (1986) Neutron diffraction study of the zeolite yugawaralite at 13 K. Zeitschrift für Kristallographie, 174, 265-281.

湯河原沸石 / Yugawaralite
静岡県伊豆市土肥大洞林道

湯河原沸石 / Yugawaralite
岩手県雫石町葛根田

湯河原沸石は鉱物研究家の櫻井欽一と横浜国立大学の林瑛により見いだされた沸石族の新種であり、神奈川県の湯河原温泉不動ノ滝から見いだされた[1]。櫻井が試料を採集したのは1930年(昭和5年)のことで、そのときすでに既存の沸石種とは異なることに気づいていたようだが、研究が進展したのは戦後であった。1948年(昭和23年)になり横浜国立大の林瑛の協力を得てこの見慣れない沸石の研究が再開され、ついに模式地の名を冠する新鉱物・Yugawaraliteが誕生した。なお、沸石族の和名は「・・・沸石」とする慣習があり、本鉱の和名は湯河原沸石となる。現時点で、湯河原沸石は神奈川県で唯一の新鉱物となっている。

湯河原沸石のその後の研究については、おもに結晶学的な観点から勧められた。最終的には1968年に結晶構造が完全に解明され、それを受けて理想化学式も今の形に収まった[2]。結晶構造中でシリコン(Si)とアルミニウム(Al)はきっちり秩序化していることが確認されている[3]。

公式リストには1997s.p.が年代として掲載されており、これは1997年の沸石族命名規約の改訂があったことに由来する[4]。沸石族はシリコン(Si)、アルミニウム(Al)、酸素(O)からなる籠を組み合わせた骨格を持っており、籠の中に電荷調整のための陽イオンを含む。そして、同じ骨格で籠の中の陽イオンが異なるだけの場合にはサフィックス(接尾語)を用いて種類(学名)を区別することになった。たえば束沸石だと、カリウム(K)がもっとも多い種はカリ束沸石(Stilbite-K)が、 カルシウム(Ca)だと灰束沸石(Stilbite-Ca)が正式な名称となる。湯河原沸石の場合だと、記載された湯河原沸石はカルシウム優占種である。一方でそのほかの元素をもつ湯河原沸石は発見されていない。こういった場合は接尾語なしで、「Yugawaraite」だけで正式な学名となる。

櫻井欽一は家業(神田の老舗の鳥鍋屋「ぼたん」)を切り盛りするかたわらで鉱物学を修め、この湯河原沸石の業績で東京大学から理学博士を取得した。そして、1973年には櫻井欽一の還暦を記念して新鉱物の発見に貢献した研究者をたたえる櫻井賞が設立される。その際に櫻井はこの湯河原沸石の業績で第一号の受賞者となった。

湯河原沸石は模式地での採集はもはや望めない。しかしその後にいくつか産地が見いだされており、大柄な結晶は静岡県の大洞林道から産した。また、岩手県雫石町葛根田からも発見されている。

[1] 第一文献
[2] Leimer H., Slaughter M. (1969) The determination and refinement of the crystal structure of yugawaralite. Zeitschrift für Kristallographie, 130, 88-111.
[3] 第二文献
[4] Coombs D.S., Alberti A., Armbruster T., Artioli G., Colella C., Galli E., Grice J.D., Liebau F., Mandarino J.A., Minato H., Nickel E.H., Passaglia E., Peacor D.R., Quartieri S., Rinaldi .R, Ross M., Sheppard R.A., Tillmanns E., Vezzalini G., (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names, The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606.

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IMA No./year: 1954
IMA Status: G (grandfathered)
模式標本:国立科学博物館 M24052(Handbook of Mineralogyから引用)

亜砒藍鉄鉱 / Parasymplesite

Fe2+3(AsO4)2·8H2O

模式地:大分県佐伯市木浦鉱山(旧:宇目町)

第一文献:Ito T., Minato H., Sakurai K. (1954) Parasymplesite, a new mineral polymorphous with symplesite. Proceedings of the Japan Academy, 30, 318-324.

第二文献: Cesbron F., Sichère M.C., Vachey H. (1977) Propriétés cristallographiques et comportment thermique des termes de la série koettigite–parasymplésite. Bull. Minéral., 100, 310–314 (in French with English abs.).

亜砒藍鉄鉱 / Parasymplesite
亜砒藍鉄鉱 / Parasymplesite
模式地標本

亜砒藍鉄鉱は東京大学の伊藤貞一らにより発見された大分県木浦鉱山からの新鉱物で、その記載論文は1954年(昭和29年)に公表された[1]。一方で亜砒藍鉄鉱は記載論文に先立ち、別の形で文献に登場している[2,3]。

東京大学の伊藤貞市らは、栃木県足尾銅山産の藍鉄鉱(Vivianite)と大分県木浦鉱山からの砒藍鉄鉱(Symplesite)の結晶構造を解くことに世界で初めて成功したことを1949年から1950年にかけて報告した[2,3]。藍鉄鉱はリン(P)を主成分とし、砒藍鉄鉱はヒ素(As)を主成分とする鉱物で、両者の違いはこのように化学組成だけであり、対称性はどちらも共通の単斜晶系という結論であった。しかしこの結果は以前の報告と相容れなかった。これまでの研究では、砒藍鉄鉱は三斜晶系として報告されていたのだった[4]。この当時、対称性の違いは種を分ける基準として用いられており、木浦鉱山産の砒藍鉄鉱は新種の可能性をはらんでいたことになる。

しかしながら、作業仮説として、これまでの研究が間違いで原産地の砒藍鉄鉱も実は単斜晶系であったなら、木浦鉱山産の砒藍鉄鉱が新種である可能性は潰えてしまう。そこで伊藤らは原産地(ドイツ)の砒藍鉄鉱を取り寄せ、それと木浦鉱山産の砒藍鉄鉱と比較研究を行った[1]。結果的に原産地の砒藍鉄鉱は従来の報告通り三斜晶系を示したことから、やはり木浦鉱山産の砒藍鉄鉱はそれとは対称性の異なる新種であることが明らかとなった。伊藤らは木浦鉱山産の新鉱物の学名に「para」の接頭語を当てた。それは和名では「亜」が該当する。そして既存鉱物の砒藍鉄鉱(Symplesite)に対して、木浦鉱山産の新鉱物は亜砒藍鉄鉱(Parasymplesite)と名付けられることになった。1977年にはメキシコからも亜砒藍鉄鉱の産出が報告されている[5]

現在は対称性の違いだけで種を隔てることはないので、もし砒藍鉄鉱と亜砒藍鉄鉱の本質的な結晶構造が同様であったなら、両者は同一の鉱物と見なされるだろう。そのため、亜砒藍鉄鉱の独立性は今後も安泰ということはなく、砒藍鉄鉱の結晶構造がどうであるかによる。しかし、現時点において実は砒藍鉄鉱の結晶構造は未解明のままとなっている。亜砒藍鉄鉱については最近であっても研究結果が報告されるなど、日々詳細の解明が進んでいる[6]

写真はいずれも模式地の木浦鉱山から産した亜砒藍鉄鉱の標本となる。駄積形尾(だつがたお)において廃棄された硫砒鉄鉱を主体とする鉱石を割ると、ヒ酸塩の二次鉱物とともにたまに顔を出す。亜砒藍鉄鉱は時間が経過すると鉄分の酸化により色がくすむため新鮮な状態の保存が難しい。写真の標本は残念ながら本来の色ではないが、下の写真は比較的新鮮な時期に撮影したので本来の色に近いと思われる。また、ある個人の所蔵標本では割り出してすぐの標本をほっかいろと共にパックしていた。ほっかいろが酸素を吸って試料の酸化が防がれる。その標本は本来の透き通った淡緑色が保たれていた。

[1] 第一文献
[2] Ito T. (1949) Structure of vivianite and symplesite. Nature, 164, 449-450.
[3] Mori H., Ito T. (1950) The structure of vivianite and symplesite. Acta Crystallographica, 3, 1-6.
[4] Wolf C.W. (1940) Classification of minerals of the type A3(XO4)2·nH2O. American Mineralogist, 25, 738.
[5] 第二文献
[6] Hongu H., Yoshiasa A., Kitahara G., Miyano Y., Han K., Momma K., Miyawaki R., Tokuda M., Sugiyama K. (2021) Crystal structure refinement and crystal chemistry of parasymplesite and vivianite. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 116, 183-192.

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IMA No./year: 1956
IMA Status: G (grandfathered)
模式標本:Harvard University, Cambridge, Massachusetts, USA, 104744(Handbook of Mineralogyから引用)

大隅石 / Osumilite

KFe2+2(Al5Si10)O30

模式地:鹿児島県垂水市咲花平(さっかびら)

第一文献:Miyashiro A. (1956) Osumilite, a new silicate mineral, and its crystal structure. American Mineralogist, 41, 104-116.

第二文献: Armbruster T., Oberhänsli R. (1988) Crystal chemistry of double-ring silicates: structural, chemical, and optical variation in osumilites. American Mineralogist, 73, 585-594.

大隅石 / Osumilite
大隅石 模式地標本

菫青石 / Cordierite
菫青石 宮城県本砂金

大隅石は東京大学の都城秋穂によって発見された新鉱物で、1956年にAmerican Mineralogist誌において発表された[1]。鹿児島県大隅地域からの産出であったことから、東京大学の久野久が大隅石の名称を提案したとされる。

鹿児島県の地形図を眺めると、桜島と大隅半島が陸続きとなっているあたりはやや高台となっており、そこは咲花平(さっかびら)と呼ばれている。大隅石はその高台を模式地としている。大隅石の最初に見いだしたのは益富壽之助と伝わっており、その記述は1948年に公表された森本良平の論文中に見て取れる[2]。遅くとも1942年の11月には標本が益富から森本へ渡っていることが記されていた。森本は和文論文も記しているが[3]、いずれの論文においても菫青石(Cordierite)として発表された。論文は化学組成分析も行い菫青石には含まれることのないカリウム(K)が検出されており、さらには「ほとんど光学的一軸性の特徴を持つものがある」という記述がある。菫青石は本来は光学的二軸性であり、それとも異なることにすでに気付いている描写があるものの、新種という言及はついに認められなかった。

次に東京大学の都城がこの一軸性光学特徴をもつ菫青石に注目し、森本らから資料の提供を受けて、1951年には新種であることに確信を抱いたと思われる[4]。続いて発表された記載論文[1]では構造解析に主眼が置かれ、都城は他産地のいわゆる菫青石のいくつかは大隅石であろうと予測している。

さらに後に結晶構造の再検討が行われ、結晶構造および化学式が現在のように改められた[5, 6]。このときの研究で使用された試料には鉄(Fe)側の端成分とマグネシウム(Mg)側の端成分の両方の試料があったが、それらは特に区別されていない。それでも彼らが分析した咲花平からの試料は鉄端成分であったため、大隅石とは鉄端成分の鉱物ということになった。ただし、都城の分析値だとマグネシウム端成分となることを注釈しておく。

いつしかマグネシウム端成分は苦土大隅石(Osumilite-(Mg))と呼ばれることになった。その初出は1973年だろう。アイルランド産の大隅石がOsumilite-(K、Mg)と記述された[7]。日本だと大分県万年山からの大隅石に対し、「マグネシウム大隅石と呼んだ方が合理的」と記述があったりもする[8]。そしていつのまにかIMAのオフィシャルリストにOsumilite-(Mg)が登場することとなる。ただし、それには明確な文献が提示されていなかった。

ロシアの研究チームはそこに注目した。彼らは苦土大隅石には正式な記載論文が無いことを理由にしてドイツ産のものを改めてOsumilite-(Mg)(IMA-No.2011-083)として申請を行い、承認を得た。これはしてやられたというべきだろう。苦土大隅石の記載論文は2012年に公表された[9]。

写真は模式地の大隅石(一枚目)および宮城県本砂金から産した菫青石(二枚目)となる。分析手段が発達していない時代にこれらの鉱物が混同されたのは致し方ない。それくらい両者は似ている。益富壽之助がだれよりも早くにこれらが同一ではないと気づいたという逸話が愛石家らに伝わっている。いずれにしても益富の産地発見がこの大隅石の誕生の端緒となっていることは確かで、益富は大隅石の発見に貢献したことにより櫻井賞の第3号メダルを受賞している。

[1] 第一文献
[2] Morimoto (1948) On the Modes of Occurrence of Cordierite from Sakkabira, Town Taru-mizu, Kimo-tsuki Province, Kagoshima Prefecture, Japan. Bulletin of the Earthquake Research Institute, 25, 33-35.
[3] 森本,湊 (1949) 鹿皃島縣肝屬郡垂水町早崎咲花平産菫青石の産出状態. 岩石鉱物鉱床学会誌, 33, 51-61.
[4] Miyashiro (1953) Osumilite, a new mineral, and cordierite in volcanic rocks. Proceedings of the Japan Academy, 29, 321-323.
[5] Brown, Gibbs (1969) Refinement of the crystal structure of osumilite. American Mineralogrst, 54, 101-116.
[6] 第二文献
[7] Chinner, Dixon (1973) Irish osumilite. Mineralogical Magazine, 39, 189-192.
[8] 横溝, 宮地 (1978) 万年山熔岩中の大隅石の化学組成. 73, 180-182.
[9] Chukanov, Pekov, Rastsvetaeva, Aksenov, Belakovskiy, Van, Schuller, Ternes (2012) Osumilite-(Mg): Validation as a mineral species and new data. Zapiski Rossiiskogo Mineralogicheskogo Obshchetstva, 141, 27-36.

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IMA No./year: 1959(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15837; The Natural History Museum, London, England.(Handbook of Mineralogyから引用)

生野鉱 / Ikunolite

Bi4S3

模式地:兵庫県朝来市生野鉱山(旧:生野町)

第一文献: Kato A. (1959) Ikunolite, a new bismuth mineral from the Ikuno mine, Japan. Mineralogical Journal, 2, 397-407

第二文献: 設定なし

生野鉱 / Ikunolite
模式地標本

生野鉱 / Ikunolite
兵庫県養父市明延鉱山

生野鉱 / Ikunolite
生野鉱 / ikunoite
栃木県日光市足尾銅山

bisTe
図1.Bi-(S+Se)-Te系の産出鉱物(一部省略)
文献[4]を一部改訂。日本産の新鉱物は太字で示した。

生野鉱は東京大学の加藤昭によって記載された新鉱物で、学名は模式地である生野鉱山に由来する[1]。より具体的な産地は、金香瀬(かながせ)鉱床群の千珠前𨫤(ヒ)だと伝わる。生野鉱山に勤務していた堀川国治を通じてその標本が加藤に渡たり、生野鉱が見出された。生野鉱の記載論文は1959年に発表され、1960年にはAmerican Mineralogist誌上で新鉱物として紹介されている[2]。その後に国際鉱物学連合が設立されると、これまでに発表された新鉱物の資格審査が行われ、生野鉱については1962年に独立種としてのお墨付きが与えられて、公式リストには1962s.p.が表示されている[3]。

生野鉱はBi4S3の化学組成をもち、硫テルル蒼鉛鉱(Tetradymite: Bi2Te2S)の関連鉱物である。ビスマス(Bi)を主成分として、テルル(Te)、硫黄(S)、セレン(Se)を含む鉱物を「硫テルル蒼鉛鉱族」と呼ぶこともあり、国産の新鉱物だと、都茂鉱(Tsumoite: BiTe)や河津鉱(Kawazilite: Bi2Te2S)もその仲間として知られている。ただ、硫テルル蒼鉛鉱族はまだ命名規約がまだなく、その適用範囲は必ずしも明確でない。これらの鉱物たちはBi-(S+Se)-Teを頂点にした三角形組成内にプロットされ、一連の鉱物は図内でいくつかの線上に位置する(図1)。この組成系列の鉱物はひとまとめにして図で見た方がわかりやすい。

生野鉱の化学組成は三角図の左上にあり、ホセ鉱A(Joséite-A:)とは水平線上の右隣となる。その差は微々たるもので、生野鉱がBi4S3であるのに対して、一つの硫黄(S)をテルル(Te)にしたものがホセ鉱A(Bi4TeS2)となる。加藤は論文中でホセ鉱AとのX線回折パターン、物理・光学特性の対比を行っているのだが、それらで両者は区別できない。現状、ホセ鉱Aと生野鉱の区別は化学組成分析によることになるが、ホセ鉱A(Bも)のIMA Statusは「Q」となっておりその存在を証明するデータに疑いがもたれている。ホセ鉱AはTeに富む生野鉱として分類されることで、いずれ消滅する可能性をはらんでいる。

生野鉱山は平安時代初期に開発が始まったとされる鉱山で、生野「銀山」としての呼び名もあるように、日本を代表する銀山でもあった。コレクターとして多様な金属硫化物を産出する点で魅力的な産地であり、生野鉱は生野鉱山からの最初の日本産新鉱物となった。のちに生野鉱は近隣の明延鉱山、それから大きく離れた栃木県足尾銅山からも産出が知られた。産地ごとにすこし輝きが異なるようで、模式地の生野鉱は銀白色に輝いているが、特に足尾銅山の生野鉱はなぜか青光りが強い。ただそのおかげで共生することのある自然ビスマスとの区別が容易となっている。

[1] 第一文献
[2] Fleischer M. (1960) New mineral names. American Mineralogist, 45, 476-480.
[3] International Mineralogical Association (1962) International Mineralogical Association: Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 33, 260-263.

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IMA No./year: 1959(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:The Natural History Museum, London, England, 1960,92; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 113822, 115885.(Handbook of Mineralogyから引用)

人形石 / Ningyoite

(U,Ca,Ce)2(PO4)2·1-2H2O

模式地:鳥取県三朝町人形峠鉱山

第一文献:Muto T., Meyrowitz R., Pommer A.M., Murano T. (1959) Ningyoite, a new uranous phosphate mineral from Japan. American Mineralogist, 44, 633-650.

第二文献:Boyle D R, Littlejohn A L, Roberts A C, Watson D M (1981) Ningyoite in uranium deposits of south–central British Columbia: first North American occurrence., The Canadian Mineralogist, 19, 325-331.

人形石 / Ningyoite
模式地標本 黒色部が人形石

人形石は原子力燃料公社の武藤正らにより見いだされた新鉱物で、鳥取県と岡山県の県境に位置する人形峠鉱山を模式地とする。第一文献によると鳥取県と記されているので、行政区分では三朝町になるだろう。原子力燃料公社はかつて存在した日本の原子力関連組織であり、1955年に人形峠で有望なウラン鉱床が発見されたことを受けて1956年に発足している。当時、人形峠は日本では最大級のウラン鉱床だった。

人形峠のウラン鉱床は後生堆積型と呼ばれ、堆積岩中に発達する。基盤には花崗岩類が存在しているが、それがかつて人形峠湖盆や古人形谷と呼ばれる水域にあった時に基盤岩の上に泥砂が堆積した。それが地上にもたらされて侵食を受けた際に、花崗岩類から溶け出したウラン溶液が堆積岩中に濃集したと考えられている。鉱石はリン灰ウラン石が当初の主体であったが、1957年にはより放射能の強い黒色鉱石もまた発見された。それはタールのような外観をしており一見して結晶粒は見当たらない鉱物である。武藤らはこのタール様で強い放射能をもつ鉱物の同定を試み、それは既知の鉱物とは一致しないことが判明する。主要なデータ収集は主にアメリカ地質調査所で行われ、化学組成についてはU1-xCa1-xREE2x(PO4)2・1-2H2Oが得られている。今となってはこの化学組成は曖昧と感じられるが、その当時、ウラン(U)と希土類元素(REE)を主成分とするリン酸塩鉱物は新鉱物の資格を有していた。結晶構造については格子定数までが得られており、合成相であるCaU(PO4)2・1.5H2Oと非常に近い値となっている。そして、CaU(PO4)2・1.5H2Oについてはラブドフェン関連構造であることから、人形石もまた同様にラブドフェン関連構造である考えられている[1]。武藤は人形石を見いだした功績において櫻井賞(第9号メダル)を受賞した。

後年になり、第二文献は模式地標本をEPMAで再分析しており、REEとしてはセリウム(Ce)を検出している。それを受けて人形石の理想化学式は(U,Ca,Ce)2 (PO4)2・1-2H2Oと設定されている。結晶構造については少しだけ理解が進み、ブラベ格子について第一文献ではP格子ということだったが、第二文献ではより対称性の高いC格子を予想している[2]。

今となっては人形石は世界で多くの産地が知られているが、その多くは微視的な存在に過ぎない。そのため見てそれとわかる標本として、模式地の人形石は優れていると言えるだろう。写真は宮久三千年によって模式地から得られた人形石の標本となる。人形石は黒色タール状の部分で結晶は非肉眼的である。第一文献では数ミクロンの針~板結晶と記載されているが、私の標本ではSEMで観察しても明瞭な結晶は観察されなかった。

[1] 第一文献
[2] 第二文献

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IMA No./year: 1961(1997s.p.)
IMA Status: Rd (redefined)
模式標本:国立科学博物館 M-15598(Handbook of Mineralogyから引用)

尾去沢石 / Osarizawaite

Pb(Al2Cu2+)(SO4)2(OH)6

模式地:秋田県鹿角市尾去沢鉱山

第一文献:Taguchi Y. (1961) On osarizawaite, a new mineral of the alunite group, from the Osarizawa mine, Japan. Mineralogical Journal, 3, 181-194.

第二文献:Giuseppetti G. & Tadini C. (1980) The crystal structure of osarizawaite. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte, 1980, 401-407.

尾去沢石 / Osarizawaite
秋田県亀山盛鉱山

尾去沢石 / Osarizawaite
新潟県三川鉱山

尾去沢石は三菱金属工業の研究員である田口靖郎によって記載された新鉱物で、秋田県尾去沢鉱山から発見されたことで産地にちなんで命名された。第一文献には尾去沢石は鉱山の正徳樋(ひ)および卯酉樋の酸化帯から発見されたことが記されている。尾去沢石を発見した功績について、田口には櫻井賞(第7号メダル)が授与されている。

一般に銅鉱床は少なからず酸化帯を伴い、酸化帯は採掘コストが低いためにかつては盛んに採掘された。酸化帯は二次鉱物の宝庫とも言え、褐鉄鉱が主体となりつつも色鮮やかで多彩な鉱物もまた多く伴われるほか、場所によっては沈殿銅として自然銅が生じることもある。尾去沢鉱山も基本的には同様で、平安期から開発が始まっていることからまずは酸化帯から採掘が始まった鉱山だと推測されている。そして1978年(昭和53年)に閉山するまで1300年近い歴史を有し、日本の近代化に大きく貢献した銅鉱山でもある。尾去沢石が見いだされたのは1961年のことであり、鉱山としてはほぼおわりという時期であろう。分析に用いられた尾去沢石は正徳樋(ひ)の6b-2脈において粉末から土状の標本として得られている。

尾去沢石の理想化学式はPbCuAl2(SO4)2(OH)6として記されている。この時代の鉱物は後年に理想化学式の修正を受けることも多いが、尾去沢石についてカッコの括りができただけでほとんど当時のまま残るなど、分析レベルの高さがうかがえる。そしてこの分析は東京大学の渡辺武男と加藤昭によって執り行われている[1]。結晶構造については粉末X線回折法によって格子定数が報告されており、総合的に尾去沢石はビーバー石(現、銅ビーバー石)から見て、三価鉄(Fe3+)アルミニウム(Al)に置き換えた、明礬石族の新鉱物として記されている。後に模式地の標本を用いて結晶構造の精密化が行われている[2]。後年になり、明礬石超族の命名規約が作られる際に尾去沢石と銅ビーバー石についてはその独立性について議論があったが、最終的にいずれも独立の鉱物種として認められている [3]。

写真は秋田県亀山盛鉱山(上)と新潟県三川鉱山(下)から得られた尾去沢石の標本で、いずれも銅鉱床の酸化帯に生じた尾去沢石である。亀山盛鉱山の尾去沢石は走査型電子顕微鏡では数ミクロンの結晶の集合体であるものの、実体顕微鏡では黄土色の被膜としてみえる。一方で三川鉱山からの標本は石英の晶洞に生じた尾去沢石の結晶であり、翠緑色の犬牙状結晶が放射状に集合した姿となっている。組成的には三川鉱山の標本が理想値に近く、亀山盛鉱山の標本はリン(P)に富みヒシンダル石との境界に近い。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Jambor J.L. (1999) Nomenclature of the alunite supergroup. The Canadian Mineralogist 37, 1323-1341.

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IMA No./year: 1961(2016s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15110; The Natural History Museum, London, England; Harvard University, Cambridge, Massachusetts, 106170; National
Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 107416.(Handbook of Mineralogyから引用)

吉村石 / Yoshimuraite

Ba2Mn2+2Ti(Si2O7)(PO4)O(OH)

模式地:岩手県野田村野田玉川鉱山

第一文献:Watanabe T., Takéuchi Y., Ito J. (1961) The minerals of the Noda-Tamagawa mine, Iwaté Prefecture, Japan. III. Yoshimuraite, a new barium-titanium-manganese silicate mineral. Mineralogical Journal, 3, 156-167

第二文献:Sokolova E., Cámara F. (2014) From structure topology to chemical composition. XVII. Fe3+ versus Ti4+: The topology of the HOH layer in ericssonite-2O, Ba2Fe3+2Mn4(Si2O7)2O2(OH)2, ferroericssonite, Ba2Fe3+2Fe2+4(Si2O7)2O2(OH)2, and yoshimuraite, Ba4Ti4+2Mn4(Si2O7)2(PO4)2O2(OH)2. The Canadian Mineralogist, 52, 569-576

吉村石 / Yoshimuraite
模式地標本 褐色部

吉村石 / Yoshimuraite
岩手県田野畑鉱山

吉村石 / Yoshimuraite
愛知県田口鉱山

吉村石は東京大学の渡辺武男らによって記載された岩手県野田玉川鉱山を模式地とする新鉱物で、九州大学で教鞭をとっていた吉村豊文教授(1905-1990)にちなんで命名された。記載論文が発表されたのは1961年であるが、1959年にはすでに名前が決まっていたことがうかがえ、まだ名前がつかない状態の未知鉱物としての発見は1953年だった[1]。

吉村石は未知鉱物として発見されてすぐに詳細な調査が始まったものの、結晶構造の改名を担当していた東京大学の森博が急逝したこともあり、研究の進展は必ずしもスムーズではなかったと思われる。それでも丁寧な湿式分析によって現代にまで通用する化学組成を得ており、理想化学組成式について最終的に二つの候補、(SiO4)2か(Si2O7)Oかまで絞り込んであった[2]。これは構造解析がなければ解けない問題であり、2000年になってようやく(Si2O7)Oが正解であることが判明した[4]。その論文[4]で用いられた吉村石は模式地ではなく、愛知県田口鉱山から得られたものだった。後に、吉村石をはじめとしたいくつかの鉱物の結晶構造がさらに詳細に検討され、元素位置の幾何学的議論が行われている[5]。そして、そして2017年になりセイドゼル石(Seidozerite)超族が誕生した[6]。構造的な特徴から吉村石はセイドゼル石超族の下位分類にあたるバフェティス石(Bafertisite)族の一員に分類されることになった。

吉村石は褐色でバラ輝石などと共に産出することからそのコントラストは明瞭で、また葉片状結晶という特徴からもわかりやすい新鉱物である。産地については模式地の野田玉川鉱山の他に愛知県田口鉱山と岩手県田野畑鉱山が知られる。田口鉱山の吉村石はかなり発見が早く、1958年には見いだされ論文も1963年には出版されている[7]。ただしそれは稀産であり、今となっては採集は厳しいと思われる。一方で岩手県田野畑鉱山からは多産するようで、今のところ最も手に入りやすい。それにしても田野畑鉱山の吉村石がいつ頃に知られるようになったのだろうか。ざっと文献を調べたが不明で、田野畑鉱山の吉村石は論文として発表されていないのかもしれない。

写真は模式地の野田玉川鉱山、田野畑鉱山、田口鉱山からの吉村石となる。吉村石自体は褐色の葉片状結晶で、産地を問わず似通った外観で出現する。一方で共生鉱物関係は産地ごとに異なっているようで、模式地ではバラ輝石が目立つものの、田野畑鉱山では石英が、田口鉱山ではリヒター閃石が目に付く。岩手県肘葛鉱山からも吉村石の産出があるようだが、その標本は残念ながら手に入らなかった。

[1] Watanabe T. (1959) The minerals of the Noda-Tamagawa mine, Iwate Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 2, 408-421.
[2] 第一文献
[3] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136
[4] McDonald A.M., Grice J.D., Chao G.Y. (2000) The crystal structure of yoshimuraite, a layered Ba–Mn–Ti silicophosphate, with comments on five–coordinated Ti4+. The Canadian Mineralogist, 38, 649-656.
[5] 第二文献
[6] Sokolova E., Cámara F. (2017) The seidozerite supergroup of TS-block minerals: nomenclature and classification, with change of the following names: rinkite to rinkite-(Ce), mosandrite to mosandrite-(Ce), hainite to hainite-(Y) and innelite-1T to innelite-1A. Mineralogical Magazine, 81, 1457-1487.
[7] 広渡文利,磯野清 (1963) 愛知県田口鉱山の吉村石について. 鉱物学雑誌, 6, 230-243.

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IMA No./year: 1962(1987s.p.)
IMA Status: Rd (redefined)
模式標本:不明

芋子石 / Imogolite

Al2SiO3(OH)4

模式地:熊本県人吉市

第一文献:Yoshinaga N., Aomine S. (1962) Allophane in some Ando soils. Soil Science and Plant Nutrition, 8, 6-13.

第二文献:Bayliss P. (1987) Mineralogical notes: mineral nomenclature: imogolite, Mineralogical Magazine, 51, 327.

芋子石 / Imogolite
熊本県人吉市東添田採土場

芋子石 / Imogolite
上の試料の一部拡大

芋子石は九州大学の吉永長則と青峰重範によって熊本県人吉地方の火山灰土壌から見出された新鉱物である[1]。現在では有効な鉱物種として確立されているが、過去にいったんリジェクト(否定)された後に復活したという経緯がある[2]。

芋子石の名前は記載論文に先立って登場している[3]。吉永と青峰は熊本県上村・長陽村、東京都岡本および北海道河西群から得られた火山灰からアロフェン(Allophane)を分離しその諸性質を調べている過程で、熊本県の試料からアロフェンとは性質の異なるコロイド状物質を見出した。これが後の新鉱物・芋子石である。熊本県上村産の試料から最初に見出され、この試料はこの地方では「芋子(いもご)」と呼ばれている黄色い火山灰土壌の塊であったことから、この新鉱物は芋子石と名付けられた。芋子自体は芋子石のほかにアロフェン、石英、クリストバル石、ギブス石、バーミキュライトなどから構成されている。

芋子石の記載論文では諸性質が報告されている[1]。一方でこの時点で得られた化学組成や結晶的性質はやや不完全であり、著者ら自身も「この鉱物を芋子石として暫定的に指名した」と弱めの表現を使っている。1963年になってAmerican Mineralogistの新鉱物レビューで芋子石が紹介されているが、同時に「データは新鉱物としては不適切」というコメントが付いている[4]。そしてIMAが設立してから始まった鉱物の洗い直しおいて、1967年にリジェクト(否定)が宣言されてしまった[5]。この時点で芋子石は公式には鉱物ではなくなっているので、論文では独立の鉱物のようにあつかってはいけないのだが、芋子石の名称は粘土関連雑誌では独立種のように引き続き使用された。

芋子石を含む粘土鉱物の記載については長らく問題になっていて、それをどうするかという委員会は1950年頃に立ち上がっていた。この委員会で粘土鉱物の命名規約などが議論され、1980年にその要旨が複数の関連雑誌で紹介されている[6-8]。その中には芋子石の項があり、1969年に東京で会合が開かれた際に委員会レベルでは芋子石の名前が改めて承認されたことが記してある。1983年に「Glossary of Mineral Species」という鉱物名と出典をまとめた本にはアロフェンの亜種として芋子石が紹介されている[9]。IMAからの再承認は1986年であった旨が第二文献に紹介されており、この第二文献の出版された1987年がオフィシャルリストには掲載されている[2]。復活までに芋子石の諸性質の解明が進んでいたこともその一助になったと思う。芋子石の化学組成と構造は1972年には明らかとなっており[10]、この論文には吉永が参加している。

写真は芋子石を含む土壌で、これがいわゆる「芋子」の標本。芋子石はカーボンナノチューブに似た特徴的な構造から様々な応用が期待され多くの分野で研究が進んでいる。トムソン・ロイター社の論文検索システムWeb of Scienceで芋子石を検索すると700件近くもヒットする。芋子石の学術的なインパクトは非常に大きいと言えるだろう。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Yoshinaga Y. and Aomine S. (1962) Allophane in some Ando soils. Soil Science and Plant Nutrition, 8, 6-13.
[4] Fleischer M. (1963) New mineral names. American Mineralogist, 48, 433-437.
[5] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136.
[6] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. Calys and Clay Minerals, 28, 73-78.
[7] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. Caly Minerals, 15, 85-93.
[8] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. American Mineralogist, 65, 1-7.
[9] Fleischer M. (1983) Glossary of Mineral Species. Mineralogical Record, Tucson, AZ.
[10] Cradwick P.D.G., Farmer V.C., Russell J.D., Masson C.R., Wada K., Yoshinaga N. (1972) Imogolite, a hydrated aluminium silicate of tubular structure. Nature Physical Science, 240, 187-189.

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IMA No./year: 1962-004
IMA Status: Rn (renamed)
模式標本:不明

赤金鉱 / Akaganeite

(Fe3+,Ni2+)8(OH,O)16Cl1.25·nH2O

模式地:岩手県江刺市赤金鉱山

第一文献: Mackay A.L. (1962) ß-ferric oxyhydroxide-akaganéite. Mineralogical Magazine, 33, 270-280.

第二文献: Post J.E., Heaney P.J., von Dreele R.B., Hanson J.C. (2003) Neutron and temperature-resolved synchrotron X-ray powder diffraction study of akaganéite. American Mineralogist, 88, 782-788.

赤金鉱 / Akaganeite
模式地標本

赤金鉱 / Akaganeite
透過型電子顕微鏡写真

赤金鉱は東北大学の南部松夫により岩手県赤金鉱山から見いだされた新鉱物で、赤金鉱山の名称から命名された。南部はほかにも萬次郎鉱、神津閃石、高根鉱、上国石という国産の新鉱物について筆頭で研究をまとめている。赤金鉱は南部にとって最初の新鉱物であるものの論文の公表は次の萬次郎鉱より後であった。南部による赤金鉱の記載論文は1968年に岩石鉱物鉱床学会誌に掲載されている[1]。この論文で謝辞に名を挙げられている谷田勝俊は分析を担当し、その貢献により谷田には櫻井賞の第25号メダルが授けられた。

まずは発見の経緯をまとめておこう。1956年に赤金鉱山において松森磁硫鉄鉱鉱床の露頭から褐鉄鉱様の二次鉱物が採集され、それは合成実験で知られていたβ-FeOOH相に該当することが判明する[2]。それは天然では初めての産出、つまりは新種に相当することから南部はこの鉱物に赤金鉱(Akaganeite)の名前を与え、それを1959年の三鉱学会連合学術講演会(仙台)で発表した[3]。1962年に新鉱物の申請が行われたようで、年内には承認が与えられている(IMA 1962-004)[4]。赤金鉱は国際鉱物学連合が新鉱物について審査・承認を行うようになって以降では最初の国産新鉱物ということになるだろう。一方でその模式標本は記載論文にも記述が無いため、その所在を追うことができない。

公式リストに掲載されている第一文献は南部らの記載論文ではなく、海外の研究者の論文となってる[5]。この論文は南部から標本の提供を受け、電子線回折によって赤金鉱がβ-FeOOH相であることを再確認した。ところがこの論文はやっかいごとも内包していた。この論文はタイトルで赤金鉱をAkaganéiteとつづり、eにアキュート・アクセントがついている。これは明らかに誤ったつづりであるのだが、かなり長い間この誤ったほうがオフィシャルリスト上にあった。今となってはアキュート・アクセントのついたつづりが誤りであることはすでに宣言されているのだが[6]、いかんせん遅すぎる。もはや収拾がつかないほどこの誤ったスペリングは学術業界内に蔓延してしまい、正しいAkaganeiteよりもむしろ間違っているAkaganéiteほうが論文には多いという事態となっている。しかし改めて書いておく。学名の正しいつづりは「Akaganeite」であってアキュート・アクセントをつけてはいけないのだ。そういった経緯でIMA StatusはRn(renamed)である。

赤金鉱の化学組成はざっくり示せばFeOOHではあるのだが、それは正確ではなく実際には塩素が必須である。南部もそれは認識していたが試料が乏しいことから定量はできず、模式地の標本では塩素は0.5wt%以下であると推測するにとどまっている。一方でオフィシャルリストに掲載されている赤金鉱の化学組成ではニッケルも入っている。これについて違和感を覚えたので調べたところ、これは第二文献および同じ著者の先行論文が元になっているようだ[7、8]。赤金鉱は様々な場所や産状で産出が報告されており、鉄ニッケル隕石の酸化皮膜を成す産状も知られるようになる [7、8]。第二文献はその赤金鉱を分析したところ多量のニッケルを固溶していたことから、第二文献を元にしているオフィシャルリストの組成式にはニッケルが入っている。ただしニッケルは必須成分ではないだろう。模式地の赤金鉱についてはニッケルの固溶はない[1]。

赤金鉱もまた研究例の多い国産新鉱物の一つである。例によってWeb of ScienceでAkaganeite(Akaganéite)を検索すると600件近い結果が出てくる。赤金鉱はいわゆるβ-FeOOH相なのでこれも含めて検索すると1100件を越え、赤金鉱もまたインパクトのある国産新鉱物といえる。

写真の標本は模式地の赤金鉱山から産出した標本となる。初め桜井欽一が手に入れ、それが山田滋夫に渡り、その一部を恵与していただいた。見た目は褐鉄鉱の粉末で不定形結晶の集合かと思われたが、透過型電子顕微鏡で観察するとナノスケールの針~剣状結晶であった。電子線回折から全て赤金鉱であることが確認できた。

[1] 南部松夫 (1968) 岩手県赤金鉱山産新鉱物赤金鉱(β-FeOOH)について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 59, 143-151.
[2] 南部松夫 (1957) 岩手県赤金鉱山における磁硫鉄鉱の酸化. 鉱山地質, 7, 290 (1957年度地下資源関係学協会合同秋期大会の要旨)
[3] 南部松夫 (1960) 新鉱物赤金鉱(β-Fe2O3・H2O)について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 44, 62 (昭和34年度学術講演会講演要旨)
[4] Commission on New Minerals and Mineral Names = CNMMNは1959年に設立され,この委員会は主に新鉱物のデータと名前に関して審査と承認を行っている。鉱物の分類や命名規約を検討する委員会はCommission on Classification of Minerals = CCMというものがあって別で活動していたが,2006年に合併してCommission on New Minerals, Nomenclature and Classification = CNMNCとなり,そこでは新鉱物の審査だけでなく命名規約についても一括で取り扱うようになっている。
[5] 第一文献
[6] Burke E.A.J. (2008) Tidying up mineral names: An IMA scheme for suffixes, hyphens and diacritical marks. Mineralogical Record, 39, 131-135.
[7] Post J.E., Buchwald V.F. (1991) Crystal structure refinement of akaganeite. American Mineralogist, 76, 272-277.
[8] 第二文献

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IMA No./year: 1963(1967s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:Harvard University, Cambridge, Massachusetts, USA, 114576(Handbook of Mineralogyから引用)

園石 / Sonolite

Mn2+9(SiO4)4(OH)2

模式地:京都府和束町園鉱山 他

第一文献: Yoshinaga M. (1963) Sonolite, a new manganese silicate mineral. Memoirs of the Faculty of Science, Kyushu Imperial University, Series D, 14, 1-21.

第二文献: Kato T., Ito Y., Hashimoto N. (1989) The crystal structures of sonolite and jerrygibbsite. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte, 1989, 410-430.

園石 / Sonolite
福井県藤井鉱山

園石 / Sonolite
京都府木津川市加茂町河原 

園石は九州大学の吉永真弓により発見された新鉱物で、発見地の京都府和束町園鉱山の名称から命名されている。記載論文は1963年に九州大學理學部紀要で発表され[1]、同年の内にAmerican Mineralogist誌でも紹介されている[2]。オフィシャルリストに記してある年代は1967年で、これはIMAが設立後に改めて承認された年となる[3]。

吉永の記載論文によれば、アレガニー石(Alleghanyite)や他の含マンガン珪酸塩鉱物を研究する過程で、1960年に園鉱山の鉱石中から最初に見出され、それに続いて多くの産地が見つかったようだ。論文で挙げられている園鉱山以外の産地は、岩手県花輪鉱山、茨城県鷹峰鉱山、栃木県加蘇鉱山、愛知県田口鉱山、滋賀県五百井鉱山、京都府向山鉱山、山口県和木鉱山、山口県高森鉱山、山口県久杉鉱山が挙げられており、国外の産地として台湾蘇澳鉱山も記されている。

園石はバラ輝石、パイロクロアイト、ガラクス石などを密接に伴い、それらは園石の結晶中にも包有される。こういった包有物の存在は湿式分析が主な分析手段だったこの時代ではたいへん悩ましいことで、不純物の少ない試料は常に望まれていた。園石は名前こそ園鉱山の名称から命名されているが、諸性質の解明に使用されたのは主に花輪鉱山と久杉鉱山からの試料であった。この二つの鉱山から産出する園石は不純物(包有物)が少ないことが記してある。

園石は単斜ヒューム石(Clinohumite)のマグネシウム(Mg)をマンガン(Mn)に置き換えた鉱物であることが論文中には記されている[1]。ただ、今では単斜ヒューム石はフッ素(F)優占種であることが明らかとなっているので、現在の基準で見ると、園石は単斜ヒューム石のマグネシウムをマンガンに、フッ素を水酸基に置き換えた鉱物ということになる。後に園石の結晶構造解析も行われ、改めて単斜ヒューム石と同構造であることが確認された[4]。

写真は福井県藤井鉱山と京都府和束町からの標本となる。記載論文に挙げられた以外にも多くの産地が知られている。園石は国内の産地ではいずこでも肉眼的に鈍い赤褐色で、アレガニー石とはぱっと見で判別はできない。海外では数センチの単結晶が産出する。

[1] 第一文献
[2] Fleischer M. (1963) New mineral names. American Mineralogist, 48, 1413-1421.
[3] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136
[4] 第二文献

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IMA No./year: 1963-002
IMA Status: A (approved)
模式標本:National Science Museum, Tokyo, Japan, M15-112; The Natural History Museum, London, England.(Handbook of Mineralogyから引用。ただし研究に使用された標本は東大博物館に現存している)

神保石 / Jimboite

Mn2+3(BO3)2

模式地:栃木県鹿沼市加蘇鉱山

第一文献: Watanabe T., Kato A., Matsumoto T., Ito J. (1963) Jimboite, Mn3(BO3)2, a new mineral from the Kaso mine, Tochigi Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy, Ser. B, 39, 170-175.

第二文献: Sadanaga R., Nishimura T., Watanabe T. (1965) The structure of jimboite, Mn3(BO3)2 and relationship with the structure kotoite. Mineralogical Journal, 4, 380-388.

神保石 / Jimboite
模式地標本 東京大学総合博物館標本
黒い脈はヤコブス鉱で,それ以外はほぼ神保石。

神保石 / Jimboite
上の標本の拡大写真
左下の黒色脈はヤコブス鉱。

神保石のラベル
上の標本のラベル。

含神保石マンガン鉱石 / Jimboite-bearing manganese ore
群馬県利東鉱山東小中鉱床
含神保石マンガン鉱石で中央の白い繊維状結晶はマンガン硼素酸塩鉱物のウイゼル石。

神保石は東京大学の渡辺武男らによって栃木県加蘇鉱山から見いだされた新鉱物で、東京帝国大学鉱物学教室の教授であった神保小虎の名にちなんで命名された。神保石の記載論文は日本学士院が発行するProceedings of the Japan Academy において1963年に発表された[1]。その一つ前の論文も渡辺によるもので、本邦初産となる小藤石[2]の記載論文となっている[3]。

神保小虎(1867-1924)は東京帝国大学地質学科を卒業し、北海道庁で勤務した後にベルリン大学に留学した。留学先では古生物学を専攻すると共に鉱物学・岩石学・地理学についても学んだとされる[4]。助教授で東京大学に着任した後に、新たに設置された鉱物学教室の初代教授となる。「日本鉱物誌 第二版」の著者の一人であり、第三版も企画していたとされる[5、6]。詳しい経歴や業績、人物についてのエピソードなど、詳しく知りたい方は引用先を当たってほしい[例えば7-9]。

神保石の発見や研究の経緯については渡辺自らが記した解説文が残っており[10]、内容を紹介しておこう。小藤石の研究を行っていた頃にスウェーデンのLångban鉱山からピナキオ石(Pinakiolite: (Mg,Mn)2(Mn3+,Sb5+)O2(BO3))というマンガン硼酸塩鉱物が産出することを知り、小藤石(Kotoite: Mg3 (BO3)2)のマンガン置換体の存在を期待するようになったという。もしそれが産出するなら第一候補は尾平・大崩山地方のマンガン鉱床、他の候補として北上産地のマンガン鉱床を想定していたようだ。そうした中で、鉱物学教室に所属していた加藤昭が鉱物研究家の櫻井欽一らと共に栃木県加蘇鉱山に赴き、珍しい鉱石を採集してきた。当初の観察で光学顕微鏡下での特徴が小藤石に似ていると半ば冗談で話し合っていたらしい。ところが分析をしてみると、それは長年探し求めていた小藤石のマンガン置換体であることが判明する。そこから新鉱物申請に向けてデータを集めはじめ、近代化された設備や周囲の助力もあってほんの4ヶ月で研究がまとまったと記してある。この年代には国際鉱物学連合の体系も固まって新鉱物の審査委員会もできあがっており、神保石は万票(満場一致)で承認された。模式地標本を用いた構造解析の結果も直後に報告された[11]。

神保石は顕微鏡下ではほぼ無色だが、肉眼的な結晶だと紫赤褐色の鉱物である。東大博物館にある模式地標本をみると確かにそのとおりだ。そして今手に入る神保石と言われる標本もそんな色をしており、期待して調べてみたが神保石は入っていなかった。実は神保石不在の標本が神保石っぽく見えるのはテフロ石とガラクサイトによって醸し出されている。そしてそれは肉眼ではほとんど判別不能である。下に神保石不在の標本を掲載した。東大博物館のホンモノと見比べてみてもほとんど同じに見えるのにこれらには神保石は入っていない。神保石が見つかった唯一の石は利東鉱山の東小中鉱床から産出する鉱石で、ウイゼル石(Wiserite)を伴う標本にだけ神保石がわずかに確認できた。

マンガン鉱石 / Manganese ore
神保石不在標本その1。
手に入れた模式地の岩石標本。調べたところこれはテフロ石が主体で多量の微小ガラクサイトが含まれている。菱マンガン鉱もあるがこれは細脈で来ており肉眼的にはわからない。黒い帯はアラバンド鉱。どれだけ探しても神保石はみつからず、硼酸塩鉱物の気配すらなかった。

マンガン鉱石 / Manganese ore
神保石不在標本その2。
群馬県利東鉱山東小中鉱床の岩石標本。これもテフロ石、ガラクサイト、菱マンガン鉱の集合。やはり神保石はこういう標本にはいなかった。経験的にテフロ石がいるとあきらめざるを得ない。色が神保石のようであっても劈開がルーズな標本は軒並みダメのようである。

[1] 第一文献
[2] 小藤石(kotoite): Mg3(BO3)2。神保石から見てMn→Mg置換体に相当する。渡辺武男によって北朝鮮笏洞鉱山から見いだされた新鉱物で,神保石よりも前に発見されている。
[3] Watanabe T., Kato A., Katura T. (1963) Kotoite, Mg3(BO3)2 from the Neichi Mine, Iwate Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy, Ser. B, 39, 164-169.
[4] 佐藤傳藏 (1924) 神保理學博士を弔す. 地学雑誌, 36, 179-182.
[5] 和田維四郎, 神保小虎, 瀧本鐙三, 福地信世 (1916) 日本鉱物誌 第2版, pp.357.
[6] 和田維四郎, 伊藤貞一, 桜井欽一 (1947) 日本鉱物誌 第3版 上巻, pp.368.
[7] 浜崎健児 (2011) ユーラシア大陸を駆け抜けた神保小虎-その人物と神保をめぐる人たち. 地質学史談話会会報, 36, 27-28.
[8] 日本地質学会メールマガジン No250.
[9] 日本地質学会メールマガジン No254.
[10] 渡辺武男 (1963) 新鉱物を見いだすまで-小藤石と神保石の場合-. 科学, 33, 461-467.
[11] 第二文献

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IMA No./year: 1963-011
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15111(Handbook of Mineralogyから引用。ただし研究に使用された標本は東大博物館に現存している。)

原田石 / Haradaite

SrV4+Si2O7

模式地:岩手県野田村野田玉川鉱山 & 鹿児島県大和村大和鉱山

第一文献:Takéuchi Y., Joswig W. (1967) The structure of haradaite and a note on the Si-O bond lengths in silicates. Mineralogical Journal, 5, 98-123.

第二文献:Watanabe T., Kato A., Ito J., Yoshimura T., Momoi H., Fukuda K. (1982) Haradaite, Sr2V4+2[O2 Si4O12], from the Noda Tamagawa mine, Iwate Prefecture and the Yamato mine, Kagoshima Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy 58 B, 21-24.

原田石 / Haradaite
模式地標本(岩手県野田玉川鉱山)

原田石 / Haradaite
模式地標本(鹿児島県大和鉱山)

原田石 / Haradaite
高知県香美市松尾鉱山

原田石は東京大学の渡辺武男らによって岩手県野田玉川鉱山と鹿児島県大和鉱山から発見された新鉱物で、北海道大学の原田準平の業績をたたえて命名された。IMAno.を見るに1963年に申請され、年内には承認されたと思われるが、記載論文の公表は20年近く後になっている。記載論文に先立って構造解析の論文が1967年に発表され[1]、記載論文の公表は1982年であった[2]。

原田石はほぼ同時期に二つの鉱山から別々の研究グループによって見いだされたと伝わる。1962年の地質学会において九州大学の吉村らが鹿児島県大和鉱山からの本鉱を報告したことが、記録上では初出になるだろう[3]。記載論文では野田玉川鉱山から福田皎二が1960年に標本を「採集した」ことが記されている。一方で記載論文に先立って公表された1967年の構造解析の論文では1960年に渡辺と加藤が「発見した」という記述になっており[1]、食い違いがある。優先権争いがあったという話を聞いているので、そういった事情が反映されたのだろう。それでも1974年には二つの研究グループは連名で国際学会において発表している[4]。このあたりにはわだかまりは解けたのかもしれない。二つの研究グループの筆頭であった渡辺武男と吉村豊文は北海道大学において原田と共に勤務しており、原田の還暦記念論文集にも二人の名前が見られる。

鉱物名の元になった原田準平(1898-1992)は1924年に東京帝国大学を卒業している。すぐさま理学部の助手となり、翌年には熊本高等工業学校および第五高等学校の教授を兼務し、熊本医科大学予科講師も務めている。1928年から文部省在外研究員としてヨーロッパ・アメリカに留学し、1931年に北海道帝国大学の助教授に着任する。翌年には地質学鉱物学第四講座の教授となる。そしてこの第四講座は地球惑星物質学研究グループと名を変え、今も存続している。原田に続く第四講座の歴代教授は、八木健三、針谷有、藤野清志、永井隆哉となる。

原田石はストロンチウム(Sr)と4価のバナジウム(V4+)を主成分とするケイ酸塩鉱物で、翠緑色の非常に美しい鉱物である。天然で最初に見つかり、1965年には伊藤順によって合成された[5]。野田玉川鉱山の原田石は粗粒のバラ輝石に伴われる石英の集合中に5ミリに達する平板状結晶で産出したようだ。大和鉱山ではゴールドマンざくろ石・バラ輝石・石英を伴って塊状のマンガン鉱石を切る脈として産出したという記述がある。その他、愛知県田口鉱山[6]と高知県松尾鉱山[7]からも産出が知られる。原田石を伴う鉱石はいずれも低品位鉱である。

写真は岩手県野田玉川鉱山、鹿児島県大和鉱山、高知県松尾鉱山から産した原田石で、いずれも特徴的な翠緑色が美しい。これらは何とか手に入った。だが愛知県田口鉱山の原田石はひときわ稀なのかその標本をみたことすらない。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Yoshimura T., Shirozu H., Momoi H. (1962) Jour. Geol. Soc. Japan, 68, 397 (abstr.) (in Japanese)
[4] Watanabe T., Kato A., Ito J., Yoshimora T., Momoi H., Fukuda K. (1974) Haradaite, Sr2V2(O2)(Si4O12), a new mineral from the Noda Tamagawa mine, Iwate Prefecture, and the Yamato mine, Kagoshima Prefecture, Japan. 9th General Meeting of the International Mineralogical Association, Berlin Germany, 9, 97-97.
[5] Ito J. (1965) Synthesis of vanadium silicates: haradaite, goldmanite and roscoelite. Mineralogical Journal, 4, 299-316.
[6] 松山文彦,小林暉子(1993) 愛知県田口鉱山産原田石. 地学研究,42,2-4
[7] 広渡文利,松枝太治,吉村豊文(1972) 高知県松尾鉱山の原田石. 三鉱学会要旨集,p12.

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IMA No./year: 1965-017
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15843; National School of Mines, Paris, France; Harvard University, Cambridge, Massachusetts, 108788; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 120592.(Handbook of Mineralogyから引用); 国立科学博物館 MSN-M18000(門馬ら[4]はこれをタイプ標本と記述している)

櫻井鉱 / Sakuraiite

(Cu,Zn,Fe)3(In,Sn)S4

模式地:兵庫県朝来市生野町生野鉱山

第一文献:加藤昭 (1965) 新鉱物「櫻井鉱」. 地学研究,桜井欽一博士紫綬褒章記念号,1-5.

第二文献:Shimizu M., Kato A., Shiozawa T. (1986) Sakuraiite: chemical composition and extent of (Zn,Fe)In-for-CuSn substitution. The Canadian Mineralogist, 24, 405-409.

櫻井鉱 / Sakuraiite
模式地標本
やや緑色を帯びた黒灰鋼色部に櫻井鉱とぺトラック鉱が含まれる。

櫻井鉱は国立科学博物館の加藤昭によって記載された新鉱物で、本邦鉱物学の発展に貢献したことで紫綬褒章を受章した櫻井欽一にちなんで命名された[1]。模式標本は国立科学博物館に収蔵され、記載論文は地学研究の桜井欽一博士紫綬褒章記念号の巻頭に掲載された。その論文に続いて櫻井鉱が誕生するまでの経緯が述べられている[2]。

文献[2]によれば、櫻井の紫綬褒章受章が決まった昭和39年11月に、東京大学の渡辺武男は記念として新鉱物に献名したいと述べたと伝わる。加藤もまた同意であったものの、櫻井の業績にふさわしい立派な新鉱物になる候補はその時点では見いだせていなかった。そうした中、11月下旬に兵庫県生野鉱山から一つの同定依頼が舞い込んでくる。加藤は気乗りがしないながらも予備実験として分析を行うとその試料には多量のインジウム(In)が認められた。その当時、インジウムを主成分とする鉱物は2つのみであった。そして、期待と不安を交えながら行われたX線回折実験の結果はこれまでのインジウム鉱物とは異なるパターンを示したのだった。これが櫻井鉱が確実に認識された瞬間である。

加藤は櫻井鉱の化学組成を(Cu,Fe)2Zn(In,Sn)S4とまとめるつもりであったが、研究の仕上げの段階になり渡辺は化学組成の作り方について次のように指摘した。櫻井鉱の結晶構造は解明されていないのだから、(Cu,Zn,Fe)3(In,Sn)S4という形にするべきだという提案である。加藤はその意見を入れ渡辺の提案した化学組成を採用した。これが今のオフィシャルリストに掲載されている。渡辺の意見はやや消極的な理由から来ているように思えるが、結果的に、渡辺が提案した化学組成は最新の研究結果と調和的である。例えば、清水らはCu-Zn-Fe置換に一定の傾向を確認し[3]、結晶構造解析からはCu-Zn-Feは完全固溶であることが報告されている[4]。

一方で、単結晶X線プリセッション写真と化学組成分析を根拠に、櫻井鉱は立方晶系で(Cu,Zn,Fe,In,Sn)Sとする鉱物だという論文は古くからある[5]。この報告を受けて櫻井鉱の定義が「立方晶系の(Cu,Zn,Fe,In,Sn)S」へ改訂された。しかしその是非について検証がされないまま、2013年に石原鉱(Ishiharaite: (Cu,Ga,Fe,In,Zn)S、立方晶系)が新鉱物として承認されてしまった。端成分で考えるとどちらもCuSになってしまい区別ができない。さらには立方晶系で格子定数もほぼ共通という困った事態が生じた。混乱に拍車をかけるようにこの時点ではどちらも結晶構造の詳細が明らかでなかった。そこで2014年に櫻井鉱の化学組成を元の(Cu,Zn,Fe)3(In,Sn)S4へ戻すという対応が行われた。

櫻井鉱の結晶構造は頂点を共有した四面体がただひたすら並んだ姿をしている。これはつまり閃亜鉛鉱と同じであり、将来的に閃亜鉛鉱超族ができたとすると櫻井鉱は間違いなくその一員に組み込まれる。閃亜鉛鉱超族(仮)は陽イオンの秩序タイプで細分されると思われ、今のところ閃亜鉛鉱型(F-43m)、黄錫鉱型(I-42m)、亜鉛黄錫鉱型(I-42m or I-4)、黄銅鉱型(I-42d)、硫砒銅鉱型(Pmn21)が知られている。しかしまだ未解明の秩序タイプもありそうで、完全には解明されていない。櫻井鉱もまた実は未解明の秩序タイプだったようで、第一文献は黄錫鉱型で解析したが、最近に行われた単結晶構造解析ではいずれとも異なる新しい型になる可能性が報告されている[4]。確立されればそれは櫻井鉱型(P-42m)と呼ばれることになるだろう。また、櫻井鉱の模式標本にはZn > Cuとなる領域が存在することもまた報告されており、これらの研究成果が論文として出版されることが望まれる。

写真は模式地の生野鉱山から産した標本を恵与していただいた。肉眼ではわからないが電子顕微鏡でみると櫻井鉱とペトラック鉱が複雑に混在している。豊羽鉱山やアルゼンチンからも櫻井鉱は見つかっている。

[1] 第一文献
[2] 加藤昭 (1965) 「櫻井鉱」誕生まで. 地学研究,桜井欽一博士紫綬褒章記念号,6-9.
[3] 第二文献
[4] 門馬綱一,宮脇律朗,松原聰,重岡昌子,加藤昭,清水正明,長瀬敏郎 (2015) 櫻井鉱の結晶化学的再検討. 日本鉱物科学会2015年年会講演要旨集,R1-09, p.43.
[5] Kissin S.A., Owens D.R. (1986) The crystallography of sakuraiite. The Canadian Mineralogist, 24, 679-683.

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IMA No./year: 1966-009
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15748(Handbook of Mineralogyから引用)

萬次郎鉱 / Manjiroite

Na(Mn4+7Mn3+)O16

模式地:岩手県軽米町小晴鉱山

第一文献:南部松夫, 谷田勝俊 (1967) 岩手県小晴鉱山産新鉱物萬次郎鉱について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 58, 39-54.

万次郎鉱 / Manjiroite
万次郎鉱 / Manjiroite
模式地標本

萬次郎鉱は東北大学の南部松夫と谷田勝俊によって発見された新鉱物で、本邦の鉱物学および鉱床学の進歩発展に貢献した東北大学名誉教授の渡邉萬次郎にちなんで命名された[1]。論文は邦文で記載されており「萬」の漢字を使用しているためここではそれに従う。萬次郎鉱の化学組成は当初(Na,K)Mn4+8O16・nH2Oと設定されたが、後にホランド鉱超族の一員に分類され、命名規約が設定された2013年からNa(Mn4+7Mn3+)O16へ改訂されている[2]。萬次郎鉱発見の功績により南部へは櫻井賞(第8号メダル)が授けられた。

渡邉萬次郎(1891-1980)は福島県出身の鉱床学者で、東北大学で教鞭を執った後に秋田大学学長となり、3期10年を勤めた。金属鉱床学が専門の研究者だが火山の研究も行い、随筆、画集、歌集も執筆するなど幅広い分野で活躍している。渡邉萬次郎については島津による紹介文[3]がくわしいほか、自身の著作もある[4]。また日本鉱物科学会は、鉱物学関連分野で卓越した研究業績を有してかつ長年にわたり分野の発展に貢献した人物を表彰するために「渡邊萬次郎賞」を設けている。これは渡邊萬次郎からの寄付金が基金となっている。

南部らは東北地方のマンガン鉱山から採集した多数の二酸化マンガン鉱について、X線回折測定を行っていた。その中でクリプトメレン鉱、K(Mn4+7Mn3+)O16、と同構造を示す50試料について化学組成分析を行ったところ、6産地(岩手県小晴、小玉川、舟小沢、立川、川井、滝ノ沢鉱山)の12試料については「ナトリウム>カリウム」となることが判明する。すなわち、クリプトメレン鉱のナトリウム置換体の新鉱物として萬次郎鉱は承認された。最も端成分に近い小晴鉱山の試料を模式標本として記載論文は記されている[1]。

ホランド鉱超族の結晶構造は筒のようになっており、マンガン(Mn)と酸素(O)がその筒を構成し、萬次郎鉱なら筒の中身にナトリウム(Na)が、クリプトメレン鉱ならカリウム(K)といったぐあいになっている。筒の中身はそれだけでなく二価陽イオンや水(H2O)もまた入りうる。そして最近になって萬次郎鉱を再検討した研究が発表された[5]。萬次郎鉱の模式標本は日本に在るはずだが、その一部が個人や海外にも流出しているようで、その標本が研究に使用されている。そして、その標本はいずれもナトリウムではなく水が最も卓越していた。つまり萬次郎鉱ではないことが明らかとなっている。ただし、この標本が本当は模式標本の一部ではない可能性や、南部らが研究した標本とは異なっている可能性など述べられている。それでも、水が卓越しているとなるとそれは新鉱物に相当する。今後、萬次郎鉱の定義が置き換わるのか、それとも別の新種として申請されることになるかはわからない。

写真はいずれも模式地の小晴鉱山から産した標本となる。上の方は国内の方から恵与していただいたが、下の方はロシアからの出戻り標本である。萬次郎鉱は見た目だけではクリプトメレン鉱と区別が出来ない。分析でいずれもナトリウム>カリウムであることは確認できているが、水は分析できないためそれとの比較はできていない。

[1] 第一文献
[2] Biagioni C., Capalbo C., Pasero M. (2013) Nomenclature tunings in the hollandite supergroup. European Journal of Mineralogy, 25, 85-90.
[3] 島津光夫(2008)渡辺萬次郎-もの書きが好きだった金属鉱床学者. 地球科学, 62, 297-302.
[4] 渡辺萬次郎(著), 菊池ヒサ子(編)(1980) 思い出の記 : 一人の一生
[5] Post J.E., Heaney P.J., Fischer T.B., Ilton E.S. (2022) Manjiroite or hydrous hollandite ?. American Mineralogist, 107, 564-571.

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IMA No./year: 1967-009
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M15937; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 135971(Handbook of Mineralogyから引用)

福地鉱 / Fukuchilite

Cu3FeS8

模式地:秋田県鹿角市花輪鉱山

第一文献:Kajiwara Y. (1969) Fukuchilite, Cu3FeS8, a new mineral from the Hanawa mine, Akita Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 5, 399-416.

第二文献:Bayliss P. (1989) Crystal chemistry and crystallography of some minerals within the pyrite group. American Mineralogist 74, 1168-1176.

福地鉱 / Fukuchilite
模式地標本 緑礬(ろうは)に埋もれた一見なんだかよくわからない黒色塊(中央やや左)に福地鉱は含まれる。黄色塊(ほぼ黄鉄鉱)には福地鉱は全く含まれていなかった。

福地鉱 / Fukuchilite
SEM写真1 中央の複雑の組織を示す部分に福地鉱は含まれている。明るい灰色はコベリン。暗い灰色は黄鉄鉱。

福地鉱 / Fukuchilite
さらに拡大してコントラストを強調したSEM写真。一番明るい灰色はコベリン。最も暗いところは黄鉄鉱。それらの中間色が福地鉱。基本的に数ミクロン程度であるため分析が困難だが、なんとか分析してみるとCu2.96-3.03Fe0.98-1.27S8という化学組成だった。

福地鉱は東京大学の大学院生だった梶原良道によって岩手県花輪鉱山から発見され、鉱物学・地質学者の福地信世に因み命名された。記載論文は梶原が東京教育大学(筑波大学の前身)に就職した後の1969年に出版されている[1]。福地鉱の発見により梶原は櫻井賞(第12号)を受賞した。

福地信世(1877-1934)は東京帝国大学を卒業し大学院に進んだ。古河鉱業に入社し、のちに東京帝国大学の講師となる。神保小虎・滝本鐙三と共にとりまとめた日本鉱物誌第二版は1916年に出版されている。福地は多くの黒鉱型鉱床を研究しその成因について一つの考えを持つに至った。黒鉱型鉱床の起源について交代鉱床という考えの方が主流派だった中で、福地は「黒鉱型鉱床=沈殿鉱床」ということを初めて指摘している(明治37年・1904年)[2]。現代では海底へ噴出した熱水から沈殿した硫化物などが黒鉱型鉱床の起源ということが明らかになっており、福地の考えは正しかった。

福地鉱の発見地である花輪鉱山は秋田県鹿角市と岩手県安代町の県境に位置するが、岩手県側に事務所があった。そのため鉱山の所在地を示す際は一般的には岩手県とされるが、福地鉱が発見された本山鉱床は秋田県側に位置するため、福地鉱の産地は秋田県として記載されている[1]。花輪鉱山は主に黒鉱から構成される明通鉱床群+女平鉱床と、黄鉱から構成される元山鉱床群に区分され、福地鉱の産地である本山鉱床は元山鉱床群に属する[3]。福地鉱は石膏・硬石膏・重晶石が主体の鉱体中に、コベリンや黄鉄鉱に伴われて産出する。

福地鉱は複数の論文で検証が行われている[4-6]。模式地の福地鉱はCalgary大学(カナダ)に渡り、そこでの検証において福地鉱はCuS2-FeS2系の固溶体として報告された。その化学組成は(Cu,Fe)S2とされ[5]、CuS2は福地鉱に先だって知られていたヴィラマニン鉱(Villamanínite)という別の鉱物の端成分となるため、化学組成だけをみると福地鉱とは区別できない。そのため福地鉱は抹消すべきだという提案が新鉱物・鉱物・命名委員会へ提出されたことがある[6]。しかしながら福地鉱とヴィラマニン鉱が同一であるという十分な証拠が無かったためにその提案は否決され、福地鉱は現在まで日本産の新種として存続している.このような経緯からか記載論文のCu3FeS8が福地鉱の化学組成としてオフィシャルリストに掲載されている。

写真の標本は模式地から得られた標本となる。一枚目には福地鉱を含む塊を掲載した。標本は全体としては緑礬(ろうは)であり、その中に小さな黒色塊と黄色塊が埋もれている。黄色塊は黄鉄鉱ばかりだが、黒色塊には福地鉱が入っている。二枚目に示す黒色塊の断面SEM写真で、中央にある複雑な組織を示す300-400ミクロン程度の粒中に福地鉱が認められる。それ以外ののっぺりとした灰色の部分はコベリンになる。三枚目にさらに拡大したSEM写真を示した。相当わかりにくいと思うが、もっとも明るい灰色部はコベリンで、もっとも暗い部分が黄鉄鉱、そしてそれらの中間的な色合いを示す部分が福地鉱となる。サイズはせいぜい数ミクロンしかないが過去の文献も同様である。中間色の部分を分析するとCu2.96-3.03Fe0.98-1.27S8という化学組成になり、これは梶原の提案する組成:Cu3FeS8とおおむね一致した。

[1] 第一文献
[2] 大橋良一 (1962) 黒鉱型鉱床の形態および成因.鉱山地質, 53, 172-174.
[3] 斎藤憲 (1984) 花輪鉱山. 日本鉱業会誌, 100, 882-887.
[4] Shimazaki H., Clark L.A. (1970) Synthetic FeS2-CuS2 solid solution and fukuchilite-like minerals. The Canadian Mineralogist, 10, 648-664.
[5] Yui S. (1972) Quantitative electron-probe microanalysis of sulphide minerals. In G. Shinoda, K. Kohra, and T. Ichinokawa, Eds. Proceedings, Sixth International Conference on X-ray Optics and Microanalysis, p.749-753. University of Tokyo Press, Tokyo.
[6] 第二文献

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IMA No./year: 1967-033
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M16288, National Museum of Natural History; 120635, Washington, D.C., USA(Handbook of Mineralogyから引用)

イットリウム飯盛石 / Iimoriite-(Y)

Y2 (SiO4)(CO3)

模式地:福島県川俣町房又・水晶山

第一文献:Kato A., Nagashima K. (1970) Iimoriite (Y,Ca,Zr)15(Mg,Fe3+,Al)(Si,Al,P)9O34(OH)16. in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 39, 85-86.

第二文献:Hughes J.M., Foord E.E., Jai-Nhuknan J., Bell J.M. (1996) The atomic arrangement of iimoriite-(Y), Y2(SiO4)(CO3). The Canadian Mineralogist, 34, 817-820.

イットリウム飯盛石 / Iimoriite-(Y)
イットリウム飯盛石 / Iimoriite-(Y)
模式地標本

イットリウム飯盛石は国立科学博物館の加藤昭と筑波大学の長島弘三によって見いだされた新種の鉱物で、理化学研究所の飯盛里安(1885-1982)と飯盛武夫(1912-1943)親子にちなみ命名された。飯盛石の発見により、長島弘三は櫻井賞(第11号)を受賞している。

福島県川俣町房又および水晶山にある珪石採石所において巨大なペグマタイト鉱床が発見され、この鉱床から希元素を含む鉱物が数多く産出した。これらは飯盛親子と畑晋によって次々に記載されている[例えば1-3]。飯盛石が見いだされた石英-微斜長石ペグマタイトも房又地域にあり、この地域の希元素鉱物について先に研究業績を上げていた飯盛親子の名前を由来にして、飯盛石は命名された。

飯盛里安はかつて「長手石」という鉱物を記載している[4]。長手石は石川県羽咋市長手島の花崗閃緑岩ペグマタイトから産出した黒色柱状結晶で、リン成分を多く含む褐簾石族の鉱物である。リン成分を多く含む褐簾石は世界でもほとんど例がないのでその詳細が非常に気になるところであるが、戦災で模式標本は消失したために幻の鉱物となっている。

飯盛石の化学組成・格子定数の値は第一文献の発表の後に大きく改訂されている。1975年にアラスカから見つかった飯盛石を用いた研究によって化学組成と格子定数が現在のように改訂され、飯盛石の模式標本もラスカ産飯盛石と同じ化学組成・格子定数であったことが確認されている[6]。第一文献に記されている飯盛石の化学組成および格子定数は誤りであったが、それでも先に発見されているという一点において飯盛石は優先権があった。飯盛石の結晶構造が解明されるのは1996年のことで、アラスカ産の飯盛石が研究に用いられた[7]。

上に掲載した2枚の写真はいずれも水晶山から産出した飯盛石となる。一枚目の写真は飯盛石の集合体で、長石に似た雰囲気となっている。二枚目の写真は飯盛石の結晶で、水晶山に詳しい方から恵与いただいた。飯盛石はピンク色を帯びた透明な結晶として褐簾石の隙間に鎮座している。

[1] Iimori S., Hata S. (1938) Japanese Thorogummite and Its Parent Mineral. Scientific Papers of the Institute of Physical and Chemical Research, 34, 447-454.
[2] Iimori T. (1938) Tengerite found in Iisaka, and Its Chemical Composition. Scientific Papers of the Institute of Physical and Chemical Research, 34, 832-834.
[3] Hata S. (1938) Abukumalite, a new yttrium mineral. Scientific Papers of the Institute of Physical and Chemical Research, 34, 1018-1023.
[4]  Iimori S., Yoshimura J., Hata S. (1931) A new radioactive mineral found in Japan. Sci. Papers Inst. Phys. Chem. Research, Tokyo, 15, 83-88.
[5] Fleischer M. (1973) New Mineral Names. American Mineralogist, 58, 139-141.
[6] Foord et al. (1984) New data for iimoriite. American Mineralogist, 69, 196-199.
[7] 第二文献

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IMA No./year: 1967(1997s.p.)
IMA Status: A (approved)
模式標本:不明

灰エリオン沸石 / Erionite-Ca

Ca5[Si26Al10O72]·30H2O

模式地:新潟県新潟市間瀬

第一文献:Harada K., Iwamoto S., Kihara K. (1967) Erionite, phillipsite and gonnardite in the amygdales of altered basalt from Mazé, Niigata Prefecture, Japan. American Mineralogist, 52, 1785-1794.

第二文献:Gualtieri A., Artioli G., Passaglia E., Bigi S., Viani A., Hanson J.C. (1998) Crystal structure-crystal chemistry relationships in the zeolites erionite and offretite. American Mineralogist, 83, 590-606.

灰エリオン沸石 / Erionite-Ca
模式地標本

灰エリオン沸石 / Erionite-Ca
福島県伊達市霊山町

灰エリオン沸石は秩父自然科学博物館の原田一雄らにより新潟県新潟市間瀬から見いだされた沸石族の鉱物である。発表では日本初産出のエリオン沸石の報告という立ち位置であり、新鉱物として発表されたわけではなかった[1]。その後、1997年に沸石超族の命名規約の変更によってエリオン沸石としては初めてのカルシウム(Ca)タイプということが再認識され、それ以降、間瀬産のエリオン沸石はErionite-Caという新種に昇格した[2]。和名ではカルシウムの和名である「灰」を頭につけて灰エリオン沸石と呼ぶ。エリオン沸石については他にナトリウム(Na)とカリウム(K)に富む種が知られている。

沸石はゼオライト(zeolite)とも表現され、それは「沸騰する石」という意味のギリシア語に基づく。沸石は水(H2O)を含んでおり、加熱するとその水が脱離してまるで沸騰しているように見えることに由来している。今となっては沸石(ゼオライト)は鉱物学的には特定のまとまりを示す名称であり、沸石超族の略称として使用されている。そして沸石は、シリコン(Si)、アルミニウム(Al)、酸素(O)で編まれた籠を組み合わせた構造となっており、シリコン-アルミニウム置換による電荷不足を中和するように陽イオンを籠の中に取り込む。鉱物分類としては、まず骨格構造によって系列(シリーズ)が分けられ、その次に陽イオンによって個別の種が確定する。カゴの中には水も含まれるが、それは鉱物種の分類には使われない。エリオン沸石の骨格は国際ゼオライト学会により「ERI」と名付けられ、優れた陽イオン交換性を有する特徴がある[3]。ただし、その結晶は鋭く尖って砕ける特徴があるために、吸引による発がん性があることが指摘されている。

エリオン沸石の歴史を振り返ってみよう。1898年にアメリカオレゴン州のDurkee Fire Opal鉱山から羊の毛のような集合体の鉱物が発見され、ギリシャ語で羊毛を意味する「εριον」にちなんでエリオン沸石(Erionite)と命名された[4]。そのエリオン沸石はナトリウム(Na)タイプであったので、沸石超族の命名規約でこれがソーダエリオン沸石(Erionite-Na)とされる。続いて1964年にアメリカオレゴン州のRomeから報告されていたエリオン沸石[5]がカリウム(K)タイプだったので、これを元にカリエリオン沸石(Erionite-K)も確立される。カルシウム(Ca)タイプはエリオン沸石の中で最も新しく、1967年に原田らが報告した新潟県間瀬のエリオン沸石が灰エリオン沸石(Erionite-Ca)という新種に再分類された。また、最初のエリオン沸石の産地、アメリカオレゴン州のDurkee Fire Opal鉱山からもカルシウムタイプが発見されている。

写真は模式地と福島県霊山町の灰エリオン沸石になる。模式地の標本には累帯構造があり、分析箇所によって灰エリオン沸石、ソーダエリオン沸石、カリエリオン沸石のいずれも出てくる。根元のほうに灰エリオン沸石が多い傾向が見られた。一方の霊山町の標本については累帯構造がなく、全体が灰エリオン沸石になる。

[1] 第一文献
[2] Coombs D.S., Alberti A., Armbruster T., Artioli G., Colella C., Galli E., Grice J.D., Liebau F., Mandarino J.A., Minato H., Nickel E.H., Passaglia E., Peacor D.R., Quartieri S., Rinaldi .R, Ross M., Sheppard R.A., Tillmanns E., Vezzalini G., (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names, The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606.
[3] 第二文献
[4] Eakle A.S. (1898) Erionite, a new zeolite, American Journal of Science, 156, 66-68.
[5] Eberly P.E. (1964) Absorption properties of naturally occurring erionite and its cationic-exchanged forms. American Mineralogist, 49, 30-40.

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IMA No./year: 1968-004a
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M16183, National School of Mines, Paris, France; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 121005 (Handbook of Mineralogyから引用)

褐錫鉱 / Stannoidite

Cu8(Fe,Zn)3Sn2S12

模式地:岡山県美作市金生鉱山

第一文献:Kato A. (1969) Stannoidite, Cu5(Fe,Zn)2SnS8, a new stannite-like mineral from the Konjo mine, Okayama Prefecture, Japan. Bulletin National Science Museum, Tokyo, 12, 165-172.

第二文献:Kudoh Y., Takéuchi Y. (1976) The superstructure of stannoidite. Zeitschrift für Kristallographie, 144, 145-160.

褐錫鉱 / Stannoidite
模式地標本

褐錫鉱 / Stannoidite
上の標本の拡大写真。
中央の大きめの割れ口を見せる褐錫鉱を金色が強めモースン鉱が取り囲む。

褐錫鉱 / Stannoidite
栃木県日光市足尾銅山

褐錫鉱 / Stannoidite
兵庫県朝来市生野鉱山

褐錫鉱 / Stannoidite
静岡県下田市河津鉱山

褐錫鉱は国立科学博物館の加藤昭によって見いだされた新鉱物で、黄錫鉱(Stannite)と物理・化学的性質が似ていることから、「類似」を表すギリシア語「eidos」(もしくはラテン語「oïda」)を併せてStannoiditeと命名された。その独特な色と化学成分から和名では褐錫鉱と呼ぶ。読みは「かっしゃくこう」である。

加藤が著した原著論文には発見の経緯が記されている[1]。それ補足する形で褐錫鉱が承認されるまでの流れを追ってみたい。まず黄錫鉱という鉱物があり、それはそうとう以前から知られていた。そして研究者らが黄錫鉱を調べている中で黄錫鉱としては異常な光学性をもつ鉱物が見いだされていくようになる。それらは「Isostannite」や「Zinnkies?」などと呼ばれていたが、1960年に「Hexastannite」と呼ばれるようになる[2]。その一方でそれは新鉱物とするにはデータが不足しており、詳細なデータがそろうまで名前だけの存在であった[3]。そして日本からもこのHexastanniteが各地の鉱山から報告されるようになっていくが、微細なため光学的性質からの同定にとどまっていた[4-6]。

そのような状況であったが、単結晶X線回折にも使える大きなHexastanniteが岡山県金生(こんじょう)鉱山から見いだされた。加藤はこのHexastanniteからデータを集め、国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物・命名委員会は加藤に対して新しい名前を付けることを許可し、褐錫鉱(Stannoidite)が生まれることになった。一方で、Hexastanniteは模式標本の研究が完了するまでその名前を残すことになった。後の研究でHexastanniteは褐錫鉱と同じ鉱物であることが判明したとされるが、その具体的な文献を見つけることができなかった。国産のHexastanniteについては再検証が行われており、いずれも褐錫鉱であることが判明している[7]。また褐錫鉱の化学組成は当初はCu5(Fe,Zn)2SnS8と報告されたが、後の単結晶X線解析によってCu8(Fe,Zn)3Sn2S12へ改められた[8]。

写真はいくつかの産地からの標本となる。記載論文は褐錫鉱の独特の色を「blass brown」と表現した。粒子が大きいと褐色が強く出るためそういった標本は肉眼でも鑑定は容易だが、微細な場合はほぼ黒一色となり、見た目での鑑定が不可能になる。しばしば結晶の周囲がモースン鉱(Mawsonite: Cu6Fe2SnS8)で取り囲まれる。

[1] 第一文献
[2] Ramdohr P. (1960) Die Erzmineralien und ihre Verwachsungen, 3rd Ed. P514-515.
[3] Fleischer M. (1961) New Mineral Names, American Mineralogist, 46, 1204.
[4] Nakamura T. (1961) Mineralization and wall-rock alteration at the Ashio copper mine, Japan. Jounal Institute Polytechnics, Osaka City University, ser.G., v.5, 53-127.
[5] 清水照夫, 加藤昭, 松尾源一郎 (1966) 京都府富国鉱山産の鉱物 特にコサラ鉱・ブーランジェ鉱・六方黄錫鉱・次成砒素鉱物について. 地学研究, 17, 201-209.
[6] 今井秀喜, 藤木良規, 塚越重明 (1967) 近畿地方西部の中生代後期ないし新生代初期鉱床生成区. 鉱山地質, 17, 50 (第17回学術講演要旨).
[7] Kato A. and Fujiki Y. (1969) The occurrence of stannoidites from the xenothermal ore deposits of the Akenobe, Ikuno, and Tada mines, Hyogo Prefecture, and the Fukoku mine, Kyoto Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 5, 417-433.
[8] 第二文献

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IMA No./year: 1968-014
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 M16403, National School of Mines, Paris, France; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 121926, 160136 (Handbook of Mineralogyから引用)

河津鉱 / Kawazulite

Bi2Te2Se

模式地:静岡県下田市河津鉱山

第一文献: Kato A (1970) Kawazulite Bi2Te2Se, in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 39, 87-88.

第二文献:Miller R (1981) Kawazulite Bi2Te2Se, related bismuth minerals and selenian covellite from the Northwest Territories. The Canadian Mineralogist, 19, 341-348.

河津鉱 / Kawazulite
河津鉱山大沢樋2号坑

河津鉱は国立科学博物館の加藤昭によって記載された新鉱物で、発見地である河津鉱山から名付けられた。1969年の鉱物学会で河津鉱が発表され[1]、1970年に地質調査所から発行されたIntroduction to Japanese Mineralsでも紹介されいるものの[2]、現在までに正規の記載論文は出版されていない。また、タイプ標本は櫻井欽一の標本であることが知られる[3]。その当時、河津鉱の確実な標本は櫻井標本の一個体だけだった[4]。

河津鉱山は安山岩質岩を母岩とした中温の熱水鉱床で金を伴う。いくつかの鉱脈と支山が知られ、南西側にある大沢樋と檜沢樋では黄鉄鉱化作用を伴ったテルルに富む鉱脈を採掘していた。そのため櫻井標本の河津鉱は大沢樋もしくは檜沢樋のどちらかから産出したものと推測されるが、文献にはその詳細が書かれていない。またこれらの樋も実際は大沢樋○号坑といった様にさらに細分化されており、その何号坑かで産出鉱物組み合わせが変わってくる。そのため自分の標本ならば樋や坑といった詳細な産地もラベルに記載したい。

海外では1981年にカナダ、ノースウエスト準州にある小規模なウラン(U)-銅(Cu)鉱床から河津鉱が見いだされている[5]。その後、アメリカやロシア、日本でも寿都鉱山[6]から産出が知られるようになったが、稀少鉱物であり資源として利用もないことから、河津鉱は愛石家の間だけで主に認識される鉱物であろう。一方で物質としてのBi2Te2Seは鉱物の河津鉱より先に合成物で知られており[7]、こちらは今現在の物理業界では大変有名となっている。2016年のノーベル物理学賞を受賞した研究者によって理論的に予想されていた「トポロジカル絶縁体」、それを体現する物質の一つがBi2Te2Seであり、それは河津鉱の端成分。河津鉱は天然に生じるトポロジカル絶縁体と呼ばれた[8]。

上の写真は河津鉱山大沢樋2号坑から得られた河津鉱の標本となる。銀白色の非常に薄い板という典型的な惨状となっている。この標本は分析を行い河津鉱であることを確認してあるが、全く同様の産状で硫テルル蒼鉛鉱(Tetradymite) (Bi2Te2S)やパラグアナジュアト鉱 (Paraguanajuatite) (Bi2Se3)が産出する。また、一枚の板が河津鉱+ボーダノウィッチ鉱(Bohdanowiczite) (AgBiSe2)で構成されていることもあった。率直な感想では肉眼での鑑定はほとんど不可能に近いと思える。また下の写真は合成した河津鉱の結晶になる。天然では見かけることのない河津鉱の結晶だが、合成するのは容易である。

河津鉱 / Kawazulite
河津鉱の合成結晶

[1] 加藤昭 (1969) 新鉱物河津鉱(Kawazulite)Bi2Te2Se. 日本鉱物学会年会講演予講集, P33.
[2] Kato A. (1970) Kawazulite Bi2Te2S, in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 39, 87-88.
[3] Fleischer M. (1972) New mineral names. American Mineralogist, 57, 1311-1317.
[4] 加藤昭 (1973) 櫻井鉱物標本, 櫻井欽一博士還暦記念事業会, pp.177.
[5] Miller R. (1981) Kawazulite Bi2Te2Se, related bismuth minerals and selenian covellite from the Northwest Territories. The Canadian Mineralogist, 19, 341-348.
[6] Shimizu M., Schmidt S.T., Stanley C.J., Tsunoda K.(1995) Kawazulite and unnamed Bi3(Te, Se, S)4in Ag-Bi-Te-Se-S mineralization from the Suttsu mine, Hokkaido, Japan. Neues Jahrbuch für Mineralogie – Abhandlungen, 169, 305–308.
[7] Nakajima S. (1963) The crystal structure of Bi2Te3-xSex. Journal of Physics and Chemistry of Solids, 24, 479-485.
[8] Gehring P., Benia H.M., Weng Y., Dinnebier R., Ast, C.R., Burghard M., Kern K. (2013) A Natural Topological Insulator. Nano Letters, 13, 1179-1184.

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IMA No./year: 1968-028(2012s.p.)
IMA Status: Rd (redefined)
模式標本:東北大学 (Handbook of Mineralogyから引用) → 産総研地質標本館GSJ M28255, GSJ M28842(坂野氏調べ)

神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite (原記載はKozulite)

NaNa2(Mn2+4Fe3+)Si8O22(OH)2

模式地:岩手県田野畑村田野畑鉱山松前沢鉱床

第一文献:南部松夫, 谷田勝俊, 北村強 (1969) 岩手県田野畑鉱山産新鉱物神津閃石について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 62, 311-328.

第二文献:Barkley M.C., Yang H., Downs R.T. (2010) Kôzulite, an Mn-rich alkali amphibole. Acta Crystallographica. E66, i83.

神津閃石 / Mangano-ferri-eckermannite
模式地標本 愛石家ほど受け入れられないかもしれないが、分析してみるとこれが神津閃石だった。神津閃石は含マンガンエッケルマン閃石と組成的に連続するので、見た目も基本的に同じ。

神津閃石は東北大学の南部松夫らによって岩手県田野畑鉱山から見いだされた新種の角閃石で、鉱物名は東北大学で岩石鉱物鉱床学教室を設立した鉱物学者・岩石学者の神津俶祐(こうづしゅくすけ)(1880-1955)にちなむ。南部は神津閃石の発見により櫻井賞第8号メダルを受賞した。

神津閃石は角閃石超族の一員である。角閃石超族はAB2C5T8O22W1-2を一般式としており、Oを除くアルファベットの部分に様々な元素が多様な置換様式で入る。その多様性により角閃石超族を構成する種は100を軽く越えており、時代を経るごとに一定の規約で種を分別することが困難になってきている。そのため角閃石の命名規約はこれまでに何度も改訂されており、現時点は2012年のものが最新である[1]。一方でこの命名規約は一律的では無い。多くの例外をもうけており、その内容は大変ややこしくなっている。いずれにしても角閃石の論文を読む際はいつの命名規約の時に書かれたものかを意識する必要がある。

神津閃石に関して言うとこれまでは神津閃石(Kozulite)という名称であったものが、2012年の改訂で化学組成の定義はそのままに名前が変更されてしまった。そのためIMA StatusはRd(redefined)となっている。この命名規約の肝を簡潔に記すと「マグネシウム(Mg)とアルミニウム(Al)を主成分とする種についてのみ根源名を認める」である。つまりマグネシウムとアルミニウムを主成分とするエッケルマン閃石からみて、神津閃石はマンガン(Mn2+)と三価鉄(Fe3+)を置換した内容となる。そして、マンガン優位を意味する「マンガノ(mangano)」と三価鉄優位を意味する「フェリ(ferri)」が根源名:エッケルマン閃石(eckermannite)の接頭語となり、結果、マンガノフェリエッケルマン閃石(Mangano-ferri-eckermannite)が現時点での正式な学名となっている。ただし日本では慣例的に和名で記すので、そこで神津閃石とすることには問題は無い。

南部らは神津閃石の産状や化学組成、X線回折パターンなど新鉱物記載には十分な鉱物学的情報を記載したが[2]、結晶構造の解析までは行っていない。2010年になり神津閃石の結晶構造解析を行ったという論文が出版されたが[3]、内容を見たら神津閃石ではなかった。この論文中で使用された結晶の化学組成の特徴をまとめるとMg > Mn2+およびFe3+ > Alであるため、これはマグネシオアルベソン閃石(Magnesio-arfvedsonite)である。田野畑産の試料を使ったことは確かなようであるが、いずれにしても客観的事実として神津閃石の結晶構造解析はいまだ行われていないことになる。

神津閃石はブラウン鉱・バラ輝石・石英などを伴い、肉眼的に帯赤黒色ないし黒色を示すことが第一文献に記されている。実際にこういったいわゆる神津閃石の標本は田野畑鉱山で多くみかける。ところがそれらを分析してみるとことごとくが神津閃石ではなかった。一方で、神津閃石は写真のようなオレンジ色の結晶の中から見つかる。このような結晶の多くは含マンガンマグネシオアルベソン閃石であるが、そこからほんのちょっと二価マンガンが増えれば神津閃石である。つまり含マンガンマグネシオアルベソン閃石と神津閃石は外観が共通し、見た目で分けることはできない。むしろ赤々黒々というのはなんらかの極端な変化が生じた結果の、まったくの別種になる。ただし、それも一筋縄ではいかず、なかなか難しい。

[1] Hawthorne F.C., Oberti R., Harlow G.E., Maresch W.V., Martin R.F., Schumacher J.C., Welch M.D. (2012) Nomenclature of the amphibole supergroup. American Mineralogist, 97, 2031-2048
[2] 第一文献
[3] 第二文献

アルカリ角閃石 / Alkari amphibole
模式地標本 一般にこうったものが神津閃石の標本とされていたが、調べた範囲では神津閃石ではないことだけは確実。一方でこういった標本は中身が複雑で鉱物種を特定することが非常に困難。とりあえずアルカリ角閃石としてラベルを書くほかない。

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IMA No./year: 1968-030
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 (Handbook of Mineralogyから引用)

阿仁鉱 / Anilite

Cu7S4

模式地:秋田県北秋田市阿仁鉱山(旧:阿仁町)

第一文献: Morimoto N., Koto K., Shimazaki Y. (1969) Anilite, Cu7S4, a new mineral. American Mineralogist, 54, 1256-1269.

第二文献:Koto K., Nobuo M. (1970) The crystal structure of anilite. Acta Crystallographica, B26, 915-924.

阿仁鉱 / Anilite
模式地標本

阿仁鉱は大阪大学の森本信男らによって見いだされた新鉱物で、模式地にちなんで命名された。森本は阿仁鉱の発見により櫻井賞第18号メダルを受賞している。

森本は阿仁鉱山からデュルレ鉱(Djurleite: Cu31S16)も見いだしており、これもかつて国産新鉱物と言われた。しかしそれはちょっと違う。日本産のデュルレ鉱の記載は本家の記載論文に先立って行われたための誤解であって、実際にはメキシコから先に見つかって命名されている[1,2]。それでも発見そのものはほぼ同時期だったこともまた誤解の原因であろう。デュルレ鉱はウプサラ大学の教授であったSeved Djurle(1928-2000)にちなんで命名され、阿仁鉱山においては阿仁鉱山と共通する外観のため、見た目で区別することができない。

阿仁鉱とデュルレ鉱は銅-硫黄(Cu-S)成分系の鉱物で、似たような化学組成で輝銅鉱(Chalcocite: Cu2S)と方輝銅鉱(Digenite: Cu1.8S)も知られる。これらをCuxSとして表すと、x=2が輝銅鉱、x=1.94がデュルレ鉱、x=1.8が方輝銅鉱となる。阿仁鉱はx=1.75である。一方でこれらが全部共存することはなく、生成の温度によって組み合わせが異なる。阿仁鉱はデュルレ鉱と共存することが多い[3]。ざっくり示すと、低温では阿仁鉱やデュルレ鉱が出現し、高温では輝銅鉱や方輝銅鉱が安定となる。

阿仁鉱の安定領域(とくに温度)は非常に狭い[4]。阿仁鉱は70℃以上でコベリンと方輝銅鉱へ分解してしまう。瞬間的に発生するような熱や衝撃にも非常に弱く、例えば分析用の薄片を作る際の研磨や、粉末X線回折のための乳鉢でのすりつぶしでもあっさり分解してしまう。それゆえに阿仁鉱は存在していたとしても方輝銅鉱として誤って認識されていた可能性がある。今となっては液体窒素で冷やしながら試料を加工することで阿仁鉱の粉末X線パーターンが取得できることが判明しており、多くの産地から阿仁鉱の産出が報告されている。

阿仁鉱山は元は金鉱山として開発されたが、次第に銀・銅が主な鉱石となり、享保年間には産銅日本一となったことが知られる。幾度かの休山をはさみ昭和の時代まで操業していた。写真の標本は阿仁鉱山から産出した結晶標本となる。一見では単結晶にみえる標本であっても、そのほとんどは阿仁鉱+デュルレ鉱の混合であることが知られている[3]。この標本もおそらくはそうであろう。阿仁鉱とデュルレ鉱の結晶構造では硫黄の配列がわりと似ており、その硫黄が並ぶ面を介してエピタキシャル関係が成立しやすい[3, 5]。

[1] Roseboom E.H. (1962) Djurleite, Cu1.96S, a new mineral. American Mineralogist, 47, 1181-1184.
[2] Morimoto N (1962) Djurleite, a new copper sulphide mineral. Mineralogical Journal, 3, 338-344.
[3] 第一文献
[4] Morimoto N., Koto K. (1970) Phase relations of the Cu-S system at low temperatures: stability of anilite. American Mineralogist, 55, 106-117.
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1969-024
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 MA5635; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, C252, 98012, 94600(Handbook of Mineralogyから引用)

若林鉱 / Wakabayashilite

(As,Sb)6As4S14

模式地:群馬県下仁田町西ノ牧鉱山

第一文献: Kato A., Sakurai K., Ohsumi K. (1970) Wakabayashilite (As,Sb)11S18, in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 39, 92-93.

第二文献: Bindi L, Bonazzi P, Zoppi M, Spry P G (2014) Chemical variability in wakabayashilite: a real feature or an analytical artifact?. Mineralogical Magazine, 78, 693-702.

若林鉱 / Wakabayashilite
模式地標本

若林鉱は国立科学博物館の加藤昭らによって群馬県西ノ牧鉱山から発見され、若林弥一郎にちなみ命名された。模式地の若林鉱について記載論文はこれまで出版されておらず、Introduction to Japanese Mineralsにおいてその概略が報告されるにとどまっている[1]。また若林鉱の二番目の産地としてアメリカのWhite Cap鉱山も同時に記されている[1]。

若林弥一郎(1874-1943)は東京帝国大学を卒業し、三菱鉱業の鉱山技師として奉職した。若林は鉱物収集家としても有名で、後に若林標本と呼ばれる鉱物コレクションを遺す。若林標本は東京大学総合博物館に寄贈され、東大出版会から型録が出版されている[2]。若林標本について実質的な標本管理を行った豊遙秋によって、「雄黄」とラベルがついた西ノ牧鉱山産の標本に若林鉱が伴われていることが見いだされた。また若林標本は古くから研究に使用されて、その成果はBirträge zur Mineralogie von Japan[3]や日本鉱物誌第三版[4]にも収録されている。

西ノ牧鉱山は昭和20年代から採掘された鉱山で、安山岩中の石英脈に伴われる鶏冠石(Realgar)や雄黄(Opiment)を鉱石としていた。いずれも砒素(As)と硫黄(S)からなる鉱物で、鶏冠石は華々しく目立つ赤色を特徴としている。雄黄もその名が示すように黄色を呈する鉱物で、通常は塊状や箔状で産出するが、西ノ牧鉱山では針状の産状が知られていた。実際はこれが若林鉱であったが、以前は深く調べられることもなく「針状雄黄」という名前で標本が流通していた。

記載論文が出版されていないためこの針状雄黄が調べられた経緯は定かではないが、加藤らの研究によってこの針状雄黄は新種であることが判明し、若林鉱と命名されて1969年に新鉱物としての承認を受けている[1]。一方で若林鉱の化学組成と結晶構造については検証が続けられ、まだ結論がついていない。2005年に化学組成と結晶構造が更新されているが[5]、最新の研究結果では若林鉱の結晶構造はAs4S5分子群のみで構成されている可能性が示唆されている[6]。

写真の標本は模式地からの標本となる。石英の晶洞には赤い鶏冠石と黄色塊状の雄黄に針状の若林鉱が伴われる。若林鉱は群馬県から発見された最初の新鉱物である。そして群馬県産の新鉱物はこれ以降も人名にちなむ例が続くことになる。

[1] 第一文献
[2] Sadanaga R., Bunno M. (1974) The Wakabayashi Mineral Collection. The University Museum, The University of Tokyo, University of Tokyo Press, pp.177.
[3] Ito T. (1937) Birträge zur Mineralogie von Japan (II). 鉱物會, pp.168.
[4] 伊藤貞一, 櫻井欽一 (1947) 日本鉱物誌第三版 上巻, 中文館書店, pp.568.
[5] Bonazzi P., Lampronti G.I., Bindi L., Zandari S. (2005) Wakabayashilite, [(As,Sb)6S9][As4S5]: crystal structure, psuedosymmetry, twinning, and revised chemical formula. American Mineralogist, 90, 1108-1114.
[6] 第二文献

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総評_1970s

1970年代に見出された日本産新鉱物のうち、25種をここに掲載している。そのうちルテニイリドスミン、ソーダレビ沸石、灰単斜プチロル沸石、奴奈川石は新鉱物として申請された経緯を持たず、後世の命名規約の成立によって新鉱物に昇格した。また中宇利石についてはほぼ確実に化学組成が間違っている。格子定数すら危うい。しかしこれは情報の更新が必要であっても抹消にはならないと思われる。発見の優先権はそれほど強い。欽一石については記載された模式標本がゼーマン石であるということが判明し、ともすれば抹消される危機であったが、同時に欽一石の定義がすり替わったこともあって日本産新鉱物として生き残っている。こちらは模式標本の更新が必要になるだろう。

一方で、一旦承認されながらも後に日本産という立場が消えた鉱物が水酸エレスタド石である。それは先行研究の取り扱いにミスがあったが、審査の段階では誰も気づかず、後に命名規約を作る際の洗い直しで誤りを指摘された。結果的に水酸エレスタド石の模式地はアメリカに再設定されることになった。また一旦承認されながらも後に定まった分類ルールや命名規約によって独立種から亜種へ格下げとなった鉱物として、磐城鉱がある。そのほか、オフィシャルリストには日本産として掲載があるものの、その理由が釈然としない鉱物としてブセル石と苦土ジュルゴルド石が挙げられる。ブセル石は承認された経緯すら怪しく、苦土ジュルゴルド石については名前だけ先に設定された架空の存在にすぎない。これらが日本産新鉱物と登録されている学術的・論理的な事由を導くことはできす、オフィシャルリストが誤っているとしか断じ得ない。水酸エレスタド石、磐城鉱、ブセル石、苦土ジュルゴルド石については「日本から発見された新鉱物たち(その他)」に分類することが妥当だと判断する。

研究上の特徴としての1970年代は、電子線プローブマイクロアナライザー(EPMA)の登場が挙げられる。これは鏡面研磨された鉱物に細く絞った電子線を当て、そこから放射される特性X線から化学組成を得る技術である。その特性X線をエネルギーとして分光する手法をEDSやEDXと呼び、波長で分光することをWDSやWDXと呼ぶ。WDS(WDX)やEDS(EDX)は広義のEPMAであるが、EPMAとWDS(WDX)は同義で使用され、EDS(EDX)とは分けて呼ぶことがこの年代からすでに一般化されつつあった。いずれにしても(広義の)EPMAはこれまでたいへんに困難であった鉱物の化学組成分析を大幅に簡易化した。また導入された直後はその信頼性に疑義を持つ人は少なくなかったが、1970年代後半までには信頼性が確立されて多くの研究に採り入れられている。とりわけWDS(WDX)については現代でもその機構は全く変わっておらず、もともとかなり完成された手法だったと言える。そして(広義の)EPMAはこれまで主流だった湿式分析法を完全に駆逐してしまうことになる。

世界規模でみると(広義の)EPMAの登場によって鉱物種の数は飛躍的に増加したことは間違いない。しかし、日本においてはそんなこともない。1970年代は25種あるが、続く1980年代は19種、1990年代に至っては16種と、むしろ減っていく。これには鉱山の閉山などの側面もあるが、(広義の)EPMAの登場と発展によって研究面での幅が広がり、新鉱物の記載がむしろ鉱物学研究の主流から逸れていく過程が反映されていると認識している。それはともかくも、1970年代は平均すれば年に2個以上の新鉱物が発見されるという時代で、日本新産鉱物も次々に見つかっていた。鉱物記載を中心に据える研究者も多かった。また、産地はまだまだ荒廃しておらず、その頃から活躍していた古老の体験談は瑞々しさにあふれている。1970年代は愛石家にとっても楽しい時代だったようだ。

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IMA No./year: 1970-034
IMA Status: A (approved)
模式標本:東北大学(Handbook of Mineralogyから引用)(現在は産総研地質標本館に存在すると推測される)

高根鉱 / Takanelite

(Mn2+,Ca)2xMn4+1-xO2·0.7H2O

模式地:愛媛県西予市野村鉱山(旧:野村村)

第一文献: 南部松夫, 谷田勝俊 (1971) 新鉱物高根鉱について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 65, 1-15.

第二文献: Kim S.J. (1991) New characterization of takanelite. American Mineralogist, 76, 1426-1430.

高根鉱 / Takanelite
模式地(丸野鉱床)標本

高根鉱は東北大学の南部松夫と谷田勝俊によって愛媛県野村鉱山から発見された新鉱物で、X線結晶学の進歩発展に貢献した東北大学の高根勝利(1899-1945)にちなんで命名された。当初は東北大学に模式標本が保管されていたようだが、南部の標本は地質調査所(現・産総研地質標本館)へ移管されているので[1]、現在は地質標本館に保管されているものと思われる。

高根鉱はランシー鉱(Ranciéite: (Ca,Mn2+)0.2(Mn4+,Mn3+)O2·0.6H2O)からみてカルシウム(Ca)を二価マンガン(Mn2+)へ置換した鉱物として発表された[2]。南部らは本邦におけるランシー鉱の分布を調査し、その二価マンガン置換体の存在を予想して研究に臨んだことが第一文献に記してある。そして愛媛県野村鉱山から南部が予想していた二価マンガン置換体が見いだされた。高根鉱は1967年8月に採集され、3年後の1970年に新鉱物の承認が与えられている。

愛媛県には「野村」の名を冠する鉱山が私の知るところで3カ所ある。一つはドロマイト鉱床で、旧・野村町伊勢井谷にあった。もう一つが旧・野村町植木にある野村鉱山で、キースラーガ鉱床の銅を主に採掘していた。ここの鉱石は金にも富み、鉱石1トンあたりに最大で29グラムの金が含まれたという[3]。高根鉱を産した野村鉱山は同じく旧・野村町植木にあり、キースラーガ鉱床のやや南に位置する。ここはいわゆるマンガン山で、二酸化マンガンが主な鉱石となっている。南部らが訪れた際は丸野鉱床と東官山鉱床が採掘されていた。高根鉱は丸野鉱床の最下部10号坑で見いだされている。

高根鉱は単独で産出することはなく、必ず2種類以上の鉱物が密雑して共生することが知られる。第一文献によると共生鉱物は、クリプトメレン鉱(Cryptomelane: K(Mn4+7Mn3+)O16)、軟マンガン鉱(Pyrolusite: MnO2)、エンスート鉱(Nsutite: Mn2+xMn4+1-xO2-2x(OH)2x)、バーネス鉱(Birnessite: (Na,Ca,K)0.6(Mn4+,Mn3+)2O4·1.5H2O)、および轟石(Todorokite: (Na,Ca,K,Ba,Sr)1-x(Mn,Mg,Al)6O12·3-4H2O)とされる。いずれも(含水)マンガン酸化物であり、標本の外観上の特徴と構成鉱物の一義的な対応は困難である。高根鉱の分離は試みられてものの、どうしても少量の不純物は残ってしまう。

不純物の存在と結晶性の低さに起因して、高根鉱の化学組成および結晶構造は完全には解明されてない。記載論文は含水量に関して問題点が残っていることに言及し、またX線回折線について韓国産の高根鉱を用いた研究で指数の割り振りが更新されている[4]。一方でランシー鉱については化学組成と結晶構造は決まっており[5]、高根鉱についてもその解明が期待される。

高根鉱の標本は二つ所有しており見た目は同じである。X線回折で確認してみると、ひとつは高根鉱と軟マンガン鉱が検出され、もうひとつの標本は高根鉱とエンスート鉱の共生であった。写真は軟マンガン鉱と共生している高根鉱の標本となる。

[1] 坂巻幸雄 (1988) 南部鉱石標本-山岡標本、筑波へ. 地質ニュース, 410, 9-10.
[2] 第一文献
[3] 愛媛県の金銀鉱資源. 愛媛県地下資源資料, 10, 11-24.
[4] 第二文献
[5] Ertl A., Pertlik F., Prem M., Post J.E., Kim S.J., Brandstatter F., Schuster R. (2005) Ranciéite crystals from Friesach, Carinthia, Austria. European Journal of Mineralogy, 17, 163-172.

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IMA No./year: 1971-032
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館M18829(Handbook of Mineralogyから引用)

南部石 / Nambulite

LiMn2+4Si5O14(OH)

模式地:岩手県洋野町舟子沢鉱山

第一文献: Yoshii M., Aoki Y., Maeda K. (1972) Nambulite, a new lithium- and sodium-bearing manganese silicate from the Funakozawa mine, northeastern Japan. Mineralogical Journal, 7, 29-44

第二文献: Nagashima M, Armbruster T, Kolitsch U, Pettke T (2014) The relation between Li ↔ Na substitution and hydrogen bonding in five-periodic single-chain silicates nambulite and marsturite: A single-crystal X-ray study. American Mineralogist, 99, 1462-1470.

南部石 / Nambulite
模式地標本

南部石 / Nambulite
岩手県軽米町立川鉱山

南部石 / Nambulite
岩手県九戸市高松鉱山

南部石 / Nambulite
岩手県山田町大谷山鉱山

南部石 / Nambulite
栃木県鹿沼市堂ノ入鉱山

南部石 / Nambulite
福島県いわき市御斎所鉱山

南部石は地質調査所の吉井守正らによって記載された新鉱物で、東北大学教授の南部松夫にちなみ命名された。最初の標本は岩手県舟子沢鉱山の鉱山長だった大倉嘉造によって採集されている。その鑑定が地質調査所の吉井に依頼された流れとなる。当初はバラ輝石と考えられていたが、その後の詳しい調査によってリチウム(Li)を含む新鉱物であることが判明する。吉井は南部石の発見により櫻井賞(第10号メダル)を受賞している。

南部松夫(1917-2009)は東北帝国大学岩石鉱物鉱床教室を卒業し、同大学の選鉱精錬研究所に退職まで勤めた。南部は多くの金属鉱床について研究を行い、その研究の過程で日本産新鉱物の赤金鉱、萬次郎鉱、神津閃石、高根鉱、上国石について筆頭で研究をまとめている。また東北地方の鉱物誌や鉱床誌を執筆し、収集された標本は南部標本として地質標本館などに寄贈された[2-4]。

吉井らが報告した南部石にはリチウム(Li)とナトリウム(Na)が含まれ、わずかにリチウムが多いものの、その量比はLi : Na = 1.00 : 0.98とほとんど等しかった[1]。そのため南部石として最初に提案された化学組成式はLiNaMn8Si10O28(OH)2であった。ところがこの化学組成はいきなり疑問が投げかけられる。南部石の記載論文の次ページから始まる当時ハーバード大学にいた伊藤順の論文では、合成実験の結果に基づくと南部石の化学組成式はLiMn4Si5O14(OH)となるべきだと書かれている[5]。そして大阪大学の成田らによって南部石の単結晶解析が行われ、伊藤から提案されていた化学式が正しいことが確認された[6]。この研究に使用された試料は舟子沢産の南部石である。また後にリチウム-ナトリウム置換に伴う水素結合様式の変化も報告されている[7]。

記載論文によると舟小沢鉱山で見つかった南部石の結晶は8ミリの柱状結晶でオレンジ色を帯びた赤褐色とされるが、今となってはそのような立派な標本は望めない。舟子沢のズリで得られる南部石は色も赤褐色ではなくオレンジ色が強い小さな断片程度である。世界石には稀であるが日本では近隣の鉱山や栃木県でも産出があるように、割と産地は多い。その多くはオレンジ色の塊として得られる。福島県御斎所鉱山では方解石に埋没した結晶が産出し、塩酸処理することで美しい結晶標本となる。ナミビアのKombat鉱山から産出した南部石の結晶は宝石用にカットされたことがある[8]。

[1] 第一文献
[2] 坂巻幸雄 (1988) 南部鉱石標本-山岡標本、筑波へ. 地質ニュース, 410, 9-10.
[3] 南部松夫 (1969) 福島県鉱物誌. 福島県企画開発部開発課, pp.265.
[4] 南部松夫 (1972) 宮城県鉱物誌. 宮城県商工労働部中小企業課, pp.141.
[5] Ito J. (1972) Synthesis and crystal chemistry of Li-hysro-pyroxenoids. Mineralogical Journal, 7, 45-65.
[6] Narita H., Koto K., Morimoto N., Yoshii M. (1975) The crystal structure of nambulite (Li,Na)Mn4Si5O14(OH). Acta Crystallographica, B31, 2422-2426.
[7] 第二文献
[8] 砂川一郎 (1982) 南部石と杉石 日本で新鉱物として発見され、その後宝石質の結晶が見つかっためずらしい鉱物2種. 宝石学会誌, 9, 19-23.

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IMA No./year: 1973s.p.
IMA Status: Rd (redefined)
模式標本:設定なし

ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine

(Ir,Os,Ru)

模式地:北海道鷹泊地域ほか

第一文献: Harris D.C., Cabri L.J. (1973) The nomenclature of the natural alloys of osmium, iridium and ruthenium based on new compositional data of alloys from world-wide occurrences. The Canadian Mineralogist, 12, 104-112.

第二文献: Harris D.C., Cabri L.J. (1991) Nomenclature of platinum-group-element alloys: review and revision. The Canadian Mineralogist, 29, 231-237.

Placer of Platinum-group mineral
北海道雨竜川の砂金・砂白金
経験的には北海道から得られるこういった砂白金の半分以上がルテニイリドスミンであった。

ルテニイリドスミン / Rutheniridosmine
北海道羽幌町愛奴沢川
ルテニイリドスミンは耐摩耗性に優れるために結晶として得られることがある。

ルテニイリドスミンは新鉱物として申請された経緯をもっておらず、白金族鉱物の命名規約が改訂された際に誕生した新鉱物である。そしてそのときに参照されたデータのなかで、日本のものがもっとも古かったためにルテニイリドスミンの模式地が日本として登録されることになった。ルテニイリドスミンの名前が文献上に登場した1973年が公式リストに登録され、その経緯からIMA StatusはRd (redefined)となっている。

1936年、東北帝国大学の青山新一は北海道鷹泊地域を流れるニセイパロマップ川(雨竜川の支流)から得られた砂白金を非常に丁寧に分別・分析し、六方晶系でルテニウム(Ru)、オスミウム(Os)、イリジウム(Ir)がちょうど等しいという化学組成を得た。それまでそのような組成比を持つ白金族鉱物は知られておらず、青山はそれを新鉱物・ルテノスミリジウム(Ruthenosmiridium)と名付けた。論文は東北帝国大学理科報告に掲載され[1]、概要は岩石鉱物鉱床学会誌の研究短報文[2]や地質学雑誌の雑報[3]で報告されている。

しかし、ルテノスミリジウムは不遇であった。1963年に成立した最初の命名規約の中で「Osmiridium」という名前は立方晶系の鉱物に対して付くものだと定義された[4]。そうなるとルテノスミリジウム(Ruthenosmiridium)は六方晶系の鉱物であるが、立方晶系を意味する名称がつくという矛盾を抱えた鉱物になった。それが嫌忌されたのか、この命名規約はルテノスミリジウムの存在を完全に無視し、言及すらしなかった。そのためにルテノスミリジウムはこれ以降の学術文献や教科書にも登場しないという事態になる。例えば1966年にStrunzが出版した著名な「Mineralogische Tabellen」という教科書の中にある鉱物名リストでも青山のルテノスミリジウムの記述は無く、代わりに「Ruthen-Iridosmium」という似ているが異なった名前が登場している[5]。さらに1970年に出版されたIntroduction to Japanese Mineralsにおいてルテノスミリジウムは「日本から最初に発見されたが疑問符が付けられた鉱物」に分類された[6]。

それでも1973年に改訂された命名規約によってルテノスミリジウムの名誉は回復されることになる[7]。この命名規約にはルテノスミリジウムの名前がこれまで不当に扱われていたことが明記され、ルテノスミリジウムは改めて一つの鉱物種として復活した[7]。その一方で名前と実体は離れて設定されてしまう。この命名規約では諸事情を考慮して、ルテノスミリジウムという名前はルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)の三角図でイリジウム側の一部に当てはめることになった(下図1)。そしてこの三角図の大部分を占める領域に対しては、新たにルテニイリドスミン(Rutheniridosmine)という名前がもうけられた(下図1)。当初ルテノスミリジウムとして発表された鉱物は、新しい定義ではルテニイリドスミンの組成領域に該当し、データとして引用されている文献の中でもっとも古いものが青山の論文であったことから、ルテニイリドスミンの模式地として日本がオフィシャルリストに掲載されることになった。

白金族鉱物の命名規約は1991年に再び改訂を受ける[8]。そこでは化学組成に対して50%で種を分け、また結晶構造についても考慮されている。結果として結晶構造の制約からルテニイリドスミンの範囲はかなり限定されることになった(下図2)。青山のデータはこの図の中でほぼ重心の位置にプロットされる。またこの時点でルテノスミリジウムは抹消となった[9]。この命名規約は全体的に完成度が高く、今後は改訂されることはないだろう。それでもこれまでに何度も命名規約が改訂された弊害は感じられ、最新の研究報告であっても未だに古い名前が登場することがある。

写真の標本は北海道雨竜川からの砂白金となる。おそらくは供給元が近いせいだろう、割と大きな粒子が存在している。砂白金は見た目での区別ができない。分析してみると自然オスミウム、自然イリジウム、ルテニイリドスミンが見つかった。ルテニイリドスミンの一部には輝イリジウム鉱(Irarsite: IrAsS)が伴われることがある。

1973年におけるRu-Os-Ir系鉱物種
図1. 1973年当時のルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)系の鉱物種。今はこの図を元に学術的な議論してはいけないが、命名規約が改訂を繰り返したこともあって未だにこの図を元にした発表がある。

1991年以降のRu-Os-Ir系鉱物種
図2. 1991年から現在までのルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)系の鉱物種。合計で4種にまとめられた。今後は改訂されることは無いだろう。

[1] Aoyama S. (1936) A New mineral “Ruthenosmiridium”. The Science reports of the Tohoku Imperial University. Series 1, Mathematics, Physics, Chemistry, Anniversary Voume dedicated to Professor Kotaro Honda, 527-547.
[2] 青山新一 (1936) 新鉱物ルテノスミリヂウム(Ruthenosmiridium). 岩石鉱物鉱床学会誌, 2, 77-79.
[3] 青山新一 (1936) 新鉱物ルテノスミリヂウム(Ruthenosmiridium). 地質学雑誌, 43, 634-636.
[4] Hey M.H. (1963) The nomenclature of natural alloys of osmium and iridium. Mineralogical Magazine, 33, 712-717.
[5] Strunz H. (1966) Mineralogische Tabellen 4th edition. p93. (pp.560).
[6] Ruthenosmiridium. in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 115-116.
[7] 第一文献
[8] 第二文献
[9] Jambor J.L., Grew E.S. (1992) New mineral names. American Mineralogist, 77, 207-213.

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IMA No./year: 1973-011
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館 M19511; National School of Mines, Paris, France (Handbook of Mineralogyから引用)

木下雲母 / Kinoshitalite

BaMg3(Si2Al2O10)(OH)2

模式地:岩手県野田村野田玉川鉱山

第一文献:吉井守正,前田憲二郎,加藤敏郎,渡辺武男,由井俊三,加藤昭,長島弘三(1973)岩手県野田玉川鉱山産新鉱物木下石(kinoshitalite),地学研究,24, 181-190.

第二文献:Gnos E., Armbruster T. (2000) Kinoshitalite, Ba(Mg)3(Al2Si2)O10(OH,F)2, a brittle mica from a manganese deposit in Oman: paragenesis and crystal chemistry. American Mineralogist, 85, 242-250.

木下雲母 / Kinoshitalite
模式地標本

木下雲母は地質調査所の吉井守正を中心とした研究チームによって記載された新鉱物で、九州大学名誉教授で鉱床学者の木下亀城(1896-1974)の栄誉を称えて命名された。木下亀城は東京帝国大学の地質学科にて黒鉱鉱床を研究し、いくつかの公的機関での勤務を経た後に九州帝国大学工学部にて教授に就任した。出版社から「鉱物」図鑑として執筆を依頼された原稿を、「鉱石」図鑑として上梓するなど徹底した鉱床屋であった。

野田玉川鉱山は堆積性の層状マンガン鉱床で花崗岩の接触により熱変成を受けている。吉村石が木下雲母に先立って記載されるように、この鉱床にはバリウム(Ba)を主成分とする鉱物の産出が知られていた。その中で吉井は鉱石中に多量に存在するマンガン(Mn)を含む金雲母に注目した。通常の金雲母と野田玉川鉱山からの金雲母ではその光学特性が逆となっていたのだ。続いて組成分析を行ったところ多量のバリウムが検出され、その一部は新鉱物に該当する化学組成であった。分析は地質調査所の前田が担当している[1]。

光学特性と化学組成の関連を議論するに当たり、バリウムに富む雲母を新鉱物として先に確立するほうが後の議論がスムーズとなる。吉井はバリウムに富む雲母を新鉱物とすべく国立科学博物館の加藤に相談したところ、渡辺・由井・加藤らも同じく野田玉川鉱山産のバリウムに富む金雲母を研究していたことが知らされた。そこでそれらの研究チームが合流し、フッ素の分析に定評のある筑波大学の長島も加わり、最終的に5研究機関にまたがる7名という多彩な顔ぶれで新鉱物の提案が行われた[1,2]。

木下雲母の結晶構造は最初に記載された時点で2種類の多形が存在することが明らかになっていたが、野田玉川鉱山産について大きい結晶の場合だとそのほとんどが1M型とされる[1]。後にオマーンのマンガン鉱床から報告された木下雲母も1M型の結晶構造であった[3]。

雲母は四面体と八面体の各シートとそれらの間にある陽イオンからなっている。そして雲母は一価の陽イオンを主成分とする純雲母(True Mica)と二価の陽イオンを主成分とする脆雲母(Brittle Mica)に分けられる[4]。二価の陽イオンのバリウムを主成分とする木下雲母は脆雲母になる。脆雲母には他にはカルシウム(Ca)を主成分とする真珠雲母(Margarite)がよく知られているが、周期律表でカルシウムとバリウムの間にあるストロンチウム(Sr)を主成分とする脆雲母は鉱物種としてはまだ確立されていない。唯一の例として糸魚川青海海岸の転石からストロンチウムに富む脆雲母の産出が報告されているのだが[5]、これは新鉱物として申請されていない。

写真に掲載した木下雲母は模式地の野田玉川鉱山から産出した標本となる。ブラウン色透明で、劈開は雲母らしく完全に発達しており、鱗片状に破断した面はガラス光沢となっている。テフロ石やバラ輝石が伴われるが肉眼的にはあまりはっきりしない。自分の標本としては京都府和束町や栃木県東小中鉱山などからも少量が見つかっている。また木下雲母の端成分にはマンガンが含まれていないが、調べた範囲内や文献ではいずれの木下雲母もマンガンを著量に含んでいることから、経験的には木下雲母の化学組成はBa(Mg,Mn2+)3(Si2Al2O10)(OH)2のように書くべきだと感じている。

[1] 第一文献
[2] 吉井守正 (1974) 最近北上産地で見つかった新しいマンガン鉱物(その2)木下石(Kinoshitalite). 地質ニュース, 237, 14-17.
[3] 第二文献
[4] Rieder M. et al. (1998) Nomenclature of the micas. The Canadian Mineralogist, 36, 905-912
[5] 宮島宏, 松原聰, 宮脇律郎 (2007) 新潟県糸魚川地方のコランダムに伴うプライスワーク雲母とストロンチウムに富む雲母. 日本鉱物科学会 2007年度年会, K8-05.

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IMA No./year: 1973-006
IMA Status: A(approved)
模式標本:岡山大学理学部地球科学科 ONM-01; Institute of Geological Sciences, London, England(Handbook of Mineralogyから引用)

備中石 / Bicchulite

Ca2Al2SiO6(OH) 2

模式地:岡山県高梁市備中町布賀道路際露頭
副模式地:Carneal, Glenoe, Co. Antrim, Northern Ireland, UK

第一文献:Henmi C., Kusachi I., Henmi K., Sabine P.A., Young B.R. (1973) A new mineral bicchulite, the natural analogue of gehlenite hydrate, from Fuka, Okayama Prefecture, Japan and Carneal, County Antrim, Northern Ireland. Mineralogical Journal, 7, 243-251.

第二文献:Sahl K. (1980) Refinement of the crystal structure of bicchulite, Ca2[Al2SiO6](OH)2. Zeitschrift für Kristallographie, 152, 13-21.

備中石 / Bicchulite
模式地標本 枡形結晶はゲーレン石の仮晶と言われているが、メリライトの仮晶と言った方が妥当だろう。備中石はその内部に存在していた。

備中石 / Bicchulite
破断面 破断面からそれぞれの鉱物を認識するのは不可能。

備中石 / Bicchulite
断面のSEM写真 全体的にはゲーレン石で、ゲーレン石中には数ミクロンのベスブ石の粒が網目状に散らばっている。数十ミクロン程度の比較的大きな粒は灰チタン石や磁鉄鉱。そういった中で備中石は弱線に沿って数十ミクロン程度のシミのように存在している。

備中石は岡山大学とイギリス地質科学研究所の研究チームによって記載された新鉱物で、名前は産地の備中町に因む。備中石はその名が示すとおり日本産の新鉱物という認識で間違いではないが、実は北アイルランド(Carneal)からもほぼ同時に発見されており、それぞれの模式標本は岡山大学とイギリス地質科学研究所に保管されている。

当初、備中石は岡山大学の研究者のみで新鉱物として申請されたのだが、その数日後にイギリス地質科学研究所のチームが北アイルランド産の同じ鉱物を申請してきた。ほんの数日の差であったため、新鉱物・鉱物・命名委員会の委員長であったMike Fleisherは二つの研究チームの合流を提案し、研究者らは委員長の提案を受け入れた[1]。このような経緯で備中石は国際研究チームで記載されることになった。名前に関しては最初に申請された備中石が採用されている。備中石発見の功績により筆頭著者である逸見千代子は櫻井賞第13号メダルを受賞した。

備中石の日本の産地である岡山県備中町布賀は高温型スカルンで特徴付けられる。まず「スカルン」とは炭酸塩岩とマグマとの反応生成物や反応そのものを指す言葉で、スカルンにはカルシウム(Ca)に富むケイ酸塩鉱物が特徴的に伴われる。そして「高温型スカルン」というと通常のスカルンよりも高い温度で変成を被ったスカルンのことを指す。一般的にスカルンは花崗岩質マグマを熱源として600℃程度以下で生成するが、高温型スカルンはより高温のマグマを熱源として温度が900℃程度にも達する。また伴われる熱水の化学組成も通常のスカルンとは異なるため、高温型スカルンには通常とは異なる珍しい鉱物群が伴われる。

高温型スカルンを代表する鉱物としてゲーレン石(Gehlenite)が知られる。日本での最初の発見は広島県久代からで、岡山県三原鉱山からも産出が確認されている[2,3]。それらに次いで岡山県備中町布賀にゲーレン石を主成分とする高温型スカルンの産出が判明した[3]。岡山県備中町布賀は広島県久代と岡山県三原鉱山に挟まれる地域である。布賀の高温型スカルンには多数の希産鉱物が伴われることが徐々に明らかとなっていき、2018年までに布賀からは12種もの新鉱物が発見されている。備中石は布賀からの最初の新鉱物である。

備中石はゲーレン石と密接に関係している。備中石とゲーレン石の関係は化学組成でみるとわかりやすく、含水の備中石(Ca2Al2SiO6 (OH) 2)に対して無水のゲーレン石(Ca2Al2SiO7)となっている。備中石はゲーレン石が生成した後、変成作用の末期に温度低下と共に備中石へ変質したと考えられている[1]。ただし天然において備中石は常にベスブ石(Vesuvianite)と共存しており、記載論文に掲載された化学組成、X線回折パターンはいずれもベスブ石で汚染されている。それでも備中石-ゲーレン石の関係は合成実験によって明らかにされていたため[4]、ベスブ石の汚染があっても備中石の同定は可能であった。備中石の結晶構造は合成物を使用して明らかにされた[5]。

これぞ備中石と言えるような、そのものをよく表現している標本は現時点で入手できていない。一方で布賀のゲーレン石には少なからず備中石が含まれるとまことしやかに言われている。ゲーレン石という標本なら一つ持っていたので、それを自分で調べてみることにした。結果的に備中石は見つかったのでその内容と考察を少し記述する。

写真の標本について、最外部は変質で乳白色化しているが、長方形の外形は正方晶系のゲーレン石を思わせる標本である。内部は濁った緑色で、電子顕微鏡でみると全体はベスブ石を包有したゲーレン石であった。ただしその組織はどう見ても離溶を示唆している。高温では系の中に水が存在していてもゲーレン石はオケルマン石(Åkermanite)との間に固溶体を形成でき、その固溶体はメリライト(Melilite)と呼ばれる。そのため内部組織から成因を考えると、結果として今はモノがゲーレン石であっても、長方形の外形はメリライトの仮晶と言うべきだろう。そして温度低下と共にメリライトはゲーレン石とゲーレン石成分を含むオケルマン石に離溶し、オケルマン石は系の中に存在していた水と反応することでベスブ石となった、そんな組織である。備中石はそういった組織の中で弱線に沿って分布している。一連の変成反応の晩期に、最後に残った水とゲーレン石が反応して生成したと思われる。

[1] 第一文献
[2] 逸見吉之助, 草地功, 沼野忠之 (1971) 広島県東城町久代産の接触鉱物. (1)ゲーレン石およびハイドログロッシュラー. 鉱物学雑誌, 10, 160-169.
[3] 逸見吉之助, 沼野忠之, 草地功, 逸見千代子 (1976) ゲーレン石, スパー石を主とするスカルンの生成. 岩石鉱物鉱床学会誌, 特別号, 1, 329-340.
[4] Carlson E.T. (1964) Hydrothermal preparation of gehlenite hydrate. Journal of Research of NIST, 68A, 449-452.
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1974(1997s.p.)
IMA Status: Rn(renamed)
模式標本:不明

ソーダレビ沸石 / Lévyne-Na

Na6(Si12Al6)O36·18H2O

模式地:長崎県壱岐島長者原

第一文献:Mizota T., Shibuya G., Shimazu M., Takeshita Y. (1974) Mineralogical studies on levyne and erionite from Japan. The Memoir of the Geological Society of Japan, 11, 283-290.

第二文献:Ballirano P., Cametti (2013) Crystal chemical and structural investigation of levyne-Na. Mineralogical Magazine, 77, 2887-2899.

ソーダレビ沸石 / Lévyne-Na
模式地標本 ソーダレビ沸石は六角板状結晶(写真中央)が本来の姿であるが、この産地では表面に繊維状のソーダエリオン沸石を伴う姿が典型的な産状となっている。破断面ではソーダエリオン沸石の絹糸光沢が目立つが、その中心に存在する板はソーダレビ沸石となっている。

ソーダレビ沸石は新鉱物として申請された経歴をもっておらず、沸石族の命名規約の成立と同時に新たに定義された新鉱物である。レビ沸石の発見は古く1825年にはデンマークから見つかっている。そのレビ沸石はカルシウム(Ca)に富むタイプだったが、長崎県壱岐島の長者原(ちょうじゃばる)から産出したレビ沸石はナトリウム(Na)に富んでいた[1]。そして沸石族の命名規約が成立した際にカルシウムレビ沸石(Lévyne-Ca)とソーダレビ沸石(Lévyne-Na)が分けられ、それぞれが独立の鉱物として認められて今に至っている[2]。学名はフランスの鉱物学者であるServe-Dieu Abailard Lévy(1795-1841)に因む。

長者原からのソーダレビ沸石の最初の記載は1972年のことで、新潟大学の島津光夫と溝田忠人によって岩石鉱物鉱床学会誌で発表された[3]。このときは日本初産のレビ沸石という趣旨で記載されており、そのレビ沸石がナトリウムに富むことには特に注目されていない。1974年には溝田を筆頭著者としたより詳細な鉱物学的記載が地質学論集に掲載され、世界中のレビ沸石と比べて長者原のレビ沸石は最もナトリウム端成分に近いことが明記されている[1]。1997年に成立した沸石族の命名規約では1974年の論文を引用し[2]、それがソーダレビ沸石の論拠としてIMAのオフィシャルリストにも採用されている。オフィシャルリストに掲載されている第二文献は結晶構造を議論しており、実験には北アイルランド産の標本が使用されている[4]。

沸石族の命名規約は6つのルールからなるが、内容を簡単にまとめると沸石族は骨格構造の種類と化学組成で種を決めようという提案である[2]。沸石族の骨格構造は3個のアルファベットで表現される手法が国際ゼオライト学会により提案されており、骨格タイプコードとしてデータベース化されている。レビ沸石の場合だと骨格タイプコードは「LEV」と表現されている。これはそもそもレビ沸石の学名から採用された文字にすぎず、LやEやVに特別な意味は無い。骨格の内容は9つの四角形、5つの6角形、3つの八角形からなる大きな箱[496583]と、6つの四角形および2つの六角形からなる小さな箱[4662]が積み重なってできている。箱の骨格はシリコン(Si)、アルミニウム(Al)、酸素(O)からできており、その箱の中に水や陽イオンが入っている。鉱物名の前半はその骨格の種類に対して命名されるルート名であり、後半は最も多い陽イオンをサフィックスとして「-元素名」という形でくっつける。ソーダレビ沸石(Lévyne-Na)はLEVという3文字で代表される骨格を有したナトリウムが優勢となる沸石族鉱物である。

写真の標本は模式地である長崎県壱岐島の長者原で得られたソーダレビ沸石となる。海岸線に分布する玄武岩礫中にみられる杏仁状晶洞には、ナトリウムを主成分とする数種類の沸石が産出する。ソーダレビ沸石もそのうちの一種で、ほとんどの場合でソーダエリオン沸石 (erionite-Na)を密接に伴う。ソーダレビ沸石は6角板状結晶(写真中央)が本来の姿であるが、その表面から毛状のソーダエリオン沸石が成長しているという産状をよく見かける。これらはエピタキシャル関係であることが指摘されている[3]。

[1] 第一文献
[2] Coombs D.S., Alberti A., Armbruster T., Artioli G., Colella C., Galli E., Grice J.D., Liebau F., Mandarino J.A., Minato H., Nickel E.H., Passaglia E., Peacor D.R., Quartieri S., Rinaldi .R, Ross M., Sheppard R.A., Tillmanns E., Vezzalini G., (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names, The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606
[3] Shimazu M., Mizota T. (1972) Levyne and erionite from Chojabaru, Iki Island, Nagasaki Prefecture, Japan. The Journal of the Japanese Association of Mineralogists, Petrologists and Economic Geologists, 67, 418-424.
[4] 第二文献

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IMA No./year: 1974-010a
IMA Status: A(approved)
模式標本:東京大学総合博物館(第一文献から引用)

都茂鉱 / Tsumoite

BiTe

模式地:島根県益田市都茂鉱山(旧:美都町)

第一文献:Shimazaki H., Ozawa T. (1978) Tsumoite, BiTe, a new mineral from the Tsumo mine, Japan. American Mineralogist, 63, 1162-1165.

第二文献:Yamana K., Kihara K., Matsumoto T. (1979) Bismuth tellurides: BiTe and Bi4Te3. Acta Crystallographica, B35, 147-149.

都茂鉱 / Tsumoite
模式地旭鉱床

都茂鉱 / Tsumoite
長野県茅原市向谷鉱山

都茂鉱は東京大学の島崎英彦と小沢徹によって記載された新鉱物で、島根県美都町にあった都茂鉱山から見いだされた。学名も産地である都茂鉱山に因んでいる[1]。都茂鉱の記載論文は1978年にAmerican Mineralogistに掲載され、その翌年には都茂鉱の結晶構造は解かれている[2]。島崎は都茂鉱の発見により1981年に日本鉱物学会(当時)から櫻井賞(第19号)を受賞した。

都茂鉱山は平安時代には稼働していたとされ、矢対・嵯峨谷・芋尻・旭・都茂・宝来・丸山・空山・銀山などの鉱床が知られている。1970年の時点では丸山鉱床が稼働中、宝来・都茂・旭の3鉱床が探鉱中だったようだ[3]。都茂鉱山はスカルンに伴われる金属鉱床で、島崎はこのスカルンをテーマに卒業・修士論文において鉱床学的な研究を行い、その過程で後に都茂鉱となる鉱物を採集することになる。一方で得られた試料はわずかであったため、大量の試料を消費する当時の分析法には不向きであった。そのため都茂鉱は発見から10年ほどお蔵入りとなっていた。

時代が下り、電子顕微鏡の発達に伴い微少鉱物の化学組成を決定することが容易になったことで都茂鉱の研究は進展を見せる。都茂鉱の化学組成はビスマス(Bi)とテルル(Te)が1:1という単純な割合であった。ところがその当時BiTeの化学組成をもつウェーライト(Wehrlite)という鉱物が知られていた。島崎らはこのウェーライトについてその中身を検討したところ、これはピルゼン鉱(Pilsenite)とヘッス鉱(Hessite)の混じりモノであることが判明した。そのため、BiTeの化学組成をもつ鉱物は都茂鉱が初めてということになり、都茂鉱は新鉱物として認められた。一方のウェーライトは混合物を誤認したということで抹消となった。

都茂鉱は都茂鉱床の-60mレベルのごく一部の箇所から見いだされ、それはケイ酸塩鉱物を主体とするスカルン中に都茂鉱の微少粒がまばらに伴われる産状だったとされる[1]。後に旭鉱床から都茂鉱が見つかり、比較的多産したようだ。一枚目の写真に示した標本は旭鉱床からのもので、分離結晶となる。二枚目の写真は長野県向谷鉱山からの都茂鉱で、この産地ではヘドレイ鉱 (Hedleyite)やピルゼン鉱など他のBi-Te鉱物と共生することが知られている[4]。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] 太田茁司, 赤塚政美, 本多谷雄 (1970) 都茂鉱山の地質・鉱床と探査. 鉱山地質, 102, 1-9.
[4] 松原聰, 宮脇律郎, 横山一己, 重岡昌子, 原田明, 山田隆, 川島和子, 清水孝一, 宮島 浩 (2010) 長野県茅野市向谷鉱山産Bi-Te系鉱物. 日本鉱物科学会2010年年会講演要旨集, R1-09.

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IMA No./year: 1974-013
IMA Status: A(approved)
模式標本:鹿児島大学(第一文献から引用)

自然ルテニウム / Ruthenium

Ru

模式地:北海道幌加内(第一文献から引用):雨竜川(Hand book of Mineralogyから引用)

第一文献:Urashima Y., Wakabayashi T., Masaki T., Terasaki Y. (1974) Ruthenium, a new mineral from Horakanai, Hokkaido, Japan. Mineralogical Journal, 7, 438-444.

第二文献:設定なし

砂金と砂白金
幌加内地域から得られた砂白金。主にイリジウム系白金族元素(Ru, Os, Ir)を主成分とし、プラチナ系白金族元素(Rh, Pd, Pt)を主成分とするものは希。

自然ルテニウム / Ruthenium
北海道留萌地域から砂白金として得られた自然ルテニウムの結晶

砂白金断面
北海道留萌地域から砂白金として得られたイソフェロプラチナ鉱の断面。内部は共析組織を示し、暗い部分が自然ルテニウム。

自然ルテニウムは鹿児島大学の浦島幸世らによって見いだされた新鉱物で、ルテニウム(Ru)を端成分とする[1]。ルテニウムはロシア人化学者のKarl Ernst Claus(1796-1864)によって1844年に単離・発見・命名された白金族元素で、名称はロシアの語源となった「ルーシ」のラテン語訳「ルテニア」に因んでいる。こういった鉱物は元素名をそのまま学名とするため、英文では元素と鉱物のどちらを表現しているのか混乱することがある。一方、和文においては鉱物には「自然」の頭文字を付けて表現できるため、元素名と鉱物名を区別して扱うことが容易となっている。

ルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)を主成分とする白金族元素鉱物に対する命名規約は1973年に改訂を受け、下の図1に示す三角形で示される化学組成・名前で分けられることになった[2]。このときこの三角形には11種類もの鉱物名が記されている。そして命名規約は1991年に再度改訂を受けて今に至っている[3]。1991年の命名規約に従った三角形は下の図2に示した。これらを比較すると自然ルテニウムに該当する領域は大きく異なっていることが見て取れるだろう。

現代の基準で自然ルテニウムに該当する鉱物は1973年より前の時点でもニューギニア、カリフォルニア、ウラルから報告されている[2]。しかし1973年時の命名規約ではそれらはルテニイリドスミンに分類されており、当時の自然ルテニウムに該当する鉱物はまだ知られていない。この基準における自然ルテニウムにはRu-Os-Irの三成分系でRu成分が80%以上含まれている必要があった。

浦島らは櫻井欽一から砂白金の提供を受けて観察・分析を行ったなかで、粒の外縁に100×10マイクロメートルほどの鉱物が一粒伴われていることに気づいた。その鉱物は光学特性から六方晶系であることが推測され、分析では多量のルテニウムが検出された。そしてRu-Os-Irの三成分系にならすとその鉱物のRu成分は80%を越えていた。これはその当時の基準で未発見であった自然ルテニウムに該当した。こうして自然ルテニウムは天然に産出するルテニウムとして新種の鉱物になった。なお産地について浦島らの文献では幌加内という記述のみであるが、Hand book of Mineralogyには雨竜川という記述がある。

北海道の砂白金は今現在でも露出しているマグマ成分に枯渇したかんらん岩体を起源とするものと、具体的な起源は既に不明だが堆積岩に含まれるものがある。後者は主に留萌地域である。自分自身も砂白金を調べているところであり[4]、北海道の砂白金は産地を問わずイリジウム系白金族元素(Ru, Os, Ir)を主成分とする砂白金が主で、プラチナ系白金族元素(Rh, Pd, Pt)を主成分とする砂白金は希という特徴がある。イリジウム系白金族元素は固相に留まりやすいため[5]、堆積岩からの砂白金もその起源は枯渇したかんらん岩(蛇紋岩)なのであろう。いずれにしても北海道では自然ルテニウムは幌加内のみではなく、いろんなところで見つかる。

現在では自然ルテニウムはRu-Os-Irの三成分系においてRuが1/3を越えるものを指し、写真で紹介する自然ルテニウムもその基準に従って同定した。1枚目の写真はいわゆる砂白金であるが、こういった摩耗が進んだ姿では鉱物種を肉眼的に区別することは難しい。一方で結晶の形が見えていると簡単に判別でき、例えば2枚目の写真は北海道留萌地域から砂白金として得られた自然ルテニウムの結晶となる。また単独の粒として見つかるもの以外に、プラチナ系砂白金と共析する産状も見つけている(写真3枚目)。この共析組織と結晶の形はなんだかとてもよく似ている。

1973年におけるRu-Os-Ir系鉱物種
図1.1973年時点でのルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)系白金族元素鉱物の分類図。

1991年以降のRu-Os-Ir系鉱物種
図2.1991年以降のルテニウム(Ru)-オスミウム(Os)-イリジウム(Ir)系白金族元素鉱物の分類図。

[1] 第一文献
[2] Harris D.C., Cabri L.J. (1973) The nomenclature of the natural alloys of osmium, iridium and ruthenium based on new compositional data of alloys from world-wide occurrences. The Canadian Mineralogist, 12, 104-112.
[3] Harris D.C., Cabri L.J. (1991) Nomenclature of platinum-group-element alloys: review and revision. The Canadian Mineralogist, 29, 231-237.
[4] 浜根大輔、齋藤勝幸(2017)北海道の砂金・砂白金鉱床から見いだされた金-銀-錫鉱物、自然鉛および白金族元素含有鉱物について. 日本鉱物科学会2017年年会講演要旨集, R1-P12.
[5] Barnes S.J., Naldrett A.J., Gorton M.P. (1985) The origin of the fractionation of platinum-group elements in terrestrial magmas. Chemical Geology, 53, 303–323.

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IMA No./year: 1974-031
IMA Status: A(approved)
模式標本:文献上は不明。ただし新潟大学サイエンスミュージアムに模式標本のラベルがついた標本が展示されている。

青海石 / Ohmilite

Sr3(Ti,Fe3+)(Si2O6)2(O,OH)·2H2O

模式地:新潟県糸魚川市橋立(旧:青海町)

第一文献:Komatsu M., Chihara K., Mizota T. (1973) A new strontium-titanium hydrous silicate mineral from Ohmi, Niigata Prefecture, Central Japan. Mineralogical Journal, 7, 298-301

第二文献:Mizota T., Komatsu M., Chihara K. (1983) A refinement of the crystal structure of ohmilite, Sr3(Ti,Fe3+)(O,OH)(Si2O6)2 · 2–3H2O, American Mineralogist, 68, 811-817.

青海石 / Ohmilite
青海石 / Ohmilite
新潟県糸魚川市青海町橋立金山谷

青海石は新潟県青海町橋立から発見された新鉱物で、新潟大学の小松正幸、茅原一也、溝田忠人の連名による記載論文が1973年に出版された。しかしながらこの論文には青海石の名前は登場しない[1]。IMA No.は1974年の申請を意味しているため、論文が出版された後に新鉱物の申請を行ったと読み取れる。また論文中に明記されていないが学名は発見地である青海町に因んだと思われる。文献上で初めて青海石の名前が登場するのは1983年に出版された構造解析の論文となっている[2]。一連の研究を主導した茅原には、青海石発見の業績に対して1987年に櫻井賞第27号メダルが贈られた。

糸魚川地域はいわゆる翡翠が有名で、1939年に小滝地域でその存在が初めて報告された[3]。1958年には茅原によって青海地域からも翡翠の産出が報告されており[4]、これが一連の研究の始まりとなるだろう。そして青海石は1971年に見いだされたことが第一文献に記してある。具体的な産地については青海という記述しかないが、茅原が執筆した記事では橋立地域であることが読み取れる[5]。それ以上の詳細は学術文献には記載がない。また試料は川の転石かそれとも露頭から採集されたのかも明記されていない。ただし今では橋立にある金山谷が青海石の産地であることは知られている。

金山谷は蛇紋岩地帯となっている。その蛇紋岩にはヒスイ輝石岩、ロジン岩、苦土リーベック閃石と曹長石が主体となった曹長岩などが岩塊で胚胎されており、このような産状は蛇紋岩メランジュと呼ばれる。青海石が見いだされた曹長岩について茅原らは蛇紋岩を貫く岩脈と記述しているが[6]、そのような具体的な産状はいまでは見あたらない。いずれにしても金山谷の苦土リーベック閃石を伴う曹長岩は空隙に富み、その空隙にはベニト石、リューコスフェン石などの稀産鉱物が産出する。この中に針状でピンク色鉱物と、不定形な黄色鉱物が未知鉱物として見いだされた[1]。前者は青海石となり、後者は通称で奴奈川石と呼ばれる新鉱物となる。

青海石の結晶構造のモデルは溝田によって導かれ、論文は最初の記載論文と連続して掲載された[7]。そして後年により精密化された構造モデルが発表され[2]、その構造は原田石などと関連性はあるものの青海石のみが持つ独特の構造であることが明かとなった。現時点(2018年11月)で青海石と同じ構造をもつ鉱物は知られていない。またその論文に従って青海石の化学組成は現在の式に改訂されている。

写真の標本はかなり以前に採集された青海石の標本となる。青海石について論文にはピンク~ピンクブラウンの針状という記述があり、一枚目の写真は論文で言及された姿に近いのだろう。また自身で調べた範疇では白色に近い青海石も存在している(写真二枚目)。この違いはおそらくは含まれる鉄の価数による。分析をして化学組成を解析すると、ピンク系統は3価の鉄を、白系統は2価の鉄を含むと思われる。また青海石はいまだに金山谷が世界で唯一の産地であり、青海石を胚胎する曹長岩についてもどのような環境・条件で生成したかはいまだ明らかとなっていない。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] 河野義礼(1939)本邦における翡翠の新産出及び其化学的性質. 岩鉱, 22, 195-201.
[4] 茅原一也(1958)新潟県青海地方のjadeite rockについて. 藤本治義教授還暦記念論文集, 459-466.
[5] 茅原一也(1996)青海自然史博物館とヒスイ. 宝石学会誌, 21, 95-96.
[6] Chihara K., Komatsu M., Mizota T. (1974) A joaquinite-like mineral from Ohmi, Niigata Prefecture, Central Japan. Mineralogical Journal, 7, 395-399.
[7] Mizota T., Komatsu M., Chihara K. (1973) On the crystal structure of Sr3TiSi4O12(OH)・2H2O, a new mineral. Mineralogical Journal, 7, 302-305.

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IMA No./year: 1974-046
IMA Status: A(approved)
模式標本:金沢大学(第一文献から引用)

益富雲母 / Masutomilite

KLiAlMn2+(Si3Al)O10(F,OH)2

模式地:滋賀県大津市田上山

第一文献:Harada K., Honda M., Nagashima K., Kanisawa S. (1976) Masutomilite, manganese analogue of zinnwaldite, with special reference to masutomilite-lepidolite-zinnwaldite series. Mineralogical Journal, 8, 95-109.

第二文献:Mizota T., Kato T., Harada K. (1986) The crystal structure of masutomilite, Mn analogue of zinnwaldite. Mineralogical Journal, 13, 13-21.

益富雲母 / Masutomilite
滋賀県大津市田上山中沢晶洞

益富雲母は東京教育大学(現:筑波大学)の長島弘三を中心とした研究チームによって記載された雲母超族の新鉱物で、益富壽之助(1901-1993)の鉱物学への貢献をたたえて命名された。第一文献は原田一雄を筆頭著者として1976年に発表されているが、それに先立つ1975年には長島を筆頭著者とした和文による報告が地学研究に掲載されている[1]。

益富壽之助は薬学の研究者である一方で、少年時代における水晶採りの経験から地質・鉱物分野にも強く興味をもっていた。後年それらをほとんど独学で修め、新鉱物・大隅石の発見に貢献したことで櫻井賞(第3号メダル)を受賞し、その他にも様々な賞を受賞している。また日本鉱物趣味の会を創設し、機関誌を発行して後進の育成にも力を注いでいた。益富の興した事業は、現在は公益財団法人益富地学会館として運営が行われている。

益富雲母の模式地となっている滋賀県田上山は古くから名の通った鉱物産地で、例えば田上山のトパーズは海外に輸出されるほど非常に評価が高かった。田上山は花崗岩で構成されており、大規模なペグマタイトが見られることから日本の三大ペグマタイトと呼ばれている。田上山のペグマタイトは晶洞が多く認められ、そのなかにチンワルド雲母(Zinnwaldite)の産出が古くから知られていた。例えば1904年発行の鉱物誌にすでに言及があり、六角板状で紫~褐色という記述が確認できる[2]。

田上山のチンワルド雲母は安田若三郎によって1908年には分析が行われており、そのときすでに多量のマンガン(Mn)が検出されていた[3]。長島らはより詳細な分析を行い、安田の分析値が基本的に正しいことを再確認すると共に、そこから組み立てられる組成式はチンワルド石からみて二価マンガン(Mn2+)置換体に相当することを見出した。その雲母は益富雲母と命名され、二価鉄(Fe2+)を主成分とするチンワルド雲母の二価マンガン置換体という立ち位置で1974年に新種として認められた[4]。標本としては褐色部がチンワルド雲母で、紫色部が益富雲母に該当するとされる。研究には田上博物館の中司稔が採集・保管していた標本が使用され、それは幅10cmで厚さも1cmある結晶だった。この標本は金沢大学に保管されている。また第一文献には岐阜県蛭川村田原(現:中津川市)からの益富雲母も記載されており、この標本については東北大学が保管先であると記述されている[4]。

益富雲母の結晶構造については、初めは田上山産の標本を用いた研究が行われた[5]。後に蛭川村産の標本を用いてより詳細な内容が明らかにされたことで、益富雲母の化学式は現在のように改訂されている[6]。そして二価マンガンを主成分とする益富雲母と二価鉄を主成分とするチンワルド雲母という立ち位置はわかりやすいものであり、益富雲母の誕生からその関係性で理解されてきた。ところが1998年の雲母超族の命名規約[7]によってチンワルド雲母が消滅したことで、益富雲母の独立性は不安定なものとなっている。

チンワルド雲母の組成はKLiAlFe2+(Si3Al)O10(OH)2で表され、長らく独立の組成と認識されていた。しかしながらこの組成はKFe2+2Al(Al2Si2O10)(OH)2とKLi2Al(Si4O10)F2という2つの組成からみると足して半分に割った値に相当する。そしてそれぞれはシデロフィル雲母(Siderophyllite)とポリリシオ雲母(Polylithionite)のことであり、雲母超族の命名規約では中間成分は単独の鉱物種として取り扱わない。すなわちチンワルド雲母はシデロフィル雲母とポリリシオ雲母の固溶体(中間体)という扱いになり独立種としては抹消となった。同じ論法を適用すると益富雲母はKMn2+2Al(Al2Si2O10)(OH)2組成の雲母とポリリシオ雲母の固溶体となり、抹消やむなしの状況であった。しかしながらチンワルド雲母のケースとは異なり、益富雲母の場合は片方の組成についてそのような雲母は発見されてない。そのため、暫定的な処置として益富雲母はいまだ独立の種としてギリギリ留まっている。今後もしその新しい組成の雲母が見つかると、その時点で益富雲母は抹消となってしまう[7]。

写真は田上山の中沢晶洞から得られた益富雲母の標本となる。一般的に紫色部が益富雲母で褐色~ブラウン色がチンワルド雲母と言われているが、この標本では褐色を帯びた部分でもMn2+ > Fe2+という分析結果となり、全体が益富雲母であった。

[1] 長島弘三, 原田一雄, 本田真理子 (1975) 滋賀県大津市田ノ上山産新鉱物益富雲母(Masutomilite). 地学研究, 26, 319-324.
[2] 和田維四郎(1904)日本鉱物誌. 東京築地活版製造所, pp.281
[3] 安田若三郎(1908)近江國田の上山産雲母の分析. 地質学雑誌, 15, 386-394.
[4] 第一文献
[5] 第二文献
[6] Brigatti M.F., Mottana A., Malferrari D., Cibin G. (2007). Crystal structure and chemical composition of Li-, Fe-, and Mn-rich micas. American Mineralogist, 92, 1395-1400.
[7] Rieder M., Cavazzini G., D’Yakonov Y.S., Koval’ P.V., Müller G, Neiva A.M.R., Sassi F.P., Takeda H., Weiss Z., Frank-Kamenetskii V.A., Gottardi G., Guggenheim S., Radoslovich E.W., Robert J.L., Wones D.R. (1998) Nomenclature of the micas. The Canadian Mineralogist, 36, 905-912.

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IMA No./year: 1974-060
IMA Status: A(approved)
模式標本:山口大学、櫻井標本、国立科学博物館、Natural History Museum, London (1975,342)、National Museum of Natural History, Washington (133982) (Handbook of Mineralogyから引用)

杉石 / Sugilite

KNa2Fe3+2(Li3Si12)O30

模式地:愛媛県上島町岩城島

第一文献:Murakami N., Kato T., Miúra Y., Hirowatari F. (1976) Sugilite, a new silicate mineral from Iwagi Islet, Southwest Japan. Mineralogical Journal, 8, 110-121.

第二文献:Armbruster T., Oberänsli R. (1988) Crystal chemistry of double-ring silicates: Structures of sugilite and brannockite. American Mineralogist, 73, 595-600.

杉石 / Sugilite
模式地標本 
ウグイス色が杉石
 
杉石 / Sugilite
Wessels Mine, Hotazel, Kalahari manganese field, Northern Cape Province, South Africa
紫色が杉石

杉石は山口大学の村上允英らによって記載された新鉱物で、愛媛県岩城島から見出された。学名は九州大学の岩石学者である杉健一(1901-1948)に因んで命名されている。杉は岩石学が近代化していくなか変成岩岩石学の最前線で活躍し、村上は杉の指導の元で九州大学を卒業した。杉石発見の業績に基づいて、村上には1983年に鉱物学会から櫻井賞(第22号メダル)が贈られた。

岩城島は愛媛県北東部に位置する離島で、全体としては珪長質の深成岩からなっている。島の東側では、エジリンを含み曹長石を主体とした岩石が狭い範囲に分布し、古くは「モンゾニ岩」と呼ばれていた。しかし1944年にこの岩石を研究した杉健一らによって「エジル石閃長岩」という特徴をとらえた名称が与えられた[1]。その論文の中で杉らは岩石中に肉眼的に目立つうぐいす色の鉱物の存在に気づいている。光学的な特徴からその鉱物をユーディアル石様鉱物として記述したものの、確実な同定は行えなかったようだ。これが後の杉石となる。

山口大学の村上らはそのユーディアル石様の未詳鉱物の同定を試みた。研究の開始時期は定かでないが、1964年から1966年にかけて未詳鉱物は大隅石やミラー石と同じ構造であることが報告されている[2,3]。化学組成もその当時に検討を行っていたようだが、十分な結論に至らなかった旨が第一文献に記されている[4]。正確な化学組成の決定にはさらに10年を必要とした。ユーディアル石様の未詳鉱物が改めて新鉱物・杉石として国際鉱物学連合へ申請されたのが1974年であり、杉らが見出してからちょうど30年が経過していた。記載論文は1976年に出版され[4]、結晶構造の詳細については加藤敏郎が中心となって検討されている[5]。

このように、杉石は岩城島から1944年に見出され、1974年に新種として発表された経緯がある。未詳鉱物であった期間が30年ほどあったわけだが、実はその間に愛媛県内の別の産地からも杉石が見出されていた。愛媛県砥部町にある古宮鉱山において、黒色のブラウン鉱の隙間を埋める鮮やかな紫色鉱物が広渡文利によって1956年に採集されている[6,7]。一方で即座に同定とはならなかったようで、20年以上経た後に杉石と同定された。広渡は岩城島産杉石の著者にもなっているが、色が全く異なっていたため古宮鉱山の標本を杉石と気づくことができなかったと伝わる。また、古宮鉱山産杉石の分析値を解析すると、それはアルミノ杉石(Alminosugilite)という別種に相当する。これもまた当時は認識されていなかった。

海外でも杉石の産出が確認されている。1978年に南アフリカのWessels鉱山から紫色鉱物が見出され、それがはじめソグディア石だと鑑定され[8]、後に杉石であることが判明した[9-11]。Wessels鉱山の杉石について詳細は1988年に報告されており、その論文を読むとこの杉石には三価のマンガン(Mn3+)とアルミニウム(Al)が含まれ、さらに一部ではアルミニウムが完全に卓越している。それはすなわちアルミノ杉石という別種であったが、その当時はまったく注目されていなかった。そして2018年になり、イタリアのCerchiara鉱山を模式地としてアルミノ杉石が新鉱物として誕生した[12]。これもまた山口大学の研究者らによって記載されている。

写真は岩城島とWessels産の杉石を合わせて掲載した。Wessels産についても分析を行い、杉石であることを確認してある。同じ鉱物にはとても見えないが、どちらも杉石である。

[1] 杉健一, 久綱正典 (1944) 愛媛県岩城島産エヂル石閃長岩に就いて. 岩石鉱物鉱床学会誌, 31, 209-224.
[2] 村上允英, 松永征二 (1964) 閃長岩化における交代作用(2). 地質学雑誌, 70, 421.
[3] Murakami N., Matsunaga S. (1966) Petrological Studies on the Metasomatic Syenites in Japan. Part 2. Petrology of the Aegirine Syenite from Iwagi Islet, Ehime Prefecture, Japan. Sci. Rept. Yamaguchi Univ., 16, 17-34.
[4] 第一文献
[5] Kato T., Miúra Y., Murakami N. (1976) Crystal structure of sugilite. Mineralogical Journal, 8, 184-192.
[6] 広渡文利, 福岡正人, 近藤裕而 (1981) 愛媛県古宮鉱山の含マンガン杉石. 日本鉱物学会1981年会講演要旨集, 113.
[7] 広渡文利, 福岡正人 (1988) 日本のマンガン鉱物に関する2,3の問題. 鉱物学雑誌, 18, 347-365.
[8] Bank H., Banerjee A., Pense J., Schneider W., Schrader W. (1978) Sogdianit-ein neues Edelsteinmineral?. Z. Deut. Gemmol. Ges., 27, 104-105.
[9] Dunn P.J., Brummer J.J., Belsky H. (1980) Sugilite, a second occurrence; Wessels Mine, Kalahari manganese field, Republic of South Africa. Canadian Mineralogist, 18, 37-39.
[10] 第二文献
[11] 砂川一郎 (1982) 南部石と杉石 日本で新鉱物として発見され, その後宝石質の結晶がみつかった珍しい鉱物2種. 宝石学会誌, 9, 55-59.
[12] Nagashima M., Fukuda C., Matsumoto T., Imaoka T., Odicino G., Armellino G. (2020) Aluminosugilite, KNa2Al2Li3Si12O30, an Al analogue of sugilite, from the Cerchiara mine, Liguria, Italy. European Journal of Mineralogy, 32, 57-66.

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IMA No./year: 1975-003
IMA Status: A(approved)
模式標本:地質標本館(GSJ M17968), 櫻井標本 (第一文献より引用)

神岡鉱 / Kamiokite

Fe2+2Mo4+3O8

模式地:岐阜県飛騨市神岡鉱山(旧:神岡町)

第一文献:Sasaki A., Yui S., Yamaguchi M. (1985) Kamiokite, Fe2Mo3O8, a new mineral. Mineralogical Journal, 12, 393-399.

第二文献:Kanazawa Y, Sasaki A (1986) Structure of kamiokite. Acta Crystallographica, C42, 9-11.

神岡鉱 / Kamiokite
神岡鉱 / Kamiokite
模式地標本 強い金属光沢を示す結晶で、一部にはややひずんだ6角形の断面がみえる

神岡鉱は地質調査所の佐々木昭らによって記載された新鉱物で、発見地である神岡鉱山に因んで学名は「Kamiokite」と命名された。「ite」の前にあるべきの「a」が省略されている形になっており、1952年に発表された神岡石(Kamiokalite)[1]との混同を避けようとしたのかもしれない。なおその神岡石(Kamiokalite)は後にベゼル石と同定され、神岡鉱が承認された当時にはすでに独立の鉱物種という立場を失っていた[2]。

神岡鉱は1975年3月に国際鉱物学連合から新鉱物の承認を受け、その年の鉱物学会において概要が発表されている[3]。また1985年に記載論文が発表されるまでの間にアメリカのMohawk鉱山およびAhmeek鉱山からも神岡鉱の産出が報告されていた[4]。今では中国、チェコ、ブラジルなどにも産地が知られている。ほかにおもしろい産地として、アエンデ隕石中に含まれる太陽系最古の物質(Ca-Al-rich Inclusion)の中にも神岡鉱は見つかっている[5]。今ではニュートリノ研究の前線基地となっている神岡鉱山、そこから見出された神岡鉱が隕石からも見つかるとは、神岡は宇宙と縁があるのだなと感じる。

神岡鉱山の歴史は古く、奈良時代に発見されたとも言われる。近代化以前は銀が主目的の鉱山であったが、明治時代からは日本最大の亜鉛・鉛鉱山となっていた。鉱床はスカルンであり、茂住・円山・栃洞坑という3つの鉱床群が知られる。鉱石鉱物は閃亜鉛鉱や方鉛鉱が主で、栃洞坑では灰鉄輝石を母岩とした「杢地鉱」や、石英や方解石を母岩とした高品位な「白地鉱」を採掘していた。そして坑内では花崗斑岩の貫入が認められ、そこから派生した石英脈にはモリブデン(Mo)を主成分とする鉱物が含まれることが古くから知られていた[6]。モリブデンを主成分とする神岡鉱は栃洞坑-200mレベルにおいて花崗斑岩脈近傍の石英脈から見出されている[7]。

神岡鉱はモリブデンの酸化鉱物であるが、モリブデンの硫化物である輝水鉛鉱を密接に伴う。神岡鉱の結晶がまるごと輝水鉛鉱に置き換わっている例も珍しくないと言われる。これは神岡鉱の安定性と産状に起因している。神岡鉱は石英脈中の硫黄分圧が低い部分で特に初期に晶出するが、硫黄分が供給されると反応して輝水鉛鉱が生じる。天然ではどちらかというと硫黄分圧が高い環境のため、それが神岡鉱が稀少鉱物になっている要因だと考えられている[7]。

神岡鉱の結晶は異極的六方ピラミッドと称され、六方晶系の構造がよく反映されている[8,9]。神岡鉱はMoO6八面体からなるシートとFeO4四面体+FeO6八面体からなるシートが交互に重なる構造となっている。そして、モリブデンや鉄の配置だけをみるとそれらはハニカムに並ぶ。こうした構造はフラストレーション系を研究する物理屋に好まれ、磁性の研究が行われている[10, 11]。

写真の標本は古い時代に採集されたものだが産出の坑まではラベルに記載がなかった。角度によっては典型的な六角形の面が見える。結晶自体は神岡鉱であることを確認しているが、やはり割れ目などには輝水鉛鉱が伴われている。

[1] 櫻井欽一, 長島秀夫, 反田栄一 (1952) 本邦産鉱物の研究, 47, 岐阜県神岡鉱山産:燐酸亜鉛銅鉱物(神岡石). 趣味の地学, 5, 170-175.
[2] 南部松夫 (1978) 日本から記載された新鉱物. 渡辺万次郎先生米寿記念論集, 82-100.
[3] 佐々木昭, 由井俊三, 山口光男 (1975) 岐阜県神岡鉱山産新鉱物, Fe2Mo3O8. 日本鉱物学会年会講演要旨集, 9.
[4] Picot D., Johan Z. (1977) Kamiokite. Atlas des Minéraux Métalliques, Mémoires du Bureau de Recherches Géologiques et Minières, No. 90-1977, 219. (in French)
[5] Ma C., Beckett J.R., Rossman R. (2014) Monipite, MoNiP, a new phosphide mineral in a Ca-Al-rich inclusion from the Allende meteorite. American Mineralogist, 99, 198-205.
[6] 東尚七 (1967) 神岡鉱山栃洞坑. 日本鉱業会誌, 83, 1800-1808.
[7] 第一文献
[8] 第二文献
[9] Endo Y., Kanazawa Y., Sasaki A. (1986) External form of kamiokite crystal. Bulletin of the Geological Survey of Japan, 37, 367-371.
[10] Nakayama S., Nakamura R., Akaki M., Akahoshi D., Kuwahara H. (2011) Ferromagnetic Behavior of (Fe1-yZny)2Mo3O8 (0≤y≤1) Induced by Nonmagnetic Zn Substitution. Journal of Physical Society of Japan, 80, 104706.
[11] Abe H., Sato A., Tsujii N., Furubayashi T., Shimoda M. (2010) Structural refinement of T2Mo3O8 (T=Mg, Co, Zn and Mn) and anomalous valence of trinuclear molybdenum clusters in Mn2Mo3O8. Journal of Solid State Chemistry, 183, 379-384.

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IMA No./year: 1976-003
IMA Status: A(approved)
模式標本:岡山大学理学部地球科学科(ONM-02)、国立科学博物館、National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA (136583)(Hand book of Mineralogyから引用)

布賀石 / Fukalite

Ca4Si2O6(CO3)(OH)2

模式地:岡山県高梁市備中町布賀西露頭

第一文献:Henmi C., Kusachi I., Kawahara A., Henmi K. (1977) Fukalite, a new calcium carbonate silicate hydrate mineral. Mineralogical Journal, 8, 374-381.

第二文献:Merlino S., Bonaccorsi E., Grabezhev A.I., Zadov A.E., Pertsev N.N., Chukanov N.V. (2009) Fukalite: An example of an OD structure with two-dimensional disorder. American Mineralogist, 94, 323-333

布賀石 / Fukalite
布賀石 / Fukalite
布賀西露頭から得られた標本とそのSEM写真。クリーム色部に布賀石が分布し、ミクロンサイズの針状結晶となっている。

布賀石 / Fukalite
布賀石 / Fukalite
岡山県井原市芳井町三原鉱山から得られた標本とそのSEM写真。白色部に布賀石が分布し、同様にミクロンサイズの針状結晶となっている。

布賀石は岡山大学の逸見らによって発見された新鉱物で、最初に見出された岡山県備中町布賀に因んで命名された。記載論文では岡山県三原鉱山と広島県久代からの布賀石も同時に記載されており、いずれも高温スカルンとして知られていた産地である[1]。筆頭著者の逸見吉之助は布賀石の発見により日本鉱物学会から1978年に櫻井賞(第15号メダル)を受賞した。

布賀において布賀石が発見された正確な産地は論文には記載が認められないが、いわゆる西露頭が産地だと思われる。布賀では石灰岩中にモンゾニ岩脈が走っており、それとの間にコンタミ岩帯やゲーレン石-スパー石帯が認められるが、西露頭ではコンタミ岩帯があまりなく、ゲーレン石-スパー石帯が石灰岩と共に大きな分布を示す。また露頭の西側には安山岩が横切っており、その近傍から得られる紫色のスパー石は標本として有名であろう。この西露頭が学術論文に登場するのは1973年のことで、その際に本邦初産となる灰チタン石(Perovskite)が報告されている[2]。同年にこの西露頭から見つかった備中石が新鉱物として申請され、1976年に申請された布賀石は備中石に続く新鉱物となった。

布賀石は海外でも見出されている。ルーマニアでは布賀と同様に高温スカルンの生成物としての産出が知られる[3]。また、ロシアではスカルン中に生じた水酸エレスタド石を切る脈としての産状(Gumeshevsk鉱山)や、Dovyrenかんらん岩体の変質を被ったゼノリス中に生じることが報告されている [4,5]。そして布賀石の結晶構造はGumeshevsk鉱山から産した結晶を用いて精密に調べられ、いくつかの多形が存在しうることが明らかとなった[5]。

布賀石は高温スカルンに産出するが生成時期は反応の最後期で、スパー石(Spurrite: Ca5(SiO4)2(CO3))の分解物として生じたと考えられている[1]。写真は布賀西露頭および三原鉱山から得られた布賀石の標本となる。西露頭の標本ではベージュ色の濃い部分に布賀石が高密度に存在している。三原鉱山の標本では白色部に布賀石が存在する。布賀石の結晶は肉眼では認識できないが、SEMにおいてはミクロンスケールの板状~柱状結晶が確認できる。

[1] 第一文献
[2] 草地功, 逸見千代子, 逸見吉之助 (1973) 岡山県備中町布賀産ペロブスカイト. 鉱物学雑誌, 11, 219-226.
[3] Marincea S., Dumitras D.G., Ghinet C., Bilal E. (2015) The occurrence of high-temperature skarns from oravita (Banat, Romania): a mineralogical overview. Canadian Mineralogist, 53, 511-532.
[4] Grabezhev A.I., Gmyra V.G., Pal’guyeva G.V. (2004) Hydroxylellestadite metasomatites from Gumeshev skarn porphyry copper deposit, middle Urals. Doklady Earth Science, 394, 196-198.
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1976-012
IMA Status: A(approved)
模式標本:東北大学理学部、山口大学工学部(第一文献から引用)

三原鉱 / Miharaite

PbCu4FeBiS6

模式地:岡山県井原市三原鉱山(旧:芳井町)

第一文献:Sugaki A., Shima H., Kitakaze A. (1980) Miharaite, Cu4FePbBiS6, a new mineral from the Mihara mine, Okayama, Japan. American Mineralogist 65, 784-788.

第二文献:Petrova I.V., Pobedimskaya E.A., Bryzgalov I.A. (1988) Crystal structure of micharaite Cu4FePbBiS6. Doklady Akademii Nauk SSSR, 299, 123-127.

三原鉱 / Miharaite
模式地標本 ザラメ状の石英に斑銅鉱と黄銅鉱が散らばるような鉱石が三原鉱の母岩となっている。写真の標本は鉱山の稼働中に得られたもので、こういった鉱石は鉱山のズリでは見かけない。

 
三原鉱 / Miharaite
三原鉱 / Miharaite
上記標本の薄片SEM写真と反射顕微鏡写真。中央が三原鉱で、その周りは班銅鉱と黄銅鉱。

三原鉱は東北大学の苣木らによって発見された新鉱物で、発見地の三原鉱山に因んで「三原鉱(Miharaite)」と命名された。今でこそ「Miharaite」と言えば三原鉱を指すのだが、古い時代に「Miharaite」は岩石名であった。1910年代、日本の玄武岩や安山岩はことごとくケイ酸過剰な値を示すことが報告されるようになると、異常な現象ということで世界から注目が集まった。そして伊豆諸島・三原島の溶岩はそういった異常な岩石の典型例だったので、東京大学の坪井[1]はその岩石を三原岩(Miharaite)と呼んだ。しかし時代が下って、ケイ酸過剰の原因として石基中のクリストバル石や鱗珪石の存在が理解されるようになると、三原岩として特別扱いする意義は無くなった。三原鉱が発見された1976年ですでに三原岩の名称は過去のものとなっており、鉱物の学名としてMiharaiteが用いられることに何も問題は無くなっていた。

三原鉱山はスカルン型の鉱床で、一部には高温スカルンも伴っている。黄銅鉱を主要鉱石としており、富鉱には斑銅鉱が伴われていた。坑道を深く進むほど銅の品位が高くなるという特徴があり、三原鉱が見つかった鉱石は鉱山の最深部(11-12レベル)から採集されたと記載されている。そこからまず見つかったのがウィッチヘン鉱(Wittichenite:Cu3BiS3)であった[2]。ウィッチヘン鉱は斑銅鉱や方鉛鉱の中に数十ミクロンの不定形もしくは水滴形状で存在していたことから、高温では斑銅鉱に溶け込んでいたビスマス成分が、温度の低下と共に排出された結果の生成物であると考えられた[3]。そして、ウィッチヘン鉱と全く同じ産状で三原鉱が見出された。三原鉱はウィッチヘン鉱よりも一回り大きく、最大で300ミクロンと記載されている。

三原鉱の分析には波長分散形の検出器が付属した走査型電子顕微鏡(EPMA)が用いられている。今でこそEPMAによる鉱物の分析はかなりの信頼性をもって受け止められているが、この時代はEPMAの導入からまだ間もないことから、精度や信頼性など十分とは言いがたいと評価されていた。苣木はEPMA研究チームの一員として積極的にEPMAを用いた研究を展開し[4]、長年かけて硫化鉱物に最適化された分析条件をあらかじめ求め、その上で三原鉱は丁寧に分析されている[5-10]。6点の平均値として、三原鉱の化学式はCu4.09Fe1.00Pb1.01Bi1.00S5.91が得られている。三原鉱の結晶構造については第一文献ではプリセッションカメラで測定が行われ、空間群の候補までは明らかにされていた。その後、ロシア産の試料によって構造が明らかとなった[11]。

三原鉱は1975年に三原鉱山で最初に見つかったが、翌1976年には岡山県伊茂岡鉱山からも見出され、最近では山形県大張鉱山からも報告がある[12-14]。写真の標本は模式地である三原鉱山から産出した標本で、鉱石は鉱山の稼働時に採集されたものだと伝え聞いている。ザラメ状石英の中に黄銅鉱と斑銅鉱が散らばっている鉱石で、こういった鉱石はズリではお目にかかったことがない。破断面から三原鉱を見つけることはほぼ不可能であるが、切断面では特徴的な青みがかった灰色の反射色が観察できる。一方、ズリで採集できる鉱石は粘板岩に斑銅鉱が入っているタイプで、これには三原鉱はまったく見つからなかった。

[1] Tsuboi S. (1918) Notes on miharaite, 地質学雑誌, 25, 47-58.
[2] 添田晶 (1963) 中国地方中央地区における後期中生代の金属鉱化作用. 広島大学地学研究報告, 12, 39-71.
[3] 第一文献
[4] EPMAグループ(1974) EPMAによる鉱物の定量分析に関する基礎的研究. 鉱物学雑誌, 11, 3-75.
[5]苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐 (1974) ELECTRON PROBE MICROANALYSERによるCu・Bi・S系鉱物の化学組成に関する研究−−(1)ウィチヘン鉱(クラプロート鉱). 岩石鉱物鉱床学会誌, 69, 32-43.
[6] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1970)Electron Probe Microanalyserによる硫化鉱物の定量分析に関する基礎的研究(I). 山口大学工学部研究報告, 21(2), 209-219.
[7] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1972)Electron Probe Microanalyserによる硫化鉱物の定量分析に関する基礎的研究(II). 山口大学工学部研究報告, 23(2), 39-46.
[8] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1973)Electron Probe Microanalyserによる硫化鉱物の定量分析に関する基礎的研究(III): 天然産Bi-Sb-S系鉱物の化学組成について. 山口大学工学部研究報告, 23(3), 21-26.
[9] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1973)Electron Probe Microanalyserによる硫化鉱物の定量分析に関する基礎的研究(IV). 山口大学工学部研究報告, 24(1), 39-45.
[10] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1973)Electron Probe Microanalyserによる硫化鉱物の定量分析に関する基礎的研究(V). 山口大学工学部研究報告, 24(3), 41-46.
[11] 第二文献
[12] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1975)岡山県三原鉱山産Cu-Fe-Pb-Bi-S鉱物について.日本鉱物学会年会講演要旨集, 35.
[13] 苣木淺彦, 島敞史, 北風嵐(1976)三原鉱(Miharaite)の岡山県伊茂岡鉱山における新産出について. 日本鉱山地質学会・日本岩石鉱物鉱床学会・日本鉱物学会連合学術講演会講演要旨集,138.
[14] Izumino Y., Nakashima K., Nagashima M. (2014) Cuprobismutite group minerals (cuprobismutite, hodrušite, kupčíkite and padĕraite), other Bi-sulfosalts and Bi-tellurides from the Obari mine, Yamagata Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 177-190.

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IMA No./year: 1976-016
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M-24586); National Museum of Natural History, Washington,D.C., USA (136584)(Hand book of Mineralogyから引用)

中宇利石 / Nakauriite

Cu8(SO4)4(CO3)(OH)6·48H2O(第一文献)

(Mg,Cu)x(CO3)y(OH)z•nH2O (文献[6])

(Mg3Cu2+)(OH)6(CO3)・4H2O (文献[8])

模式地:愛知県新城市中宇利鉱山

第一文献:Suzuki J., Ito M., Sugiura T. (1976) A new copper sulfate-carbonate hydroxide hydrate mineral, (Mn,Ni,Cu)8(SO4)4(CO3)(OH)6·48H2O, from Nakauri, Aichi Prefecture, Japan, Journal of Mineralogy, Petrology and Economic Geology, 71, 183-192.

第二文献:設定無し

中宇利石 / Nakauriite
愛知県新城市中宇利鉱山

中宇利石 / Nakauriite
三重県南伊勢町船越

中宇利石 / Nakauriite
埼玉県神川町二ノ宮

中宇利石 / Nakauriite
高知県高知市円行寺

中宇利石は愛知教育大学の鈴木重人(すずきじゅうじん)らによって発見されたスカイブルーの美しい新鉱物で、発見地の中宇利鉱山に因んで命名された。記載論文の筆頭著者の鈴木は中宇利石発見の功績により、1977年に櫻井賞(第14号)が授けられた。

中宇利鉱山は新城市の南東に分布する蛇紋岩体に胚胎された銅-鉄を資源とする鉱山で、1950年代まで稼働していたようだが[1]、その沿革はあまり詳しく伝わっておらず研究例もほとんど無い。おそらくは戦時中に稼働していたのだろう。鈴木らがこの中宇利鉱山に注目した経緯も論文からは読み取れないが、吉川石の研究が強く関わっていると推測している。中宇利鉱山から数キロ程度北にも小規模な蛇紋岩体が分布しており、そこの蛇紋岩の表面に白色の魚卵状~腎臓状集合の鉱物が生成していた。鈴木らはその詳細を調べ、Mg5(CO3)4(OH)2・8H2Oの化学組成で33.2Åの周期をもつ鉱物であると主張した[2]。そして鈴木らはこの鉱物に吉川石(Yoshikawaite)と命名してIMAへ申請を行ったのだが、1970年に承認されていたダイピング石(Dypingite): Mg5(CO3)4(OH)2·5H2Oとの誤認が疑われ吉川石は承認されなかった[3]。鈴木はその後も蛇紋岩地帯の調査を継続し、1975年には後の中宇利石となる鉱物について「Namaqualith様鉱物」として報告している[4]。

中宇利石はCu8(SO4)4(CO3)(OH)6·48H2Oの化学組成をもつ新鉱物として1976年に承認されている。結晶構造については未だに解かれていないが、粉末のX線回折パターンは非常に明瞭であり、特にd = 7.3Åに強い回折線がある。そのため中宇利石は主に粉末のX線回折パターンによって同定され、今日までに多くの産地が知られている。その一方で化学組成については、鈴木らのデータは誤っていると私は認識している。その点についても記しておこう。

鈴木らは中宇利石の分析にXRFを用いている。均質で大量の試料ならそれも良いが、XRFは透過力が強くビームもブロードなため、どう考えても中宇利石のような鉱物には向かない。そしてデータは中宇利石+混じり物の値「①」であった。そこで鈴木らはその混じり物がクリソタイルのみだと仮定した上で、クリソタイルの値「②」を減算して、中宇利石の化学組成「③」を導出している。そして当初「①」にわずかに含まれていた硫黄(S)については、「②」をさっ引いたこともあって、③ではほとんど主要成分となった。また「①」にあったマグネシウム(Mg)については、「②」ですべて取り去ってしまい、「③」では消滅している。鈴木らのX線回折パターンには明らかに同定できていない鉱物が含まれていたのに、分析についてこのやり方はちょっとムリがある。そして当然だが、中宇利石の化学組成については古くから疑義が投げかけられている。

世界で3番目の中宇利石は1983年にスコットランドで見出された[5]。XRDパターンは模式地の中宇利石と一致するが、スコットランド産については硫黄(S)が検出されなかった。そのため中宇利石には硫黄が含まれない可能性が指摘された。イタリア産の中宇利石を用いた研究では中宇利石の化学組成は「(Mg,Cu)x(CO3)y(OH)z•nH2O」であろうと推測されている[6]。x, y, zやnの数値の詳細ついてはこれからの課題であるが、日本での最近の研究では岡山産中宇利石の分析で(Mg6.19Cu1.77Ni0.02Zn0.01Fe0.01)Σ8(SO4)0.01(CO3)(OH) 13.99・13.44H2Oが報告されている[7]。

ごく最近には鈴木らのIRスペクトルも再検討され、注意深く観察すると鈴木らのIRスペクトルにはSO42-に起因するピークが存在しないことが指摘された[8]。そのため中宇利石の化学組成、特に硫酸塩鉱物であるという主張はもはや受け入れられることはない。文献[8]によると鈴木らのIRスペクトルを素直に解釈すれば化学組成は(Mg3Cu2+)(OH)6(CO3)・4H2Oとなるようだ[8]。写真の標本は模式地および三重県、埼玉県、高知県の中宇利石となる。いずれも分析をしたところ文献[8]の提案とほとんど一致する。中宇利石の化学組成は改訂されなくてはならない。また、第一文献が報告した格子定数は間違っている可能性が指摘されている[9]。構造解析が成功し情報が更新されることを願う。

[1] Matsubara S., Kato A. (1993) Gaspeite, glaukosphaerite, mcguinessite and jiamborite in serpentinites from Shinshiro City, Aichi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogy, Petrology and Economic Geology, 88, 517-524.
[2] Suzuki J., Ito M. (1973) A new magnesium carbonate hydrate mineral, Mg5(CO3)4(OH)2・8H2O, from Yoshikawa, Aichi Prefecture, Japan. The Journal of the Japanese Association of Mineralogists, Petrologists and Economic Geologists, 68, 353-361.
[3] 鈴木重人, 杉浦孜, 吉岡小夜子(1978)Artinite より”Yoshikawaite”の生成 : 鉱物. 日本地質学会学術大会講演要旨, 第85年学術大会, 328.
[4] 伊藤正裕, 鈴木重人, 杉浦孜(1975)愛知県中宇利産Namaqualith様鉱物について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 70, 139.
[5] Braithwaite R.S.W., Pritchard R. (1983) Nakauriite from Unst, Shetland. Mineralogical Magazine, 47, 84-85.
[6] Palenzona A., Martinelli, A. (2007) La nakauriite del Monte Ramazzo, Genova. Rivista Mineralogica Italiana, 31, 48-51.
[7] 錦郡雄基, 池内大起, 中野良紀, 小林祥一, 岸成具(2017)岡山県北房地域に産するMgに富むnakauriite. 日本鉱物科学会2017年年会講演要旨集, R1-P09.
[8] Chukanov and Vigasina (2019) Some Examples of the Use of IR Spectroscopy in Mineralogical Studies. In Vibrational (Infrared and Raman) Spectra of Minerals and Related Compounds, 1-17.
[9] 錦織雄基, 門馬綱一, 宮脇律郎, 小林祥一, 岸成具 (2018) 岡山県北房産Mgに富むnakuriiteの結晶構造の検討. 日本鉱物科学会2018年年会講演要旨, R2-P03.

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IMA No./year: 1976-032
IMA Status: Rn(Renamed)
模式標本:国立科学博物館(M21067); 秋田大学鉱山学部; National Museum of Natural History, Washington,D.C., USA (136398)(Hand book of Mineralogyから引用)

ソーダフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(Na) (原記載はNatroapophyllite)

NaCa4Si8O20F・8H2O

模式地:岡山県高梁市山宝鉱山(旧:成羽町)

第一文献:Matsueda H., Miura Y., Rucklidge J., Kato T. (1981) Natroapophyllite, a new orthorhombic sodium analog of apophyllite I. Descsription, occurrence, and nomenclature. American Mineralogist 66, 410-415.

第二文献:Miura Y., Kato T., Rucklidge J., Matsueda H. (1981) Natroapophyllite, a new orthorhombic sodium analog of apophyllite II. Crystal structure.American Mineralogist 66, 416-423.

ソーダフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(Na)
模式地標本 
クリーム色部がソーダフッ素魚眼石。

ソーダフッ素魚眼石 / Fluorapophyllite-(Na)
上標本のSEM写真 
分析するとカリウム(K)はほとんど検出されず、全体的に端成分に近い標本であった。

ソーダフッ素魚眼石は岡山県成羽町(現:高梁市)に位置する山宝鉱山から見出された新鉱物で、九州大学大学(当時)の松枝大治によって見出された。松枝は九州大学における卒論から博士論文までの長期間を山宝鉱山の調査に費やし、ソーダフッ素魚眼石はその一連の研究過程で見出された新鉱物になる。当初に記載された学名はNatroapophyllite[1]であったが、2008年にApophyllite-(NaF)[2]と改名され、2013年に再度Fluorapophyllite-(Na)[3]へと改名され、これが現在の学名となっている。

山宝鉱山は花崗岩と石灰岩の接触変成作用によって生じた典型的なスカルン鉱床で、磁鉄鉱を主な鉱石とする鉄山であった。石灰岩と花崗岩との接触部は「ホワイトスカルン」と称されており、主に白色の鉱物の集合体からなっていた。その中にゼオフィル石(zeophyllite)やクスピディン(cuspidine)といったフッ素含有ケイ酸塩鉱物と共に帯状構造を成してソーダフッ素魚眼石が産出する。ソーダフッ素魚眼石は主に石灰岩側に多く産出し、花崗岩側では一般的なカリフッ素魚眼石(Fluorapophyllite-(K))が多くなる傾向が認められる。このような傾向は生成時の温度に依存する可能性が記されている[1]。なお、一連のフッ素含有ケイ酸塩鉱物は熱水変質で形成され、それは花崗岩の貫入の後に生じた作用だと考えられている。

いわゆる魚眼石の結晶構造解析は最も多産するカリフッ素魚眼石を用いて行われた[4,5]。わりと特異な構造で、4つのCa-(O,F)キャップドプリズム多面体がフッ素(F)を中心に据えてそれを共有し、c軸方向の上下にあるキャップは中心を開けるように4つのSiO4四面体で囲まれている。そのため結晶構造内に大きな隙間があるのだが、カリウムなど一価の陽イオンはキャップドプリズム多面体の側面に配置する。そのためゼオライトのように陽イオンに自由度は少なく、水分子で囲まれた四角柱の配位多面体を形成する。このような構造が正方晶系の対称性で現れるのが最も普通であるが、ソーダフッ素魚眼石は対称性がやや低下して斜方晶系を示す[1,6]。ただし元素の相対的な位置関係は正方晶系の場合と変わらないため、今後に正方晶系のソーダフッ素魚眼石が見つかったとしてそれは新鉱物になるのではなく、ソーダフッ素魚眼石のポリタイプとして扱われる。例えばFluorapophyllite-(Na)-1Tという表記になるだろう。

山宝鉱山を模式地とする日本産新鉱物は今のところこのソーダフッ素魚眼石のみであるが、研究がはじまった当時(1970年あたり)はさらに二つの新鉱物が期待されていた[7-9]。それぞれ鉄バスタム石(Ferrobustamite:CaFe2+Si2O6)とマンガンバビントン石(Manganbabingtonite:Ca2Mn2+Fe3+Si5O14(OH))である。しかしながら鉄バスタム石のほうは出典を遡ると1937年にスコットランドから見出された例がすでにあり、マンガンバビントン石は1966年にロシアで見出されていた。その時代は新鉱物の審査に先立って記載論文が発表されることもしばしばあり、IMAの承認が遅れることもあった。その間、研究者らは未承認の鉱物として認識することとなり、このような事態が生じることもあった。

写真の標本は模式地である山宝鉱山から採集された標本で、淡褐色部がソーダフッ素魚眼石に該当する。SEMで分析して見たところカリウムをほとんど含まない端成分に近い組成となっていた。この標本は山田滋夫氏に提供していただいた。第一文献によるとホワイトスカルン内には晶洞も見られ、その中にはソーダフッ素魚眼石の結晶も産出したようで、その電子顕微鏡写真が掲載されている。

[1] 第一文献
[2] Burke E.A.J. (2008) Tidying up mineral names: an IMA-CNMNC scheme for suffixes, hyphens and diacritical marks, The Mineralogical Record, 39, 131-135.
[3] Hatert F., Mills S.J., Pasero M., Williams P.A. (2013) CNMNC guidelines for the use of suffixes and prefixes in mineral nomenclature, and for the preservation of historical names. European Journal of Mineralogy, 25, 113-115.
[4] Colville A.A., Anderson C.P., Black P.M. (1971) Refinement of the crystal structure of apophyllite I. X-ray diffraction and physical properties. American Mineralogist, 56, 1222-1233.
[5] Chao G.Y. (1971) The refinement of the crystal structure of apophyllite II. Determination of the hydrogen positions by X-ray diffraction. American Mineralogist, 56, 1234-1242.
[6] 第二文献
[7] Matsueda H. (1973) Iron-wollastonite from the Sampo mine showing properties distinct from those of wollastonite. Mineralogical Journal, 7, 180-201.
[8] Matsueda H. (1980) Pyrometasomatic Iron-Copper Ore Deposits of the Sampo Mine, Okayama Prefecture, Part 1. Geology and Mineralogy. Journal of the Mining College, Akita University, Series A, Mining Geology, 5, 15-77.
[9] 藤田良治, 成田佳子(2012)北海道大学総合博物館ニュース. 24, pp.15.

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IMA No./year: 1976-045
IMA Status: A(approved)
模式標本:東北大学(第一文献から引用); 国立科学博物館(M-21492)(Hand book of Mineralogyから引用); National Museum of Natural History, Washington,D.C., USA (136582)(Hand book of Mineralogyから引用)

上国石 / Jôkokuite

Mn2+(SO4)・5H2O

模式地:北海道上ノ国町上国鉱山

第一文献:Nambu M., Tanida K., Kitamura T., Kato E. (1978) Jôkokuite, MnSO4·5H2O, a new mineral from the Jôkoku mine, Hokkaido, Japan. Mineralogical Journal, 9, 28-38.

第二文献:Caminiti R., Marongiu G., Paschina G. (1982) A comparative X-ray diffraction study of aqueous MnSO4 and crystals of MnSO4·5H2O. Zeitschrift für Naturforschung A Physical Science, 37, 581-586.

上国石 / Jôkokuite
模式地標本

上国石は東北大学の南部松尾らによって見出された新鉱物で、上国鉱山に因んで命名された。記載論文の著者の一人である加藤栄一によって1976年に見出され、1号脈50mレベルにおいて坑道壁に生じたピンク色を帯びた鍾乳石として試料が採集されている[1]。上国石は後に近隣の稲倉石鉱山からも産出した[2]。

上国鉱山は渡島半島の南西部に位置し、主にマンガン・鉛・亜鉛・銀を対象に稼働されていた。鉱床は広義の浅熱水性鉱脈鉱床で、いわゆる「稲倉石型」と称される鉱床に分類されている。具体的には低硫化系熱水による亀裂充填型の鉱床で、粘板岩やチャートを母岩として菱マンガン鉱を主な沈殿物としている。鉱石鉱物についてはおおむね一般的な種類であるが、二次鉱物に関しては上国石をはじめとした含水硫酸塩鉱物が特徴的に産出している。文献[1,3]には、ズミク石(Szmikite:Mn2+(SO4)・H2O)、アイレス石(Ilesite:Mn2+(SO4)・4H2O)、ローゼン石(Rozenite:Fe2+(SO4)・4H2O)、マラー石(Mallardite:Mn2+(SO4)・7H2O)、緑礬(Melanterite:Fe2+ (SO4)・7H2O)、舎利塩(Epsomite:Mg(SO4)・7H2O)皓礬(Goslarite:Zn(SO4)・7H2O)などが挙げられている。

上国石はMn2+(SO4)・5H2Oの化学組成を持つ鉱物種であり、結晶構造は合成物を使って1982年に解明された[4]。上国石に相当する物質は古くから知られており、合成実験によって1841年にはその存在が知られている[1]。水分量の異なるズミク石やアイレス石などは上国石よりも先に知られていたことから、上国石についても古くから天然における存在が予測されていたのかもしれない。一方で上国石はズミク石やアイレス石からの脱水・加水で生じたのではなく、気温15℃・湿度98%以上の環境において坑道壁からしみ出した地下水から直に堆積したと考えられている。ただし後述するように上国石が安定な環境は非常に限られている。例えば気温20度・湿度50%の室内に回収した時点で上国石は脱水を起こし、標本の表面には粉末状のアイレス石が生じてしまう。そしてそのままの環境では1ヶ月の後には上国石の鍾乳石は完全にアイレス石に変質してしまう。

上国石が室内環境においてはアイレス石に変化してしまうことから、上国石の安定的な保管には高湿な環境を維持することが重要だと言われている。しかしそれだけでは十分ではなく、温度についても注意を払う必要がある。例えば9℃以下で多湿環境に置かれると上国石は不安定となり、より加水されたマラー石へ変質する。また27℃以上ではたとえ高湿度環境であったとしても、上国石は脱水してズミク石に変化してしまう[5]。24.5℃でも上国石は脱水するという報告もあるようだ[1]。ただしその反応は可逆的であるため、多湿かつ10-24℃程度の環境を維持すれば、標本は上国石として保存できる。

写真の標本は上国石として採集された標本となる。室温で保管されていた標本として手に入れたため、その時点ではアイレス石に変質していたと推測される。今はこの標本の一部を多湿環境で密封した上でデシケータに保管してある。そろそろ上国石に戻った頃合いだろうか。

[1] 第一文献
[2] 松枝大治, 茨城誠一, 黒沢邦彦 (1980) 北海道稲倉石鉱山産上国石. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, P68.
[3] 南部松夫, 谷田勝俊 (1976) 北海道上国鉱山産舎利塩および含マンガン含鉄苦灰石について. 地学研究, 27, 233-240.
[4] 第二文献
[5] Cottrell F.G. (1900) On the solubility of manganous sulphate, The Journal of Physical Chemistry, 4, 637-656.

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IMA No./year: 1977(1997s.p.)
IMA Status: A(approved)
模式標本:不明もしくは設定無し

灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca

Ca3(Si30Al6)O72·20H2O

模式地:福島県西会津町車峠

第一文献:Koyama K., Takeuchi Y. (1977) Clinoptilolite: The distribution of potassium atoms and its role in thermal stability. Zeitschrift für Kristallographie, 145, 216-239.

第二文献:Coombs D.S., Alberti A., Armbruster T., Artioli G., Colella C., Galli E., Grice J.D., Liebau F., Mandarino J.A., Minato H., Nickel E.H., Passaglia E., Peacor D.R., Quartieri S., Rinaldi .R, Ross M., Sheppard R.A., Tillmanns E., Vezzalini G., (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names, The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606.

灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca
灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca
福島県西会津町白坂

オパール球顆
灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca
福島県西会津町宝坂
オパール球果中の空隙に灰単斜プチロル沸石が生じる。

灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca
福島県桑折町睦合

灰単斜プチロル沸石 / Clinoptilolite-Ca
新潟県阿賀町中ノ沢

沸石族の命名規約が成立する以前、鉱物種は構造のフレームワークにのみ基づいて分類されており、内包される陽イオンでの区別は行われていなかった。近代になり鉱物種を分ける際に化学組成について50%則の適用が原則となったことから、命名規約では陽イオンで種を分けることを基本方針としており、沸石族は一気に数を増やすことになっている。そして灰単斜プチロル沸石であるが、この鉱物は新種として申請された経緯を持たず、沸石族の命名規約が成立した際に誕生した新種である。東京大学の小山和俊と竹内慶夫によって調べられた単斜プチロル沸石がカルシウム(Ca)タイプであったことから、沸石族の命名規約が成立した際に独立の鉱物種として灰単斜プチロル沸石(Clinoptilolite-Ca)が誕生した。

名前の経緯はかなりややこしい。まずモルデン沸石(Mordenite)という沸石が先に知られており、それは毛状の形態を特徴としていた。そしてその形態上の特徴について、ギリシャ語で羽毛を意味する「Ptylon」から、モルデン沸石がプチロル沸石(Ptilolite)と呼ばれるようになった。そのプチロル沸石について詳しく観察すると毛状結晶とは別に、わずかに板状となる結晶が見つかるようになる。そこで、板状の結晶のことをモルデン沸石と呼び、毛状結晶をプチロル沸石と呼ぶことになった。ところが1923年、モルデン沸石と呼ばれた板状結晶はプチロル沸石と呼ばれた毛状結晶とは構造が異なる可能性が示唆され、板状結晶が単斜プチロル沸石(Clinoptilolite)と呼ばれるようになる[1]。そうして古くから知られていたモルデン沸石の名称が消えかかるが、毛状結晶については「モルデン沸石(プチロル沸石)」という両論併記となり、板状結晶である「単斜プチロル沸石」と区別されるようになる[2]。時代が下って、モルデン沸石(プチロル沸石)と単斜プチロル沸石がはっきり区別されるようになると、モルデン沸石(プチロル沸石)の表記は避けられるようになり、モルデン沸石のみの表記で統一されるようになった。さらに単斜プチロル沸石については、命名におけるオリジナルの意味合いはもはや消失しているが、こういった経緯からそのまま単斜プチロル沸石の名称が用いられている[3]。そして現在では単斜プチロル沸石にはカリウム(K)、ナトリウム(Na)、カルシウム(Ca)に卓越する種類が知られ、カルシウムに卓越する単斜プチロル沸石が、ここで取り上げた灰単斜プチロル沸石である。

灰単斜プチロル沸石について、オフィシャルリストに掲載されている第一文献は小山と竹内の論文[4]であるが、その内容は主に構造解析であり、発見自体はまた別の論拠に依っている。第一文献中で構造解析に用いられた結晶は、福島県西会津町車峠から採集された標本であることが紹介されている[5]。それは湊ら[5]によると1968年の夏に東京大学の大塚謙一氏によって採集された、輝沸石によく似た結晶だった。そして、灰単斜プチロル沸石が輝沸石によく似た結晶となるのは極めて当然であった。実は輝沸石系列と単斜プチロル沸石系列の沸石は物質的には同じと言える。両者は共通の結晶構造(骨格タイプコード:HEU)で、組成も連続する。すなわち物質としては輝沸石と単斜プチロル沸石の間に境界線を作ることができないので、単斜プチロル沸石はたんにシリカの多い輝沸石であると考える研究者もいた[6]。しかし、単斜プチロル沸石と輝沸石は明らかに産状が異なる。単斜プチロル沸石は主に沸石岩の構成鉱物として微細な粉として産出するばかりで、その結晶は産出してもかなり小さい。一方の輝沸石は主に熱水で生じ、その結晶は数センチにも成長する。また加熱に対する挙動や、元素置換においてもよく調べればわずかに異なった挙動を示すなど、一緒くたにするのはどうかという議論が続いていた[7]。そうした事情もあって、沸石超族の命名規約は単斜プチロル沸石と輝沸石のためだけの特別ルールを設定することになった。すなわち輝沸石型構造(HEU)においてSi/Al = 4.0を上回る組成を単斜プチロル沸石系列と定義して、輝沸石系列とは分離して扱うことで、それぞれを個別の鉱物として認めている[3]。

沸石族は一価と二価の陽イオンが混在するケースが一般的で、組成式を作る際にその取り扱いに混乱が認められる。たとえばカリウム(K)、ナトリウム(Na)、カルシウム(Ca)に卓越する種類が知られるような場合だと、絶対量をそのまま比較するのではなく、二価の陽イオンについては重みを2倍にして比較する必要がある。例えば灰単斜プチロル沸石を例に出すと、第一文献に掲載されている分析値について二価の陽イオンの重みを2倍にして組成式を組み立てると、次のように表記しなくてはならない;[(Ca0.5)2.80Na1.76K1.05 (Mg0.5)0.34]Σ5.95(Al6.72Si29.20)O72・23.7H2O。CaとNaの絶対量ではCa < Naとなってしまうが、重みをつけた比較では(Ca0.5)=2.8に対してNa=1.76なので、Caに卓越するということになる。

日本から発見された新鉱物について、沸石族は湯河原沸石、灰エリオン沸石、ソーダレビ沸石、そして灰単斜プチロル沸石の4種となっている。その一方で新鉱物だという宣言の元で記載されたのは湯河原沸石のみで、残りの三種については沸石族の命名規約と共に誕生した新鉱物である。こういった種類を新鉱物と見なさない向きもあるようで、鉱物情報が発行している日本産鉱物種などではこの三種は新種の取り扱いとはなっていない。しかしながら国際的には日本産の新鉱物として登録されているため、このページでは灰エリオン沸石、ソーダレビ沸石、そして灰単斜プチロル沸石についても日本産新鉱物種としてカウントしている。

写真は西会津町と桑折町で得られた標本である。西会津町白坂では真珠岩中の小晶洞に微細な灰単斜プチロル沸石が生じている。西会津町宝坂はオパール球果が有名であるが、いわゆるハズレも多い。しかし、内部が空隙の場合はその中に灰単斜プチロル沸石が見られることがあり、むしろこれは標本としてわかりやすい。桑折町もまた古くからの沸石産地でモルデン沸石が著名で、よく見ると灰単斜プチロル沸石ばかりの小晶洞も開いている。新潟県中ノ沢では球果の中に出現し、その結晶はオレンジに色づいている。いずれも輝沸石とは外観が共通であるが、上述のようにSi/Al比で輝沸石とは区別される。

[1] Schaller W.T. (1923) Ptilolite and related zeolites. American Mineralogist, 8, 93-94.
[2] Waymouth C., Thornely P.C., Taylor W.H. (1938) An X-Ray Examination of Mordenite (Ptilolite). Mineralogical Magazine, 25, 212-216.
[3] 第二文献
[4] 第一文献
[5] 湊秀雄, 歌田実, 飯島東 (1971) 福島県車峠産斜プチロル沸石結晶について, 第15回粘土科学討論会講演要旨集, 10.
[6] Hey M.H., Bannister F.A. (1934) Studies on the zeolites. Part VIII. “ Clinoptilolite,” a silica-rich variety of heulandite. Mineralogical Magazine, 23, 556-559.
[7] Bish D.L., Boak J.M. (2001) Clinoptilolite-heulandite nomenclature. Reviews in Mineralogy and Geochemistry, 45, 207-216.

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IMA No./year: 1977-020
IMA Status: A(approved)
模式標本:島根大学; 国立科学博物館(M21331)(どちらもHand book of Mineralogyから引用)

加納輝石 / Kanoite

MnMgSi2O6

模式地:北海道八雲町熊石館平町(旧:熊石村)

第一文献:Kobayashi H. (1977) Kanoite, (Mn2+,Mg)2[Si2O6], a new clinopyroxene in the metamorphic rock from Tatehira, Oshima Peninsula, Hokkaido, Japan. Journal of the Geological Society of Japan, 83, 537-542.

第二文献:Arlt T., Armbruster T. (1997) The temperature-dependent P21/c – C2/c phase transition in the clinopyroxene kanoite MnMg[Si2O6]: a single-crystal X-ray and optical study. European Journal of Mineralogy, 9, 953-964.

加納輝石 / Kanoite
加納輝石 / Kanoite
模式地標本で、中央を上下に加納輝石を含む帯が走っている。

加納輝石鉱石のスケッチ小林氏のスケッチによるとA-Dまで以下のようになっている。
A:テフロ石帯(テフロ石+マンバンざくろ石+パイロファン+ガラクス石)
B:炭酸塩帯
C:加納輝石帯(加納輝石+角閃石+マンバンざくろ石+パイロクスマンガン石)
D:角閃石帯(角閃石+マンバンざくろ石+パイロクスマンガン石)

加納輝石 / Kanoite
加納輝石 / Kanoite
オープンニコル(上)/クロスニコル(下)
中央が加納輝石。加納輝石は100マイクロメートル程度の小粒子の集合となっている。

加納輝石は島根大学の小林英夫によって見出された輝石族の新種で、日本列島基盤岩類の解明に大きく貢献した秋田大学の加納博(1914-2009)に因んで命名された。命名は加納への遅蒔きの還暦祝いであったとされる[1]。日本で発見されている新鉱物のうち、輝石族に属するのは加納輝石のみとなっている(2020年1月現在)。

模式地の館平は渡島半島の日本海側に面しており、付近の海岸には無数の岩礁が点在している。その多くは粘板岩起源の変成岩だが、一部にマンガン鉱物に富む団塊状の岩礁が認められており、加納輝石は一つの岩礁から見出された。現時点でその岩礁を特定することは困難となっているが、第一文献には詳細なスケッチが掲載されており、加納輝石は10m規模の岩礁において西側斜面で見出されている。加納輝石は厚さ数ミリの薄い帯として分布し、園石+テフロ石帯とパイロクスマンガン石+角閃石帯に挟まれる産状を示す[2]。

加納輝石はMnMgSi2O6という理想化学組成を持ち、対称性から単斜輝石であることが示された。この当時、マンガン(Mn)とマグネシウム(Mg)を等量に持つ単斜輝石は合成実験で存在が知られていたものの、天然での産出は加納輝石が初めてであった。結晶構造については合成実験で生成された試料について詳しい検討が行われ、空間群P21/cで示される単斜晶系の構造で、マンガン(Mn)とマグネシウム(Mg)はそれぞれM2席とM1席に分かれていることが明らかとなった[4]。

上述のように加納輝石の存在はMgSiO3―MnSiO3系の合成実験において先に知られており、加納輝石は中間成分で単一相として合成できる。一方で、ややマグネシウムに富む組成を出発物質として合成すると、加納輝石+斜方輝石が出現することもまた知られている[5]。この斜方輝石は理想組成を(Mn,Mg)MgSi2O6として、加納輝石に比較してややマグネシウムに富むという特徴がある。天然においてはSt Joe鉱山(アメリカ)から1984年に見出され、ドンピーコ輝石(Donpeacorite)と名付けられた。1986年には加納輝石の原産地である館平からもドンピーコ輝石が見出されたという報告がある[6]。なお、ややマンガンに富む組成で合成すると加納輝石+パイロクスマンガン石の組み合わせが出現する。館平では主に加納輝石+パイロクスマンガン石の組み合わせが観察される。

上に掲載した写真は模式標本と同じ岩礁から得られた標本で、小林氏の観察スケッチが付属している。加納輝石は「C」で示される幅1センチ未満の帯に濃く含まれており、帯はピンク色を帯びた茶色~ダークマゼンダ色を示す。その色合いは見た目として園石やアレガニー石によく似ている。C帯の一部を分析すると、中身は確かに加納輝石が多いが、角閃石、マンバンざくろ石、パイロクスマンガン石が共存していた。分析値は模式標本と概ね共通でややMn>Mgの特徴を持ち、Mn(Mg,Mn)Si2O6で表すことができる。そのためややMg>Mnとなるべきのドンピーコ輝石はおそらくこの標本中には存在しないだろう。

加納輝石について日本国内の他産地となると文献には続報が見当たらない。一方でMindatによると宮崎県下鶴鉱山が加納輝石の産地として挙げられている。出典は外国人の個人標本となっており詳細はわからなかったのだが、最近になって下鶴鉱山・加納輝石とラベルされた標本を後輩から受け取った。調べてみると確かに加納輝石が入っている。館平のような帯状の分布ではなく、加納輝石は岩石中にやや偏在しながらパッチ状で分布している。結晶サイズは館平よりも小さい。

含加納輝石鉱石 / Kanoite-bearing ore
下鶴鉱山からの加納輝石を含む鉱石の破断面。加納輝石の量は多くないが、アラバンド鉱、テフロ石、マンバンざくろ石、角閃石と共存していた。

[1] 諏訪兼位(2009)元会長 加納 博教授の逝去を悼む. 岩石鉱物科学, 38, 233.
[2] 第一文献
[3] 小林英夫(1977)北海道檜山郡熊石村館平の変成岩(II)Kanoiteの共生関係. 島根大学理学部紀要, 11, 89-95.
[4] 第二文献
[5] Iwabuchi Y., Hariya Y. (1985) Phase equilibria on the join MgSiO3-MnSiO3 at high pressure and temperature. Mineralogical Journal, 12, 319-331.
[6] 山口佳昭, 加納博, 渡辺暉夫, 小林英夫(1986)Kanoiteと共生するdonpeacoriteについて. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, P70.

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IMA No./year: 1977-042
IMA Status: A(approved)
模式標本:九州大学箱崎キャンパス; 国立科学博物館(ナンバー不明); 櫻井標本; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 142945(いずれもHand book of Mineralogyから引用)

種山石 / Taneyamalite

(Na,Ca)Mn2+12(Si,Al)12(O,OH)44

模式地:熊本県矢代市種山鉱山(旧:東陽村)& 埼玉県飯能市岩井沢鉱山

第一文献:Matsubara S. (1981) Taneyamalite, (Na,Ca)(Mn2+, Mg, Fe3+,Al)12Si12(O,OH)44, a new mineral from the Iwaizawa mine, Saitama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine 44, 51-53.

第二文献:設定無し

種山石 / Taneyamalite
模式地(熊本県種山鉱山)

種山石 / Taneyamalite
高知県伊野町加茂山

種山石 / Taneyamalite
愛媛県大洲市用ノ山鉱山

種山石は熊本県種山鉱山および埼玉県岩井沢鉱山を模式地とする新鉱物で、種山鉱山にちなんで命名された。九州大学の青木義和らによって種山鉱山の種山石が記載され[1]、岩井沢鉱山の種山石については国立科学博物館の松原聰によって記載された[2]。種山石発見の功績により青木には櫻井賞および第28号メダルが授与されている。

種山石はハウィー石(Howieite)のマンガン(Mn)置換体に相当する鉱物で、ハウィー石が先に鉱物種として確立されている[3]。ハウィー石が1965年にアメリカからの新鉱物として発表されてまもなく、1967年には青木・磯野によって熊本県種山鉱山からハウィー石のマンガン置換体が見出された旨が報告されている[4]。そして1977年になり松原が埼玉県岩井沢鉱山からハウィー石のマンガン置換体を再発見したが、その時点でハウィー石のマンガン置換体はまだ新種として確立されていなかった。そこで松原が新鉱物申請をとりまとめ、鉱物名については先に発見されていた種山鉱山に因んで命名されることになった。種山石自体の構造解析はまだ行われていないが、近縁のハウィー石では構造が解明されている[5]。

ハウィー石-種山石系列の鉱物は高圧低温型の層状マンガン鉱床からしばしば見出され、黒緑色~茶褐色で葉片状または繊維状の集合体となり、それが脈状に分布することが多い。世界的にも産状はほとんど共通で、ハウィー石および種山石は藍閃石片岩相程度の変成作用を受けた鉱床における特徴的な鉱物として知られている[6,7]。日本では御荷鉾帯、秩父帯北帯、黒瀬川構造帯に沿って産地が知られるようになってきた[8]。しかし種山石は依然として世界的には稀産鉱物であり、日本以外では産出例が非常に少ない。

これまでの研究の組成データを眺めるに、ハウィー石-種山石系列は完全固溶体が形成されると思われる。そして外観と組成が連動する傾向があり、黒色が強くなると鉄が多く、黄色みが強いとマンガンが多くなる。高知県加茂山や種山鉱山産の種山石は黒みがかっており、これは分析して見ると鉄がかなり多く、ハウィー石との境界ぎりぎりである。一方で岩井沢鉱山や四国のマンガン鉱床でみつかる種山石は黄色がかっており、こういった色合いだと組成は端成分に近い。

[1] Aoki Y., Akasako H., Ishida K. (1981) Taneyamalite, a new manganese silicate mineral from the Taneyama mine, Kumamoto Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 8, 385-395.
[2] 第一文献
[3] Agrell S.O., Bown M.G., McKie D. (1965) Deerite, howieite, and zussmanite, three new minerals from the Franciscan of the Laytonville District, Mendicino Co., California. American Mineralogist, 50, 278.
[4] 青木義和, 磯野清 (1968) 熊本県種山鉱山産Howieite類似鉱物について. 地質学雑誌, 74, 136.
[5] Wenk H.R. (1974) Howieite, a new type of chain silicate. American Mineralogist, 59, 86-97.
[6] Schreyer W., Abraham K. (1977) Howeite and other high-pressure indicators from the contact aureole of Brezovia, Yugoslavia, peridotite. Neues Jahrbuch für Mineralogie – Abhandlungen, 130, 114-133.
[7] Wood R.M. (1979) The iron-rich blueschist facies minerals: 2 Howieite. Mineralogical Magazine, 43, 363-370.
[8] 皆川鉄雄, 松田博幸(2002)四国の高P/T型マンガン鉱床および鉄・マンガン鉱床産howieite-taneyamalite系鉱物. 愛媛大学理学部紀要, 8, 1-10.

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IMA No./year: 1977-042
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-21727); National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 142978(Hand book of Mineralogyから引用)

長島石 / Nagashimalite

Ba4(V3+,Ti)4(O,OH)2[B2Si8O27]Cl

第一文献:Matsubara S., Kato A. (1980) Nagashimalite, Ba4(V3+, Ti)4[(O,OH)2|Cl|Si8B2O27], a new mineral from the Mogurazawa mine, Gumma prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 10, 122-130.

第二文献:Matsubara S. (1980) The crystal structure of nagashimalite, Ba4(V3+,Ti)4[(O,OH)2|Cl|Si8B2O27]. Mineralogical Journal, 10, 131-142.

模式地:群馬県桐生市茂倉沢鉱山

長島石 / Nagashimalite
模式地標本

長島石は国立科学博物館の研究チームにより見出された新鉱物で、日本における鉱物愛好家の草分け的存在である長島乙吉(1890-1969)に因んで命名された。長島氏は1930年頃に鉱物同好会を立ち上げ、「趣味之鉱物」という同人誌を発行して同好の士を募った。その当時は学生であり、後に大家となる櫻井欽一(1912-1993)もまたその会員であった。長島氏は希元素鉱物の採集、発見の功績によって1958年に紫綬褒章を受章している。調査結果は「日本希元素鉱物[1]」という書籍にまとめられ、今では愛好家のバイブルとも言える貴重な書となっている。

1973年の暮れに、群馬県茂倉沢鉱山の鉱石が一般の鉱物愛好家によって国立科学博物館へ持ち込まれた[2]。その鉱石には原田石に類似したエメラルドグリーンの鉱物が伴われており、興味を持った研究チームによって翌年には茂倉沢鉱山の調査が行われた。その際の調査で、青のり状の形態を示すロスコー雲母と緑色板柱状の不明鉱物が見出されている。そして博物館へ持ち帰られた不明鉱物の解明は、松原の博士論文の研究テーマとして扱われることになった。

研究が始まり、この不明鉱物は三価鉄(Fe3+)を主成分にもつタラメリ石(Taramellite)に対してそのバナジウム(V3+)置換体に相当する新鉱物である可能性が高まった。しかし、結晶構造を精密化する段階で問題が生じた。不明鉱物はタラメリ石の構造で解くことができず、内容を精査するとタラメリ石にはないはずの塩素(Cl)とホウ素(B)が存在する可能性がでてきた。そこでEPMA分析と湿式分析によって化学組成の再検討を行ったところ、確かに塩素とホウ素が確認されたのだった。なお、この湿式分析を担当したのが、長島乙吉の息子で筑波大学教授を務めていた長島弘三である[3]。この精度の高い分析によって構造もまた十分な精度で解明された[4]。そして長島石の研究を受けてタラメリ石についても化学組成と構造の再検討が行われることになり、やはり塩素とホウ素が含まれていることが確認されている[5]。

長島石は産出が非常に限られており、その産地は模式地である群馬県茂倉沢鉱山のほかには岩手県田野畑鉱山のみとなっている。茂倉沢鉱山ではある程度の産出があったようで、標本はそれなりにはみかける。バラ輝石などを伴う珪質で低品位のマンガン鉱石において、石英やバラ輝石の粒間に濃緑色の板から柱状結晶として長島石は産出する。田野畑鉱山では長島石は相当な稀産となり、長島石は桃井ざくろ石を密接に伴ってやはりバラ輝石をふくむ珪質なマンガン鉱石に伴われる[6]。写真でだけ見たことがあるが、1ミリ程度の大きさで結晶形は不定形と思われる。

[1] 長島乙吉, 長島弘三(1960)日本希元素鉱物. 日本鉱物趣味の会発行, 長島乙吉先生祝賀記念授業会, pp436.
[2] Matasubara S., Kato A., Yui S. (1982) Suzukiite, Ba2V4+2[O2|Si4O12], a new mineral from the Mogurazawa mine, Gumma Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 11, 15-20.
[3] 第一文献
[4] 第二文献
[5] Mazzi F., Rossi G. (1980) The crystal structure of taramellite. American Mineralogist 65, 123-128
[6] Matsubara S., Miyawaki R., Yokoyama K., Shiggeoka M., Miyajima H., Suzuki Y., Murakami O., Ishibashi T. (2010) Momoiite and nagashimalite from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Bulletin of the National Museum of Nature and Science C, 36, 1-6.

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IMA No./year: 1978-005
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-21385)

鈴木石 / Suzukiite

BaV4+Si2O7

第一文献:Matsubara S., Kato A., Yui S. (1982) Suzukiite, Ba2V4+2[O2|Si4O12], a new mineral from the Mogurazawa mine, Gumma Prefecture, Japan, Mineralogical Journal 11, 15-20.

第二文献:設定無し

模式地:群馬県桐生市茂倉沢鉱山

鈴木石 / Suzukiite
鈴木石 / Suzukiite
模式地標本

鈴木石は国立科学博物館の研究チームにより記載された新鉱物で、北海道大学地質鉱物学第一講座(現:岩石学・火山学研究グループ)で教授を務めた鈴木醇(1896-1970)へ献名された。発見の経緯は一つ前の新鉱物である長島石と同様で、1973年の暮れに鉱物愛好家によって未同定鉱物が国立科学博物館へ持ち込まれたことに端を発する。そのときに持ち込まれた石はバラ輝石と菱マンガン鉱を主体とするいわゆるマンガン鉱石で、そこにはエメラルドグリーンの鉱物が伴われていた[1]。これが鈴木石であった。

茂倉沢での発見に遡るほんの数ヶ月前、岩手県田野畑鉱山からバリウム(Ba)とバナジウム(V)を主成分とする未知のケイ酸塩鉱物が見つかったことが学会で発表された[2]。これもまた鈴木石であった。発表では化学組成分析と粉末X線回折から原田石(SrV4+Si2O7)のストロンチウム(Sr)をバリウムに置き換えた鉱物であることが示されていた。研究グループはその新鉱物候補について、鈴木石(Suzukiite)とすることを決めていたとされる。

その理由として、両者の関係性が想定される。まず原田石とは北海道大学において地質鉱物学第四講座で教授を務めた原田準平(1898-1992)に因む新鉱物である。そして原田準平と鈴木醇はほとんど同年代で、北海道大学地質鉱物学教室でそれぞれ第四講座および第一講座の教授を務めた。互いの還暦記念論文集にも互いに寄稿している[3-4]。元素で見ると、ストロンチウムとバリウムは周期表で同族という関係であり、ストロンチウムを主成分とする原田石とバリウムを主成分とする鈴木石は、人物・鉱物どちらをみても対の関係となっている。

第一文献において発見そのものは田野原鉱山が茂倉沢鉱山に先行していたことが触れられてはいるが、模式地としては茂倉沢鉱山のみが設定されている。そして現在(2020年9月時点)でも田野畑鉱山からの鈴木石については記載論文が出版されていないようだ。ともかくも鈴木石のデータは茂倉沢鉱山産の標本から取得された。化学組成については少量のストロンチウムの他に、わずかなチタン(Ti)を含むのみで、これはほとんど端成分に近い。結晶構造については粉末X線回折で検討された。原田石と同構造であることが理解できる内容で、格子定数は原田石よりも鈴木石が大きいという関係であった。これはストロンチウムよりもバリウムが大きいという元素のサイズと整合的でもある。ただし光学的な性質では原田石と鈴木石は区別できないと読める。

鈴木石は原田石と同構造であるものの、その精密な結晶構造解析は永らく報告がなかった。これは原田石が発見早々に構造が解かれたことと対称的である。鈴木石の結晶構造は茂倉沢産の標本を用いた単結晶X線回折で解明され、やはり原田石と同構造で大きな差は無いことが確認された。それは2014年に正式な論文として発表され[5]、いずれこの論文が第二文献として登録されるのだろう。

鈴木石は原田石と同様に産地が少ない。日本では茂倉沢鉱山と田野畑鉱山が鈴木石の産地として知られるほか、浜横川鉱山からも産出が噂されている。産出量としてはおそらく茂倉沢鉱山が多く、これは見かける機会はそれなりにある。一方で田野畑鉱山産となるとまず見かけず、浜横川鉱山の標本となると個人的には見たことすら無い。また2014年にはBavsiite(Ba2V2O2[Si4O12])と名付けられた鈴木石の同質異像がカナダから見つかっている。ただ、これはまだ日本では見つかっていない。

[1] 第一文献
[2] 渡辺武男, 由井俊三, 加藤昭(1973)岩手県田野原鉱山産Ba-V珪酸塩新鉱物. 三鉱学会連合学術講演要旨集, P24.
[3] 鈴木醇(1958)神居古潭結晶片岩中の特殊鉱物について. 鉱物学雑誌, 3, 660-673. (原田準平教授還暦記念論文集)
[4]原田準平(1958)X線蛍光分析法によるリョウマンガン鉱中の鉄分の測定. 鈴木醇教授還暦記念論文集, 342-357.
[5] Ito M., Matsubara S., Yokoyama K., Momma K., Miyawaki R., Nakai I., Kato A. (2014) Crystal structure of suzukiite drom the Mogurazawa mine, Gunma Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Science, 109, 222-227.

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IMA No./year: 1978-040
IMA Status: A(approved)
模式標本:東北大学理学部(第一文献から引用)

古遠部鉱 / Furutobeite

(Cu,Ag)6PbS4

第一文献:Sugaki A., Kitakaze A., Odashima Y. (1981) Furutobeite, a new copper-silver-lead sulfide mineral, Bulletin de Minéralogie 104, 737-741.

第二文献:設定無し

模式地:秋田県小坂町古遠部鉱山

古遠部鉱 / Furutobeite
秋田県大館市釈迦内鉱山

古遠部鉱 / Furutobeite(反射顕微鏡写真)
反射顕微鏡写真 中央が古遠部鉱

古遠部鉱 / Furutobeite(後方散乱電子像)
後方散乱電子像 中央が古遠部鉱

古遠部鉱は秋田県小坂町にあった古遠部鉱山から見出された新鉱物で、東北大学の苣木(すがき)教授を筆頭とした研究グループによって記載された。古遠部鉱の発見により、苣木は櫻井賞(第20号)を受賞した。

古遠部鉱山は1958年(昭和33年)頃から本格的な操業が始まった鉱山で、青森県との県境ちかくの秋田県小坂町字古遠部に位置していた。鉱床はいわゆる黒鉱鉱床であり、6つの鉱体が知られている[1]。採掘されていた鉱石は概ね3つに分類され、それぞれ、黒鉱、半黒鉱、黄鉱と呼ばれた。そして大黒沢東鉱床から産出する黒鉱が最も金・銀に富んでおり、銀を主成分に持つ古遠部鉱はこの大黒沢東鉱床から見出された。第一文献によると、-2mレベル、西1.5、 北3.25地点で採集されている。

古遠部鉱を含む鉱石は斑銅鉱が主体で、輝銀銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱が伴われる。古遠部鉱は300ミクロン程度以下の微細な粒子で鉱石中に埋没する産状であるため、観察には反射顕微鏡が必要になる。そして反射顕微鏡下では古遠部鉱と輝銀銅鉱は非常によく似た特徴を示すが、古遠部鉱のほうがわずかに明るく、そしてややオレンジがかった色で観察される。第一文献ではEPMAによる定量分析が行われており、理想化学組成は(Cu,Ag)6PbS4とまとめられた。銅(Cu)、銀(Ag)、鉛(Pb)、硫黄(S)からなる鉱物は現時点(2020年9月)においても古遠部鉱のみである。構造については単結晶X線回折で検討され、単斜晶系(C格子)の格子定数が得られてはいるが、元素の位置関係は報告されていない。そして、古遠部鉱の構造は未だ解かれていない。

古遠部鉱は熱に不安定な鉱物である。95℃までなら変わりないが、100℃を越えると方鉛鉱とCu5AgS3の化学組成をもつ物質へ分解してしまう。このCu5AgS3は温度を下げるとまたさらに分解し、輝銀銅鉱と輝銅鉱になってしまう。そのため古遠部鉱が存在すると言うことは、その鉱石は100℃以下で生成したことを意味している。海底火山から噴出した熱水が海水で冷やされ、硫化鉱物が結晶化して海底に降り積もる。これが黒鉱鉱床の生成モデルであり、低温で生成する古遠部鉱は黒鉱鉱床を代表する鉱物と言えるだろう。そして黒鉱鉱床それ自体が日本列島に特徴的な鉱床であるため、古遠部鉱は日本産新鉱物の代表にもなろうか。

黒鉱中で典型的に生じる古遠部鉱の産地は限られており、日本では古遠部鉱山の他に秋田県釈迦内鉱山が産地として知られる。やはり黒鉱鉱床である。釈迦内鉱山での発見は古遠部鉱山での発見とほぼ同時期で、1978年にCu-Ag-Pb-S組成の不明鉱物として報告されている[2, 3]。その分析値を解析してみると、確かに古遠部鉱に一致している。写真の標本も釈迦内鉱山から産出した黒鉱である。外観では方鉛鉱と閃亜鉛鉱ばかりが目立つが、研磨片を作成すると不定形の古遠部鉱が含まれていることが確認できた。

[1] 黒田英雄(1977)古遠部黒鉱鉱床の生成機構-古遠部鉱山の鉱床と探査(II)-. 鉱山地質, 27, 9-22.
[2] 宮崎敏男, 加藤邦明, 飯田幸平 (1978) 釈迦内鉱山第11鉱体の産状. 鉱山地質, 28, 151-162.
[3] Bernstein L.R. (1986) Renierite, Cu10ZnGe2Fe4S16- Cu11GeAsFe4S16: a coupled solid solution series. American Mineralogist, 71, 210-221.

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IMA No./year: 1979-031
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM-M23380);National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 164269(Handbook of mineralogyから引用).

欽一石 / Kinichilite

Mg0.5Mn2+Fe3+(Te4+O3)3·4.5H2O

第一文献:Hori H, Koyama E, Nagashima K (1981) Kinichilite, a new mineral from the Kawazu mine, Shimoda city, Japan, Mineralogical Journal 10, 333-337.

第二文献:Miletich R (1995) Crystal chemistry of the microporous tellurite minerals zemannite and kinichilite, Mg0.5[Me2+Fe3+(TeO3)3]4·5H2O, (Me2+ = Zn;Mn), European Journal of Mineralogy 7, 509-523

模式地:静岡県下田市河津鉱山檜沢樋

欽一石 / Kinichilite
欽一石 / Kinichilite
模式地標本 こういった外観だと欽一石とゼーマン石は半々くらいの確率で含まれる。

ゼーマン石 / Zemannite
こういった色の淡い結晶は必ずゼーマン石

欽一石は鉱物科学研究所(現:ホリミネラロジー)の堀秀道博士を筆頭とする研究チームによって命名された新鉱物で、学名は河津鉱山から産出する各種の鉱物を記載してきた櫻井欽一(1912-1993)に因んでいる。当時、欽一石はゼーマン石(Zemannite)の二価鉄(Fe2+)置換体として新鉱物に認定された。しかし現在においてそれは誤った認識であることが明らかとなっており、第一文献に記載された鉱物はゼーマン石に相当する。そのため第一文献のデータに基づくと欽一石はディスクレジット(抹消)されることになるが、第二文献の取り扱いによって現在でも独立種の立場が保たれている。いったい何が起こったのか。欽一石にまつわる全体像を理解するには、まずは当時のゼーマン石を振り返る必要がある。

ゼーマン石(Zemannite)はMoctezuma鉱山(メキシコ)を模式地とする鉱物で、1968年に承認された。学名はオーストリアの鉱物学者である Josef Zemann(1923-)に因む[1]。EPMAによる化学組成分析と単結晶X線回折法による結晶構造解析によって、ゼーマン石の化学式は(Zn,Fe)2(TeO3)3NaxH2-x・yH2Oとして決定されている[1,2]。しかしながら、化学組成分析と構造解析のいずれにもわずかな見落としがあり、後の研究結果からみるとこの組成式は間違っていた。それでもゼーマン石は産出が極めて稀な鉱物であったため、その誤りにだれも気付かないままに時代が移り、欽一石の研究が始まってしまう。

第一文献で記載された欽一石の化学組成は(Fe2+1.13Mg0.47Zn0.43Mn2+0.17)Σ2.20(Te2.97Se0.03)Σ3.00O9.00(H1.38Na0.22)Σ1.60・3.2H2Oである。これは組成式として(Fe2+,Mg,Zn,Mn2+)2(TeO3)3NaxH2-x・yH2Oのようにまとめることができる。つまり亜鉛(Zn)を主成分とするゼーマン石に対して、二価鉄(Fe2+)を主成分とする欽一石という分類が可能だとして、欽一石は1979年に新鉱物に承認された。1995年に国立科学博物館が「櫻井コレクション―鉱物―」の企画を行った際には、理想化学式はHNa(Fe2+,Mg,Zn) 2[Te4+O3]3・3H2Oであると解説されている[3]。同時に、酸化帯に生じるのに三価鉄(Fe3+)ではなく二価鉄を主成分とすることについて言及があり、研究者はこれについて不思議な現象だと認識していたようだ。

1995年の企画展とほぼ同時期かその直後のことだと推測されるが、ゼーマン石と欽一石について重要な論文が発表された。それが第二文献であり、その主張はMg0.5[Me2+Fe3+(TeO3)3]・4.5H2Oの組成式についてMe2+=Znをゼーマン石とするという内容であった。ポイントはまず鉄の価数。これまで鉄はすべて2価として扱われていたが、実はすべて3価であることが判明した。後から考えるとこれは妥当な新事実であろう。ゼーマン石も欽一石も共に鉱床の酸化帯に生じるので、その環境であれば三価鉄を想定することが本来である。それからマグネシウム(Mg)についてはMe2+とは異なる結晶学的席に位置することが明らかとなり、Me2+には含まれない。ここで第一文献に掲載されている分析値を振り返り、鉄をすべて3価としてさらにはマグネシウムを除いてMe2+の内容を再検証してみよう。そうすると、マンガン(Mn)がやや含まれているもののMe2+では亜鉛が最も多くなる。それだとすると第一文献で記載された欽一石(=模式標本)は新鉱物どころではなく、それは既存鉱物のゼーマン石に過ぎなかったのだ。第二文献は欽一石を消滅させるかと思われた。

一方で第二文献は欽一石についても再検証を行っている。検証に使用された標本は国立科学博物館と東京学芸大学から提供されている。ただし模式標本とは記されていないので、いわゆる欽一石とされる真偽不明の標本であろう。これがある意味で幸運をもたらした。もし第二文献が模式標本を手に入れて検証していたならば欽一石は消滅していただろう。ともかくも4つの標本について10点の分析値が掲載されており、Me2+において亜鉛が卓越する点は2点のみで、あとはことごとくマンガンが卓越していた。すなわち欽一石と称する標本は大部分がMe2+=Mnとなる鉱物で構成されていた。そこで第二文献は模式標本のことについては軽く触れるにとどめ、ともかく欽一石という名前をMg0.5[Mn2+Fe3+(TeO3)3]・4.5H2Oという化学組成の鉱物にズバッと当てはめてしまった。これついて新鉱物・鉱物・命名委員会(CNMNC)で審査された経緯はないと思われ、日本の研究者が記した戸惑いを感じられる文章が残っている[4]。このようにして第二文献によって欽一石は生まれ変わった。ただし模式標本がゼーマン石であることには違いないので、これは論点のすり替えに相当する。ともかくもゼーマン石と欽一石のすみわけは第二文献によって確定してしまい、第一文献については命名したという立場のみが残った。現在の公式なリストでも第二文献による化学式が掲載されている。いずれにしても模式標本の再設定は今後に必要になるだろう。

欽一石の標本は長らく手に入れることができなかったが、京都の山田滋夫氏から恵与いただいた。さらにもとをたどると児玉亨氏が手に入れたものだと伺った。そして彼らからそれを書いてくれと言われているので経緯をここに記す。欽一石は透明感がある赤色がにじんだ褐色を呈する六角柱状結晶として産出し、単独の結晶や箒かススキに例えられるような先が開いたような集合もみられる。こういった結晶を調べてみるとだいたい半々くらいでマンガンが卓越するので、第二文献よりもだいぶ確率がよろしくない。もう半分は亜鉛が卓越するゼーマン石であるので、こうなると欽一石とゼーマン石を両方ラベルに記すほかない。一方で色の淡い結晶については、調べた範囲ではすべて亜鉛が卓越し、つまりゼーマン石であった。

[1] Mandarino J.A., Matzat E., Williams S.J. (1969) Zemannite, a new tellurite mineral from Moctezum, Sonora, Mexico, The Canadian Mineralogist 10, 139-140.
[2] Matzat E. (1967) Die Kristallstruktur eines unbenannten zeolithartigen Tellurminerals, (Zn,Fe)2[TeO3]3}NaxH2−x • n H2O. Tschermaks Mineralogische und Petrologische Mitteilungen, XII, 108–117.
[3] 櫻井コレクション―鉱物―. 平成7年6月13日~7月16日, 国立科学博物館, pp.76.
[4] 松原聡(1997)日本産鉱物情報(1996). 鉱物学雑誌, 26, 33-35.

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IMA No./year: 1979-081a
IMA Status: Rd(redefined)
模式標本:不明

奴奈川石 / Strontio-orthojoaquinite

NaSr4Fe3+Ti2Si8O24(OH)4(オフィシャルリスト)
Sr2Ba2(Na,Fe2+)2Ti2Si8O24(O,OH)・H2O 文献[5]

第一文献:Chihara K., Komatsu M., Mizota T. (1974) A joaquinite-like mineral from Ohmi, Niigata Prefecture, Central Japan. Mineralogical Journal, 7, 395-399.

第二文献:Kato T., Mizota T. (1990) The crystal structure of strontio-orthojoaquinite. Journal of the Faculty of Liberal Arts. Yamaguchi University. (Natural Science). 24, 23-32.

模式地:新潟県糸魚川市橋立(旧:青海町)

奴奈川石 / Strontio-orthojoaquinite模式地標本 分析値から得られる組成式は文献[5]と非常によく一致する。

新潟大学の茅原一也らによって見出された新鉱物には青海石と奴奈川石が知られる。奴奈川石は1979年の新鉱物である。しかし奴奈川石は学名と和名がバラバラであることからもわかるように、その承認の経緯にちょっとした事情がある。

第一文献は奴奈川石の初出となる文献で、1974年に出版された。ただしこれは新鉱物としての記載論文ではなく、ジョアキン石(Joaquinite)に似た鉱物の産出として報告されるのみで、奴奈川石(Nunakawaite)という表記は認められない。それでも発見者はこの鉱物のことを奴奈川石と呼び、新鉱物であることを確信していたことがうかがえる[1,2]。その由来となった奴奈川という名称は新潟県糸魚川市を流れる姫川の古名であり、日本神話に登場する女神の名でもある。奴奈川石の発見地は青海川であるので、女神の方から採用したのだろう。ともかくその美しい響きは愛石家に好まれ、姿形もまた美しいことから奴奈川石の通称は一定の知名度を獲得したと思われる。その呼称は学術界には定着しなかったが、あえて奴奈川石(Nunakawaite)の名称を用いた研究発表がごく最近に行われた[3]。

奴奈川石に先立ってジョアキン石という鉱物が先にあった。そして、単斜晶系のジョアキン石に対して、斜方晶系(直方晶系)でストロンチウムにやや富む奴奈川石という対応である。これが1974年の第一文献の内容であり、著者らは新鉱物として確信しつつもなぜか申請はされないままになっていた。そして1979年になり、二つのジョアキン石類似鉱物がアメリカで見出された。ひとつがジョアキン石よりもストロンチウムに富みかつ単斜晶系となるストロンチオジョアキン石(Strontiojoaquinite)で、もう一つがバリオ斜方ジョアキン石(Bario-orthojoaquinite)である。それらはいずれも化学組成と対称性を学名に当てはめるという合理性が特徴となっている。このやりかたはIMAから承認されており[4]、これまでほったらかしになっていた奴奈川石にもStrontio-orthojoaquiniteという学名が自動的に当てはめられることになった。詳細な解説を省くが、IMA No.もまず間違いなく自動的に付与されている。学名の定まった経緯はこういったことによる。しかし和名は個人の自由で表現すれば良いので、ここでは美しい響きの奴奈川石と表現する。

2001年にはジョアキン石族の再定義というタイトルの論文が発表される[5]。ジョアキン石族は7種に再編され、理想化学式も変更された。その論文に基づくと奴奈川石(Strontio-orthojoaquinite)の理想化学式はSr2Ba2(Na,Fe2+)2Ti2Si8O24(O,OH)・H2Oと定義されている。実際に分析した値もこの化学式と非常によく一致する。しかしなぜかオフィシャルリストには古い組成式が掲載されたままとなっている。ただし、文献[5]の理想化学式が結晶構造に基づいて提案されているかというと、必ずしもそうではない。奴奈川石の場合だと第二文献によってバリウムやストロンチウムの入る結晶学的席は6つあることが明らかとなったが、それぞれの配置と量比は未解明のままとなっている。一つの結晶に複数のポリタイプが混じることもあって[6]、それは構造解析の障壁となるだろう。

奴奈川石は毛状の苦土リーベック閃石をともなう曹長岩中にみられる鉱物で、多くは黄色いシミのような産状であるが、多孔質となった箇所から結晶が顔を覗かせることがある。そこでは奴奈川石は錐状に尖り、多段成長した痕跡がしばしば観察される。奴奈川石は約8900万年前(U-Pb年代)に生成したことが判明しており[3]、地質年代としてそれはとりわけ古くもないが、恐竜が生き生きと活動しているころに誕生しながらも現代になっても凛々しいままであることが奇跡にも思える。奴奈川石の模式標本は文献上では不明になっているが、新潟大学には模式標本が残っている[6]。

[1] 茅原一也, 小松正幸, 溝田忠人 (1981) 青海産新鉱物(ohmilite, nunakawaiteほか)の成因に関する研究–蛇紋岩中のtectonic blockの稀有鉱物共生–. 飛騨外縁帯総合研究飛騨外縁帯研究報告No.2!文部省科学研究費総合研究(A)飛騨外縁帯の地質学的岩石学的研究, 43-56.
[2] 茅原一也(1996)青海自然史博物館とヒスイ. 宝石学会誌, 21, 95-96.
[3] Tsujimori T., Hara T., Shinji Y., Ishizuka T., Miyajima H., Kimura J., Aoki S., Aoki K. (2019) Dating a ‘princess’: U–Pb age determination of ‘nunakawaite’ (strontio-orthojoaquinite). 日本地球惑星科学連合2019年大会, SMP32-14.
[4] Wise W.S. (1982) Strontiojoaquinite and bario-orthojoaquinite: two new members of the joaquinite group, American Mineralogist 67, 809-816
[5] Matsubara S., Mandarino J.A., Semenov E.I. (2001) Redefinition of a mineral in the joaquinite group: orthojoaquinite-(La). The Canadian Mineralogist, 39, 757-760.
[6] 間島寛紀, 赤井純治(2005)HRTEMによる青海産ストロンチオ斜方ジョアキン石の構造多様性 -特にc軸方向四倍周期構造について-. 日本鉱物学会2005年度年会講演要旨集, K8-08

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総評_1980s

1980年代のIMAno.をもつ日本産新鉱物で、現在(2023年8月)でも有効な種は19種ある。ただし、データからは釜石石は備中石の正方晶系多形(ポリモルフ)の可能性が強く疑われる。それが確定すれば独立種としての立場は失われるが、いまのところ再検証された形跡はないためか、独立種としてまだ有効なままとなっている。片山石もやっぱり苦しい。片山石は古くからバラトフ石と同一であることが指摘されている。すくなくとも模式標本のデータを客観的に比べると間違いない。一方で、フッ素優占種のバラトフ石、水酸基優占種の片山石として永らく公式リストに載っているので、もはや模式標本のほうを更新するという手段がとれるかもしれない、と勝手に思う。また、すでに独立種としての立場を追われた鉱物もあり、南石が該当する。南石は組成的にはソーダ明礬石の範疇に収まるが、対称性がソーダ明礬石と異なっていたために承認を受けた。ただし、1980年代は鉱物の定義がまだ明確に宣言されていない時代であり、とくに対称性の違いで種を分けるやりかたは後年に否定され、南石はその対象となった。その他のほうに分類した釣魚島石については中身が論外。政治的な問題は度外視としても、人工物であることがほぼ確定している。

この年代で注目すべき日本産新鉱物は逸見石だと思っている。逸見石が発見された(申請された)のが1981年だが、その当時ですでに幻の鉱物と言われていたほど産出量が少なく、手に入りにくかったと聞いている。しかし、2002年に田邊晶洞と呼ばれる大きなポケットが発見されて以降は話が変わった。そこでは壁一面を逸見石の結晶が埋め尽くしており、今では逸見石はもっとも手に入りやすくかつ美しい日本産新鉱物になった。その逸見石を用いて物性研究が行われるなど、新鉱物の発見がほかの研究分野へも派生したというインパクトもある。そして、逸見石は布賀鉱山の専売特許であり、ほかからはいまだに見つかっていないという稀産性があり、全体を通じても日本産新鉱物の顔となる鉱物だと思う。ものが地味であっても個人的にはプロト型角閃石がツボであり、単結晶解析という手法だったからこその発見だろう。日本産新鉱物でアンモニウムを持つものはこれまでに二つあり、そのどちらも1980年代の新鉱物である。外国人によって記載された鉱物もこの年代に二つ入っており、全体を通じてみれば著者の所属は多様にみえる。産地についてはすでに消滅したものが多く、模式地の滋賀石と和田石は美結晶であったので惜しまれる。この年代の新鉱物で豊羽鉱だけ手に入らなかった。

世界的にみると、1980年代、とくにその前半は新鉱物が多く誕生した[1]。1980年と1982年は90種を超え、1983年も80種を超える新鉱物が誕生している。これは2010年前後まで超えられることのない突出した数である。1970年代後半に登場した単結晶X線構造解析ソフトの登場が影響しているかもしれない。ただし、そこをピークとして、1980年代後半になると年あたり50種くらいに落ち着くことになり、1990年代もそのくらいを推移する。「年間どれくらいの新鉱物が誕生するのか?」という問いに対して「50種くらい」という回答がたまに聞こえるが、それは1980年代後半から1990年代あたりの実績からでた回答であろう。

分析手法を見ると、EPMA分析と湿式分析の比率に極端な差が開いたのも1980年代である。1980年代前半にはEPMA分析を使った研究が6割、湿式分析を使った分析が4割といったところだが、後半にはEPMAが9割、湿式が1割まで差が開いている。IR分析が新鉱物研究に使われるケースをそれなりに見かけるようになったのもこのころであろう。一方で示差熱分析などはここから徐々に減っていく。1980年代は分析手法についてトレンド転換期だったように思える。

[1] Barton I.F. (2019) Trends in the discovery of new minerals over the last century. American Mineralogist, 104, 641-651.

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IMA No./year: 1980-006
IMA Status: Rn(renamed)
模式標本:国立科学博物館(MSN-M23125);National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 147159, 147160(Handbook of mineralogyから引用)

マンガノパンペリー石 / Pumpellyite-(Mn2+)

Ca2Mn2+Al2(Si2O7)(SiO4)(OH)2·H2O

第一文献:Kato A, Matsubara S, Yamamoto R (1981) Pumpellyite-(Mn2+) from the Ochiai Mine, Yamanashi Prefecture, Japan, Bulletin de Minéralogie 104, 396-399.

第二文献:設定無し

模式地:山梨県南アルプス市落合鉱山(旧:甲西町)

マンガノパンペリー石 / Pumpellyite-(Mn)
模式地標本 明るい褐色部

マンガノパンペリー石は国立科学博物館の加藤昭らによって見出された新鉱物で、命名は先に成立していた命名規約[1]に追従している。すなわちPumpellyite-(Mn2+)という学名には「パンペリー石族のパンペリー石シリーズの内で二価マンガン(Mn2+)に卓越する鉱物種」という意味が内包されるようになっている。二価マンガンのことを「マンガノ」と称するため、ここでは和名としてマンガノパンペリー石と呼ぶことにする。シリーズ名はアメリカの地質学者Raphael Pumpelly(1837-1923)に因む。Pumpellyはお雇い技術者として短い期間だが日本に滞在し、北海道の地質を調査している。

当時はパンペリー石族の構造に未解明の部分があったために現在の4倍量で組成式が作られているが[1]、ここでは現在の組成式に基づいてパンペリー石族を述べる。パンペリー石族の鉱物はCa2XY2(Si2O7)(SiO4)(OH)2-nOn・H2Oという化学組成において、Yの元素によってまずそのシリーズが分けられる。たとえば、Y = Alならパンペリー石シリーズ、Y = Fe3+ならジュルゴルド石シリーズ、Y = Mn3+ならオホーツク石シリーズとなる。そして、Xに入る元素によって鉱物種(学名)が決まり、それはXの元素はサフィックスで表すことになる。例えば、Y = AlかつX = Mgの場合だとPumpellyite-(Mg)(苦土パンペリー石)となる。そして、マンガノパンペリー石はY = AlかつX = (Mn2+)の鉱物である。

第一文献が記す内容によれば、落合鉱山は中新世(約2300-500万年前)の地層に発達した層状マンガン鉱床で、ぶどう石-パンペリー石相程度の弱い変成作用を受けている。ブラウン鉱が主要な鉱石鉱物であり、低品位部はいわゆるズリ(廃石)として放置されたようだ。そしてこの研究の調査段階ですでに鉱山は閉山し、坑口もまた不明になっていたため、研究に使用された鉱石はすべてズリから回収されている。調査の際には無名会の会員である愛石家が幾人か参加しており、そのうちの一人(山本)が著者として参画している。

マンガノパンペリー石は明るい灰色を帯びたピンク色と記されているが、ざっくりいえば明るい褐色であろう。それが斑紋や脈としてブラウン鉱に伴われ、最大で1センチほどの塊になる。ただしその塊はかっちりとはしておらず、もさっとしている。マンガノパンペリー石のモース硬度は5ほどもあり、これは燐灰石と同じ硬さであるが、もさっとした集合であるために針が易々と突き刺さる。こういう産状だと普通のスクラッチテストは困難なはずだが、どうやってそれを測定したのかは記されていない。また、個々の結晶は非常に微細で、最長100ミクロン程度の葉片状とされる。その形状を認識するには薄片を作ることになるが、薄片下での光学特性は紅簾石に似つつも多色性が異なることが記されている。組成的には少量のFe3+とMn3+が含まれているが、YにおいてAlが支配的であることが確認でき、XにおいてもMn2+が十分に卓越している。第一文献では構造データは粉末X線回折による格子定数のみの報告であったが、後にイタリア産のマンガノパンペリー石を用いた構造解析が実施されている[2]。パンペリー石構造の次(高圧高温側)に現れる相はサーサス石(Sursassite)やマクファル石(Macfallite)であり、構造的にはこれらはパンペリー石構造からほんのちょっとずらしただけの関係[(a+c)/2シフト]となっている[3]。そしてさらに高温高圧では緑簾石構造が出現し、その構造的な関係もすでに解明されている[3]。

写真の標本は模式地である落合鉱山のズリから得られた標本となる。明るい褐色部がマンガノパンペリー石で、なるほど確かにもっさりしており針を押し付けるとサクッと突き刺さる。分析値は第一文献とほとんど同じ内容で、この産地のマンガノパンペリー石は組成幅が小さいのだろう。落合鉱山のように目で見てわかるマンガノパンペリー石の産出はかなり稀だが、産出自体はそんなに稀ではない。四国のマンガン鉱床を調べていた際には顕微鏡レベルのマンガノパンペリー石はそれなりに見つかった(標本にはならないが)。

[1] Passaglia E, Gottardi G (1973) Crystal chemistry and nomenclature of pumpellyites and julgoldites. The Canadian Mineralogist, 12, 219-223.
[2] Artioli G., Pavese A., Bellotto M., Collins S.P., Lucchetti G. (1996) Mn crystal chemistry in pumpellyite: A resonant scattering powder diffraction Rietveld study using synchrotron radiation. American Mineralogist, 81, 603-610.
[3] Nagashima M. (2011) Pumpellyite-, sursassite-, and epidote-type structures: common principles-individual features. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 106, 211-222.

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IMA No./year: 1980-027(2012s.p.)
IMA Status: Rd(redefined)
模式標本:東京大学(M23378)(Handbook of mineralogyから引用)

カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite(原記載はsadanagaite)

KCa2(Fe2+3Al2)(Si5Al3)O22(OH)2

第一文献:Shimazaki H., Bunno M., Ozawa T. (1984) Sadanagaite and magnesio-sadanagaite, new silica-poor members of calcic amphibole from Japan. American Mineralogist, 69, 465-471.

第二文献:設定無し

模式地:愛媛県上島町弓削島

カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite
弓削島におけるカリフェロ定永閃石の産状

カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite
模式地標本
カリフェロ定永閃石は細粒であり、肉眼的に一般の角閃石のような柱や板状結晶が見られることはない。

カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite
上の標本の薄片写真(クロスニコル) 
全体がカリフェロ定永閃石(灰緑色)で、チタン鉄鉱(黒)、鉄スピネル(濃緑色小粒)チタン石(ギラギラ)を伴う。

カリフェロ定永閃石 / Potassic-ferro-sadanagaite
愛媛県松山市睦月島 利休鼠色の不定型な粒として方解石中にまばらに点在する。

カリフェロ定永閃石は東京大学の島崎英彦らによって見出された角閃石族の新種で、東京大学の名誉教授であった定永両一(1920-2002)にちなんで命名された。定永はX線結晶学や実験鉱物学が専門で、日本鉱物学会と日本結晶学会で会長を歴任し、日本学士院会員にも選ばれている。

角閃石族は昔から毎年のように新種が報告され、角閃石族が何種類の鉱物から構成されているか?と聞かれてもすぐに答えられないほどの大きなまとまりとなっている。それらを整理するために命名規約が早くから整備され、カリフェロ定永閃石が発見された当時は1978年版の命名規約が最新であった[1]。その命名規約に基づくと、化学組成からルートネームを名付けることが可能であった。そこで島崎らは定永閃石(Sadanagaite)として新鉱物を申請し、それが承認された。しかし、命名規約が2012年に大改訂された際に命名ルールが厳格化され[2]、そのルールに基づいて今の名称であるカリフェロ定永閃石(Potassic-ferro-sadanagaite)が定まった。

カリフェロ定永閃石は愛媛県弓削島から産出する。弓削島は瀬戸内海に浮かぶ島で、第一文献には秩父帯と領家帯の境界に近いことが図示されているが、瀬戸内海に秩父帯と領家帯の境界など存在しない。おそらくは広島型花崗岩と領家型花崗岩の境界の誤りであろう。ともかくも弓削島は広島型花崗岩の分布域に位置しており、島には石灰岩の採石所が稼働していた。その石灰岩は花崗岩によってよく焼かれており、再結晶化が著しい大理石となっている。また石灰岩には緑色の灰鉄輝石や橙色の灰バンざくろ石からなる色鮮やかな脈状スカルンが非常に良く発達しているが、カリフェロ定永閃石を伴うスカルンはそれらとは全く異なる。カリフェロ定永閃石は小規模な灰黒色の塊として石灰岩中に見出された。内部は主にベスブ石とカリフェロ定永閃石からなり、いずれもチタン(Ti)に富む組成的な特徴がある。また、それらはチタン鉄鉱、鉄スピネル、チタン石を多量に包有する。

この時代にはすでにEPMAが一般化しており、特性X線の補正法はあれこれ模索されていたようだが、分析自体は包有物を避けて難なく行えるようになっている。そして、カリフェロ定永閃石の組成的な特徴が明らかとなった。これは特にTサイトにおいてSi が 5.5を下回る世界初の角閃石であったことから、ルートネームになる定永閃石(Sadanagaite)が提案された。結晶構造については単結晶X線回折で空間群の候補が提案され、ガンドルフィーカメラで格子定数が報告されているものの、構造の精密化は行われていない。弓削島産のカリフェロ定永閃石は包有物が多くまた累帯構造もあるため、均質な組成の結晶を探すことが困難であったと伝え聞いている。

写真の標本は弓削島と睦月島から得られたカリフェロ定永閃石になる。弓削島においては、粗粒な大理石中に黒色の小塊がみられることがあり、これがカリフェロ定永閃石の代表的な産状である。これを持ち帰り分析しようなどとは普通は思わないが、愛媛県明神島において先例があったために、こういった産状の黒色塊はむしろ探し求められていた。後に松山市睦月島からも明神島や弓削島と同様のスカルンが見出され、そこからもカリフェロ定永閃石が見つかった[3]。ただし睦月島ではカリフェロ定永閃石は塊ではなく、個々の結晶が方解石中に散在するという産状を示す。この結晶を使えば構造解析も可能となるかも知れない。

[1] Leake B.E. (1978) Nomenclature of amphiboles. Canadian Mineralogist, 16, 501–520.
[2] Hawthorne F.C., Oberti R., Harlow G.E., Maresch W.V., Martin R.F., Schumacher J.C., Welch M.D. (2012) Nomenclature of the amphibole supergroup. American Mineralogist 97, 2031-2048.
[3] 西尾大輔, 皆川鉄雄 (2003) 明神島および睦月島に見られるAl質スカルンに産するtitanian esseneitic diopside. 岩石鉱物科学, 32, 68-79.

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IMA No./year: 1980-052
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M23560)(Handbook of mineralogyから引用)

釜石石 / Kamaishilite

Ca2(SiAl2)O6(OH)2

第一文献:Uchida E., Iiyama J.T. (1981) On kamaishilite, Ca2Al2SiO6(OH)2, a new mineral dimorphous (tetragonal) with bicchulite from the Kamaishi mine, Japan, Proceedings of the Japan Academy 57B, 239-243.

第二文献:設定無し

模式地:岩手県釜石市釜石鉱山

釜石石 / Kamaishilite
模式地標本 中央の暗緑色部に釜石石が含まれる。

釜石石 / Kamaishilite
釜石石 / Kamaishilite
釜石石 / Kamaishilite
同じ視野で、後方散乱電子像(上)、光学顕微鏡像(オープン)(中)、光学顕微鏡像(クロスニコル)(下)。

釜石石は東京大学地質学教室の内田悦生と飯山敏道によって岩手県釜石鉱山から見いだされた新鉱物で、釜石石は備中石と共通の化学組成(Ca2(SiAl2)O6(OH)2)をもつ新鉱物として記載された。その違いは対称性にあり、立方晶系の備中石に対して、正方晶系の釜石石という位置づけがなされている。この当時において対称性の違いは種を分ける基準として機能していた。ところが、1998年に種を分ける基準がより厳密化され、今では「結晶構造について元素の相対的な位置関係が同じであるとき、対称性の違いは種を分けない」ことがガイドラインとして整備されている。一方でガイドラインの適用は即座に執行されるのではなく、後年に超族をまとめる際に改めて精査されることが多い。釜石石についてはガイドラインに従うとその独立性はもはや補償されない可能性が非常に高いと言える。一方で、現時点でメリライトもしくはゲーレン石超族という大きなまとまりはまだ整備されていないので、釜石石の独立性は公式には否定されていない。そのためいまのところ「日本から発見された新鉱物たち(一覧)」に釜石石を区分している。

岩手県釜石鉱山は北上山地の中東部に位置し、石炭紀からペルム紀の石灰岩が白亜紀に花崗岩類の貫入を受けて生成した典型的なスカルン鉱床となっている。明治期以降に本格稼働された鉱山で、鉄を資源とする鉱山として釜石鉱山は日本最大級の規模であった。鉱床は熱源である花崗岩類から石灰岩に向かい、鉄鉱体帯→銅・鉄鉱帯→銅鉱帯と分帯し、とりわけ新山鉱床は鉱床群の中でもっとも規模が大きいことが知られている。釜石石はその新山鉱床の350mレベルにおいて、石灰岩にほど近いベスブ石スカルンの中から見いだされ、共生鉱物としてベスブ石や方解石のほかに、ざくろ石、灰チタン石、磁鉄鉱、黄銅鉱が記されている。写真を見る限りだとスカルンは石灰岩を横切る脈として生じるようで、スカルンは100ミクロン程度以下の結晶粒で構成され、粒の大きさはおおむねそろっているように見える。

一般的には光学特性は対称性の低下に敏感であるが、正方晶系の釜石石についてはほとんど光学的等方体として観察されている。その屈折率は立方晶系の備中石にほぼ等しい。組成的にも不純物は非常に少なく、ほとんど理想的なCa2(SiAl2)O6(OH)2組成となっており、ここまでの特徴で備中石とは区別できない。一方で、釜石石はX線回折パターンにおいて備中石と異なる挙動が観察される。釜石石のX線回折パターンは基本的に備中石とよく似ているが、それぞれのピークをよく観察すると、備中石で一本のピークであるものが、釜石石では二つ以上に割れているものが多い。そして割れたピークの高角側は回折強度が低下するという特徴があり、これは立方晶系から対称性が低下する際の特徴でもあった。そして、それぞれのピークに指数を割り振ると、釜石石について正方晶系(a = 8.85Å & c = 8.77Å)が得られている。これは立方晶系の備中石(a = 8.83Å)の格子がほんのわずかに歪んだ形状であるものの、この程度の変化だと結晶構造の中身である元素の相対的位置が異なる関係とは考えづらい。また、記載論文においても釜石石と備中石の区別は対称性の違いであるという主張である。そのため、1998年のガイドラインに従って後年に釜石石は備中石の正方晶系の多形(ポリタイプ)として扱われる可能性が高いと考えている。

写真の標本は山田滋夫氏から提供された釜石石の標本である。X線回折を行うほどの量がないために光学観察と組成のみ確認している。後方散乱電子像や光学顕微鏡写真の中心が釜石石であり、文献のようにほとんど光学的等方体として観察され、クロスニコルにおいては完全に消光する。ルーマニアの高温スカルン産地においては備中石もしくは釜石石としてその産出が示唆されているが[3]、現時点で釜石石を構造的に追認した報告は知られていない。

[1] 第一文献
[2] Nickel E.H., Grice J.D. (1998) The IMA commission on new minerals and mineral names: procedures and guidelines on mineral nomenclature, 1998. The Canadian Mineralogist, 36, 913-926.
[3] Pascal M.L., Fonteilles M., Verkaeren J., Piret R., Marincea S. (2001) The melilite-bearing high-temperature skarns of the Apuseni Mountains, Carpathians, Romania. The Canadian Mineralogist, 39, 1405-1434.

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IMA No./year: 1980-103
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M23576); National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 148213(Handbook of mineralogyから引用)

大江石 / Oyelite

Ca5BSi4O13(OH)3·4H2O

第一文献:Kusachi I., Henmi C., Henmi K. (1984) An oyelite-bearing vein at Fuka, the town of Bitchu, Okayama Prefecture. Journal of the Japanese Association of Mineralogists, Petrologists and Economic Geologists, 79, 267-275.

第二文献:Pekov I.V., Zubkova N.V., Chukanov N.V., Yapaskurt V.O., Britvin S.N., Kasatkin A.V., Pushcharovsky D.Y. (2019) Oyelite: new mineralogical data, crystal structure model and refined formula Ca5BSi4O13(OH)3·4H2O. European Journal of Mineralogy 31, 595-608.

模式地:岡山県高梁市備中町布賀道路際露頭

大江石 / Oyelite
模式地標本 

大江石は岡山県布賀から見いだされた新鉱物で、岡山大学の大江二郎教授(1900-1968)にちなんで岡山大学の草地功らによって命名された。大江石は古くは「10Å(おんぐすとろーむ)トベルモリ石」と呼ばれていたが、それは単独の鉱物種として認識されておらず、草地らが新鉱物へ申請したことで大江石という鉱物種として立場が定まったという経緯がある。現在において大江石は少なくとも微細な鉱物ではなく、立派で大きな標本が特に南アフリカで産出することが知られている。しかし、標本として優れていても構造解析に必須である良質な結晶は近年まで産出がなく、そのために大江石の理想化学式と結晶構造はなかなか解明されなかった。そして2019年になり、ロシア産の大江石を用いた研究によってようやく理想化学式と結晶構造が決定されている。それは大江石の誕生からは約40年、そもそも10Åトベルモリ石の発見からだと約60年にもなる長い道のりであった。

まずトベルモリ石(Tobermorite)は1882年に記載されたカルシウム(Ca)を主成分とする含水ケイ酸塩鉱物で、11.3Åに顕著なX線回折を示す特徴がある。そして大江石の前身である10Åトベルモリ石は1956年に報告されている[1]。それはCrestmore採石所(アメリカ)から得られた標本で、トベルモリ石に近い組成でありながらも10Åの回折ピークが顕著な未詳鉱物として記載された。この時点でこの未詳鉱物は「10Å含水物(the 10Å hydrate)」と呼ばれ、1961年には10Å含水物に少量のホウ素(B)が含まれることが明らかとなっている[2]。さらに、1964年までにトベルモリ石と似た化学組成ながらも回折ピークには、14Å、12.6Å、11.3Å(トベルモリ石)、10Å、9.3Åの5種類があることが知られている[3]。そしてそれぞれが「XXÅトベルモリ石」と呼ばれるようになっていった。そして10Åトベルモリ石については、1977年にイスラエルから産出が報告され[4]、次いで1980年に布賀からも見いだされている[5]。そのときも10Åトベルモリ石として産出が報告された。

布賀の10Åトベルモリ石はいわゆる道路際露頭と称される場所から産出した。ここは日本で初めて灰チタン石(Perovskite)が産出したことで有名であるほか、スカルンの帯状構造が観察できる。そのスカルンを切る細脈としてぶどう石や蛍石、魚眼石などが産出し、10Åトベルモリ石もまた細脈充填鉱物として見いだされている。他に14Åトベルモリ石と11.3Åトベルモリ石の産出もまた記されているが、これらは汚染岩を切ることに対して、10Åトベルモリ石はスパー石帯(主にスカルン)を切るという産状的な差異が述べられている。そして組成分析によって10Åトベルモリ石にはホウ素が含まれ、一方の11.3Åトベルモリ石にはホウ素が含まれないことも明らかとなった。また、カルシウム(Ca)/ケイ素(Si)においても10Åトベルモリ石と11.3Åトベルモリ石には差があり、熱挙動も報告されている。この研究結果を元に、草地らは10Åトベルモリ石は独立の鉱物であるとの核心を得て新鉱物申請が行われた。1980年に提出された申請書には草地および逸見親子の他に、Crestmore産の10Åトベルモリ石を記載したTaylor H.F.W.および分析に貢献した伊藤順もまた著者として加わっている[6]。新鉱物の名称には逸見吉之助および草地功が教えを受けた大江二郎の性が採用された。

大江石は単結晶構造解析が困難であったことから、その理想化学組成は主に分析から推定され、承認された時点ではCa10B2Si8O29・nH2O(n=9.5-12.5)と考えられていた[6]。そして1984年には記載論文が出版されるのだが、そこでは1.0CaO・0.1B2O3・0.8SiO2・1.25H2Oと改訂されている[7]。その後、あたらしい産地が見つかるたびに理想化学組成もまた改訂が提案されている[8,9]。そして2019年に構造解析が成功すると、Ca5BSi4O13(OH)3·4H2Oが理想化学式として定まった。さらに、大江石の結晶構造はカルシウム(Ca)-酸素(O)多面体の配列にトベルモリ石との共通点があり、ケイ素(Si)-酸素(O)多面体の配列にヴィステフ石(Vistepite:SnMn4B2Si4O16(OH)2)との共通点があるという、これまでに知られていない新規の結晶構造であることもまた判明した[10]。

なお、大江石の定義がこのように定まる前の2015年にトベルモリ石超族の命名規約が成立している[11]。各XXÅトベルモリ石について分類が行われ、14Å:プロンビエル石(Plombierite: Ca5Si6O16(OH)2·7H2O)、11.3Å:トベルモリ石(Tobermorite:Ca5Si6O16(OH)2·nH2O)もしくは単斜トベルモリ石(Clinotobermorite:Ca5Si6O17(OH)2·5H2O)、9.3Å:リバーサイド石(Riversidite: Ca5Si6O16(OH)2·5H2O)という分類が記されている。10Åが大江石だったのは上述にあるとおりで、残りの12.6Åについてはタカラン石(Tacharanite:Ca12Al2Si18O33(OH)36)として同定され、この二種についてはトベルモリ石超族に入らないということで落ち着いた。

大江石の結晶は無色透明で細く薄い板状結晶であり、結晶の側面には強い絹糸光沢がみえる。それが放射状に開いた形状で産出することが非常に多く、またしばしば脈として連続する。その外観はトベルモリ石と共通であり、外観だけで肉眼的にこれらを区別することはほとんど不可能である。しかし上述のように産状に注目することで、ひとつの産地では大江石とトベルモリ石を区別することが可能であろう。写真はスパー石中に生じた大江石の標本になる。

[1] Heller L., Taylor H.F.W. (1956) Crystallographic data for the calcium silicates. IV. The 10 Å hydrate. H.M. Stationary Office, London 1956, 37-38.
[2] Murdoch J. (1961): Crestmore, past and present. American Mineralogist, 46, 245-257.
[3] Taylor H.F.W. (1964) The chemistry of cements, 1. London, New York : Academic Press, 460p.
[4] Gross S. (1977): The Mineralogy of the Hatrurim Formation, Israel. Geological Survey of Israel, Bulletin no. 70, 80 pp.
[5] 草地功、逸見千代子、逸見吉之助(1980)岡山県備中町布賀産10Åトバモライト. 鉱物学雑誌, 14, 314-322.
[6] 草地功、逸見千代子、逸見吉之助(1981)新鉱物大江石. 日本鉱物学会1981年年会, P132.
[7] 第一文献
[8] 皆川鉄雄, 稲葉幸郎, 能登繁利(1986)三重県水晶谷産大江石. 岩石鉱物鉱床学会誌, 81, 138-142.
[9] Biagioni C., Bonaccorsi E., Merlino S., Bersani D., Forte C. (2012): Thermal behaviour of tobermorite from N’Chwaning II mine (Kalahari Manganese Field, Republic of South Africa). II. Crystallographic and spectroscopic study of tobermorite 10 Å. European Journal of Mineralogy, 24, 991-1004.
[10] 第二文献
[11] Biagioni C., Merlino S., Bonaccorsi E. (2015) The tobermorite supergrpup: a new nomenclature. Mineralogical Magazine, 79, 485-195.

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IMA No./year: 1981-021
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M23773)(Handbook of mineralogyから引用)

砥部雲母 / Tobelite

(NH4)Al2(Si3Al)O10(OH)2

第一文献:Higashi S. (1982) Tobelite, a new ammonium dioctahedral mica, Mineralogical Journal, 11, 138-146.

第二文献:Capitani G.C., Schingaro E., Lacalamita M., Mesto E., Scordari F. (2016) Structural anomalies in tobelite-2M2 explained by high resolution and analytical electron microscopy. Mineralogical Magazine, 80, 143-156.

模式地:愛媛県砥部町扇谷陶石鉱山および広島県東広島市豊蝋鉱山

砥部雲母 / Tobelite
砥部雲母 / Tobelite
愛媛県砥部町万年
 

砥部雲母は高知大学の東正治によって発見された新鉱物で、愛媛県砥部町扇谷陶石鉱山から見出されたことから砥部町に因んで命名された。記載論文は東のみの単名で記載されており、1984年に東へ櫻井賞(第24号)が授けられた

砥部雲母はその和名が示すように雲母超族の一員となる鉱物である。そして雲母超族の鉱物の一般化学式はIM2-31-0T4O10A2であり、IとMの内容によって分類される。まずIに注目すると、そこは一価もしくは二価の陽イオンが支配し、一価だと「純雲母(True mica)」、二価だと「脆雲母(Brittle mica)」に分ける。そして続く下位分類ではMの数に注目する。Mは二価と三価の陽イオンが入り、陽イオンが三個の場合を「3八面体型(Trioctahedral type)」、二個の場合を「2八面体型(Dioctahedral type)」と分ける。個々の鉱物種はその分類の下にぶら下がる。そして砥部雲母の理想化学組成は(NH4)Al2(Si3Al)O10(OH)2であり、一価のアンモニウムイオン(NH4)と二個のアルミニウム(Al2)なので、砥部雲母は「2八面体型の純雲母」ということになる。純雲母は一般に弾性があり曲げることができるが、砥部雲母も同様なのかは結晶が微細すぎて試すことはできない。しかしながらSEM写真では結晶は曲がっているように見えている。

砥部雲母の位置づけをもっと簡単に述べると、砥部雲母とは白雲母(KAl2(Si3Al)O10(OH)2)からみてカリウム(K)をアンモニウム(NH4)に置換した鉱物である。とりわけ白雲母の一部の産状である絹雲母と強く関連する。絹雲母とは超微細な白雲母の集合を示す俗名であり、流紋岩や安山岩類が熱水変質作用を受けて絹雲母ばかりになることがある。それはもはや資源でもあり、工業原料や化粧品、また陶石に利用される。愛媛県砥部町においてもいわゆる絹雲母鉱床が発達しており、それは優れた陶石として積極的に採掘されたものの、絹雲母の鉱物学的な内容はあまり検討されていなかった。

東は1970年代からいわゆる絹雲母の検討を始めており、黒鉱鉱床からはじまり続いて陶石鉱床を手掛けている。模式地である扇谷鉱山については1976年に粘土科学討論会において最初の発表が行われた。その際に化学組成への言及があり、カリウムに乏しいことからヒドロニウムイオン(H3O)置換が想定されている[1]。翌年にはさらに検討が進んだようで、カリウムを置換していたのはヒドロニウムではなくアンモニウムであることが明らかとなっている[2,3]。だだし、この段階のデータはまだカリウム>アンモニウムに留まっており、翌1978年にはこれまでの内容が論文にまとめられた[4]。いわゆる絹雲母、それも陶石鉱床から産する絹雲母がアンモニウムを普遍的に含むこと[5]は広く知られることになった。

IMA no.から砥部雲母は1981年に新鉱物として申請されたことがうかがえる。その時までにアンモニウム>カリウムとなる標本が扇谷陶石鉱山から見いだされたということになるだろう。記載論文となる第一文献においては広島県豊蝋鉱山からも砥部雲母が見いだされたことが記されており、二つの産地の砥部雲母が同時に記載された。化学組成や赤外分光のデータに二つの産地で大きな差は見られないが、X線回折パターンでは半値幅が明らかに異なっている。その違いの原因については具体的に言及されていないが、おそらくポリタイプの存在や結晶子のサイズに起因している。

砥部雲母はアンモニウムを含む雲母ということで、それは他の雲母に比べて水素(H)に富む雲母でもある。そのため重水素(2H:D化と言ったりする)への置換が試みられ、その際の挙動などが調査された[6]。結晶構造について検討された例が第二文献であり、そのほかにも構造と結合に関連したいくつかの研究がある[7,8]。

写真はいわゆる愛媛県砥部町万年地域から得られた陶石で、おもに砥部雲母からなる。微細なフレーク状の結晶が折り重なった集合体で、舐めると舌が吸い付けられる感触がある。アンモニウムを含んでいるが砕いても出てこないのか、その臭いを感じることはなかった。

[1] 東正治, 松田栄二(1976)愛媛県砥部町扇谷陶石鉱床の絹雲母鉱物. 粘土科学討論会講演要旨集, 20, P16.
[2] 東正治(1977)愛媛県砥部陶石鉱床産雲母鉱物の層間イオン. 日本鉱物学会講演要旨集, P101.
[3] 東正治(1977)愛媛県砥部陶石鉱床産含アンモニウム雲母鉱物. 粘土科学討論会講演要旨集, 21, P35.
[4] Higashi S. (1978) Dioctahedral mica minerals with ammonium ions. Mineralogical Journal, 9, 16-27.
[5] Yamamoto T. (1967) Mineralogical studies of sericites associated with Roseki ores in the western part of Japan. Mineralogical Journal, 5, 77-97.
[6] Harlov D.E., Andrut M., Pötter B. (2001) Characterisation of tobelite (NH4)Al2[AlSi3O10](OH)2 and ND4-tobelite (ND4)Al2[AlSi3O10](OD)2 using IR spectroscopy and Rietveld refinement of XRD spectra. Physics and Chemistry of Minerals, 28, 268-276.
[7] Ishida K., Hawthorne F.C. (2013) Far-infrared spectra of synthetic dioctahedral muscovite and muscovite-tobelite series micas: Characterization and assignment of the interlayer I-Oinner and I-Oouter stretching bands. American Mineralogist, 98, 1848-1859.
[8] Mesto E., Scordari F., Lacalamita M., Schingaro E. (2012) Tobelite and NH4+ -rich muscovite single crystals from Ordovician Armorican sandstones (Brittany, France): Structure and crystal chemistry. American Mineralogist, 97, 1460-1468.

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IMA No./year: 1981-034
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M23817)(Handbook of mineralogyから引用)

ソーダ南部石 / Natoronambulite

NaMn2+4Si5O14(OH)

第一文献:Matsubara S., Kato A., Tiba T. (1985) Natronambulite, (Na,Li)(Mn,Ca)4Si5O14OH, a new mineral from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 12, 332-340.

第二文献:Nagashima M., Armbruster T., Kolitsch U., Pettke T. (2014) The relation between Li ↔ Na substitution and hydrogen bonding in five-periodic single-chain silicates nambulite and marsturite: A single-crystal X-ray study. American Mineralogist, 99, 1462-1470.

模式地:岩手県田野畑村田野畑鉱山(松前沢鉱床)

ソーダ南部石 / Natoronambulite
ソーダ南部石 / Natoronambulite
ソーダ南部石 / Natoronambulite
模式地(松前沢鉱床)標本

ソーダ南部石 / Natoronambulite
岩手県田野畑村田野畑鉱山本坑

ソーダ南部石は南部石(Nambulite: LiMn2+4Si5O14(OH))のリチウム(Li)をナトリウム(Na)に置き換えた鉱物で、国立科学博物館の松原聰らによって岩手県田野畑鉱山からの新鉱物として発表された。ナトリウムを主成分とすることから学名はNatoroを接頭語にしているが、和名ではナトリウムをソーダと呼ぶ慣習に基づいてソーダ南部石と表記される。南部石は1971年に、ソーダ南部石はその10年後の1981年に国際鉱物学連合へ申請された新鉱物である。

南部石はリチウム優占種であり、御斎所鉱山などではリチウム端成分に近い南部石が産出する。ただ、模式地である舟子沢鉱山や近隣の大谷山鉱山から産出する南部石はかなりナトリウムに富んだ組成となっており[1,2]、南部石が記載された段階でLi-Na置換の存在は明白であったと言える。特に大谷山鉱山の南部石はナトリウムが支配的となる領域(=ソーダ南部石)まであと一歩であったことから、南部石のナトリウム置換体が存在することは想像し得たであろう。実際に、1978年にはコンバット鉱山(ナミビア)から明確にNa > Liとなる南部石の産出が報告されている[3]。それはつまりソーダ南部石であるのだが、論文タイトルからして「Second find of nambulite」であり、新種としての記載ではなかった。現代では化学組成の真ん中で種を分ける(50%則)ことは制度化されているが、1970年代までは著者らの判断に委ねられている部分があったのだろう。もともとの南部石がLi-Naの真ん中あたりの組成にあったことを思えば、リチウムだろうがナトリウムだろうが同じ、と判断したのかもしれない。

それでも鉱物分類を生業とする研究者は50%則を徐々に意識するようになり、既存の鉱物の元素置換体としての新鉱物は徐々に増えてくる。そうした状況の中、田野畑鉱山から南部石が見いだされ、その一部はナトリウム > リチウムという組成を示すことが明らかとなった。この時点でソーダ南部石に相当する鉱物の報告[3]はあれども新種としてそれは申請されておらず、結果として田野畑鉱山を模式地とするソーダ南部石が新鉱物として申請される運びとなった[4]。後年にリチウム-ナトリウム置換に伴う水素結合様式の変化が報告されている[5]。

(ソーダ)南部石はバラ輝石と同じく準輝石に分類される鉱物であり、結晶形態はお互いによく似るものの、(ソーダ)南部石はバラ輝石よりもオレンジ色が強く出ることが特徴で、肉眼鑑定は難しくない。ただ、ソーダ南部石か南部石かについては分析するしか判別方法はない。そして田野畑鉱山はソーダ南部石と南部石の両方が産出するため厄介である。単独の結晶として産出するほか、層で分布することがあり、片理に沿って割れると一面がソーダ南部石という標本が出来上がる。石英、セラン石、ブラウン鉱、苦土アルベソン閃石など、田野畑鉱山で見られる鉱物とはたいてい共生する。また模式地である松前沢鉱床だけでなく、本坑からも産出を確認している。

[1] Yoshii M., Aoki Y., Maeda K. (1972) Nambulite, a new lithium- and sodium-bearing manganese silicate from the Funakozawa mine, northeastern Japan. Mineralogical Journal, 7, 29-44.
[2] 南部松尾, 谷田勝俊, 北村強, 熊谷進 (1975) 東北地方産ケイ酸マンガン鉱の鉱物学的研究(第17報)–岩手県大谷山鉱山産南部石について–. 北大学選鉱製錬研究所彙報, 31, 27-36.
[3] Von Knorring O., Sahama Th.G., Törnroos R. (1978) Second find of nambulite. Neues Jahrbuch für Mineralogie Monatshefte, 346-348.
[4] 第一文献
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1981-050
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M-24641); National Museum of
Natural History, Washington, D.C., USA, 165482(Handbook of mineralogyから引用)

逸見石 / Henmilite

Ca2Cu[B(OH)4]2(OH)4

第一文献:Nakai I., Okada H., Masutomi K., Koyama E., Nagashima K. (1986) Henmilite, Ca2Cu(OH)4[B(OH)4]2, a new mineral from Fuka, Okayama Prefecture, Japan, American Mineralogist 71, 1234-1239.

第二文献:設定なし

模式地:岡山県高梁市備中町布賀鉱山

逸見石 / Henmilite
逸見石 / Henmilite模式地標本

逸見石は1981年に申請された日本産の新鉱物で、岡山県布賀鉱山を模式地としている。岡山大学の逸見吉之助(1919-1997)および逸見千代子(1949-2018)親子にちなんで名付けられ、両氏は布賀地域から見いだされた数々のスカルン鉱物を通じて世界でも稀な高温スカルンの詳細を明らかにしたことで鉱物学の発展に大きく貢献した。

逸見石発見の端緒は1977年5月だと伝わる[1-7]。滋賀県に在住の愛石家である岡田久らは布賀への採集行において、とある民家で研究用にと布賀鉱山内で採集された方解石のような結晶を伴う白色の石を譲り受けた。ただそれは方解石にしては軽く、その結晶系もまた方解石と異なっており、益富寿之助の見解を尋ねるべく日本地学研究会(当時)へその標本が持ち込まれている。その未詳鉱物に興味を持った益富は筑波大学の長島弘三研究室へ調査を依頼し、やがてその鉱物は世界で二番目の産出となる五水灰硼石(Pentahidroborite)であることが判明した。これは、それまで粉のような状態しか知られていなかった五水灰硼石が肉眼的な結晶として産出した初めての例であったとされる。1977年末には坑道内で五水灰硼石の露頭が発見され、そこには紫色を呈する非常に小さな鉱物が伴われていた。そして、五水灰硼石の研究がひと段落したのちに紫色鉱物の研究が始まり、1981年に新鉱物・逸見石として申請される運びとなったようだ。

逸見石は非常に小さなほとんどシミに近い状態で産出したと記録されており、そのほとんどが不定形で、自形結晶も最大で0.2mm程度が見つかる程度であった[8]。そのため分析や測定はたいへん困難であったと思われるが、記載論文では単結晶X線構造解析を駆使して精度の高い組成式を導くことに成功している[8]。記載論文に用いられた逸見石はおそらく通称2番坑で得られたと思われ、その後1992年までに3番坑においてある程度まとまった量が産出した。その逸見石を用いて物理的性質や熱的挙動などが報告されている[9]。それでもまだ逸見石の産出はまれと言える状態であったが、2002年には4番坑において幅3m長さ7mにも達する大きな空洞が発見され、その壁の一面には無数の逸見石が自形結晶として付着していたのだった。きわめて大量かつ最大で1cmに達し、平均的にも数mmという結晶を用いて詳細な結晶図が作成された[10]。

化学組成をみると、逸見石は銅(Cu)を主成分としており、そのほかに余計な遷移金属を含まない。これは物性物理分野での研究対象となりうる条件の一つであり、その磁性に注目した物理学的研究が行われた[11]。その際に結晶構造も検討されている。おそらく4番坑で得られた結晶だと思われるが、それは2番坑で得られた結晶とは構造がやや異なっているようで、内容を検証したところ2番坑で得られた従来型を-1aと表記したときに、4番坑で得られた新型は-2aと表記できるポリタイプになっている。ただ、鉱物種の定義からすると、構造が従来型・新型のいずれであっても「種」という単位では逸見石(Henmilite)という単独の鉱物種であって、ラベルを書き換える必要はない。

写真の標本はいずれも4番坑で得られた逸見石で、所有標本の中でもっとも結晶が際立つものを載せている。これは母岩が方解石であるが、五水灰硼石やなにやらよくわからない白いだけの鉱物が母岩になることもあって、全体をみると標本としてのツラはそれぞれ異なる。一方、逸見石それ自体は立派であるほど大きな違いはないようにみえる。大きな結晶は鮮やかで深く透明感のある青色を呈し、形状はまるで氷砂糖である。かつてはシミのような姿でさえ目にすることが難しかったが、今では逸見石は最も目にする日本産新鉱物だと言えるだろう。いまのところ逸見石は布賀鉱山以外からは見つかっていない。

[1] 逸見石物語 その1: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-0a3c.html
[2] 逸見石物語 その2: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/2-45e4.html
[3] 逸見石物語 その3: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-db9c.html
[4] 逸見石物語 その4: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-68c7.html
[5] 逸見石物語 その5: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-cdc8.html
[6] 逸見石物語 その6: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-5523.html
[7] 逸見石物語 その7: http://odamakituusin.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-57c3.html
[8] 第一文献
[9] 草地功 (1992) 逸見石の鉱物学的性質. 鉱物学雑誌, 21, 127-130.
[10] 高田雅介, 草地功, 岸成具, 田邊満雄, 安田隆志 (2005) 岡山県布賀鉱山産硼酸塩鉱物の結晶形態. 岩石鉱物化学, 34, 252-260.
[11] Yamamoto H, Sakakura T., Jeschke H.O., Kabeya N., Hayashi K., Ishikawa Y., Fujii Y., Kishimoto S., Sagayama H., Shigematsu K., Azuma M., Ochiai A., Noda Y., Kimura H. (2021) Quantum spin fluctuations and hydrogen bond network in the antiferromagnetic natural mineral henmilite. Physical Review Materials, 5, 104405.

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IMA No./year: 1982-004
IMA Status: A(approved)
模式標本:不明

片山石 / Katayamalite

KLi3Ca7Ti2(SiO3)12(OH)2

第一文献:Murakami N., Kato T., Hirowatari F. (1983) Katayamalite, a new Ca-Li-Ti silicate mineral from Iwagi Islet, Southwest Japan, Mineralogical Journal, 11, 261-268.

第二文献:Andrade M.B., Doell D., Downs R.T., Yang H. (2013) Redetermination of katayamalite, KLi3Ca7Ti2(SiO3)12(OH)2. Acta Crystallographica, E69, i41-i41

模式地:愛媛県上島町岩城島

片山石 / Katayamalite
模式地標本

片山石 / Katayamalite(短波紫外線照射)
同視野を短波紫外線で照射

片山石は山口大学の村上允英らによって記載された愛媛県岩城島を模式地とする新鉱物で、東京大学や九州大学で教鞭を執った片山信夫教授にちなんで命名された。片山石は現状では有効な日本産新鉱物の一つであるが、1990年代には片山石とバラトフ石(Baratovite)が同一の鉱物ではないかという疑義が上がっており、そのことはすでに愛石家の間にも広く知れ渡っている。ただし、現時点(2022年4月)であってもバラトフ石と片山石は別々の鉱物として公式リストに登録されている。ここでは公式リストの現状に基づいて片山石を「日本から発見された新鉱物たち(一覧)」のほうへ掲載することにした。以下に解説を述べよう。

片山石の前にバラトフ石の経緯をおさらいしてみる。バラトフ石は1974年にタジキスタンからの新鉱物として申請された鉱物で、学名は同国の岩石学者であるRauf Baratovich Baratov (1921-2013)にちなんで命名された。1975年に記された論文では、化学組成は4(KCa8Li2Si12O37F)のように表現できたようだ[1,2]。また、この段階で正しい対称性(単斜晶系)と格子定数が得られてもいる。そして、1979年までに正しい結晶構造が判明し、化学組成がKLi3Ca7(Ti,Zr)2[Si6O18]2F2へ改定された[3,4]。ここまでの流れは順当であるように見えるが、実は最初の報告では構造が決まっていなかったこともあって水酸基の量が過小評価されていた。実際のところはOH > Fであるのだが、F優占種として記載されたがために、正しい結晶構造が導かれた際もOHではなくFで組成式が組まれてしまい、その点の改訂がなかった。これがそもそもの発端である。この段階で最初の記載論文の見直しがあったら片山石は誕生しなかったかもしれない。

さて、片山石は1982年に新種として申請されたが、発見そのものはバラトフ石よりもずっと前の1944年までさかのぼる。片山石はかつては単斜灰簾石(斜ゆう簾石)として記載された[5]。いつ頃に単斜灰簾石→新鉱物(片山石)への進捗があったかは定かでないが、1976年には(申請前だが)片山石を発見したと述べられている[6]。記載論文は1983年に発表されており[7]、(K,Na)Li3Ca7(Ti,Fe3+,Mn)2[Si6O18]2(OH,F)2という化学組成が示された。これは現代でも通用するほぼ正しい内容であって、先に報告のあるバラトフ石から見るとF→OH置換体に相当する。また、結晶構造は三斜晶系で解析されている[8]。この当時であっても化学組成としてFかOHかは種を分ける基準であったし、構造についてもこの当時は対称性が異なるだけで別種と扱っていたため、片山石はバラトフ石とは異なる新種として問題なく承認されている。1984年に片山石がAmerican Mineralogist誌で紹介されているが、バラトフ石と片山石は明らかに別種として区別されている[9].

風向きが変わったのは1992年であろう。この年に片山石とバラトフ石は構造的に同一であるという論文が提出された[10]。バラトフ石のほうは先に報告のあった結晶構造で問題なかったが、片山石のほうは結晶軸の選択ミスのために誤って三斜晶系で解析されたものの、結晶軸の選択をやり直すとバラトフ石と結局は同じという内容であった。ただ、この論文中では鉱物種の同一性までは言及しておらず、F種のバラトフ石、OH種の片山石という分け方は維持されている。しかし1993年、American Mineralogist誌でこの論文が紹介される際に同一性が疑われた。対称性や結晶構造が共通、なによりバラトフ石の記載論文のデータを再解析するとFではなくOHが優勢であることが指摘されている[11]。それぞれオリジナルのデータを客観的に見ればバラトフ石=片山石はもう疑いようがない。一方で、模式地からのバラトフ石を再検討したらそれはF種であったという別の報告がある[12]。それならF種のバラトフ石、OH種の片山石という分け方がやはり可能かもしれないが、こういう分類は結局のところ「模式標本がどうであるか」が本質である。逆をつくと、F種のバラトフ石、OH種の片山石という分け方になるように模式標本を再設定すればいいのではないか、という考えがあたまに浮かぶ。

それで結局どうなったかというと、どうにもなっていない、止まっている。オリジナルデータの比較としては1993年の段階でバラトフ石と片山石を分ける根拠は消滅したが、この二つの鉱物のうちどちらを抹消とすべきかについて、新鉱物・鉱物・命名委員会は何も判断を下していない。鉱物種を抹消するにもまた「抹消の提案書」を新鉱物・鉱物・命名委員会へ提出し、審査される必要がある。現状ではだれもその抹消の提案書を提出していないので、状況は何も動いていないというのが実情だろう。2013年には再び結晶構造についての研究報告があり、1992年報告からの微修正があったもののこれは大きな動きにはつながらない[13]。結局、いくら疑いがかかろうとも、公式リストにはいまだにバラトフ石はF優占種として、片山石はOH優占種として記されているのが現状である。後世にこの問題がどうなるかはわからないが、一般に後発のほうが不利をこうむることが多い。

片山石は愛媛県岩城島の一部に分布するいわゆるエジル石閃長岩(いまではアルビタイトと呼ばれている)を構成する鉱物の一つとして産出する。無色透明~白色であるために岩石に埋没している状態だとどこにいるのか全く分からないが、短波長の紫外線を照射すると強烈な青色蛍光を示すので暗闇ではその所在がよく変わる。共生鉱物として杉石よりもエジリンを好む傾向があり、経験的にはエジリンが多いほど片山石も多い。

[1] Dusmatov V.D., Semenov E.I., Khomayakov A.P., Bykova A.V., Dzharfarov N.K. (1975) Baratovite, a new mineral, Zapiski Vsesoyuznogo Mineralogicheskogo Obshchestva, 104, 580-582.
[2] Fleischer M., Pabst A., Cabri L.J. (1976) New mineral names. American Mineralogist, 61, 1053-1056.
[3] Sandormirskii N.A., Simonov M.A., Belov N.V. (1976) The crystal structure of KLi3Ca7Ti2[Si6O18]2F2. Soviet Physics – Doklady, 21, 618-620.
[4] Menchetti S., Sabelli C. (1979) The crystal structure of baratovite. American Mineralogist, 64, 383-389
[5] 杉健一, 久綱正典 (1944) 愛媛県岩城島産エヂル石閃長岩に就いて. 岩石鉱物鉱床学会誌, 31, 209-224.
[6] 村上允英 (1976) 本邦産交代性閃長岩質岩石中の鉱物共生. 岩石鉱物鉱床学雑誌, 特別号(1), 261-281.
[7] 第一文献
[8] Kato T., Murakami N. (1985) The crystal structure of katayamalite. Mineralogical Journal, 12, 206-217.
[9] Dunn P.J., Fleischer M., Francis C.A., Langley R.H., Kissin S.A., Shigley J.E., Vanko D.A., Zilczer J.A. (1984) New mineral names. American Mineralogist, 69, 810-815.
[10] Baur W.H., Kassner D. (1992) Katayamalite and baratovite are structurally identical. European Journal of Mineralogy, 4, 839-841.
[12] Pautov L.A., Karpenko V.Y., Agakhanov A.A. (2013) Baratovite-katayamalite Minerals from the Hodzha-achkan Alcaline Massif (Kirgizia). New Data on Minerals, 48,12-36.
[13] 第二文献

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IMA No./year: 1982-102(2012s.p.)
IMA Status: A(approved)
模式標本:東京大学(M23378)(Handbook of mineralogyから引用)

カリ定永閃石 / Potassic-sadanagaite(原記載はMagnesiosadanagaite)

KCa2(Mg3Al2)(Si5Al3)O22(OH)2

第一文献:Shimazaki H., Bunno M., Ozawa T. (1984) Sadanagaite and magnesio-sadanagaite, new silica-poor members of calcic amphibole from Japan. American Mineralogist, 69, 465-471.

第二文献:設定なし

模式地:愛媛県今治市宮窪町明神島

カリ定永閃石 / Potassic-sadanagaite
模式地標本

カリ定永閃石 / Potassic-sadanagaite
愛媛県松山市睦月島

カリ定永閃石は東京大学の島崎英彦らによって見いだされた新種の角閃石で、根源名は東京大学の名誉教授であった定永両一(1920-2002)にちなんでいる。記載論文はカリ定永閃石とカリフェロ定永閃石が同時に記載されているが、旧IMAno.からは申請時期に違いがあったことが読み取れ、先にカリフェロ定永閃石が1980年に、その後にカリ定永閃石が1982年に申請されている。

名称については角閃石命名規約の変遷に伴い何度か変わっている。今でいうカリ定永閃石は最初は苦土定永閃石(magnesio-sadanagaite)の名称で記載された[1]。1997年に角閃石の命名規約が変更になると、次はカリ苦土定永閃石(potassic-magnesiosadanagaite)へ改名されている[2]。しかしこれは中途半端な改名であった。1997年命名規約ではVIAl > 1.0の場合は「alumino」の接頭語を冠する必要があったのだが、定永閃石系の理想式は必ずVIAl > 1.0であるものの、そのルールが適用されなかった。理由は全く不明で、定永閃石系を扱うものにとっては迷惑極まりない命名規約だったと言えよう。この命名規約はほかにも不備がたくさんあり、2012年にまた改められることになる[3]。その際にようやく命名ルールの適用が厳格化され、名称がカリ定永閃石(potassic-sadanagaite)として定まった。以降、現在の名称で本鉱を記す。

カリ定永閃石とカリフェロ定永閃石は同じ論文中で記載されており、それぞれの模式地が明神島および弓削島と記されている。そしてそれらは領家帯と秩父帯の境界近くに位置すると書かれ、さらに境界線が瀬戸内海を南北に分断するように図示されている。しかし、そんなところに領家帯と秩父帯の境界なぞ存在しない。それでも弓削島と明神島の位置関係は正しいと思われ、明神島の北側の石灰岩からカリ定永閃石が産出することは私自身も確認している[4]。産状は弓削島とほとんど共通で、石灰岩に胚胎されるレンズ状の黒色塊にカリ定永閃石は含まれる。自身の卒論~修論で調べた範囲では、明神島からはカリ定永閃石ばかりが産出し、カリフェロ定永閃石はここでは見つからなかった。共生鉱物としては鉄スピネル、イルメナイト、透輝石、ベスブ石が主となっている。

根源名に定永閃石(Sadanagaite)を有する角閃石はカリフェロ定永閃石とカリ定永閃石が始まりで、さらに2種が追加された計4種が今の公式リストに加えられている。そのうち3種が日本から見つかった新種となっている。ついでに述べると、記載論文[1]の表1の末尾に掲載された組成を今の定義で解釈するとカリフェリ定永閃石という新種に相当する。ただそれは最新の角閃石命名規約では取り上げられなかった。それはともかく、いわゆる定永閃石は非常にアルミニウム(Al)に富む組成が特徴で、明神島や弓削島ではボーキサイトやラテライトのようなアルミニウムに富む土壌が変成作用を被ることで生成した。同様の産状は睦月島で確認されており、そこでもカリ定永閃石が産出することを確認している[4]。いずれもほとんどの場合で不定形な黒色粒として産出するため、一見して角閃石らしくないが、明神島からは晶癖が発達したいかにも角閃石らしい標本が得られたことがある。カリ定永閃石は今のところきわめて産出のまれな角閃石のようで、Mindatを参照すると海外にはイタリアに一つ産地があるだけになっている。

[1] 第一文献
[2] Leake B.E., Woolley A.R., Arps C.E.S., Birch W.D., Gilbert M.C., Grice J.D., Hawthorne F.C., Kato A., Kisch H.J., Krivovichev V.G., Linthout K., Laird J., Mandarino J.A., Maresch W.V., Nickel E.H., Rock N.M.S., Schumacher J.C., Smith D.C., Stephenson N.C.N., Ungaretti L., Whittaker E.J.W., Youzhi G. (1997) Nomenclature of amphiboles: report of the Subcommittee on Amphiboles of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names. The Canadian Mineralogist 35, 219-246
[3] Hawthorne F.C., Oberti R., Harlow G.E., Maresch W.V., Martin R.F., Schumacher J.C., Welch M.D. (2012) Nomenclature of the amphibole supergroup. American Mineralogist 97, 2031-2048.
[4] 西尾大輔, 皆川鉄雄 (2003) 明神島および睦月島にみられるAl質スカルンに産するtitanian esseneitic diopside. 岩石鉱物科学, 32, 68-79.

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IMA No./year: 1983-016
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(ナンバー不明); National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 160484.(Handbook of mineralogyから引用)

ストロナルス石 / Stronalsite

Na2SrAl4Si4O16

第一文献:Hori H., Nakai I., Nagashima K., Matsurbara S., Kato A. (1987) Stronalsite, SrNa2Al4Si4O16, a new mineral from Rendai, Kochi City Japan. Mineralogical Journal, 13, 368-375

第二文献:Liferovich R.P., Mitchell R.H., Zozulya D.R., Shpachenko A.K. (2006) Paragenesis and composition of banalsite, stronalsite, and their solid solution in nepheline syenite and ultramafic alkaline rocks. The Canadian Mineralogist 44, 929-942.

模式地:高知県高知市蓮台

ストロナルス石 / Stronalsite
岡山県新見市大佐山
母相であるヒスイ輝石岩を白色の方沸石脈が横切り、その脈中に微細なストロナルス石が点在する。

ストロナルス石 / Stronalsite
後方散乱電子像
方沸石脈中において一部が四角形となる微細な粒子としてストロナルス石は産出する。

ストロナルス石は鉱物科学研究所(現:ホリミネラロジー)の堀秀道によって高知県蓮台から発見された長石族の新鉱物で、筑波大学および国立科学博物館を加えた研究チームによって記載された。ストロナルス石はそれより先に知られていたバナルス石(Banalsite: Na2BaAl4Si4O16)のストロンチウム(Sr)置換体に相当する鉱物で、バナルス石が化学組成にちなんで命名されたことを例に、ストロナルス石もまた化学組成にちなんで命名されている。

四国の中央部から南部において東西に分布する黒瀬川帯は蛇紋岩メランジェとなっており、とくに高知県高知市から西にかけては蛇紋岩の露出が見られる。それらは製鉄用や埋め立てなど様々な用途のためにかつては盛んに採掘されていた。1980年にはそうした蛇紋岩(旧:鏡村去坂)から、当時はまだ珍しい鉱物であったスローソン石(Slawsonite: Sr(Al2Si2O8))の産出が報告された[2]。そして後に高知市蓮台の砕石所においてもスローソン石の産出が知られるようになり、興味を持って蓮台を訪れた堀はスローソン石とおぼしき白色の鉱物をいくつか採集している。その中でスローソン石とは外観のやや異なる鉱物が存在することに気づき、簡易的な調査によってバナルス石と共通の構造ながらもストロンチウムに富む未知の鉱物であることが判明した。その後、筑波大学と国立科学博物館の研究者を加えての検討で詳細が明らかとなり、1983年には「未知の長石族鉱物」として学会で発表されている[3]。IMAno.を見ると、学会発表の段階では新鉱物申請が行われていると思われる。

ストロナルス石の第二産地は1984年には見つかっており、岡山県新見市大佐山に分布するヒスイ輝石岩に含まれていることが報告された[4]。記載論文は1987年に記され、そこでは岡山県新見市大佐山からのストロナルス石も同時に記載されている[1]。また、この記載論文に先立って科学博物館の館報にも論文が1985年に記された[5]。正記載論文との順序が逆になっているせいだろうか、ストロナルス石がAmerican Mineralogist誌でレビューされた際には意味深なコメントが残っている[6,7].

ストロナルス石は珍しいと言えば珍しい鉱物であるが、今となっては世界中で10カ所以上の産地が知られる。日本では後に新潟県糸魚川地域から見つかっている。今であっても観察が可能な大佐山を例にすると、ヒスイ輝石を母岩とするものの、やや変質の大きい箇所からストロナルス石が見つかる。おそらくはロジン岩化作用を被る際に形成されたのだろう。模式地である高知市蓮台もまた強いロジン岩化作用を被っている場である。一方それとは異なる成因で生じたストロナルス石が海外で報告されている[8]。

写真は大佐山の標本となる。そのままでは全く所在不明であったが、切断研磨した状態で何となく存在が理解できる。ヒスイ輝石岩を横切る方沸石脈中に、微細ながらもストロナルス石はしばしば含まれる。

[1] 第一文献
[2] 加藤昭, 松原聰 (1980) 高知県土佐郡鏡村産Slawsonite. 日本鉱物学会年会講演要旨集. P141.
[3] 堀秀道, 中井泉, 長島弘三, 松原聰, 加藤昭 (1983) 未知長石族鉱物SrNa2Al4Si4O16高知市蓮台産. 日本鉱物学会年会講演要旨集, P10.
[4] 小林祥一, 三宅寶, 正路徹也 (1984) 岡山県大佐町産jadeite. 三鉱学会連合学術講演要会講演要旨集, P86.
[5] Matsubata S. (1985) The mineralogical implication of barium and strontium silicates. Bulletin of the National Museum of Nature and Science Series C (Geology and Paleontology), 11, 38-95.
[6] Hawthorne F.C., Bladh K.W., Burke E.A.J., Grew E.S., Langley R.H., Puciewicz J., Roberts A.C., Schedler R.A., Shigley J.E., Vanko D.A. (1987) New mineral names. American Mineralogist, 72, 222-230.
[7] Hawthorne F.C., Burke E.A.J., Ercit T.S., Grew E.S., Grice J.D., Jambor J.L., Puziewicz J., Roberts A.C., Vanko D.A. (1988) New mineral names. American Mineralogist, 73, 189-199.
[8] 第二文献

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IMA No./year: 1984-015
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(ナンバー不明); National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 165991.(Handbook of mineralogyから引用)

アンモニオ白榴石 / Ammonioleucite

(NH4)(AlSi2O6)

第一文献:Hori H., Nagashima K., Yamada M., Miyawaki R., Marubashi T. (1986) Ammonioleucite, a new mineral from Tatarazawa, Fujioka, Japan, American Mineralogist, 71, 1022-1027.

第二文献:Yamada M., Miyawaki R., Nakai I., Izumi F., Nagashima K. (1998) A Rietveld analysis of the crystal structure of ammonioleucite. Mineralogical Journal 20, 105-112.

模式地:群馬県藤岡市下日野鈩沢(たたらざわ)

アンモニオ白榴石 / Ammonioleucite
模式地標本

アンモニオ白榴石は鉱物科学研究所(現:ホリミネラロジー)の堀秀道によって記載された新鉱物で、白榴石(leucite: K(AlSi2O6))のアンモニウム(NH4)置換体に相当することから学名が定められた。この時点でアンモニウム基を持つ鉱物はアンモニウム長石(buddingtonite: (NH4)(AlSi3)O8)および砥部雲母(tobelite: (NH4)Al2(Si3Al)O10(OH)2)が知られるのみであり、アンモニオ白榴石はアンモニウム基を主成分とする3番目の鉱物となった。アンモニオ白榴石の記載により堀には櫻井賞(第26号メダル)が授けられている。また、欽一石およびストロナルス石を加えた3種の新鉱物の発見と記載により、堀は東北大学により学位(理学博士)を授与されている。

日本列島には中央構造線と呼ばれる第一級の断層が、九州東部から関東にかけて東西に横切っていることがよく知られている。西から東へ見ていくと連続性がよく観察されるのは四国から長野県西部あたりまでで、そこから東のフォッサマグナ地域となると堆積岩の被覆によって中央構造線の分布はいったん追えなくなる。さらに東にすすむと関東山地があり、そこでは再び中央構造線が追えるものの、群馬県下仁田地域あたりでまた徐々に追うことが難しくなる。そこで、下仁田地域における中央構造線の特定が高校教員を主体とする研究グループによって行われていた[1]。その調査の一環として、研究グループの一員である丸橋剛によって群馬県下仁田町の鈩沢で稼働していた砕石所(富岡鉱業)からドーソン石やノルドストランド石などの当時まだ珍しかった鉱物がまず見いだされている[2]。記載論文によると、その発見に続いて堀がアンモニオ白榴石を見出したとされる[3]。

砕石所は三波川変成帯と第三紀砂岩の境界に位置しており、緑色片岩には大小さまざまな炭酸塩脈が走る。そういった脈の一部は空隙となっており、その中から方沸石に似た12面体結晶が見いだされた。その結晶は白濁しながら樹脂光沢を示しており、それは白濁しつつもガラス光沢を保つことが一般的な方沸石とは異なる特徴だった。そうした違いに気が付いた堀によって調査が始まり、この結晶の大部分が白榴石型の構造を持つことが明らかとなった。さらなる調査は筑波大学の研究チームの下で行われ、白榴石に本来あるべきカリウム(K)が少なく代わりにアンモニウム基が多く含まれていることが判明した。この時点でアンモニウム基が置換した白榴石は合成物では知られていたものの[4,5]、天然における産出はまだなかった。そのため化学組成と構造からアンモニオ白榴石という名称を定め、新鉱物として申請される運びとなった。

アンモニオ白榴石の結晶構造は筑波大学の研究チームによって検討された[6]。アンモニオ白榴石は非常に双晶に富むことから、検討は粉末のリートベルト解析によって行われている。その構造は3次元的な籠(ケージ)を編んでおり、シリコン(Si)とアルミニウム(Al)が酸素と結合した四面体が骨格となって、その隙間にアンモニウム基が位置している。白榴石の場合はカリウムとなる。こうした結晶構造は基本的に方沸石と共通であることから、(アンモニオ)白榴石は沸石族の一員に分類される[7]。ただし(アンモニオ)白榴石は構造の隙間に水を含まないことから、加熱をしても一般的な沸石のように泡立つということがない。

写真の結晶は模式地のアンモニオ白榴石となる。白濁している部分がアンモニオ白榴石で、その内部には方沸石が残っていることが多い。記載論文にもその旨が記されている。こういった結晶は、方沸石として成長したのちにアンモニウムを含む熱水による変質を受けて生成したと考えられている。合成実験でもいったん方沸石を作ったのちにアンモニウムで置換するという工程が組まれる。

[1] 鏑沢団体研究グループ (1985) 関東山地北縁からの牛伏山衝上断層(新称)の発見. 地質学雑誌, 91, 375-377.
[2] 木崎喜雄, 丸橋剛, 鏑沢団体研究グループ (1982) 群馬県藤岡市西部から産出するdawsonite,norolstrandite. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, 136.
[3] 第一文献
[4] Barrer R.M. (1950) Ion-exchange and ion-sieve processes in crystalline zeolites. Journal of Chemical Society, 1950, 2342- 2350.
[5] Barrer R.M., Baynham J.W. and McCallum N. (1953) Hydrothermal chemistry of silicates. Part V. Compounds structurally related to analcime. Journal of Chemical Society, 1953, 4035-4041.
[6] 第二文献
[7] Coombs D.S., Alberti A., Armbruster T., Artioli G., Colella C., Galli E., Grice J.D., Liebau F., Mandarino J.A., Minato H., Nickel E.H., Passaglia E., Peacor D.R., Quartieri S., Rinaldi .R, Ross M., Sheppard R.A., Tillmanns E., Vezzalini G., (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names, The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606.

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IMA No./year: 1984-057
IMA Status: A(approved)
模式標本:National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 122089.(Handbook of mineralogyから引用)

滋賀石 / Shigaite

Mn6Al3(OH)18[Na(H2O)6](SO4)2・6H2O

第一文献:Peacor D.R., Dunn P.J., Kato A., Wicks F.J. (1985) Shigaite, a new manganese aluminum sulfate mineral from the Ioi mine, Shiga, Japan. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte 1985, 453-457.

第二文献:Cooper M.A., Hawthorne F.C. (1996) The crystal structure of shigaite, [AlMn2+2(OH)6]3(SO4)2Na(H2O)6(H2O)6, a hydrotalcite-group mineral. The Canadian Mineralogist, 34, 91-97.

模式地:滋賀県栗東市下戸山五百井鉱山(旧:栗東町)

滋賀石 / Shigaite
滋賀石 / Shigaite
滋賀石 / Shigaite
模式地標本

滋賀石 / Shigaite
群馬県みどり市利東鉱山

滋賀石 / Shigaite
長野県辰野町浜横川鉱山

滋賀石は滋賀県五百井(いおい)鉱山を模式地とする新鉱物で、滋賀県にちなんで命名された。今となっては県名にちなんだ日本産新鉱物は複数知られているが、その先例となったのがこの滋賀石であった。記載論文の筆頭著者はミシガン大学に籍を置くアメリカ人研究者のD. Peacorである。第三著者に国立科学博物館の加藤昭が著者に参画しているものの、日本産新鉱物に海外の研究者が筆頭となる例は非常にめずらしい。

滋賀県五百井鉱山は琵琶湖南東地域に分布する小規模なマンガン鉱床のひとつで、明治期から開発が行われ、1963年(昭和38年)8月31日に閉山に至った。加藤が標本を採取したのは1963年の8月だと記載論文に記されており、閉山直前のことだった。標本はズリから採集されたようで、後に滋賀石となる黄色の六角板状結晶についてはムーア石(mooreite: Mg15(SO4)2(OH)26·8H2O)との関連が暫定的に書き留められただけだった[1]。

IMA Noからすると新鉱物申請はそこから20年後の1984年のことであり、記載論文は翌年に公表されている。記載論文には加藤が採集した鉱物は新鉱物になりうることが判明し、ムーア石やその類縁鉱物であるローソンバウエル石(lawsonbauerite: Mn2+9Zn4(SO4)2(OH)22·8H2O)との関連が確認されたと冒頭に記されている。一方で、滋賀石についてはこの時点で構造解析が成功していない。この段階ではa軸とc軸の比率と{001}に完全なへき開という特徴から、八面体がシート状に並んでいることが予想されるのみであった。また化学組成はAl4Mn7(SO4)(OH)22・8H2Oとなっており、電子顕微鏡による分析ではこれ以外の元素は検出されなかったと記してある。しかし後年、滋賀石にはNaが必須だと明らかになった。

1996年までに滋賀石の産地は海外でいくつか知られるようになっており、カラハリ地区(南アフリカ)のN’Chwaning鉱山から産出する滋賀石を用いて、結晶構造と理想化学組成の再検討が進められた[2]。これによって滋賀石にはNaが必須であることが明らかとなり、理想化学組成は今の表記に改められた。滋賀石は電子線に弱く、Naもまた飛びやすい元素でもあるので分析にはやや注意が必要である。自分の標本ではどうかと試してみたら、電子線を当てた箇所にはやっぱり穴が開く。それでもNaは十分に検出されたので、Peacorらの研究でNaが検出されなかった理由ははっきりしない。

構造としては当初に予想されていた八面体がシート状に並んでいることが確認されたものの、滋賀石はムーア石やローソンバウエル石とは同族にはなりえない構造であった。今ではウェルムランド石族(wermlandite Group)の一員であることが判明しており、その構造はハイドロタルク石型に分類される。2012年にはハイドロタルク石超族(hydrotalcite supergroup)に組み込まれることになった[3]。

模式地からの滋賀石は山田滋夫氏からいただいた。山田氏もまた閉山の間際に訪れたと聞いている。模式地の滋賀石は透明な黄色を示す六角板状結晶で、一部ではロゼッタ集合となる。群馬県栗東鉱山や長野県浜横川からは被膜状の滋賀石が産し、これもかつてはムーア石ではなかろうかとされていた。いずれも高品位鉱石の裂傷に生じる。海外でもアメリカやオーストラリアで黄色の滋賀石の産出が知られるが、南アフリカで橙色を示す滋賀石が多産したこともあって、いまではそれが滋賀石の代表的な標本となっている。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Mills S.J., Christy A.G., Génin J.M.R., Kameda T., Colombo F. (2012) Nomenclature of the hydrotalcite supergroup: natural layered double hydroxides. Mineralogical Magazine, 76, 1289-1336.

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IMA No./year: 1984-073
IMA Status: A(approved)
模式標本:国立科学博物館(M-24513);National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 164269.(Handbook of mineralogyから引用)

イットリウム木村石 / Kimuraite-(Y)

CaY2(CO3)4・6H2O

模式地:佐賀県唐津市肥前町切木(旧:肥前町)

第一文献:Nagashima K., Miyawaki R., Takase J., Nakai I., Sakurai K., Matsubara S., Kato A., Iwano S. (1986) Kimuraite, CaY2(CO3)4·6H2O, a new mineral from fissures in an alkali olivine basalt from Saga Prefecture, Japan, and new data on lokkaite. American Mineralogist, 71, 1028-1033

第二文献:設定なし

イットリウム木村石 / Kimuraite-(Y)
佐賀県唐津市肥前町満越

イットリウム木村石は希土類元素分析の大家として知られる木村健二郎(1896-1988)にちなんで命名された新鉱物であり、希土類元素鉱物の研究を通じて地球化学と鉱物化学の発展に貢献した業績がたたえられた。木村には新鉱物としての業績として石川石(Ishikawaite)があり、これは日本で最も古い有効な新鉱物として知られている。木村は東京帝国大学(当時)において20年以上も教授職にあって多くの門下生を育てた。イットリウム木村石の筆頭著者である長島弘三もその一人である。研究が行われていた当時、長島は筑波大学で教授を務めていた。しかし、イットリウム木村石が承認された少し後の1985年に病で急逝し、記載論文はさらにその門下生の手にゆだねられた。論文は1986に公表され、著者の一人である中井泉には木村石発見の功績で櫻井賞(第29号メダル)が授けられた。

イットリウム木村石は幾人ものリレーによって実現した新鉱物であろう。記載論文の記述によれば、福岡県古賀町在住の岩野庄市郎が1982年に小さく脆い鉱物を採集したことから始まっている[1]。その標本は櫻井欽一の元に送られ、まず酸や紫外線に対する応答性が調べられた。続いて国立科学博物館の加藤昭と松原聰の協力を得て予備調査が始まっている。そして、ランタン石やロッカ石と似つつも異なる新種である可能性が浮かび上がり、その研究を筑波大学の長島研究室が引き継いだという経緯が読み取れる。その結果、イットリウム木村石が新鉱物として誕生することになり、さらにはロッカ石についても理想化学組成を更新するという成果を得ている。

イットリウム木村石は佐賀県肥前町(当時)に広く分布するアルカリ玄武岩を母岩とする。このアルカリ玄武岩は東松浦玄武岩と呼ばれ、その発生はプレートの沈み込みとは直接関係のないマントル深部からのプリュームに起因すると考えらえている。結果的に、特に晩期の活動で生じた玄武岩は普遍的な玄武岩と異なり、希土類元素に富むという特異な性質を持っている。この玄武岩から発見された新鉱物は現時点で5種に上り、イットリウム木村石がその端緒となっている。

イットリウム木村石はカルシウム(Ca)とイットリウム(Y)を主成分とする含水炭酸塩鉱物で、記載論文ではその分析におそらくその当時の最先端の分析機器である高周波誘導プラズマ発光分光(ICP-AES)が用いられている。これによって希土類元素とカルシウム量が精度よく得られ、希土類元素についてはセリウム(Ce)が極端に少ない特徴が示されている。これは共存するネオジウムランタン石(lanthanite-(Nd))やイットリウムロッカ石(lokkaite-(Y))も同様であった。またこの研究によってイットリウムロッカ石の理想化学組成も再定義されている。厳密に求められた化学組成から、イットリウムロッカ石の加水分解によってイットリウム木村石とネオジムランタン石が生じたことが明らかとされた。

イットリウム木村石はテンゲル石族に分類される。メンバーは、イットリウムテンゲル石(tengerite-(Y))、イットリウムロッカ石、イットリウム木村石、イットリウム肥前石(hizenite-(Y))となっている。これらのうちで構造が解明されているのはイットリウムテンゲル石のみであるが、化学組成(Ca/Y比)と格子定数に規則性が見つかっており、それぞれの構造はおおむね予測されている[2,3]。またイットリウム木村石とイットリウムロッカ石については結晶構造の詳細が報告された[4]。

もう20年以上も前になるが、岩野庄市郎氏の案内でアルカリ玄武岩のいくつかの露頭を巡ったことがある。イットリウム木村石の最初の発見地である切木や、その次の産地である新木場を見た後で満越に案内してもらった。そこには巨岩がそびえており、数人がかりで叩きまくって得られたのが写真の標本であった。イットリウム木村石の結晶は白色で絹糸光沢を示すペラペラな板状だが、それらは放射状に集合して丸くなることが多い。イットリウムロッカ石やネオジムランタン石が内部にいることもある。満越にある巨岩は年々小さくなるどころか掘り下げられるたびに広がるようで、今ではその当時より大きな範囲が露出している。

[1] 第一文献
[2] 田原岳史, 保倉明子, 中井泉, 宮脇律郎, 松原聰 (2003) 木村石-(Y)およびロッカ石-(Y)の結晶構造. 日本鉱物学会2003年度年会, K3-06.
[3] Takai Y, Uehara S (2013) Hizenite-(Y), Ca2Y6(CO3)11·14H2O, a new mineral in alkali olivine basalt from Mitsukoshi, Karatsu, Saga Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 108, 161-165.
[4] 宮脇律郎, 門馬綱一, 松原聰, 田原岳史, 中井泉(2013) 木村石とロッカ石の結晶構造. 日本鉱物科学会2013年年会, R1-14.

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IMA No./year: 1985-010a
IMA Status: A(approved)
模式標本:文献上は不明

オホーツク石 / Okhotskite

Ca2Mn2+Mn3+2(Si2O7)(SiO4)(OH)2・H2O

模式地:北海道常呂町国力鉱山

第一文献:Togari K., Akasaka M. (1987) Okhotskite, a new mineral, an Mn3+-dominant member of the pumpellyite group, from the Kokuriki mine, Hokkaido, Japan. Mineralogical Magazine, 51, 611-614.

第二文献:Akasaka M., Suzuki Y., Watanabe H. (2003) Hydrothermal synthesis of pumpellyite–okhotskite series minerals. Mineralogy and Petrology, 77, 25-37.

オホーツク石 / Okhotskite
模式地標本

オホーツク石 / Okhotskite
愛媛県大洲市上須戒鉱山
オープンニコル写真。強い多色性により黄土色~茶褐色を示す。

オホーツク石はパンペリー石族の新種として記載された鉱物で、北海道大学の戸苅賢二と赤坂正英によって見いだされた。命名はオホーツク海にちなむ。記載論文には模式地である国力鉱山がオホーツク海沿いにあるからとのみ簡潔にその理由が述べられているが[1]、国力鉱山はオホーツク海から直線でも20kmほど離れた山中にある。この距離感を海沿い(近い)と感じるのは道民ならではの感性であろう。ちなみにオホーツクとはロシア語で「狩猟」を意味する。筆頭著者である戸苅はオホーツク石発見の功績により櫻井賞(第30号メダル)を受賞した。もう一方の著者である赤坂はパンペリー石族の研究を継続し、その業績で後に櫻井賞奨励賞を受賞することになる。

国力鉱山はマンガン(Mn)を少量含むものの、総体としてはチャートに胚胎される赤鉄鉱鉱床となっている。鉱床は南北に15km東西に10kmにわたって分布しており、重要な鉱床には北光、仁倉、国力、柴山の各鉱山が置かれた[2]。そのうち国力鉱山が最も規模が大きい代表的鉱床とされる。最高品位の鉱石は一般に緻密な黒色塊で、微細な赤鉄鉱を主体とする。そうした鉱石にはかつてペンウィス石と呼ばれた非晶質の珪マンガン鉱が網目状に伴われる。晩期の生成物として脈状に紅簾石や石英が生じ、同様の産状でイネス石も記載されている[1-3]。

化学組成は電子顕微鏡と熱重量分析によって導かれ、鉄(Fe)の価数と結晶学的席をメスバウアー分光で確認するなど丁寧な仕事となっている。得られた組成式は当時のパンペリー石の一般式W8X4Y8Z12O56-n(OH)nに基づいて、W=Ca, X=Mn2+, Y=Mn3+, Z=Siが得られた。当時、Y=Mn3+となるパンペリー石族は知られていなかったため、ルートネームを提案することが可能だった。今のところオホーツク石はX=Mn2+でもあるが、将来的にXがMn2+以外の元素で占有されたオホーツク石が見つかると改名されるだろう。パンペリー石族ではXの元素をルートネームの接尾語に置くことが慣習となっている。そのためもしそうした事態が生じると、今のオホーツク石はマンガンオホーツク石(Okhotskite-(Mn2+))となることが予想される。なお、オホーツク石の理想化学組成については2019年に改定があり、今ではCa2Mn2+Mn3+2(Si2O7)(SiO4)(OH)2・H2Oのようになっている[4]。オホーツク石の第二文献は島根大学に移った赤坂の手による。合成実験を通じてオホーツク石の生成条件を明らかにしようと試みたフォローアップ研究となっている[5]。

模式地においてオホーツク石は黒色緻密な赤鉄鉱を切る脈として産出し、その脈中には濃い赤褐色の葉片状結晶がびっちりとつまっている。脈に沿ってうまく割れるとこれぞという標本になるだろう。オホーツク石は模式地のほかにも産出が知られるが、その規模は小さく、薄片で観察できる程度にとどまる。

[1] 第一文献
[2] 番場猛夫 (1967) 国力鉱山の含マンガン鉄鉱床. 北海道金属非金属鉱床総覧, 92-93.
[3] Togari K., Akasaka M., Kawaguchi Y. (1986) Inesite, from the Kokuriki mine, Hokkaido, Japan. Journal of the Faculty of Science, Hokkaido University. Series 4, Geology and mineralogy, 21, 669-677.
[4] Miyawaki R., Hatert F., Pasero M., Mills S.J. (2019) IMA Commission on New Minerals, Nomenclature and Classification (CNMNC) Newsletter 50. New minerals and nomenclature modifications approved in 2019. Mineralogical Magazine, 83, 615-620.
[5] 第二文献

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IMA No./year: 1985-052
IMA Status: A(approved)
模式標本:National Reference Collection of the Geological Survey of Canada nos. 65049, 65050, 65051 and 65052

ペトラック鉱 / Petrukite

(Cu,Ag)2(Fe,Zn)(Sn,In)S4

模式地:兵庫県朝来市生野鉱山ほか

第一文献:Kissin S.A., Owens D.R. (1989) The relatives of stannite in the light of new data. The Canadian Mineralogist, 27, 673-688.

第二文献:設定なし

櫻井鉱 / Sakuraiite
模式地標本
櫻井鉱と同一の標本。やや緑色を帯びた黒灰鋼色部に櫻井鉱とぺトラック鉱が含まれる。黄金色は黄銅鉱

ペトラック鉱 / Petrukite
後方散乱電子像
全体的に広がっている暗灰色がぺトラック鉱で、そのなかにシミのように滲んだやや明るい灰色が桜井鉱。全体としてはぺトラック鉱が優勢。

ペトラック鉱はカナダの研究者であるS.A. KissinとD.R. Owensによって記載された新鉱物で、模式地にHerb claim(カナダ)、Mount Pleasant鉱山(カナダ)、生野鉱山が登録されている。学名はカナダ人鉱物学者であるWilliam Petruk(b.1930)への献名として授けられた。PetrukはMount Pleasant鉱山の試料を調べた際に未詳鉱物(後のペトラック鉱)が存在することを指摘していた[1]。

第一文献にはHerb claim→生野鉱山→Mount Pleasant鉱山の順で産状が記され、それぞれ産状は異なる。Herb claimでは花崗岩に貫入した流紋岩に由来する熱水脈中に、方鉛鉱や閃亜鉛鉱を主体とする鉱石中に生じている。Mount Pleasant鉱山はポーフィリー型のタングステン・モリブデン鉱床で花崗岩に付随し、ペトラック鉱はFire Tower North鉱体から見出されている。生野鉱山は中温~高温の熱水鉱脈鉱床で、ペトラック鉱は金香瀬坑の千珠前𨫤で採集された鉱石から見出だされているが、露頭や岩石などの描写は無い。2.5cm径の研磨片中から見出されたとのみ記されているため、分析用の研究試料だけ手に入れてきたように思えるが入手元は論文には記されていなかった。この試料中でペトラック鉱は櫻井鉱と共生した2cmほどの脈で分布する。

ペトラック鉱の化学組成は公式リストでは(Cu,Ag)2(Fe,Zn)(Sn,In)S4のように表現されているが、この理由はよくわからない。カッコ内に二つの元素がカンマで隔てられる場合、このような書き方は、第二成分が必須元素である場合に限る。そうなると例えば銀(Ag)は必須成分のように理解されるが、第一文献では15の分析例のうち銀(Ag)を含むのものは一つだけで、しかもほぼ無視できる程度に少ない。まず間違いなく銀は必須成分ではない。亜鉛(Zn)やインジウム(In)については微妙なところで、それらは必須成分であってもおかしくはない。少なくともCu++Sn4+-Zn2++In3+間の置換関係が見えており、少量の亜鉛とインジウムがペトラック鉱独自の構造を安定化させている可能性がある。そのため(Cu,Zn)2Fe(Sn,In)S4が理想組成としてふさわしいのではないだろうか。これは黄錫鉱(Stannite: Cu2FeSnS4)に非常に近く、それとの区別は亜鉛やインジウムの含有量ならびに構造まで確認したほうが良いだろう。

ペトラック鉱の結晶構造はまだ解明されていないものの、斜方晶系(直方晶系)の対称性と格子定数は報告されている。それは正方晶系の黄錫鉱とは全く異なっているため、粉末X線回折によって区別することができる。対称性と格子定数だけみるとペトラック鉱は硫砒銅鉱(Enargite: Cu3AsS4)に近いがピーク強度が結構異なるため、これとも異なる構造だろう。今のところここに挙げた鉱物は閃亜鉛鉱と基本的には共通の構造をしており、陽イオンの秩序化のタイプが異なった関係になっている。閃亜鉛鉱型構造は近年でも櫻井鉱型[2]やAgmantinite型[3]など新しい秩序タイプが提案されてきている。閃亜鉛鉱型構造の全容を解明するためにはペトラック鉱の構造解析もまた望まれる。

写真は生野鉱山のペトラック鉱の標本となる。櫻井鉱と混合した脈として産出し、含まれるそのほかの鉱物なども記載内容と共通する。櫻井鉱との見分けはできず、電子顕微鏡写真でも櫻井鉱とペトラック鉱のコントラスト差は小さく見分けづらい。ペトラック鉱は日本ではほかに豊羽鉱山からも産出したと聞いたことがある。

[1] Petruk W. (1973) Tin sulphides from the deposit of Brunswick Tin Mines, Limited. The Canadian Mineralogist, 12, 46-54.
[2] 門馬綱一,宮脇律朗,松原聰,重岡昌子,加藤昭,清水正明,長瀬敏郎 (2015) 櫻井鉱の結晶化学的再検討. 日本鉱物科学会2015年年会講演要旨集,R1-09, p.43.
[3] Keutsch F.N., Topa D., Fredrickson R.T., Makovicky E., Paar W.H. (2019) Agmantinite, Ag2MnSnS4, a new mineral with a wurtzite derivative structure from the Uchucchacua polymetallic deposit, Lima Department, Peru. Mineralogical Magazine, 83, 233-238.

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IMA No./year: 1986-006(2012s.p.)
IMA Status: Rd(redefined)
模式標本:東京大学総合博物館(UMUT25130, 25136, 25137)

プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite

□Fe2+2Fe2+5Si8O22(OH)2

模式地:岐阜県中津川市蛭川田原

第一文献:Sueno S., Matsuura S., Gibbs G.V., Boisen M.B. (1998) A crystal chemical study of protoanthophyllite: orthoamphiboles with the protoamphibole structure. Physics and Chemistry of Minerals, 25, 366-377.

第二文献:Sueno S, Matsuura S, Bunno M, Kurosawa M (2002) Occurrence and crystal chemical features of protoferro-anthophyllite and protomangano-ferro-anthophyllite from Cheyenne Canyon and Cheyenne Mountain, U.S.A. and Hirukawa-mura, Suisho-yama, and Yokone-yama, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 97, 127-136.

プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
プロトフェロ直閃石 / Proto-ferro-anthophyllite
模式地標本

プロトフェロ直閃石は筑波大学の末野重穂と松浦茂らを中心とした研究チームによって記載された新鉱物で、従来の単斜晶系型および斜方晶系型角閃石とは異なる、新たな結晶構造であるプロト型角閃石として発表された。第一文献はプロト型構造の描写を主とした内容であり、1998年に発表されている。プロトフェロ直閃石を発見した功績を持って、翌年の1999年に筆頭著者の末野は櫻井賞(第33号メダル)を受賞した。

プロトフェロ直閃石の第一文献は上述の通り1998年であるが、IMAno.が1986-006となっているように新鉱物申請は1986年に行われている。第一文献には、新種としての承認を受けたものの角閃石の命名規約の改訂作業が進められていたために、当時の新鉱物・鉱物名委員会の委員長によって承認がサスペンド(停止)されたことが記されている。そして11年後の1997年に命名規約の改訂論文が出版され[1]、委員長はそれを受けて記載論文の公表を解禁した。その措置を受けて即座に提出されたのが第一文献であった。このような事情で新鉱物申請と論文発表の時期が大きくずれているが、学会での発表は申請から遅れることなく1986年に行われている[2]。また学名はprotoferro-anthophylliteで発表されたが、2012年の命名規約の再改定によって二つ目のハイフンが追加されてproto-ferro-anthophylliteとなった[3]。

プロトフェロ直閃石は筑波大学地球科学系の大学生だった松浦茂によって見いだされている。蛭川村田原の花崗岩ペグマタイトから採集された鉄かんらん石中に発生するライフン石(laihunite (Fe3+,Fe2+,□)2(SiO4))を調査していたところ、磁鉄鉱の周囲に角閃石が見いだされた。それは組成的にはフェロ直閃石(□Fe2+2Fe2+5Si8O22(OH)2)であったが、単結晶X線回折から従来の直方晶系型構造ではなくプロト型であることが判明した[4]。この時点で角閃石の構造は単斜晶系型および斜方晶系型が一般的であったが、合成実験では実はプロト型が存在することが知られていた[5,6]。すなわち、プロトフェロ直閃石は天然では初めてとなるプロト型角閃石であった。これをきっかけに栃木県横根山や福島県水晶山の角閃石が調査され、やはりプロト型の角閃石が次々と発見される事態となり、一連の研究はプロトフェロ直閃石のマンガン置換体にあたるプロトフェロ末野閃石(当時はプロトマンガノ直閃石の名称)もほぼ同時に見出した。そして、後にマグネシウム置換体のプロト直閃石が日本から記載されるに至り、現時点で「プロト」を冠する角閃石のすべてが日本産の新種となっている。

蛭川村においてプロトフェロ直閃石は磁鉄鉱を伴う鉄かんらん石に密接に関連して生じる。それは第二文献で同時に記載されたアメリカのCheyenne山のものもほぼ同様である。このような産状は鉄かんらん石を伴うペグマタイトであれば珍しくないと思われるが、現状でプロトフェロ直閃石の産地は公式にはこの二か所しか知られていない。しかし、それはプロトフェロ直閃石の産出が少ないのではなく、正しく検出されていない可能性があるだろう。個人的な経験として、透過電子線回折ではプロト型が一意に検出されるのに、同じ試料の粉末X線回折パターンは斜方晶系型だったということがある。つまり、粉末化の過程でプロト型の構造が壊れて、斜方晶系型へ転移したと思われる。これは輝石で観測されることが知られており、おそらく同じ現象が角閃石でも生じるのだろう。共同研究者がいずれ詳細を発表するだろうが、プロトフェロ直閃石の産地はいずれ増えると思われる。

[1] Leake B.E. et al. (1997) Nomenclature of amphiboles: report of the Subcommittee on Amphiboles of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names. The Canadian Mineralogist 35, 219-246
[2] Sueno S. and Matsuura S (1986) A mineralogical study of the two natural protoamphiboles. 14th International Mineralogical Association Meeting Abstract 14, 241.
[3] Hawthorne F.C., Oberti R., Harlow G.E., Maresch W.V., Martin R.F., Schumacher J.C., Welch M.D. (2012) Nomenclature of the amphibole supergroup. American Mineralogist, 97, 2031-2048.
[4] 松浦茂, 末野重穂 (1984) Pnmn空間群の鉄直閃石結晶構造について. 日本鉱物学会年会講演要旨集, p128.
[5] Gibbs G.V., Bloss F.D., Shell H.R. (1960) Protoamphibole, a new polytype. American Mineralogist, 45, 974-989.
[6] Gibbs G.V. (1969) Crystal structure of protoamphibole. Mineralogical Society of America, Special Paper, 2, 101-109.

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IMA No./year: 1986-007(2012s.p.)
IMA Status: Rd(redefined)
模式標本:東京大学総合博物館(UMUT25130, 25136, 25137)

プロトフェロ末野閃石 / Proto-ferro-suenoite

□Mn2+2Fe2+5Si8O22(OH)2

模式地:栃木県鹿沼市日瓢鉱山

第一文献:Sueno S., Matsuura S., Gibbs G.V., Boisen M.B. (1998) A crystal chemical study of protoanthophyllite: orthoamphiboles with the protoamphibole structure. Physics and Chemistry of Minerals, 25, 366-377

第二文献:Sueno S., Matsuura S., Bunno M., Kurosawa M. (2002) Occurrence and crystal chemical features of protoferro-anthophyllite and protomangano-ferro-anthophyllite from Cheyenne Canyon and Cheyenne Mountain, U.S.A. and Hirukawa-mura, Suisho-yama, and Yokone-yama, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences 97, 127-136
プロトフェロ末野閃石 / Proto-ferro-suenoite
プロトフェロ末野閃石 / Proto-ferro-suenoite
プロトフェロ末野閃石 / Proto-ferro-suenoite
模式地標本

プロトフェロ末野閃石は一つ前のプロトフェロ直閃石と同時に発表された新鉱物であり、承認から論文公表までの経緯も共通している。しかし、名称については異なった経緯をたどった。プロトフェロ末野閃石は、1986年の申請時はプロトマンガネーズ直閃石(protomanganese-anthophyllite)という名称であり、そのまま承認された。しかし、命名規約の改定中だったため承認がサスペンド(停止)され、その間に命名ルールが変更されて、1998年と2002年の記載論文においてはプロトマンガノフェロ直閃石(protomangano-ferro-anthophyllite)という名称で発表された[1,2]。角閃石命名規約はその後も小規模な改訂が行われ、2003年にはハイフンをひとつ追加してproto-mangano-ferro-anthophylliteに改名。そして、2012年になると命名規約の大改訂が行われ、こんどはいったん名無しにされてしまった[3]。このとき本種についてはproto-ferro-rootname3という仮の名前が与えられている。

角閃石の組成を簡単に書くとAB2C5T8O22W2と書くことができ、本種の化学組成は□Mn2+2Fe2+5Si8O22(OH)2であり、A = □(空隙)、B = Mn2+、C = Fe2+、T = Si、W = OHということになる。そして、2012年の命名規約はAとC原子だけを名称の接頭語として表現することを定め、B = Mn2+についてマンガノ(mangano)とするというこれまでの命名ルール[4]を廃止した。すなわちB = Mn2+となる本種は新しいルールでは名前が付けられないことになる。そこでまずのproto-ferro-rootname3という仮の名前が与えられ、命名規約を作成していた角閃石小委員会はrootname3の名称について模索することになる。そして、角閃石小委員会は末野閃石(suenoite)とすることを提案した。この時点で末野はすでに亡くなっているため、論文のそのほかの著者らに案が提示され、了承された。そして、本種について、その名称がプロトフェロ末野閃石(proto-ferro-suenoite)となることで最終決着となった[5]。

プロトフェロ末野閃石の名称は申請時とは異なっているとはいえ、これは申請者自らの名前が付けられた鉱物ということになる。新鉱物の大原則として、申請者自らの名前が鉱物名になることはない。しかし、こればっかりは事情が異なる。これは申請者が自ら望んだわけではなく、角閃石小委員会から提案されたのである。結果的に稀有な例となった。

プロトフェロ末野閃石の模式地は栃木県日瓢鉱山であり、そこではバラ輝石と共存することが多く、石英とプロトフェロ末野閃石だけの塊もある。プロトフェロ末野閃石の結晶は乳白色から淡黄色の繊維状で、密に集合すると茶色味が強く出る。プロト型構造の解説はほかのプロト型角閃石で行うとして、一般に角閃石はいくつかの構造が混じっていることがしばしばある。しかし、調べた範囲で栃木県日瓢鉱山ではことごとくプロト型の構造ばかりで、他の構造タイプが混じっていることはなかった。記載論文では福島県水晶山からの産出も報告されている。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Hawthorne F.C., Oberti R., Harlow G.E., Maresch W.V., Martin R.F., Schumacher J.C., Welch M.D. (2012) Nomenclature of the amphibole supergroup. American Mineralogist, 97, 2031-2048.
[4] Leake B.E. et al. (1997) Nomenclature of amphiboles: report of the Subcommittee on Amphiboles of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names. The Canadian Mineralogist 35, 219-246
[5] Williams P.A., Hatert F., Pasero M., Mills S.J. (2013) IMA Commission on new minerals, nomenclature and classification (CNMNC) Newsletter 16. New minerals and nomenclature modifications approved in 2013. Mineralogical Magazine 77, 2695-2709.

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IMA No./year: 1987-045
IMA Status: A(approved)
模式標本:産業技術総合研究所地質標本館(GSJ M17112)

和田石 / Wadalite

Ca6Al6Si2O16Cl3(承認時)
Ca12Al10Si4O32Cl6(Mayenite超族として)

模式地:福島県郡山市逢瀬町多田野

第一文献:Tsukimura K., Kanazawa Y., Aoki M., Bunno M. (1993) Structure of wadalite Ca6Al5Si2O16Cl3. Acta Crystallographica, C49, 205-207

第二文献:Banno Y, Bunno M, Tsukimura K (2018) A reinvestigation of holotype wadalite from Tadano, Fukushima Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 82, 1023-1031.

和田石 / Wadalite

和田石 / Wadalite

和田石 / Wadalite

和田石 / Wadalite

和田石 & 加藤ざくろ石 / Wadalite & Katoite
模式地標本

和田石は地質調査所(当時)の月村勝宏らによって記載され、その名称は和田維四郎(1856-1920)にちなんで名づけられた。日本の近代地質学の基礎を築いた地質学者であるHeinrich Edumund Naumann(1854-1927)のもとで学んだ最初の日本人が和田であり、明治10年の東京大学創立にあたっては、和田はNaumann教授の助手として金石学を担当した。その後、和田はNaumannと共に地質調査所の設立を建議し、地質調査所が設立した際には和田が初代所長を務め、東京大学でも教授職を兼任している。明治35年には大学や官界を去っているが、むしろそこから活躍が形として残るようになり、明治37年には「日本鉱物誌」を著わした。これは後年に様々発行された「~県鉱物誌」の模範となったと言える。和田は鉱物蒐集にも熱心で、集めた鉱物は膨大かつ高品質のものが多く、このいわゆる「和田コレクション」は三菱の岩崎家が購入した。現在、和田コレクションの大半は三菱マテリアル総合研究所に所蔵されている。このように和田維四郎は日本の鉱物学の創始者として知られていたが、なぜかその名は鉱物名に採用されていなかった。和田石に関して二つの論文の著者になっている豊遙秋はそのことに気づき、多田野からの新鉱物に和田の名前を残すことを提案した。

IMA no.からは和田石は1987年に申請されたことが伺えるが、第二文献によると承認は1989年とのことで一年以上の開きがある。このくらいのスピード感の審査だったのか、何か事情があったのか、文献上からは読み取れない。また、和田石の第一文献は1993年に出版された月村らの論文だが、これは結晶構造に特化しており、世界第二産地であるLaNegra鉱山(メキシコ)の情報があるものの、いわゆる記載論文としての内容となっていない。そのため模式地の和田石については実は記載がないという状態がずっと続いており、2018年になってようやく記載が行われた。それが第二文献であり、その記載がない期間に和田石はMayenite超族に分類された[1]。

Mayenite超族は2013年に成立し、論文は2015年に発表されている[1]。Mayenite超族の一般式はX12T14O32-x(OH)3x[W6-3x]と書くことができ、シリコン(Si)を主成分としないMayenite族と、シリコンを主成分とする和田石族に分けられる。和田石族については和田石(wadalite: Ca12Al10Si4O32Cl6)とその三価鉄(Fe3+)置換体にあたるEltyubyuite(Ca12Fe3+10Si4O32Cl6)が所属するのみとなっている。模式地である多田野からの和田石は三価鉄を含むものの、Eltyubyuiteにはかすりもしない程度の量に留まる。また、多田野の和田石には特定の結晶方位にのみ現れるセクターゾーニングがある[2]。そしてセクターゾーニングがあると言うことは、和田石の結晶は非平衡な状態で急速に成長したことを示唆している。

和田石は初生鉱物ではなく、ゲーレン石(Gehlenite: Ca2Al(SiAl)O7)が和田石よりも先にあって、それを消費するように和田石が成長したと考えられている。そして和田石もまた後期のスカルン活動で変質を受けているようで、結晶の外側はしばしば加藤ざくろ石に置換されている。外形をほぼたもったまま完全に加藤ざくろ石に変化している産状もある。例えば一番下の写真で、薄ピンク色をしめす結晶は加藤ざくろ石に置き換わっている。

模式地である郡山市多田野には安山岩が分布しており、しばしばスカルン質の捕獲岩を伴う。その捕獲岩は分帯しており、中心部に無水のスカルン鉱物を、周辺部に含水のスカルン鉱物を胚胎する。和田石は中心部と周辺部の境界付近の絶妙な領域で主に産出し、黒~黒緑~暗灰色で半透明な四面体結晶となる。郡山市在住の愛石家である橋本悦雄が気づき、地質調査所の豊遙秋へ相談したことが発見のきっかけだと伝わる。

[1] Galuskin E.V., Gfeller F., Galuskina I.O., Armbruster T., Bailau R., Sharygin V.V. (2015) Mayenite supergroup, part I: recommended nomenclature. European Journal of Mineralogy 27, 99-111
[2] 第二文献

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IMA No./year: 1989-007
IMA Status: A(approved)
模式標本:地質調査所北海道支所地質標本室(当時)

豊羽鉱 / Toyohaite

Ag2FeSn3S8(承認時)

Ag+(Fe2+0.5Sn4+1.5)S4(2019年からスピネル超族として)

模式地:北海道札幌市豊羽鉱山

第一文献:Yajima J., Ohta E., Kanazawa Y. (1991) Toyohaite, Ag2FeSn3S8, a new mineral, Mineralogical Journal 15, 222-232.

第二文献:設定なし

「未入手」

豊羽鉱は地質調査所(当時)の研究チームが発見した新鉱物で、北海道支所の矢島淳吉が筆頭著者を務めた。学名は発見地である豊羽鉱山にちなむ。豊羽鉱山は明治初期に定山渓付近で鉱脈が記録されたことが始まりと考えられている[1]。その後、明治後半から開発が始まり、大正期から稼働し、幾度かの休止を経て、平成18年(2006年)3月で操業を最終的に休止した。休止の理由は名目的には鉱量枯渇であるが、鉱脈自体は地下にまだ続いていることが確認されているので、実態は技術的・採算的に採掘可能な鉱量の枯渇であろう。また、豊羽鉱山は基本的には亜鉛・鉛の鉱山ではあったが、副産物のインジウム(In)が豊富で、インジウムについて一時は世界第一の生産量を誇った。

豊羽鉱山の鉱床帯は4つに大別され、胆振鉱床帯、長門鉱床帯、本山鉱床帯、通洞鉱床帯がある[2]。それらの鉱床帯に主脈と支脈があり、それぞれ「〇〇𨫤」と呼ばれる。鉱石の特徴としては大まかに3種類で、①方鉛鉱・閃亜鉛鉱・硫化鉄鉱を主体とする鉱脈、②黄鉄鉱・黄銅鉱を主体とする鉱脈、③菱マンガン鉱・方解石を主体とする鉱脈があげられる。それらは前期・後期の生成時期が大まかにわけられ、①が前期、③が後期となっている。②はどちらの場合もあるがどちらかというと後期が多い。このように豊羽鉱山は一概には言えない多様さがあるので、豊羽鉱山産というだけの鉱石に豊羽鉱が含まれている確率は非常に低く、せめて「〇〇𨫤」くらいの情報がないと標本としての意味合いも乏しい。

豊羽鉱が発見されたのは本山鉱床帯の主脈である但馬𨫤の支脈(播磨𨫤)のそのまた支脈の空知𨫤である。空知𨫤の鉱石は方鉛鉱・閃亜鉛鉱・硫化鉄鉱が主体だが、成分としてみるとやたら銀に富む特徴が知られる[1]。鉱石1tあたりに約1kgもの銀が含まれており、これは主脈である但馬𨫤や播磨𨫤の5-6倍に相当するけた外れの量といえる。そして銀(Ag)を主成分とする鉱物であるカンフィールド鉱(Canfieldite: Ag8SnS6)、黄錫銀鉱(Hocartite: Ag2FeSnS4)、ピルキスタス鉱(Pirquitasite: Ag2ZnSnS4)が豊羽鉱に先立って発見されている。そして1987年には銀に富む赤錫鉱の産出が報告され[3]、それがのちに豊羽鉱となった。

豊羽鉱は赤錫鉱(Rhodostannite)の銀置換体に相当する新鉱物と発表されている。当時、赤錫鉱はCu2FeSn3S8の組成で表される鉱物であり、豊羽鉱はAg2FeSn3S8であった。一方で、この化学組成は後に改訂されることになる。豊羽鉱の記載に先立って、赤錫鉱がスピネル構造を持つことはがすでに知られており、1979年には赤錫鉱の化学組成をCu(Fe0.5Sn1.5)S4のように表記するべきだという主張があった[4]。この化学組成になるにはFeが2価、Snが4価であるべきで、それもまた後年に実験的に確認された[5]。そして、2019年にスピネル超族の命名規約が成立した際に、赤錫鉱と共に豊羽鉱の化学組成も改訂され、豊羽鉱の化学組成はAg+(Fe2+0.5Sn4+1.5)S4となった [6]。

結果的に、豊羽鉱は日本で最初のスピネル超族の新鉱物という立場が定まったので、スピネル超族の分類を少し示す。スピネル超族はABX4の化学組成のスピネル構造を有する鉱物群であり、「X」の種類で今のところ3つの族に分けられる:酸化スピネル族(Oxyspinel group: ABO4)、硫化スピネル族(Tiospinel group:ABS4)、セレン化スピネル族(Selenospinel group:ABSe4)。そして、硫化スピネル族の中に「B」の価数によって分けられる亜族がある:カーロール鉱亜族(Carrollite subgroup: AB3.5+S4)とリンネ鉱亜族(Linnaeite subgroup: AB3+S4)。豊羽鉱はカーロール鉱亜族に分類され、同じカテゴリーに最近になって蝦夷地鉱(Ezochiite: Cu+(Rh3+Pt4+)S4)が新たに加わった[7]。どちらも北海道から発見された新鉱物である。

豊羽鉱は黄錫鉱(Stannite: Cu2FeSnS4)の分解生成物だと考えられており、鉱石中に0.2mm以下の不定形な微細粒子として産出し、ヘルツェンブルグ鉱(Herzenbergite: SnS)やベルント鉱(Berndtite: SnS2)を非常に密接に伴うことが第一文献に記されている。採集地点は細かく述べられており、それぞれ5つのサブステージがあり、豊羽鉱が生成されるサブステージは限定的である。つまり、豊羽鉱が発見された場所は非常に限られており、空知𨫤の鉱石でも採掘レベルやサブステージがわずかでも外れると豊羽鉱は出てこないことが推察される。そしてそれは実際に体験した。これまでに空知𨫤の鉱石をさんざん調べたが、豊羽鉱がでてくる採掘レベルやサブステージでなかったためか、豊羽鉱はついに見つからなかった。ヘルツェンブルグ鉱を伴う赤錫鉱まではみつかったのであと一歩のところであろうが、そもそも空知𨫤の鉱石なんて手に入れる機会がほとんどないため、今さら豊羽鉱を見つけることは非常に難しく、未入手のままとなっている。

[1] 宮島健久, 秤信男, 喜多正弘(1971)豊羽鉱山の地質構造と裂罅生成機構に関する最近の考え方. 鉱山地質, 21, 22-35.
[2] 沢俊明(1966)豊羽鉱山の同鉛亜鉛鉱床. 北海道金属非金属鉱床総覧, 82-84.
[3] 太田英順, 矢島淳吉, 金沢康夫(1987)豊羽鉱床産鉱石鉱物の化学組成. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, P68.
[4] Jumas J.C., Philippot E., Maurin M. (1979) Structure du rhodostannite synthétique. Acta Crystallographica, B35, 2195-2197.
[5] Garg G., Bobev S., Roy A., Ghose J., Das D., Ganguli A.K. (2001) Single crystal structure and Mössbauer studies of a new cation-deficient thiospinel: Cu5.47Fe2.9Sn13.1S32. Materials Research Bulletin, 36, 2429–2435.
[6] Bosi F., Biagioni C., Pasero M. (2019) Nomenclature and classification of the spinel supergroup. European Journal of Mineralogy, 31, 183-192.
[7] [7] Nishio-Hamane D. and Saito K. (2023) Ezochiite, IMA 2022-101. CNMNC Newsletter 71; Mineralogical Magazine, 87, https://doi.org/10.1180/mgm.2023.11

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IMA No./year: 1990-005

単斜トベルモリ石 / Clinotobermorite

Ca5Si6O16(OH)2・5H2O

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

単斜トベルモリ石 / Clinotobermorite
模式地標本 見た目ではわからないがX線で確認すると本鉱とトベルモリ石が共存している。

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IMA No./year: 1991-025

渡辺鉱 / Watanabeite

Cu4(As,Sb)2S5

北海道 札幌市 手稲区 手稲鉱山

渡辺鉱を伴う亜鉛四面銅鉱+鉄四面銅鉱
渡辺鉱を伴う(いわゆる)四面銅鉱

各四面銅鉱の分布
各四面銅鉱の分布

渡辺鉱&亜鉛面銅鉱 / Watanabeite & Tetrahedrite-(Zn)
亜鉛四面銅鉱中の渡辺鉱

渡辺鉱&鉄四面銅鉱 / Watanabeite & Tetrahedrite-(Fe)
鉄四面銅鉱中の渡辺鉱

渡辺鉱は(いわゆる)四面銅鉱に伴われて産出するため、前評判では半分くらいの確率で入っているとのことだった。ところがどれだけ調べてもこれまでまったく見つからなかった。これまで自分や友人の標本を巻き添えにして全滅というありさまであったが、2021年になりようやく渡辺鉱が見つかった。いわゆる四面銅鉱の標本は、細粒の亜鉛四面銅鉱と粗粒な鉄四面銅鉱からなっており、鉄四面銅鉱は石英晶洞との接触部に分布する。渡辺鉱はそのどちらにも含まれていたが、大きさは100ミクロン以下ととても小さく、また標本の大部分を構成する亜鉛四面銅鉱には極めてまれにしか含まれない。むしろ鉄四面銅鉱中に多く含まれていた。それでもこの程度の存在ではXRDではその存在をとらえることができないため、電子顕微鏡で探すことになるが、大電流でないとコントラストが出ない。また渡辺鉱(Cu4(As,Sb)2S5)のヒ素(As)をアンチモン(Sb)に置換した鉱物(Cu4(Sb,As)2S5)も見つかっており、渡辺鉱の記載論文で指摘されていたことを再確認することができた。

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IMA No./year: 1992-015

三笠石 / Mikasaite

Fe3+2(SO4)3

模式地:北海道 三笠市 幾春別 奔別川東岸

原著:Miura H., Niida K., Hirama T. (1994) Mikasaite, (Fe3+,Al)2(SO4)3, a new ferric sulphate mineral from Mikasa city, Hokkaido, Japan. Mineralogical Magazine, 58, 649-653

三笠石 / Mikasaite
模式地標本 北海道から関東に引っ越してきてほったらかしてたらちょっと小さくなった気がする。潮解性があるので保存にはシリカゲル必須です。今回の撮影でまたちょっとちびた気がする。

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IMA No./year: 1992-017

森本ざくろ石 / Morimotoite

Ca3(TiFe2+)(Si3O12)

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Henmi C., Kusachi I., Henmi K. (1995) Morimotoite, Ca3TiFe2+Si3O12, a new titanian garnet from Fuka, Okayama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 59, 115-120

森本ざくろ石 / Morimotoite
森本ざくろ石 / Morimotoite
模式地標本

森本ざくろ石の端成分がCa3(TiFe2+)(Si3O12)でショーロマイトの端成分がCa3Ti2SiFe3+2O12なので,たして2で割るとCa3Ti3/2Fe2+1/2Si2Fe3+O12となり,これよりどっち側かで種が分類される。単純にはSiが2を超えれば森本ざくろ石で2を下回ればショーロマイト。この試料の分析値は(Ca2.94Fe2+0.06)(Ti1.26Fe2+0.46Mg0.10Al0.08Fe3+0.09)(Si2.30Fe3+0.70)O12で森本ざくろ石の組成領域。この組成は原著の組成とほとんど同じだし,ショートマイトとして手に入れた標本を分析してもほぼ同じでSi>2の森本ざくろ石だった。もしかして布賀のショーロマイトという標本は多くが森本ざくろ石ではないだろうか?

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IMA No./year: 1992-024

草地鉱 / Kusachiite

Cu2+Bi3+2O4

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Henmi C. (1995) Kusachiite, CuBi2O4, a new mineral from Fuka, Okayama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 59, 545-548

草地鉱 / Kusachiite
模式地標本

草地鉱 / Kusachiite
合成結晶 水熱合成法

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IMA No./year: 1993-049

武田石 / Takedaite

Ca3B2O6

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Kusachi I., Henmi C., Kobayashi S. (1995) Takedaite, a new mineral from Fuka, Okayama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 59, 549-552

武田石 / Takedaite
模式地標本 これも薄片をそのうちに作成しよう。

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IMA No./year: 1996-051

パラシベリア石 / Parasibirskite

Ca2B2O5・H2O

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Kusachi I., Takechi Y., Henmi C., Kobayashi S. (1998) Parasibirskite, a new mineral from Fuka, Okayama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 62, 521-525

パラシベリア石 / Parasibirskite
模式地標本 中央上下に走るややピングがかった白色脈。実際には本鉱+シベリア石の混合で,X線の比率からすると本鉱:シベリア石=2:3くらい。パラシベリア石と名付けられてはいるものの,結晶構造はシベリア石とはとくに関連は無い(Takahashi et al., 2010, JMPS, 105, 70-73)。

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IMA No./year: 1997-002

岡山石 / Okayamalite

Ca2B2SiO7

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

岡山石 / Okayamalite
模式地標本 矢印先に岡山石が含まれるが白色なので見た目ではわからない。

岡山石 / Okayamalite
薄片を作りSEMの反射電子像でようやくその存在が確認できる。分析値はCa1.99B2Al0.02Si0.99O7
ゲーレン石(Ca2Al2SiO7)からみてのAl→B置換体が岡山石となる。

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IMA No./year: 1997-010

津軽鉱 / Tsugaruite

Pb4As2S7(当初)
Pb28As15S50Cl(2019~)

模式地:青森県 平川市 湯ノ沢鉱山

津軽鉱 / Tsugaruite
津軽鉱 / Tsugaruite
模式地標本

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IMA No./year: 1998-037

苦土フォイト電気石 / Magnesio-foitite

□(Mg2Al)Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)3(OH)

模式地:山梨県 山梨市 三富上釜口 京ノ沢

原著:Hawthorne F.C., Selway J.B., Kato A., Matsubara S., Shimizu M., Grice J.D., Vajdak J. (1999) Magnesiofoitite, (Mg2Al)Al6(Si6O18)(BO3)3(OH)4, a new alkali-deficient tourmaline. The Canadian Mineralogist, 37, 1439-1443.

苦土フォイト電気石 / Magnesio-foitite
模式地標本 Mg#が90%くらいで鉄はかなり少ない。しっかりと本鉱です。

フォイト電気石 / Foitite
宮崎県乙ヶ渕鉱山(参考) 色が薄いところが本鉱だと言われているが実はそんなことはない。たくさん分析したが色の濃淡の範囲でMg#が40-45%で,どうやってもMg#は50%を超えることはない。調べた範囲でこの産地のはすべて鉄タイプのフォイット電気石です。

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IMA No./year: 1998-039

糸魚川石 / Itoigawaite

SrAl2Si2O7(OH)2・H2O

模式地:新潟県 糸魚川市 親不知海岸

原著:Miyajima H., Matsubara S., Miyawaki R., Ito K. (1999) Itoigawaite, a new mineral, the Sr analogue of lawsonite, in jadeitite from the Itoigawa-Ohmi district, central Japan. Mineralogical Magazine, 63, 909-916.

糸魚川石 / Itoigawaite
新潟県 糸魚川市 橋立

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IMA No./year: 1998-055

蓮華石 / Rengeite

Sr4Ti4ZrO8(Si2O7)2

模式地:新潟県 糸魚川市 姫川 小滝川 親不知海岸

原著:Miyajima H., Matsubara S., Miyawaki R., Yokoyama K., Hirokawa K. (2001) Rengeite, Sr4ZrTi4Si4O22, a new mineral, the Sr-Zr analogue of perrierite from the Itoigawa-Ohmi district, Niigata Prefecture, central Japan. Mineralogical Magazine, 65 111-120.

蓮華石 / Rengeite
糸魚川市海岸 松原石と見た目で区別が付かないので分析してみたら(Sr3.97Ba0.09Ca0.05)Ti3.94Zr1.05O8Si3.96O14。Zrがしっかり入っているのでこれは蓮華石。

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IMA No./year: 1998-063

ネオジム弘三石 / Kozoite-(Nd)

Nd(CO3)(OH)

模式地:佐賀県 唐津市 肥前町 新木場

原著:Miyawaki R., Matsubara S., Yokoyama K., Takeuchi K., Terda Y., Nakai I. (2000) Kozoite-(Nd), Nd(CO3)(OH), a new mineral in an alkali olivine basalt from Hizen-cho, Saga Prefecture, Japan. American Mineralogist, 85, 1076-1081

ネオジム弘三石 / Kozoite-(Nd)
佐賀県 肥前町 満越 ハロゲン光源で撮影

ネオジム弘三石 / Kozoite-(Nd)
電子顕微鏡写真 上の写真でキラっとしているところは小さい結晶の集合

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IMA No./year: 1999-011

多摩石 / Tamaite

(Ca,K,Na)xMn6(Si,Al)10O24(OH)4·nH2O(x = 1-2; n = 7-11)

模式地:東京都 奥多摩町 白丸鉱山

原著:Matsubara S., Miyawaki R., Tiba T., Imai H. (2000) Tamaite, the Ca-analogue of ganophyllite, from the Shiromaru mine, Okutama, Tokyo, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 95, 79-83

多摩石 / Tamaite
模式地標本 分析をするとこの結晶はCaタイプで,多摩石となる。

エグレトン石 / Eggletonite
模式地標本 分析をするとこの結晶はNaタイプで,Eggletonite[(Na,Ba,Ca,K)xMn6(Si,Al)10O24(OH)4·nH2O(x = 1-2; n = 7-11)]となる。多摩石とは見た目で区別できない。

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IMA No./year: 1999-025

大峰石 / Ominelite

Fe2+Al3O2(BO3)(SiO4)

模式地:奈良県 天川村 弥山川

大峰石  / Ominelite
大峰石  / Ominelite
奈良県大峰山脈(天川村)

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IMA No./year: 1999-047

パラ輝砒鉱 / Pararsenolamprite

As

模式地:大分県 杵築市 向野鉱山

原著:Matsubara S., Miyawaki R., Shimizu M., Yamanaka T. (2001) Pararsenolamprite, a new polymorph of native As, from the Mukuno mine, Oita Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 65, 807-812

パラ輝砒鉱 / Pararsenolamprite
模式地標本

結晶構造はすでに判明しているようだ。

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IMA No./year: 2000-027

松原石 / Matsubaraite

Sr4Ti5O8(Si2O7)2

模式地:新潟県 糸魚川市 小滝川

原著:Miyajima H., Miyawaki R., Ito K. (2002) Matsubaraite, Sr4Ti5(Si2O7)2O8, a new mineral, the Sr-Ti analogue of perrierite in jadeitite from the Itoigawa-Ohmi district, Niigata Prefecture, Japan. European Journal of Mineralogy, 14, 1119-1128

松原石 / Matsubaraite
松原石 / Matsubaraite
模式地標本
蓮華石とは見た目で区別できなさそうで,分析してみると松原石のほうでした。Sr3.79Ti5.33Si3.76O22,SrとSiがやや不足でTiがやや過剰。でも原著をみてもどうやらその傾向があるようだ。下のBSE像で一部(明るい部分)がTausonite(SrTiO3),これもレアな鉱物。

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IMA No./year: 2001-043

わたつみ石 / Watatsumiite

KNa2LiMn2V2Si8O24

模式地:岩手県 田野畑村 田野畑鉱山

原著:Matsubara S., Miyawaki R., Kurosawa M., Suzuki Y. (2003) Watatsumiite, KNa2LiMn2V2Si8O24, a new mineral from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 98, 142-150.

わたつみ石 / Watatsumiite
模式地標本 黄緑色のところ。色が不安だったので分析してみると,K0.96Na2.28Li1.0(Mn1.41Mg0.44Fe0.07)(V1.38Ti0.56)Si8.04O24(Li=1.0を仮定)。本鉱だろう。茶色のところはバナジウムを含むエジリンでした。

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IMA No./year: 2001-045

白水雲母 / Shirozulite

KMn2+3(Si3Al)O10(OH)2

模式地:愛知県 設楽町 田口鉱山

白水雲母 / Shirozulite
模式地標本 山田滋夫氏から恵与いただいた。金雲母にしか見えないががMnが主成分で本鉱であった。組成はK0.99(Mn1.52Mg0.86Al0.35Fe0.22Ti0.06)Σ3Si2.60Al1.38O10(OH)2.

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IMA No./year: 2001-049(2012s.p.)

カリフェリリーキ閃石 / Potassic-ferri-leakeite(原記載はPotassic-leakeite)

KNa2Mg2Fe3+2LiSi8O22(OH)2

模式地:岩手県 田野畑村 田野畑鉱山

Potassic-ferri-leakeite
Kedykverpakhk Mt, Lovozero Massif, Kola Peninsula, Murmanskaja Oblast’, Northern Region, Russia.
緑色部が本鉱で,ブラウン色はエジリン。

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IMA No./year: 2001-055

新潟石 / Niigataite (2016年に復活)

CaSrAl3O(Si2O7)(SiO4)(OH)

模式地:新潟県 糸魚川市 宮花海岸

原著:Miyajima H., Matsubara S., Miyawaki R., Hirokawa K. (2003) Niigataite, CaSrAl3(Si2O7)(SiO4)O(OH): Sr-analogue of clinozoisite, a new member of the epidote group from the Itoigawa-Ohmi district, Niigata Prefecture, central Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences 98, 118-129.

新潟石 / Niigataite
模式地標本 中央黄土色結晶は基本的には緑泥石だが,その中に本鉱が含まれていた。薄紫はダイアスポア。

2006年の緑簾石族命名規約によって学名が”Clinozoisite-(Sr)”になっていたが,2016年の命名規約の再改定によって原記載どおりの”Niigataite”が復活することになった。

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IMA No./year: 2001-065(2012s.p.)

プロト直閃石 / Proto-anthophyllite

□Mg2Mg5Si8O22(OH)2

模式地:岡山県 新見市 高瀬鉱山

原著:Konishi H., Groy T.L., Dodony I., Miyawaki R., Matsubara .S, Buseck P.R. (2003) Crystal structure of protoanthophyllite: A new mineral from the Takese ultramafic complex, Japan. American Mineralogist, 88, 1718-1723

プロト直閃石 / Proto-anthophyllite
模式地標本 ボーリングコアの一部

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IMA No./year: 2002-051(2012s.p.)

定永閃石 / Sadanagaite(原記載はMagnesiosadanagaite)

NaCa2Mg3Al2(Si5Al3)O22(OH)2

模式地:岐阜県 揖斐川町 春日鉱山

原著:Banno Y., Miyawaki R., Matsubara S., Makino K., Bunno M., Yamada S., Kamiya T. (2004) Magnesiosadanagaite, a new member of the amphibole group from Kasuga-mura, Gifu Prefecture, central Japan. European Journal of Mineralogy, 16, 177-183

定永閃石 / Sadanagaite
模式地標本 角柱状。

定永閃石 / Sadanagaite
上標本の後方散乱二次電子像。
左側のやや暗いコントラストはパーガス閃石で,右の明るいコントラストが本鉱。この産地の角閃石はことごとくゾーニングしていて,主にはSi量が異なる。こんだけはっきり分かれているなんて,生成条件がある段階でパキッと変わったんだろう。

定永閃石に伴われてソーダ金雲母の産出が知られるが,ソーダ金雲母はこのタイプの石には来ない。理由はよくわからない。

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IMA No./year: 2002-054

ランタン弘三石 / Kozoite-(La)

LaCO3(OH)

模式地:佐賀県 唐津市 肥前町 満越

原著:Miyawaki R., Matsubara S., Yokoyama K., Iwano S., Hamasaki K., Yukinori I. (2003) Kozoite-(La), La(CO3)(OH), a new mineral from Mitsukoshi, Hizen-cho, Saga Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 98, 137-141.

ランタン弘三石 / Kozoite-(La)
ランタン弘三石 / Kozoite-(La)
模式地標本 上は高演色光、下は蛍光灯の下で撮影。

ランタン弘三石 / Kozoite-(La)
輪切りにしてSEMで見るとこうなる。明るい部分ほどNdが多く,暗いところほどLaが多い。玉の中心部が本鉱となる。

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IMA No./year: 2003-036

東京石 / Tokyoite

Ba2Mn3+(VO4)2(OH)

模式地:東京都 奥多摩町 白丸鉱山

原著:Matsubara S., Miyawaki R., Yokoyama K., Shimizu M., Imai H. (2004) Tokyoite, Ba2Mn3+(VO4)2(OH), a new mineral from the Shiromaru mine, Okutama, Tokyo, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 99, 363-367

東京石 / Tokyoite
東京石 / Tokyoite
模式地標本 赤いところ

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IMA No./year: 2003-053

イットリウム岩代石 / Iwashiroite-(Y)

YTaO4

模式地:福島県 川俣町 水晶山

原著:Hori H., Kobayashi T., Miyawaki R., Matsubara S., Yokoyama K., Shimizu M. (2006) Iwashiroite-(Y), YTaO4, a new mineral from Suishoyama, Kawamata Town, Fukushima Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 101, 170-177

イットリウム岩代石 / Iwashiroite-(Y)
模式地標本

イットリウム岩代石 / Iwashiroite-(Y)
三重県 マメドチ谷

マメドチ谷の鉱物はメタミクトなのでいわゆるフォーマン石としていったん報告したけど,メタミクトからの構造回復挙動を精査したらこれは岩代石として再結晶化することがわかった。化学組成的にもTa/(Ta+Nb)>0.9と非常にTaに富んでいる。この化学組成だとペグマタイト程度の温度では岩代石の構造しか安定化しない。

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IMA No./year: 2004-004

セリウムヒンガン石 / Hingganite-(Ce)

BeCe(SiO4)(OH)

模式地:岐阜県 中津川市 蛭川田原

原著:Miyawaki R., Matsubara S., Yokoyama K., Okamoto A. (2007) Hingganite-(Ce) and hingganite-(Y) from Tahara, Hirukawa-mura, Gifu Prefecture, Japan: The description on a new mineral species of the Ce-analogue of hingannite-(Y) with a refinement of the crystal structure of hingganite-(Y). Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 102, 1-7

セリウムヒンガン石 / Hingganite-(Ce)
模式地標本

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IMA No./year: 2004-049

ソーダ金雲母 / Aspidolite

NaMg3(Si3Al)O10(OH)2

模式地:岐阜県 揖斐川町 春日鉱山

ソーダ金雲母 / Aspidolite
模式地標本 写真中央に代表されるややオレンジがかった雲母が本鉱。周りは定永閃石。

ソーダ金雲母 / Aspidolite
上の標本のSEM写真 上下に筋が入った結晶中の暗色が本鉱で結晶内の明るい筋は金雲母。写真内に白く散らばっているところはチタン石で,基質は定永閃石。

コメント:Aspidoliteという鉱物はオーストラリアで発見され1869年に黒雲母(biotite)-金雲母(phlogopite)系列のNaとMgに富む雲母としていったん記載されていた。だけどもその後にaspidoliteはphlogopite(金雲母)のNa置換体と解釈されて,sodium phlogopiteという名前のほうが有名になってしまいaspidoliteという名前は有名無実化。ところが雲母の命名規約が変わってaspidoliteの名前が復活し,化学組成も上記で定義された。ところがところが,aspidoliteという鉱物にはタイプ標本やちゃんとしたデータが存在していなくて名前だけが存在していたのです。そこでタイプ標本とデータを改めてaspidoliteとして申請して承認を受けたというのが本鉱です。和名は記載者が提案する「ソーダ金雲母」を採用しているけど,学名はギリシャ語のaspidos(盾のような)にちなんでます。直訳すると盾雲母。ついでに書いとくと「黒雲母/biosite」って最新の命名規約では鉱物種としては抹消されてて,それは金雲母(philogopite)-鉄雲母(annite)の固溶体というフィールドネームということになっている。

写真の標本はタイプ標本と同じ岩石から採集されたもので,山田滋夫氏に提供していただいた。いまのところソーダ金雲母はこの標本にしか見つかっていない。どんな定永閃石の標本にも本鉱が伴われると思われがちだが,一般的な定永閃石の標本に本鉱はこない。

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IMA No./year: 2005-033

苣木鉱 / Sugakiite

Cu(Fe,Ni)8S8

模式地:北海道 様似町

未入手

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IMA No./year: 2005-050

沼野石 / Numanoite

Ca4CuB4O6(CO3)2(OH)6

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Ohnishi M., Kusachi I., Kobayashi S., Yamakawa J., Tanabe M., Kishi S., Yasuda T. (2007) Numanoite, Ca4CuB4O6(OH)6(CO3)2, a new mineral species, the Cu analogue of borcarite from the Fuka mine, Okayama Prefecture, Japan. The Canadian Mineralogist, 45, 307-315

沼野石 / Numanoite
沼野石 / Numanoite
沼野石 / Numanoite
模式地標本 青いところが本鉱,だいたい結晶の内部にある。

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IMA No./year: 2006-022

セリウム上田石 / Uedaite-(Ce)

Mn2+CeAl2Fe2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

模式地:香川県 土庄町 灘山

セリウム上田石 / Uedaite-(Ce)
福島県福島市飯坂町鳥川鉱山

セリウム上田石 / Uedaite-(Ce)
Heftetjern, Tørdal, Telemark, Norway
この標本は海外の標本を調べているなかで見つけた。

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IMA No./year: 2006-049

大阪石 / Osakaite

Zn4SO4(OH)6·5H2O

模式地:大阪府 箕面市 平尾鉱山

原著:Ohnishi M., Kusachi I., Kobayashi S. (2007) Osakaite, Zn4SO4(OH)6·5H2O, a new mineral species from the Hirao mine, Osaka, Japan. The Canadian Mineralogist, 45, 1511-1517

大阪石 / Osakaite
大阪石 / Osakaite
模式地標本 タイプ標本の片割れを著者から恵与。淡い青色の六角板状結晶が本鉱の特徴。

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IMA No./year: 2006-055

ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr)

CaSrAl2Fe3+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

模式地:高知県 香美市 穴内鉱山

原著:Minakawa T., Fukushima H., Nishio-Hamane D., Miura H. (2008) Epidote-(Sr), CaSrAl2Fe3+(Si2O7)(SiO4)(OH), a new mineral from the Ananai mine, Kochi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 103, 400-406

ストロンチウム緑簾石 / Epidote-(Sr)
模式地標本 

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IMA No./year: 2007-012

宗像石 / Munakataite

Pb2Cu2(Se4+O3)SO4(OH)4

模式地:福岡県 宗像市 河東鉱山

原著:Matsubara S., Mouri T., Miyawaki R., Yokoyama K., Nakahara M. (2008) Munakataite, a new mineral from the Kato mine, Fukuoka, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 103, 327-332

宗像石 / Munakataite
宗像石 / Munakataite
模式地標本

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IMA No./year: 2007-019

田野畑石 / Tanohataite

LiMn2Si3O8(OH)

模式地:岩手県 田野畑村 田野畑鉱山

原著:Nagase T., Hori H., Kitamine M., Nagashima M., Abduriyim A., Kuribayashi T. (2012) Tanohataite, LiMn2Si3O8(OH): a new mineral from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 107, 149-154.

田野畑石 / Tanohataite
模式地標本

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IMA No./year: 2007-037

幌満鉱 / Horomanite

Fe6Ni3S8

模式地:北海道 様似町

幌満鉱 / Horomanite
模式地標本 中央から左上の明るい黄銅色が幌満鉱。自然銅を伴うことがある。

幌満鉱 / Horomanite
幌満鉱の反射顕微鏡写真。中央の結晶の横幅で約250ミクロン。結晶内部に少量のトロイリ鉱(Troilite):FeSを含むことが多い。
平均化学組成は(Fe6.13Ni2.80Cu0.14)Σ9.07S7.93

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IMA No./year: 2007-038

様似鉱 / Samaniite

Cu2Fe5Ni2S8

模式地:北海道 様似町

「未入手」

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IMA No./year: 2007-053(2012s.p.)

カリフェロパーガス閃石 / Potassic-ferro-pargasite

KCa2(Fe2+4Al)Si6Al2O22(OH)2

模式地:三重県 亀山市 加太市場

原著:Banno Y., Miyawaki R., Matsubara S., Sato E., Nakai I., Matsuo G., Yamada S. (2009) Potassic-ferropargasite, a new member of the amphibole group, from Kabutoichiba, Mie Prefecture, central Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 104, 374-382

カリフェロパーガス閃石 / Potassic-ferro-pargasite
模式地標本

原著を読むとK/(K+Na)が0.5に近い微妙な値。こいつも分析したところやっぱりK/(K+Na)=0.52-0.53とかなり微妙だが,とりあえずK>Naで本鉱の部分が存在している。Na>Kとなる「ferropargasite」もそれなりにあるので,どっちつかずなんだなこの標本は。

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IMA No./year: 2008-031

ネオジムウェークフィールド石 / Wakefieldite-(Nd)

Nd(VO4)

模式地:高知県 香美市 有瀬鉱床

ネオジムウェークフィールド石 / Wakefieldite-(Nd)
模式地標本
見た目はただの鉄マン鉱石で目立った特徴はない。

ネオジムウェークフィールド石 / Wakefieldite-(Nd)
上標本の電子顕微鏡写真。最も明るいところに本鉱が含まれる。やや明るいところはカリオピライト,右上部に広がるやや暗いところは方解石。下部分にある鱗片状のやや明るいところは赤鉄鉱。

適当に拾った石を何も考えずに適当に切って観察しただけで簡単に本鉱が見つかったので,この産地の鉱石には普遍的に含まれていると思う。この試料からは他にイットリウムウェークフィールド石,ランタンウェークフィールド石もそれなりに含まれていた。これは分析しないとわからない。いずれにしても顕微鏡サイズ。

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IMA No./year: 2008-067

千葉石 / Chibaite

SiO2·n(CH4,C2H6,C3H8,C4H10); (nmax = 3/17)

模式地:千葉県 南房総市 荒川

原著:Momma K., Ikeda T., Nishikubo K., Takahashi N., Honma C., Takada M., Furukawa Y., Nagase T., Kudoh Y. (2011) New silica clathrate minerals that are isostructural with natural gas hydrates. Nature Communications, 2, 196-7

千葉石 / Chibaite
千葉石 / Chibaite
模式地標本

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IMA No./year: 2009-026

桃井ざくろ石 / Momoiite

Mn2+3V3+2(SiO4)3

模式地:愛媛県 西条市 鞍瀬鉱山

原著:Tanaka H., Endo S., Minakawa T., Enami M., Nishio-Hamane D., Miura H., Hagiwara A. (2010) Momoiite, (Mn2+,Ca)3(V3+,Al)2Si3O12, a new manganese vanadium garnet from Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 105, 92-96

桃井ざくろ石 / Momoiite
模式地標本 自分で記載した鉱物。

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IMA No./year: 2010-085a

島崎石 / Shimazakiite

Ca2B2-xO5-3x(OH)3x (x = 0-0.06)

模式地:岡山県 高梁市 布賀鉱山

原著:Kusachi I., Kobayashi S., Takechi Y., Nakamuta Y., Nagase T., Yokoyama K., Momma K., Miyawaki R., Shigeoka M., Matsubara S. (2013) Shimazakiite-4M and shimazakiite-4O, Ca2B2O5, two polytypes of a new mineral from Fuka, Okayama Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 77, 93-105

島崎石 / Shimazakiite
模式地標本 本鉱と方解石が入り交じってますが見た目ではわかりません。

島崎石 / Shimazakiite
顕微鏡写真(クロスニコル) 顕微鏡下では非常によくわかります。このもやもやが本鉱の特徴で,ポリタイプが混じってます。

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IMA No./year: 2010-086

亜鉛ビーバー石 / Beaverite-(Zn)

Pb(Fe3+2Zn)(SO4)2(OH)6

模式地:新潟県 阿賀町 三川鉱山

「未入手」

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IMA No./year: 2011-023(2012s.p.)

愛媛閃石 / Chromio-pargasite(原記載はEhimeite)

NaCa2(Mg4Cr)(Si6Al2)O22(OH)2

模式地:愛媛県 新居浜市 東赤石山

原著:Nishio-Hamane D., Ohnishi M., Minakawa T., Yamaura J., Saito S., Kadota R. (2012) Ehimeite, NaCa2Mg4CrSi6Al2O22(OH)2: The first Cr-dominant amphibole from the Akaishi Mine, Higashi-Akaishi Mountain, Ehime Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 107, 1-7

愛媛閃石 / Chromio-pargasite
愛媛閃石 / Chromio-pargasite
模式地標本
Ehimeiteで申請して承認されたが,すぐに命名規約変更の論文が出て今はchromio-pargasiteが正式名称。ehimeiteだった期間はわずか1年ちょっととあまりにも短命すぎた。

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IMA No./year: 2011-030

イットリウム肥前石 / Hizenite-(Y)

Ca2Y6(CO3)11·14H2O

模式地:佐賀県 唐津市 肥前町 満越

「未入手」

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IMA No./year: 2011-031

イットリウムラブドフェン / Rhabdophane-(Y)

YPO4·H2O

模式地:佐賀県 玄海町 日ノ出松

イットリウムラブドフェン / Rhabdophane-(Y)
模式地標本 中央の白っぽい玉が本鉱

イットリウムラブドフェン / Rhabdophane-(Y)
SEM写真 エンスタタイト結晶の被膜で産し,六角柱状結晶の放射状集合体。

イットリウムラブドフェン / Rhabdophane-(Y)
SEM写真その2 拡大写真。

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IMA No./year: 2011-043

宮久石 / Miyahisaite

(Sr,Ca)2Ba3(PO4)3F

模式地:大分県 佐伯市 下払鉱山

原著:Nishio-Hamane D., Ogoshi Y., Minakawa T. (2012) Miyahisaite, (Sr,Ca)2Ba3(PO4)3F, a new mineral of the hedyphane group in the apatite supergroup from the Shimoharai mine, Oita Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 107, 121-126, 181

宮久石 / Miyahisaite
宮久石 / Miyahisaite
模式地標本 だいたい同じ視野を写真とBEI像で並べてみた。下のBEI像で白い部分が宮久石で,その中心にあるやや明るい灰色はフッ素燐灰石。

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IMA No./year: 2011-099

イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y)

Y(Ta,Nb)O4

模式地:愛媛県 松山市 高縄山

原著:Nishio-Hamane D., Minakawa T., Ohgoshi Y. (2013) Takanawaite-(Y), a new mineral of the M-type polymorph with Y(Ta,Nb)O4 from Takanawa Mountain, Ehime Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 108, 335-344.

イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y)
模式地標本 この産地のペグマタイトはほとんど雲母を伴わず,高縄石は石英と長石の境界に産する。メタミクト化しており非常に脆いため,岩石を割る際の衝撃でほとんど割れてしまう。結晶面が見えることは稀。放射状に集合する傾向がある。

イットリウム高縄石 /Takanawaite-(Y)
香川県広島 第二産地の発見(武智・浜根, 2016, 資源地質学会第66回年会講演要旨集,P-10)。

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IMA No./year: 2012-010

イットリウム苦土ローランド石 / Magnesiorowlandite-(Y)

Y4(Mg,Fe)(Si2O7)2F2

模式地:三重県 菰野町 宗利谷

イットリウム苦土ローランド石 / Magnesiorowlandite-(Y)
模式地標本 中央の不定研断面を示すねずみ色が本鉱

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IMA No./year: 2012-020

伊勢鉱 / Iseite

Mn2Mo3O8

模式地:三重県 伊勢市

原著:Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2013) Iseite, Mn2Mo3O8, a new mineral from Ise, Mie Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 108, 37-41.

伊勢鉱 / Iseite
伊勢鉱 / Iseite
模式地標本

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IMA No./year: 2012-035

箕面石 / Minohlite

(Cu,Zn)7(SO4)2(OH)10·8H2O

模式地:大阪府 箕面市 平尾鉱山

原著:Ohnishi M., Shimobayashi N., Nishio-Hamane D., Shinoda K., Momma K., Ikeda T. (2013) Minohlite, a new copper-zinc sulphate mineral from Minoh, Osaka, Japan. Mineralogical Magazine, 77, 335-342

箕面石 / Minohlite
模式地標本

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IMA No./year: 2012-095

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)

CaLaVAlFe2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

模式地:三重県 伊勢市

原著:Nagashima M., Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2013) Vanadoallanite-(La): a new epidote-supergroup mineral from Ise, Mie Prefecture, Japan, Mineralogical Magazine, 77, 2739-2752.

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)
模式地標本 この産地の褐簾石亜族の新鉱物は見た目では区別できません。なのでとりあえずこの結晶を本鉱としておきましょう。

ランタンバナジウム褐簾石 / Vanadoallanite-(La)
模式地標本 タイプ標本からのピックアップ。

本鉱が本当にどのくらい実在するかについて国内外の相当コアなマニアや研究者から問い合わせが来ているのでまじめに回答しておくと,存在が確認できているのはタイプ標本のみである。もししそれらしい産状の褐簾石を見つけたとしても結晶内で組成変動が少なからずあるので,種を確定するにあたって結晶のピックアップと化学組成分析は必須。単結晶構造解析があるとベスト。要は,確かなのは分離&研磨&分析したその薄片だけになってしまう。それは個人のコレクションとしては楽しくはない気はする。それでもどうしても確かなものをという人がいるようなので書いておくと,本鉱となるためにはV2O3が最低でも6.5重量パーセントを上回る必要がある。もし分析済みと称した標本を手に入れる際はそれをひとつの目安にすればいい。ただ,この記述が本鉱を保証するものではないのであたりまえですが入手は自己責任でどうぞ。
SEM写真の結晶の分析値は(Ca0.60Mn2+0.40)(La0.59Nd0.15Ce0.12Ca0.05)(V3+0.64Fe3+0.40)(Al0.90Fe3+0.10)(Fe2+0.44Mn2+0.43Mg0.12)Si3.05O12(OH)。やっぱりこういう標本でしかない。

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IMA No./year: 2012-101

足立電気石 / Adachiite

CaFe2+3Al6(Si5AlO6)(BO3)3(OH)3(OH)

模式地:大分県 佐伯市 木浦鉱山

原著:Nishio-Hamane D., Minakawa T., Yamaura J., Oyama T., Ohnishi M., Shimobayashi N. (2014) Adachiite, a Si-poor member of tourmaline supergroup from the Kiura mine, Oita Prefecture, Japan, Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 74-78.

足立電気石 / Adachiite
足立電気石 / Adachiite
模式地標本 一般的には黒色柱状結晶の集合として産出する。不透明というわけではなく,強い光をむりやりあてると小さい結晶なら透明であることが確認できる。実際には鉄電気石と複雑な累帯を成し,その一部が本鉱となる。この産地の電気石はほとんどの場合,本鉱を含んでいる。

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IMA No./year: 2013-034

岩手石 / Iwateite

Na2BaMn(PO4)2

模式地:岩手県 田野畑村 田野畑鉱山

原著:Nishio-Hamane D., Minakawa T., Okada H. (2014) Iwateite, Na2BaMn(PO4)2, a new mineral from the Tanohata mine, Iwate Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 109, 34-37.

岩手石 / Iwateite
模式地標本の顕微鏡写真。オープンニコルで白濁してみえる結晶が岩手石。クロスではほぼ消光。

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IMA No./year: 2013-069

今吉石 / Imayoshiite

Ca3Al(CO3)[B(OH)4](OH)6・12H2O

模式地:三重県 伊勢市

Nishio-Hamane D., Ohnishi M., Momma K., Shimobayashi N., Miyawaki R., Minakawa T., Inaba S. (2015) Imayoshiite, Ca3Al(CO3)[B(OH)4](OH)6•12H2O, a new mineral of ettringite group from Ise City, Mie Prefecture, Japan., Mineralogical Magazine, 79, 413-423.

今吉石 / Imayoshiite
模式地標本 重量の50%以上が水でできている鉱物。

Tatarinovite
参考までにTatarinovite(ロシア産)の写真。2015年に発見された新鉱物でCa3Al(SO4)[B(OH)4](OH)6·12H2Oの化学組成。これは今吉石のCO3→SO4置換体に相当する。今吉石も結晶するとこんな形になるだろう。

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IMA No./year: 2013-126

ランタンフェリ赤坂石 / Ferriakasakaite-(La)

CaLaFe3+AlMn2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

模式地:三重県 伊勢市

Nagashima M., Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2015) Ferriakasakaite-(La) and ferriandrosite-(La): new epidote-supergroup minerals from Ise, Mie Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 79, 735-753

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
模式地標本 この産地の褐簾石亜族の新鉱物は見た目では区別できません。なのでとりあえずこの結晶を本鉱としておきましょう。

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
組成分析でしか種を決めることができない上に,かなり狭い範囲でランタンフェリアンドロス石やランタンフェリ褐簾石と隣り合っていたりすることが本当によくある。この標本はたった50ミクロンを隔ててランタンフェリ赤坂石とランタンフェリアンドロス石が共生している。ここには写っていないがこの約500ミクロン上にはランタンフェリ褐簾石がいる。本当にこういう状態なのでラベルにはすべての種を書いておけばよろしかろうと思う。このランタンフェリ赤坂石の化学組成は(Ca0.62Mn2+0.43)(La0.75Ce0.19Nd0.05)(Fe3+0.48Al0.25V3+0.19)Al1.00(Mn2+0.63Fe2+0.37)Si3.05O12(OH)。

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IMA No./year: 2013-127

ランタンフェリアンドロス石 / Ferriandorosite-(La)

Mn2+LaFe3+AlMn2+(Si2O7)(SiO4)O(OH)

模式地:三重県 伊勢市

Nagashima M., Nishio-Hamane D., Tomita N., Minakawa T., Inaba S. (2015) Ferriakasakaite-(La) and ferriandrosite-(La): new epidote-supergroup minerals from Ise, Mie Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 79, 735-753

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
模式地標本 この産地の褐簾石亜族の新鉱物は見た目では区別できません。なのでとりあえずこの結晶を本鉱としておきましょう。実際のところ,このくらいの集合体になるとたいてい3種が混じっている。

Ferriakasakaite-(La) & Ferriandorosite-(La)
ここの褐簾石亜族の化学組成は中間的で,ほんのちょっとの違いで簡単に種をまたぐ。このランタンフェリアンドロス石は(Mn2+0.54Ca0.46)(La0.65Ce0.14Ca0.13Nd0.11)(Fe3+0.78V3+0.21)Al1.00(Mn2+0.47Fe2+0.26Al0.14Mg0.13)Si2.99O12(OH)。

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IMA No./year: 2013-130

伊予石 / Iyoite

MnCuCl(OH)3

模式地:愛媛県 佐田岬半島

Nishio-Hamane D., Momma K., Ohnishi M., Shimobayashi N., Miyawaki R., Tomita N., Okuma R., Kampf A.R., Minakawa T. (2017) Iyoite, MnCuCl(OH)3, and misakiite, Cu3Mn(OH)6Cl2: new members of the atacamite family from Sadamisaki Peninsula, Ehime Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 81, 485-498.

伊予石 / Iyoite
伊予石 / Iyoite
模式地標本  伊予石は草のように見えるものが多く,孔雀石とやや紛らわしかったりもする。愛媛県の旧国名:伊予国,そして佐田岬半島の北岸に面している海域:伊予灘から名前をもらった。

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IMA No./year: 2013-131

三崎石 / Misakiite

Cu3Mn(OH)6Cl2

模式地:愛媛県 佐田岬半島

Nishio-Hamane D., Momma K., Ohnishi M., Shimobayashi N., Miyawaki R., Tomita N., Okuma R., Kampf A.R., Minakawa T. (2017) Iyoite, MnCuCl(OH)3, and misakiite, Cu3Mn(OH)6Cl2: new members of the atacamite family from Sadamisaki Peninsula, Ehime Prefecture, Japan. Mineralogical Magazine, 81, 485-498.

三崎石 / Misakiite
三崎石 / Misakiite
模式地標本  単独だと6角粒状となるが,伊予石と共存する際には一方向にのびて板状になったりもする。近隣住民は佐田岬半島のことを「みさき」と呼ぶし,南岸は三崎灘に面しているからというのを理由にして命名。

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IMA No./year: 2014-020

イットリウム三重石 / Mieite-(Y)

Y4Ti(SiO4)2O[F,OH]6

模式地:三重県 菰野町 宗利谷

Miyawaki R., Matsubara S., Yokoyama K., Shigeoka M., Momma K., Yamamoto S. (2015) Mieite-(Y), Y4Ti(SiO4)2O[F,(OH)]6, a new mineral in a pegmatite at Souri Valley, Komono, Mie Prefecture, central Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 110, 135-144.

「未入手」

2014年鉱物学会で宮脇さんより報告される。

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IMA No./year: 2014-023

房総石 / Bosoite

SiO2・nCxH2x+2

模式地:千葉県 南房総市 荒川

the early publication:Momma K., Ikeda T., Nagase T., Kuribayashi T., Honma C., Nishikubo K., Takahashi N., Takada M., Matsushita Y., Miyawaki R. and Matsubara S. (2014) CNMNC Newsletter No. 21, Mineralogical Magazine, 78, 797 -804.

千葉石 / Chibaite
房総石は千葉石の結晶に含まれる。

房総石 / Bosoite
左がオープン,右がクロスニコル。左上と右下のぐしゃっとしたところはオパールと石英。クロスニコル写真で結晶の中央,左下,右側の縁など光が通っている部分が房総石。模式地の千葉石結晶には房総石がほぼ必ず(僕の調べた範囲)含まれていた。

Chibaite & Bosoite
上と同じ結晶のBSI像。房総石は千葉石に比べてやや暗いコントラストとなる。
詳細は2014年鉱物学会で門馬さんにより報告される。

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IMA No./year: 2014-054

豊石 / Bunnoite

Mn2+6AlSi6O18(OH)3

模式地:高知県いの町

Nishio-Hamane D., Momma K., Miyawaki R., Minakawa T. (2016) Bunnoite, a new hydrous manganese aluminosilicate from Kamo Mountain, Kochi prefecture, Japan. Mineralogy and Petrology, 110, 917-926.

豊石 / Bunnoite
模式地標本 豊石の結晶集合

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IMA No./year: 2014-084

阿武石 / Abuite

CaAl2(PO4)2F2

模式地:山口県阿武町日の丸奈古鉱山

Enju S., Uehara S. (2017) Abuite, CaAl2(PO4)2F2, a new mineral from the Hinomaru-Nago mine, Yamaguchi Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 112, 109-115.

阿武石 / Abuite
白っぽい鉱石中に含まれるが肉眼では判別はできない。鉱石には石英やトパーズがふくまれとにかく堅い。

阿武石 / Abuite
SEM写真。明灰色の定型な結晶が阿武石。SrOを2-3wt%固溶した部分がありそこはより明るい灰色となっている。周囲の暗い部分は燐ばん土石。中間色は石英もしくはトパーズ。
山口県初の新鉱物となる。かつてMatsubara&Kato(1998, 国立科学博物館専報 30, 167-183)で「gatumbaite-like mineral」とされていたモノで,九大チームの研究で新鉱物と同定された。

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IMA No./year: 2015-100

神南石 / Kannanite

Ca4Al4(MgAl)(VO4)(SiO4)2(Si3O10)(OH)6

模式地:愛媛県神南山

Nishio-Hamane D., Nagashima M., Ogawa N., Minakawa T. (in press) Kannanite, a new mineral from Kannan Mountain, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences.

神南石 / Kannanite
赤鉄鉱+ブラウン鉱母岩中に脈状に走る黄褐色~オレンジ色が本鉱。脈中の赤は紅簾石。

神南石 / Kannanite
破断面

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IMA No./year: 2016-066

村上石 / Murakamiite

Ca2LiSi3O8(OH)

模式地:愛媛県岩城島

Imaoka T., Nagashima M., Kano T., Kimura J-I., Chang Q., Fukuda C. (2017) Murakamiite, LiCa2Si3O8(OH), a Li-analogue of pectolite, from the Iwagi Islet, southwest Japan. European Journal of Mineralogy, 29, 1045-1053.

村上石ラベル
著者の永嶌氏から確実な標本を恵与していただいた。

Murakamiite bearing albitite
村上石を含む岩石標本。タイプ標本の一部に相当する。村上石は無色透明なため肉眼鑑定が難しいが,紫外線照射がその存在を見極める有効な手段となる。

Murakamiite bearing albitite under 254 nm UV
短波長の紫外線を照射すると全体に蛍光が見られる。青は片山石,赤は曹長石。短波長の紫外線照射では村上石はわからない。

Murakamiite bearing albitite under 365 nm UV
一方,長波長の紫外線をあててみると村上石だけが光る。村上石は長波長の紫外線照射で紫がかったピンク色の蛍光を示すので,実はその存在は非常にわかりやすい。

村上石 / Murakamiite
一部拡大。右側の結晶の分析値:(Ca1.93Mn0.04)Σ1.97(Li0.55Na0.45)Σ1Si3O8(OH)0.94。村上石はペクトライト:Ca2NaSi3O8(OH)から見てNa→Li置換体の鉱物となる。

著者から聞いた話をまとめておこう。ここのアルビタイトならどこでも村上石が存在しているというのは誤解で,じつは村上石はタイプ標本以外では見つかっていない。村上石のタイプ標本となった岩石は全岩組成でみると異様にLiに富んでおり,アルビタイトの中でもLiに偏りがあるようだ。そういった岩石を調べれば村上石は存在しているだろうが,肉眼や顕微鏡観察ではLiの濃度などわかるはずもない。今回の標本をみると杉石が多く入っていることはわかる。ただ私はこういった標本を以前にかなり分析を行ったのだが,Na>Liのモノばかりでことごとくがペクトライトであった。村上石は分析が必須の難しい新鉱物である。

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IMA No./year: 2017-003

金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite

Au6Hg5

愛媛県

Nishio-Hamane D., Tanaka T., Minakawa T. (2018) Aurihydrargyrumite, a Natural Au6Hg5 Phase from Japan. Minerals, 8, 415.

金水銀鉱 / Aurihydrargyrumite
右の粒は全体が本鉱(ただし表面のみで内部は金)。左の粒は左上の銀色が本鉱で,中央下にあるくすんだ銀色の部分はウェイシャン鉱(Weishanite)。

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IMA No./year: 2017-089

ランタンピータース石 / Petersite-(La)

模式地:三重県熊野市紀和町

Early publication: Nishio-Hamane, D., Ohnishi, M., Shimobayashi, M., Momma, K., Miyawaki, R. and Inaba, S. (2018) Petersite-(La), IMA2017-089. CNMNC Newsletter No. 41, February 2018, page 230; Mineralogical Magazine, 82, 229–233.

ランタンピータース石 / Petersite-(La)
写真1. 新鉱物、ランタンピータース石のタイプ標本。ウニのような放射状集合が特徴的。

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IMA No./year: 2018-027

日立鉱 / Hitachiite

模式地:茨城県日立市日立鉱山不動滝鉱床

Early publication: Kuribayashi T., Nagase T., Nozaki T., Ishibashi J., Shimada K., Shimizu M., Momma K. (2018) Hitachiite, IMA 2018-027. CNMNC Newsletter No. 44, August 2018, Page 879; European Journal of Mineralogy, 30, 877-882.

日立鉱含有鉱石
日立鉱を含有していた鉱石。ほとんど黄鉄鉱からなり黄銅鉱は少ない。わずかに都茂鉱と方鉛鉱が認められ、稀に自然金や閃ウラン鉱も見つかることがある。

日立鉱 / Hitachiite
日立鉱の後方散乱電子像。

日立鉱 / Hitachiite
日立鉱の反射顕微鏡写真。

不動滝鉱床の特定のレベルからの鉱石には日立鉱が多く入っているようだが、手に入れた写真の鉱石だとほとんど見つからない。それでもSEMで丹念に探せば100ミクロン以下の日立鉱が見つかることがある。肉眼での判別は不可能。

Phase relation
日立鉱の端成分は方鉛鉱(Galena)とテルル蒼鉛鉱(Tetradymite)を足して割ったような組成になっているが、実感としては方鉛鉱と都茂鉱(Tsumoite)を結ぶ線に近づく傾向(組成がBiに富む傾向)がある。実際に共生鉱物として鉱石中に都茂鉱は見つかるが、テルル蒼鉛鉱はみあたらなかった。また少量のテルル-硫黄置換も生じているようで、テルル多め、硫黄少なめの傾向もある。また鉄が少し含まれる。

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IMA No./year: 2018-161

留萌鉱 / Rumoiite

模式地:北海道初山別村(初山別川)

Early publication: Nishio-Hamane D. and Saito K. (2019) approved on April 2019..

新鉱物を含む砂金の断面
留萌鉱を含む砂金の断面。

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IMA No./year: 2018-162

初山別鉱 / Shosanbetsuite

模式地:北海道初山別村(初山別川)

Early publication: Nishio-Hamane D. and Saito K. (2019) approved on April 2019..

SEM image for new minerals
初山別鉱を含む砂金の断面SEM写真。

 

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IMA No./year: 2019-024

皆川鉱 / Minakawaite

RhSb

模式地:熊本県

Nishio-Hamane D. Tanaka T., Shinmachi T. (2019) Minakawaite and platinum–group minerals in the placer from the clinopyroxenite area in serpentinite mélange of Kurosegawa belt, Kumamoto Prefecture, Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 114, 252-262.

皆川鉱 / Minakawaite
皆川鉱を含む砂白金

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IMA No./year: 2019-029a
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-46298:正模式標本、M-46299:副模式標本)
 
三千年鉱 / Michitoshiite-(Cu)

Rh(Cu1-xGex)

模式地:熊本県
 
Tanaka T. Shinmachi T., Kataoka K., Nishio-Hamane D. (2019) approved on 5th December 2019.
 
 
三千年鉱 / Michiroshiite-(Cu)
三千年(Michitoshiite)鉱の写真
全体としては米粒状の「こぶ」をもつ砂白金で、三千年鉱はこぶの最表面の層を構成することが多い。皆川鉱も同様の産状だが、三千年鉱はこぶの内部に発達することもある。

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IMA No./year: 2019-054
IMA Status: A (approved)
模式標本:Fersman Mineralogical Museum (5412/1); the Canadian Museum of Nature (CMNMC 87294)

千代子石 / Chiyokoite

Ca3Si(CO3){[B(OH)4]0.5(AsO3)0.5}(OH)6·12H2O (報告時)
Ca3Si(CO3)[B(OH)4]O(OH)5·12H2O(論文)

模式地:岡山県高梁市備中町布賀鉱山
 
Lykova I., Chukanov N.V., Pekov I.V., Yapaskurt V.O., Pautov L.A., Karpenko V.Y., Belakovskiy D.I., Varlamov D.A., Britvin S.N. and Scheidl K.S. (2019) Chiyokoite, IMA 2019-054. CNMNC Newsletter No. 52; Mineralogical Magazine, 83, https://doi.org/10.1180/mgm.2019.73
Lykova I., Chukanov N.V., Pekov I.V., Yapaskurt V.O., Pautov L.A., Karpenko V.Y., Belakovskiy D.I., Varlamov D.A., Britvin S.N. and Scheidl K.S. (2020) Chiyokoite, Ca3Si(CO3)[B(OH)4]O(OH)5·12H2O, a new ettringite-group mineral from the Fuka mine, Okayama Prefecture, Japan. The Canadian Mineralogist, 58, 653-662.

 
千代子石 / Chiyokoite
千代子石 / Chiyokoite
千代子石 / Chiyokoite
千代子石 / Chiyokoite
模式地標本

千代子石は岡山大学の逸見千代子(1949-2018)への献名となっており、海外の研究チームによって2019年に承認された。非常にややこしい分析を精度良く行ったからこその見事な成果であり、そのような研究は彼らにしかできなかっただろう。

いわゆる千代子石という標本にはバラエティーがある。基本的にその多様な色合いは化学組成の違いに起因しており、結晶内部はほとんど必ず組成累帯を示す。調べた範囲で、赤~橙色系統は鉄やマンガンが多くヒ素が少ない。黄色系統は硫黄とアルミニウムが多く検出される。そして全体的に色が濃いものほど複雑な累帯構造になっており、不純物が多く検出される。こういった標本は千代子石ではない部分の方がむしろ多いが、現状では千代子石としておくしかない。逆に色の薄い標本(例えば一番上に掲載した写真)はあまり累帯しておらず、大部分は千代子石として解析できる。

 

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IMA No./year: 2019-129
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-47328)
 
苫前鉱 / Tomamaeite

Cu3Pt

The Pt analogue of auricupride

模式地:北海道苫前町
 
Nishio-Hamane D. and Saito K. (2020) approved on 3rd April 2020.

苫前鉱
トラミーン鉱中の苫前鉱。代表的なものをひとつ青い矢印先で示した。苫前鉱が埋まっている基質がトラミーン鉱で、コントラストが斜めに分かれている左側は自然ルテニウム。

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IMA No./year: 2020-057
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-47662)
 
フェリぶどう石 / Ferriprehnite
Ca2Fe3+(AlSi3)O10(OH)2

The Fe3+ analogue of prehnite

島根県松江市美保関町北浦
 
Nagashima M., Nishio-Hamane D., Ito S., Tanaka T. (2020): Approved by CNMNC on November 3rd.

フェリぶどう石 / Ferriprehnite
フェリぶどう石の写真

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IMA No./year: 2021-041
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-48724)
 
桐生石 / Kiryuite

NaMn2+Al(PO4)F3

The Mn2+ analogue of Viitaniemiite

群馬県桐生市梅田町津久原
 
Nishio-Hamane D., Ikari I., Ohara Y. (2021) Kiryuite, IMA 2021-041. CNMNC Newsletter 63; Mineralogical Magazine, 85, https://doi.org/10.1180/mgm.2021.74

桐生石 / Kiryuite
桐生石の写真

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IMA No./year: 2021-098
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49019)
 
マンガン四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Mn)

Cu6(Cu4Mn2)Sb4S12S

Tetrahedrite group

北海道札幌市手稲鉱山
 
Momma K., Shimizu M., Kusaba Y., Ohki Y. (2022) Tetrahedrite-(Mn), IMA 2021-098, in: CNMNC Newsletter 65, Eur. J. Mineral., 34, https://doi.org/10.5194/ejm-34-143-2022.

マンガン四面銅鉱 / Tetrahedrite-(Mn)マンガン四面銅鉱の写真

マンガン四面銅鉱は四面銅鉱族のうちの四面銅鉱亜族の一員で、マンガンを主成分に持つ新鉱物として誕生した。手稲鉱山ではいわゆる四面銅鉱の産出が古い時代からよく知られていたところであり、それらはアンチモン(Sb)を主成分とする四面銅鉱、ヒ素(As)を主成分とする砒四面銅鉱だと考えられてきた。ただ、近年になって副成分でさらに種を細分することが公式に承認され、いわゆる四面銅鉱という標本は再検討を要する事態となっている[1]。鉱物標本として正しいラベルを書きたいとなるとこれはもう分析するしかない。しかし、四面銅鉱族は分析したところで適切に解析しないと組成式が破綻しがちという難しさがあり、そもそも標準物質の選択にも気を遣う。四面銅鉱族が成立して新鉱物として可能性が増えたとしても手を出しづらいなと思っていた。
 
そんななか、著者の一人である大木良弥は手稲鉱山で採集したいわゆる四面銅鉱を分析し、著量のマンガンが検出されていることに気が付いた。その同定は科学博物館へ依頼され、門馬を筆頭とした研究チームが組織される。そして、それは最新の命名規約に基づくマンガン四面銅鉱であることが判明した。新鉱物の申請に先立って、その概要は2021年9月の鉱物学会で報告されている。
 
自らも手稲の四面銅鉱をざっと分析しなおすと、鉄四面銅鉱、亜鉛四面銅鉱、鉄砒四面銅鉱、亜鉛砒四面銅鉱、銅砒四面銅鉱がでてきた。そしてマンガン四面銅鉱もまたすでに手元にあった。このように四面銅鉱族の成立は日本産鉱物種を増やしたが、同時に消えた鉱物もある。例えばゴールドフィールド鉱が消えてしまった。日本産のかつてのゴールドフィールド鉱は、安ゴールドフィールド鉱もしくは砒ゴールドフィールド鉱(未承認)に分類されることになり、前置詞の付かないゴールドフィールド鉱はいまのところ日本には存在しない。一方で砒ゴールドフィールド鉱、特に河津鉱山産のものは新鉱物になり得る資格があるが、分析・解析上のややこしさのためとりあえず一歩引いて状況を眺めている。

[1] Biagioni C, George L L, Cook N J, Makovicky E, Moëlo Y, Pasero M, Sejkora J, Stanley C J, Welch M D, Bosi F (2020) The tetrahedrite group: Nomenclature and classification. American Mineralogist 105, 109-122

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IMA No./year: 2022-002
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49380)
 
ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y)

Y2Ti2O6O

Pyrochlore supergroup

三重県菰野町宗利谷
 
Nishio-Hamane D., Momma K., Ohnishi M., Inaba S. (2021): Approved by CNMNC on April 2.

ベタフォ石 / Oxyyttrobetafite-(Y)
ベタフォ石の写真

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IMA No./year: 2022-020
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM-M49617)
 
フェロフェリホルムクイスト閃石 / Ferro-ferri-holmquistite

□Li(Fe2+3Fe3+2)Si8O22(OH)2

Amphibole supergroup

愛媛県岩城島
 
Nagashima M., Imaoka T., Kano T., Kimura J., Chang Q., Matsumoto T. (2022) Ferro-ferri-holmquistite IMA 2022-020, in: CNMNC Newsletter 68, European Journal of Mineralogy, 34, https://doi.org/10.5194/ejm-34-385-2022.

フェロフェリホルムクイスト閃石 / Ferro-ferri-holmquistite
フェロフェリホルムクイスト閃石 / Ferro-ferri-holmquistite
模式地標本

フェロフェリホルムクイスト閃石は山口大学の永嶌真理子を筆頭とする研究チームによって発見された新種の角閃石で、Liを主成分にもつホルムクイスト閃石の二価鉄(Ferro: Fe2+)および三価鉄(Ferri: Fe3+)置換体に相当する。愛媛県岩城島が模式地ということで、愛石家なら杉石や片山石、村上石などと共存すると想像するだろうが、フェロフェリホルムクイスト閃石はそれらとはまったく共存しない。それもそのはずで母岩となる岩石も杉石などを胚胎するアルビタイト岩ではない。アルビタイト岩体を観察しに行く道すがらに転がっている、だれにも見向きもされない一見どこにでもあるただの花こう岩、それがフェロフェリホルムクイスト閃石の母岩である。そういった岩石の、特に石英と腐った黒雲母の境界あたりをよく見ると藍青色の針状結晶が埋没しており、それがフェロフェリホルムクイスト閃石である。非常に微細なためルーペ程度の倍率では観察は難しいだろう。写真の標本は今はドイツにいる永嶌氏から恵与いただいた。
個人的な出来事として、2022年の鉱物学会で日本新産となる福島県羽山岳からのフェロホルムクイスト閃石を報告することを昨年末の段階でもう決めていた。そしてそのタイミングで世界初となるフェロフェリホルムクイスト閃石の話が関係者に通知されたので恐れいった。

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IMA No./year: 2022-065
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM-M49723)
 
浅葱石 / Asagiite
 
NiCu4(SO4)2(OH)6・6H2O
 
Ktenasite group
 
愛知県新城市中宇利鉱山
 
Nishio-Hamane D., Yajima T., Shimobayashi N., Ohnishi M., Niwa T. (2022) IMA 2022-065, in: CNMNC Newsletter 70, Eur. J. Mineral., 34, https://doi.org/10.5194/ejm-34-591-2022, 2022.

浅葱石 / Asagiite
模式標本

浅葱石 / Asagiite
模式地標本

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IMA No./year: 2022-080
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM-M49762)
 
群馬石 / Gunmaite
 
(Na2Sr)Sr2Al10(PO4)4F14(OH)12
 
New structure type
 
群馬県桐生市津久原
 
Nishio-Hamane D., Yajima T., Ohki Y., Hori H., Ikari I., Ohara Y. (2022) IMA 2022-080, in: CNMNC Newsletter 70, Eur. J. Mineral., 34, https://doi.org/10.5194/ejm-34-591-2022, 2022.

群馬石 / Gunmaite
模式地標本

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IMA No./year: 2022-101
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49764)
 
蝦夷地鉱 / Ezochiite
 
Cu1+(Rh3+Pt4+)S4
 
Spinel supergroup
 
北海道苫前町海岸
 
Nishio-Hamane D., Saito K. (2023) IMA 2022-101, in: CNMNC Newsletter 71, Eur. J. Mineral., 35, https://doi.org/10.5194/ejm-35-75-2023, 2023..

蝦夷地鉱 / Ezochiite
模式地標本

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IMA No./year: 2022-104
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館(NSM M-49763 holotype, M-49765 cotype)
 
北海道石 / Hokkaidoite
 
C22H12
 
Known synthetic analogue
 
北海道鹿追町然別地域(正模式地); 愛別町愛別水銀鉱山(副模式地)
 
Tanaka R., Hagiwara A., Ishibashi T., Inoue Y. (2023) IMA 2022-104, in: CNMNC Newsletter 71, Eur. J. Mineral., 35, https://doi.org/10.5194/ejm-35-75-2023, 2023.

「未公開」

北海道石は日本産としては初めてとなる有機鉱物の新鉱物である。ざっくり言うと歴青の一種で、具体的にはベンゾ[ghi]ペリレン(1,12-benzoperylene)と呼ばれる多環芳香族炭化水素の天然での姿に相当し、合成物については固有の識別番号としてCAS191-24-2が与えられている。北海道石の存在に気づき、同定するには有機化学と岩石・鉱物学のいずれにも親しんでいる必要がある。そして三拍子そろった人物がいた。筆頭の田中氏は有機化学的手法を駆使する化学者であり、岩石・鉱物についても本人は趣味だと言っているが、その知見は趣味人の域をはるかに超えている。日本の新鉱物で有機鉱物となると、今後はもう彼の専売特許になっていくだろう。

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IMA No./year: 2023-004
IMA Status: A (approved)
模式標本:Fersman Mineralogical Museum, Russian Academy of Sciences, Leninskiy Prospekt 18-2, Moscow 119071, Russia, registration number 5774/1
 
マンガニエッケルマン閃石 / Mangani-eckermannite
 
NaNa2(Mg4Mn3+)Si8O22(OH)2
 
Amphibole supergroup
 
岩手県田野畑村田野畑鉱山松前沢鉱床
 
Kasatkin, A. V., Zubkova, N. V., Agakhanov, A. A., Chukanov, N. V., Škoda, R., Nestola, F., Belakovskiy, D. I., and Pekov, I. V.: Mangani-eckermannite, IMA 2023-004, in: CNMNC Newsletter 73, Eur. J. Mineral., 35, https://doi.org/10.5194/ejm-35-397-2023, 2023.

「未入手」

田野畑鉱山の赤々黒々した角閃石について、これはずーっと神津閃石であると思いこまれてきた。しかし、昨年度の鉱物学会で発表したように「赤々黒々した角閃石が神津閃石であったことはただの一度もない」ことを経験していた。ではそれは何だと言われたら、一つはマンガノマンガニアンガレッティ閃石(Mangano-mangani-ungarettiite: NaNa2(Mn2+2Mn3+3)Si8O22O2)で、もう一つはエッケルマン閃石のマンガノマンガニ置換体だった。そして、エッケルマン閃石のマンガニ置換体についてもそういう分析点があるので実在性を確信していたものの、実体をつかむところまでは私は到達できなかった。そうした中でポンと出てきたのがマンガニエッケルマン閃石であり、記載者は外国人のAnatoly Kasatkinである。事情を聞いたところ、神津閃石のラベルで売られていた標本を手に入れてその真贋を確かめるべく分析したら新鉱物だったとのことである。これはしてやられたくやしいという感情はなく、むしろやっぱりなという納得感がしかない。彼は神津閃石が存在しないのではないかと強く疑っているが、個人的な経験談としてはオレンジ色の角閃石には神津閃石が含まれていることが分かっている。しかし問題なのは神津閃石の模式標本が本当に神津閃石なのかというところで、これまでの経験を外挿して憶測すると、たぶんそれ(模式標本)は神津閃石ではないだろうなという予想がある。神津閃石問題はよりくっきりと世にさらけ出されてしまった感がある。論文でどういう主張が出てくるかを待ちたい。

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IMA No./year: 2023-072a
IMA Status: A (approved)
模式標本:国立科学博物館 (NSM M-50086)
 
不知火鉱 / Shiranuiite
 
Cu+(Rh3+Rh4+)S4
 
Spinel supergroup
 
熊本県美里町払川
 
Nishio-Hamane D., Tanaka T., Shinmachi T. (2024): Approved by CNMNC on March 2nd.
 
不知火鉱 / Shiranuiite
不知火鉱の写真

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 Posted by at 4:47 PM

日本から発見された新鉱物たち(その他)

 

鉱物種は承認されてしまえば未来永劫その立場が保証されるという訳ではなく、あるタイミングで整理が行われ独立種の立場が消えることがある。また不確かな情報が元になっている鉱物種もある。

新鉱物として承認された後に何らかの事情で取り消しになった、存在が疑われている、新種に該当するデータはあるが新鉱物として認められていない、IMAリストで産地がJapanとなっているが詳細が不明、領土問題などなど、ここではそういった鉱物を扱う。

そんな鉱物たちだが、その写真や経緯などを記しておきたい。

承認されている日本の新鉱物(一覧)はこちら

IMA No./year: オフィシャルリストに掲載されている(た)年に準拠。改訂があるものは「発見年(リストに記載の数字)」としてある。年の後についている「s.p.」は再定義・再命名・再承認などがあったことを意味している。

名前は「和名 / 学名」で掲載。

一覧表の鉱物をクリックすれば該当の記事へリンクする。
写真はクリックすれば保存先のFlickrからフルサイズが得られる。

写真掲載を優先し、レビュー文は後に更新。
フォーマットはレビューを行ったときに統一する予定。

写真の利用はhamane*へお問い合わせください(*@issp.u-tokyo.ac.jp)。

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一覧

  1. 磁硫鉄鉱 / Pyrrhotite (1835)
  2. 石川石 / Ishikawa (1922)
  3. 小藤石 / Kotoite (1939)
  4. 雲水峰石 / Uduminelite (1950)
  5. 苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite (1957?)
  6. 中瀬鉱 / Nakaseite (1960)
  7. ブセル石 / Buserite (1970-024)
  8. 水酸エレスタド石 / Hydroxylellestadite (1970-026)
  9. 苦土ジュルゴルド石 / Julgoldite-(Mg) (1973s.p.)
  10. 磐城鉱 / Iwakiite (1974-049)
  11. 南石 / Minamiite (1982)
  12. 釣魚島石 / diaoyudaoite (1985-005)
  13. フッ素ソーダローメ石 / Fluornatroroméite (1996)
  14. レニウム鉱 / Rheniite (1999-004a)
  15. ストロンチウムトムソン沸石 / Thomsonite-Sr (2000-025)
  16. クドリャブ鉱/ Kudriavite (2003-011)
  17. アブラモフ鉱 / Abramovite (2003-042)
  18. カドモインド鉱 / Cadmoindite (2006-016)
  19. ジナメンスキー鉱 / Znamenskyite (2014-026)
  20. 謝辞

_


IMA No./year: 1835
IMA Status: G(grandfathered)
模式標本:不明もしくは設定なし。
状況:オフィシャルリストで模式地が「Japan」となっているが理由が不明。

磁硫鉄鉱 / Pyrrhotite

Fe7S8

模式地:記事執筆の2018年4月の時点でオフィシャルリスト上では「Japan」(経緯を調べると埼玉県秩父鉱山赤岩が想定されている可能性あり)

第一文献:Breithaupt J.F.A. (1835) Ueber das verhältniss der formen zu den mischungen krystallisirter körper. Journal für Praktische Chemie, 4, 249-271.

第二文献:de Villiers J.P.R., Liles D.C. (2010) The crystal-structure and vacancy distribution in 6C pyrrhotite. American Mineralogist, 95, 148-152.

磁硫鉄鉱 / Pyrrhotite
愛媛県久万高原町高殿

現時点(2018年4月)でIMAのオフィシャルリストには磁硫鉄鉱 / Pyrrhotiteの模式地が日本で掲載されている。しかし鉱物研究者や愛石家の誰もがこれを日本産新鉱物と認識していない。それでも模式地が日本となっているのはどういう事情だろうか。磁硫鉄鉱をひとまず日本の新鉱物(その他)に分類し、調べたことを記してみよう。

磁硫鉄鉱の学名Pyrrhotiteはギリシャ語で火のような色を意味する「Pyrrhos」から名付けられたとされる。ドイツ語で記された1835年の第一文献には「Pyrrotine」となっており、産地について少なくとも日本の記述はない。オフィシャルリストに掲載されている第二文献は結晶構造を議論した論文であり、この研究に用いられた試料は南アフリカ産の磁硫鉄鉱である。これらの研究が模式国が日本になっていることの理由ではなさそうだ。

さて磁硫鉄鉱は鉱物種としては1種類なのだが、結晶構造にはいくつかのバリエーションが知られている。こういうのをポリタイプ(多形)と言って、結晶構造で分類することもできる。ポリタイプの解明には日本人研究者の貢献が大きい。1970年における森本らの報告にはPyrrhotite-4C, Pyrrhotite-5C, Pyrrhotite-6C, Pyrrhotite-11Cが記されている[1]。一方でこの論文には日本産の試料は使われておらず、またこの論文は第二文献中での引用はされていない。代わりに1975年の森本らの論文[2]が第二文献中で引用されている。

第二文献中で引用されている森本らの論文[2]は、日本産の磁硫鉄鉱を扱っている。森本ら[2]は天然の磁硫鉄鉱を調べて、もっとも普遍的に出現するのはPyrrhotite-4Cであることを明らかにした。そしてこのPyrrhotite-4Cの試料で頭に登場するのは秩父鉱山赤岩から採集された磁硫鉄鉱である。このことから磁硫鉄鉱の模式国が日本と設定されているのかもしれない。

写真の標本は愛媛県久万高原町で採集された標本になる。磁硫鉄鉱の産状としてはかなり異例で、モルデン沸石と玉随が共存している。構造は調べていない。

[1] Morimoto N., Nakazawa H., Nishigucmi K., Tokonami M. (1970): Pyrrhotites: Stoichiometric Compounds with Composition Fen–1Sn (nge8). Science, 168, 964-966.
[2] Mirimoto N., Gyobu A., Mukaiyama H., Izawa E. (1975) Crystallography and stability of pyrrhotites. Economic Geology, 70, 824-833.

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IMA No./year: 1939
IMA Status: G(grandfathered)
模式標本: The Natural History Museum, London, England, 1938,1286; Harvard University, Cambridge, Massachusetts, 94750; National Museum of Natural History, Washington, D.C., USA, 103502 (hand book of mineralogyから引用)
状況:記載当時は日本領であったが、現在では北朝鮮産の新鉱物として登録されている。

小藤石 / Kotoite

Mg3(BO3)2

模式地:朝鮮 遂安金山地方 笏洞鉱床 

第一文献:Watanabe T. (1939) Kotoit, ein neues gesteinsbildendes magnesiumborat, Mineralogische und Petrographische Mittheilungen, 50, 411-463.

第二文献:Effenberger H., Pertlik F. (1984) Verfeinerung der kristallstrukturen der isotypen verbindungen M3(BO3)2 mit M=Mg, Co und Ni (strukturtyp: kotoit). Zeitschrift für Kristallographie, 166, 129-140.

小藤石 / Kotoite
模式地標本

小藤石 / Kotoite
上の標本の薄片写真(クロスニコル) 中央が本鉱

小藤石 / Kotoite
岩手県宮古市 灰色の部分に小藤石は入っていた。

小藤石は朝鮮の遂安金山地方笏洞鉱床から渡辺武男によって見出された新鉱物であり、渡辺が北海道帝国大学に所属していた1939年に記載された。学名は遂安金山地方の岩石・鉱物について初めて学術的研究を行った、東京帝国大学の小藤文次郎の名にちなんで名付けられている。小藤石が記載された当時、産地は日本領であったが現在は北朝鮮に該当する。そうった経緯なので小藤石を日本の新鉱物(その他)に分類する。

小藤石の発見は渡辺の卒業研究に端を発する。東京帝国大学の学生であった渡辺は卒業研究のために1931年に遂安金山地方の笏洞(Hol Kol)鉱床に赴いた。そしてルドウィヒ石を含む岩石を多く採集し、その中に光学顕微鏡では同定できない鉱物が見出された。この未知鉱物を同定するための研究は、北海道帝国大学に就職していた渡辺がドイツのベルリン大学への留学することを契機として本格化する。渡辺は異国の地で不慣れな化学組成分析に挑み、未知鉱物は渡辺が当初想定していた珪酸塩鉱物ではなく、マグネシウム(Mg)を主成分とする硼酸塩鉱物であることが明らかとなった。そして1938年の夏にオーストリアGraz市で開催されたドイツ鉱物学会で、新鉱物・小藤石の論文が発表された[1]。1984年には小藤石の結晶構造の詳細が明らかとなる[2]。

小藤石はドロマイト鉱床へ花崗岩が貫入したことが成因となっているため、同じような環境があれば小藤石は日本でも見出されることは予想された。そして1955年になり、東京帝国大学に移っていた渡辺は、研究室にいた加藤昭の手助けによって、岩手県宮古市のドロマイト鉱床から日本列島初産となる小藤石を見出している[3,4]

上に示した写真の標本は原産地笏洞鉱床からの標本と、岩手県宮古市からの標本となる。肉眼的に小藤石は認識できないが、薄片の光学顕微鏡観察で小藤石ははっきり認識できる。おもしろいことに粒は同一方向に並び、同時に消光する傾向がある。文章下に示した写真は東京大学総合博物館に保管されている標本であり、小藤石発見の後に北海道帝国大学紀要に記された論文にその図説が掲載されている[5]。

小藤石 / Kotoite
北海道帝国大学紀要に掲載された小藤石の標本 東京大学総合博物館所蔵標本

小藤石標本のスケッチ
紀要に描かれている上の標本のスケッチ。実寸で描かれている。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] 渡辺武男, 加藤昭 (1956) 岩手県宮古市根市ドロマイト鉱山の小藤石について. 地質学雑誌, 62, 394.
[4] 渡辺武男 (1958) ドロマイト接触帯スカルンに伴うマグネシウム硼酸塩鉱物の産状と共生について.鉱物学雑誌, 3,747-762.
[5] Watanabe T. (1942) Geology and Mineralization of the Suian District, Tyôsen (Korea) : The Geology of the Suian Gold Mining District (3rd Report). Journal of the Faculty of Science, Hokkaido Imperial University. Ser. 4, Geology and mineralogy, 6, 205-303.

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IMA No./year: 1950
IMA Status: Q(questionable)
模式標本:不明
状況:データ不足で存在が怪しまれている。

雲水峰石 / Uduminelite

Ca3Al8 (PO4)2O12·2H2O

模式地:福島縣石川郡小鹽江村埋平の東方、 雲水峰の東南山嘴(原文まま)

第一文献: 柴田秀賢(1950) 新鉱物雲水峰石,地質学雑誌, 56, 243.

第二文献: Fleischer M (1973) New mineral names. American Mineralogist, 58, 805-807.

「未入手」

東京文理科大学の柴田秀賢は福島県雲水峰のペグマタイトから新鉱物を見いだしたことを主張し、それを雲水峰石 / Udumineliteと名付けた。それは国際鉱物学連合が設立する以前の発見であった。国際鉱物学連合が成立した後にそれ以前の新鉱物は改めて承認・否定の判断が下されるのだが、雲水峰石はデータ不備がありながらも化学組成について新規性があったため、明確に否定とはならなかった。そのため現時点(2018年4月)ではオフィシャルリストにその名が掲載されている。一方でIMA Statusは「Q: questionable」となっており、その存在には疑問が抱かれている。雲水峰石を日本の新鉱物(その他)に分類し、文献を読んでみた。

文献上での初出は地質学雑誌であるが、内容は論文ではなく、学術講演会の要旨である。記述は簡潔で、雲水峰石についてはペグマタイト中に生じ、斜方晶系で[110]劈開を持つ淡青色針状結晶という記述が見て取れる。柴田は後に自らの著書でも雲水峰石に触れており、試料が少量のため詳しい鉱物学的検討ができなかった旨が記されている[2]。第二文献には雲水峰石について光学性が記されているが[3]、これは地質調査所が発行したIntroduction to Japanese Minerals中の記述を引用した内容である[4]。その中で雲水峰石は日本産新鉱物ではなく、「日本から最初に発見されたが疑問符が付けられた鉱物」に分類されている。

写真は掲載できなかった。個人として雲水峰石の標本は所有しておらず、近しい関係者のなかで所有している方もいなかった。一方でIntroduction to Japanese Mineralsには櫻井標本の雲水峰石の写真が掲載されているので、櫻井標本の現保管機関の国立科学博物館には雲水峰石標本が現存していると思われる。

[1] 第一文献
[2] 柴田秀賢 (1967) 日本岩石誌II, 深成岩(2) 花崗岩類, 朝倉書店, pp.377.
[3] 第二文献
[4] Shibata H. Uduminelite. In Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 126-127.

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IMA No./year: 1957? (2012s.p.)
IMA Status: Rd(redefined)
模式標本: 設定なし
状況:日本産標本の研究で初めてこの名前が使用されたが、新種という発表ではなかった。

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite

☐Na2(Mg3Fe3+2)Si8O22(OH)2

模式地: 記事執筆の2018年4月の時点でオフィシャルリスト上では「Japan」(徳島県眉山が想定されている可能性が非常に高い)

第一文献: Miyashiro A., Iwasaki M. (1957) Magnesioriebeckite in crystalline schists of Bizan in Sikoku, Japan. Journal of the Geological Society of Japan, 63, 698-703.

第二文献(2018年9月まで): Whittaker E.J.W. (1949) The structure of Bolivian Crocidolite. Acta Crystallographica, 2, 309-311.
第二文献(2018年9月から):[6]

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
徳島県徳島市眉山

苦土リーベック閃石 / Magnesio-riebeckite
新潟県糸魚川市金山谷

苦土リーベック閃石は角閃石超族の一種で、2018年4月の時点で「Japan」が模式地としてオフィシャルリストに掲載されている。一方で日本産鉱物型録(国立科学博物館叢書)やIntroduction to Japanese Minerals(地質調査所)においても苦土リーベック閃石は日本産の新種として扱われていない。そのため苦土リーベック閃石を日本の新鉱物(その他)に分類することにし、調べた内容を記す。

リーベック閃石 / Riebeckiteは、ドイツ人探検家・鉱物学者・民俗学者のEmil Riebeck (1853-1885)にちなんで1888年に名付けられた角閃石であり[1]、端成分の化学組成は☐Na2(Fe2+3Fe3+2)Si8O22(OH)2と設定されている。そしてリーベック閃石に対してMg > Fe2+となる角閃石について、苦土(magnesio)という接頭語をつけて便宜的に呼ばれた角閃石が苦土リーベック閃石であって、実は苦土リーベック閃石は新種として命名・発表された経緯を持たない。それでも苦土リーベック閃石は世界各国から産出が知られるようになり、その名前は主に岩石記載で使用され、たとえば「苦土リーベック閃石曹長岩」というように岩石の特徴を示す目印のように使われる。そして初めて角閃石超族命名規約[2]が誕生したときに、苦土リーベック閃石は独立種の扱いを受けて現在に至っている。

それでは苦土リーベック閃石という「名前」はいつ誕生したのだろうか。その名前は1957年に出版された論文で初めて登場する[3,4]。東京大学の都城秋穂と徳島大学の岩崎正夫は徳島県眉山から採集された角閃石の特徴を報告し、それを「Magnesioriebeckite」と記した。また都城は同年に公表された東京大学理学部紀要でもMagnesioriebeckiteの名称を用いた[4]。二つの論文はお互いを引用してあり出版の前後関係はわからないが、1957年にMagnesioriebeckiteという名前が初めて使用された。この経緯からオフィシャルリストにおいて模式地が日本と設定してあることが推測される。

しかしながら鉱物はそれが初めて記載された産地を模式地とすることが通例である。1949年に出版された第二文献(2018年9月まで)はボリビア産の標本を扱い、名前こそCrocidoliteとしているが、その実体は苦土リーベック閃石である[5]。また最近になってイタリア産試料を用いた記載論文が出版された[6]。著者らは苦土リーベック閃石について初めての完全な鉱物学的記載であることを強調している。研究の順に習えば模式地はボリビア、名前の順であれば日本、より完璧な内容であればイタリアということになろうか。IMAオフィシャルリストでは2018年9月からはObertiら[6]の研究が第二文献として設定されることになったが、模式地は日本のまま据え置きとなっている。

最後に最新の命名規約での苦土リーベック閃石の立ち位置も解説する。最新の命名規約では「マグネシウムおよびアルミニウム優占種にルートネームを与える」ことになっている。これに従うとリーベック閃石というのは、今のルールではフェロフェリ藍閃石 / Ferro-ferri-glaucophane という名前になるべき角閃石であり、苦土リーベック閃石はフェリ藍閃石 / Ferri-glaucophaneという名前になるべきである。ところがこの命名規約は岩石学的にすでに重要な地位が確立されている種に関しては例外を設けており、リーベック閃石はその例外が適用され名前が残った。苦土の接頭語を付けることもやはり例外的な処置であり、結果的に苦土リーベック閃石の名前は誕生から今日まで生き残っている。ただし今の学名ではMagnesio-riebeckiteのように接頭語とルート名はハイフン”-”でつながれる。オフィシャルリストに掲載されている年代の2012s.p.というのはこの年に命名規約が成立した(出版された)という意味である。

一枚目の写真は徳島県眉山から採集された標本で、青色の板状~柱状結晶が片岩に埋もれている。二枚目の写真は新潟県糸魚川市金山から得られた標本で、奴奈川石や青海石を産する曹長石岩を母岩とする。ここでは青色の針状結晶集合体で産出する。

[1] Sauer A. (1888) Ueber Riebeckit, ein neues Glied der Hornblendegruppe, sowie über Neubildung von Albit in granitischen Orthoklasen, Zeitschrift der Deutschen Geologischen Gesellschaft 40, 138-152.
[2] Leake B.E. (1978) Nomenclature of amphiboles. American Mineralogist, 63, 1023-1052.
[3] 第一文献
[4] Miyashiro A. (1957) The chemistry, optics, and genesis of the alkali-amphiboles, Journal of Faculty of Science, University of Tokyo, Section II, 11, 57-83.
[5] 第二文献
[6] Oberti R., Boiocchi M., Hawthorne F., Ciriotti M.E. (2017) Magnesio-riebeckite from the Varenche mine (Aosta Valley, Italy): crystal-chemical characterization of a grandfathered end-member. Mineralogical Magazine, 81, 1731-1437.

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IMA No./year: 1960
IMA Status: Rejected
状況:現在は独立種を否定されているが、国立科学博物館が発行した型録などでは新鉱物という扱いで掲載されている。

中瀬鉱 / Nakaseite

Pb4Ag3CuSb12S24

産地:兵庫県 養父市 中瀬鉱山(旧・関宮町)

中瀬鉱 / Nakaseite
中瀬鉱山

現時点で中瀬鉱はIMAのオフィシャルリストには掲載されていない。概要を示すと、中瀬鉱は1960年に新鉱物として論文で発表されたが1962年には名前が否定され、1989年頃にはその実体も既存種の混合ということが明らかとなった。そのため中瀬鉱は日本産の新鉱物という立場はおろか独立の種としても存在が否定されて久しいはずだが、2006年に国立科学博物館叢書として出版された日本産鉱物型録では日本産の新鉱物として扱われ、独立の種として名前が掲載されている。どういった学術的な裏付けがあるのか、中瀬鉱を日本の新鉱物(その他)に分類し学術文献をたどってみた。

兵庫県の中瀬鉱山から見いだされた鉱物は、1960年に東京大学の伊藤貞一と村岡久志によって新鉱物・中瀬鉱として論文で発表された[1]。中瀬鉱はアンドレ鉱(Andorite)と化学組成が非常に近いながらも対称性で違いが認められたため、伊藤らは独立の名前を与えていた。その一方でAmerican Mineralogist誌上で中瀬鉱を批評したFleischerは、中瀬鉱という独立の名前を与えることに賛同せず、アンドレ鉱-24(Andorite-XXIV)と呼ぶべきだと主張した[2]。

中瀬鉱が新鉱物として発表された1960年当時は、新鉱物の審査体制がまだ確立されていなかった。IMAが新鉱物について審査するようになったのは1962年のことで、それ以前に発表された新鉱物については再審議が行われ、採否は改めて宣言されることになった。1959-1960年の期間に発表された新鉱物に対する再審議の結果は、1962年にMineralogical Magazine誌で掲載されている[3]。審議の詳しい内容は記されていないが、中瀬鉱の名前は全会一致で否決されたことが記されている。注意したいのはここでは名前だけの抹消であり、鉱物自体の独立性についてはまだ否定されていない。1970年に発表された地質調査所発行のIntroduction to Japanese Mineralsにおいて中瀬鉱は「日本から最初に発見されたが疑問符が付けられた鉱物」に分類されている[4]。

中瀬鉱の独立性はアンドレ鉱との比較において行われる。アンドレ鉱は一つのAgPbSb3S6という化学組成であってもc軸が4.26Å×4および×6が知られ、それぞれがアンドレ鉱-4(Andorite-IV)およびアンドレ鉱-6(Andorite-VI)という別々の鉱物に分けられている。中瀬鉱については化学組成がPb4Ag3CuSb12S24と発表されたが、アンドレ鉱のように均すと(Ag,Cu)PbSb3S6と書ける。またアンドレ鉱-24と呼ぶべきだと批評されたように、c軸が102Å = 4.26Å×24とされる。この102Åという周期がひとまとまりであれば中瀬鉱の独立性は担保されるのだが、再検討の結果、中瀬鉱の結晶構造はアンドレ鉱-6を基本としてアンドレ鉱-4が混じって構成されていることが判明した[5]。中瀬鉱の独立性はこの時点で消滅しており新たな議論は見当たらない。以上の状況を総合的に判断すると、国立科学博物館が発行した型録[6]において中瀬鉱が新鉱物として掲載されていることは学術的な理由ではなく、ひとえに著者の心情的な配慮であろう。

2023年になるとポリタイプとポリモルフの命名におけるガイドラインが設けられ[7]、それに従ってアンドレ鉱の学名は改名となった。ラテン語で4および6を意味する接頭語が組み込まれ、今ではアンドレ鉱-4(Quatrandorite)およびアンドレ鉱-6(Senandorite)の対応となっている。

写真は中瀬鉱山から産した、いわゆる中瀬鉱の標本となる。中瀬鉱とは銅をわずかに含むアンドレ鉱-6のことであり、その内部にアンドレ鉱-4が混じことがあるが、それは透過型電子顕微鏡でないと判別できない。肉眼的な外見上の特徴としては黒~暗灰色で金属光沢を持ち、貝殻上の割口を示すことが典型。また産地の中瀬鉱山は「なかぜ」鉱山と読む。

[1] Ito T., Muraoka H. (1960) Nakaseite, an andorite-like new minera. Zeitschrift für Kristallographie, 113, 94-98.
[2] Fleischer M. (1960) New Mineral Names. American Mineralogist, 45, 1313-1317
[3] Mineralogical Magazine (1962) International Mineralogical Associiation: Commission on New Minerals and Mineral Names. Mineralogical Magazine, 33, 260-263.
[4] Nakaseite. in Introduction to Japanese Minerals, Geological Survey of Japan, 130-131.
[5] Moëlo Y., Makovicki E., Karup-Møller S. (1989) Sulfures complexes plombo-argentifères : minéralogie et cristallochimie de la séria andorite-fizèlyite (Pb,Mn,Fe,Cd,Sn)3-2x(Ag,Cu)x(Sb,Bi,As)2+x(S,Se)6. Documents de BRGM, 167. Éditions de BRGM, Orléans.
[6] 松原聰, 宮脇律郎 (2006)日本産鉱物型録. 国立科学博物館叢書, pp.152.
[7] Hatert F., Mills S.J., Pasero M., Miyawaki R., Bosi F. (2023) CNMNC guidelines for the nomenclature of polymorphs and polysomes. Mineralogical Magazine 87, 225-232.

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IMA No./year: 1970-024
IMA Status: A (approved)
状況:オフィシャルリストに掲載されている文献から産地にたどり着かない。

ブセル石 / Buserite

Na4Mn14O27·21H2O (?)

模式地: 記事執筆の2018年11月の時点でオフィシャルリスト上では「Japan」(北海道湯の滝温泉が想定されている可能性が高い)

第一文献: Giovanoli R., Feitknecht W., Fischer F. (1971) Über oxidhydroxide des vierwertigen mangans mit schichtengitter. 3. Mitteilung: reduktion von mangan (III) – manganat (IV) mit zimtalkohol, Helvetica Chimica Acta, 54, 1112-1124.
第二文献: Burns R.G., Burns V.E., Stockman H.W. (1983) A review of the todorokite-buserite problem: implications to the mineralogy of marine manganese nodules. American Mineralogist 68, 972-980

「未入手」

ブセル石はこの記事を執筆している時点(2018年11月)でIMAのオフィシャルリスト状で有効な鉱物種として登録されており、模式地の項目には「Japan」が掲載されている。その一方で論拠となっている第一および第二文献をたどっても模式地が日本だという明確な記述が存在していない。そのためブセル石を日本の新鉱物(その他)に分類し、学術文献を探してみる。

ブセル石は第一文献によってW. Buserの名誉に対して命名された鉱物と紹介されるが[1]、第一文献には新鉱物が誕生した経緯は記述されてない。また第一文献は合成実験の内容であり、天然の記載はなく、その鉱物名が登場するのみとなっている[2]。そして第二文献は当時の新鉱物・鉱物・命名委員会の委員長であったM. Fleischerが個人的に言ったこととして「ブセル石はsmall majorityによって委員会で名前が採決された」と紹介している[3]。またブセル石のIMA no.は1970-024となっていることから1970年に承認されたと思われるが、その承認の事実を記した文献や記事は全く見つからない。例えば通常なら新鉱物はAmerican Mineralogist誌でレビューが行われるが、ブセル石についてはレビューが見当たらず、Handbook of Mineralogyにも掲載が無い。結果的にブセル石が承認された詳しい過程は学術文献からはたどることは出来なかった。

第二文献では太平洋海底に生じるマンガン団塊には轟石と共にブセル石が含まれることが引用されている[例えば4]。そして轟石とブセル石は類似の組成を持ちX線回折パターンも似ていたため、それまで区別は曖昧であった。第二文献はその区別を議論したのだが、「轟石とブセル石は同じではない」という消極的な結論にとどまっている。そして轟石については結晶構造解析が行われ現在までにその実体はほぼ明らかにされた[5]が、ブセル石については組成式が確定しておらず、アルカリ金属元素を含む含水マンガン酸化物という曖昧な組成が認識されているに留まっている。また構造についてもブセル石は10Åの回折線を特徴とする対称性をもつことのみが明白であって、詳細な構造は解かれてない。この状態でブセル石を有効な鉱物種として認めて良いものだろうか疑問に思う。それでも轟石がトンネル構造を持つことに対し、ブセル石はシート構造である可能性が言及されている[3]。

1989年に地質調査所の臼井朗らは小笠原諸島の海底からマンガン団塊を調査し、構成鉱物は轟石系列とブセル石系列鉱物であることを報告した[6]。続いて臼井・三田によって北海道足寄町にあるオンネトー湯の滝からブセル石の産出が報告された[7]。EDXによって定性的に元素分析が行われており、マグネシウム(Mg)、カルシウム(Ca)、マンガン(Mn)が多く検出されているが、組成式はやはり提示されていない。一方でX線回折にて10Åの回折線を確認し、それを持ってブセル石を同定したという主張となっている。ブセル石の定義の曖昧さによる同定の不完全性を考慮から外すと、少なくとも調べた範囲ではこの論文が地上で産出するブセル石の最初の報告となる。こういった経緯からオフィシャルリスト上でブセル石の模式地に日本が表示されたのかもしれないが、違和感は残る。鉱物は最初に記載された産地を模式とすることが基本であり、そうなると本当の模式地は太平洋海底となる。

まとめると、ブセル石はアルカリ金属元素を含む含水マンガン酸化物で、構造についてはd=10Åに鋭い回折強度を持つことは確かで全体的に層構造かもしれないという鉱物である。この内容は鉱物を定義するにはきわめて弱い根拠と思えるが、IMAのオフィシャルリスト上では承認済みの鉱物として掲載されている。一方で第一文献からは天然の記載は確認できず、学術文献からはブセル石が承認されていることが追証できない。また産地についても模式地が日本と設定されていることについては違和感が強く残る。こういった状況においては、まずはブセル石の鉱物としての定義が確立されることが望ましい。そして研究が進んだ結果として北海道湯の滝温泉がブセル石の模式地となるのならそれは喜ばしいことだと思っている。

ブセル石の標本はその候補も含めて所有していないため写真は掲載できなかったが、論文を見る限りその外観は轟石やクリプトメレン石などいわゆる二酸化マンガン鉱に酷似していると思われる。

[1] Jeffries D.S., Stumm W. (1976) The metal-adsorption chemistry of buserite. The Canadian Mineralogist 14, 16-22
[2] 第一文献
[3] 第二文献
[4] Burns R.G., Burns V.M. (1977) The mineralogy and crystal chemistry of deep-sea manganese nodules, a polymetallic resource of the twenty-first century. Phhilosophical Transactions of the Royal Society A286, 283-301.
[5] Post J.E., Heaney P.J., Hanson J. (2003) Synchrotron X-ray diffraction study of the structure and dehydration behavior of todorokite. American Mineralogist, 88, 142-150.
[6] Usui A., Mellin T.A., Nohara M., Yuasa M. (1989) Structural stability of marine 10Å manganates from the ogasawara (Bonin) Arc: implication for low-temperature hydrothermal activity. Marine Geology, 86, 41-56.
[7] Usui A., Mita N. (1995) Geochemistry and mineralogy of a modern buserite deposit from a hot spring Hokkaido, Japan. Clays and Clay Minerals, 43, 116-127.

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IMA No./year: 1970-026 (2010s.p.)
IMA Status: Rn (renamed)
状況:長らく日本産の新鉱物として認知されてきたが、燐灰石超族の命名規約の成立と共にアメリカ産の新鉱物という立場が再確認された。

水酸エレスタド石 / Hydroxylellestadite

Ca5(SiO4)1.5(SO4)1.5(OH)

模式地:埼玉県 秩父市 秩父鉱山 道伸窪鉱床 → Crestmore, Riverside County, California, USA

第一文献: McConnell D. (1937) The substitution of SiO4- and SO4-groups for PO4-groups in the apatite structure; ellestadite, the end-member. American Mineralogist, 22, 977-986.

第二文献: Onac B.P., Effenberger H., Ettinger K., Panzaru S.C. (2006) Hydroxylellestadite from Cioclovina Cave (Romania): Microanalytical, structural, and vibrational spectroscopy data. American Mineralogist, 91, 1927-1931.

水酸エレスタド石 / Hydroxylellestadite
秩父鉱山産 淡紫色部が水酸エレスタド石

埼玉県秩父鉱山から産出した水酸エレスタド石は1970年に燐灰石超族の新鉱物として承認され [1]、日本産の新鉱物種として長らく認知されてきた。そして2010年になり燐灰石超族の命名規約が改められる際にこれまでの鉱物の洗い直しが行われた。水酸エレスタド石も再検討を受けた結果、アメリカ産の水酸エレスタド石に優先権が認められ、模式地は日本からアメリカへ変更された。このように水酸エレスタド石は燐灰石超族の命名規約の成立と共に日本産の新鉱物という立場は消えた。そのため水酸エレスタド石を日本の新鉱物(その他)へ分類し、その内容を検証してみることにする。

ミネソタ大学のMcConnellはカリフォルニアのCrestmoreから産出した燐灰石族の鉱物を分析し、SiO4とSO4を主成分とする新種としてエレスタド石(Ellestadite)を命名した[3]。名前はアメリカ人化学者のRueben B. Ellestad (1900-1993)に因んでいる。記載論文には分析値も掲載されており、元素の重さではなく量の卓越を比べるにはTable2-2をみることになる。そして水酸(OH)、フッ素(F)、塩素(Cl)について注目すると、水酸(OH)が最も卓越していることが確認できる。ただこの当時は水酸-フッ素-塩素で種を分ける判断ではなったと思われ、論文中では強調されていない。それでも論文を読む限りこのエレスタド石は現在の命名では水酸エレスタド石(Hydroxylellestadite)とされる鉱物に相当する。ではなぜ後に水酸エレスタド石が新鉱物として改めて日本から報告されることになったのだろうか。

住友金属鉱山の原田を筆頭とする研究グループは埼玉県秩父鉱山から産出した水酸エレスタド石を新鉱物として申請し、承認を受けた(IMA1970-026)。記載論文はAmerican Mineralogist誌に1971年に掲載されている[1]。論文の冒頭では過去の研究が紹介され、McConnellの報告したエレスタド石についてはその分析値も引用して掲載されているのだが、その説明としてCl > OH, Fと記述されている。この解釈に基づいて水酸エレスタド石は承認を受け、改めて記載されることになったのだろう。一方でOHが卓越していると読み取れるMcConnellのエレスタド石について、どうしてCl > OH, Fと解釈されたのかは不明である。それでも秩父鉱山からの水酸エレスタド石はMcConnellのよりも端成分に近いことは確かである。

水酸エレスタド石について二つの記載論文を比較してみたが、やはりMcConnell論文に水酸エレスタド石の優先権があることが確認できる。燐灰石超族の命名規約でも最初の記載はMcConnellであり、原田らについては名前を再定義したという扱いとなっている。第二文献では水酸エレスタド石の詳細な結晶構造が報告された[4]。また現時点でエレスタド石については、水酸エレスタド石、フッ素エレスタド石(Fluorellestadite)、塩素エレスタド石(Chlorellestadite)が知られている。

写真は秩父鉱山の道伸窪鉱床から得られた標本で、ベスブ石を伴う石灰岩に産出する。水酸エレスタド石は風化に伴って表面に石膏を吹きガサガサになるが、本来は淡紫色半透明でガラス光沢を示す。原田らの論文によると100kgの集合体で産出したとされる。

[1] Harada K., Nagashima K., Nakao K., Kato A. (1971) Hydroxylellestadite, a new apatite from Chichibu Mine, Saitama Prefecture, Japan. American Mineralogist, 56, 1507-1518
[2] Pasero M., Kampf A.R., Ferraris C., Pekov I.V., Rakovan J.R., White T.J. (2010) Nomenclature of the apatite supergroup minerals. European Journal of Mineralogy, 22, 163-179.
[3] 第一文献
[4] 第二文献

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IMA No./year: 1973s.p.
IMA Status: G(grandfathered)
模式標本:不明
状況:オフィシャルリストで模式地が「Japan」だが理由不明であり、また苦土ジュルゴルド石という実体が文献上に存在していない。

苦土ジュルゴルド石 / Julgoldite-(Mg)

Ca2MgFe3+2(Si2O7)(SiO4)(OH)2·H2O

模式地:記事執筆の2018年4月の時点でオフィシャルリスト上では「Japan」

第一文献:Passaglia E., Gottardi G. (1973) Crystal chemistry and nomenclature of pumpellyites and julgoldites, The Canadian Mineralogist, 12, 219-223.

第二文献:設定なし

「現時点で存在しない鉱物のため写真は無い」

苦土ジュルゴルド石はオフィシャルリストで模式地が「Japan」となっている。その理由を調べてみようと文献を当たるも、現時点でその理由が全く不明。そのため苦土ジュルゴルド石を日本の新鉱物(その他)に区分した。

第一文献はパンペリー石とジュルゴルド石の分け方と名前の付け方を決定したという内容である。簡単に説明すると、結晶学的なXとYという席のなかで、Y席についてアルミニウム(Al) > 三価鉄(Fe3+)についてはパンペリー石、その逆のFe3+ > Alについてはジュルゴルド石というルート名にしましょう、そしてX席に入るマグネシウム(Mg)、二価鉄(Fe2+)、アルミニウム(Al)はルートネームの後ろにサフィックスで付けましょうという内容である。苦土ジュルゴルド石の学名はJulgoldite-(Mg)で、その意味はX=MgかつY=Fe3+である。化学組成をすべて書くとCa2MgFe3+2(Si2O7)(SiO4)(OH)2·H2Oとなる。この論文が出版された1973年がオフィシャルリストに掲示されている年代となっている。

第一文献には18カ所からの分析データが掲載されている。そのうち7カ所が日本であるが、すべて(苦土・アルミニウム)パンペリー石である。また全体を見てもX=MgかつY=Fe3+となる分析値は掲載されていない。つまり苦土ジュルゴルド石に該当する分析データは存在しておらず、そうなると苦土ジュルゴルド石については「あらかじめ組成式を設定したので将来的に見つかったらその名前にしましょう」という約束事にすぎない。そして現時点(2018年5月)において、世界的にも苦土ジュルゴルド石に該当する鉱物が産出した記録は皆無である。

鉱物に関しては割と信頼性のあるMindat.orgというサイトを参照すると、苦土ジュルゴルド石の模式地は三重県鳥羽市菅島と書いてある。しかしその引用はやはり第一文献になっている。そのため再び第一文献を熟読したがどんなに読んでもそんなことは全く書いていない。もはやオフィシャルリストが誤っているとしか考えられない。

苦土ジュルゴルド石は現時点で名前だけの存在にすぎず、現物は実在しないため入手は不可能である。写真などあるはずもない。

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IMA No./year: 1982
IMA Status: –
状況:命名規約の成立により独立種を取り消され、既存鉱物のポリタイプとなった。

南石 / Minamiite → 南石 / Natroalunite-2c

(Na,Ca,K)Al3(SO4)2(OH)6

模式地:群馬県嬬恋村奥万座殺生沢

原著:Ossaka J., Hirabahashi J.-I., Okada K., Kobayashi R., Hayashi T. (1982): Crystal structure of minamiite, a new mineral of the alunite group. American Mineralogist、 67、 114-119

南石 / Natroalunite-2c
南石 / Natroalunite-2c
模式地標本

南石は東京工業大学の小坂丈予らによって発見された鉱物で、小坂の恩師である東京帝国大学の南英一(1899-1977)にちなんで命名された。小坂は南石を発見した功績で1982年に櫻井賞(第21号メダル)を受賞している。また、小坂は鳥居鉄也と共に南極石(Antarcticite: CaCl2·6H2O)を発見したことでも知られる。そして南石の発表から約30年後の2010年、南石が属する明礬石超族の命名規約が成立した。しかし、その命名規約の要約に南石の抹消が真っ先に記されているように、命名規約の成立によって南石は独立種の立場を失ってしまった。一方で、こうした措置は小坂らの研究内容に不備があったからではない。鉱物種の定義が厳格化されたことに関連した措置である。

昭和36年(1961年)に上智大学に理工学部が設置された際、東京大学地震研究所から南英一が教授職で招聘され、草津白根山の地球化学的研究が始まっている。そして、小坂は地震研究所から東京工業大学へ席を移したばかりであったが、上智大学の非常勤講師として南と共に草津白根山の地球化学的研究の現地調査や研究指導を行っていた。南が生前の1972年に、小坂は草津白根山地域から未知の鉱物が見いだされたことを報告した[1]。その未詳鉱物は明礬石に関連した組成を有するもののc軸長が明礬石(17Å)の約2倍を示しており、この当時は「c軸長がn倍異なる」ことが鉱物種を分けることのできる大きな差として認識されていた。そして、南が亡くなった後にこの未詳鉱物は南石の名を授けられて1982年に承認された。

南石は永らく独立種の立場にあったが、その間に鉱物の定義は徐々に厳格となっていき、1998年には種の基準についてガイドラインが設定された[2]。要点は「元素の相対的な位置関係が同じであるとき、対称性が異なっても別種と扱わない」である。このようにガイドラインが設けられたものの、これは既存鉱物が整理される段階、例えば命名規約の成立のタイミングで改めて適用されることが多く、南石の場合はそのタイミングが2010年だった[3]。

南石のc軸長が通常の2倍となる理由はおそらくはカルシウム(Ca)のせいであろう。例えばフーアン石(Huangite: Ca0.5Al3(SO4)2(OH)6)もc軸長が2倍である。しかし、南石は組成的にはソーダ明礬石(NaAl3(SO4)2(OH)6)に範囲に収まる。そうなると、ソーダ明礬石との違いはc軸長が2倍というだけで、本質的な結晶構造(元素の相対的な位置関係)は同じである。すなわち1998年ガイドラインに従うと別種とならない。そのためにc軸長が2倍という特徴は亜種(ポリタイプ)として表現され、南石の正式名称はNatroalunite-2cと表記されることになった。ただ、この事情を理解していれば、和名として南石を用いることに問題はないと感じている。

群馬県万座温泉の源泉地帯にあたる殺生沢において、南石は熱水により強変質した安山岩に産出し、空隙には無色から白色で爪のような形状の結晶とその群晶が見られる。

[1] 小坂丈予(1972)草津白根山周辺における火山性鉱物の2〜3の生成状況について. 日本鉱物科学会年会講演要旨集, P54.
[2] Nickel E.H., Grice J.D. (1998) The IMA commission on new minerals and mineral names: procedures and guidelines on mineral nomenclature, 1998. The Canadian Mineralogist, 36, 913-926.
[3] Bayliss P., Kolitsch U., Nickel E.H., Pring A. (2010) Alunite supergroup: recommended nomenclature. Mineralogical Magazine, 74, 919-927.

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MA No./year: 1985-005
IMA Status: A (approved)
状況:領土問題、人工物の可能性

釣魚島石 / diaoyudaoite

NaAl11O17

模式地:Okinawa Trough, near Diaoyudao Island, a few km northeast of Taiwan(沖縄県石垣市登野城尖閣魚釣島)

第一文献:Shen S., Chen L., Li A., Dong T., Huang Q., Xu W. (1986) Diaoyudaoite – a new mineral, Acta Mineralogica Sinica, 6, 224-227.
第二文献:Zhu N., Guo F., Li Y., Shen S., Chen L., Li A. (1992) Study on crystal structure of diaoyudaoite (in Chinese). Huaxue Xuebao, 50, 527-532.

「未入手」

釣魚島石はさまざまな問題がある鉱物である。ざっくり言うと産地の帰属と人工物の疑惑である。産地は尖閣諸島の魚釣島付近の海底にあるが、「魚釣島」の領有権が国際問題となっている。とりあえずは日本が1895年から領有し現在も実効支配もしているが、1970年代から中国と台湾が領有権を主張しだし、中華圏は「釣魚島(Diaoyudao)」の名称を使用している。そして、1985年に中華圏の言うところの釣魚島近海の海洋底でみつかった新鉱物に魚釣島石(Diaoyudaoite)の名前を与え、さらに模式産地の国名について台湾のみを指定している。それを行った筆頭著者は中国人で、模式標本も台湾ではなく北京にあるということで、各所に問題をばらまいている感じがしてしまうが、これらはまあ政治的な事情なので科学的にはある意味でどうでもいい。科学的に大きな問題になりそうなのは釣魚島石がものすごく人工物くさいという点である。

釣魚島石の産地は海底で、水深約1500mの海底泥をすくったものの中に含まれていたと記されている。そう、泥・・。岩石から直接得られた試料ではないので、天然かどうかの判定は慎重になりたいものだが、かなり危うい判断をしている。釣魚島石には自然クロム(Chromium: Cr)が包有物として見つかっており、それだけを根拠に釣魚島石はマグマ起源(どういう組成のマグマかは記されていない)という主張が展開された。自然クロムは超苦鉄質岩かそこからこぼれて堆積した砂鉱で見つかることがあるが、超苦鉄質岩や砂鉱から釣魚島石が見つかった例は一つもない。また論文に記されているほかの鉱物は普通角閃石、ドロマイト、白雲母、緑泥石、黒雲母であり、これらは超苦鉄質岩にはほとんど含まれない鉱物である。そもそもこの辺りに超苦鉄質岩の分布は知られていない。つまり釣魚島石および包有されている自然クロムは全体としてはきわめて異質な存在と言えよう。

釣魚島石の化学組成はNaAl11O17であり、これは通称でβアルミナと呼ばれる物質に相当する[1]。そしてこの物質が一般にどうやって得られるかというと、それはクロム精錬の際の副産物として生成する[2]。例えばCr2O3+11Al + NaNO3+5.5O2→ 2Cr + NaAl11O17+0.5N2という反応で生成され、NaAl11O17(= 釣魚島石)はゴミなので某国では一切の遠慮なく廃棄される。それが海流に乗ってどんぶらこ、というのはありえそうなシナリオと感じられる。こうした事情から、1996年には釣魚島石は産廃か?という趣旨の学会発表がなされた[4]。1998年にはこの説が論文として発表された[4]。

釣魚島石は世界をみわたすといくつかの地域で発見されているが、そのことごとくがスラグ(廃棄物)の中からであり、クロム製錬所に近い場所というまさにそれなというピンポイント案件も含まれている[5]。わりと最近にはイスラエル北部のカルメル山の上部白亜紀火砕岩のバルク岩石から分離されたコランダム中から釣魚島石が見つかったという報告がある[6,7]。しかし、このコランダムもまた岩石から直接得られたことがなく、重鉱物を分離する過程で何故か得られるものであり、天然の確証がこれまで得られていない。このコランダムが人為起源であるという証拠はいくつも挙げられており[8,9]、ごくごく最近にも人工物であるという証拠が示された[10]。すなわちコランダムに含まれる釣魚島石もまた人為起源であり、これまでに天然の釣魚島石が発見された例は一つもないことになる。もはや釣魚島石は鉱物とは言えない。

一方で釣魚島石を抹消するのは実は容易ではない。鉱物の抹消の提案は新鉱物の申請と同じく審査を受ける必要がある。そして抹消を提案するにあたっては模式標本を調べなおして人工物であるという確かなデータを揃えなくてはならないが、模式標本にアクセスできないならそれは叶わない。

[1] Felsche J. (1967) Zur kristallstruktur von β-aluminiumoxid. Naturwissenschaften, 54, 612-613.
[2] Sorokina E.S., Iospa A.V. (2012) Slags as a new type of mineral resource: special features of technogenic ruby and diaoyudaoite of wastes from Cr-V production, European Mineralogical Conference, Vol. 1, EMC2012-733, 2012.
[3] 清水正明, 島崎英彦, Ying Y., Jinchu Z., Shouxi H. (1996) diaoyudaoiteは産業廃棄物か?. 三鉱学会連合学術講演会講演要旨集, p154.
[4] Ying Y., Zhongyue S., Shimizu M., Shimazaki H.: Comparison between metallurgical byproduct beta-NaAl11O17 and diaoyudaoite and discussion on the possible source of diaoyudaoite, Kuangwu Xuebao, 18, 97–100, 1998 (in Chinese).
[5] https://www.mindat.org/min-1283.html
[6] Griffin W.L., Gain S.E.M., Saunders M., Cámara F., Bindi L., Spartà D., Toledo V., O’Reilly S.Y.: Cr2O3 in Corundum: Ultra-high contents under reducing conditions, American Mineralogist, 106, 1420-1437.
[7] Griffin W. ., Gain S.E.M., Cámara F., Bindi L., Shaw J., Alard O., Saunders M., Huang J.-X., Toledo V., O’Reilly S.Y.: Extreme reduction: Mantle-derived oxide xenoliths from a hydrogen-rich environment, Lithos, 358–359, 105404.
[8] Litasov K.D., Kagi H., Bekker T.B. (2019) Enigmatic superreduced phases in corundum from natural rocks: possible contamination from artificial abrasive materials or metallurgical slags, Lithos, 340–341, 181–190, 2019
[9] Ballhaus C., Helmy H.M., Fonseca R.O.C., Wirth R., Schreiber A., Jöns N. (2021) Ultra-reduced phases in ophiolites cannot come from Earth’s mantle. American Mineralogist, 106, 1053-1063.
[10] Galuskin E., Galsukina I. (inpress) Evidence of the anthropogenic origin of the “Carmel sapphire” with enigmatic super-reduced minerals. Mineralogical Magazine.

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IMA No./year: 1996
IMA Status: –
状況: データは新種の可能性を強く示唆するも未承認

フッ素ソーダローメ石 / Fluornatroroméite

(Na,Ca)2Sb2(O,OH)6F

模式地:福島県 いわき市 御斎所鉱山

フッ素ソーダローメ石 / Fluornatroroméite
フッ素ソーダローメ石 / Fluornatroroméite

Matsubara et al. (1996, Mineralogical Journal, 18, 155-160)で記載されたローメ石は新しいパイロクロア命名規約に従うと新鉱物に相当するというもの。松原さん自身がそれを話して回ってはいるが、オフィシャルリストにフッ素ソーダローメ石は登録されていない。IMAに対して改めて新鉱物申請書を提出する必要があるのかも知れない。
写真の標本は御斎所のいわゆるローメ石とされる標本になる。見た目で黒っぽい結晶(写真上)と透明感のあるブラウン色の結晶(写真下)がある。

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No. 11
IMA No./year: 1999-004a
IMA Status: A (approved)
状況: 領土問題

レニウム鉱 / Rheniite

ReS2

模式地:Kudriavy volcano (Kudryavyi), Iturup Island, Kuril Islands, Sakhalinskaya Oblast’, Far-Eastern Region, Russia

原著:Znamensky V.S., Korzhinsky M.A., Steinberg G.S., Tkachenko S.I., Yakushev A.I., Laputina I.P., Bryzgalov I.A., Samotoin N.D., Magazina L.O., Kuzmina O.V., Organova N.I., Rassulov V.A., Chaplygin I.V. (2005) Rheniite, ReS2, the natural rhenium disulfide from fumaroles of Kudryavy volcano, lturup Isl., Kurily Islands, Zapiski Rossiiskogo Mineralogicheskogo Obshchetstva 134, 32-40.
ただし最初の発見は1994年:Korzhinsky M.A., Tkachenko S.I., Shmulovich K.I., Taran Y.A., Steinberg G.S. (1994) Discovery of a pure rhenium mineral at Kudriavy volcano. Nature, 369, 51-52.

レニウム鉱 / Rheniite
レニウム鉱 / Rheniite
模式地標本 IMAにはロシア産として登録されている。日本で言うところの択捉島の茂世路岳。

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IMA No./year: 2000-025
IMA Status: A (approved)
状況: 原著に日本産の記載が無い。

ストロンチウムトムソン沸石 / Thomsonite-Sr

NaSr2Al5Si5O20·6-7H2O

原著:Pekov I.V., Lovskaya E.V., Turchkova A.G., Chukanov N.V., Zadov A.E., Rastsvetaeva R.K., Kononkova N.N. (2001) Thomsonite-Sr (Sr,Ca)2Na[Al2Si5O20]·6–7H2O, a new zeolite mineral from Khibiny Massif (Kola Peninsula) and thomsonite-Ca—thomsonite-Sr an isomorphous series. Zapiski Vserossijskogo Mineralogicheskogo Obshchestva, 130, 46-55.

模式地:オフィシャルリストでは「Japan」だが原著にその記載は無い。

ストロンチウムトムソン沸石 / Thomsonite-Sr
Rasvumchorr Mt, Khibiny Massif, Kola Peninsula, Murmanskaja Oblast’, Northern Region, Russia

原著では産地がRasvumchorr Mt, Khibiny Massif (Kola Peninsula), Russiaとなっており、写真の標本はその産地のモノ。オフィシャルリストでは模式地が「Japan」になっており、これはもしかしたら宮島ら(1999, 日本鉱物学会1999年年会講演, p93)の報告がもとになっているのかもしれない。日本では糸魚川・青海地域産ヒスイから見いだされている。

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IMA No./year: 2003-011
IMA Status: A (approved)
状況: 領土問題

クドリャブ鉱/ Kudriavite

(Cd,Pb)Bi2S4

模式地:Kudriavy volcano (Kudryavyi), Iturup Island, Kuril Islands, Sakhalinskaya Oblast’, Far-Eastern Region, Russia

原著:Chaplygin I.V., Mozgova N.N., Magazina L.O., Kuznetsova O.Y., Safonov Y.G., Bryzgalov I.A., Makovicky E., Balić-Žunić T. (2005) Kudriavite, (Cd,Pb)Bi2S4, a new mineral species from Kudriavy volcano, Iturup Island, Kurile arc, Russia, The Canadian Mineralogist, 43, 695-701.

クドリャブ鉱 / Kudriavite
模式地標本 IMAではロシア産として登録されている。日本で言うところの択捉島の茂世路岳。分離結晶の標本。

クドリャブ鉱 / Kudriavite
クドリャブ鉱 / Kudriavite
(Cd,Pb)Bi2S4
Mutnovsky Mountain, Kamchatka, Russia

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IMA No./year: 2003-042
IMA Status: A (approved)
状況: 領土問題

アブラモフ鉱 / Abramovite

Pb2SnInBiS7

模式地:Kudriavy volcano (Kudryavyi), Iturup Island, Kuril Islands, Sakhalinskaya Oblast’, Far-Eastern Region, Russia

原著:Yudovakaya M.A., Trybkin N.V., Koporulina E.V., Belakovsky D.I., Mokhov A.V., Kuznetsova M.V., Golovanova T.I. (2007) Abramovite, Pb2SnInBiS7 – the new mineral from fumaroles of Kudryavy Volcano (Kurily Islands), Zapiski Rossiiskogo Mineralogicheskogo Obshchetstva, 136, 45-51.

アブラモフ鉱 / Abramovite
模式地標本 IMAではロシア産として登録されている。日本で言うところの択捉島の茂世路岳。分離結晶の標本。

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IMA No./year: 2006-016
IMA Status: A (approved)
状況: 領土問題

カドモインド鉱 / Cadmoindite

CdIn2S4

模式地:Kudriavy volcano (Kudryavyi), Iturup Island, Kuril Islands, Sakhalinskaya Oblast’, Far-Eastern Region, Russia

原著:Chaplygin I.V., Mozgova N.N., Bryzgalov I.A., Mokhov A.V. (2004) Cadmoindite, CdIn2S4, a new mineral from Kudriavy volcano, Iturup isle, Kurily islands, Zapiski Vserossijskogo Mineralogicheskogo Obshchestva, 133, 21-27.

カドモインド鉱 / Cadmoindite
模式地標本 ブラウン色八面体が本鉱、黄色六角板状はウルツ鉱、黒は本鉱と黄鉄鉱の混じりもの。IMAではロシア産として登録されている。日本で言うところの択捉島の茂世路岳。

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IMA No./year: 2014-026
IMA Status: A (approved)
状況: 領土問題

ジナメンスキー鉱 / Znamenskyite

Pb4In2Bi4S13

模式地:Kudriavy volcano (Kudryavyi), Iturup Island, Kuril Islands, Sakhalinskaya Oblast’, Far-Eastern Region, Russia

the early publication::Chaplygin, I.V., Mozgova, N.N., Bryzgalov, I.A. Belakovsky, D.I., Pervukhina, N.V., Borisov, S.V. and Magarill, S.A. (2014) Znamenskyite, IMA 2014-026, Mineralogical Magazine, 78, 797-804.

ジナメンスキー鉱 / Znamenskyite
模式地標本 レニウム鉱を筆頭で記載したZnamensky V.S.に因む。IMAではロシア産として登録されている。日本で言うところの択捉島の茂世路岳。

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IMA No./year: 1974-049(2018年9月まで)
IMA Status: Discredited(2018年9月から)
状況:長らく日本産の新鉱物として認知されてきたが、スピネル超族の命名規約の成立によって独立種を抹消された。今後はヤコブス鉱Q / jacobsite-Qという亜種名で呼ばれる鉱物

磐城鉱 / Iwakiite → ヤコブス鉱Q / jacobsite-Q

Mn2+Fe3+2O4

産地:福島県 いわき市 御斎所鉱山

磐城鉱 / Iwakiite
御斎所鉱山産の標本 緑色を帯びた黒色小粒集合体部分が相当する。

ヤコブス鉱と磐城鉱はMn2+Fe3+2O4を端成分組成とするが、ヤコブス鉱が立方晶系であるのに対し磐城鉱は正方晶系を示す。その違いから1974年に磐城鉱は新種として認められ、そこから長らく日本産の新種という立場で認識されてきた。ところが2018年になってスピネル超族の命名規約の成立に伴い、磐城鉱はヤコブス鉱と同じ鉱物という取り扱いを受けて独立種の立場を失った。そのため磐城鉱を日本の新鉱物(その他)へ分類し、その理由を検証してみる。

磐城鉱は国立科学博物館の松原聰らによって福島県御斎所鉱山から新鉱物として記載されている[1]。松原らはマンガン鉱石中に緑黒色の集合体でフェライト磁石が強く反応する鉱物を見いだした。このような特徴は経験的にヤコブス鉱と判断されるが、磁石の反応が強すぎることと具体的な産状が経験則から外れていた。ヤコブス鉱は石英と共存することはないが、その緑黒色鉱物は石英と共存しており明らかに異質であることを思わせる。そしてX線回折において、立方晶系のヤコブス鉱に類似しながらもいくつかの回折ピークが分離しているという結果が得られた。さらに検討が行われ、この未知鉱物は正方晶系であることが判明する。

続いて行われた詳細な分析の結果、御斎所鉱山の未知鉱物についてMn2+(Fe3+,Mn3+)2O4という結果が得られた。Fe3+ > Mn3+であることをを強調して端成分を考えると、Mn2+Fe3+2O4となり、これはヤコブス鉱の端成分と共通である。その一方で対称性については立方晶のヤコブス鉱に対し、正方晶の未知鉱物という立ち位置で区別することが可能であった。そしてこの未知鉱物には発見地の古称である「磐城」に因んだ磐城鉱(iwakiite)という名前が与えられて、新鉱物として承認された。松原は磐城鉱を発見した業績について日本鉱物学会から1980年に櫻井賞(第17号メダル)を受賞している。1988年には結晶構造の詳細が明らかとなった[2]。

Table 1. 磐城鉱と関連鉱物の比較

鉱物名(IMA no.) 端成分化学組成 対称性
磐城鉱(1974-049) Mn2+Fe3+2O4 正方晶系
ヤコブス鉱(1896) Mn2+Fe3+2O4 立方晶系
ハウスマン鉱(1828) Mn2+Mn3+2O4 正方晶系

 
磐城鉱はヤコブス鉱およびハウスマン鉱と端成分化学組成と対称性について関連があり、長らく上のTable1に示した位置づけでそれぞれが独立の鉱物として扱われてきた。ただし端成化学分組成だけをみると磐城鉱とヤコブス鉱は区別できず、対称性の違いがこれらを分けている。そしてスピネル超族の命名規約が誕生した際に、対称性で種を分けることの原則が改めて重要視されることになる[3]。

鉱物の「種」はひとつの「単位」であって、それは「化学組成」と「結晶構造」を使用して分けられる。そして結晶構造については「元素の相対的な位置関係が同じであるとき、対称性が異なっても別種と扱わない」という原則が1998年に設定されている[4]。これ以降はすべての鉱物へこの原則が適用されるのだが、即座に洗い直しが行われるのではなく、命名規約の成立などなんらかのアクションがあった際に改めてこの原則が適用されることが多い。

磐城鉱は一般式に示されたように三価マンガン(Mn3+)を含むことが特徴的だが、その端成分はヤコブス鉱と同じとなる。そしてこれまでは正方晶系の磐城鉱と立方晶系のヤコブス鉱で分けて認識されていたが、結晶構造として中身に注目してみると実は元素の相対的な位置関係は同じである。そうなると原則的には磐城鉱とヤコブス鉱は種としては同じという判断が下された。そして磐城鉱が1974年に見いだされた鉱物であるのに対し、ヤコブス鉱は1896年には命名されていた古典的な鉱物である。そのことから種と名前の優先権もヤコブス鉱が所有することになり、磐城鉱の名前と独立種としての立場は抹消となった[3]。オフィシャルリストでは2018年9月以降は磐城鉱の名前は消えている。

今後はヤコブス鉱については立方晶系と正方晶系の二種類の対称性が存在することになる。しかしながらその正方晶系のヤコブス鉱については、含まれる三価マンガン(Mn3+)のヤンテーラ効果に起因した歪みに過ぎないと解釈されている。そして、このような正方晶系に歪んだヤコブス鉱、つまりはかつての磐城鉱ついては、今後はヤコブス鉱Q(jacobsite-Q)という亜種名でその実体を表現することが決められた[3]。ただし亜種名はオフィシャルリストには掲載されない。

写真は福島県御斎所鉱山から得られた磐城鉱の標本となる。わずかに緑色を帯びた微小な黒色粒状の鉱物で、この産地ではそれらが集合した産状がよく見られる。写真中では光を反射している部分が磐城鉱に相当する。おそらく典型的な産状で、ケイ酸分の多い鉱物として知られるブラウン鉱(黒色緻密部)と共生している。

[1] Matsubara S., Kato A., Nagashima K. (1979) Iwakiite, Mn2+(Fe3+,Mn3+)2O4, a new tetragonal spinelloid mineral from the Gozaisho mine, Fukushima Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 9, 383-391
[2] Jarosch D. (1988) Crystal structure of iwakiite. Zeitschrift für Kristallographie, 185, 605.
[3] Bosi F., Biagioni C., Pasero M. (in press) Nomenclature and classification of the spinel supergroup. European Journal of Mineralogy.
[4] Nickel E.H., Grice J.D. (1998) The IMA commission on new minerals and mineral names: procedures and guidelines on mineral nomenclature, 1998. The Canadian Mineralogist, 36, 913-926.

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IMA No./year: 1922
IMA Status: G(grandfathered) → Q(questionable) (2023年から)
模式標本:不明
状況:長らく日本産の新鉱物として認知されてきたが、コルンブ石超族の成立と同時にQ(questionable)の立場へと追いやられた(2023年から)。

石川石 / Ishikawaite

(U,Fe,Y)NbO4 (オフィシャルリスト)
U4+Fe2+Nb2O8 (文献[6])

模式地:福島県石川町外牧観音山・大橋川(旧:磐城國)

第一文献:柴田 雄次, 木村 健二郎 (1922) 磐城石川産一新鑛物(石川石 研究補遺). 日本化學會誌,43, 648-649.

第二文献:Hanson S.L., Simmons W.B., Falster A.U., Foord E.E., Lichte F.E. (1999) Proposed nomenclature for samarskite-group minerals: new data on ishikawaite and calciosamarskite. Mineralogical Magazine, 63, 27-36.

石川石 Ishikawaite
福島県石川町和久

石川石は帝国大学(現:東京大学)の柴田雄次と木村健二郎によって1922年(大正11年)に磐城国(現:福島県)の石川町から報告された新鉱物で、模式地は石川町外牧観音山および大橋川に設定されている。観音山の石川石はペグマタイト中から、大橋川のものは砂鉱から得られたとされる。当初は結晶外形が不定形で測角できるほどの標本では無かったため化学組成だけが先に報告されており[1]、ウランの含有量が顕著なことから新鉱物であることが期待されつつもそのときはあくまで予報にとどまっていた。その後に新たな標本を得てその結晶外形の新規性から新鉱物であることが明らかとなった[2]。原著論文には名前を決める際には神保小虎に相談し、小虎の勧めで産地の名前を取って「石川石」とすることが決まった。1923年にはAmerican Mineralogist誌に日本産の新鉱物として紹介されている[3]。現時点で石川石は最も古い日本産新鉱物となっている。記載論文の著者の一人・木村健二郎は後に木村石(Kimuraite)として鉱物にその名を残すことになる。

石川石は化学組成と結晶外形からサマルスキー石との関連が永らく議論されてきたものの、結晶構造は具体的に明らかにならなかった。その背景にはウランやトリウムを多量に含む初生の鉱物はメタミクト(非晶質)で産出しそのままでは構造データが取得できないという問題があり、確証が得られなかったと思われる。そして1999年になって石川石の再記載の論文が登場する[4]。Hansonら[4]は石川石とカルシオサマルスキー石を確たるものにしようと、タイプ標本を手に入れて近代的な手法(EPMA分析とXRD測定)で化学組成と格子定数(加熱後)の測定を行った。そして石川石はサマルスキー石族のウラン卓越体であるという主張が再確認され、理想化学組成が(U,Fe,Y)NbO4に設定された。その結果を受けて石川石は新鉱物として改めて紹介されている[5]。

1999年以降に石川石の独立種としての立場は明確となったと言えるが、サマルスキー石族はいずれも結晶構造が明らかでないという本質的な問題もまだ残っていた。それもあって、その当時に示された石川石の理想化学組成((U,Fe,Y)NbO4)は陽イオンと陰イオンの電荷バランスが整合していない。そして2019年になりようやくサマルスキー石族の結晶構造が判明した。その結果としてサマルスキー石族はAMB2O8を基本組成とし、石川石についてはU4+Fe2+Nb2O8が理想化学式となることが明記されている[6]。これは2018年に新鉱物として承認されたエーケベルグ石(ekebergite, ideally ThFe2+Nb2O8)からみて、トリウム(Th)をウランに置換した組成に相当する。ただし、2021年1月の時点でオフィシャルリストに掲載されている化学組成は古いままとなっていた。

そして、2023年。サマルスキー石族を下位分類に含むコルンブ石超族の命名規約が成立し、論文が出版された[7]。コルンブ石超族は5つの族と、グループ化されていない1種を含み、過去のデータも見直されている。その結果、イッテルビウムサマルスキー石(samarskite-(Yb))、石川石、灰サマルスキー石(calciosamarskite)の3種については構造的なデータが不足している点が指摘され、「サマルスキー石族の暫定的なメンバー」に分類された。その結果を受けて石川石のIMA Statusも更新され、GからQへ格下げとなってしまった。そのため、ここでの取り扱いも「その他」のほうへ移動することとした。

写真の標本は和久のペグマタイトから得られたとされる。分析では化学式にあるとおりウランが卓越するニオブ酸塩であることは確認できたが、メタミクトの影響から合計重量%は理想より低かった。また石川石の外形は板状であることが知られ、写真の標本も四角柱状から厚みのある板状となっている。

[1] 柴田 雄次, 木村 健二郎 (1922) 東洋産含稀元素鑛石の化學的研究(其四) 磐城石川産サマルスキー石及び一新鑛物に就て(豫報). 日本化學會誌,43, 301-312.
[2] 第一文献
[3] Wherry E.T. (1923) New minerals: new species. American Mineralogist, 8, 230-231.
[4] 第二文献
[5] Jambor J.L., Roberts A.C. (1999) New mineral names. American Mineralogist, 84, 1464-1468.
[6] Britvin S.N., Pekov I.V., Krzhizhanovskay M.G., Agakhanov A.A., Ternes B., Schüller W., Chukanov N.V. (2019) Redefinition and crystal chemistry of samarskite-(Y), YFe3+Nb2O8: cation-ordered niobate structurally related to layered double tungstates. Physics and Chemistry of Minerals, 46, 727-741.
[7] Chukanov N., Pasero M., Aksenov S.M., Britvin S.N., Zubkova N.V., Yike L., Witzke T. (2023) Columbite supergroup of minerals: nomenclature and classification. Mineralogical Magazine, 87, 18-33.

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謝辞

日本の新鉱物に関して、以下の方々から貴重な標本を恵与して頂きました。

この場を借りて御礼申し上げます。ご協力ありがとうございました。

(敬称略) 足立富男、石橋隆、今井裕之、稲葉幸郎、大西政之、Anatoly Kasatkin、小林寿宣、Roy Kristiansen、 久野武、豊遙秋、松林康仁、三浦裕之、三輪俊一、皆川鉄雄、永嶌真理子、西久保勝己、西田勝一、田邊満雄、田中崇裕、福本辰己、山田滋夫、鈴木保光

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